R-15
S05B3 自称殺し屋と由緒正しき陰謀
ただの大道芸も小山には大変だったらしく、会のお開きと共に疲れ果てて解散となった。
帰りの電車ではホームやトイレを行き来して尾行を落とす。仕事柄クリーニングが癖になる。高校生の頃からずっとだ。時間はかかるが、安全に勝る早さはない。
マンションのエレベーターに乗ってようやく息をつける。この先に隠れ場所はない。
翔が出迎えて、シャワーを浴びた。
アンノウンが来ていた。普段の仮面のまま、リビングで紅茶を嗜んでいる。
「さっきぶり。何故ここに?」
「なんと辛辣な物言いだ。ワタシとて同じ階に住む仲間だのに」
「知ってるけど。なぜ共有部屋に?」
「噂を聞いたからだよ。彼とのクルージングが近い、とね」
兎田は冷蔵庫から飲み物とつまみを出した。話が長くなる気配を敏感に見つける。
支配人の誘いがどこまで知られているか、兎田には見当もつかない。情報が足りなすぎる。
「ポイントシールをあげるわ」
「気持ちは嬉しいが遠慮しよう。ワタシはトランプとはやかけん以外のカードは持たないと決めている」
「クレジットは?」
「ワタシたちに信用があるとでも?」
仲間となっている同じ階の住民は、出自から経歴まで把握している。本人から聞くなり、調べられる範囲を辿るなり、秘匿された内容も諸々のついでに抜き取っていた。どの者も支配人の投資があって今の職業や地位に至る。
例外的に情報が足りない二人がいる。メイドの翔と、目の前のアンノウンだ。
それでもあの支配人のことだから、クレジットカードくらい朝飯前に用意できるはずだ。各地へ出向くたびに飛行機や新幹線を使う実績がある。相応の収入も。
「信用をカードにすると思ってる? 逆よ。カードを見て信用する」
だからアンノウンは必要に迫られてないだけだ。情報を得られないとわかった透明人間の出自はろくなものではない。芸風もあり、社交の道理に触れずに生きてきた。そう読むのが妥当と見える。
「覚えておこう。ついでだから、銀行の使い方も教えてくれないか」
兎田は噴き出した。そこまで知らずにいたか。
直近の数年は見ていたが、細かい金のやりくりはどうなっているやら、私室の使い方が興味深い。
「話を戻すけどクルージングは、あなたも行ったことが?」
「あるとも。ずっと昔にね」
「話題は?」
「質問が多いね。ネタバレ厳禁ってやつだよ。乗り込んでからのお楽しみだ」
こう来る。翔も同じだった。時期は新情報だが、他の情報と組み合わせるには足りず、切り込むには早い。
「だがワタシはフェアでね。一方的にキミについて知るだけでは気分が悪い。ワタシがこの道を選ぶきっかけ、とは言っておこう。他の身の上話は選んでからだ」
その言葉を信じた。翔やアンノウンはずっと同じ道を進んでいる。兎田は岐路にいる。
時期に手がかりがある。次は何をするかを決めかねた今、次の道へ付き合わせるつもりだ。バニーガールを始めたきっかけと同じく。
高校三年生の頃、兎田は秋葉原のメイド喫茶にいた。
電気街口の正面にある歩行者天国の隣の、客引きが多い通りのさらに隣にある、無許可のマリオカートが発着する通りにあった。
人通りは少なく、相応に道は狭く、夏はどこからでも虫が飛び出しそうだった。小さな店だがコアな客が集まる中で、兎田はやはり売れていた。
客との細かな会話から嗜好や記念日を突き止め、縁がある品や数字をさりげなく出す。初めは偶然に思っても、二度三度と繰り返すうちに確信になる。この娘は意図的にやっている。
誰かが言い出せば噂を聞いた物好きが訪れる。その一人が竜胆こと支配人だ。
高校の卒業を機に違うことをしたいと言ったので、竜胆がバニーガールを持ちかけた。腕を見込んでの話だ。
答えは三日で出した。他の行く宛を視察し、体験入店もした結果、最も条件がよくて最も好き放題できるひとつを選んだ。
その二年目にして問題が起こる。
兎田は高校で恋仲の相手がいた。彼女は孤立しがちな陰気者で、兎田とはまるで逆のタイプだが、彼女だけが兎田と正面から向き合う器があった。コバンザメとも発情した猿とも違う、確固たる我を貫く強さと賢さを持っていた。だから兎田が惹かれた。
高校の卒業と同時に会う機会が減り、バニーガールを続けるうちに連絡の時間も減り、折悪くスマホが壊れた時期にノロウイルスで寝込んでいた。復帰して一番に彼女への連絡を送るも、返事は帰ってこなかった。
彼女と懇意にしていた二人の男がいる。兎田も会ったことがある。片方は探偵で、もう片方は自称殺し屋。正確には、自称殺し屋の変な奴だと彼女から聞いた。
その自称殺し屋らしい男が兎田へ迫った。帰り道に新宿歌舞伎町を通るときだ。
時刻は深夜の一時、場所は奥まった道。人の目にはつかない。彼も銃で目立つのを嫌ったか、手を空けて走った。
兎田は逃げた。手近なビルへ飛び込む。竜胆からトラブルがあれば駆け込んでいいと言われていた建物だ。壁は人を遠ざける。追手だけでなく人目も。
銃声がふたつ。片方がドアを凹ませて、もう片方は兎田の鼻先を掠って奥の壁にめり込んだ。
その逃げる過程で、彼女の顔が見えた。嬉しそうに歪んでいた。
「嫌なことを思い出しちゃったわ」
「それは失礼した。埋め合わせは必ずしよう」
その一件もあり支配人はタワーマンションを提供した。兎田は安全な部屋に住み、安全な送迎をつける。送迎だけで足りない部分が必ずあるので、体術や護身術の教育も与えた。
兎田は持ち前の要領のよさで順調に身につけていく。移動術が扱えれば残りはどうにでもなる。逃げる側が道を選び、追う側は何も選べない。不利な道でなお距離を詰める速さと追いつくまで続けるスタミナを要求する。神の一手でも見つけられない限り、有利なのは逃げる側の兎田だ。
応用として、スパイ映画じみた潜入も請け負うようになった。しなやかな肢体を利用し、実地調査とか、機密データを盗み出すとかをこなした。
改めて振り返ればフット・イン・ザ・ドアだ。簡単な要求から始めて、徐々に追加していく。合法な見せ物として始めた内容を、次はぎりぎり違法でない範囲に、次は違法だが誤魔化せる範囲にと誘導されていた。これからの話をするには過去と向き合うしかなく、向き合えば確実に不利だ。
もう逃げられない。
兎田は改めて理解した。最初から支配人の掌の上にいた。屈辱だが、同時に心地よさもある。かつてこれまで、自らを手玉に取れる者がいたか。兎田はいつでも優位にいた。誰もが媚び諂い、道を譲り、讃える役回りだった。今の兎田は初めて劣位に回り、しかも覆す手立てがない。
勝ち慣れた者が得る敗北には、負け慣れた者が得る勝利と並ぶ恍惚がある。
普段は得られない特別な刺激が兎田を昂らせる。どんなセックスでも得られないエクスタシーがここにある。
「あの、ラビクン。その惚けた顔は、ワタシが何か気に障ってしまったかね」
我に帰り、咳払いから始めた。
「これは失礼、おかげで情報が繋がって嬉しいのですわ」
「ふむ? 喜びならいいが、ワタシが知らずのうちに重要な何を言っていたか、見えないのは恐ろしいよ」
「楽しみにして頂戴」
船上での話題が想像した通りなら、答えはすでに決めた。今のうちに片付けられるものを片付ける。自分がいなくなっても問題なく回るように。誰も邪魔しに来ないように。
そのひとつが新顔ちゃんだ。指導を任された以上、しばらくは関わるだろうが、時間をどれだけ取れるかは疑問が残る。