残酷な描写あり
2.謎めきのふたつの死-2
四年前の、その夜――。
ルイフォンは、けたたましい警報音に叩き起こされた。
部屋を出て階下に降りると、警護の男たちが殺されていた。――強盗の類だと、彼は思った。
物音をたどって地下に行くと、母親のキリファがいた。
顔を隠した男と、何かを言い争っているようだった。
そして、刀が振り上げられる。
白刃が、ぎらりと煌めく。
母の首元を飾っていた革のチョーカーが斬れ、金の鈴が飛んだ……。
目が覚めたら、繁華街にあるシャオリエの娼館にいた。誰かが、彼を家から運んだらしい。
頭が重く、靄がかかったように記憶が曖昧だった。
ふと彼は、自分の拳が固く握られたままであることに違和感を覚えた。一本一本、指を引きはがすように開いていく。
開かれた掌の上に、金色の光が広がった。
母が、肌身離さず身につけていた――鈴、だった。
「キリファの家の異変は、〈ケル〉が、鷹刀の屋敷にある〈ベロ〉の警報器を鳴らしたことによって伝わり、私が駆けつけた」
「エルファンが……?」
静かな異母兄の言葉に、ルイフォンは思わず目を見開いた。
確かに母は、かつてはエルファンの愛人だった。しかし、仲がこじれてそれきりと聞いている。だから、てっきりイーレオが駆けつけたものと思っていたのだ。
「そこに残されていたのは、意識を失ったルイフォン――お前と、大量の血痕。そして、ふと気づくと、近くにあったモニタに、防犯カメラが撮っていたと思われる『犯行現場』が映し出されていた」
「――そんな、都合のいい……?」
そう口走り、ルイフォンは「あっ」と叫ぶ。
「〈ケル〉か! 〈ベロ〉の兄弟なら、状況判断ができるはずだ。それで、何が起きたのかをエルファンに伝えようと……」
「そういうことだろう。あのときの私は、偶然にしては都合が良すぎると気づけなかったがな」
「その映像によって、先王が母さんを殺したと分かった、ということか……」
知らずに噛んでいた唇が切れ、口の中にざらりと血の味が広がった。ふつふつと、怒りが湧いてくる。
ルイフォンは、見たはずなのだ。
エルファンが記録された録画で見たものを、この目で見たはずなのだ。
なのに、いくら懸命に記憶をたどっても、刀を振り上げたあの男の顔は朧気で、紗が掛かったように判然としない。
「これが、〈天使〉の力……か」
拳を握りしめる。
王を相手に無謀な仇討ちを仕掛けないよう、息子を守ろうとした母の愛は、復讐心にすら蓋をした。人づてに聞いて、やっと正しく湧き出た憎悪が、不甲斐なくてたまらない。
「あの夜。〈ケル〉の警報器がけたたましく鳴り響いて、俺は起こされた。部屋を出たら警護の者が殺されていて……」
「ルイフォン?」
エルファンが咎めるような声を発した。見れば、怪訝な顔でこちらを見ている。
「なんだよ?」
「お前の記憶では、警報器が鳴って、警護の者が殺されているのか?」
異母兄の不可解な質問に、ルイフォンはぽかんと口を開け、続けて息を呑む。
「現実は、違うのか……!?」
「ああ。あの日キリファは、警護の者たちに暇を出していた」
「……!?」
心臓が、大きく脈打った。
信じられない証言だった。
「〈ケル〉も、先王を客として迎え入れていて、警報を鳴らしていない。〈ケル〉が〈ベロ〉の警報器を鳴らしたのは、タイミングからして、キリファが殺される直前だ」
「……それじゃあ母さんは、……先王と約束をしていた……」
「そうなるな」
「そんな……、先王は強盗を装って、母さんを殺しに来たんじゃ……」
ルイフォンは、母親譲りの癖の強い前髪を掻き上げた。
母は、なんのために先王を招いたのだろう?
先王は、どうして母に会いに来た?
……それは、王の地位にある者が王宮を抜け出て、自ら出向くほどの用件なのだ――。
「そうだ、会話の記録は!? 俺の記憶では、母さんと侵入者が何かを言い争っていた。あれが偽の記憶でなければ、カメラの録画記録にはそのときの会話が残されていたはずだ」
期待を込めて、ルイフォンはエルファンを見つめ……恐怖を覚えた。
映すものすべてを凍りつかせるような、冷たい瞳――。
「先王とキリファは、確かに何かを話していた。……その話し合いの末に、王が抜刀した」
「エルファン?」
ルイフォンの不審の声に、エルファンは何かを払うように首を振った。だが、膝の上で組んだ彼の指先は、強く握りしめすぎて白くなっている。
「私が見た――〈ケル〉に見せられたのは、音声の入っていない、映像のみの記録だった。だから、会話内容は分からん。キリファの死の真相は、いまだに謎に包まれたままだ」
「……そうか」
ルイフォンは肩を落とす。
そこに追い打ちをかけるかのように、エルファンが「しかも――」と、続ける。
「父上にご確認願おうと、記録を持ち帰ろうとしたのだが、そのときには既に上書きされて消されていた」
「なっ!? 〈ケル〉が故意に消した……? 何故だ……?」
「あのコンピュータについては、お前のほうが専門だろう?」
吐き捨てるように言って、エルファンは溜め息をつく。話はそれだけだ、ということらしい。大事なところが分からずじまいとなったルイフォンは、ぎりっと奥歯を噛む。
ルイフォンの隣から「あのっ……」と、申し訳なさそうなメイシアの声が上がった。
「エルファン様……、その……すみませんでした。……ルイフォンも……」
「ん? どうして、お前が謝るんだ?」
「だって、ルイフォン。もとはといえば、『先王陛下の甥』についてのお話をしていたはずなのに、私がキリファさんと先王陛下の件を持ち出したりして……」
そう言いながらも、彼女の視線は迷うように揺れている。
ルイフォンは、ピンと来た。メイシアが理由もなく、混乱を招くような発言をするわけがないのだ。こういうときの彼女には後押しが必要だ。
「何か、あるんだろ? 言ってみろよ」
できるだけ、さりげなく促す。
メイシアはわずかに逡巡し、けれど頷いた。
「実は……、先王陛下の甥、ヤンイェン殿下は、私の再従兄妹にあたる方です。――私の父方の祖母が、ご降嫁された王女殿下なんです」
「っ……?」
ルイフォンは虚を衝かれた。
メイシアが王族の血を引いているなんて、初耳だった。貴族であることは分かりきっていたが、王族との繋がりなど、まったく考えたこともなかった。
「お前……ひょっとして、女王とも血縁なのか……?」
ルイフォンの驚きに、メイシアは気後れした様子で「はい」と小さく答え、皆に向かって改めて告げる。
「私は、女王陛下とも再従姉妹の関係にあります。ですが、数多の貴族のひとりに過ぎず、陛下と血縁を名乗れるような者ではありません。けれど、ヤンイェン殿下は……」
「何か、あるのか?」
ルイフォンの言葉に、メイシアが遠慮がちに頷く。
「立場としては雲の上のような方ですが、少しだけ親しくお声を掛けていただいておりました」
「親しく……?」
メイシアに妙な下心を抱いていたのかと、険悪な顔になる。それに気づいた彼女は、ふるふると首を振った。
「あの方は、浮世離れした不思議な方で、……父に、興味がおありだったんです」
「親父さん……?」
「平民と再婚した父に対して、『藤咲の当主はロマンチストだ。憧れるね』――と。貴族の社会で異端視されていた、平民の血を引くハオリュウにも好意的でらっしゃいました」
まるで知らない、別世界のメイシアを見せつけられ、ルイフォンは衝撃を受けた。現在の彼女とはもはや関係ないはずだが、やはり何も思わずにはいられない。
「すみません。だから私、ヤンイェン殿下を悪く思いたくなくて……余計なことを言いました。申し訳ございません」
深々と頭を下げ、メイシアは言葉を終えた。
――なんとも言えぬ、微妙な空気が流れる。
その居心地の悪さに耐えかねたように、どことなく、ばつの悪そうなリュイセンが「すまんな」とメイシアに声を掛けた。
「だが、メイシア。先王の甥――ヤンイェンというのか? ……そいつは、どう考えても疑わしい。奴は国王殺しのくせに、幽閉を解かれて女王の婚約者に収まった。権力を狙う野心家にしか見えない」
「――ええ。現状を考えると、リュイセンの言う通りだと思います。けど……」
メイシアは困ったように口ごもり、けれど続けた。
「ヤンイェン殿下は、女王陛下がお生まれになられたときから、第一の夫候補でした。十歳以上もお歳が離れてらっしゃいますが、血統的にあの方以上の方はいらっしゃらないからです」
「なんだって!? それじゃ、もともと女王に次ぐ権力が約束されていた、ってことか!?」
リュイセンの驚愕の叫びに、メイシアは首肯する。
「なんだよ、それ!? わけが分からん! 先王に腹心として気に入られていて、未来の女王の夫の座も内定していて――それなのに何故、ヤンイェンは先王を殺したんだ?」
リュイセンが首をかしげる。けれど、それにはメイシアも答えられなかった。
空調の冷気が、すっと部屋を横切る。わずかな風音がやけに大きく聞こえた。
イーレオがぶるりと身を震わせ、「この部屋は寒すぎるぞ」と、ぼやいた。
「〈猫〉、そろそろ、お開きでいいか?」
イーレオは、ルイフォンに尋ねる。
既に、どうでもよさそうなことだが、ルイフォンが『鷹刀の対等な協力者』〈猫〉として皆を集めていたので、イーレオは礼儀を通して『〈猫〉』と呼んだのだ。
しかし、ルイフォンからの返事はなかった。彼は椅子の肘掛けに頬杖をつき、頭の中を異次元に飛ばしていた。
「母さんの死と、先王の死――。ふたつの死には、どんな意味があったのか……」
誰に言うわけでもなく、うつむき加減にルイフォンは独りごちる。
「おい、〈猫〉!」
やや高圧的にイーレオが呼びかけると、ルイフォンは顔を上げ、にやりと不敵に嗤った。
「確かに、これ以上、ここで考えていても仕方がない。お開きだ。――だがひとつ、俺がやるべきことを思いついた」
ルイフォンは鋭い視線を巡らせ、一同を見やる。
「〈ケル〉に話を聞きに行く」
「〈ケル〉に!?」
そう叫んだのはリュイセンだったが、皆、同じ思いだった。
「あいつは、母さんと先王のやり取りをすべて見ていた。――あいつはこの屋敷の〈ベロ〉の兄弟機だ。人間並みの判断力を持った人工知能が隠されているはずだ。あいつに、教えてもらう」
「そんなことできるのか? だって〈ベロ〉はあのあと、お前がいくら呼んでも出てこなかったんだろう?」
なかなか嫌なことを言ってくる兄貴分に、ルイフォンは顔をしかめる。
「ユイランから受け取った、母さんの『手紙』。あれは同じシステムである〈スー〉のプログラムと、〈ケルベロス〉の解説書だ。あれを読んで、〈ケルベロス〉の扱いが少しだけ分かったんだよ」
まだほんの触りしか理解できていないが、それでもやれるはずだ。ルイフォンは口角を上げる。
「簡単には出てきてくれやしないだろうが、この俺が相手だ。必ず〈ケル〉を引きずり出してやる。――ということで、解散!」
ルイフォンは勢いよく立ち上がる。それに応えるように、彼の背で金色の鈴が大きく跳ねた。
そして今――。
ルイフォンはメイシアを伴い、かつて母と住んでいた家に来ている。
彼はメイシアの手を握り、地下に向かう。
ゆっくりと階段を降りる足音が、閉ざされた空間に響いた。
ルイフォンは、けたたましい警報音に叩き起こされた。
部屋を出て階下に降りると、警護の男たちが殺されていた。――強盗の類だと、彼は思った。
物音をたどって地下に行くと、母親のキリファがいた。
顔を隠した男と、何かを言い争っているようだった。
そして、刀が振り上げられる。
白刃が、ぎらりと煌めく。
母の首元を飾っていた革のチョーカーが斬れ、金の鈴が飛んだ……。
目が覚めたら、繁華街にあるシャオリエの娼館にいた。誰かが、彼を家から運んだらしい。
頭が重く、靄がかかったように記憶が曖昧だった。
ふと彼は、自分の拳が固く握られたままであることに違和感を覚えた。一本一本、指を引きはがすように開いていく。
開かれた掌の上に、金色の光が広がった。
母が、肌身離さず身につけていた――鈴、だった。
「キリファの家の異変は、〈ケル〉が、鷹刀の屋敷にある〈ベロ〉の警報器を鳴らしたことによって伝わり、私が駆けつけた」
「エルファンが……?」
静かな異母兄の言葉に、ルイフォンは思わず目を見開いた。
確かに母は、かつてはエルファンの愛人だった。しかし、仲がこじれてそれきりと聞いている。だから、てっきりイーレオが駆けつけたものと思っていたのだ。
「そこに残されていたのは、意識を失ったルイフォン――お前と、大量の血痕。そして、ふと気づくと、近くにあったモニタに、防犯カメラが撮っていたと思われる『犯行現場』が映し出されていた」
「――そんな、都合のいい……?」
そう口走り、ルイフォンは「あっ」と叫ぶ。
「〈ケル〉か! 〈ベロ〉の兄弟なら、状況判断ができるはずだ。それで、何が起きたのかをエルファンに伝えようと……」
「そういうことだろう。あのときの私は、偶然にしては都合が良すぎると気づけなかったがな」
「その映像によって、先王が母さんを殺したと分かった、ということか……」
知らずに噛んでいた唇が切れ、口の中にざらりと血の味が広がった。ふつふつと、怒りが湧いてくる。
ルイフォンは、見たはずなのだ。
エルファンが記録された録画で見たものを、この目で見たはずなのだ。
なのに、いくら懸命に記憶をたどっても、刀を振り上げたあの男の顔は朧気で、紗が掛かったように判然としない。
「これが、〈天使〉の力……か」
拳を握りしめる。
王を相手に無謀な仇討ちを仕掛けないよう、息子を守ろうとした母の愛は、復讐心にすら蓋をした。人づてに聞いて、やっと正しく湧き出た憎悪が、不甲斐なくてたまらない。
「あの夜。〈ケル〉の警報器がけたたましく鳴り響いて、俺は起こされた。部屋を出たら警護の者が殺されていて……」
「ルイフォン?」
エルファンが咎めるような声を発した。見れば、怪訝な顔でこちらを見ている。
「なんだよ?」
「お前の記憶では、警報器が鳴って、警護の者が殺されているのか?」
異母兄の不可解な質問に、ルイフォンはぽかんと口を開け、続けて息を呑む。
「現実は、違うのか……!?」
「ああ。あの日キリファは、警護の者たちに暇を出していた」
「……!?」
心臓が、大きく脈打った。
信じられない証言だった。
「〈ケル〉も、先王を客として迎え入れていて、警報を鳴らしていない。〈ケル〉が〈ベロ〉の警報器を鳴らしたのは、タイミングからして、キリファが殺される直前だ」
「……それじゃあ母さんは、……先王と約束をしていた……」
「そうなるな」
「そんな……、先王は強盗を装って、母さんを殺しに来たんじゃ……」
ルイフォンは、母親譲りの癖の強い前髪を掻き上げた。
母は、なんのために先王を招いたのだろう?
先王は、どうして母に会いに来た?
……それは、王の地位にある者が王宮を抜け出て、自ら出向くほどの用件なのだ――。
「そうだ、会話の記録は!? 俺の記憶では、母さんと侵入者が何かを言い争っていた。あれが偽の記憶でなければ、カメラの録画記録にはそのときの会話が残されていたはずだ」
期待を込めて、ルイフォンはエルファンを見つめ……恐怖を覚えた。
映すものすべてを凍りつかせるような、冷たい瞳――。
「先王とキリファは、確かに何かを話していた。……その話し合いの末に、王が抜刀した」
「エルファン?」
ルイフォンの不審の声に、エルファンは何かを払うように首を振った。だが、膝の上で組んだ彼の指先は、強く握りしめすぎて白くなっている。
「私が見た――〈ケル〉に見せられたのは、音声の入っていない、映像のみの記録だった。だから、会話内容は分からん。キリファの死の真相は、いまだに謎に包まれたままだ」
「……そうか」
ルイフォンは肩を落とす。
そこに追い打ちをかけるかのように、エルファンが「しかも――」と、続ける。
「父上にご確認願おうと、記録を持ち帰ろうとしたのだが、そのときには既に上書きされて消されていた」
「なっ!? 〈ケル〉が故意に消した……? 何故だ……?」
「あのコンピュータについては、お前のほうが専門だろう?」
吐き捨てるように言って、エルファンは溜め息をつく。話はそれだけだ、ということらしい。大事なところが分からずじまいとなったルイフォンは、ぎりっと奥歯を噛む。
ルイフォンの隣から「あのっ……」と、申し訳なさそうなメイシアの声が上がった。
「エルファン様……、その……すみませんでした。……ルイフォンも……」
「ん? どうして、お前が謝るんだ?」
「だって、ルイフォン。もとはといえば、『先王陛下の甥』についてのお話をしていたはずなのに、私がキリファさんと先王陛下の件を持ち出したりして……」
そう言いながらも、彼女の視線は迷うように揺れている。
ルイフォンは、ピンと来た。メイシアが理由もなく、混乱を招くような発言をするわけがないのだ。こういうときの彼女には後押しが必要だ。
「何か、あるんだろ? 言ってみろよ」
できるだけ、さりげなく促す。
メイシアはわずかに逡巡し、けれど頷いた。
「実は……、先王陛下の甥、ヤンイェン殿下は、私の再従兄妹にあたる方です。――私の父方の祖母が、ご降嫁された王女殿下なんです」
「っ……?」
ルイフォンは虚を衝かれた。
メイシアが王族の血を引いているなんて、初耳だった。貴族であることは分かりきっていたが、王族との繋がりなど、まったく考えたこともなかった。
「お前……ひょっとして、女王とも血縁なのか……?」
ルイフォンの驚きに、メイシアは気後れした様子で「はい」と小さく答え、皆に向かって改めて告げる。
「私は、女王陛下とも再従姉妹の関係にあります。ですが、数多の貴族のひとりに過ぎず、陛下と血縁を名乗れるような者ではありません。けれど、ヤンイェン殿下は……」
「何か、あるのか?」
ルイフォンの言葉に、メイシアが遠慮がちに頷く。
「立場としては雲の上のような方ですが、少しだけ親しくお声を掛けていただいておりました」
「親しく……?」
メイシアに妙な下心を抱いていたのかと、険悪な顔になる。それに気づいた彼女は、ふるふると首を振った。
「あの方は、浮世離れした不思議な方で、……父に、興味がおありだったんです」
「親父さん……?」
「平民と再婚した父に対して、『藤咲の当主はロマンチストだ。憧れるね』――と。貴族の社会で異端視されていた、平民の血を引くハオリュウにも好意的でらっしゃいました」
まるで知らない、別世界のメイシアを見せつけられ、ルイフォンは衝撃を受けた。現在の彼女とはもはや関係ないはずだが、やはり何も思わずにはいられない。
「すみません。だから私、ヤンイェン殿下を悪く思いたくなくて……余計なことを言いました。申し訳ございません」
深々と頭を下げ、メイシアは言葉を終えた。
――なんとも言えぬ、微妙な空気が流れる。
その居心地の悪さに耐えかねたように、どことなく、ばつの悪そうなリュイセンが「すまんな」とメイシアに声を掛けた。
「だが、メイシア。先王の甥――ヤンイェンというのか? ……そいつは、どう考えても疑わしい。奴は国王殺しのくせに、幽閉を解かれて女王の婚約者に収まった。権力を狙う野心家にしか見えない」
「――ええ。現状を考えると、リュイセンの言う通りだと思います。けど……」
メイシアは困ったように口ごもり、けれど続けた。
「ヤンイェン殿下は、女王陛下がお生まれになられたときから、第一の夫候補でした。十歳以上もお歳が離れてらっしゃいますが、血統的にあの方以上の方はいらっしゃらないからです」
「なんだって!? それじゃ、もともと女王に次ぐ権力が約束されていた、ってことか!?」
リュイセンの驚愕の叫びに、メイシアは首肯する。
「なんだよ、それ!? わけが分からん! 先王に腹心として気に入られていて、未来の女王の夫の座も内定していて――それなのに何故、ヤンイェンは先王を殺したんだ?」
リュイセンが首をかしげる。けれど、それにはメイシアも答えられなかった。
空調の冷気が、すっと部屋を横切る。わずかな風音がやけに大きく聞こえた。
イーレオがぶるりと身を震わせ、「この部屋は寒すぎるぞ」と、ぼやいた。
「〈猫〉、そろそろ、お開きでいいか?」
イーレオは、ルイフォンに尋ねる。
既に、どうでもよさそうなことだが、ルイフォンが『鷹刀の対等な協力者』〈猫〉として皆を集めていたので、イーレオは礼儀を通して『〈猫〉』と呼んだのだ。
しかし、ルイフォンからの返事はなかった。彼は椅子の肘掛けに頬杖をつき、頭の中を異次元に飛ばしていた。
「母さんの死と、先王の死――。ふたつの死には、どんな意味があったのか……」
誰に言うわけでもなく、うつむき加減にルイフォンは独りごちる。
「おい、〈猫〉!」
やや高圧的にイーレオが呼びかけると、ルイフォンは顔を上げ、にやりと不敵に嗤った。
「確かに、これ以上、ここで考えていても仕方がない。お開きだ。――だがひとつ、俺がやるべきことを思いついた」
ルイフォンは鋭い視線を巡らせ、一同を見やる。
「〈ケル〉に話を聞きに行く」
「〈ケル〉に!?」
そう叫んだのはリュイセンだったが、皆、同じ思いだった。
「あいつは、母さんと先王のやり取りをすべて見ていた。――あいつはこの屋敷の〈ベロ〉の兄弟機だ。人間並みの判断力を持った人工知能が隠されているはずだ。あいつに、教えてもらう」
「そんなことできるのか? だって〈ベロ〉はあのあと、お前がいくら呼んでも出てこなかったんだろう?」
なかなか嫌なことを言ってくる兄貴分に、ルイフォンは顔をしかめる。
「ユイランから受け取った、母さんの『手紙』。あれは同じシステムである〈スー〉のプログラムと、〈ケルベロス〉の解説書だ。あれを読んで、〈ケルベロス〉の扱いが少しだけ分かったんだよ」
まだほんの触りしか理解できていないが、それでもやれるはずだ。ルイフォンは口角を上げる。
「簡単には出てきてくれやしないだろうが、この俺が相手だ。必ず〈ケル〉を引きずり出してやる。――ということで、解散!」
ルイフォンは勢いよく立ち上がる。それに応えるように、彼の背で金色の鈴が大きく跳ねた。
そして今――。
ルイフォンはメイシアを伴い、かつて母と住んでいた家に来ている。
彼はメイシアの手を握り、地下に向かう。
ゆっくりと階段を降りる足音が、閉ざされた空間に響いた。