残酷な描写あり
第二十四話 メルリス・ミリアレンストは語る。
レイ達四人が最後の階段を下っていた同時刻、カルナックの家ではプリムラ、メル、アリスの三人がリビングでおしゃべりをしていた。ビュートは一人先に風呂に入っている。外は大荒れで吹雪が三日三晩降り続いている。積雪も過去最大にまで積み上がり日中はその対応に追われていた。とは言うが殆どはビュート一人で雪搔きを行っていたのである。これは本人からの申し出で、レイ達が出かけている間修行の一環だと言って重労働系は一人で全て片づけた。しかし日中吹雪の中雪搔きを行っていたビュートの体は骨の芯から冷え切っていた為普段一番最後に入る風呂をアリスが気を利かせて一番最初に入れさせた。
「すごい吹雪ね本当、南部地方でこんなに降る事って早々無いのに」
「北部出身の私でもこんな豪雪見たことないですよ、ちょっとビックリしました」
プリムラとメルがそれぞれ受け答えする、静かに紅茶を啜るアリスもそれを聞いて窓の外を見る。確かに今まで見た事の無い豪雪である。長い事この家に住んでいるがこんな振り方をする雪を見た事が無かった。まさに異常気象という名にふさわしい。
「まさに異常気象ね、一体全体どうなってるのかしら」
季節は年の瀬、外の気温は氷点下まで下がりあたり一面が白銀の世界に覆われている。日中雪搔きをしてもらったにも関わらず現在の積雪は一メートルを超えていた。この調子で降り続ければ朝にはどうなっているのかとアリスは不安に駆られる。
「あれ?」
それから暫くして、ふいにアリスが立ち上がった、その声にプリムラとメルもつられて窓を見る。今の今まで吹雪いていた雪が突如として止んだのだ。それも何の前触れも無く。
「雪が……止んだ?」
咄嗟に玄関へと走り出した、ドアを開けるとそこには降り続いていた雪がぴたりと止んでいる。思わず空を見上げると急速に雲が散っていくのが見えた。アリスは思わず驚愕した、切れる雲の間から星の輝きが覗き見える。その雲は一定の方向へすべてが流れていた。それはレイ達が向かった場所の方角だった。
「何が起きてるの?」
つられて二人も外へ出る、同じように空を見上げて一定方向に動く雲の流れを見た。風も止んで一見穏やかな冬の夜がそこに訪れたのかと誤解するほどに静まり返っていた。不気味に静寂だけが冬の夜を支配している。
「ほんと不気味、こんなの見たことない」
プリムラも同様にそう答えた、気候が安定しない東大陸出身の彼女ですらこんな異常気象は生まれてこの方見た事が無かった。そんな外の景色を見ていた三人の中に一人だけ芳しくない表情をする人がいる。メルだった。雲の流れを見た彼女は一歩後ずさりをする。それに気づいたアリスはゆっくりとドアを閉めてこういった。
「ごめんねメルちゃん、寒かったよね。今日はもう遅いし寝ようか」
「アリスさん……はい、わかりました」
両手を胸のところでギュッと握って俯きながら答えた。その日彼女たちはいつもより早くそれぞれの自室へと戻り就寝に付く。だがアリスは気にかけていた。先程見せたメルの表情に違和感を覚えていた。あまりの異常気象に内心怯えていたのか、それとも何か別の胸騒ぎがしたのか。それが気になっていた。確かにアリスの中にも胸騒ぎに近い何かを感じている。それはきっと彼等五人の事だろう、果たして無事に帰ってくることが出来るのか。そんな事ばかりここ数日ずっと考えていたことは確かだ、だがそれ以上にメルのあの表情が気になっていた。
それから数十分後、隣の部屋から物音が聞こえた。メルの部屋からだった。不審に思ったアリスは寝巻にカーディガンを羽織って自室を出る。左隣のメルの部屋に視線を送り声をかけた。
「メルちゃん、大丈夫?」
それに対してメルからの返答は無い、不思議に思ったアリスが扉を開けた。その部屋にメルの姿は無かった。真っ暗な部屋の中に入るとあたりを見渡す。
「トイレかしら?」
カーディガンを両手で押さえて部屋の中をじっくりと見ると机の上に何かがあることを発見した。手紙だ。
「手紙?」
それを手に取って読み始めた、すると見る見るうちにアリスの表情は強張り勢いよく部屋の外へと出た。
「プリムラちゃん! プリムラちゃん!」
更にその奥、プリムラが寝ている部屋の扉を激しく叩く。扉の鍵が開くとゆっくりと開かれる。そこにプリムラが眠そうな顔で出てきた。
「どうしたんですかアリスさん?」
「これ……これ見て」
血相を変えていたアリスはプリムラに手紙を渡す、眠い目を擦ってそれを受け取ると書かれている内容を読んだ。そして驚いた。
「何よこれ、私ビュート君起こしてくる!」
「お願いね、私は外を見てくる」
二人はそれぞれ反対方向へと走り出した。プリムラはアリスの隣の部屋で寝ているビュートを起こしに、アリスは下へと降りて玄関の扉を開いた。外は相変わらず一面の銀世界、足跡一つない綺麗な雪がぎっしりと敷かれていた。
レイの視界がぼんやりとだけ戻ってくる、そこには小さな人影が巨大な剣を右手にもって立っていた。そのシルエットをレイは知っている。アデル達と冒険を始めて以来ずっと一緒にいた大切な女性。そのシルエットと声が似ていた。
「シトラ・マイエンタ――私があなたを裁きますっ!」
突如として現れたメルの姿にレイ達四人は驚いた、一体どこから現れたのか。何故ここにいるのか、彼女にこの場所の詳しい位置は教えていない。レイ達もカルナックの案内でたどり着いた位だ、この場所を知ったのは家を出てからの話である。それなのに何故彼女がこんなところに居るのか。
「メルちゃん、どうやってここに来たの?」
シトラの視力も回復してきて視界に入った彼女の姿を見て驚いた。シトラの目に移ったのは白いローブに肩掛けジャケット姿をしたメルだった、そしてその右手に持つ巨大な剣に視線が動く。
「不思議ね、何であなたが此処に居るかってことも分からないけど……何であなたがその剣を持てるのよ」
「……」
霊剣を握っていた。その体には不釣り合いな程大きな大剣で迫りくる氷の刃を真っ二つに破壊したのだ。未だ理解できずに彼女の後姿を見つめるレイ達、ゆっくりと顔だけ振り返るメルは一言だけ。
「来ちゃった」
そう笑顔でレイに微笑んだ。左手に結界解除の法術と回復法術を同時に唱えるとそれをレイ達四人に向けて放つ。そしてすぐさま正面を見ると霊剣を両手で握って走り出す、シトラ目掛けて一直線に駆けたメルは霊剣を横に構える。
「メルっ!」
レイが叫んだ、それと同時にメルの姿が一瞬にして消える。気が付くとシトラの頭上に現れると振りかぶった霊剣を横に一閃振るう。シトラにもメルの姿はとらえきれなかった。その速度、レイヴンが炎帝剣聖結界を発動させた時に等しい。しかし彼女にそんな力は無い。今まで見てきた彼女には力も技も無い事を知っている。だがそれは偽りだと直ぐに理解した。斬撃を放たれたことで彼女の物理障壁が咄嗟に発動する。一度はそれに妨げられて霊剣の動きが止まるが、次の瞬間ずるりと障壁の中へと入ってきた。シトラは驚愕した、レイヴンの残りのエーテルを体内に取り込み、氷雪剣聖結界で法術を高めた彼女の障壁がこんなにもあっさりと破られてしまったのである。体を後ろにのけ反ると首の皮一枚だけを霊剣が霞める、そのままバク転で後退するがメルの攻撃は止まらなかった。
着地すると同時に縦に霊剣を振るう。まっすぐな直線を描きシトラの頭上に霊剣が迫る。直ぐに障壁と氷の盾を作り出し霊剣の斬撃を防ぐシトラ、そのまましばらく一方的にメルが攻撃を仕掛ける。
「どうなってんだ、メルがあんなに強いなんて聞いてねぇぞレイ!」
「僕にだって分からない、普段のメルからあんな動きが出来るなんて想像もつかないよ」
アデルが立ち上がり近くのガズルの体を起こしながらレイに叫んだ。レイもまたギズーの体を引っ張って起こしながらそう答える。四人の目に移っているメルは驚異的な戦闘力を誇っていた。つい先ほどまで自分たちが手も足も出なかったシトラがまさかの防戦一方、そして自由自在に霊剣を操る姿がに驚愕する。レイはその振るう姿を見るのは二回目だった。しかし以前に霊剣を振るった時はこんな戦闘力があるとは微塵にも思えなかった。それもそうだろう、いつものメルを見て誰がこの姿を想像できようか、普段ナイフ一つ扱えない彼女がまさに目の前で霊剣を振るっている。その姿を驚かずに何を驚くのか。
「あぁぁぁぁぁっ!」
ついにメルの攻撃を防ぎきれなくなったシトラ、一瞬の隙を見逃さなかったメルは体を捻って巨大な霊剣を下から切り上げる。するとシトラの左腕が根元から切断されて空に舞う。ここにきて初めてシトラに決定的なダメージを与えることになる。苦痛に悶えその場に膝をついたシトラは目の前に立ち塞がるメルを睨んだ。
「人間如きに……人間如きに私が追い詰めるなんてっ!」
「そう、やっぱりあなた『も』人間じゃないのね?」
とても冷たい目をしていた、普段のメルからは想像もできない程冷たい目だ。その目を見たシトラは思わず声を上げた、見覚えのあるその瞳、そしてメルから感じる不思議な感覚。それをシトラは知っていた。メルはゆっくりと霊剣を左に構えて水平に剣を振るう。
「そんな……まさか、貴女――」
そこでシトラの首が胴体と切り離された。水平に払われた霊剣は綺麗にシトラの首を跳ねたのだ。その様子を後ろで見ていた四人は唖然としていた、あれほど自分たちが苦戦した相手をまるで赤ん坊をあやすかのように軽々と倒したメルをその目で見ていた。メルの回復法術で体の傷はほとんど治っていたが体内のダメージだけは僅かに残っている。それぞれが壁にもたれ掛かったり肩に寄りかかったりとしながら目の前で起きた事を見ていた四人の元へとメルがゆっくりと振り返り歩いていく。首を跳ねられたシトラの体はゆっくりと後ろに倒れてそのまま溶岩の海の中へと落ちていった。
「みんな大丈夫?」
此方に歩きながらメルがそう言った、その表情はいつもの優しいメルの顔だった。レイは思わず声を出そうとしたがなんて言葉をメルに掛ければいいのか分からないでいた。それを見たメルは首を傾げて優しく問う。
「レイ君? 大丈夫?」
「メル……君は一体」
その問いにメルは首を傾げて微笑んだ、多分答えを聞くことは出来ないだろう。
「メルリス、何でテメェに霊剣が扱える!」
レイの肩に捕まっていたギズーが問う、レイ以外はメルが霊剣を振るっている姿を見るのは初めてだ。当然の問いだった、レイ以外の誰かが扱おうとすると霊剣は途端に重くなり持てなくなるあの性質がメルには発動していなかったからだ。しかしそれに対してアデルが答える。
「何でメルが持てるかは分からないけど、一部の限られた人間は持てるみたいだぞギズー。俺も一度だけレイ以外がその剣を振るっているのを見てる。父親っぽかったけどな」
「父親? それじゃぁメルリスはもしかしてレイの兄妹なのか?」
それに対してレイとメル二人が首を横に振る、互いに生まれた場所、親は異なることを二人は知っている。第一それはギズーが一番良く分かっているはずだ。
「違うよギズー君、私達の遺伝子が異なるって言いだしたのはギズー君じゃない」
左手を口元に持って行きながらメルは笑った、確かにそうだった。二人が吹雪の中東大陸の街で倒れていた時の事を思い出してほしい、治療をしたギズーは血液サンプルからその情報を得ていたはずだ。あまりにも衝撃的な出来事が連続していた為それを忘れていたのだろう。
「僕自身もその剣については良く分かってないんだ、でも確かに父さんは扱えてた。だからアデルの言う通り極一部の人は扱えるのかもしれない。条件はさっぱり分からないけど」
そういうとギズーの肩を持ち上げて姿勢を治す、だが分からない事だらけなのは何も解決していない。どこから現れたのか、そしてその戦闘力。ナイフも真面に扱えないメルが霊剣だけは自由自在に扱えていた。それがレイにはどうにも引っかかっていた。
「とりあえず先生の事が気になる、一度三層へ戻ろう」
未だ降りてきていないカルナックの事が気になる、そういって彼らは三層へと戻ろうとした。まさにその時だった。シトラから放出されていた冷気が消え辺りがまた熱くなり始めた頃、再び冷気が彼らを纏う。彼らのうち一番最初にそれに気づいたのはレイだった。勢いよく振り返ると溶岩に落ちたはずのシトラの死体が壁を這い上ってきていた。それを目撃した瞬間だった、よじ登ってきた体から猛スピードで氷の刃がこちらへ向かってくるのが見えた。咄嗟にギズーの体を後ろに押し出してメルの体を庇おうとした。
「メル!」
振り向いてこちらに走ってきたレイの姿を見たメルもそこでようやく異変に気付いた。後ろを振り向くとすぐ目の前にまで氷の刃が迫っていた。右手に握る霊剣でその氷を破壊しようにもその時間は残されていないと理解する。そして。
「っ!」
此方に走ってくるレイの体庇う様にメルは両手腕を横に広げてレイの壁になった、いくつもの氷の刃がメルの体を貫いている。腹部、両足と両腕、手の平、そして心臓。メルは知っていた、彼女が避ければ氷の刃は確実にレイを襲うと。破壊することも出来ない距離にまで迫った氷に対して残されている選択肢は素早く飛ぶか、もしくはレイの盾になるかどちらかしか残されていなかった。
「メル……メル?」
突き刺さった氷は轟音を立てて崩壊した、それと同時にメルの体も支えがなくなり前のめりに倒れてくる。それをレイが両腕で抱きしめる。アデル達がその異変に気付いたのはレイが叫んだ直後だった。彼等にもどうすることも出来ない距離であった。
「れ、レイ君……ケガ……無い――?」
「あ……あぁ……あぁぁぁ――」
言葉にならなかった、無残な姿になったメルの体を抱きしめつつ膝が折れ曲がる。二人は抱き合ったまま両膝を付いてその場に崩れた。
「レイ!」
アデル達がレイの前に立ち塞がる。彼らの前には息絶えたはずのシトラの首なしの死体が崖から這い上がって立っている。不気味な光景を彼らは見た、生きているはずのないその体は確かに地面に立っている。フラフラしながら一歩、また一歩こちらへとゆっくり歩みを始める。
「何だよ……てめぇ一体何なんだよ!」
アデルが叫んだ、その声に反応するかのようにシトラの体は歩みを止めた。すると彼女の体は突如として膨張する、一気に膨れ上がると体が破裂する。異常すぎる出来事に彼らは全員言葉を失った。
「アハハハハ、油断したわ。この時代に『カルバレイシス』の残党が居るだなんて驚きよ」
破裂したシトラの中から人の形をした生き物が出てきた、女性だ。しかし人間ではない。額から伸びる二本の角、長い耳、いずれもこの惑星に存在する生き物ではないと直ぐに分かった。この時アデルは感じていた、この生き物から発せられる感じた事の無いエレメントを。真っ黒で醜い、そして禍々しいまでのエレメントをアデルは感じ取った。
「何だよこの生き物、見た事ねぇぞ」
アデルが恐怖のあまり呟く。
「俺だって知らねぇよこんなの」
ガズルもまた見た事の無い生物に恐怖している。
「この星の生き物ならほぼ全部頭の中に入ってるが、俺も見るのは初めてだ」
ギズーもまた、この得体の知れない生物に恐怖する。首を跳ね飛ばしても死なないその不死とも思える存在、戸惑いを隠せない三人の後ろでレイは必死にメルへ回復の法術を掛けつ続ける。しかし不思議なことに体にできた無数の致命傷に匹敵するその怪我は治癒される事が無い。
「レイ、俺達が何とかする。お前はメルリスの治癒に専念しろ!」
ギズーはそういうと腰のポーチから幻聖石を一つ取り出した。具現化するといつか使ったガトリングパーソルへと姿を変える。すかさずトリガーを引くと銃口から無数の弾丸が発射された。それを皮切りにアデルとガズルが謎の生物へと飛び掛かる。
「メル……メル!?」
ぐったりとしたまま何もしゃべらないメルにレイは焦る、回復法術をいくら施しても傷口は塞がらず血が流れ続ける。ゆっくりと彼女の体が冷えていくのが両腕に伝わってくる。
「ごめん……なさ……い」
此処でやっと彼女の声が聞こえた、小さなその声はまるで虫の息のようだった。メルが右手を伸ばしてレイの顔をゆっくりと撫でる。
「ドジ……しちゃっ……た」
「喋るな、大丈夫だから喋らないで!」
焦るレイの表情をみてメルがニッコリと笑った、だがその目からは涙があふれているのが分かる。それを見たレイもまた涙する。
「わたし……レイ君に……いっぱい嘘……付いてた」
「良いんだ、だから喋らないで!」
血は止まらずに流れ続ける、笑顔だったその表情も次第に青ざめていくのが見て取れる。それを見てますますレイが焦る、
「畜生、何で止まらないんだ! なんで!」
最大限までエーテルを放出させて治癒を行うが効果が全く見られなかった、通常であればここまでの術式を使えば細胞まで活性化されて皮膚が再生されてもおかしくない状態だった。しかし現実は全く持って異なっている。
「ごめんね……ごめんな……さい――」
そこでメルの言葉は途切れ、レイの頬に当てていた右手がだらりと崩れた。
「……メル? メル!?」
瞬間悟った、メルリスが魂はこの世を去ったことを。それまで微かに感じていたメルのエーテルが体からゆっくりと抜け出ていくのをレイは感じ取った。ゆらゆらと宙に漂いそして、レイの体内へと吸い込まれて消えた。
「こざかしい、人間如きが!」
謎の生物の前に氷の壁が出現する。弾丸は全てソレにぶつかり貫通する事無く埋まっていく、飛び出したアデルはヤミガラスを具現化させて抜刀する、しかしその氷の壁はヤミガラスの切れ味をもってしても歯が立たなかった。それでも幾度となく刃を叩きこみ続ける。同時にガズルも重力球を作り出し、それを右手で殴ってドリル状へと姿を変えて突き刺す。しかしどれもこれも全く持って歯が立たなかった。
「チキショウ! なんて固さだ!」
アデルが叫びながら一度壁を蹴って距離を取った。ヤミガラスを鞘に戻すとそのままエーテルを集中させる。
「炎帝剣聖結界!」
再び足元から炎が噴き出して髪の毛が真っ赤に染まる。そして勢いよく飛び出した。
「喰らえ! 我流――」
壁のすぐ目の前で勢いよく抜刀する。抜刀の瞬間に生じる摩擦熱を法術で増大させヤミガラスに炎を宿す。その刃から放たれる一撃からは炎が噴き出し氷に襲い掛かる。一つ、また二つと斬撃を放つとそれは大きな炎となってアデルの目の前に現れる。それを無数の斬撃で切り飛ばす。
「炎帝乱舞」
炎の斬撃は全て氷の壁へと衝突した。巨大な水蒸気を発生させながら次第に氷が溶け始めた。これなら行けると確信したアデルはもう一度同じ攻撃を仕掛けようとするが彼のエーテルが持たなかった。この短時間で三度も炎帝剣聖結界を発動させればあの膨大な量を消費する剣聖結界だ、いくら貯蓄量が多いと言われてもそこを付いてしまう。ましてやコントロールが苦手なアデルにとっては一度に放出される量がレイの三倍以上にも膨れ上がっていた。
「惜しかったわねぇアデル君」
溶けた氷はその場で再生を始めた。三人はそれを見て絶望する。次の瞬間、アデルとガズルは強烈な冷風によって吹き飛ばされる。それぞれがレイのすぐ近くへと落下する。
「アデル! ガズル!」
吹き飛ばされて戻ってくるのを目視したギズーだったが彼もまたその冷風によって吹き飛ばされてしまう。成す術がなかった。人の強さを超えたその力、まるでカルナックを相手にしているかのような感覚にさえ思える。
「ちっきしょう……っ!」
アデルが動けなくなった体を無理にでも起こそうとしてヤミガラスを杖代わりにする。しかし体内のエーテルを殆ど使い切ったアデルは立てることも無く、その場に倒れる。そこへゆっくりと近づいてくる謎の生物、それをにらみつけてアデルが再び吠えた。
「チキショウ、この化け物めっ!」
「あら、さっきも言ったでしょ? 女性に化け物だなんてずいぶんとひどい事を言うのね。それに私には化け物ともシトラって名前でもないのよ」
謎の生き物は右手を前に突き出すとそこから再び冷風を放った。それにアデル達三人はもう一度吹き飛ばされて何度目かの壁に激突した。
「私は幻魔一族の『エルビー』、ちゃんと覚えておいてね坊や達」
三人は驚愕した、おとぎ話で伝わる絶望と破壊の王。その一族だとエルビーはそう言った。二千年前に全滅させられたその一族の残党、その言葉を理解することが出来なかった。
「にわかには信じがたいけどなそんな話!」
ギズーがうつ伏せのまま顔だけを向けてそう言った、それに対して首を横に振って否定しながらエルビーが答える。
「別に信じてもらわなくても結構よ、だって――」
レイの元へとやってきたエルビーはメルの亡骸を右足で蹴とばし、レイの首を掴んでそのまま持ち上げる。
「どうせここで死ぬんだから!」
ギリギリと締め上げられるレイの首、しかしレイはそれに対して無抵抗のまま両手をだらりと下げている。表情は苦しさで歪むが何も抵抗する事が無い、それを見たアデルが大声をだす。
「何やってんだレイ! しっかりしろ!」
その声は届くことは無かった、無情にも締め上げられたその首。意識はある物まるで生きた屍の様にだらんとするレイの体。メルが死んだことで何が何だか分からない状態に陥っていた。
「やべぇぞ、レイの奴もう意識がっ!」
ガズルが咄嗟に叫んだ、確かにレイの瞳からは光が消えている。それにすぐさまアデルが反応した、意識が無くなったのであれば切り札であるイゴールをレイ本人が呼ぶことは不可能。そして決断する。
「厄災剣聖結界!」
アデルが契約した名前を叫ぶ、するとレイの体から強大な障壁が展開される。あまりに突然の事にエルビーの腕はその障壁によって弾き飛ばされてしまった。持ち上げらえていたレイの体は地面に着地する事無く滞空し、その障壁を展開し続ける。ゆっくりと地面に降り立つと足元から真っ黒な炎が吹きあがる。
「遅いですよアデル君」
ガズルとギズーな何が起きたのか全く分かっていない、そして耳を疑う。レイの透き通る声とは全く異なる太い声が聞こえてきたからだ。
「レイは?」
「相当のショックだったようで混乱していました、でも今はしっかりしてます」
イゴールが前に出てきたことによってエーテルをリンクさせていたアデルにもエーテルが注ぎ込まれていく。強大なエーテルを受け取ったアデルは立ち上がるとイゴールの横に立つ。この時、イゴールのエーテルを通じてレイの意識がアデルの中へ入り込み何かを伝えていた。
「ふーん、炎の厄災ね。あの時消し去ったんじゃなかったのアデル君? それで、あなた達で私に敵うとでも思ってるのかしら?」
イゴールはメルが握っていた霊剣を拾い上げるとそれを構える。アデルは右手に持つヤミガラスを納刀して戦闘態勢を解いた。
「何のつもり?」
エルビーはその行動をみて首を傾げた、アデルの不可解な行動は後ろで倒れているガズルとギズーも理解できなかった。しかしアデルは別に戦意喪失していたわけではない。
「お前の相手は俺達じゃない」
「何を訳の分からないことを――」
突如としてイゴールの姿が消えた、そして同時にエルビーの腹部に激痛が走った。霊剣が背中から突き刺さり腹部を貫通して突き抜けていた。
「っ!」
霊剣を逆手に持ち替えてエルビーの体に突き刺しているレイの姿がそこにいた。怒りに身を任せ、イゴールの力を借りたまま自身では氷雪剣聖結界を発動させ二重に強化されたその戦闘力。炎帝剣聖結界時のアデルを軽く上回っていた。
「僕が相手だ!」
霊剣を引き抜くとエルビーから距離を取る、すぐさま法術を詠唱し左手の平を地面に叩きつける。するとそこから魔法陣が多岐にわたり広がりレイとエルビーの二人を巨大な氷が包み込む。腹部の痛みは想像を絶するものなのだろう、距離を取った際に前のめりに倒れたエルビーは中々起き上がることが出来ずにいた。
「この、死にぞこないが!」
困惑していた、強力な再生能力を持つエルビーは即座に回復させる為細胞を活性化しようとしたが貫かれた場所が壊死し始める。それは嘗て彼らを全滅にまで追い詰めた一族の姿を思い浮かばせる。
「まさか、そんな馬鹿な! 一人ならず二人も……こんなことがあってたまるもんですか、認めない、認めないぃ!」
腹部を氷で覆うと勢いよく立ち上がりレイへと走り出す、右手に氷の槍を作り出してそれを投げつける。一直線に飛んでくる氷の槍を霊剣で弾きレイもまた走り出した。そして二人が交差する、
「あああああああぁぁぁぁぁ!」
レイが叫びながら霊剣を振るいエルビーの体を上下に分割した、勝敗は既に決していた。あの時、レイの体の中にメルのエーテルが流れ込んだ瞬間感じた不思議なエレメント。そして莫大なエーテル量に一時的ではあるがレイは混乱し自我を失いそうになった。それを助けたのがイゴールである。流れてきたエーテルにレイ達の心象風景は書き換えられてしまう。同時に二人は感じ取った、それが人間とも魔族とも、ましてや彼等魔人とも異なる別の何かを。
上下に分割されたエルビーの上半身は二転三転して地面に落ちた、意識はあるだろうがもう戦えるほどの力は残ってはいない。二人を覆う氷の結界が轟音と共に崩れるとレイの傍へアデル達三人が駆け寄ってくる。後ろを振り向きもだえ苦しむエルビーの姿をレイは確かに見た。
「認めない! 忌々しいカルバレイシスめ、貴様等さえ居なければ、貴様等さえっ!」
地面を這いずりながら瑠璃へと近づくエルビー、静かにそれを見つめつつレイは左手に猛烈な冷気を集めだした。彼等から逃げる様に、また瑠璃の元へと急ぐように這うエルビーに向けて左手を開いたまま向ける。するとエルビーの周りから徐々に凍りだして彼女を包み込む、最後に手の平の上にエルビーが乗るように位置を合わせるとギュッと握りしめた。
「絶対零度」
途轍もなく巨大な氷が生成される、瞬時にエルビーを氷の結界の中に閉じ込めると表面の氷が周囲の空気を冷やし結露を作る。それが凍って何層にも分厚い氷を作り出した。それに向けてギズーが右手に持っていたライフルで氷を撃ち抜く。すると氷に大きなヒビが入ってエルビーの体を粉々に破壊する。続けてガズルが重力球を投げつけて粉々になった体を一か所に集める。最後にアデルがその重力球の中へ炎を打ち込み体を焼き尽くした。そして重力球がはじけ飛ぶと中には何も残っていなかった。肉片すら残さないその連続攻撃にエルビーはこの世から消滅した。二度と再生する事無く。
「すごい吹雪ね本当、南部地方でこんなに降る事って早々無いのに」
「北部出身の私でもこんな豪雪見たことないですよ、ちょっとビックリしました」
プリムラとメルがそれぞれ受け答えする、静かに紅茶を啜るアリスもそれを聞いて窓の外を見る。確かに今まで見た事の無い豪雪である。長い事この家に住んでいるがこんな振り方をする雪を見た事が無かった。まさに異常気象という名にふさわしい。
「まさに異常気象ね、一体全体どうなってるのかしら」
季節は年の瀬、外の気温は氷点下まで下がりあたり一面が白銀の世界に覆われている。日中雪搔きをしてもらったにも関わらず現在の積雪は一メートルを超えていた。この調子で降り続ければ朝にはどうなっているのかとアリスは不安に駆られる。
「あれ?」
それから暫くして、ふいにアリスが立ち上がった、その声にプリムラとメルもつられて窓を見る。今の今まで吹雪いていた雪が突如として止んだのだ。それも何の前触れも無く。
「雪が……止んだ?」
咄嗟に玄関へと走り出した、ドアを開けるとそこには降り続いていた雪がぴたりと止んでいる。思わず空を見上げると急速に雲が散っていくのが見えた。アリスは思わず驚愕した、切れる雲の間から星の輝きが覗き見える。その雲は一定の方向へすべてが流れていた。それはレイ達が向かった場所の方角だった。
「何が起きてるの?」
つられて二人も外へ出る、同じように空を見上げて一定方向に動く雲の流れを見た。風も止んで一見穏やかな冬の夜がそこに訪れたのかと誤解するほどに静まり返っていた。不気味に静寂だけが冬の夜を支配している。
「ほんと不気味、こんなの見たことない」
プリムラも同様にそう答えた、気候が安定しない東大陸出身の彼女ですらこんな異常気象は生まれてこの方見た事が無かった。そんな外の景色を見ていた三人の中に一人だけ芳しくない表情をする人がいる。メルだった。雲の流れを見た彼女は一歩後ずさりをする。それに気づいたアリスはゆっくりとドアを閉めてこういった。
「ごめんねメルちゃん、寒かったよね。今日はもう遅いし寝ようか」
「アリスさん……はい、わかりました」
両手を胸のところでギュッと握って俯きながら答えた。その日彼女たちはいつもより早くそれぞれの自室へと戻り就寝に付く。だがアリスは気にかけていた。先程見せたメルの表情に違和感を覚えていた。あまりの異常気象に内心怯えていたのか、それとも何か別の胸騒ぎがしたのか。それが気になっていた。確かにアリスの中にも胸騒ぎに近い何かを感じている。それはきっと彼等五人の事だろう、果たして無事に帰ってくることが出来るのか。そんな事ばかりここ数日ずっと考えていたことは確かだ、だがそれ以上にメルのあの表情が気になっていた。
それから数十分後、隣の部屋から物音が聞こえた。メルの部屋からだった。不審に思ったアリスは寝巻にカーディガンを羽織って自室を出る。左隣のメルの部屋に視線を送り声をかけた。
「メルちゃん、大丈夫?」
それに対してメルからの返答は無い、不思議に思ったアリスが扉を開けた。その部屋にメルの姿は無かった。真っ暗な部屋の中に入るとあたりを見渡す。
「トイレかしら?」
カーディガンを両手で押さえて部屋の中をじっくりと見ると机の上に何かがあることを発見した。手紙だ。
「手紙?」
それを手に取って読み始めた、すると見る見るうちにアリスの表情は強張り勢いよく部屋の外へと出た。
「プリムラちゃん! プリムラちゃん!」
更にその奥、プリムラが寝ている部屋の扉を激しく叩く。扉の鍵が開くとゆっくりと開かれる。そこにプリムラが眠そうな顔で出てきた。
「どうしたんですかアリスさん?」
「これ……これ見て」
血相を変えていたアリスはプリムラに手紙を渡す、眠い目を擦ってそれを受け取ると書かれている内容を読んだ。そして驚いた。
「何よこれ、私ビュート君起こしてくる!」
「お願いね、私は外を見てくる」
二人はそれぞれ反対方向へと走り出した。プリムラはアリスの隣の部屋で寝ているビュートを起こしに、アリスは下へと降りて玄関の扉を開いた。外は相変わらず一面の銀世界、足跡一つない綺麗な雪がぎっしりと敷かれていた。
レイの視界がぼんやりとだけ戻ってくる、そこには小さな人影が巨大な剣を右手にもって立っていた。そのシルエットをレイは知っている。アデル達と冒険を始めて以来ずっと一緒にいた大切な女性。そのシルエットと声が似ていた。
「シトラ・マイエンタ――私があなたを裁きますっ!」
突如として現れたメルの姿にレイ達四人は驚いた、一体どこから現れたのか。何故ここにいるのか、彼女にこの場所の詳しい位置は教えていない。レイ達もカルナックの案内でたどり着いた位だ、この場所を知ったのは家を出てからの話である。それなのに何故彼女がこんなところに居るのか。
「メルちゃん、どうやってここに来たの?」
シトラの視力も回復してきて視界に入った彼女の姿を見て驚いた。シトラの目に移ったのは白いローブに肩掛けジャケット姿をしたメルだった、そしてその右手に持つ巨大な剣に視線が動く。
「不思議ね、何であなたが此処に居るかってことも分からないけど……何であなたがその剣を持てるのよ」
「……」
霊剣を握っていた。その体には不釣り合いな程大きな大剣で迫りくる氷の刃を真っ二つに破壊したのだ。未だ理解できずに彼女の後姿を見つめるレイ達、ゆっくりと顔だけ振り返るメルは一言だけ。
「来ちゃった」
そう笑顔でレイに微笑んだ。左手に結界解除の法術と回復法術を同時に唱えるとそれをレイ達四人に向けて放つ。そしてすぐさま正面を見ると霊剣を両手で握って走り出す、シトラ目掛けて一直線に駆けたメルは霊剣を横に構える。
「メルっ!」
レイが叫んだ、それと同時にメルの姿が一瞬にして消える。気が付くとシトラの頭上に現れると振りかぶった霊剣を横に一閃振るう。シトラにもメルの姿はとらえきれなかった。その速度、レイヴンが炎帝剣聖結界を発動させた時に等しい。しかし彼女にそんな力は無い。今まで見てきた彼女には力も技も無い事を知っている。だがそれは偽りだと直ぐに理解した。斬撃を放たれたことで彼女の物理障壁が咄嗟に発動する。一度はそれに妨げられて霊剣の動きが止まるが、次の瞬間ずるりと障壁の中へと入ってきた。シトラは驚愕した、レイヴンの残りのエーテルを体内に取り込み、氷雪剣聖結界で法術を高めた彼女の障壁がこんなにもあっさりと破られてしまったのである。体を後ろにのけ反ると首の皮一枚だけを霊剣が霞める、そのままバク転で後退するがメルの攻撃は止まらなかった。
着地すると同時に縦に霊剣を振るう。まっすぐな直線を描きシトラの頭上に霊剣が迫る。直ぐに障壁と氷の盾を作り出し霊剣の斬撃を防ぐシトラ、そのまましばらく一方的にメルが攻撃を仕掛ける。
「どうなってんだ、メルがあんなに強いなんて聞いてねぇぞレイ!」
「僕にだって分からない、普段のメルからあんな動きが出来るなんて想像もつかないよ」
アデルが立ち上がり近くのガズルの体を起こしながらレイに叫んだ。レイもまたギズーの体を引っ張って起こしながらそう答える。四人の目に移っているメルは驚異的な戦闘力を誇っていた。つい先ほどまで自分たちが手も足も出なかったシトラがまさかの防戦一方、そして自由自在に霊剣を操る姿がに驚愕する。レイはその振るう姿を見るのは二回目だった。しかし以前に霊剣を振るった時はこんな戦闘力があるとは微塵にも思えなかった。それもそうだろう、いつものメルを見て誰がこの姿を想像できようか、普段ナイフ一つ扱えない彼女がまさに目の前で霊剣を振るっている。その姿を驚かずに何を驚くのか。
「あぁぁぁぁぁっ!」
ついにメルの攻撃を防ぎきれなくなったシトラ、一瞬の隙を見逃さなかったメルは体を捻って巨大な霊剣を下から切り上げる。するとシトラの左腕が根元から切断されて空に舞う。ここにきて初めてシトラに決定的なダメージを与えることになる。苦痛に悶えその場に膝をついたシトラは目の前に立ち塞がるメルを睨んだ。
「人間如きに……人間如きに私が追い詰めるなんてっ!」
「そう、やっぱりあなた『も』人間じゃないのね?」
とても冷たい目をしていた、普段のメルからは想像もできない程冷たい目だ。その目を見たシトラは思わず声を上げた、見覚えのあるその瞳、そしてメルから感じる不思議な感覚。それをシトラは知っていた。メルはゆっくりと霊剣を左に構えて水平に剣を振るう。
「そんな……まさか、貴女――」
そこでシトラの首が胴体と切り離された。水平に払われた霊剣は綺麗にシトラの首を跳ねたのだ。その様子を後ろで見ていた四人は唖然としていた、あれほど自分たちが苦戦した相手をまるで赤ん坊をあやすかのように軽々と倒したメルをその目で見ていた。メルの回復法術で体の傷はほとんど治っていたが体内のダメージだけは僅かに残っている。それぞれが壁にもたれ掛かったり肩に寄りかかったりとしながら目の前で起きた事を見ていた四人の元へとメルがゆっくりと振り返り歩いていく。首を跳ねられたシトラの体はゆっくりと後ろに倒れてそのまま溶岩の海の中へと落ちていった。
「みんな大丈夫?」
此方に歩きながらメルがそう言った、その表情はいつもの優しいメルの顔だった。レイは思わず声を出そうとしたがなんて言葉をメルに掛ければいいのか分からないでいた。それを見たメルは首を傾げて優しく問う。
「レイ君? 大丈夫?」
「メル……君は一体」
その問いにメルは首を傾げて微笑んだ、多分答えを聞くことは出来ないだろう。
「メルリス、何でテメェに霊剣が扱える!」
レイの肩に捕まっていたギズーが問う、レイ以外はメルが霊剣を振るっている姿を見るのは初めてだ。当然の問いだった、レイ以外の誰かが扱おうとすると霊剣は途端に重くなり持てなくなるあの性質がメルには発動していなかったからだ。しかしそれに対してアデルが答える。
「何でメルが持てるかは分からないけど、一部の限られた人間は持てるみたいだぞギズー。俺も一度だけレイ以外がその剣を振るっているのを見てる。父親っぽかったけどな」
「父親? それじゃぁメルリスはもしかしてレイの兄妹なのか?」
それに対してレイとメル二人が首を横に振る、互いに生まれた場所、親は異なることを二人は知っている。第一それはギズーが一番良く分かっているはずだ。
「違うよギズー君、私達の遺伝子が異なるって言いだしたのはギズー君じゃない」
左手を口元に持って行きながらメルは笑った、確かにそうだった。二人が吹雪の中東大陸の街で倒れていた時の事を思い出してほしい、治療をしたギズーは血液サンプルからその情報を得ていたはずだ。あまりにも衝撃的な出来事が連続していた為それを忘れていたのだろう。
「僕自身もその剣については良く分かってないんだ、でも確かに父さんは扱えてた。だからアデルの言う通り極一部の人は扱えるのかもしれない。条件はさっぱり分からないけど」
そういうとギズーの肩を持ち上げて姿勢を治す、だが分からない事だらけなのは何も解決していない。どこから現れたのか、そしてその戦闘力。ナイフも真面に扱えないメルが霊剣だけは自由自在に扱えていた。それがレイにはどうにも引っかかっていた。
「とりあえず先生の事が気になる、一度三層へ戻ろう」
未だ降りてきていないカルナックの事が気になる、そういって彼らは三層へと戻ろうとした。まさにその時だった。シトラから放出されていた冷気が消え辺りがまた熱くなり始めた頃、再び冷気が彼らを纏う。彼らのうち一番最初にそれに気づいたのはレイだった。勢いよく振り返ると溶岩に落ちたはずのシトラの死体が壁を這い上ってきていた。それを目撃した瞬間だった、よじ登ってきた体から猛スピードで氷の刃がこちらへ向かってくるのが見えた。咄嗟にギズーの体を後ろに押し出してメルの体を庇おうとした。
「メル!」
振り向いてこちらに走ってきたレイの姿を見たメルもそこでようやく異変に気付いた。後ろを振り向くとすぐ目の前にまで氷の刃が迫っていた。右手に握る霊剣でその氷を破壊しようにもその時間は残されていないと理解する。そして。
「っ!」
此方に走ってくるレイの体庇う様にメルは両手腕を横に広げてレイの壁になった、いくつもの氷の刃がメルの体を貫いている。腹部、両足と両腕、手の平、そして心臓。メルは知っていた、彼女が避ければ氷の刃は確実にレイを襲うと。破壊することも出来ない距離にまで迫った氷に対して残されている選択肢は素早く飛ぶか、もしくはレイの盾になるかどちらかしか残されていなかった。
「メル……メル?」
突き刺さった氷は轟音を立てて崩壊した、それと同時にメルの体も支えがなくなり前のめりに倒れてくる。それをレイが両腕で抱きしめる。アデル達がその異変に気付いたのはレイが叫んだ直後だった。彼等にもどうすることも出来ない距離であった。
「れ、レイ君……ケガ……無い――?」
「あ……あぁ……あぁぁぁ――」
言葉にならなかった、無残な姿になったメルの体を抱きしめつつ膝が折れ曲がる。二人は抱き合ったまま両膝を付いてその場に崩れた。
「レイ!」
アデル達がレイの前に立ち塞がる。彼らの前には息絶えたはずのシトラの首なしの死体が崖から這い上がって立っている。不気味な光景を彼らは見た、生きているはずのないその体は確かに地面に立っている。フラフラしながら一歩、また一歩こちらへとゆっくり歩みを始める。
「何だよ……てめぇ一体何なんだよ!」
アデルが叫んだ、その声に反応するかのようにシトラの体は歩みを止めた。すると彼女の体は突如として膨張する、一気に膨れ上がると体が破裂する。異常すぎる出来事に彼らは全員言葉を失った。
「アハハハハ、油断したわ。この時代に『カルバレイシス』の残党が居るだなんて驚きよ」
破裂したシトラの中から人の形をした生き物が出てきた、女性だ。しかし人間ではない。額から伸びる二本の角、長い耳、いずれもこの惑星に存在する生き物ではないと直ぐに分かった。この時アデルは感じていた、この生き物から発せられる感じた事の無いエレメントを。真っ黒で醜い、そして禍々しいまでのエレメントをアデルは感じ取った。
「何だよこの生き物、見た事ねぇぞ」
アデルが恐怖のあまり呟く。
「俺だって知らねぇよこんなの」
ガズルもまた見た事の無い生物に恐怖している。
「この星の生き物ならほぼ全部頭の中に入ってるが、俺も見るのは初めてだ」
ギズーもまた、この得体の知れない生物に恐怖する。首を跳ね飛ばしても死なないその不死とも思える存在、戸惑いを隠せない三人の後ろでレイは必死にメルへ回復の法術を掛けつ続ける。しかし不思議なことに体にできた無数の致命傷に匹敵するその怪我は治癒される事が無い。
「レイ、俺達が何とかする。お前はメルリスの治癒に専念しろ!」
ギズーはそういうと腰のポーチから幻聖石を一つ取り出した。具現化するといつか使ったガトリングパーソルへと姿を変える。すかさずトリガーを引くと銃口から無数の弾丸が発射された。それを皮切りにアデルとガズルが謎の生物へと飛び掛かる。
「メル……メル!?」
ぐったりとしたまま何もしゃべらないメルにレイは焦る、回復法術をいくら施しても傷口は塞がらず血が流れ続ける。ゆっくりと彼女の体が冷えていくのが両腕に伝わってくる。
「ごめん……なさ……い」
此処でやっと彼女の声が聞こえた、小さなその声はまるで虫の息のようだった。メルが右手を伸ばしてレイの顔をゆっくりと撫でる。
「ドジ……しちゃっ……た」
「喋るな、大丈夫だから喋らないで!」
焦るレイの表情をみてメルがニッコリと笑った、だがその目からは涙があふれているのが分かる。それを見たレイもまた涙する。
「わたし……レイ君に……いっぱい嘘……付いてた」
「良いんだ、だから喋らないで!」
血は止まらずに流れ続ける、笑顔だったその表情も次第に青ざめていくのが見て取れる。それを見てますますレイが焦る、
「畜生、何で止まらないんだ! なんで!」
最大限までエーテルを放出させて治癒を行うが効果が全く見られなかった、通常であればここまでの術式を使えば細胞まで活性化されて皮膚が再生されてもおかしくない状態だった。しかし現実は全く持って異なっている。
「ごめんね……ごめんな……さい――」
そこでメルの言葉は途切れ、レイの頬に当てていた右手がだらりと崩れた。
「……メル? メル!?」
瞬間悟った、メルリスが魂はこの世を去ったことを。それまで微かに感じていたメルのエーテルが体からゆっくりと抜け出ていくのをレイは感じ取った。ゆらゆらと宙に漂いそして、レイの体内へと吸い込まれて消えた。
「こざかしい、人間如きが!」
謎の生物の前に氷の壁が出現する。弾丸は全てソレにぶつかり貫通する事無く埋まっていく、飛び出したアデルはヤミガラスを具現化させて抜刀する、しかしその氷の壁はヤミガラスの切れ味をもってしても歯が立たなかった。それでも幾度となく刃を叩きこみ続ける。同時にガズルも重力球を作り出し、それを右手で殴ってドリル状へと姿を変えて突き刺す。しかしどれもこれも全く持って歯が立たなかった。
「チキショウ! なんて固さだ!」
アデルが叫びながら一度壁を蹴って距離を取った。ヤミガラスを鞘に戻すとそのままエーテルを集中させる。
「炎帝剣聖結界!」
再び足元から炎が噴き出して髪の毛が真っ赤に染まる。そして勢いよく飛び出した。
「喰らえ! 我流――」
壁のすぐ目の前で勢いよく抜刀する。抜刀の瞬間に生じる摩擦熱を法術で増大させヤミガラスに炎を宿す。その刃から放たれる一撃からは炎が噴き出し氷に襲い掛かる。一つ、また二つと斬撃を放つとそれは大きな炎となってアデルの目の前に現れる。それを無数の斬撃で切り飛ばす。
「炎帝乱舞」
炎の斬撃は全て氷の壁へと衝突した。巨大な水蒸気を発生させながら次第に氷が溶け始めた。これなら行けると確信したアデルはもう一度同じ攻撃を仕掛けようとするが彼のエーテルが持たなかった。この短時間で三度も炎帝剣聖結界を発動させればあの膨大な量を消費する剣聖結界だ、いくら貯蓄量が多いと言われてもそこを付いてしまう。ましてやコントロールが苦手なアデルにとっては一度に放出される量がレイの三倍以上にも膨れ上がっていた。
「惜しかったわねぇアデル君」
溶けた氷はその場で再生を始めた。三人はそれを見て絶望する。次の瞬間、アデルとガズルは強烈な冷風によって吹き飛ばされる。それぞれがレイのすぐ近くへと落下する。
「アデル! ガズル!」
吹き飛ばされて戻ってくるのを目視したギズーだったが彼もまたその冷風によって吹き飛ばされてしまう。成す術がなかった。人の強さを超えたその力、まるでカルナックを相手にしているかのような感覚にさえ思える。
「ちっきしょう……っ!」
アデルが動けなくなった体を無理にでも起こそうとしてヤミガラスを杖代わりにする。しかし体内のエーテルを殆ど使い切ったアデルは立てることも無く、その場に倒れる。そこへゆっくりと近づいてくる謎の生物、それをにらみつけてアデルが再び吠えた。
「チキショウ、この化け物めっ!」
「あら、さっきも言ったでしょ? 女性に化け物だなんてずいぶんとひどい事を言うのね。それに私には化け物ともシトラって名前でもないのよ」
謎の生き物は右手を前に突き出すとそこから再び冷風を放った。それにアデル達三人はもう一度吹き飛ばされて何度目かの壁に激突した。
「私は幻魔一族の『エルビー』、ちゃんと覚えておいてね坊や達」
三人は驚愕した、おとぎ話で伝わる絶望と破壊の王。その一族だとエルビーはそう言った。二千年前に全滅させられたその一族の残党、その言葉を理解することが出来なかった。
「にわかには信じがたいけどなそんな話!」
ギズーがうつ伏せのまま顔だけを向けてそう言った、それに対して首を横に振って否定しながらエルビーが答える。
「別に信じてもらわなくても結構よ、だって――」
レイの元へとやってきたエルビーはメルの亡骸を右足で蹴とばし、レイの首を掴んでそのまま持ち上げる。
「どうせここで死ぬんだから!」
ギリギリと締め上げられるレイの首、しかしレイはそれに対して無抵抗のまま両手をだらりと下げている。表情は苦しさで歪むが何も抵抗する事が無い、それを見たアデルが大声をだす。
「何やってんだレイ! しっかりしろ!」
その声は届くことは無かった、無情にも締め上げられたその首。意識はある物まるで生きた屍の様にだらんとするレイの体。メルが死んだことで何が何だか分からない状態に陥っていた。
「やべぇぞ、レイの奴もう意識がっ!」
ガズルが咄嗟に叫んだ、確かにレイの瞳からは光が消えている。それにすぐさまアデルが反応した、意識が無くなったのであれば切り札であるイゴールをレイ本人が呼ぶことは不可能。そして決断する。
「厄災剣聖結界!」
アデルが契約した名前を叫ぶ、するとレイの体から強大な障壁が展開される。あまりに突然の事にエルビーの腕はその障壁によって弾き飛ばされてしまった。持ち上げらえていたレイの体は地面に着地する事無く滞空し、その障壁を展開し続ける。ゆっくりと地面に降り立つと足元から真っ黒な炎が吹きあがる。
「遅いですよアデル君」
ガズルとギズーな何が起きたのか全く分かっていない、そして耳を疑う。レイの透き通る声とは全く異なる太い声が聞こえてきたからだ。
「レイは?」
「相当のショックだったようで混乱していました、でも今はしっかりしてます」
イゴールが前に出てきたことによってエーテルをリンクさせていたアデルにもエーテルが注ぎ込まれていく。強大なエーテルを受け取ったアデルは立ち上がるとイゴールの横に立つ。この時、イゴールのエーテルを通じてレイの意識がアデルの中へ入り込み何かを伝えていた。
「ふーん、炎の厄災ね。あの時消し去ったんじゃなかったのアデル君? それで、あなた達で私に敵うとでも思ってるのかしら?」
イゴールはメルが握っていた霊剣を拾い上げるとそれを構える。アデルは右手に持つヤミガラスを納刀して戦闘態勢を解いた。
「何のつもり?」
エルビーはその行動をみて首を傾げた、アデルの不可解な行動は後ろで倒れているガズルとギズーも理解できなかった。しかしアデルは別に戦意喪失していたわけではない。
「お前の相手は俺達じゃない」
「何を訳の分からないことを――」
突如としてイゴールの姿が消えた、そして同時にエルビーの腹部に激痛が走った。霊剣が背中から突き刺さり腹部を貫通して突き抜けていた。
「っ!」
霊剣を逆手に持ち替えてエルビーの体に突き刺しているレイの姿がそこにいた。怒りに身を任せ、イゴールの力を借りたまま自身では氷雪剣聖結界を発動させ二重に強化されたその戦闘力。炎帝剣聖結界時のアデルを軽く上回っていた。
「僕が相手だ!」
霊剣を引き抜くとエルビーから距離を取る、すぐさま法術を詠唱し左手の平を地面に叩きつける。するとそこから魔法陣が多岐にわたり広がりレイとエルビーの二人を巨大な氷が包み込む。腹部の痛みは想像を絶するものなのだろう、距離を取った際に前のめりに倒れたエルビーは中々起き上がることが出来ずにいた。
「この、死にぞこないが!」
困惑していた、強力な再生能力を持つエルビーは即座に回復させる為細胞を活性化しようとしたが貫かれた場所が壊死し始める。それは嘗て彼らを全滅にまで追い詰めた一族の姿を思い浮かばせる。
「まさか、そんな馬鹿な! 一人ならず二人も……こんなことがあってたまるもんですか、認めない、認めないぃ!」
腹部を氷で覆うと勢いよく立ち上がりレイへと走り出す、右手に氷の槍を作り出してそれを投げつける。一直線に飛んでくる氷の槍を霊剣で弾きレイもまた走り出した。そして二人が交差する、
「あああああああぁぁぁぁぁ!」
レイが叫びながら霊剣を振るいエルビーの体を上下に分割した、勝敗は既に決していた。あの時、レイの体の中にメルのエーテルが流れ込んだ瞬間感じた不思議なエレメント。そして莫大なエーテル量に一時的ではあるがレイは混乱し自我を失いそうになった。それを助けたのがイゴールである。流れてきたエーテルにレイ達の心象風景は書き換えられてしまう。同時に二人は感じ取った、それが人間とも魔族とも、ましてや彼等魔人とも異なる別の何かを。
上下に分割されたエルビーの上半身は二転三転して地面に落ちた、意識はあるだろうがもう戦えるほどの力は残ってはいない。二人を覆う氷の結界が轟音と共に崩れるとレイの傍へアデル達三人が駆け寄ってくる。後ろを振り向きもだえ苦しむエルビーの姿をレイは確かに見た。
「認めない! 忌々しいカルバレイシスめ、貴様等さえ居なければ、貴様等さえっ!」
地面を這いずりながら瑠璃へと近づくエルビー、静かにそれを見つめつつレイは左手に猛烈な冷気を集めだした。彼等から逃げる様に、また瑠璃の元へと急ぐように這うエルビーに向けて左手を開いたまま向ける。するとエルビーの周りから徐々に凍りだして彼女を包み込む、最後に手の平の上にエルビーが乗るように位置を合わせるとギュッと握りしめた。
「絶対零度」
途轍もなく巨大な氷が生成される、瞬時にエルビーを氷の結界の中に閉じ込めると表面の氷が周囲の空気を冷やし結露を作る。それが凍って何層にも分厚い氷を作り出した。それに向けてギズーが右手に持っていたライフルで氷を撃ち抜く。すると氷に大きなヒビが入ってエルビーの体を粉々に破壊する。続けてガズルが重力球を投げつけて粉々になった体を一か所に集める。最後にアデルがその重力球の中へ炎を打ち込み体を焼き尽くした。そして重力球がはじけ飛ぶと中には何も残っていなかった。肉片すら残さないその連続攻撃にエルビーはこの世から消滅した。二度と再生する事無く。