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作者: 鈴奈
Exspetioa2.10.9 (2)
 ――しかし。

「まだ、終わっていない」

 シスター・ルドベキアが、左の白い手袋を取りました。
 息を呑みました。シスター・ルドベキアの腕は、黒く、枯れ果てていました。手に咲いていたであろう花も、真っ黒になってしまっていました。今まで感じていた、シスター・ルドベキアの不思議な手の感触の正体はこれだったのだ、と思いました。
 シスター・ルドベキアがポケットから、一本の赤い鍵を取り出しました。そして、それを上に掲げると、赤い光が解き放たれ、シスター・ルドベキアの背後に、赤く大きな扉がそびえたちました。「キャア!」という高い悲鳴が上がりました。扉が、ゆっくりと開きました。真っ暗な空間から、おぞましい空気が流れてくるのを感じました。

「ラジアータ、蛇をよこせ」

「何を、するの……」

 シスター・アザレアがうわごとのようにつぶやきました。
 暗闇の空間から、大きな赤黒い蛇が顔を出し、シスター・ルドベキアの腕に巻きつきました。花の修道女たちが、再び高い悲鳴をあげました。

「アザレアを傷つけたお前たちは、この世界に必要ない。私が、亡ぼしてやる」

「やめて……おねがい、もう、やめて…………」

 シスター・アザレアの震える、湿った声に導かれるように、私は、隣を見ました。シスター・アザレアが、涙を流していました。私は、感じました。その涙は、花の修道女たちが危機に瀕することへの恐れでも、神様の楽園が壊れてしまうことへの恐れでもない。シスター・ルドベキアを想った涙なのだと。

「お願いです! やめてください、シスター・ルドベキア! シスター・アザレアは、あなたのことを……!」

 シスター・ルドベキアが、ふっとやさしく、私にほほ笑まれました。

「シスター・セナ。君と罪女ニゲラがいるから、私の想いは果たされないかもしれない。そうしたら――お願いだ。生き残った花の修道女たちが、アザレアの美しい心に気付いて、アザレアにやさしくしてあげられるようにしてほしい。アザレアの傷つかない楽園を、アザレアの望む楽園を、つくってあげて」

 シスター・アザレアの涙が、一筋、頬を流れ落ちました。
 シスター・ルドベキアが、手すりからわずかに身を乗り出し、持っていたトランクを開きました。
 トランクの中から、無数の、アザレア色の手紙が、降り注ぎました。

「愛していたよ、アザレア」

 シスター・ルドベキアの左手に巻きついていた蛇が、口を開き、シスター・ルドベキアの喉に噛みつきました。キャアッとどこかから悲鳴が上がったのとほとんど同時に、銃声が鳴り響きました。ニゲラ様が短銃で、蛇の頭を仕留めたのです。蛇の死骸はシスター・ルドベキアの足もとにぼとりと落ちました。シスター・ルドベキアは忌々しげに顔をゆがめ、右の白い手袋を捨て、扉に腕を伸ばしました。

「ラジアータ! もう一度!」

 その瞬間、シスター・ルドベキアの右腕を、ニゲラ様の銃弾が撃ち抜きました。
 シスター・ルドベキアが、痛みに体をひねりました。再び、修道女たちがキャアッと悲鳴をあげました。シスター・ルドベキアの体が、二階から投げ出されてしまったのです。

「ルドベキア‼」

 シスター・アザレアが駆け出しました。そして、シスター・ルドベキアの体が床についてしまう直前、無事に、抱きとめたのです。
 ニゲラ様は、撃ち込まれたら一瞬で建物が破壊されそうなほどに大きな銃を肩に担いで、赤い扉の奥に向けました。扉は、逃げるようにすっと消えてしまいました。

「次は正々堂々会いに来なさい。決着をつけてあげる」

 そう言って、完全に扉が消えたのを見届けると、ニゲラ様は手に持っていた武器を捨て、力をおさめました。

「ルドベキア! 体は⁉ 痛みは⁉」

 シスター・アザレアが必死に揺さぶり、シスター・ルドベキアを呼びました。
 心配で駆け寄ると、シスター・ルドベキアは黒くなってしまった腕で目もとを覆っていました。そして、震える声で、つぶやかれました。

「ごめん……アザレア……君の楽園をつくれなくて、ごめん……」

 シスター・アザレアが、また一筋、涙を流しました。

「違う……私のせい……。ぜんぶ、私のせいよ…………」

 シスター・アザレアの手の甲の花が、悲しそうにしおれました。
 涙に濡れるお二人を、私とニゲラ様――そして、花の修道女たちが見守りました。

「セナ。ルドベキアの毒や怪我が治るよう、祈ってあげて」

 ニゲラ様のささやきにうなずいて、私は、シスター・ルドベキアのお傍に膝をつきました。
 そして、毒や怪我、シスター・ルドベキアのお体のすべてが治るよう、お祈りをしました。
 目を開けてみると、どうでしょう。腕の噛み跡はもちろん、真っ黒に枯れていた腕も、そこに咲く花も、元に戻っていたのです。シスター・ルドベキアの花は、小さくも誇らしく咲く、黄金の花でした。
 シスター・ルドベキアは、穏やかに眠っていらっしゃいました。
 シスター・アザレアは、その花にそっと触れ、再び涙を流されました。
 後ろから、皆さんがゆっくりと近寄ってきました。その気配を感じ取ったのでしょう。シスター・アザレアが、覚悟をした表情で振り向かれました。

 しばらく、沈黙が流れました。
 ふと、辺り一面に散らばるアザレア色の手紙が目に入りました。すべてに、「Deliciae Azalea」と書かれていました。私は、ひとつを手に取り、そっと、シスター・アザレアに差し出しました。

 すると――。

 シスター・マネチアが、シスター・トレニアが、シスター・ロベリアが、シスター・アナベルが、シスター・プリムラが、シスター・パンジーが、シスター・フリージアが……。すべての花の修道女たちが膝をつき、足もとの手紙を拾いはじめました。ただ静かに、花びらをつまむようにやさしく。皆拾っては、シスター・アザレアに手渡しました。

「どうして……」

 シスター・アザレアが、小さく、言葉をこぼしました。
 花の修道女たちが顔を見合わせました。そして、誰からともなく、こう答えました。

「シスター・アザレアに、幸せになってほしいから」

「私たちは、幸せがどんなに素晴らしいものか知っている」

「だから、あなたにも幸せになってほしいの」

 シスター・アザレアの頬には、涙が流れ続けていました。ですが、さっきとは違い、希望で光っているかのように見えました。

 それから、たくさんの方々が付き添い、眠るシスター・ルドベキアをお部屋に運ぶことになりました。
 礼拝堂から発つ際、ニゲラ様が、お二人に声を掛けられました。

「たくさん傷つけた事実はあるけれど、私は、あなたたちの姿勢は嫌いじゃない。自分の楽園は、自分でつくるのよ」

 シスター・アザレアは、何も答えませんでした。
 私は、最後のお言葉を、どこかで聞いたことがあるように思いました。

 いつの間にか、マザーのお姿がありませんでした。見まわすと、マザーが、シスター・ルドベキアがいらっしゃった二階から降りていらっしゃるのが見えました。
 お声を掛けると、マザーは顔を背けたまま、逃げるように走っていってしまわれました。私は、隣にいらしたニゲラ様にマザーを追いかけることを伝え、走りました。
 走りながら、マザーをお呼びしました。マザーは、ちらと振り返ると、ゆっくり立ち止まりました。

「よかった、セナひとりで……」

 胸もとで、ぎゅっとこぶしを握りしめていらっしゃいました。もしかしたら、ニゲラ様のお力を見て、恐ろしい記憶がよみがえり、怖がっていらっしゃるのかもしれないと思いました。
 私は、マザーのお心とお体が大丈夫かお訊きしました。「大丈夫」というお言葉を聞いて安心しました。
 そして、気にかかっていた、シスター・ルドベキアとシスター・アザレアの処遇についてお尋ねしました。マザーは、「考えていない」とおっしゃいました。「どちらでもいい。二人に任せる」とのことでした。とても、ありがたいことに思えました。
 正義感の強いお二人です。きっと、お二人で今後の処遇を相談されることでしょう。

 たしかにシスター・ルドベキアは、罪のないお三方を蟲に変え、亡ぼしました。
 ですが――それでも私は、お二人には、幸せになれる道を歩んでいっていただきたいと思うのです。

 神様。どうか、お二人をお赦しください。お二人の幸せを、お赦しください。
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