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作者: 風森愛
R-15
動物園
 十一月十日 午前四時三十八分

 神奈川県と接する東京都南部にある町沢まちざわ警察署は喧騒と静寂を行き来していた。

 四階の明りの消された廊下の先にある、ぼんやりとした灯りの漏れる会議室へ向かっているのは、俺と相澤あいざわ裕典ゆうすけ武村たけむら雅人まさとの三人。

 今日は、十一月十二日から神奈川県横浜市を拠点として数ヶ月に渡る活動・・をするための初回の会議が予定されている。

 この会議室に集まるのは、俺と相澤を含む所轄の違う男性警察官三名と、管理職を含む所轄の男性警察官五名と女性警察官二名の計十名のみ。
 会議室にはすでに所轄の四人いて、俺たちが入室した後すぐに、管理職の二人が入ってきた。

 午前四時五十三分。予定より早く会議が始まった。


 ◇


 俺は管理職の話を聞きながら、会議のメンバーを眺めていた。
 ゴリラ、反社、ホスト、熊、もやしっ子、清楚系、ギャルの捜査員に、管理職はチンパンジーとインテリヤクザだ。
 どこの所轄でもそうだが、公務員とは思えないメンツを見慣れてしまっている自分が、たまに哀しくなる時がある。

 もやしっ子の武村は、一言一句聞き逃さまいと管理職の言葉に耳を傾けている。二十四歳の武村は、この所轄の交番勤務だ。事務処理能力を買われてメンバーに加わっている。
 今年で三十四歳になるゴリラの相澤は、ギャルの加藤かとう奈緒なおと同期だ。久しぶりに会ったようだが、加藤が化粧をしていない時の顔を知っているからか、本人だとは信じられない様子でギャルの加藤を穴が空くほど眺めている。
 清楚系はギャルを見ているゴリラを見ている。あの目線は色恋沙汰になりそうな気配がするが、当のゴリラは全く気づいていない。
 そしてゴリラを見ている清楚系とギャルを、熊が交互に見ていた。

 なんだこの動物園は。
 職場で惚れた腫れたなんて面倒だろう。

 ――俺がそうだった。だからお前らやめとけ。

 俺とデキ婚した奴は俺と同じ所轄の一つ下だった。奴から誘われ、双方共に『遊び』だった。だが何度か体の関係を持った後、妊娠を告げられた。避妊はしていたが失敗したのだろう。
 産むか産まないか、両家で話し合いもした。でも奴が産みたい、結婚したいと言ったから、俺は責任を取った。
 当時は親父も存命で所轄の副署長だったから、結婚式の規模はそれなりのものになった。

 子供が産まれた時は幸せだった。子供の顔を見たら、優衣香ゆいかを過去のことだと思えるくらい、それくらい、子供は可愛かった。子供が全てだった。
 だが、その子供は俺の子ではなかった。それがわかった時の感情は、人間が抱いてはならない残酷で非情なものだった。

 俺は協議離婚ではなく裁判離婚を選んだ。完全に私怨だ。怨みを原動力に金をかけて裁判を起こし、慰謝料請求をした。
 確定した慰謝料は五百万円だった。だが奴は親に払わせた。俺と両親に土下座して謝罪した親に払わせた。奴は、俺と離婚した後に警察を辞めた。神経が図太ければ警察を辞めなかっただろうが。

 裁判離婚によって、俺に過失のない離婚であることは証明出来たが、戸籍を汚しただけでなく、俺は退官するまで『托卵たくらん松永まつなが』と陰で呼ばれる羽目になった。若い奴らはそれを知らないが、悪意を持ってバラす奴はいる。このインテリヤクザがそうだ。だから、ここの武村は知ってるだろう。

「松永、お前その目つきといい、完全に入り込んでて凄いねえ」
「ふふっ、ありがとうございます」

 ――お前程じゃねえよ、クソが。

 管理職のインテリヤクザこと米田よねだから声がかかった。髪型はオールバックで眼鏡をかけ、仕立ての良いスーツを着ている。カフスボタンを付けたワイシャツの袖口に高級時計が見える。
 日本人なら誰もが知る高級時計ではなく、興味がない人には何のブランドかわからない高級時計だ。そういうこだわりを持つ面倒くさいインテリヤクザは、眼鏡の向こうにある爬虫類のような目で、いつも俺を蔑んでいる。

 ――少しは隠せよ。

 米田が俺に絡んだことで、会議の合間の一休みとなった。動物園のメンバーと刑事課長のチンパンジーは睡眠不足で疲れが見えるが、この米田だけは元気そうだ。


 ◇


 資料が配られた。俺が公用車で覚えたあの文字列に追加して覚える文章だ。
 制限時間は五分。
 皆真剣に文字を記憶している。俺はそんなに苦ではないが、ゴリラの相澤は苦手だ。だいたい俺がいつも確認してやっている。もやしっ子の武村は真剣だ。おそらく大丈夫だろう。

 刑事課長の回収の声で武村が資料を集め、バケツに張った水に沈めた。

 思ったより時間がかからなかった会議は、午前七時二十分に終了した。
 この会議によって決まったことは、俺とゴリラの相澤が女性捜査員とペアを組むことだった。
 俺と清楚系、ゴリラとギャルだった。俺にギャルの加藤奈緒が付いた方が今の外見を変えずに済むのだが、米田には何か意図があるのだろう。

 まあいいか。清楚系がゴリラの相澤と恋仲になりたいと真剣に思っているのなら、相澤に相応しい相手かどうか判断するいい機会だ。俺は全力で妨害するけど。

 清楚系の名前は野川のがわ里奈りな、ここの所轄の二十四歳、武村と同期だ。

 会議終了後、俺の元へ近寄ってきた野川は俺の見た目にたじろぎ、小さな声で宜しくお願いしますと言った。俺はこちらこそ宜しくと返事をし、一緒に会議室を出た。


 ◇


 暗い廊下を階段に向かって歩いていると、野川が俺の前に出て振り返りながら言った。

「あの、お聞きしたいことがあるんですが……」
「どうぞ」
「どうして、私なんですか? 私は、その……松永さんのことをあまり知らないので、なぜ私が選ばれたのか、疑問というか……」

 ――俺だってそう思ってるよ。

 口元を緩めた俺を見て、野川は視線を下に落とした。

「俺より相澤の方がいいんでしょう? ふふっ」
「ち……違いますっ!」

 俺の言葉を聞いて顔を上げた野川は、多分、顔を真っ赤にしてる。暗くてよくわからないが。

 ――わかりやすいな。

 この反応を見る限り、相澤に対してまだ本気とまではいってないようだ。
 相澤の見た目はゴリラで十歳も年上なのに、若い野川がゴリラを気に入るのは目が利くんだなとは思うが、俺はこの小動物を見てると不安しかない。

「俺と相澤は官舎で同室なんだよ。仲良いから。覚えておいて」
「え?」
「じゃ、明後日十時に石川町駅で待ち合わせね。今日はゆっくり休んで」
「……はい」
「ああ、俺とペアになった理由は上に聞いてよ。俺が決めたんじゃないんだからさ」

 俺はそう言って、野川を四階に残して階段を降りて行った。

 二階まで降りた所で駆け下りてくる足音が耳に入った。階上を見上げると相澤が俺を呼んでいる。

「松永さん! 久しぶりに隣のコンビニでソフトクリーム食べましょうよ!」

 相澤は、ジャスミンティーとチョコレートのソフトクリームが好きだった女が忘れられない。だからその女と雰囲気が似てる女としか付き合わない。
 野川は似てる。だから不安しかない。相澤は同じことを繰り返すから。

「なあ、客で溢れ返る朝のコンビニでソフトクリーム頼むってバカなの?」

 その言葉に頬を膨らませる相澤に、俺は笑いながらため息を吐いた。




 
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