残酷な描写あり
3.猫の誓言-1
彼方にそびえる、高い外壁。重厚感あふれる煉瓦の連なりは、遥か天まで続くかのよう。車窓から望む鷹刀一族の屋敷は、まるで大空を支える柱であった。
あながち、それは冗談でもないのかもしれないな……。
ルイフォンは、ふと思う。
鷹刀という一族は、天空神フェイレンの代理人たる王に、代々、血族を〈贄〉として捧げてきた。まさに天を支える礎と呼ぶにふさわしいではないか――と。
ルイフォンを乗せた車は、鉄格子の門の前で静かに止まった。
大華王国一の凶賊の居城にふさわしく、立派な体躯の門衛たちが三人、直立不動の姿勢で守りについている。ルイフォンが車を降りると、彼らは素早く開門し、頭を垂れて出迎えた。
いつもは気安い者たちだが、皆、無言だった。詳細は知らされてなくとも、作戦が失敗に終わったことは聞いているのだろう。
ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。そして、たった今、鉄格子が取り払われた、その境界線を超える前に、朗々たるテノールを響かせる。
「ご苦労様です。――〈猫〉が来たと、総帥に取り次いでほしい」
その瞬間、門衛たちが色めきだった。
普段のルイフォンなら、『俺が帰ったと、親父に連絡を入れておいてくれ』と、ぞんざいに言っている。敷地の境目など気にせずに、ひょいと跨いで通り過ぎるはずだと、彼らの目が訴えていた。
「ルイフォン様……?」
一番年長の、いつも息子どころか、孫を見るような目でルイフォンを見守ってくれている門衛が、こらえきれずに声を漏らした。
「悪い。驚かせたよな」
照れくささはあるものの、しかし、顔にはそれを出さず、ルイフォンはまっすぐな瞳を門衛たちに向ける。
「でも、俺は〈猫〉だからさ。『鷹刀の対等な協力者』を名乗るには、ケジメが必要だろ?」
「!?」
門衛たちは、ぽかんと間抜けに口を開け、まじまじとルイフォンを見つめた。たっぷり数秒が過ぎてから、先ほどの年かさの門衛が、慌てて、こほんと咳払いをする。
「承りました。〈猫〉様、ご到着ですね。ただいま、総帥にお伝え申し上げます」
そう言って、若い門衛を顎でしゃくり、執務室に連絡を入れさせる。だが、改まった態度はそこまでで、彼はすぐに目尻に皺を寄せた。
「ルイフォン様、ご立派になられましたなぁ」
感慨深げな眼差しを、ルイフォンは素直に「ありがとう」と受け取った。そして、促されるに従い、門を通り抜ける。
荘厳なる門をくぐり、天下の鷹刀へと足を踏み入れるには資格がいる。鷹刀に見合う人間でなくてはならない。
ルイフォンは、初めは、母親のキリファ――当時の〈猫〉の手伝いだった。見習いという立場であるが、母に言わせれば『単なるおまけ』だった。
そして、ずっと会ってみたかった『年上の甥』リュイセンと仲良くなった。彼がいたから、周りの目が優しかったように思う。
母が亡くなったあと、リュイセンが『屋敷に来い』と迎えに来たとき、ルイフォンは問題なく受け入れられた。それは、彼が総帥の血統だからだ。
けれど、ルイフォンは一族を抜けた。
メイシアの父親を殺した責任を取ると言って、自らこの屋敷を出ていった。だから、血族としての彼は、もはやこの門をくぐり抜ける資格はないのだ。
二度と戻るつもりはなかった。……しかし、翌日にはメイシアを連れて帰ってきた。
そんな身勝手は、本来、許されるはずもない。けれど、リュイセンが誰よりも先に拳で出迎え、ルイフォンを認めたことで、皆を黙らせた。
だからこそ、今ここに、『鷹刀の対等な協力者』〈猫〉が存在する。
――鷹刀には、いつだって、リュイセンがいた……。
ルイフォンは、門衛たちに言付ける。
「すぐに会議を開きたい。ミンウェイに連絡を取って、主要な者たちを執務室に集めるよう、伝えてほしい」
大切な兄貴分を取り戻すために――。
現状において、確実にできることは、作戦失敗の報告でしかない。それでも、リュイセン救出に向けての第一歩を速やかに踏み出すべきだ。
門から屋敷へと誘う、長い石畳の道を行く。ルイフォンは自室に戻ることなく、執務室へと向かった。
ルイフォンが執務室に入ると、総帥イーレオが奥で頬杖を付いているのが見えた。
そこまでは普段通りであるのだが、イーレオの細身の眼鏡の視線は真下に向けられ、執務机に広げられた書類の文字を追っている。綺麗に染め上げられた黒髪の艶は相変わらずであるが、絶世の美貌にはひとつの笑みもなく、秀でた額には深い皺が寄っていた。
イーレオの背後には、護衛のチャオラウが、しかつめらしい顔で控えていた。それはよいとして、いつもなら同じく総帥の傍らにいるはずの、補佐を担うミンウェイの姿がない。緊急の呼び出しであるために、屋敷の雑事で忙しい彼女はまだ来ていないのであろう。
代わりに見えたのは、華奢な後ろ姿。
長く美しい黒絹の髪を背に流し、黒を基調としたメイド服を楚々と着こなした……。
「!」
メイシアが、そこにいた。
彼女をひと目、見るだけで、ルイフォンの心は震えた。
部屋の中へと進めば、イーレオの前にある書類の大半は、ルイフォンが先だって送った報告書を印刷したものだと分かる。だが、その中に、見覚えのある、流れるように美しい手書き文字が混ざっているのに気づいた。メイシアの手によるそれは、情報屋からの連絡を書き留めたものだ。
メイシアは、多忙なミンウェイを助けて、総帥の補佐の仕事をしていたのだ。ルイフォンからの作戦失敗の報により、屋敷中が慌ただしくなったときに、メイド服も着替えぬままに手伝いを申し出たに違いない。
ルイフォンの気配に気づいたメイシアが、長いスカートをふわりと翻して振り返り、ぱっと目を見開いた。白磁の肌が薔薇色に染まる。一見して、涙のあとと分かる赤い目が、嬉しげに潤む……。
しかし、薄紅の唇をきゅっと結び、美しい黒曜石の瞳をルイフォンに向けた。
そして――。
凛と澄み渡った、力強い戦乙女の眼差しで、彼を迎えてくれた。
「……!」
ルイフォンは衝撃を覚えた。
本当は、ほんの少しだけ、彼女が門で待っていることを期待していた。
けれど、彼女がいなかったのは、作戦に失敗した上に、リュイセンを置き去りにしての敗走なので、出迎えは控えたのだと解釈した。それが彼女の気遣いだと。
でも、違っていた。
彼女は黙って待っているような女ではない。
凶報に涙を流しながら、それでも、共に戦ってくれる女だ。
――こういう女だからこそ、そばに居てほしいと思ったのだ……。
ルイフォンもまた、口元を引き締める。そして、鋭く研ぎ澄まされた猫の目で、メイシアの眼差しに応える。
ほどなくして、ミンウェイとエルファンがそろい、会議が始まった。
「……以上が、俺が、あの館で見聞きしたこと、および、その後、監視カメラの録画記録によって知ることのできた内容だ」
ルイフォンは長い報告を終えた。
形式にこだわらないイーレオの方針で、着席したままでの発言であったが、かなりの疲労感があった。これでも要点を絞って話をしたつもり――細かい言葉のやり取りなどは、ほぼ省略して、事実のみを伝えたはずである。
疲れたのは、聞いていた者たちも同じようだった。余計な私語を交わすような者はいないが、皆の口から自然にこぼれた溜め息が、ざわめきを作り出している。
落ち着きのない空気の中で、ルイフォンは、おもむろに立ち上がった。
「!?」
唐突な彼の行動に、皆が思わず、困惑の表情を浮かべる。
しかし、ルイフォンは構わず、猫背をぴんと伸ばして一同を見渡した。彼のまとう雰囲気が変わる。硬質で無機質な〈猫〉の顔が現れる。
自然と無音となった室内で、彼は決然と口を開いた。
「俺のせいで、リュイセンが〈蝿〉に囚われた。俺の落ち度だ。――総帥……、申し訳ございません。如何ような処罰も覚悟しております」
彼は、イーレオに向かって、深く頭を下げた。一本に編まれた髪が背中から転げ落ち、金の鈴が大きく揺れる。
その場の誰もが、息を呑んだ。
そして、誰からともなく、総帥イーレオへと視線を移す。
イーレオは、いつもの通り、ひとり掛けのソファーの肘掛けで頬杖を付いていた。皆の注目を浴びた彼は、しかし、動じることなく、長い足を優雅に組んだままの姿勢で静かに尋ねる。
「お前、門衛たちに『〈猫〉としてのケジメ』とか、言ったそうだな?」
「え? ああ」
「ならば俺は、お前に処罰を与えない――与えられない」
「!?」
言葉の意味は分かるものの、意図が読めず、ルイフォンは当惑に顔をしかめる。
するとイーレオは頬杖から上体を起こし、ほんの少し、身を乗り出すようにしてルイフォンへと体を寄せた。にわかに険しい顔となり、魅惑の低音を冷ややかに響かせる。
「俺が罰することができるのは、俺の一族に対してのみだ。――一族ではない〈猫〉に与えることができるのは、『処罰』ではなく『処遇』だ」
「……!」
「現在、鷹刀と〈猫〉は『対等な協力者』だ。『処遇』というのは、この関係をどう変えるか――という問題になる」
「……そう……だな」
ルイフォンとしては、どんな無理難題を突きつけられても快諾する――それが責任を取るということだ、という肚だった。しかし予想外の流れとなり、知らず握っていた掌が、緊張にじわりと汗ばむ。
「これから鷹刀は、囚われたリュイセンの救出に移る」
「……ああ」
そこでイーレオは、それまでの表情を一変させ、にやりと口角を上げた。
「その際、〈猫〉の協力は不可欠だろう?」
「! 親父――っと、総帥……!」
「今回の作戦は『リュイセンとお前の、ふたり』で実行したものだ。ならば、この結末を招いた責任は『鷹刀』と『〈猫〉』の両者にあるといえる。だったら、今まで通り『対等』でいいだろう」
「――っ! ありがとうございます」
再び頭を下げたルイフォンの頭上で、「他の者も、それでよいな?」とイーレオの声が飛ぶ。
「総帥の決定に、異論などない」
素っ気なく答えたのは、次期総帥エルファン。相変わらずの冷たい無表情だが、彼が即答するということは、イーレオの弁を支持しているということだろう。勿論、ミンウェイとチャオラウに否やはない。
実のところ、血族に対する甘さが残っていると、ルイフォンは思う。だが、それが鷹刀イーレオという総帥であり、現在の鷹刀一族だ。ならば、自分のほうから、血族だという甘えを捨てればいいだけだ。そう肝に銘じ、ルイフォンは着席した。
「では、これから先の話だ」
イーレオが、皆の顔へと、ぐるりと瞳を巡らせる。
「〈猫〉からの報告は、大まかに言って、二点あった。――ひとつ目は、摂政が明かした〈神の御子〉『ライシェン』にまつわる話。ふたつ目は、いわずもがな〈蝿〉とリュイセンの問題だ」
このふたつは、まったくの別件だ。
もとはといえば、謀略を企む摂政が、ハオリュウを巻き込むために、彼を食事に招いただけのこと。
ただ、その会食の会場が〈蝿〉の潜伏場所だったがために、鷹刀一族と〈猫〉が便乗して侵入したわけなので、独立した話であるのは当然ともいえる。
「摂政の政略は、国を揺るがしかねない一大事だ。鷹刀としても、注視しておく必要があるだろう。――だが、我々が優先すべきことは、先ほども言った通り……」
そう言いながら、イーレオがちらりとルイフォンを見やる。
「今は、リュイセンの救出だ」
鋭いテノールに、イーレオは口元を緩めて頷いた。
「そういうことだ。ハオリュウからも、『摂政殿下の動向は、鷹刀の方々も気になると思いますので、何かあれば随時お知らせいたします。ですが、今はリュイセンさんの救出に尽力してください』との連絡を受けている。協力は惜しまないとのことだった」
「ハオリュウの奴……」
彼には随分な態度を取ってしまったのに、こちらへの気遣いを忘れないとは、本当に申し訳ない。
ハオリュウだって、『女王の婚約者になりませんか』と摂政に持ちかけられ、難しい選択を迫られている状況だ。勿論、ルイフォンもハオリュウへの協力は惜しまない。……とはいえ、政治的なことに関しては、余計な口出しは控えるべきだろう。
「…………」
ハオリュウに取り付けたカメラで盗み見た〈蝿〉の研究室を思い起こし、ルイフォンは眉を寄せる。
摂政の話を聞いたときから、どうしても気になっていることがあった。それを今、口にすべきかと悩み……やはり、はっきりさせておきたいと心を決める。
「すまない。質問がある」
ルイフォンは、彼らしくもなく、遠慮がちに手を挙げた。
「これから鷹刀と〈猫〉が取る行動は、リュイセンの救出の一択だ。それ以外はない。――だから、これは純粋に俺の好奇心だ」
「ほう? 言ってみろ」
軽く返してきたイーレオに、ルイフォンは、わずかにためらいながら、口を開く。
「鷹刀の総帥に、というよりも、親父に……いや、そうじゃねぇな。『もと〈七つの大罪〉の〈悪魔〉である〈獅子〉』に尋ねたい。――もし、『契約』に抵触するのなら、黙って聞き流してくれ」
「ふむ。……分かった」
『契約』――〈悪魔〉となった者が王族の『秘密』を他者に漏らすと、脳に刻まれた命令によって死に至る、という物騒な代物だ。一度、刻まれた『契約』は、生涯に渡り有効であるため、かつて〈悪魔〉だったイーレオには、〈七つの大罪〉と縁を切った今でも、そのまま消えずに残っている。
「摂政が言ったことは、本当なのか? この国に、王となる資格のある〈神の御子〉が生まれなければ、〈悪魔〉たちが過去の王のクローン体を作る。そうやって、王家は続いてきた――というのは……」
「その件か……。確かに『契約』に触れかねない内容ではあるが、お前は王族である摂政から聞き、他の者たちは、お前から又聞きした形になるから、俺が口にしても大丈夫だろう」
イーレオの声が一段下がり、厳かに続く。
「真実だ。〈七つの大罪〉は、王家を存続させるために存在している」
「やはり、そうだよな」
摂政の話に矛盾はなかった。実に、理に適っていた。だから事実であると、ルイフォンは確信していた。
「つまり〈七つの大罪〉は、恒常的に過去の王のクローンを作っていて、技術は既に、確立されている。――合っているか、〈獅子〉?」
「ああ」
「ならば、次の王を作るために、わざわざ死者を――〈蝿〉を生き返らせる必要はないはずだ。生きている奴がやればいい。けれど、死んだ『天才医師』を蘇らせた。――その理由……〈獅子〉に心当たりはあるか?」
ルイフォンの猫の目が、鋭く光る。
これこそが、イーレオに問いたかったことだった。
果たして、イーレオは……首を横に振った。――ルイフォンの予想通りに。
「――ない」
低い声が、重く広がる。
「お前の報告を聞いて、俺もおかしいと思った。お前の言う通り、生きている者が王を作ればいい。先王の急死によって、〈七つの大罪〉が受け継がれなかったとしても、〈悪魔〉の残党くらいはいるだろう。――なんのために、死者を冒涜するようなことをしたのか……」
悲痛の響きは、とうの昔に死んだ義理の息子、ヘイシャオへの哀悼だ。これまで理解できなかったイーレオの思いが、あの館で〈蝿〉と対面したことで少し分かるようになった気がする。
『鷹刀セレイエこそが、害悪』――そう言った〈蝿〉の気持ちも……。
ルイフォンは、奥歯を噛みしめた。
ルイフォンもイーレオも、無意識のうちに『セレイエ』の名前を口にするのを避けていた。
けれど、今までに知り得た情報を重ね合わせると、もう疑いようもない。
死者を蘇らせ、死者を冒涜し、『デヴァイン・シンフォニア計画』を組み上げたのは、ルイフォンの異父姉、セレイエだ。
「〈獅子〉……いや、親父。これは、親父の返答を踏まえての、俺の推測だ。まだ確証はない。けど、間違いないと思う」
ルイフォンは、硬いテノールを響かせる。
「次の王――『ライシェン』は、ただの『過去の王のクローン』なんかじゃない。『天才医師〈蝿〉』でなければ作れないような、『特別な王』だ」
そこで言葉を切り、そして、吐き出すように続ける。
「そんな特別な王を望んだのは、セレイエだ。セレイエは、『ライシェン』を得るために、『デヴァイン・シンフォニア計画』を作ったんだ……」
あたりが、しんと静まった。
執務室の空気が、ぴたりと止まり、呼吸の音すら消えてしまったかのよう……。
誰も、何も言うことができなかった。
「――すまん」
沈黙を破ったのは、ルイフォンだった。話が横道にそれたことの責任を取った。
「ともかく、今はリュイセンの救出だ」
やや強引にだが、話を戻す。いつもの調子を出すように、彼は好戦的に口の端を上げた。
「録画記録の様子からすると、〈蝿〉は、俺があの館に隠れていると思って探しているみたいだ。だが、いずれは脱出した可能性を考えるだろう」
そう言いながら、皆が話に乗ってくるようにと、視線を巡らす。
「奴は、俺が鷹刀に戻っているかの裏付けを取るために、私兵をこの屋敷に送るはずだ。だから、その私兵を捕まえれば、リュイセンの状況が分かるかもしれない。――よって、専任の者を配置して、待ち構えていることを提案する」
〈蝿〉のいる館の監視カメラは、電源を落とされて使えない。その代わりの策だ。
「なるほど。ミンウェイ、すぐに手配してくれ」
イーレオが即応し、ミンウェイが「はい」と了承する。
「今日のところは、こんなところか?」
皆に尋ねながらも、イーレオの視線はルイフォンに向けられていた。ルイフォンが、作戦失敗の汚名を少しでもすすごうとしていることに、イーレオは気づいているのだろう。敵わないなと、内心で思う。
イーレオは一同を見渡し、皆に意見がないのを確認すると、「では――」と、魅惑の美声を高らかに響かせた。
「近いうちに〈蝿〉のほうから、リュイセンを人質として、なんらかの要求を突きつけてくるだろう。遅れを取らないように注意しながら、とりあえず待機だ。――解散!」
会議のあと、イーレオは、ルイフォンにこう言った。
『俺には、〈猫〉が疲弊しているように感じられる。これからに備えるため、鷹刀の総帥として、『対等な協力者』〈猫〉に休息をとるよう要請する』
単に、『休め』と言えばいいものを、洒落たつもりなのだろう。
しかも、料理長からメイシアに、『今日は人手が余っているから、夕食の手伝いは要らない』という連絡まで来た。
要するに、『ふたりで、ゆっくりしろ』ということだ。
ルイフォンは、メイシアと肩を並べ、自室へと向かう。
隣を歩く、彼女のふわりとしたスカートがズボンに触れ、こそばゆく……感じる余裕はなかった。
彼の心を占めていたものは、あの館で放たれた、〈蝿〉の言葉――。
『『デヴァイン・シンフォニア計画』の鍵となるために、〈天使〉のホンシュアに操られた『藤咲メイシア』は、色仕掛けであなたを籠絡したのですよ』
あながち、それは冗談でもないのかもしれないな……。
ルイフォンは、ふと思う。
鷹刀という一族は、天空神フェイレンの代理人たる王に、代々、血族を〈贄〉として捧げてきた。まさに天を支える礎と呼ぶにふさわしいではないか――と。
ルイフォンを乗せた車は、鉄格子の門の前で静かに止まった。
大華王国一の凶賊の居城にふさわしく、立派な体躯の門衛たちが三人、直立不動の姿勢で守りについている。ルイフォンが車を降りると、彼らは素早く開門し、頭を垂れて出迎えた。
いつもは気安い者たちだが、皆、無言だった。詳細は知らされてなくとも、作戦が失敗に終わったことは聞いているのだろう。
ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。そして、たった今、鉄格子が取り払われた、その境界線を超える前に、朗々たるテノールを響かせる。
「ご苦労様です。――〈猫〉が来たと、総帥に取り次いでほしい」
その瞬間、門衛たちが色めきだった。
普段のルイフォンなら、『俺が帰ったと、親父に連絡を入れておいてくれ』と、ぞんざいに言っている。敷地の境目など気にせずに、ひょいと跨いで通り過ぎるはずだと、彼らの目が訴えていた。
「ルイフォン様……?」
一番年長の、いつも息子どころか、孫を見るような目でルイフォンを見守ってくれている門衛が、こらえきれずに声を漏らした。
「悪い。驚かせたよな」
照れくささはあるものの、しかし、顔にはそれを出さず、ルイフォンはまっすぐな瞳を門衛たちに向ける。
「でも、俺は〈猫〉だからさ。『鷹刀の対等な協力者』を名乗るには、ケジメが必要だろ?」
「!?」
門衛たちは、ぽかんと間抜けに口を開け、まじまじとルイフォンを見つめた。たっぷり数秒が過ぎてから、先ほどの年かさの門衛が、慌てて、こほんと咳払いをする。
「承りました。〈猫〉様、ご到着ですね。ただいま、総帥にお伝え申し上げます」
そう言って、若い門衛を顎でしゃくり、執務室に連絡を入れさせる。だが、改まった態度はそこまでで、彼はすぐに目尻に皺を寄せた。
「ルイフォン様、ご立派になられましたなぁ」
感慨深げな眼差しを、ルイフォンは素直に「ありがとう」と受け取った。そして、促されるに従い、門を通り抜ける。
荘厳なる門をくぐり、天下の鷹刀へと足を踏み入れるには資格がいる。鷹刀に見合う人間でなくてはならない。
ルイフォンは、初めは、母親のキリファ――当時の〈猫〉の手伝いだった。見習いという立場であるが、母に言わせれば『単なるおまけ』だった。
そして、ずっと会ってみたかった『年上の甥』リュイセンと仲良くなった。彼がいたから、周りの目が優しかったように思う。
母が亡くなったあと、リュイセンが『屋敷に来い』と迎えに来たとき、ルイフォンは問題なく受け入れられた。それは、彼が総帥の血統だからだ。
けれど、ルイフォンは一族を抜けた。
メイシアの父親を殺した責任を取ると言って、自らこの屋敷を出ていった。だから、血族としての彼は、もはやこの門をくぐり抜ける資格はないのだ。
二度と戻るつもりはなかった。……しかし、翌日にはメイシアを連れて帰ってきた。
そんな身勝手は、本来、許されるはずもない。けれど、リュイセンが誰よりも先に拳で出迎え、ルイフォンを認めたことで、皆を黙らせた。
だからこそ、今ここに、『鷹刀の対等な協力者』〈猫〉が存在する。
――鷹刀には、いつだって、リュイセンがいた……。
ルイフォンは、門衛たちに言付ける。
「すぐに会議を開きたい。ミンウェイに連絡を取って、主要な者たちを執務室に集めるよう、伝えてほしい」
大切な兄貴分を取り戻すために――。
現状において、確実にできることは、作戦失敗の報告でしかない。それでも、リュイセン救出に向けての第一歩を速やかに踏み出すべきだ。
門から屋敷へと誘う、長い石畳の道を行く。ルイフォンは自室に戻ることなく、執務室へと向かった。
ルイフォンが執務室に入ると、総帥イーレオが奥で頬杖を付いているのが見えた。
そこまでは普段通りであるのだが、イーレオの細身の眼鏡の視線は真下に向けられ、執務机に広げられた書類の文字を追っている。綺麗に染め上げられた黒髪の艶は相変わらずであるが、絶世の美貌にはひとつの笑みもなく、秀でた額には深い皺が寄っていた。
イーレオの背後には、護衛のチャオラウが、しかつめらしい顔で控えていた。それはよいとして、いつもなら同じく総帥の傍らにいるはずの、補佐を担うミンウェイの姿がない。緊急の呼び出しであるために、屋敷の雑事で忙しい彼女はまだ来ていないのであろう。
代わりに見えたのは、華奢な後ろ姿。
長く美しい黒絹の髪を背に流し、黒を基調としたメイド服を楚々と着こなした……。
「!」
メイシアが、そこにいた。
彼女をひと目、見るだけで、ルイフォンの心は震えた。
部屋の中へと進めば、イーレオの前にある書類の大半は、ルイフォンが先だって送った報告書を印刷したものだと分かる。だが、その中に、見覚えのある、流れるように美しい手書き文字が混ざっているのに気づいた。メイシアの手によるそれは、情報屋からの連絡を書き留めたものだ。
メイシアは、多忙なミンウェイを助けて、総帥の補佐の仕事をしていたのだ。ルイフォンからの作戦失敗の報により、屋敷中が慌ただしくなったときに、メイド服も着替えぬままに手伝いを申し出たに違いない。
ルイフォンの気配に気づいたメイシアが、長いスカートをふわりと翻して振り返り、ぱっと目を見開いた。白磁の肌が薔薇色に染まる。一見して、涙のあとと分かる赤い目が、嬉しげに潤む……。
しかし、薄紅の唇をきゅっと結び、美しい黒曜石の瞳をルイフォンに向けた。
そして――。
凛と澄み渡った、力強い戦乙女の眼差しで、彼を迎えてくれた。
「……!」
ルイフォンは衝撃を覚えた。
本当は、ほんの少しだけ、彼女が門で待っていることを期待していた。
けれど、彼女がいなかったのは、作戦に失敗した上に、リュイセンを置き去りにしての敗走なので、出迎えは控えたのだと解釈した。それが彼女の気遣いだと。
でも、違っていた。
彼女は黙って待っているような女ではない。
凶報に涙を流しながら、それでも、共に戦ってくれる女だ。
――こういう女だからこそ、そばに居てほしいと思ったのだ……。
ルイフォンもまた、口元を引き締める。そして、鋭く研ぎ澄まされた猫の目で、メイシアの眼差しに応える。
ほどなくして、ミンウェイとエルファンがそろい、会議が始まった。
「……以上が、俺が、あの館で見聞きしたこと、および、その後、監視カメラの録画記録によって知ることのできた内容だ」
ルイフォンは長い報告を終えた。
形式にこだわらないイーレオの方針で、着席したままでの発言であったが、かなりの疲労感があった。これでも要点を絞って話をしたつもり――細かい言葉のやり取りなどは、ほぼ省略して、事実のみを伝えたはずである。
疲れたのは、聞いていた者たちも同じようだった。余計な私語を交わすような者はいないが、皆の口から自然にこぼれた溜め息が、ざわめきを作り出している。
落ち着きのない空気の中で、ルイフォンは、おもむろに立ち上がった。
「!?」
唐突な彼の行動に、皆が思わず、困惑の表情を浮かべる。
しかし、ルイフォンは構わず、猫背をぴんと伸ばして一同を見渡した。彼のまとう雰囲気が変わる。硬質で無機質な〈猫〉の顔が現れる。
自然と無音となった室内で、彼は決然と口を開いた。
「俺のせいで、リュイセンが〈蝿〉に囚われた。俺の落ち度だ。――総帥……、申し訳ございません。如何ような処罰も覚悟しております」
彼は、イーレオに向かって、深く頭を下げた。一本に編まれた髪が背中から転げ落ち、金の鈴が大きく揺れる。
その場の誰もが、息を呑んだ。
そして、誰からともなく、総帥イーレオへと視線を移す。
イーレオは、いつもの通り、ひとり掛けのソファーの肘掛けで頬杖を付いていた。皆の注目を浴びた彼は、しかし、動じることなく、長い足を優雅に組んだままの姿勢で静かに尋ねる。
「お前、門衛たちに『〈猫〉としてのケジメ』とか、言ったそうだな?」
「え? ああ」
「ならば俺は、お前に処罰を与えない――与えられない」
「!?」
言葉の意味は分かるものの、意図が読めず、ルイフォンは当惑に顔をしかめる。
するとイーレオは頬杖から上体を起こし、ほんの少し、身を乗り出すようにしてルイフォンへと体を寄せた。にわかに険しい顔となり、魅惑の低音を冷ややかに響かせる。
「俺が罰することができるのは、俺の一族に対してのみだ。――一族ではない〈猫〉に与えることができるのは、『処罰』ではなく『処遇』だ」
「……!」
「現在、鷹刀と〈猫〉は『対等な協力者』だ。『処遇』というのは、この関係をどう変えるか――という問題になる」
「……そう……だな」
ルイフォンとしては、どんな無理難題を突きつけられても快諾する――それが責任を取るということだ、という肚だった。しかし予想外の流れとなり、知らず握っていた掌が、緊張にじわりと汗ばむ。
「これから鷹刀は、囚われたリュイセンの救出に移る」
「……ああ」
そこでイーレオは、それまでの表情を一変させ、にやりと口角を上げた。
「その際、〈猫〉の協力は不可欠だろう?」
「! 親父――っと、総帥……!」
「今回の作戦は『リュイセンとお前の、ふたり』で実行したものだ。ならば、この結末を招いた責任は『鷹刀』と『〈猫〉』の両者にあるといえる。だったら、今まで通り『対等』でいいだろう」
「――っ! ありがとうございます」
再び頭を下げたルイフォンの頭上で、「他の者も、それでよいな?」とイーレオの声が飛ぶ。
「総帥の決定に、異論などない」
素っ気なく答えたのは、次期総帥エルファン。相変わらずの冷たい無表情だが、彼が即答するということは、イーレオの弁を支持しているということだろう。勿論、ミンウェイとチャオラウに否やはない。
実のところ、血族に対する甘さが残っていると、ルイフォンは思う。だが、それが鷹刀イーレオという総帥であり、現在の鷹刀一族だ。ならば、自分のほうから、血族だという甘えを捨てればいいだけだ。そう肝に銘じ、ルイフォンは着席した。
「では、これから先の話だ」
イーレオが、皆の顔へと、ぐるりと瞳を巡らせる。
「〈猫〉からの報告は、大まかに言って、二点あった。――ひとつ目は、摂政が明かした〈神の御子〉『ライシェン』にまつわる話。ふたつ目は、いわずもがな〈蝿〉とリュイセンの問題だ」
このふたつは、まったくの別件だ。
もとはといえば、謀略を企む摂政が、ハオリュウを巻き込むために、彼を食事に招いただけのこと。
ただ、その会食の会場が〈蝿〉の潜伏場所だったがために、鷹刀一族と〈猫〉が便乗して侵入したわけなので、独立した話であるのは当然ともいえる。
「摂政の政略は、国を揺るがしかねない一大事だ。鷹刀としても、注視しておく必要があるだろう。――だが、我々が優先すべきことは、先ほども言った通り……」
そう言いながら、イーレオがちらりとルイフォンを見やる。
「今は、リュイセンの救出だ」
鋭いテノールに、イーレオは口元を緩めて頷いた。
「そういうことだ。ハオリュウからも、『摂政殿下の動向は、鷹刀の方々も気になると思いますので、何かあれば随時お知らせいたします。ですが、今はリュイセンさんの救出に尽力してください』との連絡を受けている。協力は惜しまないとのことだった」
「ハオリュウの奴……」
彼には随分な態度を取ってしまったのに、こちらへの気遣いを忘れないとは、本当に申し訳ない。
ハオリュウだって、『女王の婚約者になりませんか』と摂政に持ちかけられ、難しい選択を迫られている状況だ。勿論、ルイフォンもハオリュウへの協力は惜しまない。……とはいえ、政治的なことに関しては、余計な口出しは控えるべきだろう。
「…………」
ハオリュウに取り付けたカメラで盗み見た〈蝿〉の研究室を思い起こし、ルイフォンは眉を寄せる。
摂政の話を聞いたときから、どうしても気になっていることがあった。それを今、口にすべきかと悩み……やはり、はっきりさせておきたいと心を決める。
「すまない。質問がある」
ルイフォンは、彼らしくもなく、遠慮がちに手を挙げた。
「これから鷹刀と〈猫〉が取る行動は、リュイセンの救出の一択だ。それ以外はない。――だから、これは純粋に俺の好奇心だ」
「ほう? 言ってみろ」
軽く返してきたイーレオに、ルイフォンは、わずかにためらいながら、口を開く。
「鷹刀の総帥に、というよりも、親父に……いや、そうじゃねぇな。『もと〈七つの大罪〉の〈悪魔〉である〈獅子〉』に尋ねたい。――もし、『契約』に抵触するのなら、黙って聞き流してくれ」
「ふむ。……分かった」
『契約』――〈悪魔〉となった者が王族の『秘密』を他者に漏らすと、脳に刻まれた命令によって死に至る、という物騒な代物だ。一度、刻まれた『契約』は、生涯に渡り有効であるため、かつて〈悪魔〉だったイーレオには、〈七つの大罪〉と縁を切った今でも、そのまま消えずに残っている。
「摂政が言ったことは、本当なのか? この国に、王となる資格のある〈神の御子〉が生まれなければ、〈悪魔〉たちが過去の王のクローン体を作る。そうやって、王家は続いてきた――というのは……」
「その件か……。確かに『契約』に触れかねない内容ではあるが、お前は王族である摂政から聞き、他の者たちは、お前から又聞きした形になるから、俺が口にしても大丈夫だろう」
イーレオの声が一段下がり、厳かに続く。
「真実だ。〈七つの大罪〉は、王家を存続させるために存在している」
「やはり、そうだよな」
摂政の話に矛盾はなかった。実に、理に適っていた。だから事実であると、ルイフォンは確信していた。
「つまり〈七つの大罪〉は、恒常的に過去の王のクローンを作っていて、技術は既に、確立されている。――合っているか、〈獅子〉?」
「ああ」
「ならば、次の王を作るために、わざわざ死者を――〈蝿〉を生き返らせる必要はないはずだ。生きている奴がやればいい。けれど、死んだ『天才医師』を蘇らせた。――その理由……〈獅子〉に心当たりはあるか?」
ルイフォンの猫の目が、鋭く光る。
これこそが、イーレオに問いたかったことだった。
果たして、イーレオは……首を横に振った。――ルイフォンの予想通りに。
「――ない」
低い声が、重く広がる。
「お前の報告を聞いて、俺もおかしいと思った。お前の言う通り、生きている者が王を作ればいい。先王の急死によって、〈七つの大罪〉が受け継がれなかったとしても、〈悪魔〉の残党くらいはいるだろう。――なんのために、死者を冒涜するようなことをしたのか……」
悲痛の響きは、とうの昔に死んだ義理の息子、ヘイシャオへの哀悼だ。これまで理解できなかったイーレオの思いが、あの館で〈蝿〉と対面したことで少し分かるようになった気がする。
『鷹刀セレイエこそが、害悪』――そう言った〈蝿〉の気持ちも……。
ルイフォンは、奥歯を噛みしめた。
ルイフォンもイーレオも、無意識のうちに『セレイエ』の名前を口にするのを避けていた。
けれど、今までに知り得た情報を重ね合わせると、もう疑いようもない。
死者を蘇らせ、死者を冒涜し、『デヴァイン・シンフォニア計画』を組み上げたのは、ルイフォンの異父姉、セレイエだ。
「〈獅子〉……いや、親父。これは、親父の返答を踏まえての、俺の推測だ。まだ確証はない。けど、間違いないと思う」
ルイフォンは、硬いテノールを響かせる。
「次の王――『ライシェン』は、ただの『過去の王のクローン』なんかじゃない。『天才医師〈蝿〉』でなければ作れないような、『特別な王』だ」
そこで言葉を切り、そして、吐き出すように続ける。
「そんな特別な王を望んだのは、セレイエだ。セレイエは、『ライシェン』を得るために、『デヴァイン・シンフォニア計画』を作ったんだ……」
あたりが、しんと静まった。
執務室の空気が、ぴたりと止まり、呼吸の音すら消えてしまったかのよう……。
誰も、何も言うことができなかった。
「――すまん」
沈黙を破ったのは、ルイフォンだった。話が横道にそれたことの責任を取った。
「ともかく、今はリュイセンの救出だ」
やや強引にだが、話を戻す。いつもの調子を出すように、彼は好戦的に口の端を上げた。
「録画記録の様子からすると、〈蝿〉は、俺があの館に隠れていると思って探しているみたいだ。だが、いずれは脱出した可能性を考えるだろう」
そう言いながら、皆が話に乗ってくるようにと、視線を巡らす。
「奴は、俺が鷹刀に戻っているかの裏付けを取るために、私兵をこの屋敷に送るはずだ。だから、その私兵を捕まえれば、リュイセンの状況が分かるかもしれない。――よって、専任の者を配置して、待ち構えていることを提案する」
〈蝿〉のいる館の監視カメラは、電源を落とされて使えない。その代わりの策だ。
「なるほど。ミンウェイ、すぐに手配してくれ」
イーレオが即応し、ミンウェイが「はい」と了承する。
「今日のところは、こんなところか?」
皆に尋ねながらも、イーレオの視線はルイフォンに向けられていた。ルイフォンが、作戦失敗の汚名を少しでもすすごうとしていることに、イーレオは気づいているのだろう。敵わないなと、内心で思う。
イーレオは一同を見渡し、皆に意見がないのを確認すると、「では――」と、魅惑の美声を高らかに響かせた。
「近いうちに〈蝿〉のほうから、リュイセンを人質として、なんらかの要求を突きつけてくるだろう。遅れを取らないように注意しながら、とりあえず待機だ。――解散!」
会議のあと、イーレオは、ルイフォンにこう言った。
『俺には、〈猫〉が疲弊しているように感じられる。これからに備えるため、鷹刀の総帥として、『対等な協力者』〈猫〉に休息をとるよう要請する』
単に、『休め』と言えばいいものを、洒落たつもりなのだろう。
しかも、料理長からメイシアに、『今日は人手が余っているから、夕食の手伝いは要らない』という連絡まで来た。
要するに、『ふたりで、ゆっくりしろ』ということだ。
ルイフォンは、メイシアと肩を並べ、自室へと向かう。
隣を歩く、彼女のふわりとしたスカートがズボンに触れ、こそばゆく……感じる余裕はなかった。
彼の心を占めていたものは、あの館で放たれた、〈蝿〉の言葉――。
『『デヴァイン・シンフォニア計画』の鍵となるために、〈天使〉のホンシュアに操られた『藤咲メイシア』は、色仕掛けであなたを籠絡したのですよ』