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作者: 香澄翔
11.劇の舞台裏
 文化祭当日。劇の準備で朝からばたばたとしていたけれど、いよいよ劇も始まろうとしていた。

 体育館のステージの前には沢山の観客がきているのが目に入った。ほとんどがクラスメイトの家族や友達だろうけれど、中には見ず知らずの人もいるかもしれない。そう思うと何だか血がたぎってきた。

 穂花ほのかや他の出演者達も同じくステージの裾野から集まった観客達を見つめている。

「うおおお。やってやるぜ。やってかましてやるぜ」

 人を前にすると燃えてくるのが俺というものだった。

野上のがみ。お願いだから、いつものような余計な事はしないでくれよ」

 隣でクラスメイトの斉藤が眉をよせながらぼそりとつぶやく。

「大丈夫だ、ジャック。さすがに俺もここで冗談かますほどの度胸はない。穂花の晴れ舞台だからな」
「……いや、誰だよジャックって。僕はブリキの木こり役だけど、そんな名前じゃないよ。この間は玄田げんだって呼んでたよね、君」

 ジャック(新名)は眉を寄せてため息をもらしていたが、とりあえずスルーしておく。握りこぶしに親指を立てて突き出しておいた。

「ごまかす時は毎回それだよな。野上は」
「じゃあこうか?」

 握りこぶしから立てた親指を、そのまま下に向ける。

「地獄に落とさないでくれ。つか、君は少しくらい緊張とかしないのか」
「緊張なんて文字は俺の辞書にはないな」

 にこやかに答える俺にジャックは再びため息を漏らす。

「たいへん君らしいけどね」

 ジャック――もう、いいか。そろそろ飽きた――斉藤さいとうは少し落ち着いた様子でブリキを模したの衣装をかぶり始める。

「ま、おかげで少しこっちも緊張がほぐれてきたよ。じゃ、そろそろ行こう」
「おう、そうだな。よし穂花、行こうぜ」

 それから少し離れた場所にいた穂花に声をかける。

 いつもと違う青いワンピースと三つ編みは彼女の雰囲気を変えて、どこか違う世界に紛れ込んでいるかのように感じた。
 手にした藤編みのバスケットの中に犬のぬいぐるみが詰め込まれている。これは犬のトト役の代わりだ。ぬいぐるみ自体も可愛いが、穂花が持つと余計に可愛らしい。穂花の可愛さがさらにパワーアップされて、脳天がえぐられそうだ。

 ただ穂花は俺の声が聞こえていないのか、客席の方を見て幕をぎゅっと握りしめていた。

 その手は少し震えていただろうか。緊張しているのだろう。主役なだけにプレッシャーも俺とは比べものにはならないのかもしれない。
 とりあえず穂花の隣に立つと、その肩を叩く。

 穂花が振り返ると俺が伸ばした指先が穂花の頬に突き刺さっていた。

「おー、引っかかった。今時小学生でもひっかからないぞ、これ」

 うぉぉぉ、頬が柔らかいぞと心の中で思いつつも、揶揄するように声を漏らす。
 ただいたずらに怒るか何かするかと思ったが、穂花はそこには全く反応を見せなかった。

「たかくん……どうしよう、私、こんなに沢山のお客の前でちゃんとやれるかな。失敗しちゃうかも」

 穂花は少し涙目になりつつ、俺の方を不安げにみつめていた。
 ああ、そういえば穂花は昔からあがり症の気があったっけ。普段はしっかりしているのに、こういう時は急に引っ込み思案になってしまう。
 完璧超人にも弱点はあったか、などと思いつつも、穂花の前に握り拳に親指をたててつきだす。

「そん時は、俺がフォローしてやるよ。だから安心して思いきりやってこいよ」
「う、うん。ありがと、たかくん」

 お礼をいいながらもまだ不安そうな穂花に、さらに言葉を重ねていく。

「それに失敗したって別に誰か死ぬわけじゃないからな。さすがの俺も間違ったボタンを押したら人類が滅亡するとかなら緊張しそうだけど、そういう訳じゃないし。穂花もそう思って気楽にいこうぜ」
「たかくんなら、人類滅亡ボタンでもまったく緊張せずに押しそうだよ」

 俺の冗談に少しは気が紛れたのか、ほんの少し笑みを浮かべる。

 まぁ実際俺にはフェルのおかげで時間を巻き戻す事が出来る。三十分限定とは言え、こういうシーンならやり直せるから思い切った行動がとれる。だから少しくらいの事じゃ緊張はしない。
 やり直しが出来るという事は必ずしもいい事ばかりじゃあないし、俺の緊張しない性格は生まれつきのものもあると思うけれど、この力の影響もあるとは思う。

「それに失敗したっていいんだぜ。挑戦することに意味があるのさ。やってみなきゃ出来るかどうかなんてわからないだろ。それで失敗したって仕方ない。だから失敗したことを笑ったりなじったりする奴がいるなら、俺がこうしてやるっ」

 親指を下に向けて落とす。
 穂花を笑うような奴がいたら、俺がどこまでも追いかけて地獄に送ろうと思う。

「地獄に落としちゃだめだよ? ……でも、ありがと。たかくん。少し気が楽になった気がする」

 微かに笑みをうかべて、それから目を開いて上目遣いで俺を見つめていた。
 こうして笑顔を浮かべていると、まるで大きく咲いた花のようで誰もが目を惹かずにはいれられないだろうなと思う。花笑みというのは、まさに穂花の笑顔の事を言うのだろう。暖かな雰囲気と優しい空気を残して俺を魅了せずにはいられない。

 穂花のためなら何でもしてやりたい。深くそう思う。
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