R-15
雪の降る日
十二月二十二日 午前十一時八分
窓から見える景色は、昨晩から降り続く雪で白く染まっていた。風もなく穏やかに降り続ける雪を見つめているうちに、時間を忘れてしまいそうになる。
俺は窓辺に立ち尽くしたまま、ぼんやりとその光景に見入っていた。外の世界はまるで別世界のように静かだ。
インターホンが鳴り、モニターの前に行くと画面に須藤さんが映っていた。
玄関へ行き、鍵を開けて須藤さんを中に入れて、俺は頭を下げた。
スリッパを出し、須藤さんの後を俺はついていく。
リビングへ入ると、コートを脱ぐ須藤さんを横目にコーヒーを淹れに俺はキッチンへ行った。
パイプ椅子を引いた音がして、パイプが軋む音がした。
――今日は、砂糖が、いるはず。
インスタントコーヒーをカップに入れ、ポットのお湯を注いでトレーに乗せた時、須藤さんの声がした。
「山野がな、セクハラがあった、と言い出した」
その言葉に俺は口の端を上げて、トレーを持ち上げて振り向いた。
リビングに入り、須藤さんと目が合う。
「もちろん、俺に、ですよね?」
◇
山野とペアで外出した四回目のことだった。
緊張しているような、怯えているような、そんな目を山野はしていた。
何かあるな、と思っていたが、外出すると体を寄せて来ることが多く、俺は警戒をしたが、特に何もぜず山野のやりたいようにやらせていた。
その日、俺が山野に触れたのは二回だった。
話す俺を歩きながら見上げていて、電柱に気づかなかった山野の肩に触れてぶつからないようにした時と、俺が山野を見失ってしまい、山野が逆方向へ行こうとしている姿を見つけた時、山野に走り寄って腕を掴んだ時の二回だった。
◇
「俺に何されたって言ってました?」
「暗がりに連れ込まれて服の上から触られた、と」
「そうですか。厚手のコート着てるのに?」
「んふっ……やってねえよな?」
「動画がありますけど、見ます?」
「えっ……?」
俺は須藤さんに、山野と外出する時は複数人で俺たちを尾行させ、動画を撮らせていたことを話した。山野は何も気づいていない。
「米田は、どうしてこんなに俺を恨むんでしょうね、ふふっ」
「もう十年も経ってんのにな」
「米田の女っての、全く記憶がないんですけどね」
「言うなよ、絶対にそれ本人に言うなよ?」
「ふふっ……ふふふっ」
須藤さんは砂糖とミルクを入れた小さなカゴに手を伸ばして、砂糖を取った。
――やっぱりね。
須藤さんは砂糖とミルク二個をコーヒーに入れてかき混ぜている。
「俺が外れればいいんじゃないですか?」
「いや、お前以外にもさ……いろいろ上がってんのよ」
――米田も潮時、ってことか。
「ま、敬志の動画が役立つよ」
「そうですか」
俺もコーヒーカップを手に取り、湯気の向こうの須藤さんに笑顔を向けると、須藤さんは横目で俺を見て、口元を緩めた。
だが、コーヒーを一口飲んだ須藤さんの言葉に驚いた。
「なあ、奈緒ちゃんと葉梨って、意外なんだけど」
――相変わらず食えない奴だな。
「えーっ、なんのことですかー?」
「教えてよ」
「ダメです」
「もー!」
◇◇◇
同時刻
加藤奈緒は自宅にいた。
町沢署から捜査員用のマンションに戻るために電車に乗ったが、積雪の影響で運行中止となり途中駅で降ろされた。
その駅から加藤の自宅まで三キロはあったが、相澤裕典と一緒に歩いて自宅まで行った。
「奈緒ちゃん、ここ、もしかして分譲?」
相澤は、濡れたコートをかけたハンガーラックをエアコンの前に移動させている加藤に話しかけている。
「そうだよ。ローン組むの、早い方がいいと思って」
「そうなんだ」
リビングを見回す相澤は、視界に入る殺風景なリビングをキョロキョロ見回し、困惑した顔をしている。
「あのさ、女の家なのに可愛げがないとでも思ってるでしょ?」
「……そんなことないよ」
「ふふっ、顔に書いてあるよ。ふふっ」
◇
「お風呂洗ってくる」
そう相澤に伝え、加藤は浴室に行き、シャワーを出してお湯に変わるのを待っていた時、相澤も浴室に来たことに気づいた。
「俺がやるよ」
「いいよ」
「寒いから奈緒ちゃん向こうに行って温かくしててよ」
「いいって」
「ダメだよ」
相澤はスラックスの裾を捲り、靴下を脱いで浴室に入って来た。加藤の肘を掴み『奈緒ちゃん、向こう』と頬を膨らませて言い、それを見た加藤は口元を緩めて『ありがとう』と言って、浴室を出た。
◇◇◇
同時刻
「あったかいお風呂に入りたい……」
「んふっ、そうだね」
本城昇太と葉梨将由は、近くのドラッグストアへ来たものの、積雪の影響で営業開始時刻を遅らせる旨の案内を前にしていた。
刑事課長の須藤諒輔が捜査員用のマンションへ来ることを松永から告げられ、二人は三十分間だけマンションから出るよう言われた。カップ麺のストックが無くなっていることに気づいた二人は、それを買うためにドラッグストアに来たが、ドラッグストアは営業していなかった。
「コンビニ、コンビニ行きましょう!」
「コンビニのカップ麺は高いよ」
「雪積もってるんすよ? いいじゃないですか、今日くらい!」
「ふふっ、そうだね。そうしよう」
◇◇◇
午前十一時五十分
風呂から上がった相澤は、加藤から渡されていた黒いTシャツにトランクス姿でリビングに戻ってきた。
「まだ体は熱いでしょ? 寒くなったらベッドに行きなね。電気毛布入れてある」
そう言って加藤は浴室に行った。
リビングに残された相澤は、加藤が作ったミートソーススパゲティとコンソメスープをリビングの小さなテーブルで食べ始めた。
リビング、ダイニング、見える範囲のキッチンを見回す相澤は、『奈緒ちゃんらしいけど……』と呟いた。
◇◇◇
同時刻
マンションに戻った葉梨と本城の二人はリビングに入り、何のサインも送って来ない松永を見てから須藤に挨拶をした。
「寒い中、悪かったね」
「ごめんね」
本城が手にしているマイバッグに視線を落とした松永は、『コンビニに行ったの?』と言い、本城が経緯を話した。松永は『今日みたいな日はいいかもね』と言い、キッチンへ向かった。
本城は買ってきたカップ麺をテーブルに並べ、須藤と笑い合いながらひとつひとつ眺めている。
葉梨は松永の後を追い、キッチンへ行くと、『俺がやりますから!』とやや大き目の声を出して、ポットに水を注ごうとしている松永に近寄った。
葉梨がもう一度、『松永さん、俺がやりますから』と言っている間、松永は葉梨の耳元で囁いた。
「チンパンジーに加藤のこと、バレてるよ」
◇◇◇
午後〇時四十三分
「うっ……」
洗面所の扉の前にいた相澤と、バスタオルを巻いただけの加藤は見つめ合っていた。
「なに? 寝てなかったの?」
「あ……うん……」
「なんでよ?」
そう言って加藤は、相澤の腕と首に触れ、眉根を寄せて『冷えてる』と言った。
「なんでここにいるの?」
「あ……遅いから大丈夫なのかなって思って……」
「……ああ、そういうことね。ふふっ」
加藤の含みのある言い方に首を傾げた相澤へ、『服着させてくんないかな』と言い、加藤は寝室へ向かったが、リビングに戻ろうとしている相澤を呼び止め、寝室へ来るように言った。
加藤はウォークインクローゼットで服を選んでいるが、相澤が寝室へ来ないことを不審に思い、廊下に出た。
廊下にいる相澤に、『ベッドで寝ないと殴るよ』と言うと、相澤はしぶしぶ寝室へ入って来た。
「奈緒ちゃん、さすがに奈緒ちゃんのベッドで寝るのはダメだと思う」
「なんでよ? 電気毛布は暖かいよ?」
「それはわかるけど……」
加藤は相澤を促し、ベッドの掛布団を捲った。
「ほら」
「うーん……」
「殴るよ?」
頬を膨らませて『わかったよ』と言いながら相澤がベッドに入ったことを確認すると、『髪の毛乾かしてくる』と言い、電気を消して寝室を出て行った。
◇◇◇
同時刻
コンビニの高いカップ麺とレトルトのご飯を食べた俺たちは、ダブルの炭水化物摂取による血糖値の急上昇と急下降を経て、全力で睡魔と戦っていた。
「寝よう。二十分、寝よう」
須藤さんがそう言うと、本城は目を輝かせて、葉梨を伴って仮眠室へ行った。
「敬志も仮眠室で寝ろよ」
「いや、いいですよ、俺はここで」
須藤さんに仮眠室へ行くように促し、リビングに一人になった俺はテーブルに突っ伏して昼寝を始めた。
――絶対に俺、寝言で優衣香の名前呼ぶもん。聞かれたくないもん。
優衣香の姿を思い出して、頬が緩んだなと思うと同時に、眠りに落ちた。
◇◇◇
午後一時十二分
部屋着に着替えて髪を乾かした加藤がそっと寝室を覗くと、相澤はベッドに座っていた。それを見て舌打ちした加藤は、ドアを開けたまま寝室の電気を付けずに相澤の元へ行った。それを見ていた相澤は立ち上がり、加藤に殴られないように構えたが、加藤は気にせず手を出した。
「痛っ! 離してよ」
加藤の両肘を掴んだ相澤は加藤を睨めつけ、ベッドに押し倒した。
両手首を顔の横に押さえつけ、二の腕も腕で押さえている。
相澤の足の間に加藤の足があるが、下肢も相澤の足で押さえつけられていた。
「奈緒ちゃんごめん。でもこうでもしなきゃ、奈緒ちゃんは話を聞いてくれないから」
相澤のその言葉に目を伏せた加藤だが、体は抵抗している。体を捩らせて逃げようとするが、それは相澤相手に出来るものではなかった。
「奈緒ちゃん、今好きな人がいるの?」
「だとしたら何よ?」
「なら俺は別れるまで待ってる」
「はっ!?」
「だって……」
相澤は、松永から加藤に言い寄っている男がいると聞かされたことを話した。その時に芽生えた感情は、加藤を誰にも渡したくないという気持ちだったと、相澤は言った。
「多分、奈緒ちゃんが好きなんだと思う」
「多分って何よ」
「わかんない」
「バカなの?」
加藤がいつも言うその言葉に相澤は舌打ちし、腕に力を込めた。目を見開いた加藤は謝罪をしようとしたのか、口を開いた。だが、声が発せられる前に相澤の唇が加藤の口を塞いだ。相澤の舌が、加藤の答えを求めた。
相澤の体の重みが加藤にかかり、それが苦しいのか、息が出来ないからなのか、苦しげな吐息が漏れている。だがいつまでも応えない加藤に、相澤は唇を離して腕も足も離した。
手を加藤の体の脇にやり、足もそうした。
「ごめん……でも奈緒ちゃんがいいなら、俺はしたい。でも嫌なら俺はや――」
加藤は、自由になった腕を相澤の首に回して、唇に視線を落として、相澤を引き寄せた。
窓から見える景色は、昨晩から降り続く雪で白く染まっていた。風もなく穏やかに降り続ける雪を見つめているうちに、時間を忘れてしまいそうになる。
俺は窓辺に立ち尽くしたまま、ぼんやりとその光景に見入っていた。外の世界はまるで別世界のように静かだ。
インターホンが鳴り、モニターの前に行くと画面に須藤さんが映っていた。
玄関へ行き、鍵を開けて須藤さんを中に入れて、俺は頭を下げた。
スリッパを出し、須藤さんの後を俺はついていく。
リビングへ入ると、コートを脱ぐ須藤さんを横目にコーヒーを淹れに俺はキッチンへ行った。
パイプ椅子を引いた音がして、パイプが軋む音がした。
――今日は、砂糖が、いるはず。
インスタントコーヒーをカップに入れ、ポットのお湯を注いでトレーに乗せた時、須藤さんの声がした。
「山野がな、セクハラがあった、と言い出した」
その言葉に俺は口の端を上げて、トレーを持ち上げて振り向いた。
リビングに入り、須藤さんと目が合う。
「もちろん、俺に、ですよね?」
◇
山野とペアで外出した四回目のことだった。
緊張しているような、怯えているような、そんな目を山野はしていた。
何かあるな、と思っていたが、外出すると体を寄せて来ることが多く、俺は警戒をしたが、特に何もぜず山野のやりたいようにやらせていた。
その日、俺が山野に触れたのは二回だった。
話す俺を歩きながら見上げていて、電柱に気づかなかった山野の肩に触れてぶつからないようにした時と、俺が山野を見失ってしまい、山野が逆方向へ行こうとしている姿を見つけた時、山野に走り寄って腕を掴んだ時の二回だった。
◇
「俺に何されたって言ってました?」
「暗がりに連れ込まれて服の上から触られた、と」
「そうですか。厚手のコート着てるのに?」
「んふっ……やってねえよな?」
「動画がありますけど、見ます?」
「えっ……?」
俺は須藤さんに、山野と外出する時は複数人で俺たちを尾行させ、動画を撮らせていたことを話した。山野は何も気づいていない。
「米田は、どうしてこんなに俺を恨むんでしょうね、ふふっ」
「もう十年も経ってんのにな」
「米田の女っての、全く記憶がないんですけどね」
「言うなよ、絶対にそれ本人に言うなよ?」
「ふふっ……ふふふっ」
須藤さんは砂糖とミルクを入れた小さなカゴに手を伸ばして、砂糖を取った。
――やっぱりね。
須藤さんは砂糖とミルク二個をコーヒーに入れてかき混ぜている。
「俺が外れればいいんじゃないですか?」
「いや、お前以外にもさ……いろいろ上がってんのよ」
――米田も潮時、ってことか。
「ま、敬志の動画が役立つよ」
「そうですか」
俺もコーヒーカップを手に取り、湯気の向こうの須藤さんに笑顔を向けると、須藤さんは横目で俺を見て、口元を緩めた。
だが、コーヒーを一口飲んだ須藤さんの言葉に驚いた。
「なあ、奈緒ちゃんと葉梨って、意外なんだけど」
――相変わらず食えない奴だな。
「えーっ、なんのことですかー?」
「教えてよ」
「ダメです」
「もー!」
◇◇◇
同時刻
加藤奈緒は自宅にいた。
町沢署から捜査員用のマンションに戻るために電車に乗ったが、積雪の影響で運行中止となり途中駅で降ろされた。
その駅から加藤の自宅まで三キロはあったが、相澤裕典と一緒に歩いて自宅まで行った。
「奈緒ちゃん、ここ、もしかして分譲?」
相澤は、濡れたコートをかけたハンガーラックをエアコンの前に移動させている加藤に話しかけている。
「そうだよ。ローン組むの、早い方がいいと思って」
「そうなんだ」
リビングを見回す相澤は、視界に入る殺風景なリビングをキョロキョロ見回し、困惑した顔をしている。
「あのさ、女の家なのに可愛げがないとでも思ってるでしょ?」
「……そんなことないよ」
「ふふっ、顔に書いてあるよ。ふふっ」
◇
「お風呂洗ってくる」
そう相澤に伝え、加藤は浴室に行き、シャワーを出してお湯に変わるのを待っていた時、相澤も浴室に来たことに気づいた。
「俺がやるよ」
「いいよ」
「寒いから奈緒ちゃん向こうに行って温かくしててよ」
「いいって」
「ダメだよ」
相澤はスラックスの裾を捲り、靴下を脱いで浴室に入って来た。加藤の肘を掴み『奈緒ちゃん、向こう』と頬を膨らませて言い、それを見た加藤は口元を緩めて『ありがとう』と言って、浴室を出た。
◇◇◇
同時刻
「あったかいお風呂に入りたい……」
「んふっ、そうだね」
本城昇太と葉梨将由は、近くのドラッグストアへ来たものの、積雪の影響で営業開始時刻を遅らせる旨の案内を前にしていた。
刑事課長の須藤諒輔が捜査員用のマンションへ来ることを松永から告げられ、二人は三十分間だけマンションから出るよう言われた。カップ麺のストックが無くなっていることに気づいた二人は、それを買うためにドラッグストアに来たが、ドラッグストアは営業していなかった。
「コンビニ、コンビニ行きましょう!」
「コンビニのカップ麺は高いよ」
「雪積もってるんすよ? いいじゃないですか、今日くらい!」
「ふふっ、そうだね。そうしよう」
◇◇◇
午前十一時五十分
風呂から上がった相澤は、加藤から渡されていた黒いTシャツにトランクス姿でリビングに戻ってきた。
「まだ体は熱いでしょ? 寒くなったらベッドに行きなね。電気毛布入れてある」
そう言って加藤は浴室に行った。
リビングに残された相澤は、加藤が作ったミートソーススパゲティとコンソメスープをリビングの小さなテーブルで食べ始めた。
リビング、ダイニング、見える範囲のキッチンを見回す相澤は、『奈緒ちゃんらしいけど……』と呟いた。
◇◇◇
同時刻
マンションに戻った葉梨と本城の二人はリビングに入り、何のサインも送って来ない松永を見てから須藤に挨拶をした。
「寒い中、悪かったね」
「ごめんね」
本城が手にしているマイバッグに視線を落とした松永は、『コンビニに行ったの?』と言い、本城が経緯を話した。松永は『今日みたいな日はいいかもね』と言い、キッチンへ向かった。
本城は買ってきたカップ麺をテーブルに並べ、須藤と笑い合いながらひとつひとつ眺めている。
葉梨は松永の後を追い、キッチンへ行くと、『俺がやりますから!』とやや大き目の声を出して、ポットに水を注ごうとしている松永に近寄った。
葉梨がもう一度、『松永さん、俺がやりますから』と言っている間、松永は葉梨の耳元で囁いた。
「チンパンジーに加藤のこと、バレてるよ」
◇◇◇
午後〇時四十三分
「うっ……」
洗面所の扉の前にいた相澤と、バスタオルを巻いただけの加藤は見つめ合っていた。
「なに? 寝てなかったの?」
「あ……うん……」
「なんでよ?」
そう言って加藤は、相澤の腕と首に触れ、眉根を寄せて『冷えてる』と言った。
「なんでここにいるの?」
「あ……遅いから大丈夫なのかなって思って……」
「……ああ、そういうことね。ふふっ」
加藤の含みのある言い方に首を傾げた相澤へ、『服着させてくんないかな』と言い、加藤は寝室へ向かったが、リビングに戻ろうとしている相澤を呼び止め、寝室へ来るように言った。
加藤はウォークインクローゼットで服を選んでいるが、相澤が寝室へ来ないことを不審に思い、廊下に出た。
廊下にいる相澤に、『ベッドで寝ないと殴るよ』と言うと、相澤はしぶしぶ寝室へ入って来た。
「奈緒ちゃん、さすがに奈緒ちゃんのベッドで寝るのはダメだと思う」
「なんでよ? 電気毛布は暖かいよ?」
「それはわかるけど……」
加藤は相澤を促し、ベッドの掛布団を捲った。
「ほら」
「うーん……」
「殴るよ?」
頬を膨らませて『わかったよ』と言いながら相澤がベッドに入ったことを確認すると、『髪の毛乾かしてくる』と言い、電気を消して寝室を出て行った。
◇◇◇
同時刻
コンビニの高いカップ麺とレトルトのご飯を食べた俺たちは、ダブルの炭水化物摂取による血糖値の急上昇と急下降を経て、全力で睡魔と戦っていた。
「寝よう。二十分、寝よう」
須藤さんがそう言うと、本城は目を輝かせて、葉梨を伴って仮眠室へ行った。
「敬志も仮眠室で寝ろよ」
「いや、いいですよ、俺はここで」
須藤さんに仮眠室へ行くように促し、リビングに一人になった俺はテーブルに突っ伏して昼寝を始めた。
――絶対に俺、寝言で優衣香の名前呼ぶもん。聞かれたくないもん。
優衣香の姿を思い出して、頬が緩んだなと思うと同時に、眠りに落ちた。
◇◇◇
午後一時十二分
部屋着に着替えて髪を乾かした加藤がそっと寝室を覗くと、相澤はベッドに座っていた。それを見て舌打ちした加藤は、ドアを開けたまま寝室の電気を付けずに相澤の元へ行った。それを見ていた相澤は立ち上がり、加藤に殴られないように構えたが、加藤は気にせず手を出した。
「痛っ! 離してよ」
加藤の両肘を掴んだ相澤は加藤を睨めつけ、ベッドに押し倒した。
両手首を顔の横に押さえつけ、二の腕も腕で押さえている。
相澤の足の間に加藤の足があるが、下肢も相澤の足で押さえつけられていた。
「奈緒ちゃんごめん。でもこうでもしなきゃ、奈緒ちゃんは話を聞いてくれないから」
相澤のその言葉に目を伏せた加藤だが、体は抵抗している。体を捩らせて逃げようとするが、それは相澤相手に出来るものではなかった。
「奈緒ちゃん、今好きな人がいるの?」
「だとしたら何よ?」
「なら俺は別れるまで待ってる」
「はっ!?」
「だって……」
相澤は、松永から加藤に言い寄っている男がいると聞かされたことを話した。その時に芽生えた感情は、加藤を誰にも渡したくないという気持ちだったと、相澤は言った。
「多分、奈緒ちゃんが好きなんだと思う」
「多分って何よ」
「わかんない」
「バカなの?」
加藤がいつも言うその言葉に相澤は舌打ちし、腕に力を込めた。目を見開いた加藤は謝罪をしようとしたのか、口を開いた。だが、声が発せられる前に相澤の唇が加藤の口を塞いだ。相澤の舌が、加藤の答えを求めた。
相澤の体の重みが加藤にかかり、それが苦しいのか、息が出来ないからなのか、苦しげな吐息が漏れている。だがいつまでも応えない加藤に、相澤は唇を離して腕も足も離した。
手を加藤の体の脇にやり、足もそうした。
「ごめん……でも奈緒ちゃんがいいなら、俺はしたい。でも嫌なら俺はや――」
加藤は、自由になった腕を相澤の首に回して、唇に視線を落として、相澤を引き寄せた。