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作者: 唯響-Ion
第十六話 渋川葉月
 夏休みとなり、弥勒らは稲葉の実家がある大分県別府市へ、温泉旅行に出かける。そこには誘った秋月環奈とその友人、渋川葉月の姿があった。
 八月となり、惟神学園も一般の学校と同様に、夏休みとなった。
 弥勒と巳代は、稲葉の実家にお邪魔することになっていた。そう、それは勿論、温泉旅行の為である。
「ねぇ巳代、僕達はこうして車であんまり不自由せずに遠方まで行けるけど、一般の人はどうやって遠方に行くのかな」
「飛行機に新幹線、それで近くの都市まで移動したら、電車やバスで移動するんだ。公共の乗り物に乗せて貰った事がないからよく分からないが、大勢の人で乗るから、話すのも飲食も御法度らしいな」
「そっか。それでも旅行に行きたいってみんな思うってことは、やっぱり非日常って大切だよね」
「そうだな。人よりもそういう、羽目を外す機会が少ない俺達にとっては、羨ましい限りだよな」
「でも一般の人はみんな、飢えの心配がない僕達みたいな恵まれた家庭に憧れてるんだよね」
「結局ないものねだりなのかねぇ。おっと、あそこに稲葉がいるぞ」
 稲葉は自家用車で、高速道路の出口付近にて二人を待っていた。
「ここからは俺が案内するよ。運転は得意なんだ」
「そっか、稲葉さんはもう十八歳だったね」
「別府の温泉は格別だぜ。みんなもう揃ってるし、早く行こう」
 そういうと、稲葉は真っ白な歯を見せて、ニカッと笑った。
 温泉に着くと、そこには、弥勒が呼んだ二人が揃っていた。
「秋月さん! 緒方(おがた)君! お待たせ!」
 二人は弥勒に手を振っていた。
 秋月の横には、やたら背の高い、初対面の女性がいた。学生服を身に纏っていることから、それが同じ惟神学園の生徒であることは明白であった。
「はーちゃん、あれが皇弥勒だよ」
「へぇ〜あれが環奈の想い人か〜」
「……え? どういう誤解なのそれ」
 二人のこそこそ話を聞いていた緒方(おがた)は、思わず笑ってしまった。
「秋月が余所者(よそもの)の男の子と親しくしてたら、勘違いしてしまっても仕方がないよね」
「えー、環奈に彼氏ができるのかもってワクワクしてたのに」
「まぁ家柄は秋月家と遜色ないどころか、秋月家より格上だし、二人を阻むものはなにもないね」
「悪ノリが過ぎるわよ、二人とも……!」
 楽しそうにする三人に近づき、弥勒は、長身の女性に声をかけた。
「こんにちわ、皇弥勒です。あなたは?」
「渋川葉月(しぶかわはづき)です。環奈の友達なんだ。よろしく!」
 屈託のない笑顔を見せる渋川に、弥勒はなぜか照れながら、はにかむ笑顔を見せた。渋川は、顔や容姿、仕草に至るまで、その全てが美人と形容するに差し支えない女性だった。
 渋川の心の中から流れ出す波長には、どこか奥ゆかしい謙遜や、尊敬の念が含まれていた。惟神の陵王という名に敬意を持つということは、彼女が教養溢れる常識人であることが、見て取れた。
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