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作者: 栗一
残酷な描写あり
狭間の森 4
 立ち塞がるカマキリの魔物の苛烈な攻撃を、私は必死に盾で防ぎながら剣を振るった。
 組み付かれそうになったら回り込んだり後ろに下がったりして避けて、魔物がたたらを踏んでいる隙にも一発、剣を叩き込む。

「よし! このまま……!」

 息が熱い。
 制服が汗で濡れてべったりと張り付き、額から頬へと雫が伝った。
 しかし、疲れてはいられない。
 だってコイツは――。

「……来た!」

 今度は見逃さなかった。魔物の腹の切れ目から、黒く細い触手が私を捕まえようと伸びてくる。
 私は急いで距離を取って、触手による初撃をかわした。

「カシャ……!」

 大顎が噛み合わさる音だ。
 あのカマキリの魔物が獲物を仕留めようとするときにやる、癖のようなものだろう。
 魔物の腹の切れ目から伸びた触手は二本。槍のように鋭い先端をこちらに向けたまま後方に下がって勢いをつけると、まるで引き絞られた弓のように、すごい速さで私に目掛けて伸びてきた。

「うえぇ!?」

 間抜けな声を出しながら、私はなんとか横に転がるようにして触手を避けた。
 ドス! と背後にあった木に触手の先端が刺さる。

 間一髪かんいっぱつだった――と、ほっと安堵する暇もなかった。もはやカマキリだかなんだかわからない魔物は触手を木から引き抜き、文字通り間髪かんぱつ入れずに、次々と触手を突き出してくる。

「ちょ、うわあああ!」

 私は全力で走って触手の連続攻撃から逃れた。
 が、すべて避け切ることはできず、もう少しで触手が体を貫くギリギリのところで、盾を構えて身を守った。

 カキン!

 大鎌に比べればだいぶ軽い手応え。
 点の攻撃だから防ぐのは難しいが、上手く盾を使えば近寄ることができるかもしれない。
 私は、覚悟を決めた。

「たああッ……!」

 盾を体の前に構えて、胸元など急所をすぐに守れるようにしながら、私は魔物のほうへと走った。
 手とか脚みたいな体の末端を狙ってくる触手はギリギリで避けて、胴体や顔を狙う攻撃は盾で防ぐ。
 しかし、やはりすべてを防ぐことはできない。鋭い触手は私の右腕をかすめ、左の太ももに突き刺さった。

「ぐぅぅっ!!」

 痛い。刺された太ももはもちろん、かすめた腕だって血が出ていて十分に痛い。
 足がもつれて、私は膝をつきそうになる。
 その時――。

『……姉ちゃん』

 頭の中で、ふいに声がした。
 弟の声。私を心配しているような声音だった。――現実では仲が良くなかったから、そんなふうに心配なんかしてくれないかもしれないけど。
 たぶん、極限状態の中での幻聴。だけど、そんな錯覚だけでも、私はなんだか力が湧いてきた。

「このぉッ!」

 踏みとどまり、立ち上がって、つんのめるようにして、また前へと進む。
 そうして、ついに魔物の体に剣が届く距離まで近づいた私は、なおも襲いかかる触手によって今度は左肩を引き裂かれながらも剣を振りかぶる。
 同時に――魔物はいつの間にか振り上げていた腕の大鎌を、私に向かって振り下ろした。

「……っ!?」

 振りかぶった剣が魔物の体に届くより先に、私は肩から脇腹までを、大鎌でばっさりと斬り裂かれてしまった。
 激しく鮮血が舞い、どさりと私は地面にうつ伏せに倒れる。
 ああ、だめだ、致命傷だ――。そう気づいたときには、魔物の大鎌による次の一撃が振り下ろされていた。



 私は夢を見た。
 中学の頃、同じクラスの数少ない友人と話していたときの、他愛のない夢だった。
 少しずつ取り戻していく、生前の記憶。
 でも、それよりも――。
 私はさっきの戦いについて納得がいかず、森の中に寝そべりながら、一人で文句を言っていた。

「なんでよ! あれは勝てる流れだったでしょ!?」

 私の叫びも虚しく、森は静まり返ったまま。
 仕方なく私は「はぁ」とため息をついてから、起き上がってまた歩き始めた。

 装備を拾い、霧を抜けて、巨大カマキリ? の魔物のところへ。

「今度こそ先に進むんだ……来い!」

 恐るべき魔物に対して、剣と盾を構えた私は、正面から対峙した――。



 そして、私はまた死んだ。
 鎌と触手のコンビネーションに対応できずに、無惨に殺されてしまった。
 そのときに見た夢は――母がまだ生きていて、弟とも仲がよかった幼い頃に、一緒にお祭りに行ったときのことだった。

 しあわせだった頃の夢を見て、少しだけ切なさを覚えながらも活力が湧いてきた私は、また剣と盾を持ってカマキリの魔物に挑んで。
 また殺された。
 魔物は私の体を大鎌で貫くと、勝ち誇るように持ち上げて掲げた。
 その仕草に、なんだか私は腹が立ってきた。あの無表情な複眼が憎らしい。

「……負けない」

 痛いのは慣れないけど、怖いのには慣れてきた。
 私は勇気を持ってカマキリの魔物に再戦する。
 ……また殺された。
 今度は集中力が切れて、触手を出される前に鎌で斬られてしまった。

「今度こそ……!」

 また挑む。そして敗北する。
 触手の突き攻撃をなんとか回避したものの、今度は触手を鞭のように使って攻撃してきた。
 致命傷にはならないけど、避けるのが難しくて当たると服が破けて肌が裂け、血が流れてとにかく痛い。
 その鞭攻撃に怯んでしまったところを、また鎌で斬られた。

 夢を見た。
 これ以降は、しあわせだった頃の夢ばかりだった。
 まるで、戦っている私の背中を、誰かが押してくれているみたいだった。

 深呼吸して少し休んでから、またカマキリの魔物に挑んだ。
 負けた。でも、触手を使うようになった状態の魔物に、初めて一発入れることができた。

 また挑む。そして殺される。
 諦めずに挑む、また負ける。
 挑んでは、敗北する。

 何度も繰り返す中で、私は戦いに慣れて、魔物がどういうときにどう動いてくるのかわかるようになってきた。
 そして、何度も戦いと死を繰り返していると、久しぶりに弟の晴人との夢を見た――。



 掃除と洗濯、夕飯も先に作って一通り家事を済ませた私は、テレビのある居間でゲームをしていた。
 タイトルは、もちろんロード・オブ・シェイド。晴人から借りたものだ。

「姉ちゃん、ハマってるな」

 敵のボスに負けて一息ついたところで、後ろから晴人が私に声をかけてきた。

「うん。貸してくれてありがとね、晴人。……私、このボス強くてぜんぜん勝てないんだよね」

 晴人に話しかけられたのがうれしくて、私はつい饒舌じょうぜつになってしまう。

「そのボスは、パリィを使うといいよ」
「パリィ?」

 晴人はそれだけ言うと、部屋へと戻ってしまった。
 パリィとは、盾などを使って攻撃を受け流したり、弾き返すなどをして、敵の体勢を崩すゲーム上のテクニックだ。
 ただ身を守るだけではなく、相手に隙を作って攻撃のチャンスを得る能動的な防御手段。

 私は晴人に言われた通りにパリィを試してみた。
 タイミングがなかなかにシビアで練習が必要だったが、たしかに攻撃の激しいそのボスには有効で、あれほど苦労していたそのステージをあっさりとクリアすることができた。

「パリィ、すごい!」

 興奮しながら私は言った。
 ただ強力なだけじゃなくて、成功したときの音や衝撃も心地良い。
 それ以降、私はパリィというテクニックが好きになって、そればかり使うようになったのであった。



 もう、何度目になるだろうか。
 森の中、風に乗って舞い降りてくる白い花びらが頬に触れて、私は目覚めた。
 頭を振りながら上体を起こす。それから、夢で見ていた出来事を思い出した。

「パリィ……か」

 盾や剣を使って受け流しや弾き返しを行う技。
 現実でも、使うことができるのだろうか。
 そういえば、魔物の攻撃を前のめりに体重を乗せて受けたり、逆に少し引きながら防いだら、相手がよろけて隙ができることが多かった。
 あれを狙って起こせないだろうか。

「試してみる価値はある……よね」

 難しいかもしれないけど、もうこうなったら当たって砕けてみよう。
 私は森の中を歩き始めて、もはや見慣れてしまった道を進んだ。



 剣と盾を手にして、私は霧の中を進んだ。
 そして目の前に、巨大なカマキリの魔物。

「今度は……今度こそは負けないよ!」

 私は盾を構えながら、そう言い放った。
 少しだけ前進し、カマキリの魔物が接近してくるのを待つ。
 しばらく睨み合ったあと、魔物は痺れを切らしたように私のほうへと突進してきた。

 魔物は大鎌を振り上げ、私の肩から袈裟に斬り裂こうと振り下ろしてくる。

 がきん!

「ぐっ……!」

 うめきながら、私はその鎌の一撃を盾で受けた。
 ダメだ。受け流そうとしたらそのまま体を斬られちゃうし、魔物が走りながら繰り出した体重を乗せた振り下ろしは、今の私の力であっても、とても弾き返したりはできそうにない。

 待つんだ。もっと軽い攻撃をしてくるまで、チャンスを――。

 私は二度目の振り下ろしを横っとびに回避して、三度目の振り下ろしをまた盾で受けた。
 そして、四度目の攻撃。今度は魔物が鎌を横に振りかぶった。避けることが困難な、薙ぎ払い攻撃だ。

「それを、待ってまし……たぁッ!」

 私は盾をぎゅっと握りしめて、自分からその盾を魔物の鎌に思い切り叩きつけた。

 かぁぁんッ!

 振り払うように振るった盾が、薙ぎ払ってくる大鎌を弾き返した。
 ぐらり、とカマキリの怪物が大きく体勢を崩す。
 パリィ。晴人から借りたゲームにあったテクニック。ちゃんとできた……!

「――今だ!」

 私は体勢を崩した魔物に飛びかかり、その異形の体に剣の切っ先を思いっきり突き刺した。

「…………!!」

 カマキリの魔物が声なき絶叫を上げる。
 効いている! 今までで一番の手応えだ。
 たまらずカマキリの魔物は大顎をカシャカシャと鳴らして、胸の境い目から私に向けて触手を伸ばしてきた。

「くっ!」

 私はとっさに横へと転がって鋭い触手の先端を回避。続く追撃の触手を剣と盾でなんとか防いだ。
 そうして体勢を立て直した私が、ふたたび接近しようと動き出したところで、魔物は触手を横に大きく薙ぎ払うように振ってきた。
 触手による、鞭攻撃だ。

「い、っ……!」

 ぱしぃぃん! と大きな破裂音を立てて、鞭が私の脇腹を巻きつくように叩いて、服と肌を切り裂いた。
 とにかく痛い。私は動きが止まりそうになる。
 けど。

「……、はぁ、はぁ……。もうそれを使ってくるなんて、ずいぶんと余裕ないんじゃない?」

 触手を使ったがむしゃらな攻撃。おそらく、さっきの一撃が効いていて、敵は怒っているのだ。

 続く鞭攻撃を、私は盾で防ごうとする。
 が、やっぱり防ぎ切れない。
 勢いがある程度弱まりはしたけど、柔らかい触手による鞭攻撃は、盾で防御しても背中側まで回り込み、私の体を叩いてくる。
 ぱぁん! と背中を叩かれて、切れた制服の布がひらひらと宙を舞った。

「負け……ない!」

 痛みに耐えて、私は魔物のほうへと走る。
 距離を取るのは私にとって意味がない。だって相手のほうが足が速くてリーチが長いんだから。
 私の勢いに怯んだのか、魔物はわずかに後退しながら触手を伸ばして攻撃してくる。

 今度は私の体を左右から挟み込むようにして、魔物が触手の鞭を振るってきた。
 防ぎ切れない。でも、ここで後退したら二度目のチャンスはない。体力だってもう限界だ。
 だから、私はあえて踏み込んでいった。体の左側だけを盾でガードして、右から来る触手は甘んじて受ける。
 バシィィン! と強烈な痛打が左右から叩きつけられた。背中を打たれ、右の太ももがざっくりと裂けて血が飛び散った。

「こっのぉぉぉ――ッ!!」

 ぐらり、と倒れ込みそうになるのを、私はなんとか踏みとどまる。
 激しい痛みにぐっと耐えて、脚から赤い鮮血を撒き散らし、もつれるようにしながら私は前へと走った。

 届いた。私はなんとか魔物のふところへと潜り込んだ。
 焦ったように、魔物が大鎌を振りかぶる。

「そこだ!」

 あれだけ速く感じていた鎌の動きが、今だけはゆっくりに見えた。
 斜めに振り下ろしてくる鎌に、残った力を振り絞って、私は下から突き上げるようにして盾を叩きつけた。

 キィィン! と小気味よい音を響き、予想外の力で攻撃を跳ね返された魔物の体勢が大きく崩れる。
 二度目のパリィだ。土壇場どたんばで成功させることができた。

「たあああッ!」

 私は怪物に飛びかかり、しがみついて思い切り剣を突き立てた。
 狙うのは胸部と腹部の境い目。あの触手が出てくるところが弱点じゃないかという直感に従って、剣の切っ先をねじ込む。

 どくどく――ぐちゃぐちゃ、と、どす黒い肉が暴れる手応えに押し戻されて、剣が入っていかない。
 その抵抗に逆らって、私は切っ先を押し込んでいった。

「……っ!!」

 境い目から二本の触手が勢いよく伸びる。
 そのうちの一本が私の脇腹を貫いて、激痛とともに口の中に血の味が広がった。

 でも、離さない。
 力の限り剣を刺し込んでいく私に向けて、魔物が大鎌を振り上げた。
 あの鎌に斬られたらお仕舞い。
 ――だけど、逃げない。
 この化け物を仕留めるんだ。今、ここで。

「倒れろぉぉ――!」

 大鎌が私の体を真っ二つにしようと、振り下ろされる。
 その直前――。
 ずぶん、という手応えとともに、剣が根本まで魔物の体に刺し込まれた。

「――――!!」

 魔物が声なき絶叫を上げる。
 苦しむように、がむしゃらに暴れ回る魔物の鎌が私の体をかすめて髪の毛を数本散らす。
 けど、それもやがて収まり、魔物の体は動かなくなる。

「や、やった……」

 魔物がぴくりともしなくなったことを確認してから、私はおそるおそる剣を引き抜く。
 すると魔物の体は、ぼふん、と黒い霧となって弾け、跡形もなく消滅してしまった。

「消え……た……?」

 黒い霧が晴れ、周囲に何もいなくなったことを確認すると、私は地面にどさりと仰向けになって倒れる。

「ハ、ハハ……」

 私の口から、乾いた笑い声が漏れる。
 自分の体を見ると、傷だらけのボロボロすぎてなんだか余計におかしかった。

 ああ、倒した。ついにあの化け物を、倒したんだ。

「ぃ……やぁぁったぁ――!!」

 私はやり遂げた笑みを浮かべると、仰向けのまま空に向かって、ぐっと拳を突き上げた。
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