残酷な描写あり
8.久遠の黄昏-1
『お前も、最後の王になればいいんだ』
赤みを帯びてきた空に、魅惑の低音が木霊する。
「え……」
アイリーは小さく声を漏らした。
けれど、あまりの衝撃に、その先の言葉が続かない。
「お前が女王になったのは、その外見のためだ。創世神話に『神の姿を写した者が、王になる』と書いてあるから。――お前自身が、王位を望んだわけじゃないだろう?」
リュイセンの問いかけに、アイリーは声を失ったまま、こくりと頷く。
「あの創世神話は、王家の始祖が、都合のいい『神』をでっち上げた嘘っぱちだ。そんなもののために、お前が自分の人生をフイにする必要はない」
「で、でも……」
「お前のため、ってだけじゃないさ。お前の次の王が『ライシェン』でも、お前のクローンでも、その外見を持っているから、という理由だけで王に選ばれたら、きっと不幸だろう」
「……っ」
「だから、お前の代で、この馬鹿げた王位の継承を終わりにするんだ。――勿論、お前の命を狙うテロリストのような奴らの言いなりになるのとは違う。新しい、公平な仕組みに移行するんだ」
「……できるかな、私に」
かすれた呟きは、力なく爪弾かれた琴の音に似ていた。
弱々しい音色を奏でた手つきそのものの、危うげな指先が、リュイセンへと伸びる。まるで、惹き寄せられるように。あるいは、縋るように。
アイリーは座っていた岩から立ち上がり、片膝を付いたままのリュイセンにしがみついた。
彼女の行動の意味が分からず、彼は狼狽する。混乱した頭には、大切なワンピースの裾が汚れるぞ、などという、的外れなことしか思い浮かばない。
「アイリー?」
リュイセンの呼びかけに、アイリーは、ぎこちなく顔を上げた。彼のシャツを握る手が、小刻みに震えている。
「『最後の王』ってことは、この国から王様をなくす、ってことでしょう? 王政の廃止だわ。この国の在り方が、根本から、がらっと大きく変わってしまう。――私は、どうしたらいいの……?」
「――っ、すまん! 考えなしだった!」
リュイセンの全身から、さぁっと血の気が引いていく。
自分が『最後の総帥』なら、アイリーは『最後の王』になればいい。何故なら、鷹刀と王族は、共に黴の生えた悪しき因習に縛られた一族なのだから――と。ただ、それだけの安易な発想だった。
しかし、鷹刀一族と王家では、組織の規模に隔絶の差があるのだ。終焉の日を迎えたとき、余波を受ける人間の数は桁違いだろう。同列に扱うのは、あまりにも乱暴だった。
「無責任なことを言った。忘れてくれ!」
リュイセンは、アイリーにしがみつかれた姿勢のまま、可能な限り、低く頭を下げる。
無論、アイリーが女王として、一生を費やすことが正しいとは思わない。彼女は自分の人生を歩むべきだと、リュイセンの直感は告げている。
しかし、いくらそれが真理だったとしても、いきなり『最後の王になれ』と言うのは、一足飛びにもほどがある。
鷹刀一族は、緩やかな解散に向かうべく、イーレオが何十年も掛けて、水面下で動いてきたのだ。リュイセンは、その流れを引き継ぐだけだ。
鷹刀一族と王家では、まったく状況が異なるのである。
自分の至らなさに、リュイセンは面目なく俯く。
まったく、本日、何度目の自己嫌悪なのやら。……もはや、数えるのも不可能だ。
リュイセンが打ちひしがれていると、彼の頭上から大きく首を振る気配。そして、その影響のためにか、激しく揺れ乱れるアイリーの声が届いた。
「ち、違うの! そうじゃないのよ! リュイセンが謝る必要はないの! だから、頭を上げて」
「だが、俺は勝手なことを……」
口ごもるリュイセンの服を、アイリーは上を向いて、とばかりに、ぐいと引く。勿論、華奢な彼女の力では、屈強な彼の体は、びくともしない。だが、困ったように寄せられた白金の眉に、漆黒の瞳が惹きつけられた。
「『最後の王』って言われて、驚いたわ。――怖いと思ったし、心細くもなった。……でも、それは、リュイセンの言うことが正しいと思ったからよ」
「!?」
リュイセンは耳を疑い、アイリーの顔を凝視する。
彼女は微笑み、「決めたわ」と、すっと立ち上った。
「私は、この国の最後の王になるわ」
ぽん、と。
妙なる音色が鳴り響いた。
白蓮の如き顔は、現実の蓮の花ではあり得ない、黄昏の色に染まっている。それは、あたかも『不可能を叶える』という決意を象徴するかのようで――。
「アイリー!?」
リュイセンは目を見開き、彼女を追いかけるように立ち上がる。
「あ、あのね。私はこれでも王族だから、創世神話を作った、ご先祖様のことを悪く言うことはできないの。私の身分が保証されているのは、あの神話のお陰だってことを理解しているもの。――でも!」
彼女は、そこで大きく息を吸って、吐き出す。
「創世神話のために、〈神の御子〉だった先王や、伯母様が苦しんできたことを、私は知っているわ。……ううん。〈神の御子〉を産むように強要されてきた先王妃だって、黒髪黒目で生まれたカイウォルお兄様や、ヤンイェンお異母兄様だって……、皆……」
切なげに唇を噛み締め、アイリーは視線を落とす。
けれど、すぐに、ふわりと白金の髪を揺らし、青灰色の瞳で天空を仰いだ。
「だから、あの創世神話は終わりにするの」
天空神が住むという、天上の世界に向かって、彼女は告げる。
「王位は、『ライシェン』には引き継がないわ。勿論、私のクローンも作らない」
きっぱりと断言し、小柄な体躯が、ひと回り大きく見えるほどに胸を張る。だが、華奢な肩は、背負いきれぬほどの重責に震えていて……。だから、これは精いっぱいの強がりだ。
リュイセンは奥歯を噛んだ。
彼女に、なんと声を掛ければよいのだろう?
もともとは、リュイセンが『最後の王』などという無茶苦茶を言って、けしかけたのだ。ならば、『無理をするな』と言うのは身勝手で、かといって、『頑張れ』と背中を押すのも無責任だ。
それでも、何か。気遣いのひとことか、励ましのひとことか。この場にふさわしい言葉をと、リュイセンは焦る。
……けれど、同時に。
彼女には申し訳ないほどに、胸が踊っていた。
『諸悪の根源は、『デヴァイン・シンフォニア計画』じゃねぇんだよ。もとを辿れば、創世神話とか、〈神の御子〉とか、王家と鷹刀の関係とか――古くからの因習のようなものが根底にあるんだ。……ちょっと壮大過ぎて、実感が湧かねぇけどさ』
先ほど、リュイセン自身が言った台詞だ。
この古い因習を、根本から断ち切る。
リュイセンが鷹刀一族を解散し、アイリーが王家を終焉に導いて。
壮大過ぎて、実感が湧かないが、未来はきっと希望で満ちている。
そう思うと、心が昂ぶってたまらない……。
「リュイセン? どうして笑っているの?」
天空から、地上のリュイセンへと視線を移したアイリーが、きょとんと首をかしげた。
彼女に問われ、彼は、はっと慌てて自分の頬に手を当てる。この緩んだ表情について、なんと説明したものかと思案するも、頭の中は真っ白だ。
「すまん。……その、嬉しかったんだ。お前の決意が……」
とにかく何かを答えなければと、無理やりに声を発すれば、案の定、しどろもどろの低音だった。けれど、その瞬間、アイリーが満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! 私も、リュイセンにそう言ってもらえて嬉しいわ!」
ぐっと爪先立ちになり、抱きつかんばかりの勢いで、無邪気に距離を詰める。
情けない訥弁を喜ばれ、リュイセンは、気恥ずかしさに、思わず弁解する。
「気の利いたことを言えなくて、ごめんな」
面目なく目線を下げた彼に、彼女は、ぶんぶんと首を振った。
「リュイセンは、まっすぐで不器用なところがいいの!」
そう言ってから、彼女は、しまった、というように口元を覆う。
「ごめんなさい! あ、あのね。不器用な――っていうのは、飾らない、って意味なのよ……?」
アイリーは首をすくめ、ただでさえ小さな体を更に縮こめた。気まずさを誤魔化そうとしているのか、青灰色の目を泳がせ、拗ねたように唇を尖らせる。
ころころと変わる表情に、リュイセンはわずかに面食らい、やがて、「ありがとな」と、目元を緩めた。
赤みを帯びてきた空に、魅惑の低音が木霊する。
「え……」
アイリーは小さく声を漏らした。
けれど、あまりの衝撃に、その先の言葉が続かない。
「お前が女王になったのは、その外見のためだ。創世神話に『神の姿を写した者が、王になる』と書いてあるから。――お前自身が、王位を望んだわけじゃないだろう?」
リュイセンの問いかけに、アイリーは声を失ったまま、こくりと頷く。
「あの創世神話は、王家の始祖が、都合のいい『神』をでっち上げた嘘っぱちだ。そんなもののために、お前が自分の人生をフイにする必要はない」
「で、でも……」
「お前のため、ってだけじゃないさ。お前の次の王が『ライシェン』でも、お前のクローンでも、その外見を持っているから、という理由だけで王に選ばれたら、きっと不幸だろう」
「……っ」
「だから、お前の代で、この馬鹿げた王位の継承を終わりにするんだ。――勿論、お前の命を狙うテロリストのような奴らの言いなりになるのとは違う。新しい、公平な仕組みに移行するんだ」
「……できるかな、私に」
かすれた呟きは、力なく爪弾かれた琴の音に似ていた。
弱々しい音色を奏でた手つきそのものの、危うげな指先が、リュイセンへと伸びる。まるで、惹き寄せられるように。あるいは、縋るように。
アイリーは座っていた岩から立ち上がり、片膝を付いたままのリュイセンにしがみついた。
彼女の行動の意味が分からず、彼は狼狽する。混乱した頭には、大切なワンピースの裾が汚れるぞ、などという、的外れなことしか思い浮かばない。
「アイリー?」
リュイセンの呼びかけに、アイリーは、ぎこちなく顔を上げた。彼のシャツを握る手が、小刻みに震えている。
「『最後の王』ってことは、この国から王様をなくす、ってことでしょう? 王政の廃止だわ。この国の在り方が、根本から、がらっと大きく変わってしまう。――私は、どうしたらいいの……?」
「――っ、すまん! 考えなしだった!」
リュイセンの全身から、さぁっと血の気が引いていく。
自分が『最後の総帥』なら、アイリーは『最後の王』になればいい。何故なら、鷹刀と王族は、共に黴の生えた悪しき因習に縛られた一族なのだから――と。ただ、それだけの安易な発想だった。
しかし、鷹刀一族と王家では、組織の規模に隔絶の差があるのだ。終焉の日を迎えたとき、余波を受ける人間の数は桁違いだろう。同列に扱うのは、あまりにも乱暴だった。
「無責任なことを言った。忘れてくれ!」
リュイセンは、アイリーにしがみつかれた姿勢のまま、可能な限り、低く頭を下げる。
無論、アイリーが女王として、一生を費やすことが正しいとは思わない。彼女は自分の人生を歩むべきだと、リュイセンの直感は告げている。
しかし、いくらそれが真理だったとしても、いきなり『最後の王になれ』と言うのは、一足飛びにもほどがある。
鷹刀一族は、緩やかな解散に向かうべく、イーレオが何十年も掛けて、水面下で動いてきたのだ。リュイセンは、その流れを引き継ぐだけだ。
鷹刀一族と王家では、まったく状況が異なるのである。
自分の至らなさに、リュイセンは面目なく俯く。
まったく、本日、何度目の自己嫌悪なのやら。……もはや、数えるのも不可能だ。
リュイセンが打ちひしがれていると、彼の頭上から大きく首を振る気配。そして、その影響のためにか、激しく揺れ乱れるアイリーの声が届いた。
「ち、違うの! そうじゃないのよ! リュイセンが謝る必要はないの! だから、頭を上げて」
「だが、俺は勝手なことを……」
口ごもるリュイセンの服を、アイリーは上を向いて、とばかりに、ぐいと引く。勿論、華奢な彼女の力では、屈強な彼の体は、びくともしない。だが、困ったように寄せられた白金の眉に、漆黒の瞳が惹きつけられた。
「『最後の王』って言われて、驚いたわ。――怖いと思ったし、心細くもなった。……でも、それは、リュイセンの言うことが正しいと思ったからよ」
「!?」
リュイセンは耳を疑い、アイリーの顔を凝視する。
彼女は微笑み、「決めたわ」と、すっと立ち上った。
「私は、この国の最後の王になるわ」
ぽん、と。
妙なる音色が鳴り響いた。
白蓮の如き顔は、現実の蓮の花ではあり得ない、黄昏の色に染まっている。それは、あたかも『不可能を叶える』という決意を象徴するかのようで――。
「アイリー!?」
リュイセンは目を見開き、彼女を追いかけるように立ち上がる。
「あ、あのね。私はこれでも王族だから、創世神話を作った、ご先祖様のことを悪く言うことはできないの。私の身分が保証されているのは、あの神話のお陰だってことを理解しているもの。――でも!」
彼女は、そこで大きく息を吸って、吐き出す。
「創世神話のために、〈神の御子〉だった先王や、伯母様が苦しんできたことを、私は知っているわ。……ううん。〈神の御子〉を産むように強要されてきた先王妃だって、黒髪黒目で生まれたカイウォルお兄様や、ヤンイェンお異母兄様だって……、皆……」
切なげに唇を噛み締め、アイリーは視線を落とす。
けれど、すぐに、ふわりと白金の髪を揺らし、青灰色の瞳で天空を仰いだ。
「だから、あの創世神話は終わりにするの」
天空神が住むという、天上の世界に向かって、彼女は告げる。
「王位は、『ライシェン』には引き継がないわ。勿論、私のクローンも作らない」
きっぱりと断言し、小柄な体躯が、ひと回り大きく見えるほどに胸を張る。だが、華奢な肩は、背負いきれぬほどの重責に震えていて……。だから、これは精いっぱいの強がりだ。
リュイセンは奥歯を噛んだ。
彼女に、なんと声を掛ければよいのだろう?
もともとは、リュイセンが『最後の王』などという無茶苦茶を言って、けしかけたのだ。ならば、『無理をするな』と言うのは身勝手で、かといって、『頑張れ』と背中を押すのも無責任だ。
それでも、何か。気遣いのひとことか、励ましのひとことか。この場にふさわしい言葉をと、リュイセンは焦る。
……けれど、同時に。
彼女には申し訳ないほどに、胸が踊っていた。
『諸悪の根源は、『デヴァイン・シンフォニア計画』じゃねぇんだよ。もとを辿れば、創世神話とか、〈神の御子〉とか、王家と鷹刀の関係とか――古くからの因習のようなものが根底にあるんだ。……ちょっと壮大過ぎて、実感が湧かねぇけどさ』
先ほど、リュイセン自身が言った台詞だ。
この古い因習を、根本から断ち切る。
リュイセンが鷹刀一族を解散し、アイリーが王家を終焉に導いて。
壮大過ぎて、実感が湧かないが、未来はきっと希望で満ちている。
そう思うと、心が昂ぶってたまらない……。
「リュイセン? どうして笑っているの?」
天空から、地上のリュイセンへと視線を移したアイリーが、きょとんと首をかしげた。
彼女に問われ、彼は、はっと慌てて自分の頬に手を当てる。この緩んだ表情について、なんと説明したものかと思案するも、頭の中は真っ白だ。
「すまん。……その、嬉しかったんだ。お前の決意が……」
とにかく何かを答えなければと、無理やりに声を発すれば、案の定、しどろもどろの低音だった。けれど、その瞬間、アイリーが満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! 私も、リュイセンにそう言ってもらえて嬉しいわ!」
ぐっと爪先立ちになり、抱きつかんばかりの勢いで、無邪気に距離を詰める。
情けない訥弁を喜ばれ、リュイセンは、気恥ずかしさに、思わず弁解する。
「気の利いたことを言えなくて、ごめんな」
面目なく目線を下げた彼に、彼女は、ぶんぶんと首を振った。
「リュイセンは、まっすぐで不器用なところがいいの!」
そう言ってから、彼女は、しまった、というように口元を覆う。
「ごめんなさい! あ、あのね。不器用な――っていうのは、飾らない、って意味なのよ……?」
アイリーは首をすくめ、ただでさえ小さな体を更に縮こめた。気まずさを誤魔化そうとしているのか、青灰色の目を泳がせ、拗ねたように唇を尖らせる。
ころころと変わる表情に、リュイセンはわずかに面食らい、やがて、「ありがとな」と、目元を緩めた。