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作者: 風森愛
R-15
それぞれの思惑
 十一月二十二日 午後一時三分

「私の不徳の致すところにより、加藤様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」

 俺は今、捜査員用のマンションの廊下で土下座している。
 俺が何も考えずに言った言葉に反応した加藤が悪いんだ、俺は悪くない、と言いたいが、そんなことは言えるわけもなく。

「謝罪があった、という事実は覚えておきますので、どうぞお立ちください」

 ――あ、これ許すとは言ってないやつだ。

 見上げるとそこには仁王立ちする加藤がいた。ノーメイクで髪の毛を下ろしてジャージを着ているせいか、いつもよりちょっと怖い。
 彼女のことを何も知らない人が見たら上品な笑みに見えるが、狂犬加藤を知っている俺にとっては怖くてたまらない。

「私が留守番をいたしますので、葉梨とお昼を食べに行けばよろしいかと思いますよ」
「あ、はい。そうさせて頂きます、スミマセン」


 ◇


「加藤さんはなぜ怒ってらしたのでしょうか」

 加藤から許可が下りて逃げるように葉梨とマンションを出て、すぐに葉梨は聞いてきた。
 男同士の会話だからそのままを言ってしまえるが、加藤の返しを言うべきか悩む。俺よりも段階を上げた加藤の返しは、加藤自身の品位に関わることだ。いや、自分で言っていたのだから品位も何もないが。

「うーん……」
「あ、いえ、いいんです、いいです、聞きません」
「いや、話すよ」

 葉梨にコーヒーを噴き出した一件を話した。加藤の返しは言わず、俺が言った言葉だけを言ったのだが、葉梨の反応が想定外だった。

 ――なんで耳赤くしてるの?

 生活安全部と言えば無修正モノの摘発もあり、そんなものは見慣れているだろう。見慣れているというより、映像の確認をしている間に『複数人の人体と臓器』としか思えなくなってしまう。それ以外にも風俗店の管轄も生活安全部だし、いろいろと慣れているだろうに。

「あの……見えてはいなかったんですよね?」
「えっ?」

 ――もしかして野川のパンツ?

「あ…うん、見えてないよ。エレベーターで上がったし」
「そうですか」

 俺は思い出した。そうだった、この熊は野川のことが気になっているんだった。


 ◇


 美容院の帰り、野川はエレベーターを使わずに階段を下り始めたが、俺はそれを横目に見送りに来た弟と話していると、残り三段の所でポンコツ野川が足を踏み外して転げ落ちて行った。
 俺は急いで駆け下りて野川に手を貸したが、『大丈夫です』と大きな声で言うものの、膝から若干の血が出ていて、立ち上がった野川は辛そうにしていて、歩かせるより俺が野川をおんぶしようかと思ったが、日中の元町商店街や中華街の外れでそれをすることも出来ず、野川は五センチの履き慣れないヒールに怪我した足でどうにか捜査員用のマンションに行った。

 その時、マンションにいたのは野川と同じ所轄で刑事課の反社ヅラの本城ほんじょう昇太しょうたと、この熊の葉梨はなし将由まさよしだった。そこに胡散臭いサラリーマン風の俺だ。
 まるで組事務所を訪れた女衒と売られた女の様相だったが、二人は野川の怪我を知ると甲斐甲斐しく世話を始めた。
 熊はマンションを飛び出してドラックストアに行き、数日間着けたままで傷の治りを早めるタイプの高い絆創膏を買ってきた。

 戻ってきた葉梨は椅子に座っている野川にひざまずき、水を張った洗面器を傍らにタオルで傷口を洗おうとしたが、伝線したストッキングをどうするか躊躇した。
 それを見ていた野川が、『私!ストッキング脱ぎます!』と高らかに宣言し、椅子から立ち上がりおもむろにスカートの中に手を入れたのだ。
 その至近距離にいた熊の葉梨は立ち上がって野川に背を向けた。もちろん俺もそうしたし、反社の本城は手のひらで高い絆創膏を温めながら背を向けた。
 組事務所に来た売られた女という設定のはずなのに、脱ごうとする女に反社と組員と女衒が背を向けるとはどういうシチュエーションなんだと俺は思ったが、この葉梨は耳を赤くしていた。


 ◇


「葉梨は清楚系が好きなの?」
「えっ……まあ」

 葉梨は相澤よりも背が高い。身長一メートル八十五センチだという。俺よりちょっと低いが、体格はいい。どうして相澤も葉梨も『小さくて可愛い』タイプが好きなのだろうか。俺は小柄な女性は苦手だ。視界から消えるから。

「野川はお前みたいな体格がいい男が好きみたいよ」
「えっ……そうなんですか」

 その言葉に少し頬を緩めた葉梨だが、聞き捨てならない言葉を続けた。

「でも俺は加藤さんみたいな女性がいいです」

 ――マジかよ。狂犬なのに。

 だが俺は加藤と相澤をくっつける為に七年も苦心して来たのに、葉梨という思わぬ伏兵に愕然とした。

「加藤が好きってこと?」
「……そうですね。特にスーツ着てる時の加藤さんが好きです。さっきのジャージ姿もカッコいいと思いました」
「……そうなんだ」

 ――強い女が好き。

 庇護欲を掻き立てられるような弱い女じゃなくて自分と対等な女がいいと言うことか。
 葉梨と加藤の出会いは二年前の飲み会だった。その際に加藤は葉梨の仕事ぶりを認めたと言っていた。
 だがこれまで狂犬加藤を畏怖の対象にすることはあっても恋心を抱くチャレンジャーなどいなかったのに、葉梨は加藤を好きになったと言うのか。さっきの狂犬加藤には後退りしてたのに。

 相澤と加藤はこの前何かがあった。相澤はどうするのだろうか。
 俺がこの七年にやって来たことは、相澤に女が出来ると会う時間を減らす妨害をするだけだった。加藤から何も言うな、するなと言われている以上、俺がやってやれることはそれぐらいだった。だが、俺はもう疲れた。
 俺は托卵したあのクソ女からぶん取った賠償金の五百万はその妨害に使ってきた。その金はそろそろ尽きる。加藤がどうにかしないのなら、相澤がどうにもしないのなら、もう俺は手を引く。

「加藤とデートしてきたら? 俺が言っておくよ」
「えっ!?」
「あいつは男いないし、お前なら問題ないよ」
「…………」
「ん? 嫌なの?」
「いえ、嫌ではありません」
「そう。なら加藤に言っておくよ」

 喜色を隠しきれない葉梨が微笑ましいなと思ったが、加藤はどう思うのだろうか。まあいいか。俺はお膳立てするだけだ。


 ◇

 マンションから徒歩五分の所に中華屋がある。そこは中華街の中心部だが入り組んだ路地の先にあり、昼のピークタイムでも客は少ない。
 カウンター席六席とテーブルが三つの店で、加藤が気に入って俺に教えてくれた店だった。
 入店してテーブル席に案内され、日替わりランチを注文して待っているが、コップに注がれた水を飲み干すと、すかさず葉梨が注いでくれる。

「加藤とデートだけど、葉梨はしたい? 言い出したのが俺で仕方なくって思ってるなら、俺は加藤に言わないけど」
「いえ、嬉しいです。お願いしたいです」

 ――嘘はついていない。

 加藤は相澤を警察学校時代に好きになった。だが、相澤が『小さくて可愛い女』が好きだと知り、ずっと恋心を悟られないようにしていた。
 俺は加藤の恋心を知った七年前から、相澤に女が出来ると加藤に知らせていた。そうすると加藤は何かしていたようだが、何をしていたかは知らない。
 それから七年経っても二人は同期の関係以上になっていないから、作戦は毎度失敗しているようだ。

 加藤には幸せになって欲しい。だが、それが相澤では無理なら、この葉梨でもいいのではないか、俺はそう思う。
 加藤が男性捜査員を見込むのはこれまでになかったことだ。もしかしたら加藤にとっては、何か考えがあったのかも知れない。俺はこの熊を直接は知らないが、有能な捜査員だと聞いている。

「加藤のことをいいなって思ったきっかけって何?」

 その問いかけに葉梨は一瞬目線を彷徨わせたが、話し始めた。
 葉梨は二十一歳の時に大学一年生の女の子を紹介されて付き合い始めたが、その付き合いは十年を迎える頃に終わった。
 彼女が大学を卒業して民間企業に就職後、何度も葉梨は結婚の話をしたが、彼女は仕事を理由に先延ばししていたという。そのうち彼女の心が離れていると気づき、葉梨は関係を終わらせたという。

「加藤さんは美人ですから、初めてお会いした時はびっくりしましたけど、その時はまだ彼女と付き合っていたので何とも思わなかったです。でも別れた後、加藤さんが俺のことを『いい男』だと言ったんです」
「えっと、一人の女と十年付き合った男だから?」
「ああ……加藤さんには彼女の詳しい話はしてません。ただ別れたとだけ言いました」
「……ん?」
「俺もよくわからないんです。でも、加藤さんにいい男だと言われて嬉しくて……」

 加藤が葉梨をいい男だと言った理由は何だろうか。まあいい。加藤に聞けばいいか。


 ◇


 マンションに戻ると、身支度を終えた加藤が女性捜査員用の部屋から出てきた所だった。

「ああ、おかえりなさい」
「ただいま戻りました!」
「……戻りました」

 廊下の右手にあるその部屋を出た加藤は、相澤好みの清楚系ではなく、葉梨好みの服装をしていた。
 黒のジャケットに白いシャツ、黒のタイトスカートで黒のストッキングを履いている。大ぶりのゴールドのピアスをし、髪型は夜会巻きだった。
 その姿に俺は視線を彷徨わせてしまい、それを見た加藤は目を細めて『なんですか?』と言うが、正直に答えたらまた土下座することになるから黙っていた。
 だがその時、またもや救世主、葉梨はなし将由まさよしが降臨した。

「加藤さん! キャリアウーマンみたいでカッコいいですね!」

 ――救世主ナイス! 人類は救われた!

「松永さんは違うモノを想像していたご様子ですが」
「……そんなことはありませんよ、何をおっしゃいますか加藤さん。デキる女、といった雰囲気で素敵です。私も、加藤さんのそのお姿が素敵だと思っていますよ」
「……そうですか、ありがとうございます。相澤はこの姿を見て、『女教師モノ』と言いましたけどね」

 ――マジかよ、あのゴリラ最低だな。俺もそう思ってるけど。




 ― 第2章・了 ―
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