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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
白詰草の宝冠
「ミンウェイ。俺の『家族』になってくれないか?」



「教えてほしいの。――亡くなったあなたの家族のこと。それから、家族を亡くしたあと、私と出逢うまでのあなたのこと。私、呆れるくらいに本当に、あなたのことを何も知らないんだから!」



 そんなり取りのあと、彼は家族の話をしてくれた。

 お父様は責任感の強い消防士で、躊躇ためらうことなく火の中に突っ込んでいく、勇ましい人だったこと。だけど、ちょっと報われなくて、防火マスクを外した途端、助けた子供に大泣きされるのがつねだったこと。それで、『防火マスクが俺の顔』のうたい文句で、地元では有名な人だったこと。

 そんな逸話と共に見せてくれた写真では、シュアンそっくりの男性が、両手にふたりの子どもをかかえ上げ、溌剌はつらつとした感じの女性とおそろいのTシャツを着て、素敵な顔で笑っていた。

 幼いシュアンも、お母様も、妹さんも。お父様が大好きで、家族が大好きで。

 幸せな家族の形が、そこにあった。

 私が憧れていたもので、私には存在しなかったもの。

 ……そして、シュアンが、ある日、突然、失ったもの。

 そんな言葉ことが頭をよぎったとき、私はいったい、どんな顔をしていたのだろう。シュアンが黙って私を抱き寄せた。

「シュアン?」

「ミンウェイ、明日、天気がよかったら、墓参りに行こう。俺は、親父とお袋と妹に、あんたを紹介したい。『新しい俺の家族だぞ』と自慢したい。それから、〈ムスカ〉たちのところにも、挨拶に行かねぇとな?」

「うん。……ありがとう」

 シュアンの黒目ひとみに、私が映る。

 彼が穏やかに笑うほどに、三白眼の白目が黒目わたしを包み込むように広がることは、きっと私と、彼のお母様だけの秘密だろう。





 シュアンの家族のお墓は、共同墓地にあった。

 両親から親戚の話を聞いたことはなくて、家族を亡くした直後は、お父様の職場の方が親身になって世話を焼いてくれたという。孤児になったときには十三歳の誕生日を迎えていたから、警察隊の幼年学校に編入したそうだ。学費が掛からないことと、凶賊ダリジィンを取り締まる警察隊員になると決めたためだ。

 寄宿舎生活だから住むところには困らなかったし、いろいろと運が良かったのだと、彼は笑った。――笑えるようになったのだと……思う。

「よう、見えているか? このとんでもない美女は、ミンウェイ。――俺の、新しい家族だ」

 シュアンは得意げにそう告げて、空に向かって目を細めた。





 そして、潮の香りが濃くなるほうへと車を走らせ、海を臨む、あの丘に辿たどり着いた。





 ざざぁん、ざざぁぁぁん。

 力強い波音が、私たちを迎える。

 潮風が私の髪をなびかせ、シュアンのぼさぼさ頭をき回していく。

 遥か遠くには、空と海とを隔てる、真っ青な水平線。

 そして、目の前に、ふたつから四つへと増えた――墓標。

 真夏の太陽が、短くも、くっきりとした影を描き出す……。



 お父様。

 私のオリジナルである、お母様。

 お父様の〈影〉で、お父様から受け継いだ記憶によって、私にお父様の本心愛情を伝えてくれた『彼』。――私たちがずっと〈ムスカ〉と呼んでいた人。

ムスカ〉のペアとして作られ、そのせいのほとんどを硝子ケースの中で過ごし、最後の刹那にすべてを懸けた『彼女』。――彼女は、『健康な成功体クローンである私』のクローンだ。……つい最近、そのことに気づいた。ルイフォンから譲り受けた、〈ムスカ〉の遺した記憶媒体の研究記録から、そう考えるのが自然だった。



 私だけが生きているということが、不思議な気がした。

 潮風が目に染みたのだろうか。

 私の頬を涙が伝う。

「ミンウェイ」

 呼ばれて傍らを見上げれば、シュアンの白目が大きくなっていた。

 彼は、その場にすっと膝をつき、墓標に向かってこうべを垂れる。その仕草は、まるで絵本の中の王子様のように洗練されていて……。そういえば、近衛隊への入隊を嘱望されていたころ、王族フェイラ付きになるための礼儀作法を叩き込まれたのだと言っていた。

「今日は、ご挨拶に参りました」

 そのままの伏した姿勢で、彼は告げる。

「私の名前は、緋扇シュアン。しがない自由民スーイラの男でございます。――ですが、お嬢様を必ず幸せにすると、お約束いたしますので……」

 シュアンは顔を上げた。三白眼の白目が、ひときわ広がる。



「お嬢様を私にください」



 シュアンの濁声だみごえが、波音を跳ねのけ、青空へと響き渡った。

「シュ……シュアン!?」

 突然の宣誓ことばに、私の涙が止まる。

「な、な、な……、何よ、その『お嬢様』って――!」

「ほう? 『お嬢様』はお気に召しませんかね? 大切な娘をさらっていくんだ。このくらいの挨拶は必要かと思ったんだが?」

「まったく! あなたって人は、もう! 何をふざけているのよ!」

 本当は、どきどきしていた。

 涙だけじゃなくて、心臓も止まるかと思った。

「まぁ、正直なところ、俺も『らしくねぇな』と思っていたからよ。じゃあ、ここからは、俺らしくいくぞ? 途中で、『ロマンチックじゃない』と言われても、やり直さねぇからな?」

 立ち上がりながらシュアンが笑う。皮肉げに唇を歪めているだけなのに、満面の笑顔だって分かる。

 彼が笑っているのは、私の涙が止まったからだ。

 この場所が、私の心を強く揺さぶることを、彼はちゃんと見抜いているのだ。

 そして、彼は、新しく増えた墓標のうちのひとつと向き合った。

「〈ムスカ〉……。まずは、あんたに挨拶するのがスジだろう。あんただけは、俺と接点があったからな」

 私の体が、びくりと強張る。

 ……〈ムスカ〉は、シュアンの先輩を〈影〉にした。だから、シュアンは、敬愛していた先輩を自らの手で殺した。――私も、その場にいた……。

「〈ムスカ〉、あんたにとって、俺は『眼中にない雑魚ザコ』だっただろう。まぁ、それは仕方ねぇ。俺にとって、あんたは先輩の仇でも、あんたのほうは俺の存在なんて知るよしもなかったんだからよ」

 墓石は、何も答えず。

 ざざぁんと、波音だけが返ってくる。

「俺はずっと、あんたを殺してやると思っていた。実際、最後の決着のときには、作戦を指揮していたルイフォンから、あんたへの発砲許可が下りていた。……けど、俺が、あんたを撃つことはなかった。……あんたの最期は、最期だけは……あんたの生き方を認めるしかなかった。――そして……」

 シュアンの視線が、隣の墓石へと移される。――『彼女』へと。

「あんたは、〈ムスカ〉の最期に突然、現れて、すべてっさらって、思い残すことなく綺麗に去っていった。……あんたのせいで、ミンウェイの気持ちが、宙ぶらりんになっちまった。――けど、あんたは、〈ムスカ〉にとって救いだった。あの一瞬のためだけに生きてきた――そんな生き方は、それはそれですげぇと……思う」

「――……」

ムスカ〉の最期には、『愛している』と伝えようと、私は決めていた。だけど、『彼女』の登場で、私の出番はなくなった。

 辛かった……あのときは。

 けれど、今は、それで良かったと思う。

 シュアンが、ちらりと私を見やる。私を気遣っているのだ。

 だから、私は強気に笑う。

 だって、私にはシュアンがいる。頼もしい、私だけの王子様がいる。

 シュアンは頷き、今度は少し古びた墓石に向かう。

「ヘイシャオ。あんたの人生にとって、俺は、まったく関係のない人間だったから、きっと今、怪訝な顔で、俺を見ていることだろう。けど、俺にしてみりゃ、あんたは幼いミンウェイを虐待した極悪人だ。最低な糞野郎だ」

 吐き捨てるように言い、シュアンは墓石を睨みつける。

「だが、俺は、あんたが発明した『仮死の薬』に救われた。……あんたが医術の道に進んだのは、あんたが愛した女を救うため。他は全部捨てて、あんたは〈悪魔〉になった。ミンウェイが、あんたの壊れた心の犠牲になったことを許す気はねぇが、あんたにも、あんたの生き方があったことは知っている」

 それから、シュアンは、一番古い墓石へと目線を移す。

『私の名前』が、彫られた石に。

「ミンウェイの『お袋さん』。諸悪の根源は、実は、あんたなのかもしれねぇ。……でも、それは結果であって、あんたはただ、誰よりも懸命に生きようとしただけだ。だから、こうして今、俺とミンウェイが、共にここにいることは、あんたから始まった運命、ってやつなのかもしれねぇと――思うことにする」

 ひとりひとりへの挨拶を終え、シュアンは並んだ墓標を見渡した。

「俺は、あんたらに、山ほどの恨みがある。あんたらにしてみれば、『知ったこっちゃねぇ』と、言いたいところだろう。確かにそうだ。今更、俺が、ぐだぐだ言ったところで、世界は不可逆だ。時間は決して戻らない」

 シュアンの目が、まるで照準を合わせるかのように、すっと細まった。

「だから、俺が今、口にする恨み言は、ひとつだけだ」

 シュアンの顎が、ぐっと上がる。

 凄みを増した喧嘩腰の凶相に、私は、ごくりと唾を飲む。



「あんたら、今――この大事な瞬間に、どうして死んでいるのさ?」



 …………。

 いったい彼は、何を言っているのだろう?

 理解不能だ。

「シュアン……?」

 私は呆然と、彼の名を呟く。

 だけど、彼は前を向いたまま。私を振り返ることなく、語り続ける。



「娘が、どこの馬の骨とも分からん男を連れてきて、その男が『お嬢さんをください』と言ったんだ。そしたら、親父は不機嫌になって外方そっぽを向いて、お袋さんは妙に浮かれて美味い茶菓子でも出してくるもんだろう?」



「俺はミンウェイに、そんな幸せを贈りたかった」



「けど、あんたらが死んでいたら、それができねぇんだよ。……仕方ねぇってことは、分かっているさ。俺は、あんたらの生き方を――生きざまを知っているんだからよ」



 波音が、止まったように感じられた。

 ただ、シュアンの声だけが、寄せては返す波のように。私の耳を、潮騒の響きで満たしていく。



「かつての俺は鉄砲玉で、いつ死んでもいいと思っていた。だけど、今の俺には、糞爺クソジジイになるまで生きていく覚悟がある」



「ミンウェイは、俺が必ず幸せにする」



「……だから、あんたらは安心して眠ってくれ」



 潮風が、私の頬を撫でた。

 妙に、ひりひりすると思っていたら、シュアンの指先が伸びてきて、いつの間にか流れていた涙をぬぐってくれた。

 そして、 出し抜けに言う。

「ミンウェイ、結婚式を挙げよう」

「……え?」

「俺は、ちゃんと『家族になるための通過儀礼あいさつ』ってやつをやった。だから、次は結婚式だろう?」

「結婚式……。考えたこと……なかったわ……」

 かすれた声で、私は呟く。

 現実味のない、まるで何かの物語のように聞こえた。きっと彼には、私が途方に暮れているように見えたに違いない。

「はぁ? どうしたんだよ?」

 案の定、彼は心底、不可解だと言いたげに眉を寄せた。そんな顔にも、威圧感があるのが彼らしい。

 ――ううん。やっぱり、ちょっと苛立っているのだ。私が年甲斐もなく少女趣味乙女チックなのはバレているから、『結婚式』と言ったら、絶対に喜ぶと期待していたのだろう。

「あ、あのね……。私、あなたに諭されるまで、『四つ葉のクローバーの男の子』への償いは、『私が幸せにならないこと』だと思ってきたから……。だから、結婚式なんて、考えたことがなかったのよ……」

 子供のころ、私の夢は、お姫様になることだった。

 素敵な王子様が現れて、真っ白なドレスで結婚式を挙げて、幸せになるのだ。

 だけど、私は、四つ葉のクローバーで求婚してくれた男の子を殺してしまった。

 だから、その四つ葉を栞にして、大好きな絵本の、王子様がお姫様に求婚するページに挟んで、封印した。

 あのページで物語ときを止めた。

 私の幸せは、そこで、おしまい。

 もう、次のページをめくることはない。

 結婚式のページまで辿たどり着くことはできない……――そう信じてきた。

「だったらさ。なおのこと、やるべきだろう? ――結婚式をさ」

「シュアン?」

「ミンウェイはさ、『幸せにならなければ、四つ葉のクローバーの子供ガキに許してもらえる』と思うことは、もうやめたんだろう? そんなの、甘ったれた『逃げ』だった、ってな?」

「え、ええ……」

「ならば、その逃げ道を塞いでしまえ。『幸せにならないこと』以外で、その子供ガキに償うしかない、ってところまで幸せに生きる。――退路を断つには、ちょうどいいケジメじゃねぇか。結婚式ってやつはよ?」

「――!」

 都合のいい解釈かもしれない。

 本当は、あの子は私を恨み、怒り、呪っているのかもしれない。

 だけど、今も生きている私は、立ち止まっているわけにはいかないから――。

 私の胸の中で、物語ときが動き始める。

 前に。

 結婚式次のページに。

「……うん。私……、結婚式を挙げたいわ……」

 ざざぁぁんと。

 波音が優しく、背中を押してくれた。





 四つの墓標に見守られて、私とシュアンは結婚式について相談した。

 ちょっと、おかしな光景だけれど、とても私たちらしい気がした。

 私たちの過去は、そこかしこに『死』が散りばめられていて、決して褒められたものじゃない。

 それでも、私たちは生きている。

 死者の悔しさを、辛さを、やるせなさを背負って、生きていく……。





 シュアンは、皆に囲まれた、賑やかな式にしたいと言った。

 私のためだ。

 天涯孤独な上に、人との関わりを絶ってきて、更には表向きは死んだことになっている彼には、招待するようなお客様はいないのだから。

 だけど、私のほうだって、鷹刀から追放処分を受けている身だ。一族を抜けたルイフォンやレイウェンならよいけれど、他の者たちを招待することはできない。

 現在の職場いえとなった、藤咲家の人々を中心に……というプランも考えたけれど、なんとなく、それは違う気がする。

 だから、ふたりだけの式に決めた。

 そして、一通だけ、場所も時間も書かれていない招待状を送る。

 シュアンの先輩、ローヤンさんとその奥様に。

『幸せになれ』と、シュアンに招待状メッセージをくれた先輩への返事だ。

 獄死したことになっているシュアンだけど、奥様には、生きていることを知らせてある。ルイフォンとハオリュウが、こっそり連絡してくれたのだ。だから、手紙が届いても驚くことはないだろうけれど、それが結婚式の招待状だということには、きっと驚いてくれるだろう。





 善は急げとばかりに、帰りに宝飾店に寄った。

 結婚指輪を注文するためだ。

 指輪の並んだ隣のショーケースに、結婚式で使う宝冠ティアラが飾られていた。

「ねぇ、シュアン。私、あの宝冠ティアラで式を挙げたいわ」

 私が指差した宝冠ティアラに、彼は一瞬、複雑な顔をした。

 だけど、すぐに、三白眼の白目を広くする。

「ああ、いいんじゃねぇか」

 私の王子様の笑顔は、私だけのもの。店員さんには分からなかったみたいで、シュアンの顔色を窺いながら、震える手で宝冠ティアラをショーケースから出してくれた。





 そして、今日。

 私は、四つ葉のクローバーをあしらった、白詰草しろつめくさ宝冠ティアラを身につけて、憧れのお姫様になる。

 遠い空の向こう。

 彼岸に渡った彼らに、私は誓う。



 私は、シュアンと幸せになります。

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