残酷な描写あり
第二十三話 神苑の瑠璃 ―死闘―
「君達は知っているかい? ここが紅の大地という別名を持っていることを」
レイヴンが唐突に語りだした、レイ達はそれぞれの獲物を取り出して構えている。ここへ来る途中カルナックも同じようなことを言っていたが真相までは語られていなかった。足元を見ても格別赤くもなんともない。もしや溶岩の明かりでそう見えるのだろうかと思ったがそれも違うようだ。
「折角だ、この洞窟の本質を見せてあげよう」
すると神苑の瑠璃は見る見るうちに小さくなりレイヴンの手に収まるほどの大きさにまで縮んだ。左手で受け取りそれを前に差し出すと瑠璃は一段と輝きを増した。目が眩むほどの光がその場を埋め尽くしていく、視力が回復した時彼らの足元に転がる物と鼻につく嗅いだことのある匂いがした。
「っ!」
レイは足に何かがぶつかる感触を覚えてそれを見た、骸骨だ。無数の骸骨がそこら一面に広がっている。そして嗅いだことのある匂い、それは血の匂いだ。骸骨を埋め尽くすほどの血が大量に流れている。
「なんだこれ!」
アデルが血だまりに埋もれた足を引き上げて骸骨の上に乗る。だがその骸骨もすぐに崩れてしまいまた血だまりへと足がはまる。十人や二十人なんて規模じゃない。何百人の骸が転がっている。
「これが紅の大地と言われる由縁よ、この宝石に見せられた人の夢の跡。それがここよ」
今までずっと黙っていたシトラがついに口を開いた、その口調からは今まで一緒に旅をしてきたときの様なお道化た口調ではなくなっている。これがシトラの本性なのだろう。それはあのカルナックですら見抜くことが出来なかった。
「気を付けてね、そのどれかが私の仲間なのだから」
一段と声が低くなった。
「シトラさん、何で……何でこんなことをっ!」
思わずレイの口から飛び出した言葉をシトラは蔑んだ目で見る。その表情はまるで汚いものを見るかのような目をしていた。右手で顔を覆って俯いた後髪の毛を掻き揚げてもう一度レイ達をにらむ。
「何で? そうね、例えるのであれば――」
レイブンが左手に持つ瑠璃を宙に放る、それと同時にシトラが瞬間的に詠唱を初めて封印法術を唱え始める。レイ達はそれに迅速に反応してそれぞれが距離を取る。
「幻魔様復活の為かしらね!」
瑠璃が一瞬で凍り付いた。天井と瑠璃が氷で繋がってぶら下がるように凍り付いた。そして同時にレイヴンとシトラが動いた。レイヴンはアデルとガズルへと、シトラはレイとギズーに向かって同時に突進する。四人はそれを見逃さなかった。互いに距離を取っていた彼等としては一人ずつ相手にできる絶好のチャンスでもあった。だが相手はカルナックが最初に育て上げた弟子の中でも最強の分類に入る剣帝序列筆頭と結界法術を使わせたら右に出るものが居ないシトラだ。少しでも油断をすればそれは死につながる。
レイヴンは炎帝剣聖結界を施している、そのスピード火力共に素のアデルでは到底かなうことは出来ない。しかし対抗策は練っていた。アデルの元へと飛び込んできたレイヴンの刀がアデルの首を跳ねようと襲い掛かる、それをアデルは二本の剣で受け流す、するとその後ろに居たガズルが即座に重力球を作り出すとレイヴンの頭上へと放り投げる。受け流したアデルも同時に二本の剣をそれぞれ逆手に持ち替えて横一線に剣を叩きこんだ。重力球の影響を受けているレイヴンは一瞬だけ体に通常の二倍の重力を感じる、そう二人の思惑は攻撃は避けるとしてそのスピードだけでも殺せないかと考えたのだ。結果二倍の重力を受けたレイヴンの動きが一瞬だけ鈍る。だがレイヴンの判断力は速かった。身動きを少しでも封じられてしまったのであれば目の前に迫りくるアデルの攻撃を防御することは不可能、それならば。
「避ければいいだけの話ですよ」
体を後ろにのけ反ってアデルの斬撃を避ける、鼻上すれすれのところで二本の剣は交差して避けられてしまった。上体をのけ反っていたレイヴンはそのまま反撃に出るつもりでいたがそれは不可能と悟る。目の前に現れたのはガズルの姿だった、空中に飛んで重力球の真上に体を構えている。右腕を振りかぶって思いっきり重力球に打撃を叩きつける。するとその重力球は形状を変えドリル型になりレイヴンを真上から襲う。船での戦闘以来彼等と見えるのは久しぶりであるがあの短期間でここまでの成長を成し遂げたのかとレイヴンは笑っていた。最狂の部下というだけあって性格までも少しばかり似ているのかもしれない。左肩にガズルのドリル上の重力球を受けた。が、かすり傷程度だった。二人の攻撃は止まらない。ガズルはその体制のまま左手で重力波を作り出すとそれをレイヴンに叩きつける。真っ黒な重力波は彼の体を包み込むとそこにアデルの剣激が走る。横一線にもう一度振るわれたツインシグナルが確実にレイヴンの体をとらえる。しかし金属音と共にそれは貫通していないことを知る。
真っ黒で外が見えない状態のレイヴンにはアデルの攻撃が手に取るように分かっていたのだ。それはアデルから流れ出る殺気。それから見える未来予知にも等しい洞察で体を真っ二つにするために放たれた斬撃を刀で受け止める。レイヴンの法術ギアが一段上がった。覆い被っている重力波を自身の炎法術で吹き飛ばした。二人はそれぞれ別々に飛ばされたがレイヴンの目標は依然としてアデル一人に向けられている。壁にまで吹き飛ばされたアデルは大の字で壁へと激突する。そこにレイヴンが猛烈な勢いで迫ってくる。
「面白い、面白いですよアデル君!」
「そうかい! そうかい! 俺はちっとも面白くねぇよ!」
前のめりに倒れこもうとする体に力を入れてレイヴンを睨んだ、左手に構えるツインシグナルを逆手から順手に持ち替えて突進してくるレイヴンに向けて突きを放つ。が、首を捻ってそれを簡単に交わされてしまった。その直後アデルの腹部に激痛が走る。レイヴンの刀が刺さっていた。口から少量の鮮血が飛ぶと歯を食いしばってレイヴンをにらみつけた。レイヴンに向けて右手のグルブエレスを横から叩きこむがそれも簡単に避けられてしまう。
「甘いですよアデル君、そんな速度で私に傷をつけることが出来ますか!」
「甘いのテメェだ!」
レイヴンの体が急にアデルの元から離れた、離れたというより吹き飛ばされたと言うべきだった。アデルだけを見ていたレイヴンはガズルの存在をすっかり忘れていたのだ。そのガズルが後ろから走ってきて二人の間に割って入るように飛び込み体を捻ってレイヴンの顔面に左足で蹴りを入れていた。吹き飛ばされたレイヴンだが刀を放すことは無かった。弾き飛ばされたと同時にアデルの腹部に突き刺さる刀はずるりと抜けてレイヴン共々吹き飛ぶ。アデルの傷口からは大量の血が流れるがそれを炎の法術で焼いた。傷口を塞ぐための行動だった。
変わってレイとギズーに向かって飛び込んだシトラは飛びながらも法術を唱えている。左手に構える杖が見る見るうちに凍り付き槍へと形状を変えた。その速度のままレイとギズー二人に攻撃を仕掛ける。レイのすぐ目の前に落下すると足元の血だまりが噴き出す。レイが左手でそれをガードすると突如目の前に氷の槍が出現した。血だまりを目くらましに使いその隙に自分の獲物を突き出していた。レイの左腕に突き刺さるかどうかという処で急に槍の進路方向が左にずれる。レイの顔面スレスレを氷の槍が通過した。咄嗟にギズーがシトラの槍をシフトパーソルで撃ち抜いたのだ。その判断、命中、速度共に一流と言える実力にまでこの数日間で成長していた。レイはバク転をしてシトラとの距離を取ると霊剣を頭上に振りかぶる。そのままシトラ目掛けて振り下ろすが氷の槍によって斬撃を受け止められてしまった。
シトラは攻撃を受け止めた瞬間体を捻って体ごと槍を旋回させる。対象物が無くなった霊剣はそのまま地面に振り下ろされてバランスを崩す。そこに氷の槍が横一杯に振りかぶられてレイの体を真っ二つにしようと飛んでくる。だがその刃も途中で止まってしまった。ギズーが左手に構えるロングソードを逆手に持ち替えてレイと氷の刃の間に割って入る。無理な体制のまま右手のシフトパーソルを背中からシトラに向けて数発の弾丸を発射する。その一発が彼女の右頬を掠めていった。
「中々いいコンビネーションじゃない、でもこれはどうかしら!?」
右手に冷気を放出させるとそれをレイとギズー二人に向けて放つ、すると彼等二人の体が徐々に凍り始めてきた。身動きが取れなくなりそうになったがここでレイが氷雪剣聖結界を発動させた。レイから放出される冷気はまるで意志を持っているかのようにシトラの放つ冷気に向かって同じ冷気をぶつけた。だが彼らが動けないのことは覆らない。そう思えたが次の瞬間、思わぬことが起きた。突如としてシトラの足元の血だまりが吹きあがるとそこから炎が吹きあがった。その炎を作り出したのはギズーだった。
カルナックより譲り受けたウィンチェスターライフルにあらかじめ炎の法術が施された弾丸を装填していたのだ。右腕の袖の部分にライフルをしまい込んでいる幻聖石を忍び込ませておき、右手首をまっすぐに伸ばすとそれが手の平に落ちてくる仕組みを作っていた。もちろん最初に持っていたシフトパーソルは落とすことになるが。その結果、発射した法術弾が地面に着弾すると炎が巻き起こったのである。これにはさすがのシトラも虚を突かれた。まさかこんな仕込みをしてくるなんて考えても居なかったからである。僅かではあるがケルヴィン領主家で一緒に時間を過ごしたシトラからはこんな芸当をするようなギズーは記憶にはない。ましてやそんな小細工を教えた覚えもない。これはきっとカルナックが仕掛けたトラップ。そう判断した。
巻き起こる炎によって三人の間にできた氷は解けてそれぞれ身動きが取れるようになった。シトラはその瞬間後方へと跳躍するが一歩遅かった。目の前では次の弾丸を装填してくるんとレバーをまわしているギズーの姿が目に移った。
「逃がすと思ったかシトラ!」
空中に舞っているシトラに向けて銃口を向ける、だが無理な体制は続いていた為体が一瞬ぐらつく。それをレイの左手がカバーした。左腕を水平に上げるとそこにギズーのライフルの銃口付近が乗っかる。安定した体制になりギズーは引き金を引いた。シトラは即座に氷の盾を形成し炎でも解けないような極度に冷たい氷を形成した。だがそれはシトラにとって最大の誤算である。ギズーが放った弾丸は法術弾ではない、今度は実弾が発射されていた。四十四口径の弾丸はその破壊力を誇示する。展開された氷の盾をいとも簡単に撃ち抜きシトラの右足太ももに命中する。足に激痛が走って表情が歪んだ。撃ち抜かれた太ももからはおびただしい量の血が流れだし。着地するときにバランスを崩した。
レイヴンとシトラは偶然にも同じタイミングで同じ場所に戻ってきていた。そこにレイ達四人が一斉に襲い掛かる。初めにガズルが二人の頭上の遥か上に位置取り両手を組んで重力爆弾を作り出す、続いてレイとアデルが一斉に飛び掛かりそれぞれ一発、もう一発と斬撃を叩きこむ。そこにガズルが両腕を振りかぶって重力爆弾を放った。二人に着弾すると一気に包み込み彼らの動きを封じた。そこにギズーが離れた場所から法術弾を発射する。今度は風の法術弾だった。弾丸は着弾する前にはじけ飛びかまいたちを形成する。それが重力球によって吸い込まれ中で真空波となり二人を切り刻んだ。
「もらったぁ!」
アデルが叫びながら両手の剣を逆手に持ち替えた。右腕を下から振りかぶって前に突き出す。自分の体と同じラインで勢いよく止めるとその剣先から炎が圧縮されて噴き出す。それは高温となって吹きあがり重力球に飲まれていく。重力球の中では圧縮された風によって炎が勢いを増して業火となり二人を包み込んでいる。流石にこれには耐えられまいとアデルは確信していた。しかし、事が起きたのはその瞬間だった。
重力球は突如として破壊され炎が見る見るうちにレイヴンによって吸収されていく。破壊されたことにより風はその維持が出来なくなり力を弱めていった。シトラの体は分厚い氷に覆われていて炎を全く寄せ付けていなかった。それどころか撃ち抜かれた太ももの傷がきれいさっぱりと消えている。回復法術だ、あの怒涛の連続攻撃の間に氷の防御と回復法術とを同時に発動させてシトラは自分とレイヴンの体に受けたダメージを全て回復させていた。
まさに脅威、四人がその光景に絶望しているころシトラが動いた。右腕に集められていた冷気をそのまま地面に叩きつけるとあたり一面が一斉に凍りだす。それに四人は反応することが出来なかった。足元は氷漬けになり身動きが取れない状態になった。そこにレイヴンが一人ひとりに斬撃を放つ。四人とも全員が何とか防御するもその破壊力たるもの凄まじく四人全員が後ろの壁へと吹き飛ばされて激突する。そのまま四人は揃って地面に倒れてしまった。
「くっそう、強すぎる……生半可な連携攻撃じゃダメージもまともに与えられ――」
レイが立ち上がってそうぼやこうとした。が、突如足が言う事を聞かなくなり片膝をついてしまった。ギリギリのところで防御したと思った攻撃だったが、ダメージは確実に貫通していた。口からは微量な血が逆流している。確実に内臓にダメージを負っていた。レイだけではない、他の三人も同様にダメージを負っていた。これが剣帝序列筆頭の力、油断するつもりは無かったものの、これほどまで力の差があるとは考えても居なかった。これはレイ達の多大なる誤算であった。
「そろそろ遊びも終わりにしましょうか、あまり長く遊んでいると先生が来てしまうかも知れませんし」
そう言いながらレイヴンが四人に近づいていく、一度刀を納刀してゆっくりとこちらへ歩いてくる。まさに恐怖そのものだった。先ほど与えたダメージはどこへやら、完全回復した今のレイヴンにダメージを負っている彼等四人はどうあがいても勝てそうになかった。しかし、ここで奥の手を出していいのかレイは悩んでいた。そう厄災剣聖結界である。確かにイゴールを前面に出せばこの局面を乗り切れるかもしれない。しかし、今がその最大の危機なのだろうか? まだ何かできることがあるのではないかと思考が錯誤し始める。そんなレイに起き上がったアデルが肩を叩いた。
「まだだ、まだその時じゃない」
心を読まれていた、知らず知らずのうちに顔に出ていたのだろう。それを悟ったアデルが首を横に振ってレイの前に出る。グルブエレスとツインシグナルと鞘に納めると腰のポーチから幻聖石を取り出した。それを左手で握るとヤミガラスを具現化する。
「インストーラーデバイスですね、やっと本気になってくれましたかアデル君」
「別に手を抜いてた訳じゃないんだけどな、最初に使っちまうと後に響いちまうからよ。とっておきってのは最後の最後まで取っておくもんだろ?」
そう啖呵を切って抜刀の構えに移行する、それを見たレイヴンも一度鞘に納めて間合いギリギリのところで立ち止まった。シトラはそれを後ろでじっくりと観察しているように見える。レイ達三人もアデルの行動を見守りつつシトラを警戒していた。
「同じ流派だ、何をするかってのは分かってるんだろうレイヴン」
「えぇ、手に取るようにわかります。ですがあなたに私のスピードに付いてこられますかな?」
そう告げるとレイヴンの姿が消えた、同時にアデルが炎帝剣聖結界を発動させる。そこからの五秒間、二人の攻撃はその場にいる全員の視界で捉えることが出来なかった。先に動いたレイヴンは先に抜刀しアデルの胴体目掛けて斬撃を放つ、それに合わせてアデルも抜刀する。激しくぶつかり合うその刃からは衝撃波を伴い周囲へと吹き荒れる。二発目、それも互いに打ち合い相殺する。アデルにはしっかりとレイヴンの攻撃が見えていた。スローモーションにも捕らえられるその動体視力、短期間でよくぞここまで練り上げたとレイヴンが感心する。しかし二人の攻撃はもちろんゆっくり放たれているものなんかではない。カルナックほどではないがそれに等しい速度で刃が飛び交う。レイヴンが急所を狙って斬撃を放てばそれをアデルが見切って叩き落す。そんな攻防がしばらく続く。
決定打をお互いに浴びることも無く、与えることも無く繰り返される無数の斬撃。聞こえてくるのは激しい金属音が重なって永遠と流れ続ける。だが優勢なのはレイヴンである、彼のほうがほんの一瞬だが先に動いただけあって攻撃の主導権を握っている。確実にアデルは防御側に回っていることを自覚しつつも一瞬の隙をついては攻撃を仕掛けようとするがそれも叶わないでいる。この間まさに二秒、徐々にアデルの動きに乱れが出てきた。体が悲鳴を上げ始めているのが分かる、次第に攻撃速度が遅くなりレイヴンの攻撃をさばききれなくなっていく。すると一太刀、また一太刀と体に傷を負い始めてきた。
残り二秒、レイ達はついにアデルの姿だけをとらえることに成功する。その瞬間レイの表情が青ざめ始めた。未だ高速で移動しているであろうレイヴンの姿をとらえることが出来ないからだ。徐々にアデルの体から鮮血が飛ぶのが見え始める。ラスト一秒、ついにアデルの動きが確実に視界にとらえることが出来る程落ちていた。それを見てレイヴンが確信する、もうこれ以上アデルには力が残されていないと。その判断からとどめを刺そうと細かい剣激が大降りに変わり始めた。それをアデルは見逃さなかった。炎帝剣聖結界が切れるその直前、アデルがこれまで防御に徹していたスタイルから攻撃へと転じる。切れる直前、彼がとった行動は誰にも思いつかない奇策であった。大ぶりの攻撃を視界にとらえるとレイヴンの姿も露になり始めた。それが決定打となる。大ぶりの攻撃を刀で受けることなく体を捻って避けたのだ。それまですべての攻撃を打ち落としてきたアデルは初めてレイヴンの攻撃から体を逃がした。そして同時にエーテルを刀に集中させて地面に突き刺す。
「逆光剣!」
まさかの奇策、それは逆光剣である。突如として目の前に猛烈な光が現れレイヴンの視界を奪ってしまう。目がくらみ何も見えなくなったレイヴンはアデルの殺気だけを頼りに攻撃を受けようとした。そこにギズーが動いた、ライフルを握りしめると弾丸を一発装填する。レバーに人差し指だけを掛けて前方に向けて銃身を放り投げる。その直後ひっかけていた人差し指を手前に引くとその反動で銃身が戻ってきて弾丸が装填される。戻ってきたライフルはそのままレイヴンへと銃口を向けてトリガーを引いた。発射された弾はレイヴンの右肩に直撃し骨ごと破壊する。そこにアデルは勝機を見出す。ふらりと倒れそうになる体に鞭を入れて炎帝に教わった剣聖結界とはまた別の技を発動させた。
「循環再起動」
一度放出され消費したエーテルがアデルの体の中に戻り始めた、そして再び髪の毛が真っ赤に染まり足元から炎が噴き出る。体にかかる負担は計り知れないがアデルは短時間の間にもう一度炎帝剣聖結界を発動させることに成功した。それは炎帝より授かった彼のとっておきの一つだった。
静かに見守っていたシトラがとっさに援護しようと法術を練る、だが同時にレイもまた同じ法術を練り始める。アデルから口頭だけで伝えられた情報を元に構築される法術。
「絶対零度」「絶対零度」
二人が同時に法術を唱えた、氷点下二百七十三度の空間を作り出し一瞬のうちに相手を凍らせる結界だったが両者の法術はその中央で激しくぶつかり合い相殺される。ぶつかり合う極限の温度は互いにぶつかると対消滅を起こした。その直後レイとガズルはシトラへと跳躍する。
右肩を砕かれたレイヴンにはもう刀を握るだけの力が残されていなかった。視界もまだ戻っていないレイヴンは咆哮する。仕留めきれなかった自分の未熟さに嫌悪し自分より優れた戦闘センスを持つアデルに嫉妬した。しかしレイヴンは最後の悪あがきに出る。握ることも出来なくなった刀が右手から落ちるとそれを左手でキャッチする。逆手に握った刀をアデルが居るであろうその空間に向けて切り上げた。確かにそこにアデルは居た、しかしその攻撃をアデルは見切っていた。ギリギリの処で刃を避けると剣先が帽子に当たり二個目の切れ目を作った。ほんの数ミリの切込みがアデルの帽子に残りそれを手ごたえと勘違いしてしまう。アデルはその体制のまま刀を鞘から引き抜く。
「一つ!」
本来であれば神速の抜刀術であるソレに以前のキレは無かった。だがどこから飛んでくるか分からない斬撃をレイヴンは交わすことが出来ずにいた。いくら殺気だけを頼りに攻撃を予測しようにも限度はある、レイヴンの予想をはるかに上回るアデルの行動がその勝敗を決めた。初太刀でレイヴンの右腕を切り飛ばし二段目で彼の左足に切り傷を負わした。アデル自身もこれには予想外の表情をする。確実に仕留めたと思った左足だったが僅かにレイヴンの刀によって防がれてしまっていた。
「三つ!」
レイヴンもまた諦めていなかった。同じ技を使える彼もまたどこに攻撃が飛んでくるのかが予想できている。その結果が二段目の防御だった。ようやく視界が戻ってくると目の前のアデルに思わず驚愕する。短時間に二度目の炎帝剣聖結界を発動させることは出来ないとシトラからの報告にあったはずなのに目の前では確実にアデルが発動させている。これこそ彼最大の誤算だった。一度効果が切れれば無力になったアデルを仕留めるだけの仕事だった。それこそが間違いであると今となって気づく。利き腕ではない左腕でアデルの連続攻撃を捌いていく。四つ目も終わり五つ目に動作が移る。それさえ凌ぎ切れば反撃できる。そう確信していた。
「五つ!」
一瞬視界が歪んだ、放出したエーテルを再度体内に取り込んでの極限に近い状態で発動させた炎帝剣聖結界。これ以上維持することが難しくなってきた。少しずつ少しずつアデルの体を炎帝が蝕み始めた。汚染される精神の中でアデルは見た、五段目に飛ばした斬撃の残像をその目で確かに見た。そして理解した。カルナック流最終奥義六幻の本当の正体を。
「防ぎ切ったぞアデル!」
全ての斬撃を左手一本で捌ききったレイヴンは叫んだ、そこから先は来ない。まだ六幻は完成していないと知っていたのだ。しかしそれは間違いだと直ぐに訂正せざるえなかった。レイヴンはその瞳で見たのだ、六つの斬撃が自分に迫りくるのを。驚くことにアデルはこの戦闘の最中その神髄に気づいたのだ。六幻の神髄はスピードにあらず、一段目から繋がる怒涛の連続攻撃。その五段目に答えがあった。思い出してほしい、五段目は抜刀時に生じる衝撃波を斬撃と共に飛ばす攻撃だという事を。その薄れていく視界の中でアデルは飛ばした斬撃の後に微かに残る真空波を見た。既に五段目で音速を越えなければならなかった。その時に生じる真空波を刀で一つずつ拾い相手に叩きこむ。五か所で発生した真空波は刀で流れを作り円を描く。それが光となり斬撃に見えていたのだ。高速に回転しながら移動する真空波の中心は気圧が下がり高いところから低い処へ集まる習性を利用する。するとどうだろう。六つの衝撃波はそれぞれは中央へ集まりほぼ同時に相手へと突き刺さる。
「六幻」
最後に納刀すると斬撃音が遅れて聞こえた。六幻の向けられた先はレイヴンの心臓、二度とそれが動くことは無く、鼓動が聞こえることも無くなった。絶命したレイヴンはそのままアデルへと倒れてもたれ掛かる。
「あばよ剣帝、その名前俺が貰い受けるっ!」
左肩を後ろに引くとそのままレイヴンの死体はずるりと地面に倒れた。
「レイヴン!」
レイとガズルの二人がシトラ相手に詠唱詠唱の隙を与えないように攻撃を続けている。怒涛の連続攻撃にシトラは防戦一方だった。だがここでシトラの動きに変化があった、それまで防戦一方だった彼女だったが、レイヴンが倒れた事で自分の中で無意識のうちタガが外れたのだ。いわば無意識のうちにセーブしているリミットを解除してしまった。暴走に近いエーテルの放出量にレイはとっさにガズルの襟をつかんで後ろへと飛ぶ。
「何すんだレイ!」
攻撃を仕掛けようとしていたガズルが咄嗟に後ろに引っ張られたことに文句を言う、しかしその判断は正しかった。突如としてシトラの足元から巨大な氷が鋭い刃となって噴き出たのだ。もしもレイがあの瞬間に逃げてなかったら二人とも氷の刃によって体は貫かれていただろう。
二人が地面に着地した瞬間、突如として体が動かなくなった。それは離れているギズーとアデルにも同じ症状が見えた。四人はこの感覚を知っている。まぎれもない精神寒波である。しかしレイが身動き取れなくなるほどの精神寒波なんて今まで見た事が無い。常に気を張っている彼等だからこそ分かる。カルナックの家では油断していたからこそ跳ねのけることが出来なかったが今は違う。常に発せられる精神寒波を難なく跳ねのけてきた彼等だったが今はその重圧によって体の身動きが取れなくなっていたのだ。元々ギズーとガズルに関しては精神寒波の体制は無かったものレイの氷雪剣聖結界の恩恵によって負担が軽減されていた。それが今崩壊したのだ。
「何だこれ……体が」
必死に抵抗するレイだったが抗う事の出来ない程の重圧だった、氷雪剣聖結界を発動しているときは通常の法術障壁より格段に術式が上がっているにも関わらずだ。その重圧は恐怖を植え付ける。
「……」
シトラはゆっくりとレイヴンの死体に目を向けた、ピクリとも動かないことを確認し絶命したのだと悟った。そして再び四人に強烈な精神寒波が襲い掛かる。いつしかカルナックが見せた衝撃波を伴った物とよく似ている。とても冷たい殺気も同時に混じっていた。レイ以外の三人はその衝撃によって三度壁へと吹き飛ばされる。何とかレイだけはその衝撃はだけは受け流すことが出来た。だが次は無いと覚悟する。
「――ありがとうレイヴン、後は私一人で何とかするわ」
するとシトラの姿が消えた、その直後レイの腹部に衝撃が走る。瞬時にレイの元へと移動したシトラはレイの腹部を蹴り飛ばしたのである。それは予想だにしていなかった。これは剣聖結界の恩恵ではない。シトラ本人の身体能力の高さだった。これで四人は揃って壁の方へと弾き飛ばされてその場に倒れてしまう。
「やっぱり化け物だあの女っ!」
ガズルが地面にひれ伏しながらそう叫んだ。そう、最初にシトラの恐怖を知ったのはガズルだった。ケルヴィン城で植え付けられたその恐怖を思い出していたのだ。
「失礼ね、女性に向かって化け物だなんて――」
冷静に話し始めた、両手を広げて法術を詠唱すると氷の槍が二本出現した。それをまず動けないでいるガズルに向けて投げる、続けてギズーにも投げつけた。放たれた槍は地面に直撃しガズルとギズーの体をを凍らせて身動きが取れないようにした。続けてもう二本作り出すとレイとアデルに向けて投げつける。レイは何とかその場に立っていたが放たれた槍は左肩に突き刺さりそのままもう一度壁に張り付く形になる。同時にその場霊剣を落としてしまう。アデルはフラフラに成りながらも立ち上がったが左足に槍が刺さる。
「急に何だってんだ、さっきとはまるで別人じゃねぇか!」
左足に突き刺さった氷の槍を引き抜きながらアデルが叫ぶ、突き刺さった場所は急速に温度が下がり凍傷となる。
「分からない、でもレイヴンが倒れた直後にシトラさんのエーテルが爆発的に増加したんだ。それも――」
レイの瞳にはしっかりと映っていた、シトラの体に纏わりつく異常なまでのオーラを。体内のエーテルが溢れ過剰に放出されている。
「おそらくレイヴンのエーテルだ、きっと何方かの生命活動が停止した時に残りのエーテルを全て譲り渡すって契約でも結んでいたんだろう」
体と地面が氷によって塞がれているガズルが冷静に分析をする、それを聞いてギズーが思わず笑ってしまった。
「冗談じゃねぇ、そんな事できるわけが――」
「いや不可能じゃない、普通そんな事する奴なんていねぇけど」
アデルは知っていた、レイの深層意識の中で起こった出来事を思い出す。他人にエーテルを分与することは可能であると。厄災がアデルにしたのと同じように。そしてこの局面を打開する解決策を模索する。レイも同じことを考えているだろう。この局面において彼らに残された策は残り限られている。
「おしゃべりはもう済んだかしら?」
シトラの体から放出されるエーテルが一段と増す、紛れもなく凄まじいまでのエーテル量だ。その膨大な量から法術が放たれればどうなるか四人は考えたくも無かった。しかし現実は無情な程現実味を帯びている。次第に周囲の気温が下がり始めて吐く息が白くなる。それまで溶岩の熱で汗を掻くほどだったのにだ。シトラから放出される冷気が一層強さを増し始めた。
「それじゃぁ、皆さようなら」
最後に微笑むと彼等四人の元へと氷の刃が襲い掛かってきた、地面から付きあがる氷はシトラの体から前へ前へと突き出してくる。徐々に距離が詰められていきレイ達の目の前にまで迫ろうとしたその時。レイの右手人差し指にはめられた指輪が突如光りだした。その光にレイ達四人はもちろん、シトラの視界を奪う。
「レイ君、大丈夫だった?」
目の前に迫ってきた氷の刃は突如真っ二つに割れた。レイの処へ向かってきた物だけじゃない。四人全員の目前に迫ってきた氷が全て真っ二つに割れていた。
「もう大丈夫だよ」
レイの視界がぼんやりとだけ戻ってくる、そこには小さな人影が巨大な剣を右手にもって立っていた。そのシルエットをレイは知っている。アデル達と冒険を始めて以来ずっと一緒にいた大切な女性。そのシルエットと声が似ていた。
「シトラ・マイエンタ――私があなたを裁きますっ!」
彼女の名前はメルリス・ミリアレンスト。普段の彼女からは想像もつかないエーテル量を携えて彼らの前に現れた。
レイヴンが唐突に語りだした、レイ達はそれぞれの獲物を取り出して構えている。ここへ来る途中カルナックも同じようなことを言っていたが真相までは語られていなかった。足元を見ても格別赤くもなんともない。もしや溶岩の明かりでそう見えるのだろうかと思ったがそれも違うようだ。
「折角だ、この洞窟の本質を見せてあげよう」
すると神苑の瑠璃は見る見るうちに小さくなりレイヴンの手に収まるほどの大きさにまで縮んだ。左手で受け取りそれを前に差し出すと瑠璃は一段と輝きを増した。目が眩むほどの光がその場を埋め尽くしていく、視力が回復した時彼らの足元に転がる物と鼻につく嗅いだことのある匂いがした。
「っ!」
レイは足に何かがぶつかる感触を覚えてそれを見た、骸骨だ。無数の骸骨がそこら一面に広がっている。そして嗅いだことのある匂い、それは血の匂いだ。骸骨を埋め尽くすほどの血が大量に流れている。
「なんだこれ!」
アデルが血だまりに埋もれた足を引き上げて骸骨の上に乗る。だがその骸骨もすぐに崩れてしまいまた血だまりへと足がはまる。十人や二十人なんて規模じゃない。何百人の骸が転がっている。
「これが紅の大地と言われる由縁よ、この宝石に見せられた人の夢の跡。それがここよ」
今までずっと黙っていたシトラがついに口を開いた、その口調からは今まで一緒に旅をしてきたときの様なお道化た口調ではなくなっている。これがシトラの本性なのだろう。それはあのカルナックですら見抜くことが出来なかった。
「気を付けてね、そのどれかが私の仲間なのだから」
一段と声が低くなった。
「シトラさん、何で……何でこんなことをっ!」
思わずレイの口から飛び出した言葉をシトラは蔑んだ目で見る。その表情はまるで汚いものを見るかのような目をしていた。右手で顔を覆って俯いた後髪の毛を掻き揚げてもう一度レイ達をにらむ。
「何で? そうね、例えるのであれば――」
レイブンが左手に持つ瑠璃を宙に放る、それと同時にシトラが瞬間的に詠唱を初めて封印法術を唱え始める。レイ達はそれに迅速に反応してそれぞれが距離を取る。
「幻魔様復活の為かしらね!」
瑠璃が一瞬で凍り付いた。天井と瑠璃が氷で繋がってぶら下がるように凍り付いた。そして同時にレイヴンとシトラが動いた。レイヴンはアデルとガズルへと、シトラはレイとギズーに向かって同時に突進する。四人はそれを見逃さなかった。互いに距離を取っていた彼等としては一人ずつ相手にできる絶好のチャンスでもあった。だが相手はカルナックが最初に育て上げた弟子の中でも最強の分類に入る剣帝序列筆頭と結界法術を使わせたら右に出るものが居ないシトラだ。少しでも油断をすればそれは死につながる。
レイヴンは炎帝剣聖結界を施している、そのスピード火力共に素のアデルでは到底かなうことは出来ない。しかし対抗策は練っていた。アデルの元へと飛び込んできたレイヴンの刀がアデルの首を跳ねようと襲い掛かる、それをアデルは二本の剣で受け流す、するとその後ろに居たガズルが即座に重力球を作り出すとレイヴンの頭上へと放り投げる。受け流したアデルも同時に二本の剣をそれぞれ逆手に持ち替えて横一線に剣を叩きこんだ。重力球の影響を受けているレイヴンは一瞬だけ体に通常の二倍の重力を感じる、そう二人の思惑は攻撃は避けるとしてそのスピードだけでも殺せないかと考えたのだ。結果二倍の重力を受けたレイヴンの動きが一瞬だけ鈍る。だがレイヴンの判断力は速かった。身動きを少しでも封じられてしまったのであれば目の前に迫りくるアデルの攻撃を防御することは不可能、それならば。
「避ければいいだけの話ですよ」
体を後ろにのけ反ってアデルの斬撃を避ける、鼻上すれすれのところで二本の剣は交差して避けられてしまった。上体をのけ反っていたレイヴンはそのまま反撃に出るつもりでいたがそれは不可能と悟る。目の前に現れたのはガズルの姿だった、空中に飛んで重力球の真上に体を構えている。右腕を振りかぶって思いっきり重力球に打撃を叩きつける。するとその重力球は形状を変えドリル型になりレイヴンを真上から襲う。船での戦闘以来彼等と見えるのは久しぶりであるがあの短期間でここまでの成長を成し遂げたのかとレイヴンは笑っていた。最狂の部下というだけあって性格までも少しばかり似ているのかもしれない。左肩にガズルのドリル上の重力球を受けた。が、かすり傷程度だった。二人の攻撃は止まらない。ガズルはその体制のまま左手で重力波を作り出すとそれをレイヴンに叩きつける。真っ黒な重力波は彼の体を包み込むとそこにアデルの剣激が走る。横一線にもう一度振るわれたツインシグナルが確実にレイヴンの体をとらえる。しかし金属音と共にそれは貫通していないことを知る。
真っ黒で外が見えない状態のレイヴンにはアデルの攻撃が手に取るように分かっていたのだ。それはアデルから流れ出る殺気。それから見える未来予知にも等しい洞察で体を真っ二つにするために放たれた斬撃を刀で受け止める。レイヴンの法術ギアが一段上がった。覆い被っている重力波を自身の炎法術で吹き飛ばした。二人はそれぞれ別々に飛ばされたがレイヴンの目標は依然としてアデル一人に向けられている。壁にまで吹き飛ばされたアデルは大の字で壁へと激突する。そこにレイヴンが猛烈な勢いで迫ってくる。
「面白い、面白いですよアデル君!」
「そうかい! そうかい! 俺はちっとも面白くねぇよ!」
前のめりに倒れこもうとする体に力を入れてレイヴンを睨んだ、左手に構えるツインシグナルを逆手から順手に持ち替えて突進してくるレイヴンに向けて突きを放つ。が、首を捻ってそれを簡単に交わされてしまった。その直後アデルの腹部に激痛が走る。レイヴンの刀が刺さっていた。口から少量の鮮血が飛ぶと歯を食いしばってレイヴンをにらみつけた。レイヴンに向けて右手のグルブエレスを横から叩きこむがそれも簡単に避けられてしまう。
「甘いですよアデル君、そんな速度で私に傷をつけることが出来ますか!」
「甘いのテメェだ!」
レイヴンの体が急にアデルの元から離れた、離れたというより吹き飛ばされたと言うべきだった。アデルだけを見ていたレイヴンはガズルの存在をすっかり忘れていたのだ。そのガズルが後ろから走ってきて二人の間に割って入るように飛び込み体を捻ってレイヴンの顔面に左足で蹴りを入れていた。吹き飛ばされたレイヴンだが刀を放すことは無かった。弾き飛ばされたと同時にアデルの腹部に突き刺さる刀はずるりと抜けてレイヴン共々吹き飛ぶ。アデルの傷口からは大量の血が流れるがそれを炎の法術で焼いた。傷口を塞ぐための行動だった。
変わってレイとギズーに向かって飛び込んだシトラは飛びながらも法術を唱えている。左手に構える杖が見る見るうちに凍り付き槍へと形状を変えた。その速度のままレイとギズー二人に攻撃を仕掛ける。レイのすぐ目の前に落下すると足元の血だまりが噴き出す。レイが左手でそれをガードすると突如目の前に氷の槍が出現した。血だまりを目くらましに使いその隙に自分の獲物を突き出していた。レイの左腕に突き刺さるかどうかという処で急に槍の進路方向が左にずれる。レイの顔面スレスレを氷の槍が通過した。咄嗟にギズーがシトラの槍をシフトパーソルで撃ち抜いたのだ。その判断、命中、速度共に一流と言える実力にまでこの数日間で成長していた。レイはバク転をしてシトラとの距離を取ると霊剣を頭上に振りかぶる。そのままシトラ目掛けて振り下ろすが氷の槍によって斬撃を受け止められてしまった。
シトラは攻撃を受け止めた瞬間体を捻って体ごと槍を旋回させる。対象物が無くなった霊剣はそのまま地面に振り下ろされてバランスを崩す。そこに氷の槍が横一杯に振りかぶられてレイの体を真っ二つにしようと飛んでくる。だがその刃も途中で止まってしまった。ギズーが左手に構えるロングソードを逆手に持ち替えてレイと氷の刃の間に割って入る。無理な体制のまま右手のシフトパーソルを背中からシトラに向けて数発の弾丸を発射する。その一発が彼女の右頬を掠めていった。
「中々いいコンビネーションじゃない、でもこれはどうかしら!?」
右手に冷気を放出させるとそれをレイとギズー二人に向けて放つ、すると彼等二人の体が徐々に凍り始めてきた。身動きが取れなくなりそうになったがここでレイが氷雪剣聖結界を発動させた。レイから放出される冷気はまるで意志を持っているかのようにシトラの放つ冷気に向かって同じ冷気をぶつけた。だが彼らが動けないのことは覆らない。そう思えたが次の瞬間、思わぬことが起きた。突如としてシトラの足元の血だまりが吹きあがるとそこから炎が吹きあがった。その炎を作り出したのはギズーだった。
カルナックより譲り受けたウィンチェスターライフルにあらかじめ炎の法術が施された弾丸を装填していたのだ。右腕の袖の部分にライフルをしまい込んでいる幻聖石を忍び込ませておき、右手首をまっすぐに伸ばすとそれが手の平に落ちてくる仕組みを作っていた。もちろん最初に持っていたシフトパーソルは落とすことになるが。その結果、発射した法術弾が地面に着弾すると炎が巻き起こったのである。これにはさすがのシトラも虚を突かれた。まさかこんな仕込みをしてくるなんて考えても居なかったからである。僅かではあるがケルヴィン領主家で一緒に時間を過ごしたシトラからはこんな芸当をするようなギズーは記憶にはない。ましてやそんな小細工を教えた覚えもない。これはきっとカルナックが仕掛けたトラップ。そう判断した。
巻き起こる炎によって三人の間にできた氷は解けてそれぞれ身動きが取れるようになった。シトラはその瞬間後方へと跳躍するが一歩遅かった。目の前では次の弾丸を装填してくるんとレバーをまわしているギズーの姿が目に移った。
「逃がすと思ったかシトラ!」
空中に舞っているシトラに向けて銃口を向ける、だが無理な体制は続いていた為体が一瞬ぐらつく。それをレイの左手がカバーした。左腕を水平に上げるとそこにギズーのライフルの銃口付近が乗っかる。安定した体制になりギズーは引き金を引いた。シトラは即座に氷の盾を形成し炎でも解けないような極度に冷たい氷を形成した。だがそれはシトラにとって最大の誤算である。ギズーが放った弾丸は法術弾ではない、今度は実弾が発射されていた。四十四口径の弾丸はその破壊力を誇示する。展開された氷の盾をいとも簡単に撃ち抜きシトラの右足太ももに命中する。足に激痛が走って表情が歪んだ。撃ち抜かれた太ももからはおびただしい量の血が流れだし。着地するときにバランスを崩した。
レイヴンとシトラは偶然にも同じタイミングで同じ場所に戻ってきていた。そこにレイ達四人が一斉に襲い掛かる。初めにガズルが二人の頭上の遥か上に位置取り両手を組んで重力爆弾を作り出す、続いてレイとアデルが一斉に飛び掛かりそれぞれ一発、もう一発と斬撃を叩きこむ。そこにガズルが両腕を振りかぶって重力爆弾を放った。二人に着弾すると一気に包み込み彼らの動きを封じた。そこにギズーが離れた場所から法術弾を発射する。今度は風の法術弾だった。弾丸は着弾する前にはじけ飛びかまいたちを形成する。それが重力球によって吸い込まれ中で真空波となり二人を切り刻んだ。
「もらったぁ!」
アデルが叫びながら両手の剣を逆手に持ち替えた。右腕を下から振りかぶって前に突き出す。自分の体と同じラインで勢いよく止めるとその剣先から炎が圧縮されて噴き出す。それは高温となって吹きあがり重力球に飲まれていく。重力球の中では圧縮された風によって炎が勢いを増して業火となり二人を包み込んでいる。流石にこれには耐えられまいとアデルは確信していた。しかし、事が起きたのはその瞬間だった。
重力球は突如として破壊され炎が見る見るうちにレイヴンによって吸収されていく。破壊されたことにより風はその維持が出来なくなり力を弱めていった。シトラの体は分厚い氷に覆われていて炎を全く寄せ付けていなかった。それどころか撃ち抜かれた太ももの傷がきれいさっぱりと消えている。回復法術だ、あの怒涛の連続攻撃の間に氷の防御と回復法術とを同時に発動させてシトラは自分とレイヴンの体に受けたダメージを全て回復させていた。
まさに脅威、四人がその光景に絶望しているころシトラが動いた。右腕に集められていた冷気をそのまま地面に叩きつけるとあたり一面が一斉に凍りだす。それに四人は反応することが出来なかった。足元は氷漬けになり身動きが取れない状態になった。そこにレイヴンが一人ひとりに斬撃を放つ。四人とも全員が何とか防御するもその破壊力たるもの凄まじく四人全員が後ろの壁へと吹き飛ばされて激突する。そのまま四人は揃って地面に倒れてしまった。
「くっそう、強すぎる……生半可な連携攻撃じゃダメージもまともに与えられ――」
レイが立ち上がってそうぼやこうとした。が、突如足が言う事を聞かなくなり片膝をついてしまった。ギリギリのところで防御したと思った攻撃だったが、ダメージは確実に貫通していた。口からは微量な血が逆流している。確実に内臓にダメージを負っていた。レイだけではない、他の三人も同様にダメージを負っていた。これが剣帝序列筆頭の力、油断するつもりは無かったものの、これほどまで力の差があるとは考えても居なかった。これはレイ達の多大なる誤算であった。
「そろそろ遊びも終わりにしましょうか、あまり長く遊んでいると先生が来てしまうかも知れませんし」
そう言いながらレイヴンが四人に近づいていく、一度刀を納刀してゆっくりとこちらへ歩いてくる。まさに恐怖そのものだった。先ほど与えたダメージはどこへやら、完全回復した今のレイヴンにダメージを負っている彼等四人はどうあがいても勝てそうになかった。しかし、ここで奥の手を出していいのかレイは悩んでいた。そう厄災剣聖結界である。確かにイゴールを前面に出せばこの局面を乗り切れるかもしれない。しかし、今がその最大の危機なのだろうか? まだ何かできることがあるのではないかと思考が錯誤し始める。そんなレイに起き上がったアデルが肩を叩いた。
「まだだ、まだその時じゃない」
心を読まれていた、知らず知らずのうちに顔に出ていたのだろう。それを悟ったアデルが首を横に振ってレイの前に出る。グルブエレスとツインシグナルと鞘に納めると腰のポーチから幻聖石を取り出した。それを左手で握るとヤミガラスを具現化する。
「インストーラーデバイスですね、やっと本気になってくれましたかアデル君」
「別に手を抜いてた訳じゃないんだけどな、最初に使っちまうと後に響いちまうからよ。とっておきってのは最後の最後まで取っておくもんだろ?」
そう啖呵を切って抜刀の構えに移行する、それを見たレイヴンも一度鞘に納めて間合いギリギリのところで立ち止まった。シトラはそれを後ろでじっくりと観察しているように見える。レイ達三人もアデルの行動を見守りつつシトラを警戒していた。
「同じ流派だ、何をするかってのは分かってるんだろうレイヴン」
「えぇ、手に取るようにわかります。ですがあなたに私のスピードに付いてこられますかな?」
そう告げるとレイヴンの姿が消えた、同時にアデルが炎帝剣聖結界を発動させる。そこからの五秒間、二人の攻撃はその場にいる全員の視界で捉えることが出来なかった。先に動いたレイヴンは先に抜刀しアデルの胴体目掛けて斬撃を放つ、それに合わせてアデルも抜刀する。激しくぶつかり合うその刃からは衝撃波を伴い周囲へと吹き荒れる。二発目、それも互いに打ち合い相殺する。アデルにはしっかりとレイヴンの攻撃が見えていた。スローモーションにも捕らえられるその動体視力、短期間でよくぞここまで練り上げたとレイヴンが感心する。しかし二人の攻撃はもちろんゆっくり放たれているものなんかではない。カルナックほどではないがそれに等しい速度で刃が飛び交う。レイヴンが急所を狙って斬撃を放てばそれをアデルが見切って叩き落す。そんな攻防がしばらく続く。
決定打をお互いに浴びることも無く、与えることも無く繰り返される無数の斬撃。聞こえてくるのは激しい金属音が重なって永遠と流れ続ける。だが優勢なのはレイヴンである、彼のほうがほんの一瞬だが先に動いただけあって攻撃の主導権を握っている。確実にアデルは防御側に回っていることを自覚しつつも一瞬の隙をついては攻撃を仕掛けようとするがそれも叶わないでいる。この間まさに二秒、徐々にアデルの動きに乱れが出てきた。体が悲鳴を上げ始めているのが分かる、次第に攻撃速度が遅くなりレイヴンの攻撃をさばききれなくなっていく。すると一太刀、また一太刀と体に傷を負い始めてきた。
残り二秒、レイ達はついにアデルの姿だけをとらえることに成功する。その瞬間レイの表情が青ざめ始めた。未だ高速で移動しているであろうレイヴンの姿をとらえることが出来ないからだ。徐々にアデルの体から鮮血が飛ぶのが見え始める。ラスト一秒、ついにアデルの動きが確実に視界にとらえることが出来る程落ちていた。それを見てレイヴンが確信する、もうこれ以上アデルには力が残されていないと。その判断からとどめを刺そうと細かい剣激が大降りに変わり始めた。それをアデルは見逃さなかった。炎帝剣聖結界が切れるその直前、アデルがこれまで防御に徹していたスタイルから攻撃へと転じる。切れる直前、彼がとった行動は誰にも思いつかない奇策であった。大ぶりの攻撃を視界にとらえるとレイヴンの姿も露になり始めた。それが決定打となる。大ぶりの攻撃を刀で受けることなく体を捻って避けたのだ。それまですべての攻撃を打ち落としてきたアデルは初めてレイヴンの攻撃から体を逃がした。そして同時にエーテルを刀に集中させて地面に突き刺す。
「逆光剣!」
まさかの奇策、それは逆光剣である。突如として目の前に猛烈な光が現れレイヴンの視界を奪ってしまう。目がくらみ何も見えなくなったレイヴンはアデルの殺気だけを頼りに攻撃を受けようとした。そこにギズーが動いた、ライフルを握りしめると弾丸を一発装填する。レバーに人差し指だけを掛けて前方に向けて銃身を放り投げる。その直後ひっかけていた人差し指を手前に引くとその反動で銃身が戻ってきて弾丸が装填される。戻ってきたライフルはそのままレイヴンへと銃口を向けてトリガーを引いた。発射された弾はレイヴンの右肩に直撃し骨ごと破壊する。そこにアデルは勝機を見出す。ふらりと倒れそうになる体に鞭を入れて炎帝に教わった剣聖結界とはまた別の技を発動させた。
「循環再起動」
一度放出され消費したエーテルがアデルの体の中に戻り始めた、そして再び髪の毛が真っ赤に染まり足元から炎が噴き出る。体にかかる負担は計り知れないがアデルは短時間の間にもう一度炎帝剣聖結界を発動させることに成功した。それは炎帝より授かった彼のとっておきの一つだった。
静かに見守っていたシトラがとっさに援護しようと法術を練る、だが同時にレイもまた同じ法術を練り始める。アデルから口頭だけで伝えられた情報を元に構築される法術。
「絶対零度」「絶対零度」
二人が同時に法術を唱えた、氷点下二百七十三度の空間を作り出し一瞬のうちに相手を凍らせる結界だったが両者の法術はその中央で激しくぶつかり合い相殺される。ぶつかり合う極限の温度は互いにぶつかると対消滅を起こした。その直後レイとガズルはシトラへと跳躍する。
右肩を砕かれたレイヴンにはもう刀を握るだけの力が残されていなかった。視界もまだ戻っていないレイヴンは咆哮する。仕留めきれなかった自分の未熟さに嫌悪し自分より優れた戦闘センスを持つアデルに嫉妬した。しかしレイヴンは最後の悪あがきに出る。握ることも出来なくなった刀が右手から落ちるとそれを左手でキャッチする。逆手に握った刀をアデルが居るであろうその空間に向けて切り上げた。確かにそこにアデルは居た、しかしその攻撃をアデルは見切っていた。ギリギリの処で刃を避けると剣先が帽子に当たり二個目の切れ目を作った。ほんの数ミリの切込みがアデルの帽子に残りそれを手ごたえと勘違いしてしまう。アデルはその体制のまま刀を鞘から引き抜く。
「一つ!」
本来であれば神速の抜刀術であるソレに以前のキレは無かった。だがどこから飛んでくるか分からない斬撃をレイヴンは交わすことが出来ずにいた。いくら殺気だけを頼りに攻撃を予測しようにも限度はある、レイヴンの予想をはるかに上回るアデルの行動がその勝敗を決めた。初太刀でレイヴンの右腕を切り飛ばし二段目で彼の左足に切り傷を負わした。アデル自身もこれには予想外の表情をする。確実に仕留めたと思った左足だったが僅かにレイヴンの刀によって防がれてしまっていた。
「三つ!」
レイヴンもまた諦めていなかった。同じ技を使える彼もまたどこに攻撃が飛んでくるのかが予想できている。その結果が二段目の防御だった。ようやく視界が戻ってくると目の前のアデルに思わず驚愕する。短時間に二度目の炎帝剣聖結界を発動させることは出来ないとシトラからの報告にあったはずなのに目の前では確実にアデルが発動させている。これこそ彼最大の誤算だった。一度効果が切れれば無力になったアデルを仕留めるだけの仕事だった。それこそが間違いであると今となって気づく。利き腕ではない左腕でアデルの連続攻撃を捌いていく。四つ目も終わり五つ目に動作が移る。それさえ凌ぎ切れば反撃できる。そう確信していた。
「五つ!」
一瞬視界が歪んだ、放出したエーテルを再度体内に取り込んでの極限に近い状態で発動させた炎帝剣聖結界。これ以上維持することが難しくなってきた。少しずつ少しずつアデルの体を炎帝が蝕み始めた。汚染される精神の中でアデルは見た、五段目に飛ばした斬撃の残像をその目で確かに見た。そして理解した。カルナック流最終奥義六幻の本当の正体を。
「防ぎ切ったぞアデル!」
全ての斬撃を左手一本で捌ききったレイヴンは叫んだ、そこから先は来ない。まだ六幻は完成していないと知っていたのだ。しかしそれは間違いだと直ぐに訂正せざるえなかった。レイヴンはその瞳で見たのだ、六つの斬撃が自分に迫りくるのを。驚くことにアデルはこの戦闘の最中その神髄に気づいたのだ。六幻の神髄はスピードにあらず、一段目から繋がる怒涛の連続攻撃。その五段目に答えがあった。思い出してほしい、五段目は抜刀時に生じる衝撃波を斬撃と共に飛ばす攻撃だという事を。その薄れていく視界の中でアデルは飛ばした斬撃の後に微かに残る真空波を見た。既に五段目で音速を越えなければならなかった。その時に生じる真空波を刀で一つずつ拾い相手に叩きこむ。五か所で発生した真空波は刀で流れを作り円を描く。それが光となり斬撃に見えていたのだ。高速に回転しながら移動する真空波の中心は気圧が下がり高いところから低い処へ集まる習性を利用する。するとどうだろう。六つの衝撃波はそれぞれは中央へ集まりほぼ同時に相手へと突き刺さる。
「六幻」
最後に納刀すると斬撃音が遅れて聞こえた。六幻の向けられた先はレイヴンの心臓、二度とそれが動くことは無く、鼓動が聞こえることも無くなった。絶命したレイヴンはそのままアデルへと倒れてもたれ掛かる。
「あばよ剣帝、その名前俺が貰い受けるっ!」
左肩を後ろに引くとそのままレイヴンの死体はずるりと地面に倒れた。
「レイヴン!」
レイとガズルの二人がシトラ相手に詠唱詠唱の隙を与えないように攻撃を続けている。怒涛の連続攻撃にシトラは防戦一方だった。だがここでシトラの動きに変化があった、それまで防戦一方だった彼女だったが、レイヴンが倒れた事で自分の中で無意識のうちタガが外れたのだ。いわば無意識のうちにセーブしているリミットを解除してしまった。暴走に近いエーテルの放出量にレイはとっさにガズルの襟をつかんで後ろへと飛ぶ。
「何すんだレイ!」
攻撃を仕掛けようとしていたガズルが咄嗟に後ろに引っ張られたことに文句を言う、しかしその判断は正しかった。突如としてシトラの足元から巨大な氷が鋭い刃となって噴き出たのだ。もしもレイがあの瞬間に逃げてなかったら二人とも氷の刃によって体は貫かれていただろう。
二人が地面に着地した瞬間、突如として体が動かなくなった。それは離れているギズーとアデルにも同じ症状が見えた。四人はこの感覚を知っている。まぎれもない精神寒波である。しかしレイが身動き取れなくなるほどの精神寒波なんて今まで見た事が無い。常に気を張っている彼等だからこそ分かる。カルナックの家では油断していたからこそ跳ねのけることが出来なかったが今は違う。常に発せられる精神寒波を難なく跳ねのけてきた彼等だったが今はその重圧によって体の身動きが取れなくなっていたのだ。元々ギズーとガズルに関しては精神寒波の体制は無かったものレイの氷雪剣聖結界の恩恵によって負担が軽減されていた。それが今崩壊したのだ。
「何だこれ……体が」
必死に抵抗するレイだったが抗う事の出来ない程の重圧だった、氷雪剣聖結界を発動しているときは通常の法術障壁より格段に術式が上がっているにも関わらずだ。その重圧は恐怖を植え付ける。
「……」
シトラはゆっくりとレイヴンの死体に目を向けた、ピクリとも動かないことを確認し絶命したのだと悟った。そして再び四人に強烈な精神寒波が襲い掛かる。いつしかカルナックが見せた衝撃波を伴った物とよく似ている。とても冷たい殺気も同時に混じっていた。レイ以外の三人はその衝撃によって三度壁へと吹き飛ばされる。何とかレイだけはその衝撃はだけは受け流すことが出来た。だが次は無いと覚悟する。
「――ありがとうレイヴン、後は私一人で何とかするわ」
するとシトラの姿が消えた、その直後レイの腹部に衝撃が走る。瞬時にレイの元へと移動したシトラはレイの腹部を蹴り飛ばしたのである。それは予想だにしていなかった。これは剣聖結界の恩恵ではない。シトラ本人の身体能力の高さだった。これで四人は揃って壁の方へと弾き飛ばされてその場に倒れてしまう。
「やっぱり化け物だあの女っ!」
ガズルが地面にひれ伏しながらそう叫んだ。そう、最初にシトラの恐怖を知ったのはガズルだった。ケルヴィン城で植え付けられたその恐怖を思い出していたのだ。
「失礼ね、女性に向かって化け物だなんて――」
冷静に話し始めた、両手を広げて法術を詠唱すると氷の槍が二本出現した。それをまず動けないでいるガズルに向けて投げる、続けてギズーにも投げつけた。放たれた槍は地面に直撃しガズルとギズーの体をを凍らせて身動きが取れないようにした。続けてもう二本作り出すとレイとアデルに向けて投げつける。レイは何とかその場に立っていたが放たれた槍は左肩に突き刺さりそのままもう一度壁に張り付く形になる。同時にその場霊剣を落としてしまう。アデルはフラフラに成りながらも立ち上がったが左足に槍が刺さる。
「急に何だってんだ、さっきとはまるで別人じゃねぇか!」
左足に突き刺さった氷の槍を引き抜きながらアデルが叫ぶ、突き刺さった場所は急速に温度が下がり凍傷となる。
「分からない、でもレイヴンが倒れた直後にシトラさんのエーテルが爆発的に増加したんだ。それも――」
レイの瞳にはしっかりと映っていた、シトラの体に纏わりつく異常なまでのオーラを。体内のエーテルが溢れ過剰に放出されている。
「おそらくレイヴンのエーテルだ、きっと何方かの生命活動が停止した時に残りのエーテルを全て譲り渡すって契約でも結んでいたんだろう」
体と地面が氷によって塞がれているガズルが冷静に分析をする、それを聞いてギズーが思わず笑ってしまった。
「冗談じゃねぇ、そんな事できるわけが――」
「いや不可能じゃない、普通そんな事する奴なんていねぇけど」
アデルは知っていた、レイの深層意識の中で起こった出来事を思い出す。他人にエーテルを分与することは可能であると。厄災がアデルにしたのと同じように。そしてこの局面を打開する解決策を模索する。レイも同じことを考えているだろう。この局面において彼らに残された策は残り限られている。
「おしゃべりはもう済んだかしら?」
シトラの体から放出されるエーテルが一段と増す、紛れもなく凄まじいまでのエーテル量だ。その膨大な量から法術が放たれればどうなるか四人は考えたくも無かった。しかし現実は無情な程現実味を帯びている。次第に周囲の気温が下がり始めて吐く息が白くなる。それまで溶岩の熱で汗を掻くほどだったのにだ。シトラから放出される冷気が一層強さを増し始めた。
「それじゃぁ、皆さようなら」
最後に微笑むと彼等四人の元へと氷の刃が襲い掛かってきた、地面から付きあがる氷はシトラの体から前へ前へと突き出してくる。徐々に距離が詰められていきレイ達の目の前にまで迫ろうとしたその時。レイの右手人差し指にはめられた指輪が突如光りだした。その光にレイ達四人はもちろん、シトラの視界を奪う。
「レイ君、大丈夫だった?」
目の前に迫ってきた氷の刃は突如真っ二つに割れた。レイの処へ向かってきた物だけじゃない。四人全員の目前に迫ってきた氷が全て真っ二つに割れていた。
「もう大丈夫だよ」
レイの視界がぼんやりとだけ戻ってくる、そこには小さな人影が巨大な剣を右手にもって立っていた。そのシルエットをレイは知っている。アデル達と冒険を始めて以来ずっと一緒にいた大切な女性。そのシルエットと声が似ていた。
「シトラ・マイエンタ――私があなたを裁きますっ!」
彼女の名前はメルリス・ミリアレンスト。普段の彼女からは想像もつかないエーテル量を携えて彼らの前に現れた。