残酷な描写あり
R-15
11話『座学も必要』
「──さて、一日の予定が白紙になった訳だが、どうしたもんか」
昼下がり、いつものように人々が行き交うエリュシオンの市街地で一人、アウラは呟いた。
本来であれば、郊外の森でカレンとの鍛錬に勤しんでいるところだが、今日はそうではない。というのも、カレンにグランドマスター直々の依頼が来たのだ。
アウラはカレンの弟子で、カレンの稽古はあくまで彼女のプライベートの範囲を出ない。彼女が現役の魔術師である以上、そちらを優先するのは当然のことだった。
「かといって、何もせずに一日を消費すんのもなぁ……」
約束した「三ヶ月」という期限にはまだ余裕はある。
だが、かといって悠長にもしていられない。
オフの日だとしても、出来る事はしておきたいというのが本音である。
街を歩きながら、一人で出来る事を模索するが、
(せいぜい、いつもの森で素振りするか、魔術の反復練習ぐらいしか思いつかないな……)
それだけなら、普段と大して変わらない。
寧ろ、魔術の自主的な鍛錬に関しては毎日寝る前に習慣として行っている。
「……あぁ、そういやカレン、東の方に図書館があるとか言ってたな。行ってみっか」
鍛錬の休憩中、エリュシオンにあるギルド以外の施設について聞かされた。
西の方には歓楽街、大通りには腕の立つ鍛冶師の店、そして東には巨大な図書館が位置しているらしい。
曰く、文学作品から古い魔術書や歴史書まで、あらゆる分野の資料が保管されているのだという。
それらを求めて異国の研究者がわざわざ足を運ぶ事も多いとされ、魔術に関しての資料には事欠かない。
魔術に関しても、この世界に関しても、まだまだ知らない事が多すぎる。
(……良い機会だし、神様達についても調べてみるか。それに──)
この世界を統べた、かつての支配者。
人に地上世界の運営を託し、その行く末を天上から見守る者達。
アウラは一度、神期に勃発した「大戦」とその終焉について天使から聞かされた。だが、それ以外の情報は何も手に入れていないのだ。
(──コレに関しても、少し知っておきたいしな)
己が携えた、両刃の剣に目を向ける。
神々の遺産。遥かな神期に活躍した神々の武器。その名が現在まで伝わっているのなら、聖遺物に関する何かしらの記録が残っている可能性もある。
未だに実感は湧かないが、自分も正真正銘、神の武器の担い手なのだ。
であれば、神期の事象や伝承について知っておくに越した事はないだろう、と。
※※
「よく考えたら、ギルド以外の公共施設に行くのは図書館が初めてだな……」
図書館までの道が掛かれた看板を見ながら、そう呟く。
この街に来てからというもの、基本的には家と森の往復ばかりで、ギルドにはカレンの付き添いで顔を出す程度。他に行く所と言えば、以前その常軌を逸したボリュームに圧倒された食事処「ヘスペリデス」だ。
様々な施設がある事自体は知っているが、まだ足を運んだ事のない場所の方が多い。
「歓楽街はなぁ……一人で行くのはちょっとなぁ……」
歓楽街。分かり易く言えば大人の街。
以前の世界でも、そういった店が立ち並ぶ場所を通る事こそあれど、キャッチにのこのこと着いて行った事は無い。
もし入り浸っているなどと思われれば、師からの視線はゴミを見るそれに変わるだろう。
そういう点でも、自分にとっては縁遠い場所である。
エリュシオンの中央広場から東へ歩く事数十分。アウラの前に現れたのは、白を基調とした石造りの建造物だった。
その荘厳な雰囲気は先日訪れたギルド「アトラス」に近い。
だが、あちらが数多の信徒が集う大聖堂であるなら、こちらは人々の信仰が集まる神殿のような印象を受けた。
何故なら──、
(……ヘルメスの像と、こっちは……トートか?)
図書館の両脇を固めるように、二つの神像が佇んでいた。
片や、羽のある帽子とサンダルを備え、蛇が巻き付いた杖を持った青年神。ヘルメス。
片や、トキと思しき鳥の頭を持つ人型の神。トート。
双方とも、アウラの元居た世界では知恵を司ると伝承され、時には同一視すらされた神々だった。
正に「知識」が集積する図書館に祀られるに相応しいと言える。
「凄いな……」
思わず声が漏れる程に、その存在感は圧倒的だった。
名は、国立アカモート大図書館。「知識」の意を持ち数百万の蔵書数を誇る、西方屈指の知識の図書館施設。
「────」
玄関を開けて中に入ると、正面にはカウンターが位置していた。
天上は長くアーチのようで、外観以上に奥行きがある。左右には尋常ではない数の書架が乱立しており、高所にある書籍を取る為か、脚立が備え付けられていた。
間違いなく、人生でこれ程に巨大な図書館に足を運んだのは初めての経験だ。
「────って、衝撃受けてる場合じゃない。本を探せ、本を」
頬を両手でペチペチと叩き、気圧されていた己に言い聞かせる。
玄関近くの壁には案内図が書かれており、1階は各国の文学作品や芸術作品の展示などがメイン。2階や3階に歴史書や魔術書が排架されているらしかった。
閉架書庫には古代の文献やその写本、研究資料などが納められており、司書に申し出る事で読む事が可能だった。
(つっても、これだけ資料があるとなると、逆にどれを選べば良いのか分かんなくなるな……)
静かな図書館の中を歩きながら思う。
利用者はやはり民間人と思しき者が多く見受けられるが、中には何処かの国の民族衣装と思しき装いの者もおり、異国から来ている者がいるというのは事実だった。
階段を上り、二階へ。
夥しい量の書物にやや圧倒されながらも書架の間に入っていき、気になったものを手に取っていく。
(魔術書……『基礎魔術入門』なんてのもあるのか)
パラパラと捲り、目を通していく。
内容は本当に基礎的なもので、魔力源であるマナとオド、世界を構成する四属性、詠唱の意義と必要性といったもの。
このレベルであれば、カレンから既に教えられた段階だった。
(こっちは……錬金術の『ヘルメスの秘奥』、加えて『降霊術の伝統』か。やっぱ一概に魔術っていっても幅広いな)
魔術の世界に関しては、まだまだ入口にしか足を踏み入れていない。
「強化」の魔術も、基礎中の基礎であって、自然現象を発現させる魔術の方がまだ応用的だ。
(あらゆる魔術を……ってまでは行かないけど、幾つかは扱えないと話にならないよな)
現状、アウラは「強化」で身体能力を底上げした上での白兵戦しか出来ない。
その点で言えば師であるカレンも同じだが、彼女は数ある魔術の中でもそれを好んで使っているだけで、無論他の魔術も体得しているのだ。
アウラは興味の赴くままに本を手に取り、併設されていた読書用の机に積み上げていく。
気付いた時には、数十冊程の書籍が山のように積み上げられていた。
「……っし、始めるか」
そう呟いて、アウラは椅子に座り、魔術書を読み始めた。
一日はまだ始まったばかりで、費やせる時間は十二分にある。
アウラのいる書架の周辺は利用者も少なく、静けさに満ちていた。
窓から差し込む陽光は暖かく、街のような喧騒もない。読書をするにあたってはこれ以上なく集中できる環境だ。
パラパラと頁を捲る音だけが心地よく耳に届き、書き記された文字の一つ一つを噛み締めながら読み進めていく。
(文字が読めるか少し不安だったけど、杞憂だったな)
会話こそ問題無かったが、読み書きとなると話は変わってくる。
こちら側に来るにあたって施された「調整」ではとんでもない不具合を残していったが、最低限必要な機能は備え付けてくれたらしい。
「マナの使用不可+死のリスクを伴う神の武器」という調整ミスと付き合っていく事には変わらないが。
魔術書というと前提知識が必要とされる事が多い印象であったが、手に取った書籍は存外に読み易く、アウラのような新米の魔術師でも十分に読み解ける内容であった。
基礎的な「魔力そのもの」の応用法や効率的な術式の組み上げ方に始まり、錬金術や降霊術、召喚術に占星術といった魔術の体系。更に、最も原始的な魔術──呪術の歴史まで、その種類は様々だ。
また、数ある魔術の中には、断片的にはあるが特定の神の権能を魔術として扱うものもあるのだという。
無論、その難易度は尋常ではない。
読書自体苦手という訳ではなく、以前までは通学中に習慣として行っていた為、読み進めるスピードは中々速かった。
内容を片っ端から脳内に叩き込み、次の書籍に手を伸ばす、
(────ん?)
アウラの眼が、本の表紙に留まった。
直観的に書架から引っ張り出したので印象に残っていなかったのもあるだろうが、その書籍は他に比べて明らかに古く、紙のヨレや劣化が著しい。
本来であれば、閉架式の書庫などに保存されているであろう一冊だ。
(なんだこれ……『テオスの書』……?)
恐る恐る頁を捲る。
文字は読めるには読めるが、文体が少々古臭く、相当前に書かれた事が伺えた。
内容としてはタイトルの通り、遥かな過去である神期の伝承について纏めたもの。
西方、北方、東方、南方で信仰された神々と、地上に住んだ人外の諸種族達に関する記録。
(これだけ古いなら、まず二次資料ではないな……)
後ろの頁を見ても参考文献は書かれておらず、著者も掠れてしまって読めない。
アウラは再び本文のあるページを捲り、目を通していく。
(……「八千年前、東のシナルにはバアルとエンリル、そしてマルドゥクがいた。彼の者は神を引き裂き、礎を築いた」……)
本に記される伝承を心の中で読み上げる。
エリュシオンの真反対、海を渡った東の大陸にいた神への言及だ。
無論、その名はアウラも知っている。
慈雨の神バアルと、至高神とも謳われる大気神エンリル。
そして、原初の母神ティアマトを殺す「神殺し」を以て、天地を創造したとされる英雄神マルドゥク。
(……凡その神話も、前の世界と変わりないのか?)
神を引き裂くという記述は、元いた世界でも概ね同じだった。
古代バビロニアの創世叙事詩には、夫を殺された女神ティアマトとその子供達、そしてマルドゥク神による戦いが記録されている。
この『テオスの書』とやらの記述は酷く断片的だが、神期に紡がれたであろう神々の物語の根幹は似通っているような印象を受けた。
一応、神期に関する情報の幾つかは知らされている。だが、彼女に会う機会は恐らくもう無い。
故に、集められる情報は自分で集めなければならない。
いつの間にかアウラはその本に熱中し、止まる事なく内容に目を通していく。
(この世界独自の神はいないのか、あるいは、そもそも記録に残ってないのか……)
そう思いながら、アウラは神期の記録を漁る。
各地を統べた主神と、彼らを筆頭とする神々の序列。──更に、其処には彼らの時代の終焉に関する記述も残されていた。
(……天使の言っていた「大戦」……)
神々と、ソレに仇成す悪魔による戦争。
地上の支配権を巡るその戦いは神々の勝利で終わり、人の時代が幕を開ける原因になった。
この書物には、その細部までが記されている。
(アバドン、ベルゼブブ、アスタロトにルシファー……悪魔も随分と大物揃いだな)
神々に戦いを挑んだとされる悪魔の名。
どれも聖書において言及され、堕天使としても語られる面々だ。
(魔神となると、七十二柱の連中もいたのか……?)
かつて、ソロモン王が使役したとされる魔神たち。
神──この場合は多神教ではなく、絶対なる唯一神──より授けられた指輪をもって、かの王は魔神を支配下に置き、最後には封印したという。
天使の説明の通り、彼らは神々と戦いを繰り広げた。
ただ、彼女からは説明されていない部分も見受けられた。
(何々……「西に百頭の竜、北に火の巨人、東に破壊の蛇、大海には水竜あり」……)
悪魔以外にも、神々と争った怪物がいたという事だった。
名を直接記してはいる訳ではないが、これらの怪物たちの真名程度であれば、大体の見当は付いている。
(最強の竜テュポエウスに巨人王スルト、悪竜アジ・ダハ―カに最強生物のリヴァイアサンってところか……終末みたいって思っていたけど、あながち間違いじゃなかった訳か)
神話を代表する怪物達。場合によっては神すら凌駕すると謳われた面々だ。
神々やそれに並ぶ天使や悪魔が存在したのなら、それに匹敵する怪物達が存在していても不思議ではない。
以前の認識では御伽噺のようなモノだったが、この世界に限ってはそうではなく、れっきとした事実──歴史の一部として、確かに彼らは息づいていた。
これらの怪物が介入した事で、神々の被害はより甚大になった。
主神、或いはそれに準ずる主要神にすら匹敵する怪物である事を鑑みれば当然のこと。
その後の展開は、自分が以前に聞いた通りだった。悪魔は地下の奥底に封印、そして神々と天使は地上を去り、天上世界へと姿を消した。
だが、頁はまだ終わりではなかった。残すところ、ほんの数ページ。そこに書かれていたのは──、
「──「彼らは既に天に至れど、地には神の化現ありき」……」
何処か、予言のようにも聞こえる一文。
その言葉の通りに受け取るのなら、神は既に去ったが、地上にはその化身がいるという事になる。
(聖遺物の持ち主ならまだ分かるけど……)
家に置いて来たヴァジュラを想像する。
ただ神の武具を持っている事と、神の要素を内包する化身とでは訳が違う。
人でありながら、神の力を手繰るモノ。
神々の権能を出来る限り再現する魔術師などとは比べ物にならない存在に関して、この文書は言及していた。
にわかには信じがたい話だが、一方、そのような伝承があっても不思議ではないと感じる自分もいた。
「──まぁ、そんなに深く考えてもしょうがないか」
溜め息を吐き、背凭れに身体を預ける。
アウラがいくら考えたところで、その真偽を確かめる術は彼に無く──ただ、頭の片隅に置いておく事しかできない。
戯言に過ぎないと片付け、忘れるよりはマシだ。
気持ちを切り替え、彼は次の本を手に取り、同じように読み進めていく。
一字一句を噛み締め、余す事なく己の糧にする為に。
昼下がり、いつものように人々が行き交うエリュシオンの市街地で一人、アウラは呟いた。
本来であれば、郊外の森でカレンとの鍛錬に勤しんでいるところだが、今日はそうではない。というのも、カレンにグランドマスター直々の依頼が来たのだ。
アウラはカレンの弟子で、カレンの稽古はあくまで彼女のプライベートの範囲を出ない。彼女が現役の魔術師である以上、そちらを優先するのは当然のことだった。
「かといって、何もせずに一日を消費すんのもなぁ……」
約束した「三ヶ月」という期限にはまだ余裕はある。
だが、かといって悠長にもしていられない。
オフの日だとしても、出来る事はしておきたいというのが本音である。
街を歩きながら、一人で出来る事を模索するが、
(せいぜい、いつもの森で素振りするか、魔術の反復練習ぐらいしか思いつかないな……)
それだけなら、普段と大して変わらない。
寧ろ、魔術の自主的な鍛錬に関しては毎日寝る前に習慣として行っている。
「……あぁ、そういやカレン、東の方に図書館があるとか言ってたな。行ってみっか」
鍛錬の休憩中、エリュシオンにあるギルド以外の施設について聞かされた。
西の方には歓楽街、大通りには腕の立つ鍛冶師の店、そして東には巨大な図書館が位置しているらしい。
曰く、文学作品から古い魔術書や歴史書まで、あらゆる分野の資料が保管されているのだという。
それらを求めて異国の研究者がわざわざ足を運ぶ事も多いとされ、魔術に関しての資料には事欠かない。
魔術に関しても、この世界に関しても、まだまだ知らない事が多すぎる。
(……良い機会だし、神様達についても調べてみるか。それに──)
この世界を統べた、かつての支配者。
人に地上世界の運営を託し、その行く末を天上から見守る者達。
アウラは一度、神期に勃発した「大戦」とその終焉について天使から聞かされた。だが、それ以外の情報は何も手に入れていないのだ。
(──コレに関しても、少し知っておきたいしな)
己が携えた、両刃の剣に目を向ける。
神々の遺産。遥かな神期に活躍した神々の武器。その名が現在まで伝わっているのなら、聖遺物に関する何かしらの記録が残っている可能性もある。
未だに実感は湧かないが、自分も正真正銘、神の武器の担い手なのだ。
であれば、神期の事象や伝承について知っておくに越した事はないだろう、と。
※※
「よく考えたら、ギルド以外の公共施設に行くのは図書館が初めてだな……」
図書館までの道が掛かれた看板を見ながら、そう呟く。
この街に来てからというもの、基本的には家と森の往復ばかりで、ギルドにはカレンの付き添いで顔を出す程度。他に行く所と言えば、以前その常軌を逸したボリュームに圧倒された食事処「ヘスペリデス」だ。
様々な施設がある事自体は知っているが、まだ足を運んだ事のない場所の方が多い。
「歓楽街はなぁ……一人で行くのはちょっとなぁ……」
歓楽街。分かり易く言えば大人の街。
以前の世界でも、そういった店が立ち並ぶ場所を通る事こそあれど、キャッチにのこのこと着いて行った事は無い。
もし入り浸っているなどと思われれば、師からの視線はゴミを見るそれに変わるだろう。
そういう点でも、自分にとっては縁遠い場所である。
エリュシオンの中央広場から東へ歩く事数十分。アウラの前に現れたのは、白を基調とした石造りの建造物だった。
その荘厳な雰囲気は先日訪れたギルド「アトラス」に近い。
だが、あちらが数多の信徒が集う大聖堂であるなら、こちらは人々の信仰が集まる神殿のような印象を受けた。
何故なら──、
(……ヘルメスの像と、こっちは……トートか?)
図書館の両脇を固めるように、二つの神像が佇んでいた。
片や、羽のある帽子とサンダルを備え、蛇が巻き付いた杖を持った青年神。ヘルメス。
片や、トキと思しき鳥の頭を持つ人型の神。トート。
双方とも、アウラの元居た世界では知恵を司ると伝承され、時には同一視すらされた神々だった。
正に「知識」が集積する図書館に祀られるに相応しいと言える。
「凄いな……」
思わず声が漏れる程に、その存在感は圧倒的だった。
名は、国立アカモート大図書館。「知識」の意を持ち数百万の蔵書数を誇る、西方屈指の知識の図書館施設。
「────」
玄関を開けて中に入ると、正面にはカウンターが位置していた。
天上は長くアーチのようで、外観以上に奥行きがある。左右には尋常ではない数の書架が乱立しており、高所にある書籍を取る為か、脚立が備え付けられていた。
間違いなく、人生でこれ程に巨大な図書館に足を運んだのは初めての経験だ。
「────って、衝撃受けてる場合じゃない。本を探せ、本を」
頬を両手でペチペチと叩き、気圧されていた己に言い聞かせる。
玄関近くの壁には案内図が書かれており、1階は各国の文学作品や芸術作品の展示などがメイン。2階や3階に歴史書や魔術書が排架されているらしかった。
閉架書庫には古代の文献やその写本、研究資料などが納められており、司書に申し出る事で読む事が可能だった。
(つっても、これだけ資料があるとなると、逆にどれを選べば良いのか分かんなくなるな……)
静かな図書館の中を歩きながら思う。
利用者はやはり民間人と思しき者が多く見受けられるが、中には何処かの国の民族衣装と思しき装いの者もおり、異国から来ている者がいるというのは事実だった。
階段を上り、二階へ。
夥しい量の書物にやや圧倒されながらも書架の間に入っていき、気になったものを手に取っていく。
(魔術書……『基礎魔術入門』なんてのもあるのか)
パラパラと捲り、目を通していく。
内容は本当に基礎的なもので、魔力源であるマナとオド、世界を構成する四属性、詠唱の意義と必要性といったもの。
このレベルであれば、カレンから既に教えられた段階だった。
(こっちは……錬金術の『ヘルメスの秘奥』、加えて『降霊術の伝統』か。やっぱ一概に魔術っていっても幅広いな)
魔術の世界に関しては、まだまだ入口にしか足を踏み入れていない。
「強化」の魔術も、基礎中の基礎であって、自然現象を発現させる魔術の方がまだ応用的だ。
(あらゆる魔術を……ってまでは行かないけど、幾つかは扱えないと話にならないよな)
現状、アウラは「強化」で身体能力を底上げした上での白兵戦しか出来ない。
その点で言えば師であるカレンも同じだが、彼女は数ある魔術の中でもそれを好んで使っているだけで、無論他の魔術も体得しているのだ。
アウラは興味の赴くままに本を手に取り、併設されていた読書用の机に積み上げていく。
気付いた時には、数十冊程の書籍が山のように積み上げられていた。
「……っし、始めるか」
そう呟いて、アウラは椅子に座り、魔術書を読み始めた。
一日はまだ始まったばかりで、費やせる時間は十二分にある。
アウラのいる書架の周辺は利用者も少なく、静けさに満ちていた。
窓から差し込む陽光は暖かく、街のような喧騒もない。読書をするにあたってはこれ以上なく集中できる環境だ。
パラパラと頁を捲る音だけが心地よく耳に届き、書き記された文字の一つ一つを噛み締めながら読み進めていく。
(文字が読めるか少し不安だったけど、杞憂だったな)
会話こそ問題無かったが、読み書きとなると話は変わってくる。
こちら側に来るにあたって施された「調整」ではとんでもない不具合を残していったが、最低限必要な機能は備え付けてくれたらしい。
「マナの使用不可+死のリスクを伴う神の武器」という調整ミスと付き合っていく事には変わらないが。
魔術書というと前提知識が必要とされる事が多い印象であったが、手に取った書籍は存外に読み易く、アウラのような新米の魔術師でも十分に読み解ける内容であった。
基礎的な「魔力そのもの」の応用法や効率的な術式の組み上げ方に始まり、錬金術や降霊術、召喚術に占星術といった魔術の体系。更に、最も原始的な魔術──呪術の歴史まで、その種類は様々だ。
また、数ある魔術の中には、断片的にはあるが特定の神の権能を魔術として扱うものもあるのだという。
無論、その難易度は尋常ではない。
読書自体苦手という訳ではなく、以前までは通学中に習慣として行っていた為、読み進めるスピードは中々速かった。
内容を片っ端から脳内に叩き込み、次の書籍に手を伸ばす、
(────ん?)
アウラの眼が、本の表紙に留まった。
直観的に書架から引っ張り出したので印象に残っていなかったのもあるだろうが、その書籍は他に比べて明らかに古く、紙のヨレや劣化が著しい。
本来であれば、閉架式の書庫などに保存されているであろう一冊だ。
(なんだこれ……『テオスの書』……?)
恐る恐る頁を捲る。
文字は読めるには読めるが、文体が少々古臭く、相当前に書かれた事が伺えた。
内容としてはタイトルの通り、遥かな過去である神期の伝承について纏めたもの。
西方、北方、東方、南方で信仰された神々と、地上に住んだ人外の諸種族達に関する記録。
(これだけ古いなら、まず二次資料ではないな……)
後ろの頁を見ても参考文献は書かれておらず、著者も掠れてしまって読めない。
アウラは再び本文のあるページを捲り、目を通していく。
(……「八千年前、東のシナルにはバアルとエンリル、そしてマルドゥクがいた。彼の者は神を引き裂き、礎を築いた」……)
本に記される伝承を心の中で読み上げる。
エリュシオンの真反対、海を渡った東の大陸にいた神への言及だ。
無論、その名はアウラも知っている。
慈雨の神バアルと、至高神とも謳われる大気神エンリル。
そして、原初の母神ティアマトを殺す「神殺し」を以て、天地を創造したとされる英雄神マルドゥク。
(……凡その神話も、前の世界と変わりないのか?)
神を引き裂くという記述は、元いた世界でも概ね同じだった。
古代バビロニアの創世叙事詩には、夫を殺された女神ティアマトとその子供達、そしてマルドゥク神による戦いが記録されている。
この『テオスの書』とやらの記述は酷く断片的だが、神期に紡がれたであろう神々の物語の根幹は似通っているような印象を受けた。
一応、神期に関する情報の幾つかは知らされている。だが、彼女に会う機会は恐らくもう無い。
故に、集められる情報は自分で集めなければならない。
いつの間にかアウラはその本に熱中し、止まる事なく内容に目を通していく。
(この世界独自の神はいないのか、あるいは、そもそも記録に残ってないのか……)
そう思いながら、アウラは神期の記録を漁る。
各地を統べた主神と、彼らを筆頭とする神々の序列。──更に、其処には彼らの時代の終焉に関する記述も残されていた。
(……天使の言っていた「大戦」……)
神々と、ソレに仇成す悪魔による戦争。
地上の支配権を巡るその戦いは神々の勝利で終わり、人の時代が幕を開ける原因になった。
この書物には、その細部までが記されている。
(アバドン、ベルゼブブ、アスタロトにルシファー……悪魔も随分と大物揃いだな)
神々に戦いを挑んだとされる悪魔の名。
どれも聖書において言及され、堕天使としても語られる面々だ。
(魔神となると、七十二柱の連中もいたのか……?)
かつて、ソロモン王が使役したとされる魔神たち。
神──この場合は多神教ではなく、絶対なる唯一神──より授けられた指輪をもって、かの王は魔神を支配下に置き、最後には封印したという。
天使の説明の通り、彼らは神々と戦いを繰り広げた。
ただ、彼女からは説明されていない部分も見受けられた。
(何々……「西に百頭の竜、北に火の巨人、東に破壊の蛇、大海には水竜あり」……)
悪魔以外にも、神々と争った怪物がいたという事だった。
名を直接記してはいる訳ではないが、これらの怪物たちの真名程度であれば、大体の見当は付いている。
(最強の竜テュポエウスに巨人王スルト、悪竜アジ・ダハ―カに最強生物のリヴァイアサンってところか……終末みたいって思っていたけど、あながち間違いじゃなかった訳か)
神話を代表する怪物達。場合によっては神すら凌駕すると謳われた面々だ。
神々やそれに並ぶ天使や悪魔が存在したのなら、それに匹敵する怪物達が存在していても不思議ではない。
以前の認識では御伽噺のようなモノだったが、この世界に限ってはそうではなく、れっきとした事実──歴史の一部として、確かに彼らは息づいていた。
これらの怪物が介入した事で、神々の被害はより甚大になった。
主神、或いはそれに準ずる主要神にすら匹敵する怪物である事を鑑みれば当然のこと。
その後の展開は、自分が以前に聞いた通りだった。悪魔は地下の奥底に封印、そして神々と天使は地上を去り、天上世界へと姿を消した。
だが、頁はまだ終わりではなかった。残すところ、ほんの数ページ。そこに書かれていたのは──、
「──「彼らは既に天に至れど、地には神の化現ありき」……」
何処か、予言のようにも聞こえる一文。
その言葉の通りに受け取るのなら、神は既に去ったが、地上にはその化身がいるという事になる。
(聖遺物の持ち主ならまだ分かるけど……)
家に置いて来たヴァジュラを想像する。
ただ神の武具を持っている事と、神の要素を内包する化身とでは訳が違う。
人でありながら、神の力を手繰るモノ。
神々の権能を出来る限り再現する魔術師などとは比べ物にならない存在に関して、この文書は言及していた。
にわかには信じがたい話だが、一方、そのような伝承があっても不思議ではないと感じる自分もいた。
「──まぁ、そんなに深く考えてもしょうがないか」
溜め息を吐き、背凭れに身体を預ける。
アウラがいくら考えたところで、その真偽を確かめる術は彼に無く──ただ、頭の片隅に置いておく事しかできない。
戯言に過ぎないと片付け、忘れるよりはマシだ。
気持ちを切り替え、彼は次の本を手に取り、同じように読み進めていく。
一字一句を噛み締め、余す事なく己の糧にする為に。