39.大切なもの
『私だよ』
「え?」
フェルの言葉が何を言っているのがわからなかった。
なぜこんなに優しい声で告げられるのかがわからなかった。
だから間抜けな声で聞き返すことしか出来なかった。
『たかしが時間を戻す事で失われるのは私。でもさ、でも。たかしがそんなに私の事を大切に思っていてくれたなんて知らなかったよ』
フェルは照れたような表情で、俺の眼前で俺をじっと見つめていた。
失われるの自分だと、フェルはむしろ嬉しそうな声で告げていたことが、どうしてなのかわからなかった。
『でもたかしは命の恩人だから。私はたかしのためなら何でもしてあげたいの。たとえ失われるのが私自身でも、本当はあの時死んでいた命だから』
「ばか!? やめろ! 俺はお前を犠牲にして穂花や結依を救いたい訳じゃない。他の誰も犠牲になんかしたくないんだ!」
強い口調で告げる。フェルを失いたいとは思わなかった。穂花を救うために犠牲を出したいとまでは思えなかった。だからフェルが失われてほしくなんてなかった。
だけどフェルはにこやかに笑っているだけだった。
『私ね。たかしの事が好き。ずっと一緒にいて、たかしの良いところも悪いところもみてきたけど、普段はおちゃらけているけど、本当は誰かの為にがんばれる人だって、私は知ってる。だからさ、だから。もうこれ以上たかしに傷ついて欲しくないの』
フェルは自分の両手をあわせて、祈るようなポーズをとってみせていた。
『ふふ。ほんとはこういうのルール違反なんだけどね。まぁ、でも所詮は妖精の間での自己規制に過ぎなくて、破ったら罰がある訳じゃあないしね。だから最後くらいルールを破っても、きっとみんな許してくれるよね』
「やめろ。俺はお前とも別れたくないんだよ。俺は」
慌てて止めようとするけれど、どうすればいいのかわからなかった。力尽くで言う事をきかせるという訳にもいかない。そんなことをしようとしても姿を消したり時間を操る事が出来るフェルを捕まえる事なんて出来ない事はわかっていた。
ここに蜘蛛の巣でもあれば、フェルの力を封じる事もできたかもしれないけれど、部屋の中に蜘蛛の巣なんてあるはずもない。フェルを止めるには言葉を紡ぐしかなかった。
『だから時間を戻すね。私を失ってしまうという事は、たかしは時間を戻す力をなくしてしまうということ。だからね。時間を戻した事も私の事も、たぶん忘れちゃうと思う。でも穂花も結依も救われる。だからぜんぜん悲しくなんてないからね』
「そうじゃない。そうじゃないんだ。そういう事じゃないんだよ」
記憶を失ってしまうから、悲しくないなんて事はなかった。
もうフェルは大切な家族だ。フェルのおかげで今まで沢山救われてきた。小さな事から、大きな事まで。フェルがいなければ穂花を救う事だって出来なかった。穂花とは別れの選択肢しか残っていなかったはずだ。
それを救う手段を残してくれたのはフェルだった。
そして何よりもずっとずっと一緒に過ごしてきて、一緒に笑って、泣いて、時間を共有してきた。他の人には秘密にするような想いも、フェルには話す事ができた。何でも一緒に過ごしてきたフェルを、大切に想わないはずがなかった。
『私ね。たかしの事が好きなんだ。もしも私が人間だったとしたら、きっと穂花には焼き餅やいちゃっていただろうなって思うくらいには』
フェルはそのまま空中へと飛び上がると、それから俺の目の前まで飛んできていた。
『だから時間を戻すね。私はたかしの役に立てる事が嬉しいの』
フェルはそういいながら、俺の顔の前にまで飛び上がって、その小さな手で俺の口元を抑える。
そしてそのままフェルの小さな頭を、俺の唇に触れさせていた。
ほんの微かにだけ触れた口づけ。
あまりにサイズが違いすぎるから、それは本当は口づけとは言えなかったかもしれない。
ただほんの一瞬感じたぬくもりに、俺は気がつくと涙をこぼしていた。
「やめてくれ。消えないでくれ。俺はお前を犠牲になんかしたくないんだよ。お前の事忘れたりしたくないんだ。だって、だってさ。ずっと家族みたいに付き合ってきたじゃないか。お前は俺にしか見えなかったけど、でもずっと一緒にいて。たまには俺の愚痴をきいてくれて、俺の背中を押してくれた。もうフェルがいない時間なんて、考えた事もなかったんだよ」
ぼろぼろと両目から激しく頬をぬらしていた。
どうすればいいのか、わからなかった。
俺には力がある。時間を戻す力だ。
だけどそれは本当はフェルがもっている力で、俺自身には制御できない力だ。
だからその本来の持ち主であるフェルが行使しようとするなら、俺にはもう止める手段がなかった。
『ありがと。たかし。私ね。君が好きだよ。大好き。だからほのかやゆいと一緒に笑っていてほしいんだ。だからね。君の言う事は聞けない。私がいないことを悲しく思ってくれるの。嬉しいよ。でも時間を戻したら、君の前から私はいなくなっちゃうの。だからね。私のこと全部忘れると思う。でも忘れちゃうから、もう悲しくなんてなくなるからね。あとね。六日戻して私がいなくなることで、また新しい因果に変わるみたい。だからこの後にたかしがどう行動したとしても、穂花も結依も死なないよ。だから隆史が本当にしたいと思うように振る舞って良いんだからね』
フェルは静かな口調で、ただゆっくりと笑う。
時間を戻す力なんてなくてもいい。ないのが当たり前なんだ。
だけど、俺にとってはフェルがいるのも当たり前だった。
ずっと一緒にいた。相談にのってもらったり、愚痴をきいてくれたり。励ましてくれたり、後押ししてくれたり。
その時間はフェルの持つ時間を戻す力なんかよりもずっと大切なもので。
かけがえのないものだった。
だから失いたくない。フェルを失いたくなかった。
「やめてくれ……。時間を戻さないでくれ……。俺はさ。俺は。お前のことも大切なんだよ。穂花や結依と同じくらい。お前の事も大事に思っているんだよ。だから」
フェルを引き留めようとして、何度も声を上げていた。
だけどそんな願いは届かずに、フェルは静かな口調で告げる。
『時間よ戻れ』
激しいめまいと共にくらくらと頭が揺れる。
時間はもうさかのぼっていた。何事も無かったかのように。
「え?」
フェルの言葉が何を言っているのがわからなかった。
なぜこんなに優しい声で告げられるのかがわからなかった。
だから間抜けな声で聞き返すことしか出来なかった。
『たかしが時間を戻す事で失われるのは私。でもさ、でも。たかしがそんなに私の事を大切に思っていてくれたなんて知らなかったよ』
フェルは照れたような表情で、俺の眼前で俺をじっと見つめていた。
失われるの自分だと、フェルはむしろ嬉しそうな声で告げていたことが、どうしてなのかわからなかった。
『でもたかしは命の恩人だから。私はたかしのためなら何でもしてあげたいの。たとえ失われるのが私自身でも、本当はあの時死んでいた命だから』
「ばか!? やめろ! 俺はお前を犠牲にして穂花や結依を救いたい訳じゃない。他の誰も犠牲になんかしたくないんだ!」
強い口調で告げる。フェルを失いたいとは思わなかった。穂花を救うために犠牲を出したいとまでは思えなかった。だからフェルが失われてほしくなんてなかった。
だけどフェルはにこやかに笑っているだけだった。
『私ね。たかしの事が好き。ずっと一緒にいて、たかしの良いところも悪いところもみてきたけど、普段はおちゃらけているけど、本当は誰かの為にがんばれる人だって、私は知ってる。だからさ、だから。もうこれ以上たかしに傷ついて欲しくないの』
フェルは自分の両手をあわせて、祈るようなポーズをとってみせていた。
『ふふ。ほんとはこういうのルール違反なんだけどね。まぁ、でも所詮は妖精の間での自己規制に過ぎなくて、破ったら罰がある訳じゃあないしね。だから最後くらいルールを破っても、きっとみんな許してくれるよね』
「やめろ。俺はお前とも別れたくないんだよ。俺は」
慌てて止めようとするけれど、どうすればいいのかわからなかった。力尽くで言う事をきかせるという訳にもいかない。そんなことをしようとしても姿を消したり時間を操る事が出来るフェルを捕まえる事なんて出来ない事はわかっていた。
ここに蜘蛛の巣でもあれば、フェルの力を封じる事もできたかもしれないけれど、部屋の中に蜘蛛の巣なんてあるはずもない。フェルを止めるには言葉を紡ぐしかなかった。
『だから時間を戻すね。私を失ってしまうという事は、たかしは時間を戻す力をなくしてしまうということ。だからね。時間を戻した事も私の事も、たぶん忘れちゃうと思う。でも穂花も結依も救われる。だからぜんぜん悲しくなんてないからね』
「そうじゃない。そうじゃないんだ。そういう事じゃないんだよ」
記憶を失ってしまうから、悲しくないなんて事はなかった。
もうフェルは大切な家族だ。フェルのおかげで今まで沢山救われてきた。小さな事から、大きな事まで。フェルがいなければ穂花を救う事だって出来なかった。穂花とは別れの選択肢しか残っていなかったはずだ。
それを救う手段を残してくれたのはフェルだった。
そして何よりもずっとずっと一緒に過ごしてきて、一緒に笑って、泣いて、時間を共有してきた。他の人には秘密にするような想いも、フェルには話す事ができた。何でも一緒に過ごしてきたフェルを、大切に想わないはずがなかった。
『私ね。たかしの事が好きなんだ。もしも私が人間だったとしたら、きっと穂花には焼き餅やいちゃっていただろうなって思うくらいには』
フェルはそのまま空中へと飛び上がると、それから俺の目の前まで飛んできていた。
『だから時間を戻すね。私はたかしの役に立てる事が嬉しいの』
フェルはそういいながら、俺の顔の前にまで飛び上がって、その小さな手で俺の口元を抑える。
そしてそのままフェルの小さな頭を、俺の唇に触れさせていた。
ほんの微かにだけ触れた口づけ。
あまりにサイズが違いすぎるから、それは本当は口づけとは言えなかったかもしれない。
ただほんの一瞬感じたぬくもりに、俺は気がつくと涙をこぼしていた。
「やめてくれ。消えないでくれ。俺はお前を犠牲になんかしたくないんだよ。お前の事忘れたりしたくないんだ。だって、だってさ。ずっと家族みたいに付き合ってきたじゃないか。お前は俺にしか見えなかったけど、でもずっと一緒にいて。たまには俺の愚痴をきいてくれて、俺の背中を押してくれた。もうフェルがいない時間なんて、考えた事もなかったんだよ」
ぼろぼろと両目から激しく頬をぬらしていた。
どうすればいいのか、わからなかった。
俺には力がある。時間を戻す力だ。
だけどそれは本当はフェルがもっている力で、俺自身には制御できない力だ。
だからその本来の持ち主であるフェルが行使しようとするなら、俺にはもう止める手段がなかった。
『ありがと。たかし。私ね。君が好きだよ。大好き。だからほのかやゆいと一緒に笑っていてほしいんだ。だからね。君の言う事は聞けない。私がいないことを悲しく思ってくれるの。嬉しいよ。でも時間を戻したら、君の前から私はいなくなっちゃうの。だからね。私のこと全部忘れると思う。でも忘れちゃうから、もう悲しくなんてなくなるからね。あとね。六日戻して私がいなくなることで、また新しい因果に変わるみたい。だからこの後にたかしがどう行動したとしても、穂花も結依も死なないよ。だから隆史が本当にしたいと思うように振る舞って良いんだからね』
フェルは静かな口調で、ただゆっくりと笑う。
時間を戻す力なんてなくてもいい。ないのが当たり前なんだ。
だけど、俺にとってはフェルがいるのも当たり前だった。
ずっと一緒にいた。相談にのってもらったり、愚痴をきいてくれたり。励ましてくれたり、後押ししてくれたり。
その時間はフェルの持つ時間を戻す力なんかよりもずっと大切なもので。
かけがえのないものだった。
だから失いたくない。フェルを失いたくなかった。
「やめてくれ……。時間を戻さないでくれ……。俺はさ。俺は。お前のことも大切なんだよ。穂花や結依と同じくらい。お前の事も大事に思っているんだよ。だから」
フェルを引き留めようとして、何度も声を上げていた。
だけどそんな願いは届かずに、フェルは静かな口調で告げる。
『時間よ戻れ』
激しいめまいと共にくらくらと頭が揺れる。
時間はもうさかのぼっていた。何事も無かったかのように。