18.くそったれな未来
あれから三日が過ぎた。
うちの文化祭は文化の日に行うから、今日はもう土曜日で学校は休みだ。そして穂花のオーディションの日でもある。
珍しく早起きして、そそくさと準備をして穂花の家に向かおうと思う。オーディションにいく前に励ましてやろうと思った。
スマホをみたら『これからオーディションいってくるね』と、そんなライムが入っていた。慌てて家から飛び出す。
穂花の家はすぐ近所だ。五分も歩けば到着するが、まだ間に合うだろうか。
するとちょうど穂花が家を出るところだったようだ。玄関のところから外にでてきていた。
ブラウンのワンピースの上に白いニット。秋らしい装いが今日も可愛らしい。
それから俺に気がついたようで、少し小首をかしげてこちらを見つめていた。
「あれ、たかくん。どうしたの」
穂花はいつも通りのふんわりとした表情を浮かべて、俺へと微笑みかけてくる。
ああ、こういう姿は本当に可愛いなと思う。
「今日はお前のオーディションだっただろ。だから行く前に激励してやろうと思ってさ」
鼻頭を指でかきながら、柄でも無いことを告げる。
ただせっかく踏み出した穂花の一歩目を最初に応援するのは自分でありたかった。
「ほんと? ありがと。正直、今からだいぶん緊張してる。こんなんで本番大丈夫かなって思う。でもね。でも、たかくんがこの間励ましてくれたから。がんばってみようと思っている。結果が出たら、たかくんにも教えるね」
穂花は言いながら俺の手をとる。
え、と思うものの、俺が何を思うよりも早く、手をとったまま自分の胸のあたりまで手を上げてくる。
「たかくん。私ね。たかくんに本当に感謝しているの。最後の最後でずっと迷っていた。でも、でもね。たかくんのおかげで決心がついたよ。たぶんたかくんが後押ししてくれなかったら、きっと結局今日も行けなかったと思う」
両手で俺の手を包み込むように握りしめる。
緊張しているという穂花よりも俺の方の鼓動が強くなっていく。穂花はたぶんそんな事は気にもしていないだろうけど、心臓がこのまま激しく動いて破裂するんじゃないかとすら思えた。
穂花の体温が伝わってくるけれど、俺の鼓動も聞こえてしまうんじゃないかと不安になる。それでも平気なふりをして、穂花へとにこやかに笑いかけていた。
そんな俺の気持ちには気がついていないのか、穂花はそのまま話を続けている。
「たかくんには言ってなかったけど、今までもね。オーディションには何度も応募していたの。でも書類だけ送って、当日怖くなっていけない。そんな事何回も繰り返してた。でもね。今日は行ってみようと思えた。ダメかもしれないけど、挑戦してみようと思えたの。それというのもぜんぶたかくんのおかげだよ」
穂花は少し頬を上気させて紅をさしていた。声も少しだけうわずっている。
緊張しているのだろう。だけどそれでもやる気に溢れているのだろう。いつもの穂花よりも目を輝かせていた。
穂花を応援したい。穂花のために力になりたい。
強く思う。
「だから応援していてね。がんばってくるから」
手を離して、それから胸元で小さなガッツポーズを見せる。
穂花は少しずつ強くなっているのだろう。だから俺はそれを見守ろうと思う。
ここから駅は近い。ほんの少し歩くだけだ。
「おう。応援しているぜ!」
穂花を見送りながら、大きく手をふる。
穂花はうなづいて駅に向かって歩き出した。駅前はここからでもみえるくらいすぐ近くだ。だから俺はこの場で穂花を見送っていた。
少し距離が離れて、穂花が駅前の大通りへとさしかかっただろう頃に。
突然あまりにも激しくうなりをあげたエンジン音が鳴り響いてくる。
その音は少しも緩めることがなく、けたたましく耳をつんざく。
そして同時に鈍く激しい音が響いた。
辺りから悲鳴がいくつもあがっていく。怒号が飛び交っていく。
「事故だ!?」
「警察、救急車を!?」
「ひどい……これはだめだ……」
「うあーーーんうあーーーん」
いくつもあがっていく声。
人混みもあって、何が起きたかのわからなかった。
慌てて駅の方へと駆け寄っていく。駅までは本当にすぐ近くだから、あっという間にたどり着く。
そこに広がっていたのは、大きな車が歩道へと乗り上げている姿。
真っ赤に染まる地面。アスファルトの路面が赤く彩られていた。
その中心には、倒れている人の姿。その回りに集まる人達。
まさか。まさか。
悪い予感と共に近づいていく。
違うよな、違うって言ってくれ。誰に話しているかもわからなかったけれど、俺はただ祈るように願っていた。
もう少しだけ近づくと、それははっきりと見てとれた。
ブラウンのワンピースと白いニットシャツは引き裂かれて、ぐちゃぐちゃに乱れている。
ばらばらに投げ出された長い髪。白い肌はもう傷まみれだ。
大きな瞳はどこにも焦点があっていなくて、もう誰も見つめていない。
違っていて欲しかった。嘘だといって欲しかった。
だけどそこにいるのは、確かに穂花だった。
血まみれで目を見開いて。体がひきさかれて。
何も見えていなかった。何が起きたのかわからなかった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
叫んでいた。
叫ばずにはいられなかった。
いま。ほんの数分前まで一緒にいた、元気なはずの穂花が。
穂花だったものに姿を変えていた。
違う。目の前にあるのは穂花じゃない。でも穂花だ。穂花は。
何が。何が起きたのか。わからない。
なんで穂花が。なぜ穂花がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
いやこれは穂花じゃない。穂花は。
頭の中が混乱して何を思っていたのかもわからなかった。目の前で起きた事故の様子にさいなまれて、吐き気が止まらなかった。
声が止まらない。だけど自分が何を言っているのかももうわかっていなかった。
『たかし、たかし……しっかりして、まだ間に合う。だから!』
フェルの声に現実へと引き戻される。
そうだ。俺には力がある。まだやり直せる。
フェルが与えてくれた力だ。
こんな時間はあってはいけない。こんな未来は来てはいけない。
そうだ。やり直す。時間を戻すんだ。
「十五分。十五分戻してくれ。こんな、こんな事実は無かった事にしてくれ!!」
俺は脇目も振らずに大きな声を叫んでいた。
回りの注目を浴びていたけれど、そんなことはどうでもよかった。
俺の声に応えて、フェルが俺にしか聞こえない声で叫ぶ。
『時間よ戻れ』
やりなおすんだ。なかった事にするんだ。
こんなくそったれな時間なんて、無かった事にするんだ。
フェルの言葉に伴い、めまいにも似た感覚が俺を襲う。
くらくらと脳が揺れる感覚と共に、俺の意識は時間をさかのぼる。
こんな未来はあってはいけない。絶対に。
うちの文化祭は文化の日に行うから、今日はもう土曜日で学校は休みだ。そして穂花のオーディションの日でもある。
珍しく早起きして、そそくさと準備をして穂花の家に向かおうと思う。オーディションにいく前に励ましてやろうと思った。
スマホをみたら『これからオーディションいってくるね』と、そんなライムが入っていた。慌てて家から飛び出す。
穂花の家はすぐ近所だ。五分も歩けば到着するが、まだ間に合うだろうか。
するとちょうど穂花が家を出るところだったようだ。玄関のところから外にでてきていた。
ブラウンのワンピースの上に白いニット。秋らしい装いが今日も可愛らしい。
それから俺に気がついたようで、少し小首をかしげてこちらを見つめていた。
「あれ、たかくん。どうしたの」
穂花はいつも通りのふんわりとした表情を浮かべて、俺へと微笑みかけてくる。
ああ、こういう姿は本当に可愛いなと思う。
「今日はお前のオーディションだっただろ。だから行く前に激励してやろうと思ってさ」
鼻頭を指でかきながら、柄でも無いことを告げる。
ただせっかく踏み出した穂花の一歩目を最初に応援するのは自分でありたかった。
「ほんと? ありがと。正直、今からだいぶん緊張してる。こんなんで本番大丈夫かなって思う。でもね。でも、たかくんがこの間励ましてくれたから。がんばってみようと思っている。結果が出たら、たかくんにも教えるね」
穂花は言いながら俺の手をとる。
え、と思うものの、俺が何を思うよりも早く、手をとったまま自分の胸のあたりまで手を上げてくる。
「たかくん。私ね。たかくんに本当に感謝しているの。最後の最後でずっと迷っていた。でも、でもね。たかくんのおかげで決心がついたよ。たぶんたかくんが後押ししてくれなかったら、きっと結局今日も行けなかったと思う」
両手で俺の手を包み込むように握りしめる。
緊張しているという穂花よりも俺の方の鼓動が強くなっていく。穂花はたぶんそんな事は気にもしていないだろうけど、心臓がこのまま激しく動いて破裂するんじゃないかとすら思えた。
穂花の体温が伝わってくるけれど、俺の鼓動も聞こえてしまうんじゃないかと不安になる。それでも平気なふりをして、穂花へとにこやかに笑いかけていた。
そんな俺の気持ちには気がついていないのか、穂花はそのまま話を続けている。
「たかくんには言ってなかったけど、今までもね。オーディションには何度も応募していたの。でも書類だけ送って、当日怖くなっていけない。そんな事何回も繰り返してた。でもね。今日は行ってみようと思えた。ダメかもしれないけど、挑戦してみようと思えたの。それというのもぜんぶたかくんのおかげだよ」
穂花は少し頬を上気させて紅をさしていた。声も少しだけうわずっている。
緊張しているのだろう。だけどそれでもやる気に溢れているのだろう。いつもの穂花よりも目を輝かせていた。
穂花を応援したい。穂花のために力になりたい。
強く思う。
「だから応援していてね。がんばってくるから」
手を離して、それから胸元で小さなガッツポーズを見せる。
穂花は少しずつ強くなっているのだろう。だから俺はそれを見守ろうと思う。
ここから駅は近い。ほんの少し歩くだけだ。
「おう。応援しているぜ!」
穂花を見送りながら、大きく手をふる。
穂花はうなづいて駅に向かって歩き出した。駅前はここからでもみえるくらいすぐ近くだ。だから俺はこの場で穂花を見送っていた。
少し距離が離れて、穂花が駅前の大通りへとさしかかっただろう頃に。
突然あまりにも激しくうなりをあげたエンジン音が鳴り響いてくる。
その音は少しも緩めることがなく、けたたましく耳をつんざく。
そして同時に鈍く激しい音が響いた。
辺りから悲鳴がいくつもあがっていく。怒号が飛び交っていく。
「事故だ!?」
「警察、救急車を!?」
「ひどい……これはだめだ……」
「うあーーーんうあーーーん」
いくつもあがっていく声。
人混みもあって、何が起きたかのわからなかった。
慌てて駅の方へと駆け寄っていく。駅までは本当にすぐ近くだから、あっという間にたどり着く。
そこに広がっていたのは、大きな車が歩道へと乗り上げている姿。
真っ赤に染まる地面。アスファルトの路面が赤く彩られていた。
その中心には、倒れている人の姿。その回りに集まる人達。
まさか。まさか。
悪い予感と共に近づいていく。
違うよな、違うって言ってくれ。誰に話しているかもわからなかったけれど、俺はただ祈るように願っていた。
もう少しだけ近づくと、それははっきりと見てとれた。
ブラウンのワンピースと白いニットシャツは引き裂かれて、ぐちゃぐちゃに乱れている。
ばらばらに投げ出された長い髪。白い肌はもう傷まみれだ。
大きな瞳はどこにも焦点があっていなくて、もう誰も見つめていない。
違っていて欲しかった。嘘だといって欲しかった。
だけどそこにいるのは、確かに穂花だった。
血まみれで目を見開いて。体がひきさかれて。
何も見えていなかった。何が起きたのかわからなかった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
叫んでいた。
叫ばずにはいられなかった。
いま。ほんの数分前まで一緒にいた、元気なはずの穂花が。
穂花だったものに姿を変えていた。
違う。目の前にあるのは穂花じゃない。でも穂花だ。穂花は。
何が。何が起きたのか。わからない。
なんで穂花が。なぜ穂花がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
いやこれは穂花じゃない。穂花は。
頭の中が混乱して何を思っていたのかもわからなかった。目の前で起きた事故の様子にさいなまれて、吐き気が止まらなかった。
声が止まらない。だけど自分が何を言っているのかももうわかっていなかった。
『たかし、たかし……しっかりして、まだ間に合う。だから!』
フェルの声に現実へと引き戻される。
そうだ。俺には力がある。まだやり直せる。
フェルが与えてくれた力だ。
こんな時間はあってはいけない。こんな未来は来てはいけない。
そうだ。やり直す。時間を戻すんだ。
「十五分。十五分戻してくれ。こんな、こんな事実は無かった事にしてくれ!!」
俺は脇目も振らずに大きな声を叫んでいた。
回りの注目を浴びていたけれど、そんなことはどうでもよかった。
俺の声に応えて、フェルが俺にしか聞こえない声で叫ぶ。
『時間よ戻れ』
やりなおすんだ。なかった事にするんだ。
こんなくそったれな時間なんて、無かった事にするんだ。
フェルの言葉に伴い、めまいにも似た感覚が俺を襲う。
くらくらと脳が揺れる感覚と共に、俺の意識は時間をさかのぼる。
こんな未来はあってはいけない。絶対に。