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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
2.眠らない夜の絡繰り人形ー2
 この夜、鷹刀一族の屋敷で眠りにつけた者は、親を失って引き取った年少の子供たちくらいのものだったであろう。そうした子供たちですら不穏な空気を感じ、たびたび目覚めては世話役のメイドたちに抱っこをねだっていた。

 故に、この屋敷は幼子すらも完全には眠らぬ、不夜城……。

 ――否。

 とある一室に、眠る者の姿があった。

 その部屋では、白衣に身を包んだミンウェイが、薄いゴム手袋の手で薬を調合していた。長い黒髪は後ろでひとつにまとめられ、今は背で波打っている。ごく淡い緑色の壁に囲まれた室内は、天井に無影灯を備えており、銀色のワゴンの上で銀色のメスが光っていた。

「ここは……手術室か何かのつもりか?」

 三白眼の男が、斬りつけるかのような眼差しで周囲を見回していた。警察隊の緋扇シュアンである。

 作業に集中しているのか、ミンウェイからは返事がない。シュアンは、なんとなくかんに障る。

「おい、ミンウェイ!」

 それは彼自身が想像していたよりも遥かに大きな声で、彼女の白衣の肩がびくりと上がった。

 シュアンは「あ……」と口の中で小さく声を転がす。どうやら、今の自分は随分と余裕がないようだ。らしくないな、と自嘲する。

 ――実のところ、ミンウェイもまた、はっと表情を引き締め、散漫な自分を戒めていたのだが、そのことにシュアンが気づくよしもなかった。

「あら、呼び捨てですか?」

 振り返ったときのミンウェイは、いつもの穏やかな微笑を浮かべていた。そんなに親しい間柄だったかしら、と暗に言っているようだが、怒っているわけではないらしい。

「ああ、それは失礼。では、『ミンウェイ嬢』とでも、お呼びしましょうかね?」

 そんなシュアンの皮肉めいた冗談に、ミンウェイがくすりと笑う。

「『ミンウェイ』のほうがいいですね」

「なら、いいだろう?」

「そうですね」

 ふたりは和やかに笑いあったが、どちらの心にも暗い影が落ちていた。

 シュアンは、部屋の中央に据えられた、二台の手術台とでも呼ぶべきものに目を向けた。

 そのひとつには、警察隊が鷹刀一族の屋敷を襲ったとき、指揮官と共に執務室に押し入った巨漢が寝かされていた。ミンウェイによると、薬で眠っているとのことだが、念のため、両手両足は台に拘束されている。

 警察隊の制服を着ているが、シュアンの知らない顔であり、斑目一族に属する凶賊ダリジィンだと思われた。この男は、指揮官とは協力体制にあるのだと思っていたが、どうやら指揮官の監視役だったらしい。

 そして、もうひとつの台で眠っているのは――。

「ローヤン先輩……」

 美形というには、あと一歩足りないが、面倒見がよく、人のための苦労を喜んで背負い込むような男であったから、警察隊内外で人気があった。

 新人のころのシュアンの憧れ――兄貴分とすらいえ、正義感に燃えていた時分のシュアンと肩を組みながら『いつか、世を正す』と絵空事を本気でうたっていた。

 ひょっとしたら、よりまっすぐだったのは、シュアンのほうだったのかもしれない。だから彼は、矢のように、ぽっきり折れてしまった。けれどローヤンは、しなやかな弓のように耐え、今もなお力強く弦を震わせている……はずだった。

「あなたに良くしてくれた方だと聞きました」

 ミンウェイが静かに言った。

「はっ。理想主義の甘ちゃんだったよ」

 シュアンは斜に構えた凶相を作り、うそぶく。ローヤンとは、とうの昔に喧嘩別れした。今更、感傷に浸っても仕方ない。

 ミンウェイは薬瓶を持ったまま、物言いたげな瞳で、じっとシュアンを見つめた。だが、それ以上、ローヤンに関しては何も言わなかった。代わりに、こう言う。

「あなたから、血の臭いがします」

「言ったろ、斑目の取り引き現場から直行してきた、って。――見苦しい凶賊ダリジィンを数匹、血祭りにあげてきた」

 シュアンは、三白眼でミンウェイをめ上げた。

 押収した麻薬を目の前に、言い逃れをしようとする輩を撃った。今まで警察隊の目を逃れ続けてきたのが嘘であったかのように、あっという間の捕物だった。

「さすが、鷹刀の情報だ。無駄がなかった」

「そうですか」

 ミンウェイは無表情に、ただ相槌を打つ。

「それより、この部屋はなんだ? てっきり地下牢みたいなところで拷問するのかと思っていたが……」

「あなたがおっしゃった通り、『手術室』ですよ」

「あんた、もぐりの医者か?」

「医師免状は持っているので、もぐりではありませんね」

「ふん……」

 シュアンは、ミンウェイの爪先から頭までを、三白眼でひと舐めした。

「で? お医者の先生は、これから何をするつもりなのさ?」

 ふたりの『患者』の体から伸びたコードが、それぞれのモニタ画面で規則的な波形を描いていた。これから美人の女医に、どう惑わされ乱されるのか。普段のシュアンなら血走った目を爛々らんらんと輝かせながら、涎を垂らさんばかりに興奮し、期待したことだろう。

 しかし、今日はそんな気分になれなかった。

「少し、お話しするだけですよ」

 柔らかな声に静かな微笑み。だが、目は笑っていない。これが冷たい氷の眼差しというのなら理解できる。

 違うのだ。

 瞳にまるで揺らぎがない。『目は口ほどに物を言う』との言葉がある通り、誰しも感情が目に現れるものだ。なのに、完全なる凪――。

 ミンウェイは慣れた手つきで点滴の用意をし、針を巨漢の手の甲に刺した。

「自白剤か」

「脳を少し麻痺させて、嘘をつくという発想をなくしてもらうだけです。あなたも警察隊員なら多少の知識はあるでしょう?」

「ああ、習った気がする。……LSDやチオペンタール――麻薬や睡眠薬とかだな。意識を朦朧とさせる目的だ。あと、毒草もあったな。名前は確か……ベラドンナ」

 その瞬間、ミンウェイが片付けようとしていた薬瓶を取り落とした。

 がしゃん、と大きな音を立てて、瓶の欠片が飛散した。透明な液体が床に広がり、シュアンの足元まで流れてくる。

「おっと」

 その液体の正確な名前は知らないが、どうせ危険なものだろう。靴を履いてはいたが、シュアンは思わず飛び退いた。

「おいおい、どうしたんだよ? あんたらしくもないな」

「あ、ああ、すみません」

 勿論シュアンは、ミンウェイがかつて〈ベラドンナ〉という名の暗殺者だったことは知らない。だから、彼女も緊張しているのだと素直に捉えた。

「ちょっと失礼します」と、隣室まで掃除用具を取りに行くミンウェイの後ろ姿を見送り、シュアンは、ふと気づいた。

「よう。お目覚めか?」

 巨漢の濁った目玉が、ぎょろりとシュアンを見ていた。硝子の割れる音が刺激となり、気づいたようだ。

「ここは……?」

 点滴は既に落ち始めている。だが、まだ薬の効果は出ていないだろう。

「あんたに質問は許されちゃいない。あんたは質問に答える役だ」

「ああ、あなたは鷹刀イーレオの部屋で、私を撃った警察隊員ですね。……ということは、ここは警察隊……いえ、違いますね。鷹刀の屋敷だ」

 巨漢は、頬から首へと刻まれた大きな刀傷を引きつらせて嗤った。その傷跡のそばには、シュアンがつけた擦過傷が赤く並んでいる。

 シュアンは、ホルスターの中の拳銃を意識した。先ほど、麻薬取締りで使った分の弾は、ちゃんと補充してある。

 この巨漢は見た目は肉体派だが、指揮官の監視役を任されていた男だ。意外に頭が切れるのかもしれない。完全に拘束されている相手を恐怖しているわけではないのだが、油断は禁物だった。

 シュアンは警戒心が顔に出ないよう、口元に薄ら笑いを浮かべる。点滴のスタンドに近づき、薬剤の落ちる速度を早めた。

「あんたの名前と所属は?」

 高圧的に見下ろし、シュアンは巨漢に尋ねた。

「名前は、なんでしたっけね? 所属は、見ての通り鷹刀の捕虜でしょう?」

「随分と、ふざけた答えだな。まぁ、俺もあんたの名前なんかに興味はないけどな」

「はははは! 奇遇ですね。私もですよ! はっはっは」

 受け答えとしては決しておかしくはない。だが、場違いなほど陽気に巨漢は笑った。その異常さは、すなわち薬が効き始めた証拠だった。

 そのとき、部屋の扉が開き、モップを持ったミンウェイが戻ってきた。

「あ……」

「さっき、目覚めた。薬が効き始めたところだ」

「そうでしたか。ありがとうございます」

 ミンウェイはシュアンに一礼すると、モップを置いて巨漢の傍らに立った。

 白衣の背中は、ぴんと綺麗に伸びていたが、どこか頼りない。よく考えれば、既に点滴が落とされている敵を置いて部屋を出たのは、彼女らしからぬ失態といえた。

 巨漢は何を思ったのか、ミンウェイを見てうっとりと微笑んだ。それに対し、ミンウェイは、ただ凪いだ目を向ける。

「ここは鷹刀の屋敷。あなたは捕らわれていて、生殺与奪の権は私にあります。薬剤の投与をしていますが、あなたの体の状態は常にモニタされているので、危険な状態になったら休止することも可能です」

 ミンウェイの言葉に、巨漢はけたけたと笑い出した。 

「もぉっと、分かりやすくぅ言うべきですよぉ。薬を打たれている私がぁ、そんな複雑なことぅを理解できるわけないでしょぉ」

 呂律が回っていない。だが、言っていることは至極まっとうである。ミンウェイは、はっと小さく息を吸い、吐き出した。

「私の質問に素直に答えれば、命は助けてもよい、ということです」

 まだ充分な薬が体内を巡っていないと判断したのか、彼女は点滴の量を増やした。モニタが警告音を鳴らし、巨漢の心拍数が急上昇したことを告げる。

 無慈悲なまでの穏やかさで、ミンウェイは巨漢に目を向ける。一見、彼女に余裕があるように見えるが、シュアンは彼女のまとう雰囲気に不協和音を感じていた。

「あなた方は、お祖父様――鷹刀イーレオを、誘拐犯として生きたまま捕らえるつもりでしたよね?」

「そぉうですよ」

「警察隊に逮捕させて、裏で斑目に身柄を引き渡す。そういう約束だったのでしょう?」

「あぁ」

「生かしたまま捕らえて、そのあと、どうするつもりだったんですか?」

「……殺したらぁ、それで終わりでしょうぅ? 生かしてこそ、苦しみを与えられるぅ。は、ははははは……」

 さも愉快だと言わんばかりに、巨漢が笑う。

「あぁ、本当にぃ、この体は薬物の耐性がありませんねぇ。……そうか、トリップとはこういう気分……。まるで美酒に酔いしれているようぅ。はっ、はっはっは……。エクスタシーですねぇ……」

 聞いてもいないことを、ぺらぺらと喋りだすのは、薬の効果。巨漢は、豪快に笑ったかと思えば、うっとりと目を細める。そして、とろけたような顔をミンウェイに向けた。だらしなく開けた口元に、つぅっと唾液が垂れる。

「ああぁ、〈ベラドンナ〉。君の体も、薬に慣らしてしまっていたねぇ……。それは勿体ないことだったぁ……。私は罪悪感を感じるぅぅ……」

「……!」

 ――ミンウェイの瞳に、感情の色が走った。それは波濤に飲まれる恐怖の闇色をしていた。

 彼女は言葉を失っていた。小さく唇が動くが、なんの音も出せないでいた。

 シュアンは眉を寄せた。

 薬を打たれて気が大きくなっている巨漢に対し、問う側のミンウェイが喰われている。

 室内に、警告音が鳴り響き、モニタの波形が激しく波打つ。それと張り合うかのように、巨漢が哄笑を上げた。

 ちっ、とシュアンが舌打ちした。

「おい、ミンウェイ!」

 巨漢の言動に神経を尖らせつつ、シュアンは横目でミンウェイを見やった。

 長い髪が背でまとめられ、彼女の白い耳たぶは、むき出しになっていた。だが、形のよい耳は、このやかましい状況下で役目を忘れたかのように機能していなかった。

「俺を失望させんなよ」

 シュアンはミンウェイの肩を抱き寄せ、耳元に口を寄せた。まるで恋人に囁くかのような甘い動作で、彼女の鼓膜に毒を注ぐ。

「――喰い殺す側の人間だろ、あんたは」

「……あ」

「それとも、俺に喰われるか?」

 そう言ってシュアンは体を引く。薄ら笑いを浮かべた口から、狂犬の牙が覗いていた。

「緋扇さん……」

 戸惑いの表情で、ミンウェイの目がシュアンを追った。そして、ふたりの視線が合ったとき、彼女の瞳に柔らかな光が灯る。彼女は緩やかに、くすりと笑った。

「お断りします」

「そうかい。それは残念だ」

 ちっとも残念そうではなく、シュアンは鼻息を漏らす。

 巨漢に視線を戻した彼の耳に、「感謝します」という小さな声が入ってきた。しかし、彼は騒音に掻き消されて聞こえなかったふりをした。

 ミンウェイは改めて巨漢と向き合った。穏やかな、凪いだ瞳を取り戻し、尋問を再開する。

「あなたのことを教えてください」

 巨漢が笑いを止め、濁った目でミンウェイを見上げた。

 彼女が言葉を重ねる。

「『生かして苦しみを与える』――それは、斑目の望みですか?」

「当然、……私……の望みに決まっていますよぉ!」

「あなたは何者ですか?」

「私……、私……? ……わた……。……俺…………?」

 巨漢が、急に押し黙った。何かに悩むかのように眉根を寄せている。じわりじわりと額に脂汗が浮かんできた。

「『俺』は……。『俺』は…………」

 呻くような声が、絞り出される。

「ちがぅっ! 『俺』はっ……! あぁ――――!」

 突如、眼球が飛び出しそうなほどに、目が見開かれた。

「『俺』は、〈影〉……!」

 全身が痙攣し始め、巨漢は獣のような唸り声を上げる。 

「ミンウェイ、心拍数!」

 機器が激しく警告音を鳴らす。

 薬の過剰摂取などではない。だが、ミンウェイは慌てて点滴を外す。

 そのときだった。

 巨漢の全身が、真っ赤に染め上げられた。

 血管という血管が破裂して、血の飛沫が飛び散る。

「な……」

 シュアンは絶句した。隣ではミンウェイが青ざめた顔で呆然としている。

 巨漢が苦悶の表情を浮かべ、台の上でぴくぴくと動いていた。モニタは、ごくごくゆっくりと波形を描き、だが、完全には止まっていない。

 不意に、少し離れたところから動くものの気配があった。

 シュアンは、どきりとして振り返る。

「ああ、『呪い』が発動したんですね」

 今まで、完全に意識の外にあった、シュアンの先輩。

 隣の台に拘束されていた彼が、こちらに顔を向け、嗤っていた。

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