16.203号室、ちょっとした発明品ときっかけ 2
『──ということがあったんだ』
幼馴染二人に、皓子がいつもの調子で雑談から出来事の報告をしていると、双方からなんとも言えない反応が返ってきた。
呆れるともとれるような、何か理解したかのような、そんな返事だ。
『こっこは、そのままでいいぞ』
『馬鹿言わないで。こっこ、すこしは自覚しなさいよ』
正反対のことを送ってきた諏訪と忍原に、皓子は返事をする。
最終的に諏訪が『俺が様子見してくるわ』と軽い調子で言って本日のメッセージのやり取りは終了した。
諏訪の様子見とは、どういうつもりなのか問いただせば良かっただろうか。だが、そこまで法に触れるだとか危険なことはしないはず。
諏訪の過去の行動を思い返して、皓子はしばし迷ったあとに、ほどほどに、と追加でメッセージを送っておいた。
(アリヤくんを様子見するつもりかなあ……)
珍しく照れた表情だったアリヤを思い出してしまった。
(あんまり、追い詰めたりしないといいけれど。アリヤくん優しいから、気を遣わせちゃうだろうな)
今にして思えば、おそらく皓子に気遣ってはっきりと言わなかったのだと思えた。
人前で悪し様に言う姿を見たことがなかった。一対一だとはっきりと言ってくれはするが、言葉選びは柔らかく傷つける意図はいつだってない。あの場でも言葉を慌てて探している風だった。
(まあ、管理人の身内相手に変なことも言えないもんねえ)
ちょっとだけがっかりした心地がした。なんとはなしに胸に手を当てて、皓子はほう、と息を吐いた。
***
一方。
アリヤは困惑していた。
あの場から離れて、家の自室へと戻り、しばらくして襲いかかってきた猛烈な照れが頭を占領して離れない。
(……え? まて、まてまてまて)
思考できる言葉は出てこず、意味の無い制止ばかりが出てくる。
(は? はあ? 俺は、俺が?)
片手で顔を押さえて力なくベッドに座る。深呼吸をして、息を整える。
わからない。
あんな簡単な二択しか答えを出さない装置に、意識を乱されるのがわからない。
(なんで音が鳴った? なんで、俺)
うらやましくない、と言って一回。
つもりがない、と言ったところで一回。
あれじゃあまるで、無意識に惹かれているとでもいうかのような。
好きでいてくれて、の返事では鳴らなかった。言葉が続かずに途切れた先を否定されなかった。それは。
そこまで考えて、息を吸ってベッドへと倒れ込んだ。
(そんなんじゃない……はず)
考えれば考えるほどドツボに始まりそうでやめたいのに、やめられない。
見合ったときの瞳の揺れ、頬の赤さ、口の動き。アリヤに向けられた柔らかな表情。
そこまで見てなかっただろうと自問しても勝手に再生されていく。
ぐう、と唸ってうつぶせる。
吐いた息が熱っぽく、まるで風邪の初期症状のようだとげんなりする。だからだろうか。ポケットに入れたままの携帯端末が震え、着信を告げたことに安堵してしまった。
だらけた姿勢のままで取り出して画面を確認する。
(……なんだ)
なぜかがっかりしてしまった。
昨夜、しつこく連絡をしてきた相手でからだった。交流用の携帯端末に着信があった時点で、アリヤはなんとなくわかっていた。
なのに、何を期待していたのかと残念に思う気持ちを追い払う。
『用事は終わった?』
(あー……埋め合わせするって言ったっけ)
今度遊べると言ったでしょう。そう何度もかけられて、これっきりだからと言いつのられて朝に出かけた。ろくなことにならないとは思いながらも、自分がした始末だったので仕方なく。
(でも俺、悪くなくないか? 困ってたとこに声かけただけだし)
他校の女子生徒で、一つ上だった、はずだ。あまり興味が無くて覚えていない。
わりと美人だったが、そのせいでナンパされて迷惑そうだったから気まぐれに声をかけて避難させてあげた。それだけだった。
向こうがアリヤを見てから目の色を変えて迫ってきたあたりまではよくあることで。振り切るのが面倒になって、ごく私的ではないほうの連絡先を交換した結果が今朝のこと。
気乗りしない遊びに出て、適当に軽食を摂っていた矢先に、万屋荘のグループトークから楽しそうな皆の会話に心惹かれて帰宅を選んだのだった。
目の前の、店の軽食よりもきらきらとして美味しそうだった。
何より、ずっと気楽だろうと羨ましくなった。だから、「ごめんね、急な用事が入ったみたいだ。また埋め合わせするから」とできる限り優しく言って足早に戻った。
(言わなきゃ良かった)
なんて返事をしようか迷って、画面を戻す。アプリのメニューには万屋荘のグループもある。指先をすべらせていけば個人名がずらりと並ぶ。
なんとなく整理をしながら、織本皓子、の名前で指を止めた。
ひゅ、と息を飲みそうになって、それがまた何故かわからなくて指先で画面を飛ばす。
また着信が鳴る。
『今日が駄目なら明日とかどう? アリヤに会いたいな』
(……ま、いいか)
今のぐちゃぐちゃとした気持ちを紛らわせるには、いいかもしれない。
それに、こういうタイプは穏便にお別れをしないと後々つきまとうタイプになりかねない。アリヤのこれまでの経験則から学習したことだ。早めにはっきり別れたほうがお互いのためだ。
午後にお茶でもと適当な文句で送ればすぐにスタンプ付きで承諾が来た。
(もっと違うところに目を向ければマシなやつもいるだろうに)
はあ、と出た溜息に気が重くなりながら、体を起こす。服もそのままで、放り投げていた肩掛け鞄をとって、再び転移門へと足を向けた。
じりじりとした日差しがアスファルトを熱している。
上から下から焼かれる心地だが、さらに横からも熱視線がくれば嫌にもなる。腕を取られる前に、相手の背中へ手をそっと当てて押す。
アリヤは努めて笑顔を作ったまま、あらかじめピックアップしていた喫茶店に入る。女子受けしそうな、映えるデザートとラテアートがあってとチェックを入れていて正解だった。
甘いケーキと苦いコーヒー。味は悪くないし、美味しいほうだと思う。
(……あ。皓子ちゃんのやつ、もらい損ねたな)
向かいに座って、此方を気にしながら彼女が食べるものを見て、思い出した。そう考えれば、ついつい比較するように相手を見てしまう。
(俺なんか気にせずに、美味しいものを食べたらいいのに。ぬるくなると美味しくなさそう)
表情には出さずに、アリヤはすまし顔でカップを口につける。
口の中に広がる苦さが、居心地の悪さを表すかのようだった。
なるべく和やかになるように会話をして、会計をして。店を後にするときにはやっと人心地ついた気分さえした。
ここまで疲れるものだっただろうか。
「ねえ、アリヤ。次はどこ行く?」
この後なんて、考えてもいなかった。
アリヤは咄嗟に出かけた声を飲み込んで、にこりと唇の端を上げてみせる。
期待をもたせたのかもしれない。赤らんだ目元で見上げられ、ばっちりとメイクを施した長い睫毛を震わせて、艶めいた唇が寄せられる。寸でのところで指先で止める。
可愛らしいものだと思う。
一生懸命、積極的に好意を伝えようとしてくれる。だけど、それはアリヤが求めたいものではない。
それに、先ほどからどうしても頭を離れないのだ。
(……いや、楽だし、面白いから。それだけでしょ)
ぼうっとして相手を見ながら、また比較をする。
皓子の見目は、きつめの美貌を持っていただろう吉祥と比べると素朴で、派手さはない。化粧っ気もあまりないし、色気より食い気のタイプだ。
ただ、不器量というわけでもない。むしろ整っているほうだとアリヤは思う。
言うなれば、手に届くくらいの、ちょうどいい感じの女の子。
肩口で切りそろえた黒髪はふんわりとした内向きの毛先。黒々とした丸い目と小鼻に小さめの口が、愛嬌があって可愛らしい。祖母譲りか、肌はやや色白の象牙色で綺麗だった。
「アリヤ? どうしたの?」
情欲をにじませた、女の声。
一度二度、目を瞬かせる。前に居るのは皓子ではない。今時の綺麗に化粧をした女の子だ。
「あ、ごめんね。ぼんやりしてた」
「もう、そんなに見られるなら、もっとお洒落すればよかった」
(お洒落……)
相手を見れば、ブランドものの鞄に靴、服と揃えている。
アリヤに寄り添うことで周囲からくる視線に、彼女が得意げに唇を曲げるのを見つけてしまった。そこにあるものは、まぎれもなく優越感だった。
恋愛感情より先にくる、所有欲。
なんだ、とアリヤはぼやいた。
(ブランド品か。俺は)
そういうつもりだったなら、遠慮は要らない。好意をもっていたとしても、他者へ優越感を示すために振りかざすというのなら、なおさら。
こじれる前に、さっさと最後通牒を告げようと口を開く。
「今日で、終わりにしよっか」
「え?」
寄る体を離して、掴もうとする手を優しくはがす。
「なんで? 私、あなたのこと」
「気持ちは嬉しいけど、応えられない」
最初に言った通りだろ。
いつもなら続ける言葉を飲んで、違う言葉が飛び出した。
「続けるのは、きっとしんどくなるよ。俺も、君も」
「そんなことないわよ。ね、これからも今日みたい遊ぶだけでいいの。アリヤ」
「俺が無理だ。ごめん」
さっと相手の顔色が変わる。
「何が無理なの? 顔? 体? それともお金?」
「そういうのじゃなくて」
「特別な相手を作らないってこと、知っているわ。それなら、どうして私だけ」
「ごめんね、君だけじゃない」
「だけじゃないって、何よ」
潤んだ瞳がアリヤを見ている。きつく眦を上げて、わなないた手のひらが握りしめられていた。
「他の子とは遊んでるんでしょ」
「……それは」
ふと思う。
遊べるのだろうか。今日みたいに、相手を比較してしまわないだろうか。今でさえちらちらと思考の端に皓子の姿がよぎるのに。
目の前の女の子があの子だったら、こうしたかもだとか、ああしたかもだとか、考えては無理に追いやるというのに。
「なによ、それ」
(殴られるかなあ)
どうしてか、うまく口が回らなくて、不器用な言い回ししかできなかった。
もっと褒めそやして、その気にさせて、こんな顔をさせずに円満に別れることだってできたはずなのに。
じ、と目線を合わせれば、振り上げられた手をかざしかけて、おろされた。
「……っ最悪、さよなら」
「うん。さよなら」
踵を返して足早に帰っていく後ろ姿を見送る。
(……ほんと、見る目無い子だよな)
容姿に目が眩んで、舞い上がって、アリヤに言い寄って。彼女の努力を余所へ向ければ、もっといい相手はいるだろう。
どっと疲れた気持ちになりながら軽く手を振る。周囲から向けられる注目や秋波をさておいて、アリヤはさっさとその場を離れることにした。
帰ってからも、自室でぼうっとする気にもなれずに今度は万屋荘から出かけて田舎道を走る。
軽いランニングで頭が少しでも整理できればという考えもあった。適当な運動着に着替えて夕暮れのあぜ道を走っていく。
都会の街並みとは違う田園風景を抜けていけば、この地区唯一といってもいいコンビニがある。
ちょうどよく万屋荘との距離も空いており、中間の折り返しの目印にしている。軽い足取りで地面を蹴ってコンビニの広い駐車場から反転して戻る。
アリヤの他にも走っている人がいるのか、途中から足音が聞こえた。やがてそれは後ろから隣にくると足並みを揃えるように並んだ。
広いあぜ道を通る車もなければ、人通りが多いわけでもない。
左隣にぴたりと歩幅を合わせて走る人物を横目で見る。
年は同じくらい。アリヤより少し低い背丈の中肉中背。
顔は夕暮れのせいであまりはっきりと見えないが、凡庸な顔立ちをしている。しかし、その男はアリヤの方を見て、気さくに挨拶をしてきた。
「よっ、こんにちは」
「……こんにちは」
息も切らさず走る男は、愛想よく話を振ってくる。
「このあたり走りやすいよなあ」
「はあ」
「俺、諏訪木立。こっこの幼馴染」
「こっこ?」
アリヤが反応したことに、さらににこやかに言う諏訪が「そーそー。織本皓子の」と肯定する。
「こっこから聞いてんだ、お前のこと。優しい同い年のやたら顔が良い奴ってさ」
「ふーん、そう」
「喫茶店で顔を見た以来だけど、ずいぶん仲良くなったみたいじゃん」
「だったら、なに」
なれなれしさに眉をひそめる。だがおどけた風に諏訪が続ける。
「いやあ、昔っからの幼馴染として、お礼でもと思ってさ。こっこ、しっかりしているけど抜けてるところも結構あるじゃん」
(言われなくても、知っているし、なんでこいつから礼を言われる必要があるんだ?)
無言で返せば、意味深に笑われた。
「ま、そういうところがかわいーんだよなあ」
「……まあ、それは」
「だよなあ。俺と福もそういうとこ好きなんだ」
「福って、あのとき居た子?」
「そ。おんなじ幼馴染で俺の彼女」
ピースサインをした諏訪は自慢深げだ。そして口元に手の甲を添えて密やかに言う。
「めっちゃ胸がデカい」
(何言ってんだこいつ)
「ちなみにこっこは尻の形がめちゃくちゃいい」
「っぐ」
思わずアリヤの足軸がぶれた。
「は、なに言って」
「写真あるけど見る? 去年の海行ったときのやつ」
アリヤは勢いよく諏訪を見る。にいっと笑みを浮かべる諏訪が携帯端末を片手に振ってみせる。
こちらを見透かしたような視線にひるんで、アリヤは顔の向きを戻した。
「いる? 御束アリヤくん」
アリヤの視界の端でひらりひらりと携帯画面の光が見える。象牙色の肌が見えて、むせそうになって慌てて息を整える。
(皓子ちゃん、海行くんだ……海、形が分かる、水着か? 水着、皓子ちゃんの水着)
「……ん」
アリヤは自分に正直になった。
手探りで端末を取り出して、メッセージアプリを起動して諏訪に突きつける。すぐに着信音が鳴った。
「御束って、結構、わかりやすいよな」
「それ、初めて言われた」
「こっこと仲良くするなら、これからも会うかもな。気軽に連絡してくれていいぜ。俺こっちだから、じゃあなー」
最後まで気安い態度で話していった諏訪が離れていく。走る足を緩めて、立ち止まる。
次第に暗くなった辺りを、間隔の空いた外灯がぽつりぽつりと照らしている。その下で端末の通知画面を開いて確認する。
「……かわいい」
走った後のせいだけでない動悸がする。気が逸る。
はあ、と灯った熱を吐き出して、端末画面を閉じてポケットにしまった。
すこしでも落ち着かせようと深く息を吸って吐く。
けれども、くすぶり燃えた感情は、ちっとも収まる気配を見せなかった。
ゆるやかに育まれたもの、それを気づかされた。無視をしようにも、取り返しがつかないほどだと突きつけられた気さえする。
「はあ……まじかあ」
自覚しただけで、これほどまでに見えるものがかわるのだろうか。
戻る先。万屋荘の方面。
星が見えはじめる夜空が、景色が、アリヤの目には一層輝いて見えた。