残酷な描写あり
狭間の森 1
異世界転生が好きで、ソウルライクが大好きなので書き始めました。
過酷な世界ですが、楽しんで書いていきたいと思います。
楽しく読んでいただけたら嬉しいです!
過酷な世界ですが、楽しんで書いていきたいと思います。
楽しく読んでいただけたら嬉しいです!
私は死んだ。
覚えているのは、それだけだった。
自分が何者なのか、どんな経緯があってここにいるのか、どうにも思い出すことができない。
眠りから目覚めた私が、最初に感じたのは土と草のにおい。それから風が木々を揺らす音。
重いまぶたを開くと、そこは森の中だった。
白いきれいな花びらが宙を舞う。その一枚がゆらゆらと落ちてきて、私の頬へと触れた。
「んん……」とうめきながら、私はおもむろに体を起こす。
長く眠っていた気がしたけど、調子は悪くない――むしろ、ずいぶんと体が軽い気がした。
「ここは……どこ?」
声を出してみる。
喉から少女らしい高い声が絞り出された。これは自分の声だ。
足元を見てみる。
さっきまで横たわっていた私を囲むように、小さな白い花が咲いていた。
周囲を見回してみる。
森の中の空気は湿っていて、霧が立ち込めていて視界はあまりよくない。空も曇っていて、明るいけど太陽は見えない。
周囲は小さな崖や茂みに囲まれているため、どうやら進めそうな道は一方向しかないらしい。
その道の先から、なんとなく、招かれているような――そんな気配がした。
「……行ってみよう」
ずっと一人でここにいるわけにはいかない。
それに、なんだか先に進まないといけない気がするから。
私は前方に続く道をたどって歩き始めた。
やけに静かだった。森の中なら必ず聞こえてくるはずの、鳥や虫の声がしないからだ。
だから風の音と、私の発するザクザクという足音が、やけに鮮明だった。
少し進むと、岩壁の隙間から湧き水が出ていて、それが小さな水たまりのような池を作っていた。
水は透き通っていて、水面は森の中のわずかな光を反射して煌めいている。
「あ……」
水面に映る自分の姿を見て、声を漏らした。
「これが、私……?」
映し出されたのは、少女の姿だった。
内側だけ少し青みがかった長い黒髪が、風で小さく揺れている。
その髪と似た色合いの瞳。
細身というより華奢、というより貧相な体つき。よく言えばモデル体型とも表現できなくもないけど、それにしてもちょっと痩せすぎだと思う。
身にまとっている服はブラウスにプリーツスカート。学生服と呼ばれるものだ。
そうだ。私は高校に通う学生だった。
なんだか、すごくしっくりときた。これが私の姿だ。
それと、どうやら忘れているのは自分のアイデンティティに関することだけで、一般常識みたいなものは覚えているらしい。
私は湧き水を手ですくい、透き通った水が細い指の間をこぼれてしまう前に、一口だけ飲んだ。
とくに喉は渇いていなかったけど、湧き水の冷たさのおかげで、ふわふわしていた頭が少しだけさえてきた。
「よしっ……!」
冷たく濡れた手で、ぱしんと頬を叩いてから、私は歩みを再開した。
相変わらず周囲は茂みや小さな崖に囲まれていて、進む道は一つしかない。
その一本道を歩いていくと、今度は前方に何か落ちているのが見えた。
駆け寄ってみると、それは――。
「何これ……。えっ……剣と、盾?」
一瞬、それが何だかわからなかった。
それくらいに見慣れないものだった。
円形の盾。描かれている模様は植物と花だろうか。ずいぶんと古いもののようで、模様の部分は傷だらけで、ほとんどが削り取られていた。
そして剣だ。
鞘から抜いてみる。
すらり……と金属のこすれる音が、当たり前だけどやけにリアルに感じた。
刀身は錆びついているけど、これは本物の剣なのだと雰囲気でわかった。
誰かの落とし物なのか、あるいはここに捨てて行ったのか。
「も、持っていくべき……かな……?」
だれか持ち主がいるなら、返さないと。
それに、あまり使う場面は考えたくないけど、護身用にはなるかもしれない。
ここは見たこともない森の中。どんな危険な生き物が潜んでいるかわからないのだから。
まあ今のところは、動物どころか虫の一匹すらも見当たらないのだけど。
私は鞘に戻した剣と、円形の盾を拾い上げて胸の前で抱えた。
金属の塊なのだけど、どちらも思ったより軽い。いろいろと軽量化する工夫がされているのだろう。
「じゃあ、もう少し進んでみよっか」
何かに駆り立てられるように、私は森の中を歩いた。
ここまで、ほぼ一本道。迷う心配はなさそうだ。
また少し進むと、前方に霧がかかっていた。
白くもやもやとした、まるで雲のような濃い霧が、行く手を遮っている。
「……この霧、なんか嫌な感じがする」
恐る恐る、私は霧に触れてみた。
途端、前方を覆っていた雲のように濃いその霧が晴れる。
一気に開けた視界に見えたのは、人の背丈をゆうに超えるほどの、大きな白い花だった。
高さだけで、私が両手をうんと頭上に伸ばしたくらいある。花の直径は、私の腕よりも長い。
なんだろう。どことなく百合の花に似ているけど。
美しい。
けど、どことなく不自然だった。
どこが、と言われると困るが、とにかくあの花は何かがおかしい。
「でも……」
周囲は相変わらず崖に囲まれていて、先に進むには狭い花の脇を通り抜けるしかない。
私は慎重に歩みを進める。
そして、その白い花に近づいたときだった。
ぐらり。
風も吹いていないのに、花がひとりでに動いたような気がした。
「え?」
私は反射的に花を見上げる。
形が……変わっている!
白い花の中央にくっぱりと裂け目ができていて、歪で不気味な形状へと変化していた。
直後。
ぐぉぉ……と風が通り抜けるような、あるいは獣の唸り声のような音が聞こえる。
「ひっ! な、なに……?」
思わず身をすくめた私の目の前で、ぎちぎち、と不安を煽る音を立てて、大輪の花が形を変え始めた。
中央の裂け目が広がっていき、大きな空洞となって。
そこから白い刃物のようなもの飛び出したかと思うと、すごい速さで私に襲いかかってきた。
「わああッ!?」
びゅん! と空気を切りながら振るわれた刃が、尻餅をつくように飛び退いた私の目と鼻の先を横切り、長い黒髪の先端が刈り取られてぱらぱらと宙を舞った。
「……っ」
息を呑む私の目の前で、花は異形へと姿を変えていった。
花弁は四本の脚となり、胴体は花の茎のように細長い。伸びる二本の腕は、鋭い鎌のような形をしている。さっき私を襲ったのは、あの鎌だ。
そして、逆三角形の頭部に、大きな二つの複眼。
カマキリだ。白い大輪の花に擬態していた巨大な蟷螂の化け物がそこに姿を現し、四本の脚で地面をえぐりながら近づいてくる。
「た、たすけ……」
ぶぉん。
とっさに身を伏せた私の頭上を大きな鎌が通り過ぎ、茂みの草と一緒にまた私の髪の毛の先端を斬り裂いた。
冷や汗をかきながら、私はカマキリを見上げる。
私の背丈よりずっと大きい。怪物だ。
さっき拾った剣と盾で戦う?
無理。
とても人間の勝てる相手じゃない。
逃げないと……。私は立ち上がると、足をもつれさせながら後方へと駆け出す。
直後、背中に灼熱が走った。
「あぅっ!」
どしゃああ! と私は顔から思い切り地面に倒れ込んだ。
ほとんど走っていないのに、息が上がっている。
背中は熱いのに、体がどんどん冷えていく。
ぽたり……。
四つん這いなって体を起こすと、赤い液体が地面へとこぼれた。
……血?
じわりと背中から垂れた血が、胸元まで赤く濡らしていた。
「けほっ」
苦しくて咳き込むと、口からも血が出てきた。
「あああッ!」
痛い。
今頃になって背中に激痛を感じて、私はうずくまりながら、鎌で背中を斬られたことを理解した。
痛い。背後からカマキリの怪物が迫っている気配がするが、痛すぎてとても起き上がれない。
そうして私が悶えていると。
ずぶり、と鮮血をまき散らしながら、私の胸から大鎌の先端が生えてきた。
背中から――鎌で貫かれたのだ。
「あ”」
私の声はくぐもっていた。
胸元を見る。この位置は肺か、心臓か……致命傷であることは私にもわかった。
恐る恐る背後に目を向ける。
カマキリの怪物と視線があった。仕留めた私という獲物を、感情なく見据えている。
視界は次第に霞んでいき、すぐに闇に飲まれていった。
どうやら私は、また死んでしまったようだ。
「……リ……」
誰かの声が聞こえる。
声変わりしたばかりの、少年の声。
「……リア」
呼んでいる……誰を? 私を?
「アリア」
どこか、懐かしい声。
懐かしい響き。
そうだ、私の名前は……愛里亜。
けど。
この声は誰のものなのだろう。
「……ん」
気がつくと――。
私は、また森の中で寝ていた。
周囲には小さな白い花が咲き乱れている。
「あれ……? 私、死んだはずなのに……」
たしかに、あのカマキリみたいな怪物に背中から刺されて。
どう考えても致命傷だったはずなのに。改めて自分の胸のあたりを見たが、傷がないどころか、着ている制服もちょっと土で汚れている程度できれいなまま。血の跡すらない。
「どうして……」
夢だったのだろうか。やけにリアルだった。幻痛で、まだ斬られた箇所が痛い気がする。
それとも逆に、今この時が、夢?
周囲を見回すと、今いるのは、先ほど夢の中で目覚めたところと、まったく同じ場所であることがわかった。
不思議に思いながらも、私はまた森の中を進んでいった。
さっきと同じように、湧き水の池を脇に見ながら進んでいく。
すると前方の地面に、また剣と盾が落ちているのが見えた。
「これ……さっきと同じだ」
形も模様も、錆の付き方もまったく同じように感じる。
まるで時間が巻き戻ったかのようだ。
「それじゃ……この先に、やっぱりあの化け物もいるのかな……?」
あのカマキリの怪物が。
進むのが怖くなった私は、道をそれて崖を登ってみようかとも考えた。
周りを囲んでいる崖は、手を伸ばしてジャンプしてもギリギリ届かないくらいの高さ。頑張れば登れないこともないだろうけど。
「……やっぱ、このまま進もう」
なんとなく、この道をそれちゃいけない気がする。もし道を外れたら、もう戻ってこられないような――まあ、こんな奇妙な場所に戻って来たくはないのだけど。
とにかく、先に進まないといけないと私の中の何かが訴えているのだ。
その心の声に従って、落ちている剣と盾を拾い上げてから、私は先へと進んだ。
進行方向の道に、雲のような霧が立ち込める。
それに触れると、霧が晴れてまた歩みを進めることができた。
そして、
「うっ」
思わず私は声を漏らした。
行く手に、やはり巨大カマキリがいた。
もう花に擬態はしないようだ。
どうにかして、あの化け物の脇を通り抜けて、先に進まないと。
私は剣と盾を地面に置いた。持ち主さんには悪いけど、少しでも軽くするために仕方がない。
私が慎重に歩き出すと、化け物も一緒にじりじりとにじり寄ってくる。
獲物を仕留めるタイミングを見計らっているのだろう。
……今だ。
私は前へ向かって全力で走り始めた。
瞬間、カマキリの怪物も動き出し、十メートルほどあった距離を一瞬で詰めて来た。
「速っ……!?」
とても振り切れるような速さじゃなかった。
怪物は私の行く手を遮るように眼前に立ちふさがり、大鎌を振るった。
「かはっ!?」
お腹を深々と引き裂かれた私は、口から大量の血を吐き出しながら、がくりと膝をついた。
痛い。血が止まらない。
激痛で視界が真っ赤に染まる。
見上げると、カマキリの怪物が私の眼前で大鎌を振り上げていた。
ざしゅん!
肩から脇腹までを鎌で引き裂かれて、私の意識はまた、死の闇に落ちていった。
まどろみの中、また声が聞こえた。
「……アリア」
呼びかけられた私は、ゆっくりとまぶたを開けた。
本棚。机。テレビに、ビデオゲーム機。見覚えのある部屋の中だった。
目の前にいたのは、私と同じか少し年下くらいの男の子。
ああ、知っている。この部屋も、彼も。
「愛里亜……姉ちゃん」
思わず「なに?」と答えようとしていた自分に気づく。声は出せなかったけど。
姉ちゃん……姉……そうだ、彼は私の弟だ。
私と同じ髪と瞳の色を持つ彼は、弟の晴人。
大事な家族。
今の私は声も出せないし、自分の意思で動くこともできない。
たぶん、これは夢。私の記憶の中なのだと思う。
もう、会えないのだろうか。
そう思うと悲しくて、私は泣き出しそうになってしまった。
覚えているのは、それだけだった。
自分が何者なのか、どんな経緯があってここにいるのか、どうにも思い出すことができない。
眠りから目覚めた私が、最初に感じたのは土と草のにおい。それから風が木々を揺らす音。
重いまぶたを開くと、そこは森の中だった。
白いきれいな花びらが宙を舞う。その一枚がゆらゆらと落ちてきて、私の頬へと触れた。
「んん……」とうめきながら、私はおもむろに体を起こす。
長く眠っていた気がしたけど、調子は悪くない――むしろ、ずいぶんと体が軽い気がした。
「ここは……どこ?」
声を出してみる。
喉から少女らしい高い声が絞り出された。これは自分の声だ。
足元を見てみる。
さっきまで横たわっていた私を囲むように、小さな白い花が咲いていた。
周囲を見回してみる。
森の中の空気は湿っていて、霧が立ち込めていて視界はあまりよくない。空も曇っていて、明るいけど太陽は見えない。
周囲は小さな崖や茂みに囲まれているため、どうやら進めそうな道は一方向しかないらしい。
その道の先から、なんとなく、招かれているような――そんな気配がした。
「……行ってみよう」
ずっと一人でここにいるわけにはいかない。
それに、なんだか先に進まないといけない気がするから。
私は前方に続く道をたどって歩き始めた。
やけに静かだった。森の中なら必ず聞こえてくるはずの、鳥や虫の声がしないからだ。
だから風の音と、私の発するザクザクという足音が、やけに鮮明だった。
少し進むと、岩壁の隙間から湧き水が出ていて、それが小さな水たまりのような池を作っていた。
水は透き通っていて、水面は森の中のわずかな光を反射して煌めいている。
「あ……」
水面に映る自分の姿を見て、声を漏らした。
「これが、私……?」
映し出されたのは、少女の姿だった。
内側だけ少し青みがかった長い黒髪が、風で小さく揺れている。
その髪と似た色合いの瞳。
細身というより華奢、というより貧相な体つき。よく言えばモデル体型とも表現できなくもないけど、それにしてもちょっと痩せすぎだと思う。
身にまとっている服はブラウスにプリーツスカート。学生服と呼ばれるものだ。
そうだ。私は高校に通う学生だった。
なんだか、すごくしっくりときた。これが私の姿だ。
それと、どうやら忘れているのは自分のアイデンティティに関することだけで、一般常識みたいなものは覚えているらしい。
私は湧き水を手ですくい、透き通った水が細い指の間をこぼれてしまう前に、一口だけ飲んだ。
とくに喉は渇いていなかったけど、湧き水の冷たさのおかげで、ふわふわしていた頭が少しだけさえてきた。
「よしっ……!」
冷たく濡れた手で、ぱしんと頬を叩いてから、私は歩みを再開した。
相変わらず周囲は茂みや小さな崖に囲まれていて、進む道は一つしかない。
その一本道を歩いていくと、今度は前方に何か落ちているのが見えた。
駆け寄ってみると、それは――。
「何これ……。えっ……剣と、盾?」
一瞬、それが何だかわからなかった。
それくらいに見慣れないものだった。
円形の盾。描かれている模様は植物と花だろうか。ずいぶんと古いもののようで、模様の部分は傷だらけで、ほとんどが削り取られていた。
そして剣だ。
鞘から抜いてみる。
すらり……と金属のこすれる音が、当たり前だけどやけにリアルに感じた。
刀身は錆びついているけど、これは本物の剣なのだと雰囲気でわかった。
誰かの落とし物なのか、あるいはここに捨てて行ったのか。
「も、持っていくべき……かな……?」
だれか持ち主がいるなら、返さないと。
それに、あまり使う場面は考えたくないけど、護身用にはなるかもしれない。
ここは見たこともない森の中。どんな危険な生き物が潜んでいるかわからないのだから。
まあ今のところは、動物どころか虫の一匹すらも見当たらないのだけど。
私は鞘に戻した剣と、円形の盾を拾い上げて胸の前で抱えた。
金属の塊なのだけど、どちらも思ったより軽い。いろいろと軽量化する工夫がされているのだろう。
「じゃあ、もう少し進んでみよっか」
何かに駆り立てられるように、私は森の中を歩いた。
ここまで、ほぼ一本道。迷う心配はなさそうだ。
また少し進むと、前方に霧がかかっていた。
白くもやもやとした、まるで雲のような濃い霧が、行く手を遮っている。
「……この霧、なんか嫌な感じがする」
恐る恐る、私は霧に触れてみた。
途端、前方を覆っていた雲のように濃いその霧が晴れる。
一気に開けた視界に見えたのは、人の背丈をゆうに超えるほどの、大きな白い花だった。
高さだけで、私が両手をうんと頭上に伸ばしたくらいある。花の直径は、私の腕よりも長い。
なんだろう。どことなく百合の花に似ているけど。
美しい。
けど、どことなく不自然だった。
どこが、と言われると困るが、とにかくあの花は何かがおかしい。
「でも……」
周囲は相変わらず崖に囲まれていて、先に進むには狭い花の脇を通り抜けるしかない。
私は慎重に歩みを進める。
そして、その白い花に近づいたときだった。
ぐらり。
風も吹いていないのに、花がひとりでに動いたような気がした。
「え?」
私は反射的に花を見上げる。
形が……変わっている!
白い花の中央にくっぱりと裂け目ができていて、歪で不気味な形状へと変化していた。
直後。
ぐぉぉ……と風が通り抜けるような、あるいは獣の唸り声のような音が聞こえる。
「ひっ! な、なに……?」
思わず身をすくめた私の目の前で、ぎちぎち、と不安を煽る音を立てて、大輪の花が形を変え始めた。
中央の裂け目が広がっていき、大きな空洞となって。
そこから白い刃物のようなもの飛び出したかと思うと、すごい速さで私に襲いかかってきた。
「わああッ!?」
びゅん! と空気を切りながら振るわれた刃が、尻餅をつくように飛び退いた私の目と鼻の先を横切り、長い黒髪の先端が刈り取られてぱらぱらと宙を舞った。
「……っ」
息を呑む私の目の前で、花は異形へと姿を変えていった。
花弁は四本の脚となり、胴体は花の茎のように細長い。伸びる二本の腕は、鋭い鎌のような形をしている。さっき私を襲ったのは、あの鎌だ。
そして、逆三角形の頭部に、大きな二つの複眼。
カマキリだ。白い大輪の花に擬態していた巨大な蟷螂の化け物がそこに姿を現し、四本の脚で地面をえぐりながら近づいてくる。
「た、たすけ……」
ぶぉん。
とっさに身を伏せた私の頭上を大きな鎌が通り過ぎ、茂みの草と一緒にまた私の髪の毛の先端を斬り裂いた。
冷や汗をかきながら、私はカマキリを見上げる。
私の背丈よりずっと大きい。怪物だ。
さっき拾った剣と盾で戦う?
無理。
とても人間の勝てる相手じゃない。
逃げないと……。私は立ち上がると、足をもつれさせながら後方へと駆け出す。
直後、背中に灼熱が走った。
「あぅっ!」
どしゃああ! と私は顔から思い切り地面に倒れ込んだ。
ほとんど走っていないのに、息が上がっている。
背中は熱いのに、体がどんどん冷えていく。
ぽたり……。
四つん這いなって体を起こすと、赤い液体が地面へとこぼれた。
……血?
じわりと背中から垂れた血が、胸元まで赤く濡らしていた。
「けほっ」
苦しくて咳き込むと、口からも血が出てきた。
「あああッ!」
痛い。
今頃になって背中に激痛を感じて、私はうずくまりながら、鎌で背中を斬られたことを理解した。
痛い。背後からカマキリの怪物が迫っている気配がするが、痛すぎてとても起き上がれない。
そうして私が悶えていると。
ずぶり、と鮮血をまき散らしながら、私の胸から大鎌の先端が生えてきた。
背中から――鎌で貫かれたのだ。
「あ”」
私の声はくぐもっていた。
胸元を見る。この位置は肺か、心臓か……致命傷であることは私にもわかった。
恐る恐る背後に目を向ける。
カマキリの怪物と視線があった。仕留めた私という獲物を、感情なく見据えている。
視界は次第に霞んでいき、すぐに闇に飲まれていった。
どうやら私は、また死んでしまったようだ。
「……リ……」
誰かの声が聞こえる。
声変わりしたばかりの、少年の声。
「……リア」
呼んでいる……誰を? 私を?
「アリア」
どこか、懐かしい声。
懐かしい響き。
そうだ、私の名前は……愛里亜。
けど。
この声は誰のものなのだろう。
「……ん」
気がつくと――。
私は、また森の中で寝ていた。
周囲には小さな白い花が咲き乱れている。
「あれ……? 私、死んだはずなのに……」
たしかに、あのカマキリみたいな怪物に背中から刺されて。
どう考えても致命傷だったはずなのに。改めて自分の胸のあたりを見たが、傷がないどころか、着ている制服もちょっと土で汚れている程度できれいなまま。血の跡すらない。
「どうして……」
夢だったのだろうか。やけにリアルだった。幻痛で、まだ斬られた箇所が痛い気がする。
それとも逆に、今この時が、夢?
周囲を見回すと、今いるのは、先ほど夢の中で目覚めたところと、まったく同じ場所であることがわかった。
不思議に思いながらも、私はまた森の中を進んでいった。
さっきと同じように、湧き水の池を脇に見ながら進んでいく。
すると前方の地面に、また剣と盾が落ちているのが見えた。
「これ……さっきと同じだ」
形も模様も、錆の付き方もまったく同じように感じる。
まるで時間が巻き戻ったかのようだ。
「それじゃ……この先に、やっぱりあの化け物もいるのかな……?」
あのカマキリの怪物が。
進むのが怖くなった私は、道をそれて崖を登ってみようかとも考えた。
周りを囲んでいる崖は、手を伸ばしてジャンプしてもギリギリ届かないくらいの高さ。頑張れば登れないこともないだろうけど。
「……やっぱ、このまま進もう」
なんとなく、この道をそれちゃいけない気がする。もし道を外れたら、もう戻ってこられないような――まあ、こんな奇妙な場所に戻って来たくはないのだけど。
とにかく、先に進まないといけないと私の中の何かが訴えているのだ。
その心の声に従って、落ちている剣と盾を拾い上げてから、私は先へと進んだ。
進行方向の道に、雲のような霧が立ち込める。
それに触れると、霧が晴れてまた歩みを進めることができた。
そして、
「うっ」
思わず私は声を漏らした。
行く手に、やはり巨大カマキリがいた。
もう花に擬態はしないようだ。
どうにかして、あの化け物の脇を通り抜けて、先に進まないと。
私は剣と盾を地面に置いた。持ち主さんには悪いけど、少しでも軽くするために仕方がない。
私が慎重に歩き出すと、化け物も一緒にじりじりとにじり寄ってくる。
獲物を仕留めるタイミングを見計らっているのだろう。
……今だ。
私は前へ向かって全力で走り始めた。
瞬間、カマキリの怪物も動き出し、十メートルほどあった距離を一瞬で詰めて来た。
「速っ……!?」
とても振り切れるような速さじゃなかった。
怪物は私の行く手を遮るように眼前に立ちふさがり、大鎌を振るった。
「かはっ!?」
お腹を深々と引き裂かれた私は、口から大量の血を吐き出しながら、がくりと膝をついた。
痛い。血が止まらない。
激痛で視界が真っ赤に染まる。
見上げると、カマキリの怪物が私の眼前で大鎌を振り上げていた。
ざしゅん!
肩から脇腹までを鎌で引き裂かれて、私の意識はまた、死の闇に落ちていった。
まどろみの中、また声が聞こえた。
「……アリア」
呼びかけられた私は、ゆっくりとまぶたを開けた。
本棚。机。テレビに、ビデオゲーム機。見覚えのある部屋の中だった。
目の前にいたのは、私と同じか少し年下くらいの男の子。
ああ、知っている。この部屋も、彼も。
「愛里亜……姉ちゃん」
思わず「なに?」と答えようとしていた自分に気づく。声は出せなかったけど。
姉ちゃん……姉……そうだ、彼は私の弟だ。
私と同じ髪と瞳の色を持つ彼は、弟の晴人。
大事な家族。
今の私は声も出せないし、自分の意思で動くこともできない。
たぶん、これは夢。私の記憶の中なのだと思う。
もう、会えないのだろうか。
そう思うと悲しくて、私は泣き出しそうになってしまった。