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作者: 霜月かつろう
キミのことが分からない その4
 寒くなったと思ったら突然だものな。体調を整えるのも大変で選手たちの管理も大変だった。氷の上でずっと練習できるのが一番なのだけれど生憎そんなことも言ってられない。そう文句も言いたくなるくらいにはスケートリンクの練習時間は限られている。

 だからどうしたって陸上での練習が増えるのだけれど、中と外の温度差は体に良くない。汗をかいたまま氷の上に行けば冷えすぎてしまうし、ちゃんと汗をかかなければ体はうまく動かない。

 だからようやく普段通り寒くなってくれてホッとしていたりもするのだ。

 スケートリンクへの道のりはひとりきりだ。アリスの出番は後の方だし付き合わせても本番に影響が出るとまだ家でゆっくりしてくるように言ってある。

 大会本番の朝は早い。選手もそうだが、コーチ兼監督だってやることは多い。全員の出席確認やら滑走順やら、曲の提出、ほかのコーチや役員へのあいさつ。ただ、対抗戦はその辺りがすっぽりと抜けているから気は楽だ。

 選手や元選手は三分、商店街のみんなは二分。五人ずつの計十人が滑るだけ。隙間なく滑れば二十四分の短い時間。普段の大会からしたら随分と贅沢なスケートリンクの使い方だ。

 ただ実際はそんなことはなくて、本番前の練習時間、滑走と滑走の間もあるから一時間以上はかかる。

 先攻後攻があり、先攻はこちら。滑走順は立花さん、川島くん、笹木さん、望月くん、アリスの順番だ。交互に滑るので間に相手方の選手が滑ることになる。本番前の練習も立花さん、商店街の三人、アリスの前に入るので計三回だ。

 スケージュールを頭の中で確認しながら自分の動きも合わせて確認する。それぞれ気を付けて欲しいポイントが違うのでそれも踏まえながら言葉にも気を付ける。メンタルが大事なこともあって言葉は慎重に選んでいるつもりなのだが、正解なんて導き出せているかは永遠の謎だ。ずっと考えていかなきゃいけないと思っている。

「ヨシキー」

 スケートリンクの前で手を振ってこちらに近づいてくる懐かしい顔にどんな表情をしていいのか分からずに真顔で近づいてくるのを待ってしまった。

「相変わらずクールね。もうちょっと喜んでくれてもいいと思うの」

 海外にいたというのにちっとも衰えない日本語はなんなのだろうか。スケートばかりやっていたのにちゃんと聡明なんだよな。と自分の妻ながら不思議に思う。

「アリスはー?」
「まだ家だ。わかってるからここにいるんだろう」

 結局全部、彼女の手のひらの上。それはであった頃から変わらないのでもう慣れた。だから先回りもできる。

「ふうん。ま、いいや。まだ時間あるんでしょ。アリスのこと聞かせてよ」
「ああ。わかったよ」

 スケートリンクの周りにはそれなりに広い芝生エリアがある。寒空の下だが移動する時間もないので適当なベンチへとふたりして腰掛ける。

 久しぶりに会えば話すのはアリスの事ばかり。そんなことなら離れなければいいと思うのだけれど、自分のやりたいこと。そしてなによりアリスの選手としての成功を願い続ける彼女としては今のやり方が最善なのだと言う。

 思えば彼女の生活の中心はいつだってスケートだったように思う。そんな人がなぜ自分に惚れたのか。それはいまだに聞いても分からなかったりする。なんというか抽象的な答えが返ってくるのだ。それも日本語に変換できないらしく、よく分からない擬音を並べられたりもする。芳樹としても大会で見てから気になっていた存在だったのもあって、付き合ってから結婚まではあっという間だった。お互い選手生活の境目だったと言うのも大きい。

 ほどなくしてアリスが生また。そのアリスも当然のようにスケートを滑るようなったし、親ながらに才能の塊だと思ったものだ。でもそんなアリスの壁は思った以上に近かったし高かった。

 それが偉大過ぎる母親の影響だと分かった時、彼女は迷うことなくアリスのもとを離れた。それが正しかったかどうかは分からないが、アリスはめきめきと実力を上げていったのは確かだ。

 同時に今の場所に引っ越してきてこのスケートリンクでコーチをする様になった。ほんの数年間の話だ。あっという間だったし、なんならこの半年はさらに忙しかった気がする。

 立花さんと言うコーチの追加。対抗戦への熱の込め方。併せて事件みたいなことも舞い込んだりした。その辺りの話を彼女は嬉しそうに聞いている。

「ヨシキが楽しそうでなによりね」
「そう思うのか。俺としては大変なことばかりなんだけどね。アリスも最近は何考えているかわからなくなってきたし。ちゃんと親を出来ているか不安なことばかりだよ」
「大丈夫よ。ワタシよりちゃんと親をしてるから」

 それを自分で言わないで欲しいのもあって微妙な表情をしてしまった気がするのだが、彼女はそれに気が付いた様子もない。

「さ、そろそろ行く時間ね。ワタシは上から観てるからガンバって」
「頑張るのは僕じゃないよ」
「そんなことないのは一番わかってるのに、そう意地悪なこと言わないでガンバって」

 思わず笑みがこぼれる。そのまま別れると、みんなが準備運動しているであろうリンクの中へと向かった。
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