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作者: 霜月かつろう
意味のあるバトン その5
 何度も滑ったし、演技をしたことがある。だからこそ、どれだけ琥珀ちゃんがすごいかは見当も付かなかった。それはいとも簡単に難しいことをやってのけているからでもある。

 路上パフォーマーなんかは成功率の高い演目をわざと大袈裟なことを言ったり、失敗しそうな演出をしてその場を盛り上げる。本当に失敗なんかしたらその場の空気感がだだ下がりになるのだから。早々無茶なことはしないはずないのにも関わらずだ。

 不思議なものだ。テレビで見たことがあるからとか、他にも何人もやっているのを見ただとか。そんな理由で、自分が到底出来ないことに対してもすごいと言う感情を忘れる。そして忘れさせている人たちがいる。

 琥珀ちゃんはそこを目指していたのだろう。すべての動きが自然に見える。私にとってこの動きは普通のことなんです。そう言えるだけの研鑽を積み重ねてきたのだろう。

 すごいことをやっていないから、もっと演技に注目して欲しい。ほんの数分の間でいいから目に焼き付けてほしい。そう思わせるものがある。
 言ったって全部素人目線からの感想だ。ただ、そう感じさせる理由がもうひとつある。

 アリスだ。

 彼女の滑りは琥珀とは逆。アリスの滑りはパフォーマーのそれだ。華があると言い換えてもいい。彼女が滑るだけで場が湧く。その一挙手一投足から目が離せなくなる。

 アリスが滑るとスケートリンクそのものがアリスの空間になる。世界は広がり、巻き込み、アリスに魅了される。

 同じように観客を魅了するのだけれど、受ける印象は全く違う。そんなふたりを同時に抱えて今度の対抗戦に挑むのだ。勝てると思っていたが、まさか自分が怪我をしてしまうとは考えるだけで申し訳なくなってくる。

 彼氏か。

 そのことを認めれば少なからずとも一歩は進む。どこまで仕上げられるか分からないが、上里くんのことだ。どうにかしてくれる。そんな期待はある。

 実のところコーチとして有能と言う話は聞いたことはない。でもそれはまだ若いからだと判断している。それは上里くんの元で動いてきて思っていることだ。人当たりはいい。面倒見もだ。もしかしたらそこが厳しくなれなくて子どもたちが伸び悩むなんてことがあるのかもしれないが、一時的なものな気がした。

 彼は決して甘いわけじゃないから。

 やるべきことのプロセスは見えており、その指示も的確。それは一度だけ見せもらったびっしりと書き埋められていたノートを見れば一目瞭然だ。

 たかが、本職でもない商店街の対抗戦のためによく尽くしてくれると思う。決して高くはない謝礼金はある。しかし、それは彼の実力からしたら微々たるものだ。
 それなのに手を抜かないんだもんな。

 頭が下がる想いだ。上里くんがいなければこうやって対抗戦を続けることもできなかっただろう。ふらりとこの場所に現れた彼は学にとって救世主みたいなものだ。
ふと、思い返す。そう思えば上里くんだって琥珀ちゃんと同じ様にスケートリンクの前で中に入ろうともしないで突っ立っていた。

 あの頃のアリスは優太より大きかったが、思い返せば思い返すほど琥珀ちゃんと似たような状況だったんだ。

 違うのは上里くんはもうコーチとしてこの辺りに引っ越してきたと言う辺りか。詳しい話は聞いていないが上里くんの奥さんの紹介で縁があったと聞いている。でも、アリスちゃんのお母さんらしい人物に心当たりはない。それは周りの人達に聞いても同じだった。

 謎といえば謎だ。でも、それはみんな同じだ。

 それらをひっくるめて受け入れる覚悟を商店街を立て直すと決めたときにしたはずだ。それがブレたことはない、と思っている。

 ふう。であれば彼氏くらい受け入れろと高田さん辺りに言われそうだ。

 動かないスケートリンクは寒い。吐いた分、息を吸い込むと肺が冷たさで悲鳴を上げる。そう言えばここでゆっくりすることなんて始めてかもしれないな。

 縁もゆかりもない場所だったのに、商店街対抗戦の担当になったばっかりに一番人を集められないフィギュアスケートをやることになった。自分でやると言い出さなければ誰も参加してくれないのだから仕方ないことではある。

 学が参加しなくてもこうやって練習に来てくれるみんながいるのであればそろそろバトンタッチの時期なのかもしれない。であればだれに渡す。

 美波の彼氏?

 真っ先に信じられない候補が頭に浮かんで自分のことながらうろたえてしまった。ありえない。相手が誰かすら見ていないんだ。論外だ。

 筆頭は川島だ。まだまだひよっこだけれど、やることはやる。開催しているパソコン教室は好評だったりする。しつこく聞いても文句を言わない。丁寧に教えてくれる。若いこと話せて元気が出る。

 評判は上々だ。このままパソコン教室をしていくわけにもいかないだろうけれど。WEBデザイナーになりたいといっていたので、そのうち事務所でも構えればいいと思っていたりもする。

 その川島は練習を続けているがいかんせん始めたばかり、参加するのが遅かったのもあって苦戦している。そこは自業自得なので頑張れと応援するだけだ。このあたりは適当でいいのも楽でいい。期待も持てる。

 ふと。一生懸命練習している美鶴ちゃんが目に入ってきた。巻き込んだのはこちらなのに、こんなことになってしまった。謝るなら自分の方だなと謝りたいのはこっちの方だと思う。それを伝えたところで分かってはくれないのだろう。

 でも一生懸命やっているのを見て少しだけ肩の荷が下りた。夢中になれることがあるのであれば気に病むこともないだろう。いや、気に病まないようにしてあげなきゃいけないんだ。そのためにここにいるのだから。

 このメンバーのためにも早いところもうひとりのメンバーを用意しなくてはならない。そう焦れば焦るほどまだ見ぬ美波の彼氏を思い浮かべようとする。
 囚われ過ぎだな。

 若い頃の恋愛と似ているなんて少し思ってしまい、いやいやそれは流石にないだろうなんてひとりで否定したりもする。まったくもってなにをしているのか自分でも嫌になる。

 まさか、こんなにかき乱されることになるなんて、思ってなかった。

 娘って言うのはいつだって父親をかき乱す。ありのままの自分ではいさせてくれない。そうため息を深くついて。吸い込んだ空気の冷たさをもう忘れていると気づき、自分を戒めるように大きく深呼吸をしてみたりした。
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