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作者: 樹齢二千年
残酷な描写あり R-15
35話『それぞれの夜』
「──っかぁ~! 数日ぶりのちゃんとしたベッド~~!」

 勢い良く身体を倒し、大きく溜め息を吐くカレン。
 流石の彼女も、これだけの長旅であれば疲れが溜まるというもの。

 彼らが泊まる事になったのは、シオン街の中心に建つ大聖堂から西に歩いた所にある、比較的新しい宿だった。
 ロギアとセシリアは滞在していた使徒と同じ宿に泊まり、他の部屋が埋まってしまっていた事から、クロノだけは使徒たちと同じ宿に泊まる事になった。

「確かに、船の中じゃ全然寝れなかったもんな」

「そうそう、やたら蒸し暑いわ、揺れは酷いわで散々よ」

 カレンの言う通り、二日間の船旅は彼らの疲労の八割を占めている。
 海上で遭遇した魔獣の退治もあり、生半可なものではなかった。港町に着いてからは殆ど地竜車での移動だった為、大して動いた訳ではない。

「……そうだ、一応ここの近くに浴場があるみたいだけど、アウラは先に入る?」

「いや、俺は後で良いよ。っつーか、もう少し身体を休ませたいのが本音」

 気だるげに言いながら、大の字になってベッドに寝そべる。
 冒険者になって二度目の依頼で振られた、かつてないレベルの長旅。まだまだ駆け出しの身には少々堪える移動距離だ。

「了解、じゃあお先に失礼します」

 すっと立ち上がり、部屋のドアへと向かう。
 しかし彼女はドアノブに手をかけた所で足を止め、アウラの方へと振り返り、

「覗きに来ても良いけど、命の保証はないからね?」

「行かねぇよ!!」

 警告するカレンに対し、アウラは身体を起こしながらキレ気味に即答。

「え? だってアウラ、背負っているクロノの吐息が首筋に当たってちょっと顔赤くしてたし、それぐらいはすると思ってたんだけど」

「おまっ……!? なんでそれ知ってんだよ!?」

「私の観察眼を舐めて貰っちゃ困るわね。友人に興奮するような弟子に一度お灸を据える良い機会だし、ここで一発────」

「待て待て待て!! いや、少し気になってたのは事実だけど……だからって他の子の入浴を除く程変態じゃないぞ、俺」

「あら、その辺の節操はちゃんと持ち合わせてるのね」

 驚いたように口元に手を当てるカレン。
 そんな彼女に対していい加減限界が来たのか、アウラは彼女を指差しながら、強い語気で

「一つ言わせて貰うとだな! 俺の好みはもっとスタイルの良い女性であって、カレンみたいな絶壁には一ミリも興味が────」

 その言葉が最後まで言い切られる事は無かった。
 理由は簡単だ。

「……っぶね……!」

 彼女はコンマ数秒で魔剣を抜き、彼の首を狩りにいっていた。
 間違いなく彼の命を摘み取りに行く剣筋だったが、アウラもヴァジュラを顕現させて受け止めた。
 そのまま数秒、硬直状態が続く。
 沈黙の後、先に口を開いたのはアウラだった。

「……サーセンした」

「素直でよろしい」

 久々にカレンの剥き出しの殺意を感じたのか、冷や汗を掻きながら謝る。
 一番付き合いの長い友人という事もあり、本音で話せる間柄にこそなっていたが、アウラは彼女に対する禁句を今この瞬間に学んだ。
 彼女は笑顔で答えると、改めて部屋の外へと向かった。

 嵐が去り、束の間の静寂が部屋の中に訪れる。
 その中で、アウラはただ一言。

「──気を付けよう……」

 と、己を強く戒めるように言うのだった。



 ※※※※



「私なんかがここにいて良いのでしょうか……」

「構いませんよ。別に信徒ではないからといって差別する訳でもありませんし、今の教会では、そのような行いは禁止されていますので」

 宿の一室には、ベッドに座って心配そうに零すクロノと宥めるセシリアの姿があった。
 彼女らの宿はアウラ達の宿泊する宿とは真反対の位置にあり、都市の東側にあった。こちらは少し路地に入った所にあり、あまり一目に付かない場所でもある。 
 男女同室は不味いという事で、ロギアのみ別室にいる。

 一冒険者に過ぎない彼女からすれば、一夜とはいえ、教会の聖職者と同室というのはやや肩身が狭いものでもあった。

「そう、なんですか?」

「はい。異なる神を信じていてもいなくとも、逆に言えば、これから神の教えに触れる事の出来る素晴らしい人々でもあります。それに……どんな者であれ、神が創りたもうた子羊には変わりありません」

 そう言うセシリアの顔には、珍しく笑みが浮かんでいた。
 あまり表情の変化がなく、何処か機械的な印象が纏わりついていたが、今だけは少し違っていた。

「その中でも困っている者、思い悩む者がいるなら、私達は手を差し伸べます。それが使徒……ひいては信徒として、正しい行いだと信じていますから」

「セシリアさんは、本当に心の底から聖職者なんですね」

「いえ、私などまだまだ若輩者です。教会に所属してからは長いですが、まだ何も恩返し出来ていませんし」

「恩返し?」

「……ええ。実は私、んです」

「────。」

 セシリアの口から語られた事実に、クロノは絶句していた。
 あまりにも躊躇いなく、彼女は最も忘れたいであろう過去を口にした。

「え……セシリアさんを残した、全員が?」

「それだけじゃありません、住んでいた村の人たちも一人残らず殺されました。私は瓦礫の下敷きになっていましたが、後から来た使徒に助け出されて、そのまま修道院に引き取られました」

 想像を絶する過去。
 異端派による徹底した殺戮。彼女も、それによって人生を狂わされた者の一人だった。
 平穏な日々。最愛の家族と過ごすという最も普遍的な幸福を、彼女はいとも容易く奪われてしまったのだ。
 まだ少女の彼女が背負うには、あまりにも重い過去。
 苦しむ様子もなく、セシリアは言葉を続ける。

「当初はショックで部屋に籠り切りで、食事も禄に喉を通りませんでしたね。人とも全く話さず、泣いてばかりの日々を過ごしていましたよ」

「……当然です。だって、そんなの簡単に立ち直れる筈が──」

「でも、その修道院には同じ境遇の子たちが大勢いたんです。悲しみを共有出来る人がいる、辛いのは私だけじゃない、そう思えたんです」

 当時の事を思い返しながら、彼女は語り続ける。
 戻らない過去を嘆き悲しみ続けるよりも、今を生きる。それが、唯一生き残った彼女にできる事だったのだ。

「過去を振り返っても、死んだ家族が返ってくる訳じゃない。だったら──前を向いて、自分に出来る事をするしかない。そう思って、私は教会に恩を返す為に使徒になったんです」

「……なんだかとっても立派ですね、セシリアさんは。私なんかよりも、ずっとずっと立派です」

 クロノは少し俯いて、細い声で零した。
 己の日銭を稼ぐという事も兼ねて活動している冒険者に対し、彼女の理由はあまりにも崇高だった。
 自らの過去と向き合い、健気に自分の身を捧げているのだから。

「なぜです?」

「私も一応、異端派と相まみえた事はあります。確かに罪のない人を脅かす彼らは許せませんし、自分が役に立つなら全てを尽くします。……でも私には、セシリアさんみたいな立派な理由はありません。ただ「戦えるから」ってだけなので」

 強く恥じ入るように言う。
 クロノの自己評価の低さも、彼女自身にこう言わせる要因の一つなのだろう。
 魔術師として派遣される程に実力は認められているものの、彼女はそれに自信を持てていない。己を過小評価するのが常だ。
 彼女の独白を聞いたセシリアは、少し間を置いて、 

「別に、それでも十分ではないですか」

「へ?」

 自分よりも劣っているとして述べた言葉を、セシリアは肯定した。
 困惑するクロノを置いて、彼女は続ける。

「戦えるから戦う。寧ろ、ただそれだけの理由で自らの身を危険に晒せるのは十分に素晴らしい事です。その献身をきっと、主は天から見ておられるでしょう」 

 さながら人々の願いを受け取る女神の様に、セシリアの言葉は慈愛に満ちていた。
 場合によっては、聖女とも呼ばれるだろう。聞く者の心を落ち着かせるような力が、彼女の言葉には宿っていた。

「……なんか恥ずかしいですね。私の方が年上なのに、年下の子に励まされちゃうなんて」

「いえ、私も柄にもなく告解など施してみましたが、人の悩みを受け止めるというのも、存外に悪くないですね」

 一転して、セシリアは表情を綻ばせる。
 二人の間に穏やかな空気が満ち、気が付けばかなり打ち解けていた。
 明日も早い。目的の王都までの道のりは長く、少しでも睡眠を取って体力を回復せねばならないので、就寝しようとした──その時。

 コンコン、と二回。木のドアをノックする音が響いた。

「こんな時間に、一体誰でしょうか」

「あぁ大丈夫ですよ、私が──」

 セシリアが立ち上がり、ドアノブを引く。

 その先にいたのは、別の部屋に待機していたロギアでも、他の使徒でもなかった。
 彼女は目を剥く。
 眼前に佇んでいたのは、左胸に蛇のような紋章──ソテル教のシンボルを逆にしたマークのある黒衣を纏った、大柄な男性だった。
 フードを深くかぶっており、その素顔は判別できない。

 ただ、その者は、確実に彼女らを危険に晒す者だった。

 理由は至って明確。
 その手には短刀が握られ、その凶刃は彼女の左胸──心臓に向けられていたのだから。

「────セシリアさんッ!!」

 即座に状況を理解したクロノが跳ねるように飛び出す。
 鎌を具現化しようと手を翳すが、

(ダメ、この狭い部屋じゃ私の鎌は振るえない────!)

 限られた空間において、彼女の大鎌のリーチは仇になる。
 たとえ男に傷を負わせられたとしても、セシリアもろとも切りつけてしまう恐れがあるのだ。
 彼女がセシリアの下に辿り着くのが先か、男が刃を振り下ろすのが先か。

 それは無論、後者だ。

 宿の一室に、鮮血が迸る。
 木の壁に染みを作る程に強く。

「──あ……あぁ」

 間に合わなかったクロノの顔に、絶望が浮かび上がる。
 やはり自分は何も為せない。戦えない。眼前で一人の命が奪われるというのに、あまりにも力が足りない。
 その後悔の念だけが、彼女の心で渦巻いていた。
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