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作者: 霜月かつろう
憧れのその先 その5
「あれ? 美鶴ちゃん、なんだか落ち込んでない?」 

 そう声を掛けてきたのは貸切練習前の琥珀さんだ。優太くんも一緒。お猿さんの人形みたいに両手を琥珀さんの腕に巻き付けてくっついて離れない辺りかわいい。ほんとに仲がいい親子だ。

 タイミングを逃してからは優太くんのお父さんについて聞けてない。聞くのが怖いという面もある。あんまり深入りしても気分を悪くさせたら嫌だなと気持ちもある。琥珀さんが話したくなって、それを聞くことができればいいな。なんて邪な気持ちも芽生えていた。

「ちょっと。両親と就職のことでモメまして」

 それは突然のことだった。練習帰りに急に家族会議のように座れと言われて。言う通りにしたら進路の話だった。

 口では心配してないとか、あなたのことだから大丈夫だと思ってるだとか、信じていると言いながら。どの業界にするのだとか、やりたいことはあるのだとか、よかったら知り合いに口をきいてやるとか。不安に思っていることが丸わかりな態度。
 実際やりたいことも、どうしていいのかも分からない。だから反論もできなかった。

 でも、周りを見ているとこれで両親に流されて紹介されたところに就職したらきっと後悔する。何人か友人の顔をも浮かべると、そんな予感に繋がる。彼女たちに胸を張れない人生にはしたくなかった。

「美鶴ちゃんそこんとこしっかりしてそうなのに、やっぱりあるんだ。そういうの」

 琥珀さんが驚いている。こうして接してみるとなんだか昔と喋り方も変わった気がする。なんだかおっさんみたいっていうか、その辺りって海藤さんの影響とかもあったりするのだろうか。随分と元気に笑うようになった印象はきっと優太くんの影響だと思っている。でも喋り方はきっと違うところからだ。そして、その影響を与えられる人を美鶴はあんまり知らない。

 もしかしたら優太くんのお父さんかもしれないしな。

「ええ。あんまりはっきりと決めないので心配しちゃったみたいで。そろそろ企業研究とかしたらどうだって」

 あまりにも過保護だ。そのくらいある程度は自分でやってる。

「あー。わからないでもないよ。きっと美鶴ちゃんのことが心配でたまらないんだよ。うちだってこの前、初めて優太を連れて帰ったんだけどさ。大変だったんだから」
「初めて連れて帰った?」

 初耳な情報だ。先日、ご両親の話をされているときは幼稚園がなんだって喜んでいた印象が強い。

「そうそう。家に帰るなり、母が優太を連れて出たと思ったら、父が大激怒。それも静かによ。静かにずっと怒ってるんだもん。嫌になっちゃう。最初からそう言ってるだろうとか。だから反対だったんだとか。ネチネチとホントいやらしかった」
「えっ。琥珀さんでも怒られることあるんですか?」

 美鶴としては驚くポイントはそこだった。琥珀さんが怒られている姿は想像できなかった。練習のときだってコーチは細かく注意するだけで。怒るみたいなことはほとんどない。

「当然あるわよ。っていうか怒らればっかり。でもね。怒ってくれる人がいるのって幸せなんだなって最近思うよ。だれも怒ってくれなくなったらそれはそれで誰も見てくれないんだってことになっちゃうから。怒ってくれる両親にもコーチにも海藤さんにも感謝しなきゃね」

 そこで海藤さんの名前が上がる理由が分からなくてせっかくのいい話が頭にスッと入ってこなかった。

「海藤さんですか?」
「おーい。ふたりとも製氷終わったぞ。練習開始だ」

 噂の海藤さんが相変わらず引率の先生みたいに声をかけてくれる。

「ね。怒ってくれるでしょ」

 確かに。怒るというより叱っている感じだけれど、気にかけてくれているのは確かだ。

「ほんとですね。ありがたいです」
「じゃ怒られる前に行きますか。ほら優太は上里コーチのところに行きな」

 練習時間には優太くんは上里コーチに預けられる。その様子を見ているとまるで優太くんのお父さんみたいだ。

 そういえば上里コーチの奥さん。つまりアリスちゃんのお母さんは見たことがない。スケートに関係がない人だから様子を見に来ないのかな。一度気になってしまった疑問はそう簡単に消えてくれそうにない。

「海藤さん。そう言えば、まだ来てないもうひとりって誰なんですか」

 琥珀さんが氷に乗る前に海藤さんに質問する。その質問が転校生を気にする生徒みたいでやっぱり海藤さんは先生にしか見えなくなってしまった。

「ああ。あいつな。商店街ではパソコン教室をしているやつなんだが、こんど首輪でもつけて連れてくるよ」
「困った人なんですね」
「悪いやつじゃないんだがな。でも大丈夫、俺のお願いは断れないはずだから」

 今度は悪そうな顔をしてにやりといしている海藤さんに琥珀さんが笑っている。その光景により一層、足をひっぱれない。そんな気持ちが強くなった。
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