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作者: 霜月かつろう
ないものねだり その7
「さて。今日は貸し切りだからね。普段できない練習をしていくよ。主にやらなきゃならないのはバックで滑れるようになることだ」

 上里コーチにマンツーマンで教えてもらうことになったのは他のみんなはある程度自分で課題を練習できるようになったからだ。逆に言えば良二だけまだその域に達していない。やはり出遅れた二ヶ月は大きかったらしい。

「バックですか? そんなに大事なんですかそれ」

 フィギュアスケートと言うものをロクに知らない良二からすればその重要性は分からない。

「そうだなぁ。とりあえず。じゃあ、見ててよ」

 上里コーチはそう言うと良二からスーッと離れていく。ある程度滑れるようになったけれど、あれを見せられると滑ることの次元が違うのを思い知らされる。でも、上里コートは脚をクロスしたり前に出したり後ろにしたり。上半身も動かしつつ滑っているがどうしても一辺倒で動きが少ない。普段こんな感じだったかと疑問に思ってしまうほどだ。

「今のがフォアだけで滑ってて。次ね」

 上里コートは一旦近づいてくるとそう言ってまた離れていく。その瞬間。顔がこっちを向いているのに身体がくるりと反転する。どう言った仕組みでそうなるかまるでわからないが、先程と全く違った印象を受ける。後ろ向きで滑るその姿にこそ見覚えがあった。

 それにバックで滑る姿のほうが様になっている。姿勢は低く迫力がある。後ろを向いているので身体にひねりが生まれ。スケートの独特の雰囲気が生まれる。そこから、前に反転。後ろに反転を繰り返していたりするのを見ればそれはもう演技に見えた。

「分かったかな」
「なんとなく分かりましたけど、全く出来る気がしないんですが」

 ようやく滑ることに慣れてきたばかりだ。それで後ろ向きに滑ろだなんて、横暴にも聞こえる。

「大丈夫。大丈夫。フィギュアスケートは後ろ向きに滑るほうが楽だから」

 言ってる意味が分からない。そんなはずはないと感覚的に理解している。

「要は試しだから。言った通りにやってみようか」

 有無を言わさず指導を始める上里コーチに慌ててうなずいて従う。

「とりあえず止まった状態でいいから靴をくっつけて。そう。そう。そしたらかかとを少し開いて。つま先とまでは言わないけど親指の付け根くらいに力を入れて膝をぐっと曲げてみようか」
「うわっ」

 ほんのちょっとだ。ちょっと力を入れただけで、後ろに滑り始めて慌ててしまった。かかとを離していたから足はどんどんと開いていきしまいには閉じることもできなくてそのまま耐えきれなくなってその場に座り込むようにして転んでしまった。

「ほら。よく滑るでしょ」
「ほらって。滑り過ぎですよ。なんでこんなに滑りやすいんですか」
「なんでってそうできてるからとしか。たとえばだけどフィギュアって六種類のジャンプがあるんだけど。そのうち何種類がバックから跳ぶか知ってる?」

 転んだままで質問される。立ち上がるのを手伝ってくれたりはしないのか。それにジャンプの種類だなんて知ったこっちゃない。ついこの前までフィギュアスケートとは関わりの無い世界にいたのだ。

「わかんないです」

 一旦、冷たいのを我慢して氷に座って四つん這いになってから片足ずつ氷に上に刃を立てていく。ズボンに着いた氷が削れたものを手で振り払う。

「五種類。ほぼ全部がバックから跳ぶんだ。当然その時に使うエネルギーが大きければ大きいほど高く、遠くまで跳べる。ジャンプするその瞬間に加速するためには必要なんだよ」
「それはわかりましたけど。どうすればいいです。転ばないようにするには」
「とりあえずは開き切る前に足を閉じる。ってことだね」

 おいおい。まさかの根性論かよ。これだから自然に滑れる人はこっちの気持ちを理解してくれなくて困る。

「おや。信じてないな。常に自分の制御下に足を置くことは重要だからね。無理矢理でもいいからとりあえずやるしかないかな」
「わかりましたよ。あとはひとりでやりますんで。他の人のところへ行ってください」

 言ってから邪魔者扱いしてしまったと気づいたが、特に気にする様子もなくそう。とだけ呟いてその場から離れる上里コーチに言い訳をするタイミングを逃してしまった。もやもやした感情をぶつけるように練習に取り組むしかない今はそう思うしかなかった。
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