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作者: 霜月かつろう
懐かしい景色 その3
 再び眠ってしまった優太を背負って暗くなり始めた道をひとり歩く。手にはスーパーの袋も釣り下げている。

 もっと買い置きしておきたかったのだけれど、優太を連れながらだとこれ以上持てそうもなかったのと、単純に予算が足りなくなってしまったからだ。

 いつからここまで食材が高くなってしまったのだろうか。優太の身体が大きくなったらどうなってしまうのだろう。想像するだけで、もっとちゃんと稼げるようにならなくちゃと思う。

「ママ」

 夢の中でも自分のことを呼んでくれているのには親冥利に尽きる。今から子離れできるかこっちが心配してしまうくらいだ。

 片親だものね。しょうがないよね。頭を撫でてあげたいけれど、背負っている状態では流石に無理そうなので部屋まで我慢しよう。

「おっ。琥珀ちゃん。いい肉入ったから寄っていってよ」

 せこせこと歩いていたらいつの間にか商店街に辿り着いたらしい。入り口にあるお肉屋さんから聞こえる豪快な笑いを含んだ声が商店街に入った合図だったりする。そこの店主である高田さんはがっしりとした体つきからお肉屋さんを想像できるくらいにはぴったしな見た目をしている。

「いえ。もう済ませてきたんで」

 そう言って優太と一緒に手に持っていた五円したビニール袋をちょこっとだけ持ち上げる。それを見て高田さんは大きな体に似合わないつぶらな瞳を残念そうに垂らすのだ。

「そっか。残念だなぁ。また寄ってくれよな」

 優しさはうれしいのだけれど、毎回お肉を買うなんて今の状況じゃできない。それを口にすると高田さんなんかはお金とか別にいいから持って行ってよ。なんて言いかねないのも困ったものだ。そんなことをしたら絶対に奥さんに怒られるんだから。

「うん。その時はお願いしますね」

 にっこりと笑顔を返せたよな。そう無用な心配を胸に抱きながら商店街を奥へと進む。

 栄口南商店街。
 アーケードに覆われた十数件の店舗が軒を連ねる昭和な匂いがする商店街、それが琥珀と優太が住む場所だ。だれかいわく昔ながらの光景が広がっているらしい。こういうところに馴染みがないまま育った琥珀にとっては懐かしさもなにも感じられはしないが、安心感はあった。こんなにも人と人の距離が近くてもいいんだと知ったのもここに来てからだ。

 その証拠に歩いていればそこかしこから声を掛けられる。その騒々しさに背中で優太が目覚めたのも分かった。そして、その声に合わせて手を振っているのもだ。わが子ながらその辺りはちゃっかりしているものだと思う。この辺りも高齢化が順調に進んでいて子どもなんて珍しいものになってしまっているらしく。自分の孫のようにかわいがってくれる人たちが多いのだ。

 まんざらでもない様子の優太に降りる? と質問したけど。短く。やっ。とだけ返されてしまった。

 重たいんだけどなぁ。

 流石に言えないけれど日に日に重くなるその体をいつまで背負えるのだろうかと、妙なことを考えだしてしまった。
 そうしている間に家の前に辿り着いた。

「おっ。お疲れ様。どうだったよ。ちゃんと滑れたかい?」

 琥珀たちが住まわせて貰っているのは海藤靴店と言う靴屋さんの二階だ。その靴屋さんの店主である海藤さんがニカっと笑いながら思い出したくないことを聞いてくる。

「まあ、それなりには滑れましたよ」
「ママ。転んだの。頭ごちんって」

 背中の上で優太が余計なことをしゃべり始める。

「ちょっと」
「おい。それって大丈夫なのかよ。病院にちゃんといったか」

 優太を止める間もなく海藤さんが詰め寄ってきてワタワタしてしまう。

「だ、大丈夫です。ちょっとこぶになってますけど大丈夫です。そんなことよりありがとうございます。住むところを貸していただけるどころか仕事まで紹介してもらっちゃって」

 路頭に迷いかけていた琥珀たちを拾ってくれたのは海藤さんとその奥さんだ。

「いいんだよ。困っている琥珀ちゃんを見つけた時は運命のいたずらってあるんだなって思ったくらいだし」

 大袈裟だなぁと思いながらもその運命とやらに感謝をせずにはいられない。
 なんでもお店の二階をもともと人に貸し出していたのだが、次の生活の準備が整ったとかで出て行ってしまい次の入居者を探していたのだ。

「スケートリンクの前でボーっとしている親子がいるんだものびっくりしちゃったよ。元気もないしさ。警察でも呼んだ方がよかったのかと考えちゃったくらい。でもまさか元国体選手だなんてなぁ」

 申し訳ないことをしたと思っている。行く当てがなかったとはいえ、あんなところで小さな子どもを連れて立ち尽くしていたらそりゃ心配もするだろう。

「俺はそろそろ店じまいして帰るからよ。多少騒がしくしても大丈夫だぜ。なあ優太よ」

 大人しく頭を撫でられる優太はちょいちょい走り回って下に足音を響かせてしまっている。作業に集中したい時があるらしくその時だけは勘弁してくれよと、言い難そうにしていた海藤さんが顔を出したのはつい昨日の事だ。

「本当にすみません。色々ご迷惑をおかけして」
「いいってことよ。こっちの都合で住んでもらってるところもあるしよ。対抗戦も出てくれるって言うし。お互いウィンウィンってもんよ」

 そう言ってもらえるだけで心は軽くなった。ここに辿り着くまで、本当にどうしようもなくて。優太と二人でいっそのこと。そう考えそうになるのを必死に耐えていた。

「それにしてもよ。こんなかわいい子を捨てちまうなんてお前の親父はとんでもないやろうだよな」
「あはは。そうですね」

 どう反応していいかわからず顔が引きつってしまうのが自分でもわかった。

「おっとわりい。思い出したくもないわな。それじゃあ、俺は帰るぜ。おやすみな優太」

 海藤さんがそう言ってシャッターをガラガラと下ろすのを優太がキャッキャしながら見ていた。

 そうできている今の状況に琥珀はただ、ひたすらに感謝することしかできなかった。
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