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作者: わやこな
16.迎え盆 3

 なんと言おうか迷って、皓子は軽く頭を下げた。
 ふふ、と泣き声混じりに笑って見せたひかりは、まだ言葉もなく立つ大門へと視線を向けた。見れば、大門は静かに涙を流していた。

「大門さん」
「ひかり、すまない……すまない」
「私は、あなたにガッカリしています。お義父さんの言葉を借りるなら、愛想もほとほと」
「ひかり!」

 大門が情けなさを隠しもせず、地面に膝と手のひらをついて頭を下げた。土下座だ。
 怪我をしているギプスも煩わしいと全力の土下座を披露する父に、皓子はぎょっとしてしまった。

「頼む……君に言われても仕方ない。仕方ないが、聞きたくない……僕を見捨てないでくれ。頼む、すまない、すまない」

 修羅場である。
 両親の修羅場に、居たたまれなくなって周囲をうかがってしまう。
 世流は疲れた様子のスーリを抱き上げて、ノルハーンと気まずげに会釈してくれた。田ノ嶋たちは軽く手を振って大丈夫とのハンドサインが来た。唯一佐藤原はマイペースに何やら計測している。水茂は気遣うように皓子の傍に来て、ちょいちょいとカワウソ姿で皓子の足に触れて寄り添ってくれた。持つべきは優しい理解者たちである。

「お義母さん、大門さんとお話してもよいかしら」
「アタシに許可はいらないよ。アタシの旦那と一緒に存分に躾なおしとくれ」
「言われんでもしとくぞ。おい、大門、座れ」

 しめ縄で仕切られた入り口を境界に三人が座って説教が始まった。
 それを背に、吉祥は周囲の住民たちに向かって声を上げた。パチン、と吉祥の指先が音を鳴らす。

「協力ご苦労だったね。各自、部屋に礼を運んでいるから、確認するように。今日はこれでお開きとする。戸はきっちり閉めて、防犯対策をして寝るんだよ」

 真っ先に田ノ嶋が「ヤッター! 行くわよ飛鳥くん!」と声を上げて、飛鳥を引っ張った。幽霊関係が怖いという理由もあるのだろう。飛鳥はちらっと皓子を見たが、グッドサインで健闘を祈っておけば、何度も頷いて引っ張られていった。
 世流一家も軽く挨拶をしてから引き上げていく。佐藤原も意気揚々とスーツケース片手に戻っていった。これから研究でもするのかもしれない。
 水茂は部屋に行きたそうにしていたが皓子を心配してちらちらと部屋と皓子を見比べている。

「水茂、ありがとう。大丈夫だよ。ばばちゃんもいるから。何かあったら、来てくれるでしょう?」
「ほ、ほむ! こっこがそう言うならしょうがないのじゃ! 礼とやらを見てくるぞ!」

 ぱあっと嬉しそうに行った水茂は、一度ぎゅっと抱きついてから跳ねるように201号室へと昇っていった。

「皓子、アンタはこっちだよ」

 そう言われて指先で示されたのは、大門たちのほうだ。
 やはり行くのか。
 顎でしゃくって示す吉祥に、気後れしながらも近づく。吉祥が指示を出す間もちょいちょいと母と祖父による説教が漏れ聞こえており、近づきづらいのだ。
 親の心構えから始まり、これまでしたことや生活態度、はてはどう知ったのかログハウスで皓子に言った言葉について事細かに指摘されている。
 いかにも厳格な見目の正道はともかく、それを言うのは柔らかな雰囲気のひかりであった。正道は追随するように時折ボディーブローのようにえぐる言葉を大門に言っていた。
 美貌も台無しにして、ぼろぼろと泣いている大門をおかまいなしで言いつのるひかりは、皓子の思っているよりも強い性格をしていたようだ。
 皓子が近づけば、大門は勢いよく立ち上がり皓子に縋った。

「う、うう、皓子……皓子、僕は、僕が悪かった。すまなかった」

 先ほどまで延々とひかりたちに対して謝るループをしていたが、今度は皓子らしい。大の大人が全力で泣き縋る様に動揺して、途方にくれてしまう。

「大門さん! 娘に甘えてどうするんですか! 誠心誠意、申し訳ないと思いなさい! この子にしたことは、なくならないし、取り返せることじゃあないんですよ!」
「ごめん、ごめんよ、皓子……!」

(ど、どうしたら)

 おろおろと所在なく手を動かす。吉祥は冷めた目で大門を見て、やがて他愛もない会話を正道としている。地獄のトレンドとか今する話ではない。

「それに、娘の邪魔をするなんて、どういうつもりですか! 私にしたことを忘れたとは言わせませんよ! 先輩にも迷惑かけて!」

 うなじのあたりでまとめた髪を揺らしながら、ひかりの叱責は続く。大門はひたすら皓子に唸りながら謝っている。
 まるで大きな子どものようだ。
 父親と思うには頼りがなく、だが、完璧に情が消せるわけでもない。こうして皓子に縋って泣かれると、なんとはなしに親子喧嘩をする気も怒らない。これで怒ってしまうと、皓子の何かがすり減る気がしたのだ。

「あのう、私のことはもういいので……」

 皓子が声を上げれば、ぴたりと口を止めたひかりは申し訳なさそうに表情を動かした。

「もっと私が言ってやったら、あなたの心は晴れると思うのだけど」
「あっ、そういう……いえ、いいんで……あ、いや、いいの」

 敬語で話そうとしたら、うるうると瞳を潤ませたので慌てて直す。

「それに、もともと何もない関係だったから、始まってもいない親子だったから」

 言葉を探す。
 そう、生まれて、預けられて、何一つ築いてこなかった親子関係だ。だから、こうしなかったああしなかったは今更だった。

「やり直すことはできないけれど、これからすこしずつ積み上げて……それで、構わないの」
「でも、あなたに、皓子にちゃんとした家庭をあげられなかったのよ。皓子、あなたは私にも何か言いたいことがないの?」

 ひかりに聞かれて、泣きながら大門も皓子を見上げてくる。

(言いたいこと……言いたいこと、あるかなあ)

 ぼんやりと考える。
 不幸せだったとか、どうしてとか、不満はあった。けれど、なじる言葉は不思議と出てこない。
 それも、吉祥が皓子を守り育ててくれたからだろう。環境に恵まれたのだ。理解してくれる友だちもいて、楽しくて頼りがいのある家族みたいな住民と暮らしている。

 ――頼りになる保護者に安全な家。何より変わった人たちと面白おかしく過ごすことができる環境。恵まれてるし、幸せじゃない?

 アリヤの家庭を見て、幸せでいいなと言った皓子に対して、それなら皓子もだろうと言われた。その言葉を思い出す。

「ううん。私、幸せだから。十分」

 自然に笑えた。
 それを向ければ、ひかりは申し訳なさそうな表情を改めて、まぶしそうに皓子を見た。指先を握って、ほ、と息を吐いた。

「そう……よかったあ」

 そう言ってぽろりと涙をこぼした。

「うん。私は、大丈夫。みんなのおかげ」

 うなずいた皓子に、大門がまた力なく「すまない」と言った。

「現実を見たようだね」
「夢見がちなところは変わらんなあ」

 吉祥と正道がずばっと言うと、大門はうなだれたままうなずいた。よろよろと立ち上がる大門が、皓子を抱きしめる。

「また、ここに会いに来るのは構わないだろうか。今更だが、お前の暮らしぶりを見ていたいんだ」
「……うん、万屋荘に遊びに来るなら。それなら、歓迎するよ、お父さん」
「すまない。ありがとう、皓子」

 ぐすっと鼻をすする音がする。
 怜悧な美貌とは裏腹に、どうしようもなく幼くて子どものようだ。そっと抱きしめ返すと、さらに強く抱きしめてから大門は皓子を離した。

「あともう一つ、見るべき現実が来るよ、大門。時間は、足りるかねえ」

 吉祥の言葉に首を傾げる。
 だがその疑問もすぐ解けた。時間とは、別れの時間だ。
 正道とひかりの姿が少しずつ少しずつ薄れはじめたのだった。

「花の命を代価にしたから、そう長くは持たないのさ」

 大門がまた何かを言おうとして、口をつぐんだ。おそらく、行かないで欲しいと言いたかったのだろう。だが、言うより先に消えゆく二人に睨まれたのだ。
 そして、見るべき現実はというと、これもすぐに訪れた。
 裏庭に面する万屋荘の壁にある窓。その一階のある窓が開いて、勢いよく一人飛び出してきたのだ。
 息を切って、携帯端末片手に窓枠を飛び越えて此方へと飛ぶように駆けてきたのはアリヤだった。

「皓子ちゃんっ」

 駆けて、横に居る大門を見てさらに大股で寄ってきたアリヤは、怪しげな儀式会場とその中央にたたずむ二人の燐光を放つ人物を見て、説明を求める声を上げた。

「え、何。何この状況」

 さりげなく大門から離して皓子の手を引くのに苦笑しつつ、皓子は送ったメッセージのせいだと申し訳なく思った。

「えっと、迎え盆の儀式、的な。そんな感じのやつ、かなあ。あっ、あのねアリヤくん、おじいちゃんとお母さんです」
「邪教の儀式じゃなく? ええ……? あ、どうも御束アリヤです」

 本当に大丈夫なのかと懐疑的な視線に、自信なさそうに返すしか皓子には出来ない。ひとまず紹介をすれば、警戒しつつもアリヤが挨拶をした。

「皓子、この子は?」
「娘の敵だ」
「大門、お前にゃ聞いとらんわ」

 正道がたずねるとすかさず大門が答える。

(アリヤくんのこと、なんて説明しよう)

 ちら、と手を繋ぐアリヤを見る。まだ少し息が跳ねているのは、よほど急いできたのだろうか。しっとりと汗ばんだ手のひらが、皓子の手を大事に握り込んでいる。

(心配してきてくれたんだよね……きっと。うぬぼれじゃなければ、たぶん)

 その優しさが、思っての行動が嬉しいと思えてしまった。

「皓子、聞かせて」

 ひかりが、皓子を促した。
 会ったのは初めてで、言葉を交わしたのはすこしだけ。それでも、ほっと息をつけるのは、どうしてだろうか。
 母の成せる業なのか、それともそういう体質でもあるのか。
 不思議な魅力をもつひかりの言葉に誘われるがまま、皓子はアリヤを見てそれから前を見た。

「ばばちゃんと知り合いの元天使さんと、お母さんと大学が一緒だった先輩の人との息子さんのアリヤくんで……」

 言葉を句切る。
 じ、と隣のアリヤに視線を向ける。
 この混迷した状況を見て、とりあえずと愛想笑いの仮面を浮かべていたアリヤは、皓子の視線に気づくと、「どうしたの」と安心させるように微笑んだ。ふわりと花開くみたいに美しい笑顔は、ひたすらに優しい。
 それを見れば、自然と口から正直に胸の内を吐き出せた。
 言葉に出すことは緊張するが、きっと裏切られないと希望を持ってしまった。自覚をしてしまった。
 だから、思った以上にあっけなく、言えたのだ。


「アリヤくんは、私の好きな人です」


 瞬間。
 アリヤの顔が薄暗いなかでもわかるほどに一気に色づいた。そこまでの動揺を引き出せると思わなくて、こちらまで赤くなる。
 同時に、弾けた音が響いた。
 それは吉祥の手元からだ。
 右手の先に見えた小さな巻物が燃えている。あっという間に青い炎を上げて巻物を飲み込み跡形もなく消えると、吉祥は忌々しそうに舌打ちをした。

「ああ、契約が消えるときほど、腹立たしいものはないね」

 なんの契約だろうというのは、なんとなく予想がついた。そしてすぐに確信した。
 手を引かれた拍子に体がぶつかったからだ。熱いくらいの体温が接触した肩や腕に伝わってくる。

「さわれる……」

 アリヤの顔は呆然としているが、首元から顔に至るまで真っ赤だ。
 盛大に息を溜めて吐き出して、照れくさそうに「あんま見ないで」と言われた。色めいた空気にどぎまぎとして、うつむいてしまう。こちらも顔から火が出そうだ。
 横から声なき悲鳴が上がった。大門である。

「まあ、そんな年頃にもなるか」
「そう、そうなのね」

 反対に正道とひかりは納得顔だ。特にひかりは、嬉しそうに表情をほころばせている。

「お義母さんの契約もちゃんと守って、娘の心も尊重してくれる子なら、これほど嬉しいことはないわ。大門さん、私は見られないけれど、あなたはちゃんと認めて見てあげてくださいね」
「いやだ……」
「でないと、どんな手を使ってでもあなたを許しませんからね」

 大門の意見を完封して、ひかりは晴れやかに微笑んだ。その姿はすっかり景色と同化し始めている。

「元気で」

 口々に言われた言葉に顔を上げてうなずく。そして、その後には、役目を終えた花束が風化して崩れたまま落ちていた。
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