Exspetioa2.6.19
今日は、休息の時間がはじまってすぐ、シスター・プリムラとシスター・パンジーが遊びに来てくださいました。
暑いので、井戸水で冷やしたミントのハーブティーをお持ちくださったのです。とてもさわやかでおいしかったです。感謝。
そうしていると、シスター・ルゴサが走っていらっしゃいました。
「シスター・プリムラ! シスター・パンジー!」
シスター・ルゴサは、お二人を探していらっしゃったようでした。「やっとみつけた!」と言うなり、お二人に飛びついて、「やった、やったわ!」と歓喜の声をあげられました。
「エスの手紙が届いたの!」
「本当⁉ おめでとう!」
「よかったじゃない!」
私も、「おめでとうございます」と声を掛けました。シスター・ルゴサは私の方を向き、少し滲んでいた涙を拭うと、持っていらっしゃった黒いお手紙を大切そうにきゅっと抱きしめ、はにかみました。
「それじゃ、私たちは行くわね」
「頑張ってね、シスター・ルゴサ」
「ありがとう」
「ありがとうございました」
シスター・プリムラとシスター・パンジーの足音が消えて、シスター・ルゴサは、一度、深呼吸をしました。
「シスター・セナ。私、今夜、このお手紙どおりに、懺悔室へ行くわ」
「お気をつけて行っていらしてくださいね」
「うん。それでね……明日の夜、就寝の時間になったら、この、秘密の花園に来てほしいの」
シスター・ルゴサは、すっと息を吸い、深く吐きました。黒い手紙を抱きしめる手に咲く花が、わずかに縮み、震えていました。
シスター・ルゴサは、おっしゃいました。
「――私と、エスになってほしいの」
私は、驚きました。まさか、私にお声がかかるなんて、思っていなかったのです。皆さんのエスのお話は、いつも、別の世界のお話のようで……。
「今は答えないで。明日、答えを教えて。絶対来てね。絶対よ」
そう言い残すと、シスター・ルゴサは、逃げるように走っていってしまわれました。
それからずっと、私の頭の中は、どうしよう、という言葉ばかりがぐるぐるとまわっていました。
そのままマザーのお部屋に行くと、体調がすぐれないのではないかと、とても心配されました。
私はマザーに、シスター・ルゴサにエスになってほしいと言われ、思いもよらないことで、混乱していることを伝えました。
マザーはおっしゃいました。
「そう。だけど、困惑する必要なんてない。セナは『神の花嫁』になるもの。セナの答えは決まっている。『私は誰のエスの相手にもならない。私が唯一愛しているのは、神』。これが、正しい答え。でも、この答えを伝えに行ってはいけない」
そんな……。それでは、シスター・ルゴサが、ひどく傷ついてしまわれます……。
けれど、私は、何も言えませんでした。マザーのお顔は笑みひとつなく、いつもよりも威圧的に感じたのです。
私の悩みを見抜かれたのでしょうか。マザーは、私の頬を撫でておっしゃいました。
「夜になったら部屋から出ない。皆これを守っている。どうしてかわかるよね」
私は、うなずきました。「蟲」から身を守るためです。
蟲は、南の修道院、西の修道院を亡ぼした化け物。花の修道女たちを食らい、石造りの建物を壊すほどの力をもつ、恐ろしい存在だといいます。どちらの修道院でも深夜に出現したらしく、就寝の時間の後は、安全のため、なるべく部屋の外に出ないようにしようと、皆で心がけていたのです。
「セナを失ったら、神はどれほどお悲しみになるか……。セナは、『神の花嫁』。神様を幸せにするための存在。他の子のことなんて考えないで。神だけを想って。神を幸せにすることだけを考えて。神の言葉である、私の言葉に従って。神の理想とする『神の花嫁』となって。私の言葉は神の言葉。私の言葉は、すべて正しいのだから」
マザーのお言葉は、すべて正しい。それは、わかっているのです。
それでも私は、行かないことが正しいのか、どうしても悩んでしまいました。
中庭に帰ると、あのお方と目が合いました。あのお方も、私の様子がおかしいと思ったのでしょうか。いつものほほ笑みではなく、どこか、心配してくださるような表情をくださいました。
私は――どうしてでしょう。あのお方のお姿を目の中に閉じ込めたい、と思いました。私の悩みでいっぱいのこの心を、あのお方の存在が支えてくださるような、そんな気がしたのです。
私は、今でもずっと悩んでいます。
マザーのお言葉は神のお言葉。神様を幸せにするための道しるべ。だから、そのお言葉に従うことが、神様を幸せにする正しい行いにつながります。そうあることが「正しい美しさ」なのです。
ですが、行かないことは、シスター・ルゴサのお心をなかったことにするような行いに思えるのです。私は、シスター・ルゴサの気持ちをぞんざいに扱いたくはないのです。そうすることが美しさだとは、どうしても思えないのです。
マザーは、神だけを幸せにするようにとおっしゃいます。ですが私は、この世界に存在するすべてに幸せになってほしいのです。完璧に幸せにすることはできなくても、せめて、できるだけ傷つかないように、できる限りのことをしたいのです。そうあることが美しさだと、私は思うのです。
私は、行きたい、と思いました。
ですが、それでは、マザーのおっしゃることに従わない、ということになってしまいます。そうしたら、マザーは、どう思われるでしょう……。神様を幸せにしないという選択をしたと受け取られ、傷ついてしまわれるかもしれません。
私は、どうしたらいいのでしょうか。どの道を選んでも、誰かを傷つけてしまいます……。誰も、傷つけたくないのに。皆さんに幸せになってほしいのに……。
ああ、いけません。暗い気持ちで悩んでいては、心が渇き、体が枯れて、亡んでしまいます。
就寝の時間を告げる鐘が鳴ってしまいました。ベッドに入って、もう少し考えたいと思います。
神様、どうか私をお導きください。
暑いので、井戸水で冷やしたミントのハーブティーをお持ちくださったのです。とてもさわやかでおいしかったです。感謝。
そうしていると、シスター・ルゴサが走っていらっしゃいました。
「シスター・プリムラ! シスター・パンジー!」
シスター・ルゴサは、お二人を探していらっしゃったようでした。「やっとみつけた!」と言うなり、お二人に飛びついて、「やった、やったわ!」と歓喜の声をあげられました。
「エスの手紙が届いたの!」
「本当⁉ おめでとう!」
「よかったじゃない!」
私も、「おめでとうございます」と声を掛けました。シスター・ルゴサは私の方を向き、少し滲んでいた涙を拭うと、持っていらっしゃった黒いお手紙を大切そうにきゅっと抱きしめ、はにかみました。
「それじゃ、私たちは行くわね」
「頑張ってね、シスター・ルゴサ」
「ありがとう」
「ありがとうございました」
シスター・プリムラとシスター・パンジーの足音が消えて、シスター・ルゴサは、一度、深呼吸をしました。
「シスター・セナ。私、今夜、このお手紙どおりに、懺悔室へ行くわ」
「お気をつけて行っていらしてくださいね」
「うん。それでね……明日の夜、就寝の時間になったら、この、秘密の花園に来てほしいの」
シスター・ルゴサは、すっと息を吸い、深く吐きました。黒い手紙を抱きしめる手に咲く花が、わずかに縮み、震えていました。
シスター・ルゴサは、おっしゃいました。
「――私と、エスになってほしいの」
私は、驚きました。まさか、私にお声がかかるなんて、思っていなかったのです。皆さんのエスのお話は、いつも、別の世界のお話のようで……。
「今は答えないで。明日、答えを教えて。絶対来てね。絶対よ」
そう言い残すと、シスター・ルゴサは、逃げるように走っていってしまわれました。
それからずっと、私の頭の中は、どうしよう、という言葉ばかりがぐるぐるとまわっていました。
そのままマザーのお部屋に行くと、体調がすぐれないのではないかと、とても心配されました。
私はマザーに、シスター・ルゴサにエスになってほしいと言われ、思いもよらないことで、混乱していることを伝えました。
マザーはおっしゃいました。
「そう。だけど、困惑する必要なんてない。セナは『神の花嫁』になるもの。セナの答えは決まっている。『私は誰のエスの相手にもならない。私が唯一愛しているのは、神』。これが、正しい答え。でも、この答えを伝えに行ってはいけない」
そんな……。それでは、シスター・ルゴサが、ひどく傷ついてしまわれます……。
けれど、私は、何も言えませんでした。マザーのお顔は笑みひとつなく、いつもよりも威圧的に感じたのです。
私の悩みを見抜かれたのでしょうか。マザーは、私の頬を撫でておっしゃいました。
「夜になったら部屋から出ない。皆これを守っている。どうしてかわかるよね」
私は、うなずきました。「蟲」から身を守るためです。
蟲は、南の修道院、西の修道院を亡ぼした化け物。花の修道女たちを食らい、石造りの建物を壊すほどの力をもつ、恐ろしい存在だといいます。どちらの修道院でも深夜に出現したらしく、就寝の時間の後は、安全のため、なるべく部屋の外に出ないようにしようと、皆で心がけていたのです。
「セナを失ったら、神はどれほどお悲しみになるか……。セナは、『神の花嫁』。神様を幸せにするための存在。他の子のことなんて考えないで。神だけを想って。神を幸せにすることだけを考えて。神の言葉である、私の言葉に従って。神の理想とする『神の花嫁』となって。私の言葉は神の言葉。私の言葉は、すべて正しいのだから」
マザーのお言葉は、すべて正しい。それは、わかっているのです。
それでも私は、行かないことが正しいのか、どうしても悩んでしまいました。
中庭に帰ると、あのお方と目が合いました。あのお方も、私の様子がおかしいと思ったのでしょうか。いつものほほ笑みではなく、どこか、心配してくださるような表情をくださいました。
私は――どうしてでしょう。あのお方のお姿を目の中に閉じ込めたい、と思いました。私の悩みでいっぱいのこの心を、あのお方の存在が支えてくださるような、そんな気がしたのです。
私は、今でもずっと悩んでいます。
マザーのお言葉は神のお言葉。神様を幸せにするための道しるべ。だから、そのお言葉に従うことが、神様を幸せにする正しい行いにつながります。そうあることが「正しい美しさ」なのです。
ですが、行かないことは、シスター・ルゴサのお心をなかったことにするような行いに思えるのです。私は、シスター・ルゴサの気持ちをぞんざいに扱いたくはないのです。そうすることが美しさだとは、どうしても思えないのです。
マザーは、神だけを幸せにするようにとおっしゃいます。ですが私は、この世界に存在するすべてに幸せになってほしいのです。完璧に幸せにすることはできなくても、せめて、できるだけ傷つかないように、できる限りのことをしたいのです。そうあることが美しさだと、私は思うのです。
私は、行きたい、と思いました。
ですが、それでは、マザーのおっしゃることに従わない、ということになってしまいます。そうしたら、マザーは、どう思われるでしょう……。神様を幸せにしないという選択をしたと受け取られ、傷ついてしまわれるかもしれません。
私は、どうしたらいいのでしょうか。どの道を選んでも、誰かを傷つけてしまいます……。誰も、傷つけたくないのに。皆さんに幸せになってほしいのに……。
ああ、いけません。暗い気持ちで悩んでいては、心が渇き、体が枯れて、亡んでしまいます。
就寝の時間を告げる鐘が鳴ってしまいました。ベッドに入って、もう少し考えたいと思います。
神様、どうか私をお導きください。