残酷な描写あり
1.飄風の招来-2
女王と婚約者という、やんごとなき方々の衣装の注文に、草薙家は、にわかに慌ただしくなった。
王族ご指名の仕立て屋であるユイランは、連絡を受けるや否や、鷹刀一族の屋敷から一時的に舞い戻ってきた。彼女が不在の間は、なんとエルファンが総帥補佐を務めるらしい。なんでも、普段から『次期総帥の位を譲って、暇ができた』などと言って、服飾の仕事との二足わらじで多忙なユイランを手伝っていたという。
その話を聞いたとき、エルファンも随分、変わったものだと、ルイフォンは感嘆の息を吐いた。だが、そのあとに続いた『事務的な決まった作業は、きっちりこなしてくれるのよ』というユイランの言葉の裏に、要するに気配りが必要な案件については、今ひとつ頼りないのだという、相変わらずのエルファンらしさが垣間見え、苦笑を漏らした。
今回の依頼は、『王宮から、王族の臣下である貴族の藤咲家への依頼』という体が取られている。ハオリュウを通して、レイウェンの服飾会社が仕事を請け負う形だ。王族から直接、平民の会社に発注するわけにはいかないらしい。
「それで、ハオリュウが明日、草薙家に来るって?」
レイウェンから知らせを受け、ルイフォンは尋ねた。
「ああ。ハオリュウさんはまだ、私との決闘の傷が癒えていないし、身分からしても、貴族のハオリュウさんが草薙を呼びつけるほうが自然なんだけれどね。ヤンイェン殿下の件で、君とメイシアさんが話をしたいと言っているから、と」
ルイフォンはともかく、表向きは死んだことになっているメイシアは、実家に近づかないほうがよいと、ハオリュウは判断したのだ。……もっとも、自分が草薙家に出向けば、クーティエに逢える、という思惑もあるだろう。
「ハオリュウの奴、まだ車椅子なんだよな? その体で来てもらうのは、ちょいと悪い気がするけど、正直なところ助かる」
ハオリュウは『この負傷は、決闘の証。僕にとって大事なものですからね』と言って、シュアンの怪我の完治に使った〈蝿〉の技術を、自分に使うことを拒否した。体中に刻まれた傷跡は痛々しかったが、それで良いのだと、誰もが納得していた。
「私は、もう少し、手加減をするべきだったかな?」
「そんなことはねぇだろ。あいつは満足だったと思うぜ」
顔を曇らせるレイウェンを、ルイフォンは笑い飛ばす。
ハオリュウを買っているからこそ、レイウェンは、後遺症の残らないギリギリのところまで相手をしたのだ。それが分からないハオリュウではないだろう。
そして、翌日となり、ハオリュウが草薙家を訪れた。
待ちかねていた呼び鈴に、「私がお迎えに行くわ!」と、クーティエが軽やかに身を翻した。両脇で結い上げた髪が、流れるようにあとを追う。その根本を彩るのは、漣のように幾重にも青絹を連ねた、試作品の髪飾りだ。新作をハオリュウに見せるのだと、昨日、遅くまでユイランと作っていたのだ。
クーティエが席を立つのと同時に、メイシアとシャンリーが、冷たい飲み物を取りに台所に向かう。
ルイフォンは、応接室の端のソファーで待機である。
ヤンイェンについて話をしたくて、うずうずしているところだが、まずは貴族の藤咲家と服飾会社の草薙との間での、依頼の確認やら契約やらが先である。ルイフォンの用件は、あくまでも副次的なものなのだ。
故に、部屋の中心にいるのは、社長のレイウェンと、仕立てを任されたユイラン。
やがて、和気あいあいとした幾つもの人の気配が近づいてきて、クーティエの「どうぞ」という声と共に扉が開かれた。廊下からのの熱気と、軒に吊るした風鈴の澄んだ音色が、客人を先導するように流れ込んでくる。
「ようこそ。お待ちしておりました」
レイウェンが席を立ち、深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。お会いできるのを楽しみにしておりました」
車輪の軋みに続き、前よりも更に低くなった、ハオリュウのよく通る声が響く。その後ろで車椅子を押しているのは、予想通りにシュアンである。
「!」
ルイフォンは息を呑んだ。
手押しハンドルを握るシュアンの左手に、白金の指輪が光っていたのだ。
思わず声を上げそうになったが、すんでのところで、口を大きく開けるだけに留める。そして、視線を走らせ、怪我人である主人の付き添いとして控える侍医の姿を――その左手の薬指に注目する。
「……」
先を越された。
ハオリュウ一行のあとから、案内をしてきたクーティエと、廊下で一緒になったらしいメイシア、シャンリーが入ってきた。
どうやら、女性陣の間では、既に白金の指輪は話題になっていたようで、華やかな興奮に包まれた、妙な空気が漂っている。そして、メイシアのトレイの上では、アイスティーに浮かべられたミントの葉が、落ち着きなく揺れていた。
メイシアの背後のシャンリーが、ルイフォンに向かって意味ありげに口角を上げる。
「……っ」
指輪なら、メイシアと贈り合う約束をしているのだ。だが、いろいろあって、先延ばしになっているだけで……。
……ひょっとして、交換する用とは別の指輪を贈ってもよいのではないだろうか? いわゆる婚約指輪というやつだ。豪華な宝石の付いた……いや、普段から身に着けてもらいたいから、それよりもメイシアに似合う、清楚でシンプルなものを……。
それまで、ヤンイェンのことで、いっぱいだったルイフォンの頭が、メイシア一色に染まっていく。
思考が異次元へと飛んでいき、彼にとって退屈なだけと思われた、ハオリュウとレイウェンによる仕事上のやり取りは、まったく耳に入ってこなかった。彼はただ、隣に座ったメイシアの左手を無意識に引き寄せ、まるでサイズを測るかのように、指先で彼女の薬指の付け根を挟み込んでいた。
「ルイフォン?」
耳元で聞こえたメイシアの声に、ルイフォンは、はっと我に返った。気づけば、皆がルイフォンに注目している。
「お待たせしてすみませんでした。レイウェンさんとの契約は終わりましたよ」
快活に告げたハオリュウの目線は、メイシアの薬指を摘まむルイフォンの手に落とされていた。その眼差しには、どことなく憐れみが混じっている。
ルイフォンは反射的に視線をそらし、気まずげに手を引っ込める。
ともかく、今はヤンイェンとの接触についての相談だ。「こほん」という、わざとらしい咳払いと共に、意識を現状へと戻し、ルイフォンは口火を切った。
「『ライシェン』の未来を決めるため、俺はずっと、ヤンイェンと話をしたいと思っていた。けど、王族であるヤンイェンには、おいそれと近づくことができず、また、摂政も目を光らせているために、今まで身動きが取れなかった」
ルイフォンの前置きに、皆が思い思いに頷く。
「それが今回、衣装の依頼を受けたことで、仕立て屋のユイランが、王宮でヤンイェンと対面できることになった。この機会を上手く利用したい」
そこまで言うと、名を挙げられたユイランが、すかさず口を開いた。
「私が手紙を預かって、そっとヤンイェン殿下にお渡しするのでどうかしら? メイシアさんの話では、ヤンイェン殿下は、意図的に私を指名した可能性が高いのでしょう? ならば、手紙を渡されても、騒ぎ立てることはないと思うの。そもそも、殿下は私が『鷹刀』であることをご承知のはずだし、私とセレイエちゃんは似ているから、信用してくださると思うわ」
仮縫いなどの衣装の進捗に合わせ、ヤンイェンとは何度も顔を合わせることになる。だから、その後も手紙の受け渡しはできる。あるいは、携帯端末の番号を交換できれば、直接、ルイフォンとヤンイェンとで話し合うことができるだろうと、ユイランは続けた。
ユイランの意見は、素直な策だ。
少し前であれば、無理のない、堅実な案として採用していたかもしれない。
しかし、ルイフォンは「すまん」と、ユイランに頭を下げた。
「申し出は有り難いし、初めは俺も同じように、ユイランに橋渡しになってもらうことを考えた。――けど、ここは、やはり、俺自身が王宮に乗り込み、ヤンイェンと会うべきだと思う」
好戦的なテノールが響き、応接室が一瞬、静まり返る。
だが、次の瞬間には、ざわめきが場を支配した。例外は、あらかじめルイフォンと話し合っていた、メイシアだけだ。
「ルイフォン、それはつまり、何かしらの理由をつけて、ユイランさんに同行したいということですか?」
ハオリュウの問いに、「そういうことだ」と、ルイフォンは首肯する。
「『ヤンイェンは、俺たちの『敵』になるかもしれない』って、お前に指摘されてさ。確かに、その通りだと思った。――そういう相手なんだ。だから、この目できちんと、彼の人となりを確かめておきたい」
セレイエは、死んだライシェンの記憶を手に入れるために命を落とした。けれど、〈天使〉のホンシュアが死に、メイシアを〈天使〉にするつもりがない以上、ルイフォンの中に眠るライシェンの記憶は、永遠にそのまま――つまり、無駄になる。
それを知ったとき、ヤンイェンはどんな反応を示すのか。
『ライシェン』にオリジナルの記憶がなくてもよいと言うのか。それとも、どんな手段を使ってでも、『ライシェン』に記憶を入れようとするのか。
ヤンイェンの出方で、ルイフォンの今後も変わる。
「瀕死のセレイエから、ヤンイェンが何を聞いたのかは分からない。けど、『デヴァイン・シンフォニア計画』は既に迷走している。セレイエの思い描いたようには進んでいない。だから、ヤンイェンが何を知っていたとしても、それはもう古い情報だ」
ルイフォンは、ぐっと拳を握りしめた。
セレイエの我儘のために、メイシアの父親は死んだ。シュアンの先輩も、名も知らない巨漢も、〈蝿〉に酷使された〈天使〉たちも。そして、憎き敵として対峙していた〈蝿〉ですら、セレイエに利用された者のひとりにすぎないのだ。
セレイエには命を掛けて、ルイフォンとメイシアに『デヴァイン・シンフォニア計画』を託した。
けれど、ふたりは決して、セレイエの願いを叶えない。
「ヤンイェンは、『デヴァイン・シンフォニア計画』の現状を知るべきだ。その上で、『ライシェン』の未来を彼と話し合いたい」
「重要な話だから、多少の無理や危険を犯してでも、ルイフォン自ら、ヤンイェン殿下にお会いしたい――ですか」
ハオリュウの口調は重かった。仕立て屋ならともかく、それ以外の者を王宮に連れていくのは困難だということだろう。そんな異母弟の渋面を、メイシアの瞳が捕らえる。
「ハオリュウ。本当は私も、ルイフォンと一緒に行きたいの。けど、死んだことになっている私は、顔を知られている王宮に足を踏み入れるわけにはいかない。だから、ルイフォンだけでも同行させてほしいの。あなたは『仕立て屋を仲介した貴族』として、ユイラン様をお連れするわけでしょう?」
訴えかけるメイシアに、ルイフォンも続く。
「ちょうどいい、って言ったら悪いんだけどさ。今のお前には、車椅子が必要だ。だから、シュアンの代わりに、俺を介助者として連れて行ってほしい」
これが、メイシアとふたりで話し合った方法だ。
正直に言えば、ルイフォンが介助を務めるのは、多少の無理がある。
いくら一人前のつもりでも、年齢的には、ルイフォンはまだ『子供』だ。貴族の当主が王宮への供として連れて行くのは不自然であるし、彼自身、その場にふさわしい立ち振る舞いができる自信はない。何ということもなく、ハオリュウの介添えをこなすシュアンは、傍目にどんなに胡散臭く見えようとも、実のところ有能なのである。
「姉様、ルイフォン……」
ハオリュウが目を瞬かせた。
そして、なんとも困惑の表情で告げる。
「今回、僕は『王宮に出向かなくてよい』と言われています」
王族ご指名の仕立て屋であるユイランは、連絡を受けるや否や、鷹刀一族の屋敷から一時的に舞い戻ってきた。彼女が不在の間は、なんとエルファンが総帥補佐を務めるらしい。なんでも、普段から『次期総帥の位を譲って、暇ができた』などと言って、服飾の仕事との二足わらじで多忙なユイランを手伝っていたという。
その話を聞いたとき、エルファンも随分、変わったものだと、ルイフォンは感嘆の息を吐いた。だが、そのあとに続いた『事務的な決まった作業は、きっちりこなしてくれるのよ』というユイランの言葉の裏に、要するに気配りが必要な案件については、今ひとつ頼りないのだという、相変わらずのエルファンらしさが垣間見え、苦笑を漏らした。
今回の依頼は、『王宮から、王族の臣下である貴族の藤咲家への依頼』という体が取られている。ハオリュウを通して、レイウェンの服飾会社が仕事を請け負う形だ。王族から直接、平民の会社に発注するわけにはいかないらしい。
「それで、ハオリュウが明日、草薙家に来るって?」
レイウェンから知らせを受け、ルイフォンは尋ねた。
「ああ。ハオリュウさんはまだ、私との決闘の傷が癒えていないし、身分からしても、貴族のハオリュウさんが草薙を呼びつけるほうが自然なんだけれどね。ヤンイェン殿下の件で、君とメイシアさんが話をしたいと言っているから、と」
ルイフォンはともかく、表向きは死んだことになっているメイシアは、実家に近づかないほうがよいと、ハオリュウは判断したのだ。……もっとも、自分が草薙家に出向けば、クーティエに逢える、という思惑もあるだろう。
「ハオリュウの奴、まだ車椅子なんだよな? その体で来てもらうのは、ちょいと悪い気がするけど、正直なところ助かる」
ハオリュウは『この負傷は、決闘の証。僕にとって大事なものですからね』と言って、シュアンの怪我の完治に使った〈蝿〉の技術を、自分に使うことを拒否した。体中に刻まれた傷跡は痛々しかったが、それで良いのだと、誰もが納得していた。
「私は、もう少し、手加減をするべきだったかな?」
「そんなことはねぇだろ。あいつは満足だったと思うぜ」
顔を曇らせるレイウェンを、ルイフォンは笑い飛ばす。
ハオリュウを買っているからこそ、レイウェンは、後遺症の残らないギリギリのところまで相手をしたのだ。それが分からないハオリュウではないだろう。
そして、翌日となり、ハオリュウが草薙家を訪れた。
待ちかねていた呼び鈴に、「私がお迎えに行くわ!」と、クーティエが軽やかに身を翻した。両脇で結い上げた髪が、流れるようにあとを追う。その根本を彩るのは、漣のように幾重にも青絹を連ねた、試作品の髪飾りだ。新作をハオリュウに見せるのだと、昨日、遅くまでユイランと作っていたのだ。
クーティエが席を立つのと同時に、メイシアとシャンリーが、冷たい飲み物を取りに台所に向かう。
ルイフォンは、応接室の端のソファーで待機である。
ヤンイェンについて話をしたくて、うずうずしているところだが、まずは貴族の藤咲家と服飾会社の草薙との間での、依頼の確認やら契約やらが先である。ルイフォンの用件は、あくまでも副次的なものなのだ。
故に、部屋の中心にいるのは、社長のレイウェンと、仕立てを任されたユイラン。
やがて、和気あいあいとした幾つもの人の気配が近づいてきて、クーティエの「どうぞ」という声と共に扉が開かれた。廊下からのの熱気と、軒に吊るした風鈴の澄んだ音色が、客人を先導するように流れ込んでくる。
「ようこそ。お待ちしておりました」
レイウェンが席を立ち、深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。お会いできるのを楽しみにしておりました」
車輪の軋みに続き、前よりも更に低くなった、ハオリュウのよく通る声が響く。その後ろで車椅子を押しているのは、予想通りにシュアンである。
「!」
ルイフォンは息を呑んだ。
手押しハンドルを握るシュアンの左手に、白金の指輪が光っていたのだ。
思わず声を上げそうになったが、すんでのところで、口を大きく開けるだけに留める。そして、視線を走らせ、怪我人である主人の付き添いとして控える侍医の姿を――その左手の薬指に注目する。
「……」
先を越された。
ハオリュウ一行のあとから、案内をしてきたクーティエと、廊下で一緒になったらしいメイシア、シャンリーが入ってきた。
どうやら、女性陣の間では、既に白金の指輪は話題になっていたようで、華やかな興奮に包まれた、妙な空気が漂っている。そして、メイシアのトレイの上では、アイスティーに浮かべられたミントの葉が、落ち着きなく揺れていた。
メイシアの背後のシャンリーが、ルイフォンに向かって意味ありげに口角を上げる。
「……っ」
指輪なら、メイシアと贈り合う約束をしているのだ。だが、いろいろあって、先延ばしになっているだけで……。
……ひょっとして、交換する用とは別の指輪を贈ってもよいのではないだろうか? いわゆる婚約指輪というやつだ。豪華な宝石の付いた……いや、普段から身に着けてもらいたいから、それよりもメイシアに似合う、清楚でシンプルなものを……。
それまで、ヤンイェンのことで、いっぱいだったルイフォンの頭が、メイシア一色に染まっていく。
思考が異次元へと飛んでいき、彼にとって退屈なだけと思われた、ハオリュウとレイウェンによる仕事上のやり取りは、まったく耳に入ってこなかった。彼はただ、隣に座ったメイシアの左手を無意識に引き寄せ、まるでサイズを測るかのように、指先で彼女の薬指の付け根を挟み込んでいた。
「ルイフォン?」
耳元で聞こえたメイシアの声に、ルイフォンは、はっと我に返った。気づけば、皆がルイフォンに注目している。
「お待たせしてすみませんでした。レイウェンさんとの契約は終わりましたよ」
快活に告げたハオリュウの目線は、メイシアの薬指を摘まむルイフォンの手に落とされていた。その眼差しには、どことなく憐れみが混じっている。
ルイフォンは反射的に視線をそらし、気まずげに手を引っ込める。
ともかく、今はヤンイェンとの接触についての相談だ。「こほん」という、わざとらしい咳払いと共に、意識を現状へと戻し、ルイフォンは口火を切った。
「『ライシェン』の未来を決めるため、俺はずっと、ヤンイェンと話をしたいと思っていた。けど、王族であるヤンイェンには、おいそれと近づくことができず、また、摂政も目を光らせているために、今まで身動きが取れなかった」
ルイフォンの前置きに、皆が思い思いに頷く。
「それが今回、衣装の依頼を受けたことで、仕立て屋のユイランが、王宮でヤンイェンと対面できることになった。この機会を上手く利用したい」
そこまで言うと、名を挙げられたユイランが、すかさず口を開いた。
「私が手紙を預かって、そっとヤンイェン殿下にお渡しするのでどうかしら? メイシアさんの話では、ヤンイェン殿下は、意図的に私を指名した可能性が高いのでしょう? ならば、手紙を渡されても、騒ぎ立てることはないと思うの。そもそも、殿下は私が『鷹刀』であることをご承知のはずだし、私とセレイエちゃんは似ているから、信用してくださると思うわ」
仮縫いなどの衣装の進捗に合わせ、ヤンイェンとは何度も顔を合わせることになる。だから、その後も手紙の受け渡しはできる。あるいは、携帯端末の番号を交換できれば、直接、ルイフォンとヤンイェンとで話し合うことができるだろうと、ユイランは続けた。
ユイランの意見は、素直な策だ。
少し前であれば、無理のない、堅実な案として採用していたかもしれない。
しかし、ルイフォンは「すまん」と、ユイランに頭を下げた。
「申し出は有り難いし、初めは俺も同じように、ユイランに橋渡しになってもらうことを考えた。――けど、ここは、やはり、俺自身が王宮に乗り込み、ヤンイェンと会うべきだと思う」
好戦的なテノールが響き、応接室が一瞬、静まり返る。
だが、次の瞬間には、ざわめきが場を支配した。例外は、あらかじめルイフォンと話し合っていた、メイシアだけだ。
「ルイフォン、それはつまり、何かしらの理由をつけて、ユイランさんに同行したいということですか?」
ハオリュウの問いに、「そういうことだ」と、ルイフォンは首肯する。
「『ヤンイェンは、俺たちの『敵』になるかもしれない』って、お前に指摘されてさ。確かに、その通りだと思った。――そういう相手なんだ。だから、この目できちんと、彼の人となりを確かめておきたい」
セレイエは、死んだライシェンの記憶を手に入れるために命を落とした。けれど、〈天使〉のホンシュアが死に、メイシアを〈天使〉にするつもりがない以上、ルイフォンの中に眠るライシェンの記憶は、永遠にそのまま――つまり、無駄になる。
それを知ったとき、ヤンイェンはどんな反応を示すのか。
『ライシェン』にオリジナルの記憶がなくてもよいと言うのか。それとも、どんな手段を使ってでも、『ライシェン』に記憶を入れようとするのか。
ヤンイェンの出方で、ルイフォンの今後も変わる。
「瀕死のセレイエから、ヤンイェンが何を聞いたのかは分からない。けど、『デヴァイン・シンフォニア計画』は既に迷走している。セレイエの思い描いたようには進んでいない。だから、ヤンイェンが何を知っていたとしても、それはもう古い情報だ」
ルイフォンは、ぐっと拳を握りしめた。
セレイエの我儘のために、メイシアの父親は死んだ。シュアンの先輩も、名も知らない巨漢も、〈蝿〉に酷使された〈天使〉たちも。そして、憎き敵として対峙していた〈蝿〉ですら、セレイエに利用された者のひとりにすぎないのだ。
セレイエには命を掛けて、ルイフォンとメイシアに『デヴァイン・シンフォニア計画』を託した。
けれど、ふたりは決して、セレイエの願いを叶えない。
「ヤンイェンは、『デヴァイン・シンフォニア計画』の現状を知るべきだ。その上で、『ライシェン』の未来を彼と話し合いたい」
「重要な話だから、多少の無理や危険を犯してでも、ルイフォン自ら、ヤンイェン殿下にお会いしたい――ですか」
ハオリュウの口調は重かった。仕立て屋ならともかく、それ以外の者を王宮に連れていくのは困難だということだろう。そんな異母弟の渋面を、メイシアの瞳が捕らえる。
「ハオリュウ。本当は私も、ルイフォンと一緒に行きたいの。けど、死んだことになっている私は、顔を知られている王宮に足を踏み入れるわけにはいかない。だから、ルイフォンだけでも同行させてほしいの。あなたは『仕立て屋を仲介した貴族』として、ユイラン様をお連れするわけでしょう?」
訴えかけるメイシアに、ルイフォンも続く。
「ちょうどいい、って言ったら悪いんだけどさ。今のお前には、車椅子が必要だ。だから、シュアンの代わりに、俺を介助者として連れて行ってほしい」
これが、メイシアとふたりで話し合った方法だ。
正直に言えば、ルイフォンが介助を務めるのは、多少の無理がある。
いくら一人前のつもりでも、年齢的には、ルイフォンはまだ『子供』だ。貴族の当主が王宮への供として連れて行くのは不自然であるし、彼自身、その場にふさわしい立ち振る舞いができる自信はない。何ということもなく、ハオリュウの介添えをこなすシュアンは、傍目にどんなに胡散臭く見えようとも、実のところ有能なのである。
「姉様、ルイフォン……」
ハオリュウが目を瞬かせた。
そして、なんとも困惑の表情で告げる。
「今回、僕は『王宮に出向かなくてよい』と言われています」