ないものねだり その8
「川島くんはどんな曲にすることにしたの?」
練習終わり。琥珀が話しかけてきて動揺する。きっとこの前の香住が残した意味深なセリフのせいだ。
「曲って」
そう言われてからフィギュアスケートには曲がつきものだと言うことにようやっと気づく。
「どうするんだろ。そういえば」
それどころじゃないのは確かだ。滑るだけで精一杯の良二に曲に合わせて演技するだ、なんて芸当はできそうにない
「なんか好きな曲ないの? あんまり壮大過ぎるのは曲に置いてかれちゃうけど。映画で好きな曲とかあれば。そういうのでもいいんだ。なんか好きなやつない?」
そう言われても、あんまり気にして映画を観たこともない。曲に合わせてなにかするなんて生活の中で程遠いこと。何がいいのか困ってしまう。
「ピンとこない。逆にみんなどうやって決めてるの? 例えば立花さんとか」
「私? 私はコーチが決めてたなぁ。あなたはこれ。みたいな感じでいつも先回りされてた気がする。まあ、でもそれで気に入らなかったことはなかったから。私のことを気にしてくれてたんだなって思う。そっか、川島くんに合いそうな音楽かぁ」
琥珀はどうやら決めようとしてくれてるらしい。
「ママァ!」
見覚えのある子どもがそう叫びながら走って近づいてくる。間違いない。琥珀の子だ。
「あっ。優太。アリスちゃんも相手をしてくれてありがとうね」
「大丈夫。優太はおとなしいから」
そう言って優太と呼ばれた子の後ろからスッと姿を現したのは一緒に対抗戦に出ると自己紹介をしてもらったばかりのアリスちゃんだ。ハーフなのだろう。金髪に肌もずいぶんと白く見える。小学生と聞いた時は驚いたが、よくよく考えればフィギュアスケートをやってる人なんてみんな大人っぽい雰囲気を漂わせているものだろう。
まあ。きっと大きな偏見なのだろうが。
そしてそんなアリスちゃんが上里コーチの子どもというのだからそれもまた驚きだ。
「ほら。優太。あいさつしな。川島くんだよ」
「よろしくおねがいします」
促されるままに挨拶する優太は琥珀と似た部分を探すのが難しかった。であれば父親譲りなのだろうか。
優太の父親。すなわち琥珀の相手ということになるのだけれど。その人がどんなやつなのだと考えずにはいられない。琥珀を捨てたのか、捨てられたのか。どういうつもりでふたりを放っておいているのか想像も及ばない。
まさか。死別ってことはないよな。
いろんな考えが頭を駆け巡って聞くに聞けない。そこまで踏み込めない。これは昔っからの琥珀との距離感だ。
「ほんとに不思議だよね。立花さんにこんな大きな子どもがいるだなんて。っあ。ごめん」
不意に漏れてしまった本音は琥珀に嫌な気分にさせてやしないかとすぐさま謝ってしまう。
「あはは。そうだよね。私自身も不思議だもん。他の人のほうが不思議だよね。色々あったからねぇ。ほんと色々あった」
あれ? もしかしたら今なら疑問を問いかけてもいいのか。そんな雰囲気が漂う。
行けるのか。行けるのかと。自分に問いただす。
「あっ」
その自問自答も答えが出る前に琥珀が何かを思い出したかのように跳ねた。
「ねえねえ。なんか昔、あのアニメ好きだったって言ってなかったっけ」
そう琥珀が上げたのは有名アニメ映画だ。確かに好きだったし。高校生の頃に公開されて当時人気を博した。あまりに面白かったので調子に乗って琥珀に話をした記憶はある。でもそれを琥珀が覚えているとは思わなかった。
「その劇中曲とかどうかな?」
こんな感じだったよね。とメロディを口ずさむ琥珀に思わず見とれながらそれがバレてはいけないと会話を続ける。
「そういうのもありなのか」
なにかと思ったがスケート演技で使う曲の話を思い出したようだ。そしてそんな発想はなかったし、使っていいのもだとも思っていなかった。せっかく意気込んだ気持ちがしぼんでいく。
いつだってこうやってタイミングを逃す。無理矢理聞いてしまうのはなんだか違う気がする。だからいつまでも煮えきらないままなのだ。
「もっとお硬いイメージがあったな。クラシックとか、映画って言っても昔の有名なものに限られるとか」
「ふうん。確かにそんなイメージはあるかも? でも時代は移り変わってるのよ。着実にね」
そういうものだろうか。二十年そこら生きてきたけれどあんまり差がないように思える。教科書に乗っている出来事まで遡れば確かにそうなのだろうけれど。こんな数年で何かが変わることがあるのだろうか。
「そういうもん?」
「そういうもんよ」
「そういうもん」
良二、琥珀に優太くんが続く。その存在が時代の移り変わりの象徴だとも思えて、ひとり。たしかにと納得した。
練習終わり。琥珀が話しかけてきて動揺する。きっとこの前の香住が残した意味深なセリフのせいだ。
「曲って」
そう言われてからフィギュアスケートには曲がつきものだと言うことにようやっと気づく。
「どうするんだろ。そういえば」
それどころじゃないのは確かだ。滑るだけで精一杯の良二に曲に合わせて演技するだ、なんて芸当はできそうにない
「なんか好きな曲ないの? あんまり壮大過ぎるのは曲に置いてかれちゃうけど。映画で好きな曲とかあれば。そういうのでもいいんだ。なんか好きなやつない?」
そう言われても、あんまり気にして映画を観たこともない。曲に合わせてなにかするなんて生活の中で程遠いこと。何がいいのか困ってしまう。
「ピンとこない。逆にみんなどうやって決めてるの? 例えば立花さんとか」
「私? 私はコーチが決めてたなぁ。あなたはこれ。みたいな感じでいつも先回りされてた気がする。まあ、でもそれで気に入らなかったことはなかったから。私のことを気にしてくれてたんだなって思う。そっか、川島くんに合いそうな音楽かぁ」
琥珀はどうやら決めようとしてくれてるらしい。
「ママァ!」
見覚えのある子どもがそう叫びながら走って近づいてくる。間違いない。琥珀の子だ。
「あっ。優太。アリスちゃんも相手をしてくれてありがとうね」
「大丈夫。優太はおとなしいから」
そう言って優太と呼ばれた子の後ろからスッと姿を現したのは一緒に対抗戦に出ると自己紹介をしてもらったばかりのアリスちゃんだ。ハーフなのだろう。金髪に肌もずいぶんと白く見える。小学生と聞いた時は驚いたが、よくよく考えればフィギュアスケートをやってる人なんてみんな大人っぽい雰囲気を漂わせているものだろう。
まあ。きっと大きな偏見なのだろうが。
そしてそんなアリスちゃんが上里コーチの子どもというのだからそれもまた驚きだ。
「ほら。優太。あいさつしな。川島くんだよ」
「よろしくおねがいします」
促されるままに挨拶する優太は琥珀と似た部分を探すのが難しかった。であれば父親譲りなのだろうか。
優太の父親。すなわち琥珀の相手ということになるのだけれど。その人がどんなやつなのだと考えずにはいられない。琥珀を捨てたのか、捨てられたのか。どういうつもりでふたりを放っておいているのか想像も及ばない。
まさか。死別ってことはないよな。
いろんな考えが頭を駆け巡って聞くに聞けない。そこまで踏み込めない。これは昔っからの琥珀との距離感だ。
「ほんとに不思議だよね。立花さんにこんな大きな子どもがいるだなんて。っあ。ごめん」
不意に漏れてしまった本音は琥珀に嫌な気分にさせてやしないかとすぐさま謝ってしまう。
「あはは。そうだよね。私自身も不思議だもん。他の人のほうが不思議だよね。色々あったからねぇ。ほんと色々あった」
あれ? もしかしたら今なら疑問を問いかけてもいいのか。そんな雰囲気が漂う。
行けるのか。行けるのかと。自分に問いただす。
「あっ」
その自問自答も答えが出る前に琥珀が何かを思い出したかのように跳ねた。
「ねえねえ。なんか昔、あのアニメ好きだったって言ってなかったっけ」
そう琥珀が上げたのは有名アニメ映画だ。確かに好きだったし。高校生の頃に公開されて当時人気を博した。あまりに面白かったので調子に乗って琥珀に話をした記憶はある。でもそれを琥珀が覚えているとは思わなかった。
「その劇中曲とかどうかな?」
こんな感じだったよね。とメロディを口ずさむ琥珀に思わず見とれながらそれがバレてはいけないと会話を続ける。
「そういうのもありなのか」
なにかと思ったがスケート演技で使う曲の話を思い出したようだ。そしてそんな発想はなかったし、使っていいのもだとも思っていなかった。せっかく意気込んだ気持ちがしぼんでいく。
いつだってこうやってタイミングを逃す。無理矢理聞いてしまうのはなんだか違う気がする。だからいつまでも煮えきらないままなのだ。
「もっとお硬いイメージがあったな。クラシックとか、映画って言っても昔の有名なものに限られるとか」
「ふうん。確かにそんなイメージはあるかも? でも時代は移り変わってるのよ。着実にね」
そういうものだろうか。二十年そこら生きてきたけれどあんまり差がないように思える。教科書に乗っている出来事まで遡れば確かにそうなのだろうけれど。こんな数年で何かが変わることがあるのだろうか。
「そういうもん?」
「そういうもんよ」
「そういうもん」
良二、琥珀に優太くんが続く。その存在が時代の移り変わりの象徴だとも思えて、ひとり。たしかにと納得した。