残酷な描写あり
6.一条の輝き-2
差し伸べられたルイフォンの手に、タオロンは大きく目を見開き、巨体を震わせた。浅黒い顔が極上の笑みをこぼし、それが鏡に映って数多に広がる。
「ありがとう、な……、……」
力強く、太い声。
――けれど……。
その言葉の先は、急速に細くしぼんでいった。
タオロンの笑みは、くしゃくしゃと、くしゃくしゃと……崩れていき、やがて――絶望に彩られる。
「!? タオロン……?」
不審な様子に、ルイフォンは胸騒ぎを覚えた。
「夢のようだ……。……ああ、けど……、けどよ、ファンルゥが……、ファンルゥが――! 糞ぉっ……!」
タオロンはうつむき、その巨躯をわななかせる。低い吠え声が、鏡に跳ね返って響き渡った。
「タオロン?」
「すまねぇ!」
拳を握りしめ、タオロンは叫ぶ。
「本当に、すまねぇ! 俺は、お前たちの手を取ることはできねぇ……!」
「――っ!?」
信じられない返答だった。
タオロンがこちらにつくことを前提に、〈蝿〉と正面から対峙した。
それが、足元から崩れていく。
「なっ、何故だ!?」
「俺が〈蝿〉を裏切れば、ファンルゥが殺される……」
下げられた頭から、髪を抑えている赤いバンダナの端が力なく垂れた。それは小刻みに震えており、タオロンの嗚咽を視覚化していた。
「どういうことだよ!? ファンルゥは部屋に閉じ込められているだけだろ? 今ここで〈蝿〉を捕まえちまえば、誰もファンルゥに手出しをできないはずだ」
「違う……! ファンルゥは、〈蝿〉に腕輪をはめられている」
「腕輪?」
ルイフォンは、別れ際のファンルゥを思い出す。
『お部屋の扉は、ビービーだから駄目なの』と彼女は言った。彼女が部屋から出たら、腕輪に反応した扉が音を鳴らすのだと。
けれど、そんな腕輪は外せばいいだけだ。ファンルゥが律儀に身に着けているのは、女の子らしく、アクセサリーとして気に入っているからだろう。
どういうことだ? と疑問に思うルイフォンのそばで、リュイセンもまた同じく首をかしげる。
「腕輪って……、確か、あれは……」
聞こえてきた兄貴分の当惑に、ルイフォンは、はっとした。
慌てて「タオロン、説明してくれ」と割り込む。こちらの口ぶりから、実物を見たことがあるのが〈蝿〉に知られれば、それはファンルゥの脱走をばらしたも同然だ。彼女に危険が及びかねない。
タオロンは顔を上げ、沈痛な面持ちをこちらに向けた。
「ファンルゥは、内側に毒針の仕込まれた腕輪をはめられている。〈蝿〉のリモコンで針が飛び出す仕掛けだ。無理に外そうとしても、同じことになる……」
「そんな……! 嘘だろう!?」
食い下がるようなリュイセンに、タオロンは首を振る。
「本当だ。ファンルゥは――あいつは知らねぇけどよ……」
震える声で、そう告げる。そこに、〈蝿〉の満足げな低い嗤いが重ねられた。
「リモコンの有効範囲は無限ではありませんが、この館の中であれば、私はあの娘を殺すことが可能なのですよ」
「――!」
今この瞬間にも、ファンルゥの命は〈蝿〉の掌中にある……。
そのことを理解して、ルイフォンは戦慄した。
かくなる上は、タオロン抜きで〈蝿〉を捕獲するしかない。
ルイフォンは、周囲に視線を走らせ、テーブルや化粧台の配置を確認する。
タオロンが敵対しても相手が丸腰ふたりなら、完全武装のリュイセンに、ルイフォンの援護で勝てる……だろうか。
そう、思考を巡らせていたときだった。
不意に、ふらりとリュイセンが前に出た。
刹那、リュイセンの腰元から銀色の閃光が疾り、それは途中で双つに分かたれた。
『神速の双刀使い』
その二つ名の通り、ひとつの鞘に収められていた双つの刀が神速で抜き放たれ、彼の両の手へと宿った。
双つの輝きは抜刀の勢いのままに、流星の如き長い尾を描き、〈蝿〉へと迫る。
「リュイセン!?」
ルイフォンは、思わず息を呑んだ。
銀光の軌道には、ひとつの迷いもない。
双子の刀が大きく振りかぶられ、上から下へと、同時に力強く振り下ろされる――!
「!?」
その瞬間、赤き血の華が散る……はずだった。
何故なら、神速の太刀筋は、確かに〈蝿〉を捕らえていたのだから。
なのに、部屋の景色が赤く染まることはなく、ましてや鉄の香が漂うこともなかった。
そして、気づいたときには、リュイセンは後方に――ルイフォンのほうへと、戻るように跳躍している。
ルイフォンには、何が起きたのか分からない……。
「……くっ!」
音もなく着地したリュイセンが、悔しげな息を漏らし、刀を構え直した。
「リュイセン?」
「さすが、エルファンの小倅。『神速』の名を受け継ぐだけはありますね。けれど、今はそれが徒になった――というところでしょうか」
涼しげに嗤う〈蝿〉の姿に、ルイフォンは混乱する。
リュイセンも〈蝿〉も、どちらも傷ひとつ、負っていない。けれど、兄貴分の顔には焦りが混じっており、額にはうっすら冷や汗が浮かんでいる。
「リュイセン、お前、何をしたんだ?」
「あいつの両腕を斬り落とそうとした。腕がなければ、リモコンの操作もできないからな」
「――え?」
そんな大怪我を負わせたら、命が危うくなる。『デヴァイン・シンフォニア計画』についての情報を得るまでは、〈蝿〉は生かしておかなければならないのだ。
そう思ったのが顔に出ていたのだろう。リュイセンが弁解するように続けた。
「ああ。腕を落とすのはやりすぎだと思って、腱を断つにとどめようとしたさ」
リュイセンは憎悪の瞳で〈蝿〉を睨みつける。けれど、〈蝿〉は、ふっと鼻で嗤った。
「なるほど、そういう意図でしたか。――エルファンも、なかなか無鉄砲でしたが、その息子も、ということですかね」
ほんの一瞬、〈蝿〉の顔に懐かしむような色合いが見えた。だが、それはすぐに沈み、消えてなくなる。
「技倆も悪くありません。褒めて差し上げましょう」
くっくっと低い声を漏らす〈蝿〉に、リュイセンは肩を怒らせ「野郎……」と毒づく。
けれど、〈蝿〉は無傷なのだ。
ふたりの動きが見えなかったルイフォンは、困惑顔をリュイセンに向ける。
「お前が狙いを外す……わけないよな? 何が起きたんだ?」
「奴は、自分から斬られに、俺の刀の前に飛び込んできた」
「え? そんな馬鹿な……」
反射的にそう言い返したルイフォンの言葉に、〈蝿〉本人が口を挟む。
「いえ、エルファンの小倅の言う通りですよ。あなた方は私を『捕らえる』と言いました。つまり、殺す気はない。いえ、殺すわけにはいかないのでしょう? あなた方は、私の持つ情報がほしいのですから」
「……っ!」
「だから、私が飛び込んでいけば、小倅は引かざるを得ない。――勿論、私の動きを見切り、すんでのところで刀の勢いを制御できるだけの技倆が必要ですけどね」
そう言って、〈蝿〉は低く嗤う。
「まぁ、そのくらいなら、『神速の双刀使い』の名を継ぐ者に期待をかけてもよいと思ったのですよ」
粘つくような視線を向けられ、リュイセンがぎりぎりと歯を鳴らす。だが、それは〈蝿〉に優越感を与えるだけであった。
「どうせですから、良いことを教えて差し上げましょう。――あの腕輪の毒針の仕掛けは、あなた方が考えているようなリモコンで作動するようなものではありませんよ」
「どういう意味だ」
皆を代表するように、ルイフォンがいち早く尋ねる。
「私の脳波の、あるパターンがスイッチになっています。ですから、誰にも『リモコンを奪う』ことはできませんし、私のほうは文字通りタオロンの娘を瞬殺できるのですよ」
それは、タオロンですら知らなかったことらしい。彼は愕然とした表情で固まっている。
〈蝿〉は、そんなタオロンに冷笑を送ると、麗しの美貌に余裕を載せて、ルイフォンとリュイセンを睥睨した。戦力的には、準備万端で仕掛けた侵入者であるふたりのほうが有利であるはずなのに、完全に掌で踊らされていた。
「それにしても、よく私の居場所を突き止めましたね」
この状況をどう転がそうかと企むかのように、〈蝿〉が口の端を上げる。
「〈猫〉の俺に、不可能はないからな」
ルイフォンは顎をしゃくり、胸を張った。
本当は、タオロンがGPS発信機で潜伏場所を教えてくれたのだが、それがばれればファンルゥの命はない。大仰に言ってのけ、自分の手柄だと主張する。
「〈猫〉?」
意外なところで〈蝿〉が首をかしげた。
「ああ、今はあなたが〈猫〉を名乗っているのでしたね。――〈天使〉でも〈悪魔〉でもないのに、おこがましい……」
最後の呟きはごく小さなもので、首を振る動作と共に立ち消える。
「それで、藤咲メイシアの異母弟から会食の話を聞きつけて、摂政の使用人に紛れ込んだわけですか。まったく、殿下の管理もずさんなものです」
小馬鹿にしたように肩をすくめ、〈蝿〉はわざとらしく溜め息をついた。
それは、摂政への悪感情から生じた〈蝿〉の勘違いだったのであるが、ハオリュウが手引きしたことに感づいていないのなら好都合。わざわざ正してやる必要はない。ルイフォンは深々と頷いて肯定する。
「それで? あなた方は、私を捕らえて何を知りたいのですか?」
不意の質問だった。
〈蝿〉は、ルイフォンの顔を窺うように覗き込む。黒髪に混じった、ひと筋の白い髪が、鏡に反射した光に当たって輝きを放つ。白があるからこそ、黒の存在がより一層、際立つ。
黒い闇に生きる、白衣の〈悪魔〉は尋ねる。
「あなたが知りたいのは、『藤咲メイシアの正体』ですか――?」
「ありがとう、な……、……」
力強く、太い声。
――けれど……。
その言葉の先は、急速に細くしぼんでいった。
タオロンの笑みは、くしゃくしゃと、くしゃくしゃと……崩れていき、やがて――絶望に彩られる。
「!? タオロン……?」
不審な様子に、ルイフォンは胸騒ぎを覚えた。
「夢のようだ……。……ああ、けど……、けどよ、ファンルゥが……、ファンルゥが――! 糞ぉっ……!」
タオロンはうつむき、その巨躯をわななかせる。低い吠え声が、鏡に跳ね返って響き渡った。
「タオロン?」
「すまねぇ!」
拳を握りしめ、タオロンは叫ぶ。
「本当に、すまねぇ! 俺は、お前たちの手を取ることはできねぇ……!」
「――っ!?」
信じられない返答だった。
タオロンがこちらにつくことを前提に、〈蝿〉と正面から対峙した。
それが、足元から崩れていく。
「なっ、何故だ!?」
「俺が〈蝿〉を裏切れば、ファンルゥが殺される……」
下げられた頭から、髪を抑えている赤いバンダナの端が力なく垂れた。それは小刻みに震えており、タオロンの嗚咽を視覚化していた。
「どういうことだよ!? ファンルゥは部屋に閉じ込められているだけだろ? 今ここで〈蝿〉を捕まえちまえば、誰もファンルゥに手出しをできないはずだ」
「違う……! ファンルゥは、〈蝿〉に腕輪をはめられている」
「腕輪?」
ルイフォンは、別れ際のファンルゥを思い出す。
『お部屋の扉は、ビービーだから駄目なの』と彼女は言った。彼女が部屋から出たら、腕輪に反応した扉が音を鳴らすのだと。
けれど、そんな腕輪は外せばいいだけだ。ファンルゥが律儀に身に着けているのは、女の子らしく、アクセサリーとして気に入っているからだろう。
どういうことだ? と疑問に思うルイフォンのそばで、リュイセンもまた同じく首をかしげる。
「腕輪って……、確か、あれは……」
聞こえてきた兄貴分の当惑に、ルイフォンは、はっとした。
慌てて「タオロン、説明してくれ」と割り込む。こちらの口ぶりから、実物を見たことがあるのが〈蝿〉に知られれば、それはファンルゥの脱走をばらしたも同然だ。彼女に危険が及びかねない。
タオロンは顔を上げ、沈痛な面持ちをこちらに向けた。
「ファンルゥは、内側に毒針の仕込まれた腕輪をはめられている。〈蝿〉のリモコンで針が飛び出す仕掛けだ。無理に外そうとしても、同じことになる……」
「そんな……! 嘘だろう!?」
食い下がるようなリュイセンに、タオロンは首を振る。
「本当だ。ファンルゥは――あいつは知らねぇけどよ……」
震える声で、そう告げる。そこに、〈蝿〉の満足げな低い嗤いが重ねられた。
「リモコンの有効範囲は無限ではありませんが、この館の中であれば、私はあの娘を殺すことが可能なのですよ」
「――!」
今この瞬間にも、ファンルゥの命は〈蝿〉の掌中にある……。
そのことを理解して、ルイフォンは戦慄した。
かくなる上は、タオロン抜きで〈蝿〉を捕獲するしかない。
ルイフォンは、周囲に視線を走らせ、テーブルや化粧台の配置を確認する。
タオロンが敵対しても相手が丸腰ふたりなら、完全武装のリュイセンに、ルイフォンの援護で勝てる……だろうか。
そう、思考を巡らせていたときだった。
不意に、ふらりとリュイセンが前に出た。
刹那、リュイセンの腰元から銀色の閃光が疾り、それは途中で双つに分かたれた。
『神速の双刀使い』
その二つ名の通り、ひとつの鞘に収められていた双つの刀が神速で抜き放たれ、彼の両の手へと宿った。
双つの輝きは抜刀の勢いのままに、流星の如き長い尾を描き、〈蝿〉へと迫る。
「リュイセン!?」
ルイフォンは、思わず息を呑んだ。
銀光の軌道には、ひとつの迷いもない。
双子の刀が大きく振りかぶられ、上から下へと、同時に力強く振り下ろされる――!
「!?」
その瞬間、赤き血の華が散る……はずだった。
何故なら、神速の太刀筋は、確かに〈蝿〉を捕らえていたのだから。
なのに、部屋の景色が赤く染まることはなく、ましてや鉄の香が漂うこともなかった。
そして、気づいたときには、リュイセンは後方に――ルイフォンのほうへと、戻るように跳躍している。
ルイフォンには、何が起きたのか分からない……。
「……くっ!」
音もなく着地したリュイセンが、悔しげな息を漏らし、刀を構え直した。
「リュイセン?」
「さすが、エルファンの小倅。『神速』の名を受け継ぐだけはありますね。けれど、今はそれが徒になった――というところでしょうか」
涼しげに嗤う〈蝿〉の姿に、ルイフォンは混乱する。
リュイセンも〈蝿〉も、どちらも傷ひとつ、負っていない。けれど、兄貴分の顔には焦りが混じっており、額にはうっすら冷や汗が浮かんでいる。
「リュイセン、お前、何をしたんだ?」
「あいつの両腕を斬り落とそうとした。腕がなければ、リモコンの操作もできないからな」
「――え?」
そんな大怪我を負わせたら、命が危うくなる。『デヴァイン・シンフォニア計画』についての情報を得るまでは、〈蝿〉は生かしておかなければならないのだ。
そう思ったのが顔に出ていたのだろう。リュイセンが弁解するように続けた。
「ああ。腕を落とすのはやりすぎだと思って、腱を断つにとどめようとしたさ」
リュイセンは憎悪の瞳で〈蝿〉を睨みつける。けれど、〈蝿〉は、ふっと鼻で嗤った。
「なるほど、そういう意図でしたか。――エルファンも、なかなか無鉄砲でしたが、その息子も、ということですかね」
ほんの一瞬、〈蝿〉の顔に懐かしむような色合いが見えた。だが、それはすぐに沈み、消えてなくなる。
「技倆も悪くありません。褒めて差し上げましょう」
くっくっと低い声を漏らす〈蝿〉に、リュイセンは肩を怒らせ「野郎……」と毒づく。
けれど、〈蝿〉は無傷なのだ。
ふたりの動きが見えなかったルイフォンは、困惑顔をリュイセンに向ける。
「お前が狙いを外す……わけないよな? 何が起きたんだ?」
「奴は、自分から斬られに、俺の刀の前に飛び込んできた」
「え? そんな馬鹿な……」
反射的にそう言い返したルイフォンの言葉に、〈蝿〉本人が口を挟む。
「いえ、エルファンの小倅の言う通りですよ。あなた方は私を『捕らえる』と言いました。つまり、殺す気はない。いえ、殺すわけにはいかないのでしょう? あなた方は、私の持つ情報がほしいのですから」
「……っ!」
「だから、私が飛び込んでいけば、小倅は引かざるを得ない。――勿論、私の動きを見切り、すんでのところで刀の勢いを制御できるだけの技倆が必要ですけどね」
そう言って、〈蝿〉は低く嗤う。
「まぁ、そのくらいなら、『神速の双刀使い』の名を継ぐ者に期待をかけてもよいと思ったのですよ」
粘つくような視線を向けられ、リュイセンがぎりぎりと歯を鳴らす。だが、それは〈蝿〉に優越感を与えるだけであった。
「どうせですから、良いことを教えて差し上げましょう。――あの腕輪の毒針の仕掛けは、あなた方が考えているようなリモコンで作動するようなものではありませんよ」
「どういう意味だ」
皆を代表するように、ルイフォンがいち早く尋ねる。
「私の脳波の、あるパターンがスイッチになっています。ですから、誰にも『リモコンを奪う』ことはできませんし、私のほうは文字通りタオロンの娘を瞬殺できるのですよ」
それは、タオロンですら知らなかったことらしい。彼は愕然とした表情で固まっている。
〈蝿〉は、そんなタオロンに冷笑を送ると、麗しの美貌に余裕を載せて、ルイフォンとリュイセンを睥睨した。戦力的には、準備万端で仕掛けた侵入者であるふたりのほうが有利であるはずなのに、完全に掌で踊らされていた。
「それにしても、よく私の居場所を突き止めましたね」
この状況をどう転がそうかと企むかのように、〈蝿〉が口の端を上げる。
「〈猫〉の俺に、不可能はないからな」
ルイフォンは顎をしゃくり、胸を張った。
本当は、タオロンがGPS発信機で潜伏場所を教えてくれたのだが、それがばれればファンルゥの命はない。大仰に言ってのけ、自分の手柄だと主張する。
「〈猫〉?」
意外なところで〈蝿〉が首をかしげた。
「ああ、今はあなたが〈猫〉を名乗っているのでしたね。――〈天使〉でも〈悪魔〉でもないのに、おこがましい……」
最後の呟きはごく小さなもので、首を振る動作と共に立ち消える。
「それで、藤咲メイシアの異母弟から会食の話を聞きつけて、摂政の使用人に紛れ込んだわけですか。まったく、殿下の管理もずさんなものです」
小馬鹿にしたように肩をすくめ、〈蝿〉はわざとらしく溜め息をついた。
それは、摂政への悪感情から生じた〈蝿〉の勘違いだったのであるが、ハオリュウが手引きしたことに感づいていないのなら好都合。わざわざ正してやる必要はない。ルイフォンは深々と頷いて肯定する。
「それで? あなた方は、私を捕らえて何を知りたいのですか?」
不意の質問だった。
〈蝿〉は、ルイフォンの顔を窺うように覗き込む。黒髪に混じった、ひと筋の白い髪が、鏡に反射した光に当たって輝きを放つ。白があるからこそ、黒の存在がより一層、際立つ。
黒い闇に生きる、白衣の〈悪魔〉は尋ねる。
「あなたが知りたいのは、『藤咲メイシアの正体』ですか――?」