残酷な描写あり
2-1 テレザの安静、シェラの奮起
熊の討伐から一夜明けた。太陽もすっきりと目覚め、街が人で賑わい出す頃。
「『獣が村を襲撃。馬一頭が死に、村人に三名の負傷者を出す。村からの依頼を受けて錬鉄Ⅰ級四名からなるパーティが討伐に向かったが、一名が瀕死の重傷、一名が森の中へと連れ去られ、壊滅。帰還した二名の証言から件の獣は通常のフォレストベアではなく、魔物ウォーグリズリーとの混血、交雑熊であることが発覚』……っと」
ギルドの休憩室で、さらさらとフィーナがペンを走らせる。書いているのは、今回の交雑熊による被害の報告書だ。その様子を見守るのは、実際に交雑熊と交戦した七人。
フィーナは時折彼らに当時の状況を尋ね、より詳細な報告書にしていく。
「『付近の森で依頼を遂行していた麗銀級と緑青級の二人組との遭遇が予想されたため、麗銀級三名からなるパーティを急遽派遣した』……ここまでは私も把握しているんですが、実際に討伐した流れをお願いできますか?」
視線と質問を振られたテレザが答える。
「まず、遭遇したのは私達二人ね。モリキノコの群生地に到着したんだけど、そこで奴を発見したの」
「ふむふむ」
「で、私が対峙してる間に、この子にギルドへ連絡してもらおうと思ったんだけど──」
「そこに、俺たちが駆けつけたってわけです」
テレザの左隣に座っていた、オーガスタスがずいっと身を乗り出した。縦横に広い彼にそうされるとテレザとしては物理的に肩身が狭いのだが、渾身のキメ顔から行動の理由は察せたので何も言わないでおいてやる。
「はい、それで」
慣れているのか、熱苦しい視線をフィーナは軽く受け流した。がっくりと脱力したオーガスタスへのフォローは……カミラの苦笑いを見るに必要なさそうだ。
「あとは私に代わって、三人が討伐してくれたわ。怪我人は誰も……」
どさくさに紛れて負傷の話を流そうとしたテレザを、カミラが遮る。
「いいえ、テレザ殿は熊に瀕死の重傷を負わせ、代償に怪我を悪化させています。虚偽報告はいけません」
「ぐっ」
「分かりました、ノラ先生に報告します。それでシェラさん、大丈夫ですか……?」
心配そうにフィーナが見つめる先には、先ほどから椅子の上でぷるぷると震えているシェラの姿があった。
「お、お気遣いなく……。全身が、筋肉痛なだけなので……」
引きつった笑顔のシェラが、大したことではないとアピールする。朝一からシェラに違和感を覚えていたテレザは、納得したように苦笑いを漏らした。
「馬車の中から動きが変だと思ったら、そういうことね」
「朝一番は緊張で何も感じなかったんですけど。ギルドへ帰れると思ったら、バキバキーって……」
「そういうことですか……。シェラさんのことも一応、伝えておきます。湿布くらいなら出してもらえるでしょうから」
「あはは……。ご心配、おかけします……」
フィーナの気遣いが逆に辛い。体力をつけよう……シェラは誓った。
「えー、では最後に……『モリキノコの群生地に、予測通り交雑熊が出現。居合わせた麗銀級一名が熊に重傷を負わせるも、自身も負傷。その後救援に入った麗銀級三名により、完全に討伐された。今後、間違った情報で依頼を出さぬよう、対策が求められる』──報告書はこのような感じですが、いかがでしょう」
書き上がった報告書をフィーナが見せる。彼女の顔立ちを表すように端整な文字で、内容的にも特に不備は見当たらなかった。七人が頷くのを見て、フィーナは満足そうに解散を宣言する。
「ではこれでマスターに提出させていただきます。緊急事態でしたが、お疲れ様でした。あ、お医者さんが来るまで、お二人はこの部屋から出ちゃダメですよ?」
怪我人のテレザと貧弱なシェラに待機を命じ、ふんわりと笑ってフィーナは通常業務へと戻っていった。
「じゃ、俺たちも行くか。名指しの依頼が来てるかもしれん」
オーガスタスたち三人も多忙の身だ、さっと立ち上がる。
「そうしよう。……君たちは、どうする?」
カミラが、生き残った錬鉄Ⅰ級の二人を気にかける。その言葉は今ではなくもっと先、幻導士としての身の振り方を聞いていた。ピクっと反応したパーティリーダーの男が声を絞り出す。
「……俺たちは、しばらく幻導士の仕事はやめだ。小さい頃からずっと四人一緒で、幻導士の昇級もそうだった。でもこいつの階級はこの先ずっと、錬鉄Ⅰ級から変わらねえ」
リーダーの手には遺品として持ち帰られた、血染めの階級票が握りしめられていた。
「怪我が治ったから僕らだけ先へというのは、難しいです」
隣に座る眼鏡の幻導士も声を震わせる。カミラはそれに頷き、優しく声をかけた。
「……そうか。まずはゆっくり休むと良い。もう一人の早い回復を祈っているよ」
「ああ、ありがとう」
リーダーの男の礼を受けると、麗銀級の三人は今度こそ酒場へと戻っていく。そしてすぐに、
「俺たちは仲間の容体を見てくるから、これで」
「お達者で」
生き残りの二人も部屋から去っていった。その背中にシェラは何か言おうとして、結局口をつぐむ。
かける言葉など、見つからなかった。
「……何て言ったら、良かったんでしょう」
背後でドアが閉まったのを確認し、テレザにぽつりと聞いてみる。
「あの二人からしたら家族を失ったようなもんだろうし、私たちが掛ける言葉なんてないんじゃない? 黙って見送ったのは、正解だと思う」
答えはきっぱり、なしということだった。テレザは続ける。
「不慮の死って、幻導士の世界じゃ珍しくないわ。毎日誰かが、そうなってる。次は私たちかもしれない」
「最初に安全確認を教えてくれたのは、そういうことだったんですね」
「ええ、危機を前もって察知できるようにって。流石に嗅覚や聴覚は急には身に付かないけど」
「それは、ひたすら慣れるしかない、と……」
「そうね。でもまずは、体力づくりからよ」
「ひゃんっ!」
ペシっと背中を叩かれ、シェラの体に鈍い痛みが駆け抜けた。お返しに脇腹をつついてやろうかとも思ったが、ただひ弱なだけのシェラとは違って本物の怪我人なのでやめておく。
……それを分かっていて、反撃されないと思ってやっていそうなのはこの際気にすまい。
「何だい、随分と元気そうじゃないか。私だって暇じゃないんだよ」
フィーナから連絡を受けた鉱妖人の老医者、ノラが愚痴りながら入ってきた。
「受付の姉ちゃんから聞いてる。桃色の髪したあんたは脇腹。見た感じ古傷だね。そっちの新米は、ただの筋肉痛かい……湿布つけて寝な!お代はいらないよ、こんな端金、貰ったって仕方ない」
「あ、ありがと、うっ! ございます……」
シェラに湿布を押し付け、シッシッと追い払う。ぎくしゃくとした足取りで部屋を後にすると、ノラはテレザの患部をおもむろに触り、彼女の反応を見て渋面をさらに渋くした。
「あんた、これ良く我慢してたね」
「……そりゃどうも」
「褒めてないよこのバカ……チッ」
テレザの首筋には、脂汗が滲んでいた。ノラは舌打ちし、服を脱がせる。年相応に優美な曲線を描き始めている体、その脇腹に黒く大きな痣ができていた。
「治りかけだった組織があちこちで切れて、内出血を起こしてる。……はっきり言って、土属性幻素の私じゃ復帰に相当時間がかかる」
幻素には、それぞれの特性に応じた得手不得手が存在する。
医療用の術式で例えれば、土属性幻素は裂傷などによる出血には強いが、患部の冷却が肝要な重度の打撲や肉離れといった症状を治療するのには向いていない。
そして『重属性不活性の法則』という大原則がある。端的に言うと『一人が扱える幻素の属性は一つだけ』ということ。本来自然現象たる幻素の力は、矮小な人間の中には一つまでしか扱えないからだ。
種族によって属性の傾向は偏りがあり、例えば鉱物や鍛冶に強い鉱妖人の幻導士には金属性、土属性幻素を扱う者が多く、森妖人の幻導士ならば、住んでいる森に関連して水属性や木属性の使い手が多い。
とはいえ個人の資質が最も大きく、夢や希望に情熱を傾ける森妖人が炎属性を身に宿すこともままあるが。
「……この街の知り合いに、水属性幻素に通じた医者がいる。この紹介状を持ってすぐ行きな」
ノラは少し考えた後、そう言って封筒をテレザに手渡す。そして応急処置として包帯と湿布で胴体をぐるぐる巻きにした。巻き方が強かったのか、テレザが抗議の声を上げる。
「もうちょっと優しく巻いてよ……ッ」
「うるさいね。ここまで悪化した傷に優しくもクソもないんだよ」
「で、どのくらいで復帰できそう?」
この期に及んで復帰時期を聞いてくるとは、こいつにはマトモに治す気が無いのか。重傷であることを印象付けるため、ノラは少し長めに期限を切る。
「全治一か月。で、二週間はベッドの上で絶対安静くらいに思った方が良い」
「……結構かかるのね」
「かかって良いんだよ」
つっけんどんに言う。ノラはかれこれ百余年医者をやっているが、その中でも最も危ないのは今のテレザのように、治りかけの傷を抱えて依頼に出る者だ。長年の経験からそれを伝えると、テレザも無茶をしていた自覚があるのか、少ししおらしくなる。
「……」
「分かったら、きちんと治しな。さっきの新米のお守りも任されてるんだろう。もう手前一人の身体じゃないってことだ」
沈黙したテレザに服を被せる。モソモソと袖を通したテレザはからかうように言った。
「意外と優しいのね、先生」
「ケッ。早く行きな!」
ぶっきらぼうな言葉を背に受けて、テレザはギルドから紹介先の医者の所へと向かう。王都から離れた辺境とはいえ、幻導士ギルドがある街の中心地はそれなり以上に栄えている。
客引きの声や荷車を引く音、鍛冶師が鉄を鍛える音。人々の生活が織りなす和音を聴きながら中心部を抜けてしばらく行くと、やや寂れた診療所が見えた。
「ごめんくださーい」
「……いらっしゃい」
テレザが中に入ると、目の前に肉感的な森妖人の美女が立っていた。圧倒的に盛り上がった双丘が成す深い谷間に、女性の理想像とも言うべき艶やかな曲線を描く下半身。同性であるテレザですら、むわっと匂い立つような色気を感じる。
こんな美女がギルドの医務室で働いていたら男どもは仕事どころではあるまい。
「えっと、ギルドの医者から紹介状を――」
「……ん。ノラさんから、ね。……私はエリー・フォーサイス。……こっちで、服脱いで。仰向けに……中々重傷、ね」
エリーと名乗ったその美女に紹介状を見せると、さっさとベッドに案内された。
「……じゃあ、治療の前に『抵抗』の検査、ね」
そう言ってエリーがテレザに差し出したのは、瑞々しい緑色の光を放つ石。一見宝石のように見えるそれを、テレザは無造作に鷲掴む。
「はーい。……ふっ」
テレザの指に力が籠もると、石の色が次々に変わっていく。
緑色から青銅色、黄土色になり、次は灰白色。鮮やかな赤銅色を経て、階級票と同じ銀白色。目もくらむ黄金色は、次の瞬間息を飲むような白金色を呈した。
それを最後に、輝きはただの黒い石になる。エリーはテレザから石を受け取り、医師としてではない率直な感想を述べた。
「……すごいわ、ね。『幻素鉱』が真っ黒になったの、初めて」
「前のギルドでも言われたわ。抵抗の低さだけなら歴史に残るって」
「……これなら、かなり強い治療も大丈夫そう、ね。……じゃ、横になって」
細く長いエリーの指が、テレザのわき腹を繊細に撫で回す。
「……中々重傷、ね」
「だったらぁ……っ。変に、触らないで?」
痛みとくすぐったさでテレザが身をよじると、エリーは妖艶に微笑んだ。
「……一気に、冷やすよ。──『氷冷|《アイシング》』」
「~~ッ」
指先から冷気が浸透すると、テレザの痛みは嘘のように消え、痣の色も薄くなったような気さえする。エリーは満足げに患部から手を離した。
「……うん。とりあえず、今日の処置はおしまい」
「もう終わり?」
「……まず、内出血を止めた。あとは経過を見つつ入院、ね?」
「……」
「……あなたの身体、色々ガタが来てる」
テレザの状態は、どうやら本人が思う以上に良くないらしい。ノラに言われた言葉を思い出し、素直に従う。
「分かった、お世話になるわ」
「……お代は、今は良い。ギルドに請求するから、そっちで払って、ね」
話がまとまったところで、再び出入り口のベルが鳴った。エリーが迎えると、金髪の可憐な少女が訪ねてきていた。
「あ、あの、シェラといいます。ここに、桃色の髪をした女の人が治療に来てると聞いて」
「……お見舞い、ね。おいで」
すいすいと案内されてシェラが病室に入ると、ベッドの上でテレザが着替えている最中だった。シェラは驚きつつ、鍛えられた肉体に思わず目を奪われ……ベッドからテレザにジトーっとした目を向けられる。
「着替え中を凝視されると流石に恥ずかしいんだけど……というかどうやってここ知ったのよ」
「あっあっ、ごめんなさい! ……ノラさんに聞いたんです。それ、重傷だって」
やはり気にしていたか。シェラの視線は筋肉から、すぐに脇腹の痣に移っていた。だがシェラのせいではないし、シェラが気を揉んだところで治癒が早くなるわけでもない。新人に心配をかけるわけにはいかない、とテレザは別の話題に切り替えていく。
「私の自業自得よ、気にしないで。シェラこそ、明日以降ちゃんと依頼を受けられそう?」
「何とか、教えてもらったことを頼りに頑張ります。テレザさんは、しばらく動けないんですよね」
テレザは二週間ほどは最低でも動けそうにないことを伝え、ついでにこれまでの無茶をした経験も話しておく。
まずはこのギルドに来ることになった直接の原因でもある、ハイオークの襲撃について。
「緊急事態だから、動ける私が飛び出したんだけどね。ギルドでの教育係が追いかけてくれなかったら、あそこで死んでたわ」
「テレザさんにも、そういう人がついてたんですね……」
「教育係だったのは昔の話よ? でも、幻導士として一番深く関わった恩人。私もあんな風に後輩を、ってね」
ギルドへ初めて登録した日のこと。
「実は錬鉄Ⅲ級からのスタートなのよ、私」
「あれ? 依頼に行く前、錬鉄Ⅱ級からだって」
「登録してすぐ、降級されちゃった……」
「えぇ……」
こうなってはいけない、と反面教師にしてもらおう。シェラは素直な性格で、困惑したり笑ったり、忙しくリアクションを取ってくれるのでテレザも話しやすい。思いがけず長話になってしまう。
「──ってことで、一旦リフレッシュさせてもらうわ。……何よその顔。無理に動いたりはしない、約束する」
「……安静にさせるから安心して、ね?」
話し終えたテレザがそう約束し、エリーが保証した。シェラがギルドへ帰っていくと、エリーがくすくすと笑って話しかける。
「……仲が良いの、ね」
「向こうが勝手に懐いてるだけよ」
「……彼女のためにも、早く治さないと、ね?」
シェラのために早く復帰したいというより、怪我をしていては指導者として示しがつかない。テレザがそう言うとエリーはゆったりと頷きを返した。
「……うん。そうね……じゃ、おやすみ」
「いや、まだ午前中なんだけど」
「……重傷者だから。寝て食べる以外、することないでしょ。お昼ご飯になったら起こすから、ね」
そう言い残し、エリーは手近な椅子に座り、目を閉じた。……あんたが寝るのか。
「ちゃんと起こしてくれるんでしょうね」
一言愚痴り、テレザも目を閉じる。もはや習性のようなもので、彼女は寝ようと思えばすぐに眠れる。久々にたっぷり惰眠を貪るとしよう。
「『獣が村を襲撃。馬一頭が死に、村人に三名の負傷者を出す。村からの依頼を受けて錬鉄Ⅰ級四名からなるパーティが討伐に向かったが、一名が瀕死の重傷、一名が森の中へと連れ去られ、壊滅。帰還した二名の証言から件の獣は通常のフォレストベアではなく、魔物ウォーグリズリーとの混血、交雑熊であることが発覚』……っと」
ギルドの休憩室で、さらさらとフィーナがペンを走らせる。書いているのは、今回の交雑熊による被害の報告書だ。その様子を見守るのは、実際に交雑熊と交戦した七人。
フィーナは時折彼らに当時の状況を尋ね、より詳細な報告書にしていく。
「『付近の森で依頼を遂行していた麗銀級と緑青級の二人組との遭遇が予想されたため、麗銀級三名からなるパーティを急遽派遣した』……ここまでは私も把握しているんですが、実際に討伐した流れをお願いできますか?」
視線と質問を振られたテレザが答える。
「まず、遭遇したのは私達二人ね。モリキノコの群生地に到着したんだけど、そこで奴を発見したの」
「ふむふむ」
「で、私が対峙してる間に、この子にギルドへ連絡してもらおうと思ったんだけど──」
「そこに、俺たちが駆けつけたってわけです」
テレザの左隣に座っていた、オーガスタスがずいっと身を乗り出した。縦横に広い彼にそうされるとテレザとしては物理的に肩身が狭いのだが、渾身のキメ顔から行動の理由は察せたので何も言わないでおいてやる。
「はい、それで」
慣れているのか、熱苦しい視線をフィーナは軽く受け流した。がっくりと脱力したオーガスタスへのフォローは……カミラの苦笑いを見るに必要なさそうだ。
「あとは私に代わって、三人が討伐してくれたわ。怪我人は誰も……」
どさくさに紛れて負傷の話を流そうとしたテレザを、カミラが遮る。
「いいえ、テレザ殿は熊に瀕死の重傷を負わせ、代償に怪我を悪化させています。虚偽報告はいけません」
「ぐっ」
「分かりました、ノラ先生に報告します。それでシェラさん、大丈夫ですか……?」
心配そうにフィーナが見つめる先には、先ほどから椅子の上でぷるぷると震えているシェラの姿があった。
「お、お気遣いなく……。全身が、筋肉痛なだけなので……」
引きつった笑顔のシェラが、大したことではないとアピールする。朝一からシェラに違和感を覚えていたテレザは、納得したように苦笑いを漏らした。
「馬車の中から動きが変だと思ったら、そういうことね」
「朝一番は緊張で何も感じなかったんですけど。ギルドへ帰れると思ったら、バキバキーって……」
「そういうことですか……。シェラさんのことも一応、伝えておきます。湿布くらいなら出してもらえるでしょうから」
「あはは……。ご心配、おかけします……」
フィーナの気遣いが逆に辛い。体力をつけよう……シェラは誓った。
「えー、では最後に……『モリキノコの群生地に、予測通り交雑熊が出現。居合わせた麗銀級一名が熊に重傷を負わせるも、自身も負傷。その後救援に入った麗銀級三名により、完全に討伐された。今後、間違った情報で依頼を出さぬよう、対策が求められる』──報告書はこのような感じですが、いかがでしょう」
書き上がった報告書をフィーナが見せる。彼女の顔立ちを表すように端整な文字で、内容的にも特に不備は見当たらなかった。七人が頷くのを見て、フィーナは満足そうに解散を宣言する。
「ではこれでマスターに提出させていただきます。緊急事態でしたが、お疲れ様でした。あ、お医者さんが来るまで、お二人はこの部屋から出ちゃダメですよ?」
怪我人のテレザと貧弱なシェラに待機を命じ、ふんわりと笑ってフィーナは通常業務へと戻っていった。
「じゃ、俺たちも行くか。名指しの依頼が来てるかもしれん」
オーガスタスたち三人も多忙の身だ、さっと立ち上がる。
「そうしよう。……君たちは、どうする?」
カミラが、生き残った錬鉄Ⅰ級の二人を気にかける。その言葉は今ではなくもっと先、幻導士としての身の振り方を聞いていた。ピクっと反応したパーティリーダーの男が声を絞り出す。
「……俺たちは、しばらく幻導士の仕事はやめだ。小さい頃からずっと四人一緒で、幻導士の昇級もそうだった。でもこいつの階級はこの先ずっと、錬鉄Ⅰ級から変わらねえ」
リーダーの手には遺品として持ち帰られた、血染めの階級票が握りしめられていた。
「怪我が治ったから僕らだけ先へというのは、難しいです」
隣に座る眼鏡の幻導士も声を震わせる。カミラはそれに頷き、優しく声をかけた。
「……そうか。まずはゆっくり休むと良い。もう一人の早い回復を祈っているよ」
「ああ、ありがとう」
リーダーの男の礼を受けると、麗銀級の三人は今度こそ酒場へと戻っていく。そしてすぐに、
「俺たちは仲間の容体を見てくるから、これで」
「お達者で」
生き残りの二人も部屋から去っていった。その背中にシェラは何か言おうとして、結局口をつぐむ。
かける言葉など、見つからなかった。
「……何て言ったら、良かったんでしょう」
背後でドアが閉まったのを確認し、テレザにぽつりと聞いてみる。
「あの二人からしたら家族を失ったようなもんだろうし、私たちが掛ける言葉なんてないんじゃない? 黙って見送ったのは、正解だと思う」
答えはきっぱり、なしということだった。テレザは続ける。
「不慮の死って、幻導士の世界じゃ珍しくないわ。毎日誰かが、そうなってる。次は私たちかもしれない」
「最初に安全確認を教えてくれたのは、そういうことだったんですね」
「ええ、危機を前もって察知できるようにって。流石に嗅覚や聴覚は急には身に付かないけど」
「それは、ひたすら慣れるしかない、と……」
「そうね。でもまずは、体力づくりからよ」
「ひゃんっ!」
ペシっと背中を叩かれ、シェラの体に鈍い痛みが駆け抜けた。お返しに脇腹をつついてやろうかとも思ったが、ただひ弱なだけのシェラとは違って本物の怪我人なのでやめておく。
……それを分かっていて、反撃されないと思ってやっていそうなのはこの際気にすまい。
「何だい、随分と元気そうじゃないか。私だって暇じゃないんだよ」
フィーナから連絡を受けた鉱妖人の老医者、ノラが愚痴りながら入ってきた。
「受付の姉ちゃんから聞いてる。桃色の髪したあんたは脇腹。見た感じ古傷だね。そっちの新米は、ただの筋肉痛かい……湿布つけて寝な!お代はいらないよ、こんな端金、貰ったって仕方ない」
「あ、ありがと、うっ! ございます……」
シェラに湿布を押し付け、シッシッと追い払う。ぎくしゃくとした足取りで部屋を後にすると、ノラはテレザの患部をおもむろに触り、彼女の反応を見て渋面をさらに渋くした。
「あんた、これ良く我慢してたね」
「……そりゃどうも」
「褒めてないよこのバカ……チッ」
テレザの首筋には、脂汗が滲んでいた。ノラは舌打ちし、服を脱がせる。年相応に優美な曲線を描き始めている体、その脇腹に黒く大きな痣ができていた。
「治りかけだった組織があちこちで切れて、内出血を起こしてる。……はっきり言って、土属性幻素の私じゃ復帰に相当時間がかかる」
幻素には、それぞれの特性に応じた得手不得手が存在する。
医療用の術式で例えれば、土属性幻素は裂傷などによる出血には強いが、患部の冷却が肝要な重度の打撲や肉離れといった症状を治療するのには向いていない。
そして『重属性不活性の法則』という大原則がある。端的に言うと『一人が扱える幻素の属性は一つだけ』ということ。本来自然現象たる幻素の力は、矮小な人間の中には一つまでしか扱えないからだ。
種族によって属性の傾向は偏りがあり、例えば鉱物や鍛冶に強い鉱妖人の幻導士には金属性、土属性幻素を扱う者が多く、森妖人の幻導士ならば、住んでいる森に関連して水属性や木属性の使い手が多い。
とはいえ個人の資質が最も大きく、夢や希望に情熱を傾ける森妖人が炎属性を身に宿すこともままあるが。
「……この街の知り合いに、水属性幻素に通じた医者がいる。この紹介状を持ってすぐ行きな」
ノラは少し考えた後、そう言って封筒をテレザに手渡す。そして応急処置として包帯と湿布で胴体をぐるぐる巻きにした。巻き方が強かったのか、テレザが抗議の声を上げる。
「もうちょっと優しく巻いてよ……ッ」
「うるさいね。ここまで悪化した傷に優しくもクソもないんだよ」
「で、どのくらいで復帰できそう?」
この期に及んで復帰時期を聞いてくるとは、こいつにはマトモに治す気が無いのか。重傷であることを印象付けるため、ノラは少し長めに期限を切る。
「全治一か月。で、二週間はベッドの上で絶対安静くらいに思った方が良い」
「……結構かかるのね」
「かかって良いんだよ」
つっけんどんに言う。ノラはかれこれ百余年医者をやっているが、その中でも最も危ないのは今のテレザのように、治りかけの傷を抱えて依頼に出る者だ。長年の経験からそれを伝えると、テレザも無茶をしていた自覚があるのか、少ししおらしくなる。
「……」
「分かったら、きちんと治しな。さっきの新米のお守りも任されてるんだろう。もう手前一人の身体じゃないってことだ」
沈黙したテレザに服を被せる。モソモソと袖を通したテレザはからかうように言った。
「意外と優しいのね、先生」
「ケッ。早く行きな!」
ぶっきらぼうな言葉を背に受けて、テレザはギルドから紹介先の医者の所へと向かう。王都から離れた辺境とはいえ、幻導士ギルドがある街の中心地はそれなり以上に栄えている。
客引きの声や荷車を引く音、鍛冶師が鉄を鍛える音。人々の生活が織りなす和音を聴きながら中心部を抜けてしばらく行くと、やや寂れた診療所が見えた。
「ごめんくださーい」
「……いらっしゃい」
テレザが中に入ると、目の前に肉感的な森妖人の美女が立っていた。圧倒的に盛り上がった双丘が成す深い谷間に、女性の理想像とも言うべき艶やかな曲線を描く下半身。同性であるテレザですら、むわっと匂い立つような色気を感じる。
こんな美女がギルドの医務室で働いていたら男どもは仕事どころではあるまい。
「えっと、ギルドの医者から紹介状を――」
「……ん。ノラさんから、ね。……私はエリー・フォーサイス。……こっちで、服脱いで。仰向けに……中々重傷、ね」
エリーと名乗ったその美女に紹介状を見せると、さっさとベッドに案内された。
「……じゃあ、治療の前に『抵抗』の検査、ね」
そう言ってエリーがテレザに差し出したのは、瑞々しい緑色の光を放つ石。一見宝石のように見えるそれを、テレザは無造作に鷲掴む。
「はーい。……ふっ」
テレザの指に力が籠もると、石の色が次々に変わっていく。
緑色から青銅色、黄土色になり、次は灰白色。鮮やかな赤銅色を経て、階級票と同じ銀白色。目もくらむ黄金色は、次の瞬間息を飲むような白金色を呈した。
それを最後に、輝きはただの黒い石になる。エリーはテレザから石を受け取り、医師としてではない率直な感想を述べた。
「……すごいわ、ね。『幻素鉱』が真っ黒になったの、初めて」
「前のギルドでも言われたわ。抵抗の低さだけなら歴史に残るって」
「……これなら、かなり強い治療も大丈夫そう、ね。……じゃ、横になって」
細く長いエリーの指が、テレザのわき腹を繊細に撫で回す。
「……中々重傷、ね」
「だったらぁ……っ。変に、触らないで?」
痛みとくすぐったさでテレザが身をよじると、エリーは妖艶に微笑んだ。
「……一気に、冷やすよ。──『氷冷|《アイシング》』」
「~~ッ」
指先から冷気が浸透すると、テレザの痛みは嘘のように消え、痣の色も薄くなったような気さえする。エリーは満足げに患部から手を離した。
「……うん。とりあえず、今日の処置はおしまい」
「もう終わり?」
「……まず、内出血を止めた。あとは経過を見つつ入院、ね?」
「……」
「……あなたの身体、色々ガタが来てる」
テレザの状態は、どうやら本人が思う以上に良くないらしい。ノラに言われた言葉を思い出し、素直に従う。
「分かった、お世話になるわ」
「……お代は、今は良い。ギルドに請求するから、そっちで払って、ね」
話がまとまったところで、再び出入り口のベルが鳴った。エリーが迎えると、金髪の可憐な少女が訪ねてきていた。
「あ、あの、シェラといいます。ここに、桃色の髪をした女の人が治療に来てると聞いて」
「……お見舞い、ね。おいで」
すいすいと案内されてシェラが病室に入ると、ベッドの上でテレザが着替えている最中だった。シェラは驚きつつ、鍛えられた肉体に思わず目を奪われ……ベッドからテレザにジトーっとした目を向けられる。
「着替え中を凝視されると流石に恥ずかしいんだけど……というかどうやってここ知ったのよ」
「あっあっ、ごめんなさい! ……ノラさんに聞いたんです。それ、重傷だって」
やはり気にしていたか。シェラの視線は筋肉から、すぐに脇腹の痣に移っていた。だがシェラのせいではないし、シェラが気を揉んだところで治癒が早くなるわけでもない。新人に心配をかけるわけにはいかない、とテレザは別の話題に切り替えていく。
「私の自業自得よ、気にしないで。シェラこそ、明日以降ちゃんと依頼を受けられそう?」
「何とか、教えてもらったことを頼りに頑張ります。テレザさんは、しばらく動けないんですよね」
テレザは二週間ほどは最低でも動けそうにないことを伝え、ついでにこれまでの無茶をした経験も話しておく。
まずはこのギルドに来ることになった直接の原因でもある、ハイオークの襲撃について。
「緊急事態だから、動ける私が飛び出したんだけどね。ギルドでの教育係が追いかけてくれなかったら、あそこで死んでたわ」
「テレザさんにも、そういう人がついてたんですね……」
「教育係だったのは昔の話よ? でも、幻導士として一番深く関わった恩人。私もあんな風に後輩を、ってね」
ギルドへ初めて登録した日のこと。
「実は錬鉄Ⅲ級からのスタートなのよ、私」
「あれ? 依頼に行く前、錬鉄Ⅱ級からだって」
「登録してすぐ、降級されちゃった……」
「えぇ……」
こうなってはいけない、と反面教師にしてもらおう。シェラは素直な性格で、困惑したり笑ったり、忙しくリアクションを取ってくれるのでテレザも話しやすい。思いがけず長話になってしまう。
「──ってことで、一旦リフレッシュさせてもらうわ。……何よその顔。無理に動いたりはしない、約束する」
「……安静にさせるから安心して、ね?」
話し終えたテレザがそう約束し、エリーが保証した。シェラがギルドへ帰っていくと、エリーがくすくすと笑って話しかける。
「……仲が良いの、ね」
「向こうが勝手に懐いてるだけよ」
「……彼女のためにも、早く治さないと、ね?」
シェラのために早く復帰したいというより、怪我をしていては指導者として示しがつかない。テレザがそう言うとエリーはゆったりと頷きを返した。
「……うん。そうね……じゃ、おやすみ」
「いや、まだ午前中なんだけど」
「……重傷者だから。寝て食べる以外、することないでしょ。お昼ご飯になったら起こすから、ね」
そう言い残し、エリーは手近な椅子に座り、目を閉じた。……あんたが寝るのか。
「ちゃんと起こしてくれるんでしょうね」
一言愚痴り、テレザも目を閉じる。もはや習性のようなもので、彼女は寝ようと思えばすぐに眠れる。久々にたっぷり惰眠を貪るとしよう。
エレメンターズ豆知識
『優れた幻導士ほど、多くの名医を知っている』
どうしても怪我のリスクが付きまとう幻導士。ギルドに所属している医師だけでなく、その他に得意分野を持った医師を探しておくことは、復帰時期や後の生存率に大きく関わる。
医療術式を扱える幻導士は貴重で、診療代も莫大。しかし幻素を扱えなくとも薬剤の調合、骨接ぎなど優れた技術を持つ医師は存在している。
「戦った後のケアができてこそ一流の幻導士だよ」とは辺境ギルド付きの医者・ノラの弁。
輝かしい戦績を残してきたテレザも、彼らがいなければ物語開始前に死んでいる。
『優れた幻導士ほど、多くの名医を知っている』
どうしても怪我のリスクが付きまとう幻導士。ギルドに所属している医師だけでなく、その他に得意分野を持った医師を探しておくことは、復帰時期や後の生存率に大きく関わる。
医療術式を扱える幻導士は貴重で、診療代も莫大。しかし幻素を扱えなくとも薬剤の調合、骨接ぎなど優れた技術を持つ医師は存在している。
「戦った後のケアができてこそ一流の幻導士だよ」とは辺境ギルド付きの医者・ノラの弁。
輝かしい戦績を残してきたテレザも、彼らがいなければ物語開始前に死んでいる。