残酷な描写あり
1.飄風の招来-3
「えっ? どうして、衣装担当家当主が王宮に出向かなくてよいの!?」
ルイフォンよりも早く、メイシアが驚きの声を上げた。もと貴族として、信じられなかったのだろう。
「王宮からの使者によれば『藤咲家の当主は暴漢に襲われて負傷された、と聞き及んでおります。今回は無理をなさらず、ご自宅で養生していてください』だそうです。カイウォル摂政殿下が、僕とヤンイェン殿下の接触を警戒しているんでしょうね」
迂闊だった。
それは当然、考えられる事態だった。
ルイフォンが悔しげに顔を歪めると、ハオリュウは更に続けた。
「僕だけではなく、依頼した服飾会社の社長である、レイウェンさんの同行も不要だと言われています。レイウェンさんは、セレイエさんのお異母兄さんだからでしょうね」
「なっ……」
「ユイランさんが許可されたのは、指名された仕立て屋なので仕方なく、といったところでしょう。世間的には、正妻のユイランさんは、庶子のセレイエさんに冷たくあたっていたということになっているようですし」
そこで、ハオリュウは大仰なほどに溜め息をついた。
「僕は、摂政殿下とセレイエさんに因縁があることなど知らずに、草薙家に女王陛下の婚礼衣装を頼みました。しかし、摂政殿下は『セレイエさんのお異母兄さんの会社だからこそ、抜擢した』と信じているのでしょう。おそらく、それは殿下にとって腹立たしいことで、ならば、僕を内偵に使える手駒にしてしまえばよいと、『女王陛下の婚約者に』なんてことを考えたんですよ」
もう済んだことですけどね、とハオリュウは言い捨てる。
「ともかく、今回、僕は王宮に立ち入れません。だから、姉様とルイフォンの策は使えません。別の方法を考える必要があります」
「そう……ね……」
メイシアが愕然と肩を落とし、ルイフォンもまた、癖の強い前髪をぐしゃぐしゃと掻き上げる。
そのときだった。
「ああっ! いい考えがあるわ!」
甲高い叫びと共に、クーティエが身を乗り出した。
「ルイフォンは、祖母上の『助手』って、ことにすればいいのよ!」
「『助手』?」
唐突な単語に、ルイフォンは、おうむ返しに尋ねる。
「ほら! 緋扇シュアンが逮捕されたとき、私が夜中に、ハオリュウのお屋敷に押しかけていったことがあったじゃない? あのとき、私は『仕立て屋の助手』って役割だったわ。それと同じ手でいくの。それに祖母上だって、荷物持ちくらい、いたほうが楽でしょ!?」
「名案だ! それでいこう! クーティエ、ありがとな」
ルイフォンは即決する。
仕立て屋の助手であれば、多少、若くても、所作が未熟でも、誤魔化しが効く。ルイフォンとしても、貴族の介助者より、よほど気が楽だ。
しかし、勢いに乗りかけた流れは、ユイランの「それは、ちょっと出来ないわ」という、歯切れの悪い声に遮られた。
「今回の件、ルイフォンとしては、『ヤンイェン殿下』にお会いすることが目的なのは分かっているわ。けど、私の受けた依頼は、『女王陛下』の衣装をお作りすることなの」
「へ? ……ええと、どういう意味だ?」
間抜けな声で、ルイフォンは首をかしげる。
「勿論、ヤンイェン殿下の衣装も、私がご用意するわ。けれど、それは『陛下と対の衣装』であって、主役はあくまでも、女王陛下。『女性である、女王陛下の衣装の採寸』に、『男性のルイフォン』を助手として連れて行くのは、どう考えても非常識だわ」
「う……」
「一国の王の衣装を手掛けるなんて、仕立て屋としては最高の誉れよ。だから、この依頼は、私の命運を賭けた大仕事なの。失敗の許されない、大切な――ね」
「そうだよな……」
ユイランの弁は、もっともだ。
頭を抱えたルイフォンの隣で、メイシアが、さっと手を挙げる。
「あの、それなら、私が変装をして行くのではどうでしょうか?」
「え? メイシアさんが……」
王宮の様子を知らないユイランは口ごもり、判断を仰ぐように、ハオリュウへと銀髪を揺らす。すると、ハオリュウが、ゆっくりと首を横に振った。
「変装したところで、姉様の綺麗な顔は目立ちすぎるよ。だいたい、身のこなしが上品すぎる。王宮を歩けば、明らかに上流階級の人間だと気づかれる。平民の仕立て屋の助手としては不自然だ」
「え……、そんな」
軽く口元に手をやり、上品に眉を寄せるメイシアの仕草に、確かにハオリュウの言う通りだと、ルイフォンも思う。
しかし、そうなると八方塞がりだ。やはり、ユイランに手紙を預けるしかないのか。
諦めかけたルイフォンの耳に、「悩むことなんかねぇだろう?」という、揶揄混じりの濁声が響いた。
「そんなの、ルイフォンが女装すれば解決する問題だ」
「シュアン!?」
「情報屋のトンツァイから聞いたぜ? 『ルイリン』は、たいそうな美少女だそうじゃねぇかよ?」
「……なっ!」
ルイフォンは、口をぱくぱくさせながら、絶句する。
そう――あれは、囚われのメイシアからの使者として、タオロンがシャオリエの娼館に来たときのことだ。タオロンが『馴染みの女』に会いに来た、という筋書きに合わせ、調子に乗ったシャオリエとスーリンに、ルイフォンは女装させられたのだ。
一生の汚点である。
あの件は極秘事項だと思っていたのだが、まさか情報屋によって広められていたとは……。
「待て! 声を出したら、一発で男だとバレる」
「大丈夫さ。『下々の者』は、お偉い王宮の侍従やら、女王陛下やらと口をきけねぇからよ。しかも、あんたの役柄はユイランさんの助手だ。ひたすら、へこへこ頭を下げてりゃいい」
ルイフォンの反論は、皮肉げな悪相によって一笑に付された。
それから、シュアンはすっと立ち上がり、唐突に窓を開ける。
「おーい、タオロン! ちょっといいか!」
庭の熱気と、部屋の冷気が混じり合う中、シュアンが外に向かって声を張り上げた。
すると、頭に麦わら帽子、首に手ぬぐい、右手には草刈り鎌を持ったタオロンが、猪突猛進に現れた。額の赤いバンダナは、汗を吸って変色しているが、浅黒い彼の肌にしっくりと馴染んでいる。
今の時間、普段であれば、タオロンは警備会社の仕事中である。しかし、今日は特別だった。
彼の娘――ファンルゥに恩義を感じているハオリュウから、『せっかく草薙家に行くのだから、話し合いのあとで、ファンルゥさんに素敵なおやつをご馳走します』という申し出があったのだ。
それで、保育所へのお迎えが早くなるため、タオロンも仕事を早く上がっていた。だが、まだ時間に余裕があったので、真面目なタオロンは、本来は勤務時間中なのだからと、自主的に働いていたのである。シュアンは、この家に着いたとき、草刈りに精を出すタオロンの姿を目撃し、彼が庭にいることを知っていたのだろう。
「なぁ、タオロン。今、極めて重要な潜入作戦について、その方法を話し合っているんだ」
重大な秘密でも漏らすように、シュアンは声を潜めた。応接室と庭という、窓を挟んだ距離でなければ、親しげに肩を組み、そっと耳打ちしていたに違いない。
「お、俺が聞いても、よい話でしょうか?」
雰囲気に飲まれたのか、タオロンが畏まる。ルイフォンから見れば、悪人面でしかないシュアンの凶相は、タオロンにとっては頼もしい策士の顔であるらしい。
「ああ。あんたしか知らないことについて、意見が欲しい。冷静に判断して、率直に答えてくれ」
物々しいシュアンの口調に、タオロンが、ごくりと唾を呑む。
「正直なところ、『ルイフォンが、女装して潜入する』という策は、危険だと思うか?」
「!?」
タオロンの小さな目が、赤いバンダナを押し上げんばかりに、いっぱいに見開かれた。まさか、そんなことを訊かれるとは思ってもいなかったのだろう。
狼狽するタオロンの前で、シュアンは、まるで苦悩しているかのように眉間に皺を寄せる。この案が使えなければ、あとがない。そんな雰囲気を漂わせ、大真面目に重ねて問う。
「ここにいる奴らは、誰もルイフォンの女装を直接、見たことがない。実物を確認している、あんただけが頼りだ。……やはり、女の格好をした男というのは、気持ち悪かったか?」
「そんなことはありません!」
タオロンの口から、決然とした大声と、唾が飛び散った。
シュアンは、その未来を予期していたかのように、さっと体を脇に避ける。
「ルイフォンの女装は、完璧でした。俺の見張りだった奴は、まったく疑いもしませんでしたし、俺だってルイフォンだと知らなければ、ころっと騙されていました!」
鼻息荒く、タオロンが熱弁を振るう。
「決まりだな」
そう言って、シュアンは応接室の皆を振り返り、胡散臭げな三白眼をにやりと細めた。
ルイフォンよりも早く、メイシアが驚きの声を上げた。もと貴族として、信じられなかったのだろう。
「王宮からの使者によれば『藤咲家の当主は暴漢に襲われて負傷された、と聞き及んでおります。今回は無理をなさらず、ご自宅で養生していてください』だそうです。カイウォル摂政殿下が、僕とヤンイェン殿下の接触を警戒しているんでしょうね」
迂闊だった。
それは当然、考えられる事態だった。
ルイフォンが悔しげに顔を歪めると、ハオリュウは更に続けた。
「僕だけではなく、依頼した服飾会社の社長である、レイウェンさんの同行も不要だと言われています。レイウェンさんは、セレイエさんのお異母兄さんだからでしょうね」
「なっ……」
「ユイランさんが許可されたのは、指名された仕立て屋なので仕方なく、といったところでしょう。世間的には、正妻のユイランさんは、庶子のセレイエさんに冷たくあたっていたということになっているようですし」
そこで、ハオリュウは大仰なほどに溜め息をついた。
「僕は、摂政殿下とセレイエさんに因縁があることなど知らずに、草薙家に女王陛下の婚礼衣装を頼みました。しかし、摂政殿下は『セレイエさんのお異母兄さんの会社だからこそ、抜擢した』と信じているのでしょう。おそらく、それは殿下にとって腹立たしいことで、ならば、僕を内偵に使える手駒にしてしまえばよいと、『女王陛下の婚約者に』なんてことを考えたんですよ」
もう済んだことですけどね、とハオリュウは言い捨てる。
「ともかく、今回、僕は王宮に立ち入れません。だから、姉様とルイフォンの策は使えません。別の方法を考える必要があります」
「そう……ね……」
メイシアが愕然と肩を落とし、ルイフォンもまた、癖の強い前髪をぐしゃぐしゃと掻き上げる。
そのときだった。
「ああっ! いい考えがあるわ!」
甲高い叫びと共に、クーティエが身を乗り出した。
「ルイフォンは、祖母上の『助手』って、ことにすればいいのよ!」
「『助手』?」
唐突な単語に、ルイフォンは、おうむ返しに尋ねる。
「ほら! 緋扇シュアンが逮捕されたとき、私が夜中に、ハオリュウのお屋敷に押しかけていったことがあったじゃない? あのとき、私は『仕立て屋の助手』って役割だったわ。それと同じ手でいくの。それに祖母上だって、荷物持ちくらい、いたほうが楽でしょ!?」
「名案だ! それでいこう! クーティエ、ありがとな」
ルイフォンは即決する。
仕立て屋の助手であれば、多少、若くても、所作が未熟でも、誤魔化しが効く。ルイフォンとしても、貴族の介助者より、よほど気が楽だ。
しかし、勢いに乗りかけた流れは、ユイランの「それは、ちょっと出来ないわ」という、歯切れの悪い声に遮られた。
「今回の件、ルイフォンとしては、『ヤンイェン殿下』にお会いすることが目的なのは分かっているわ。けど、私の受けた依頼は、『女王陛下』の衣装をお作りすることなの」
「へ? ……ええと、どういう意味だ?」
間抜けな声で、ルイフォンは首をかしげる。
「勿論、ヤンイェン殿下の衣装も、私がご用意するわ。けれど、それは『陛下と対の衣装』であって、主役はあくまでも、女王陛下。『女性である、女王陛下の衣装の採寸』に、『男性のルイフォン』を助手として連れて行くのは、どう考えても非常識だわ」
「う……」
「一国の王の衣装を手掛けるなんて、仕立て屋としては最高の誉れよ。だから、この依頼は、私の命運を賭けた大仕事なの。失敗の許されない、大切な――ね」
「そうだよな……」
ユイランの弁は、もっともだ。
頭を抱えたルイフォンの隣で、メイシアが、さっと手を挙げる。
「あの、それなら、私が変装をして行くのではどうでしょうか?」
「え? メイシアさんが……」
王宮の様子を知らないユイランは口ごもり、判断を仰ぐように、ハオリュウへと銀髪を揺らす。すると、ハオリュウが、ゆっくりと首を横に振った。
「変装したところで、姉様の綺麗な顔は目立ちすぎるよ。だいたい、身のこなしが上品すぎる。王宮を歩けば、明らかに上流階級の人間だと気づかれる。平民の仕立て屋の助手としては不自然だ」
「え……、そんな」
軽く口元に手をやり、上品に眉を寄せるメイシアの仕草に、確かにハオリュウの言う通りだと、ルイフォンも思う。
しかし、そうなると八方塞がりだ。やはり、ユイランに手紙を預けるしかないのか。
諦めかけたルイフォンの耳に、「悩むことなんかねぇだろう?」という、揶揄混じりの濁声が響いた。
「そんなの、ルイフォンが女装すれば解決する問題だ」
「シュアン!?」
「情報屋のトンツァイから聞いたぜ? 『ルイリン』は、たいそうな美少女だそうじゃねぇかよ?」
「……なっ!」
ルイフォンは、口をぱくぱくさせながら、絶句する。
そう――あれは、囚われのメイシアからの使者として、タオロンがシャオリエの娼館に来たときのことだ。タオロンが『馴染みの女』に会いに来た、という筋書きに合わせ、調子に乗ったシャオリエとスーリンに、ルイフォンは女装させられたのだ。
一生の汚点である。
あの件は極秘事項だと思っていたのだが、まさか情報屋によって広められていたとは……。
「待て! 声を出したら、一発で男だとバレる」
「大丈夫さ。『下々の者』は、お偉い王宮の侍従やら、女王陛下やらと口をきけねぇからよ。しかも、あんたの役柄はユイランさんの助手だ。ひたすら、へこへこ頭を下げてりゃいい」
ルイフォンの反論は、皮肉げな悪相によって一笑に付された。
それから、シュアンはすっと立ち上がり、唐突に窓を開ける。
「おーい、タオロン! ちょっといいか!」
庭の熱気と、部屋の冷気が混じり合う中、シュアンが外に向かって声を張り上げた。
すると、頭に麦わら帽子、首に手ぬぐい、右手には草刈り鎌を持ったタオロンが、猪突猛進に現れた。額の赤いバンダナは、汗を吸って変色しているが、浅黒い彼の肌にしっくりと馴染んでいる。
今の時間、普段であれば、タオロンは警備会社の仕事中である。しかし、今日は特別だった。
彼の娘――ファンルゥに恩義を感じているハオリュウから、『せっかく草薙家に行くのだから、話し合いのあとで、ファンルゥさんに素敵なおやつをご馳走します』という申し出があったのだ。
それで、保育所へのお迎えが早くなるため、タオロンも仕事を早く上がっていた。だが、まだ時間に余裕があったので、真面目なタオロンは、本来は勤務時間中なのだからと、自主的に働いていたのである。シュアンは、この家に着いたとき、草刈りに精を出すタオロンの姿を目撃し、彼が庭にいることを知っていたのだろう。
「なぁ、タオロン。今、極めて重要な潜入作戦について、その方法を話し合っているんだ」
重大な秘密でも漏らすように、シュアンは声を潜めた。応接室と庭という、窓を挟んだ距離でなければ、親しげに肩を組み、そっと耳打ちしていたに違いない。
「お、俺が聞いても、よい話でしょうか?」
雰囲気に飲まれたのか、タオロンが畏まる。ルイフォンから見れば、悪人面でしかないシュアンの凶相は、タオロンにとっては頼もしい策士の顔であるらしい。
「ああ。あんたしか知らないことについて、意見が欲しい。冷静に判断して、率直に答えてくれ」
物々しいシュアンの口調に、タオロンが、ごくりと唾を呑む。
「正直なところ、『ルイフォンが、女装して潜入する』という策は、危険だと思うか?」
「!?」
タオロンの小さな目が、赤いバンダナを押し上げんばかりに、いっぱいに見開かれた。まさか、そんなことを訊かれるとは思ってもいなかったのだろう。
狼狽するタオロンの前で、シュアンは、まるで苦悩しているかのように眉間に皺を寄せる。この案が使えなければ、あとがない。そんな雰囲気を漂わせ、大真面目に重ねて問う。
「ここにいる奴らは、誰もルイフォンの女装を直接、見たことがない。実物を確認している、あんただけが頼りだ。……やはり、女の格好をした男というのは、気持ち悪かったか?」
「そんなことはありません!」
タオロンの口から、決然とした大声と、唾が飛び散った。
シュアンは、その未来を予期していたかのように、さっと体を脇に避ける。
「ルイフォンの女装は、完璧でした。俺の見張りだった奴は、まったく疑いもしませんでしたし、俺だってルイフォンだと知らなければ、ころっと騙されていました!」
鼻息荒く、タオロンが熱弁を振るう。
「決まりだな」
そう言って、シュアンは応接室の皆を振り返り、胡散臭げな三白眼をにやりと細めた。