37.妖精を見つけて
穂花が逆上がりの練習をしていた。僕はその横で「がんばれっ」とただ声をかけ続けている。
今は小学生になって、穂花と逆上がりの練習をしていた時だった。
「なかなかできないよぅ」
穂花は何度も逆上がりをしようとキックしているのだけど、ぜんぜん体が上に上がれない。
「たかくん、ちょっとやってみせて。どうしたらいいのか、よくわかんないんだよ」
「わかった。こうだぞ」
穂花の願いに応えて、僕は逆上がりをしてみせる。
それからくるくると何回か回ってみせた。僕はこの手の事はだいたいすぐに出来る。あんまり苦労した事がない。逆に穂花はちょっと運動は苦手なようで、いつも最初は出来ない事が多い。
だけど穂花はこんな時に絶対に諦めない事も知っていた。
僕が回っているのをみて、穂花は何が違うのかをじっと眺めていたようだった。
それからすぐに穂花はまた逆上がりを開始する。
「えいっ。えいっ」
さっきよりも少しだけ回れていたように思う。たぶんこの調子でそのうち穂花は逆上がりができるようになるんだろう。
僕はそれまで穂花を応援し続ける。それが僕の役割だった。
ただ練習しているのを見ているだけだから、暇でもあった。そんな時、遠目に不意に光る何かが見えた。
何だろうと思って、そちらの方へと目をこらす。しかし校舎の裏の方の木のそばで、キラキラと光る何かがある以上の事はわからなかった。
「あ、ちょっとトイレいってくる」
僕はどうしても気になったから、穂花を置いてそちらの方へと向かっていた。
木の方に向かうと、ものすごく大きな蜘蛛の巣が枝から伸びていた。そしてそのキラキラした何かは蜘蛛の巣の真ん中に大きく張り付いていたのだ。
体長は十五センチくらいだろうか。昆虫のような羽根を背にした人形が張り付いていた。
「なんだ。人形か」
つぶやいた僕に、しかしその人形は声を漏らす。
『君、私の姿が見えるの!?』
「わぁ。人形が喋ったぞ!?」
人形が喋った事に、僕は驚いて目を見開く。
『人形じゃないよ。強いて言うなら妖精かな』
「妖精とか、いるわけねーし」
目の前で蜘蛛の巣に捕まった哀れな妖精を前に、僕は手をひらひらと振るう。
『ここにいるじゃないのっ。というか、出来たら助けて欲しいんだけど』
「うーん。どうしようかな」
俺は少し悩んでみる。得体の知れない相手だけに、本当に助けていいのか疑問もある。
『ちゃんとお礼はするからさ。ね。お願い」
妖精が泣きそうな目で懇願してきて、さすがに可哀想に思えてきた。
人間の言葉を喋っているとはいえ、小さな生物だ。何か出来るとは思えなかった。
「んー。わかった。別にお礼はいらないけど」
とりあえず蜘蛛の巣に絡まっているのは可哀想なので、とってあげることにした。
蜘蛛自体はもういなくなった後なのか、それともさすがに大きすぎる獲物に驚いて逃げたのか、この巣にはいないようだった。
丁寧に蜘蛛の巣を外していく。
その間にいちど妖精を手にして地面に下ろしたのだけど、大きさから見えるよりもずっと軽くて、まるでそこに存在していないかのようだった。なるほど。確かにこれだけ軽いのなら力もほとんどないだろう。蜘蛛の巣を外せないのもわかる。
ただ代わりに自分が蜘蛛の巣まみれになってしまって、少し気持ち悪い。蜘蛛の糸が手に張り付いていた。
それでも妖精は助けられたようで、とりあえず地面に下ろすとふらふらとしていたものの、何とか歩けているようだった。
『はぁ。助かったー。ありがと。私はフェル。君は』
「ぼくはたかし」
『たかしね。この恩は忘れないわ。必ずお礼はするからね』
そういって空に飛び立とうとして羽根を広げた。
だけどその羽根はほんの少ししか開かなかった。しばらく何度か羽根を広げようとしていたけれど、どうしても動かないようだった。
『ごめん。たかし。羽根にまだ蜘蛛の糸が残っているみたい。水道があるところまで連れて行ってくれないかな』
フェルは申し訳なさそうに告げるけれど、それくらい大した事はない。
僕はフェルを抱えると、手洗い場まで連れて行って蛇口を開く。
フェルはその水を浴びると、蜘蛛の糸が落ちたのか、羽根がさっきよりも強くきらきらと輝きだしていく。これが本来の輝きなのだろう。
『はぁ。ほんとひどい目にあった。ありがとね。たかしは命の恩人だわ』
フェルは深々と頭を下げる。
「別に大した事はしていないけど」
実際ただ蜘蛛の巣から取り出して水道を使っただけだ。ほとんど何もしていないに等しい。それよりもトイレといって待たせたまんまになっている穂花の方が気にかかった。
しかしフェルにとってはそうではなかったのだろう。大きく首を振るうと、僕の頭の上をくるくると回っていた。
『とんでもないわ。私にとっては本当に死ぬかもしれない事態だったの。あんなところに蜘蛛の巣があるなんて油断してたの。あのね。なにせ妖精の死因の五割が蜘蛛の巣にひっかかって、身動きできなくなることだもの。絶体絶命のピンチだったんだから』
大げさな声で告げていたが、半分くらい蜘蛛の巣にひっかかって死ぬというのはずいぶんな割合である。確かにそれほどの事であれば、フェルの言いぶりもわからなくはない。言うならば僕は事故から救ってくれたヒーローのようなものなのだろう。
ただ蜘蛛の巣にひっかかって死ぬというのは、ずいぶんな死因じゃないだろうか。
「妖精ってそんな簡単に捕まって死ぬんだ?」
『そうなの。繊細な生き物なの』
フェルはため息とともに告げるが、繊細な生き物というか、蚊とんぼみたいなもろっちい生き物だなぁと僕は思う。でも言ったら傷つくような気がしたので、黙っておいた。
『蜘蛛の巣に絡まると魔法が使えなくなるのが厄介なのよね』
あとで知ったところによると、どうやら妖精にとって蜘蛛の巣は天敵なようなものらしい。妖精の使える魔法を全て無効にしてしまう効果があるのだとか。
ただこの時はそこまでは知らなかった。それよりもフェルの言う魔法の話の方が気になっていた。
「魔法が使えるの?」
『そうね。私は時の妖精だから、時間を操る魔法が使えるわ。そうだ! 命の恩人のたかしのために、私が魔法を使ってあげる。ほんの少しだけだけど時間を戻せる魔法』
「へーー。すごい」
僕は感心していた。ただ特に何かしてもらうほどの事をした訳でもない。僕は首をふるってフェルに告げる。
「でもぜんぜん大した事してないから、お礼とか特にいいけど」
『たかしにとってはそうかもしれないけど、私にとっては本当に死ぬ瀬戸際だったの。たまたまたかしが私の姿を見る事ができたから助かったの。たかしが通りかからなかったら、私はかなりの確率で死んでいたと思う。だから私に恩返しをさせてちょうだい』
フェルは僕の周りをぶんぶんと飛び回って、それから僕の頭の上に着地する。
それから俺は穂花の方へと戻る。
穂花は嬉しそうな顔をして俺の方へ向けてくる。
「たかくん、私出来たよ」
「お、すごいな。穂花」
「えへへ。ありがと。たかくんがずっと応援してくれたおかげだよ」
そう告げる穂花に、僕はこんなに練習を続けられる穂花の方がすごいなと思う。
「僕は何もしていないよ。穂花が自分でがんばったんだ」
照れた顔で告げる俺を、なぜかフェルが隣で見ていた。
やっぱりフェルの姿は穂花には見えないらしい。
『なるほど。たかしはこの子が好きなのね』
「……!? ち、ちがうしっ」
思わず声をもらすと、穂花がきょとんとした顔を向けてくる。
「たかくん、どうしたの? 急に声あげて」
「い、いやなんでもないよ」
風が吹いていた。
俺とフェルの関係はこうして始まった。時間を戻す力と共に。
今は小学生になって、穂花と逆上がりの練習をしていた時だった。
「なかなかできないよぅ」
穂花は何度も逆上がりをしようとキックしているのだけど、ぜんぜん体が上に上がれない。
「たかくん、ちょっとやってみせて。どうしたらいいのか、よくわかんないんだよ」
「わかった。こうだぞ」
穂花の願いに応えて、僕は逆上がりをしてみせる。
それからくるくると何回か回ってみせた。僕はこの手の事はだいたいすぐに出来る。あんまり苦労した事がない。逆に穂花はちょっと運動は苦手なようで、いつも最初は出来ない事が多い。
だけど穂花はこんな時に絶対に諦めない事も知っていた。
僕が回っているのをみて、穂花は何が違うのかをじっと眺めていたようだった。
それからすぐに穂花はまた逆上がりを開始する。
「えいっ。えいっ」
さっきよりも少しだけ回れていたように思う。たぶんこの調子でそのうち穂花は逆上がりができるようになるんだろう。
僕はそれまで穂花を応援し続ける。それが僕の役割だった。
ただ練習しているのを見ているだけだから、暇でもあった。そんな時、遠目に不意に光る何かが見えた。
何だろうと思って、そちらの方へと目をこらす。しかし校舎の裏の方の木のそばで、キラキラと光る何かがある以上の事はわからなかった。
「あ、ちょっとトイレいってくる」
僕はどうしても気になったから、穂花を置いてそちらの方へと向かっていた。
木の方に向かうと、ものすごく大きな蜘蛛の巣が枝から伸びていた。そしてそのキラキラした何かは蜘蛛の巣の真ん中に大きく張り付いていたのだ。
体長は十五センチくらいだろうか。昆虫のような羽根を背にした人形が張り付いていた。
「なんだ。人形か」
つぶやいた僕に、しかしその人形は声を漏らす。
『君、私の姿が見えるの!?』
「わぁ。人形が喋ったぞ!?」
人形が喋った事に、僕は驚いて目を見開く。
『人形じゃないよ。強いて言うなら妖精かな』
「妖精とか、いるわけねーし」
目の前で蜘蛛の巣に捕まった哀れな妖精を前に、僕は手をひらひらと振るう。
『ここにいるじゃないのっ。というか、出来たら助けて欲しいんだけど』
「うーん。どうしようかな」
俺は少し悩んでみる。得体の知れない相手だけに、本当に助けていいのか疑問もある。
『ちゃんとお礼はするからさ。ね。お願い」
妖精が泣きそうな目で懇願してきて、さすがに可哀想に思えてきた。
人間の言葉を喋っているとはいえ、小さな生物だ。何か出来るとは思えなかった。
「んー。わかった。別にお礼はいらないけど」
とりあえず蜘蛛の巣に絡まっているのは可哀想なので、とってあげることにした。
蜘蛛自体はもういなくなった後なのか、それともさすがに大きすぎる獲物に驚いて逃げたのか、この巣にはいないようだった。
丁寧に蜘蛛の巣を外していく。
その間にいちど妖精を手にして地面に下ろしたのだけど、大きさから見えるよりもずっと軽くて、まるでそこに存在していないかのようだった。なるほど。確かにこれだけ軽いのなら力もほとんどないだろう。蜘蛛の巣を外せないのもわかる。
ただ代わりに自分が蜘蛛の巣まみれになってしまって、少し気持ち悪い。蜘蛛の糸が手に張り付いていた。
それでも妖精は助けられたようで、とりあえず地面に下ろすとふらふらとしていたものの、何とか歩けているようだった。
『はぁ。助かったー。ありがと。私はフェル。君は』
「ぼくはたかし」
『たかしね。この恩は忘れないわ。必ずお礼はするからね』
そういって空に飛び立とうとして羽根を広げた。
だけどその羽根はほんの少ししか開かなかった。しばらく何度か羽根を広げようとしていたけれど、どうしても動かないようだった。
『ごめん。たかし。羽根にまだ蜘蛛の糸が残っているみたい。水道があるところまで連れて行ってくれないかな』
フェルは申し訳なさそうに告げるけれど、それくらい大した事はない。
僕はフェルを抱えると、手洗い場まで連れて行って蛇口を開く。
フェルはその水を浴びると、蜘蛛の糸が落ちたのか、羽根がさっきよりも強くきらきらと輝きだしていく。これが本来の輝きなのだろう。
『はぁ。ほんとひどい目にあった。ありがとね。たかしは命の恩人だわ』
フェルは深々と頭を下げる。
「別に大した事はしていないけど」
実際ただ蜘蛛の巣から取り出して水道を使っただけだ。ほとんど何もしていないに等しい。それよりもトイレといって待たせたまんまになっている穂花の方が気にかかった。
しかしフェルにとってはそうではなかったのだろう。大きく首を振るうと、僕の頭の上をくるくると回っていた。
『とんでもないわ。私にとっては本当に死ぬかもしれない事態だったの。あんなところに蜘蛛の巣があるなんて油断してたの。あのね。なにせ妖精の死因の五割が蜘蛛の巣にひっかかって、身動きできなくなることだもの。絶体絶命のピンチだったんだから』
大げさな声で告げていたが、半分くらい蜘蛛の巣にひっかかって死ぬというのはずいぶんな割合である。確かにそれほどの事であれば、フェルの言いぶりもわからなくはない。言うならば僕は事故から救ってくれたヒーローのようなものなのだろう。
ただ蜘蛛の巣にひっかかって死ぬというのは、ずいぶんな死因じゃないだろうか。
「妖精ってそんな簡単に捕まって死ぬんだ?」
『そうなの。繊細な生き物なの』
フェルはため息とともに告げるが、繊細な生き物というか、蚊とんぼみたいなもろっちい生き物だなぁと僕は思う。でも言ったら傷つくような気がしたので、黙っておいた。
『蜘蛛の巣に絡まると魔法が使えなくなるのが厄介なのよね』
あとで知ったところによると、どうやら妖精にとって蜘蛛の巣は天敵なようなものらしい。妖精の使える魔法を全て無効にしてしまう効果があるのだとか。
ただこの時はそこまでは知らなかった。それよりもフェルの言う魔法の話の方が気になっていた。
「魔法が使えるの?」
『そうね。私は時の妖精だから、時間を操る魔法が使えるわ。そうだ! 命の恩人のたかしのために、私が魔法を使ってあげる。ほんの少しだけだけど時間を戻せる魔法』
「へーー。すごい」
僕は感心していた。ただ特に何かしてもらうほどの事をした訳でもない。僕は首をふるってフェルに告げる。
「でもぜんぜん大した事してないから、お礼とか特にいいけど」
『たかしにとってはそうかもしれないけど、私にとっては本当に死ぬ瀬戸際だったの。たまたまたかしが私の姿を見る事ができたから助かったの。たかしが通りかからなかったら、私はかなりの確率で死んでいたと思う。だから私に恩返しをさせてちょうだい』
フェルは僕の周りをぶんぶんと飛び回って、それから僕の頭の上に着地する。
それから俺は穂花の方へと戻る。
穂花は嬉しそうな顔をして俺の方へ向けてくる。
「たかくん、私出来たよ」
「お、すごいな。穂花」
「えへへ。ありがと。たかくんがずっと応援してくれたおかげだよ」
そう告げる穂花に、僕はこんなに練習を続けられる穂花の方がすごいなと思う。
「僕は何もしていないよ。穂花が自分でがんばったんだ」
照れた顔で告げる俺を、なぜかフェルが隣で見ていた。
やっぱりフェルの姿は穂花には見えないらしい。
『なるほど。たかしはこの子が好きなのね』
「……!? ち、ちがうしっ」
思わず声をもらすと、穂花がきょとんとした顔を向けてくる。
「たかくん、どうしたの? 急に声あげて」
「い、いやなんでもないよ」
風が吹いていた。
俺とフェルの関係はこうして始まった。時間を戻す力と共に。