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作者: わやこな
15.203号室、ちょっとした発明品ときっかけ 1

「昨日は、ごめんね」

 朝のゴミ出しをしているところ、ひょっこりと現われたアリヤが言った。
 謝られる意味がわからず、きょとんとしてしまったが、マロスたちのことかと思って首を横に振る。

「ううん。ご馳走してくれて、ありがとう。美味しかったってお伝えくださいな」
「管理人さんには劣るけど、それならよかった。んー……調子乗りそうだけど、わかった。伝えとく」
「ところで、今日はお出掛け?」
「そう。ちょっとだけ、ね」

 めいっぱいのお洒落な格好、というわけではない。アリヤの私服は大体シンプルで、柄物やアクセサリーは少ない。
 今日の格好だって、襟付きシャツにクロップドパンツにスニーカーといったものだ。ただ、姿形が優れていればそれだけで引き立つものなのだなと思えてしまう。
 小さめの黒いショルダーバッグをかけていることから、出かけるのだと判断してみたが正解だったようだ。
 アリヤは言葉を濁して微笑む。

「じゃ、人を待たせてるから。またね、皓子ちゃん」
「うん、またね。いってらっしゃい」

 見送りの言葉を伝えれば、やや驚いた顔をしてからアリヤはくすぐったそうに表情をほころばせた。

「いってきます」

(おっと……? これは、昨日の電話といい待ち合わせの言葉といい、女の人とのデートとみた)

 下世話な予想をたてて、手を振って背中を見送る。
 天気も良いし、暑さがこれから増した夏らしい一日となるだろう。朝の天気予報を思い出しながら、皓子も踵を返した。


 七月に入り、いよいよ夏の盛りに近づいた。
 外だけを見れば、青く光る木々の葉がまぶしく陽光を反射している様は爽やかだ。
 だが、一歩でも出れば湿気と熱気で気が滅入ってしまいそうになるだろう。

(これは、暑くて大変そう)

 自室の窓から外を見て、皓子はぼんやりと感想を抱く。
 そうというのも、暑いとくだをまきながら窓から水茂がやってきたからである。
 カワウソ姿のまま窓を叩いてするりと入り込んできた水茂は、エアコンの効いた皓子の部屋でだらしなく四肢をのばしている。
 万屋荘の部屋にはそれぞれエアコンないしは摩訶不思議な術だとかで、冷暖房を完備している。そのため涼むならば自分の部屋で十分なはずなのだが。
 どうやら水茂は、皓子に聞かせたいことがあって訪れたようだ。
 この部屋でだらだらするより前に聞いた言葉によると、先月行った見合いの結果が出たという。
 相手は、と聞けば、知らんふりでこのようにだらけだしたのだった。
 ただ皓子にはなんとなく予想はできていた。
 なぜなら、水茂の小さな腕に短い笹の葉を象った紐飾りがついている。
 奇妙にふわりと浮いて重力にさからうそれは、そこから風が出ているかのように見えた。おそらく、まんざらでもないのだろう。そうでないと水茂は身につけたりしない。

「のう、こっこ」

 体を転がしてベッドサイドに座る皓子の膝へと水茂が寄ってくる。
 ふんわりとした毛並みがズボンの裾ごしに擦れる。お次は皓子の膝でくつろぐことにしたらしい水茂は、両手に顎を置いて小首をかしげてみせた。

「アリヤに礼との話じゃが。わしとしては、気乗りせぬぞ」

 アリヤへの返礼は、付き合わせたお礼をしなければと、事前に相談していたことだった。
 礼には礼を返してくれる水茂らしからぬ言葉に皓子は首をかしげた。

「どうして?」
「あやつめは彼方此方にふらつくじゃろ? やはりそれが好かぬ。第一、しっかりこっこの傍におらなんだばかりに、こっこがイタチから病をもらってしまったではないか。ゆえに、此度はなしじゃ、なし」
「そっかあ……じゃあ、私だけで用意しようかなあ」
「うむ。わしからは贈りはせぬが、こっこに知恵を貸すくらいはしようぞ。何がよいかの~」

 にんまりと水茂が笑う。カワウソの顔なので丸々とした目がほそまってくふくふと息が漏れたことでわかる。

「大抵の物は手に入っちゃいそうだもんねえ」
「まあ、物には困らんじゃろな。マロスが大げさに加護を授けておるからに」
「でも手作りとかは警戒されるだろうねえ」

 端末に送られてきたデータを見返す。
 諏訪からせっかくまとめたからと送りつけられたのだ。おそらく諏訪だけでなく、忍原とも共同で作ったのだろう。
 そのデータによると、既製品は受け取るけれど、手作りは受け取らないそうだ。過去に怪しい物品が混入されていたこともあったとも書いてある。
 水茂の見合いに付き合わせたときは、アリヤも吉祥の手料理を食べていたが、あれは無理矢理だったのだろうか。嫌々には見えなかったので、大丈夫だったと思いたいところだ。

(モテるって大変なんだな……)

 このデータを見る度に、アリヤの気苦労を思うとほんのり同情心がわいてしまう。
 それならば、穏やかな関係を築ける皓子の力も悪くはないとも思える。意図せず人の心を引き出すのは気が引けるが、それはともかく。

「こっこならば平気じゃろ。作るなら、わしにも作ってたも。甘くて冷たーい菓子がたーんとあると良いのじゃ」
「水茂が食べたいならしょうがない。じゃあ、くず餅でも作ろっか」
「おお! 良いぞ! 清水ならばわしが出そうぞ。たくさん作ってたもれ~」
「ばばちゃんにもあげたいし、ほかのみんなに差し入れもいいかもねえ」

 水茂がささっと膝から飛び降りると皓子の指を掴んで引っ張る。
 引かれるままに立ち上がり、連れだって台所に足を向けた。







 調理はほどなくして終わる。
 もともと大変な行程を労するわけでもない手軽な料理だ。
 だが、間違いなくとびきり美味しくできていると自負がある。
 和食は吉祥の得意料理であるため、ある程度のいろはは皓子に叩き込まれている。
 さらには、甘味系は田ノ島のために飛鳥が極めようと精進しており、それに皓子もつきあっていたことから改良のアドバイスをもらってきた。
 極めつけは、甘露ともいえる神様の水をお裾分けしてもらえることが大きい。
 味見と称して、何個も頬張っている水茂は満足そうだ。神様にも好評ならば問題はないだろう。
 それぞれ小さな容器に入れて取り分ける。家用のものは、冷蔵庫にしまって残りは適当な袋へと積み重ねて入れる。
 念のためと作る途中で、万屋荘の住人たちへ画像付きのメッセージを送ってみたが、反応は上々であった。

(おや?)

 意外だったのは、欲しいと返事をした住民たちのなかにアリヤの返事があったのだ。
 用事という名前のデートが早く終わったのかもしれない。となれば、やはり多く作っておいて正解であった。
 荷物を持って皓子は水茂へ声をかけた。

「水茂、みんなに分けに行こうか」
「ほむ。そうしてやるとしよう。此度も、上出来も上出来じゃからの!」

 吉祥は研修会だとかで昼前に出かけていった。ここからやや遠出をした市街地のビルで行うらしい。ついでに昔の女学校仲間とお茶をしてくるんだとか。
 なんだかんだで他者との交流はきちんと続けているので、吉祥はコミュニケーション強者である。
 すばしこく四つ足で駆けていく水茂の後をついて、皓子も玄関から出る。

 すると、突如、爆発音が響いた。

 地響きをともない、万屋荘が震動する。
 空気までびりびりと揺れ動くような、重く広がった振動が体に伝ってきた。
 とっさに103号室を見てみるが、外れのようだ。煙もなにもない。
 ついで、勢いよく101号室のドアが開いた。

「っ、あ、皓子ちゃん! 今のなに?」

 息を切らせてアリヤが現れた。うっすらとシャープな輪郭に汗を伝わせている。出かけていた先から急いで帰ってきたのだろうか。
 皓子を見つけて足早に近寄ると、水茂がその前に立ち両手を突っぱねてみせる。

「これ、アリヤ。わしに挨拶をせぬか」
「……ああ。こんにちは、水茂さま」
「ぬ! ぞんざいじゃぞ! こんにちは!」

 しゃがんでくすぐろうとするアリヤの指先を避けて、じたばたと水茂は足を苛立たしげに踏んだ。

「水茂、音の場所はわかる?」
「うーぬ、しばし待つのじゃ」

 小さな耳をぴくりと動かせた水茂が、やがて上の方を指さした。廊下のこの位置からだと、二階の203と202号室前あたりだろう。

(佐藤原さんの実験とかかな?)

 皓子と同じ事を思ったのか、アリヤも「佐藤原さん?」と口にしている。それに、ん、と頷いた水茂は皓子の足に触れて言った。

「結界や術はちっくと揺らいだが問題ない。見に行っても大事ないじゃろ」
「ありがとう、水茂」
「うむ! こっちじゃ、ついてまいれ!」

 えへん、と胸を張った水茂が童女の姿に変化する。そのまま軽やかに階段へと駆けていく。追って、皓子たちも二階へと段を踏んで上がる。

 万屋荘の二階廊下。
 水茂が指したとおりの場所、佐藤原と飛鳥の部屋の間あたりにアタッシュケースを床に置いて開いている佐藤原が居た。
 あいかわらず底が見えない謎のケースには、直方体が浮かんでいた。
 例えるなら、ジュラルミン製の小さな箱で、四隅に細工が施された白銀色はぴかぴかと輝いている。
 それを前にした佐藤原の手には工具が握られており、皓子たちが寄るとゆっくりと顔をこちらへと向けた。

「佐藤原さん、こんにちは。どうしたんですか」
「織本皓子さん。こんにちは、少々道具の試運転をしていまして」
「それですか?」

 浮いている小さな箱を指させば、佐藤原はうなずいて肯定した。

「ええ。飛鳥翔さんからいただいた稀少鉱石より生成しました。わが――星の技術をかけあわせたことで、融合時に思わぬ反動が出ましたね」
「ああ……」

 先日帰ってきた飛鳥からの土産は、貴金属だった。吉祥に一番に渡していた鉱石から抽出したものらしい。加工も錬金もある程度できる器用な飛鳥からキーホルダーにして渡されている。お守りがわりになるらしい。
 そして、佐藤原は飛鳥から異世界や異星の素材をもらい、技術開発を趣味と実益を兼ねて行っている。今回もまた試みて出来た物体があの箱というわけだ。

「それ、なんなんです?」

 アリヤが聞けば、佐藤原は浮かぶ箱を両手で掴んで検分しはじめた。表返し裏返し回した後に、表情の薄い顔のままで淡々と説明をする。

「こちら、原料の鉱石には心身の波長を感知することができる力があるようで。それを生かすよう弄ってみたところ、肉体のわずかな電気信号を感知することが可能な器具ができました」
「つまり、なんじゃ?」
「水茂さま、どうぞ」

 すっと箱を差し出した佐藤原から受け取った水茂が首を傾げている。

「水茂さま、私の秘蔵していた飛鳥翔さんからの酒を飲みましたか」
「……覚えがないのじゃ」

 あからさまに視線をうろつかせた水茂が言う。
 途端、箱から「ブーッ」と勢いの良い機械音がした。クイズの外れSEのような音に、水茂は目を丸くさせた。

「とまあ、大まかに言いますと嘘発見器です。ある程度離れていても使えますし精度は折り紙付きですが、我が星には現段階だと必要はなさそうです。改良の余地ありでしょうか」
「ほ、ほう! なかなかに面白きものじゃの!」

 全力でノって誤魔化すつもりらしい。水茂はわざとらしくはしゃいで箱を両手で抱え上げた。

「えーっと、えーっとな……こっこ!」
「なあに」
「わしのこと、好きか?」
「うん」

 数秒待って何も鳴らないことに、水茂がぱあっと表情を輝かせる。

「わしもじゃぞ!」

 そしてまた鳴らないのを確認して、渾身のどや顔を見せてきた。可愛らしいものだと皓子は笑って「そうだねえ」と相槌を打つ。

「ふふん、アリヤ。うらやましかろう。わしとこっこはズッ友というやつじゃからな!」
「いや、別にそれはうらやましくないけど」
「む? 鳴らぬ……なんじゃ、おぬし。友だちがいの無いやつじゃな。こっこと仲良しなわしをうらやましくないとは」
「はは、まさか。そう思うわけ」

 困った風に笑うアリヤを遮って、音が鳴った。
 思わずアリヤを見る。アリヤは固まって、真顔だ。

「ほーん。ふーん。口先では誤魔化せぬとは便利なものよな、佐藤原」
「顔に出ずとも、思考に出さずとも機微を感じ取れるのは思わぬ収穫ですね」

 愉悦を隠さずに言う水茂に、どこからともなく取り出した大きなタブレット型の端末にメモをしながら佐藤原がコメントしている。は、と我に返ったアリヤはやや動揺をあらわにした。

「あ、ちが。いや、皓子ちゃんが嫌いというわけではなくて、そういうつもりはないから」

 言い終えた瞬間に、また鳴った。
 言葉を詰まらせたアリヤがさらに困った顔をした。まじまじと見れば、焦りからか耳のあたりが赤くなっている。

(些細な気持ちでも反応する……ということなら、今動揺してるアリヤくんに反応してしまうってことかな?)

 だというなら、皓子は勘違いはしない。好いた腫れたというより、単純な好悪だろうと判断して、安心させるように大丈夫だとアリヤの目を見る。

(うん。人として好かれているんだと思えば、嬉しいもん。仲良くなれたのなら、何より)

 そう思えば、喜ばしさに表情が緩む。自然と口元をほころばせて微笑んだ。

「万屋荘の住人として仲良くしてくれるってことだよね。ありがとう、アリヤ君。好きでいてくれて。私も好きだな」
「えっ」
「え?」
「あっ、あー……うん、こちらこそ。俺も……」

 微妙な間があいてしまった。
 音は鳴らない。しん、とした空間が変に気まずい。

「え、えと、なんか、照れるねえ」
「そうだね」

 沈黙にじわじわ恥ずかしくなってきた。
 頬が熱くなって、思わずはにかむ。笑い混じりに言えば、アリヤもまた眉を下げて目尻がほんのり赤く染まった顔をしたまま言葉少なに返した。
 変に意識してしまいそうだ。
 アリヤに熱を上げる人々の気持ちはこんな気持ちになるのだろうか。皓子はふと思って、また気まずさを誤魔化すために笑ってみる。

「こっこー! 照れるならわしにも照れてたも!」

 タックルしてきた水茂に救われた心地がした。いつの間にか箱を佐藤原に渡した水茂がぎゅうぎゅうと抱きついてくる。小さな体に腕を回して抱き留める。

「ふむ、さらなる実験のためにも飛鳥翔さんからさらに材料の普請をしましょうか」

 脇では佐藤原が一人で勝手に結論を出して、マイペースに歩いて隣の部屋のチャイムを鳴らす。
 アリヤはしばらくぼうっとしていたが、やがてほうっと息を吐いて一言断ったあとで階下へと降りていった。どこか心ここにあらずというか、まだ困惑が残る様子で静かに降りていく姿を見送る。
 じわじわと肌を刺す日差しと蝉の声に、ゆだった心地はしばらく治まりそうにないなと皓子は独りごちた。
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