R-15
目撃者
一月十日 午前二時四十ハ分
走る車のヘッドライトが煌々と輝いている。暗い道を照らすその灯火はどこか暖かく感じられた。だがそれも束の間のことだった。通り過ぎる街の景色は徐々に暗くなっていき、やがて街灯だけがぽつりぽつんと立ち並ぶだけの風景へと戻る。
『明けましておめでとうございます。久しぶりの御来店を心よりお待ちしております』
バーテンダーの望月から届いたショートメッセージが届いたのは、約三時間前だった。
――急ぎの連絡か。なんだろう。
◇
いつものようにカウンター席の端に腰かけ視線を上げると、バーテンダーの望月がグラスを拭きながらこちらを見た。グラスを置くと、『明けましておめでとうございます』そう言って彼は恭しく頭を下げる。店内は客もなく、深夜の訪問のいつもと変わらず、とても静かだ。
目の前に置かれたグラスの中には琥珀色の液体が入っている。一口飲むと、心地よい冷たさが喉を通り抜けていった。モヒートジンジャーエールだ。
グラスの中で揺れるミントの葉を見つめていると、望月が口を開いた。
「最近、いつ、笹倉さんと会いました?」
十二月九日の夜、優衣香とこのバーで過ごした後、駅までの帰り道で、このバーに来た時は連絡が欲しいと伝えた。行く前ではなく、行った後でいいと俺は伝えた。
直近のその連絡は、この望月からショートメッセージが届いた一時間前だった。
「ここに連れて来て以来、会ってないよ」
「えっ……じゃ、ひと月も?」
「そうだよ」
優衣香のマンションを訪ねた十一月九日から、本来なら会えないはずだったが、俺はおばさんの命日にどうにかして時間を取った。そしてここで会えたのはたまたまだった。優衣香のマンションに行くのはだいたい二ヶ月に一回のペースだが、長い時で八ヶ月の時もあったし、十一月九日は半年ぶりだった。
「そっか……」
「何よ? 話してよ」
望月の目は俺を責めるような目をしている。だが俺がカウンターを指で叩いているのを気にして、話し始めた。
「笹倉さん、すごく痩せたから、心配でさ。病気ってわけではなさそうだけど……」
優衣香は幼稚園の頃からスイミングスクールへ通い、小学生の時は少年野球チームに混じってたし、中学も高校も部活動をしていた活発な女の子だったから、肩幅も広く、骨格もしっかりしている。顔が丸顔だから太って見えるが、太っているわけではない。痩せてもいないが。
「ああ、確かにここで会う前に会った時、少し痩せたなとは思ってた」
「そうなんだ」
「……会いたいけど……難しい。俺、自宅にもひと月半、帰ってないし」
今、優衣香は俺の恋人だ。だが、恋人としてやってやりたいことは何ひとつ出来ない。このバーに来た時は連絡してくれと俺が言ったから、優衣香は連絡をしてくれるのであって、その他の連絡は一度もない。
――それって恋人じゃないよな。
俺とクリスマスも正月も一緒に過ごせず、連絡すらない。俺がどこで何をしているのか、どんな仕事しているのかすら知らない。でも、そんな男が恋人でいいと、優衣香はそれでもいいと、俺を好きだと言ってくれた。
優衣香に男がいる時にカップルが仲良くしている姿を見ると、心の中で悪態をついていた。だが今は優衣香が俺の隣にいないこと、優衣香の隣にいてやれないことを考えるようになった。
――他人が優衣香の変化に気づいているのに、また、俺は何も知らなかったのか。
「モッチー、教えてくれてありがとう」
「あ……いえ。何か……あったのかと、思いまして、ね」
「……ああ、ありがとう」
◇
午前七時三十三分
捜査員用のマンションのリビングに入ってきたのは葉梨だった。てっきり相澤だと思ったが、葉梨だったことで葉梨と見つめ合ってしまった。
「おはようございます!」
「おはよう……相澤は?」
「起きてます。すぐ来るかと思います」
相澤も俺も相変わらず休みを取れず、相澤だけは官舎に戻れた日はあったが、それも荷物を取りに行くだけだった。その際にマフラーを頼んだが、また忘れた。
優衣香にもらったマフラーがあるからいいが、相変わらず着けっぱなしだからそろそろ洗いたいのに、相澤は俺のマフラーをまた忘れた。
葉梨はここから一番近い官舎に住んでいるから、他の捜査員よりは帰っているようだった。
――奈緒ちゃんとデートはしたのかな。
加藤も葉梨も、二人の間に何があったのか気取られないようにしているし、葉梨と山野の一件でも加藤は一切動じなかった。
まさか寝落ちした葉梨に裏拳をお見舞いする加藤が、葉梨に恋する奈緒ちゃんだとは誰も思わないだろう。まあ、須藤さんだけはなぜか知っていたが。
だが、もう一人の男である相澤と加藤の関係に、このところ何か違和感がある。雪の日以降だ。
仕度を整えた相澤がリビングへ入ってきた。眠そうな顔をしているが、しっかりと睡眠は取れたようだった。
「おはようございます」
「おはようございます!」
「おはよう。ねえ、相澤、ハンバーガー屋行こうよ。朝メニュー。たまにはさ」
「えっ、はい!」
「葉梨と本城の分も買ってくるから待っててよ」
「はい! ありがとうございます」
寝ている本城を起こさないようにそっと玄関を出た。
仕事に余裕がある頃は、朝メニューを食べに二人でよく行っていたが、最近はそうもいかず、かなり久しぶりに二人で行くことが出来た。
「久しぶりだな」
「そうですね、多分、一年ぶりじゃないかと」
「マジで」
平日の朝、通勤通学時間帯で混雑する駅前の店舗は避けて、山下公園側の店舗へ歩いていく。すれ違う人達の数は少ない。
「そろそろ仕事も余裕出てくる頃だし、裕くん休みを取りなよ」
「でも、松永さんの方が先に……」
「俺はいいよ……裕くん、加藤と時間を合わせるよ?」
――少しだけ、目が動いた。
「雪の日、何かあったんでしょ? 何も聞かないけど、希望があるなら聞くから言って」
「……ないです」
「ふふっ、そうか」
山下公園付近にあるハンバーガー屋は、店内の客が少なかった。カウンターでいつものセットを頼むと、トレーにドリンクだけを乗せて渡された。店員が出来上がり次第、席まで持ってきてくれるという。
「あっつあつのが来るね」
「そうですね!」
俺も相澤も、この朝メニューは出来たての熱いバーガーが好きで、二人でコーヒーを飲みながら楽しみに待っている間、優衣香の件を聞いてみようと思い声をかけると、加藤の件かと思ったのか、相澤は少しだけ構えた。
「ああ、ごめんね、優衣香のことだよ」
「あっ、笹倉さん……」
安心した顔をした相澤に不安な反面、俺には感情を出してもいいと信頼してくれていることが、少し嬉しかった。
「毎年、命日前に行ってるでしょ? 前行った時は俺はその直後に行って優衣香に会ったから聞かなかったんだけど、裕くんから見て、優衣香は何か変わったことはあった?」
「物が減った気がしました」
「ああ、それはね、優衣香は引っ越ししようと思ってるみたいで、物を減らしてるんだって」
「そうですか。あとは……笹倉さん、痩せたなと思いました」
「ああ。そうだね……かなり痩せたらしいけど……それについて、裕くんは事情を聞いた?」
「いえ……すみません。聞いてません」
そこに注文していた品が届いた。
熱くて持てないくらいの熱さだったが、相澤も俺も笑いながら紙を開いて少しだけ冷めるのを待った。
「裕くん、あのね。このマフラーは優衣香からもらったと言ったけどさ、これは望月に優衣香が預けたんだよ。それはいいんだけどさ、俺は優衣香に望月の店に行ったら連絡してって約束してたのに、その時は優衣香が俺を驚かせようとして、連絡して来なかったんだよ。でさ……ああ、食べよう。ごめん」
二人でバーガーを頬張るが、相澤は俺の顔をちらちら見る。
「ごめんね、帰り道でまた話すから、美味しく食べようよ」
◇
マンションで待つ葉梨と本城へテイクアウトでいくつかバーガーを注文し、その袋は相澤が持っている。
来た道は、開店準備を始めた人達と車両が増えていて、活気あふれる中華街へと変わりつつある。
帰り道、俺は優衣香の話の続きを始めた。
あの日、優衣香がマフラーをプレゼントしてくれた時に連絡がなかったから、お礼の電話をした時に、俺はやんわりとそれを咎めた。優衣香の動揺した『ごめんなさい』と言う声が今でも耳に残っている。
――俺は優衣香を傷つけた。
優衣香は俺が寒いと言ったから、喜ばせたいと思って、ただそうしただけだったのに。会えないから、望月に託したのに。だが俺は、望月との関係を考えて、その気遣いを咎めた。優衣香に嫌な思いをさせてしまったことが辛かった。
「優衣香に連絡してさ、俺、それを咎めたんだよ。言葉を選んだし、声も優しく言ったけど、優衣香が動揺しちゃってさ、『ごめんなさい』って、小さな声で言ってさ……」
「松永さん……」
「初めてなんだよ、優衣香を傷つけたの……どうしよう」
そう言って相澤の顔を見ると、ニヤニヤしていた。
「……なんだよ」
「松永さんの恋のお悩みを聞くのが楽しくて」
「あ?」
声を出して笑う相澤は、『大好きな優衣ちゃんに会いに行けばいいんじゃないですか』と、いつか聞いたことのあることを言った。
「もうっ! 真剣に悩んでるのに!」
「それで、笹倉さんが痩せてしまったのは自分が原因だから、と?」
「そうだよ?」
「んふっ……」
「なんだよ」
相澤はニヤニヤしながら、『俺は笹倉さんの家であるものを見ました。痩せたのはそれが原因だと思います』と言った。
「なんだよ、それ。何を見たんだよ」
「笹倉さんは、俺との秘密を守ってくれたんですよね?」
「……ああ、そうだよ」
「じゃ、俺も笹倉さんとの秘密を守りますから」
そう言って、相澤は走って逃げた。
「ちょっ! 裕くん!」
テイクアウトの袋を掴んで全力疾走する相澤の後ろ姿を見ながら、俺は呆気に取られてその場に立ち尽くした。
――優衣ちゃんに電話をしよう。謝ろう。で、聞こう。
そう考えて、相澤の後を追ったが、いつもぶっちぎって行く加藤の背中を追ってるせいなのか、相澤はかなり走るのが速いと思った。
――なにさ! ゴリラのくせに! 待ってよ!
走る車のヘッドライトが煌々と輝いている。暗い道を照らすその灯火はどこか暖かく感じられた。だがそれも束の間のことだった。通り過ぎる街の景色は徐々に暗くなっていき、やがて街灯だけがぽつりぽつんと立ち並ぶだけの風景へと戻る。
『明けましておめでとうございます。久しぶりの御来店を心よりお待ちしております』
バーテンダーの望月から届いたショートメッセージが届いたのは、約三時間前だった。
――急ぎの連絡か。なんだろう。
◇
いつものようにカウンター席の端に腰かけ視線を上げると、バーテンダーの望月がグラスを拭きながらこちらを見た。グラスを置くと、『明けましておめでとうございます』そう言って彼は恭しく頭を下げる。店内は客もなく、深夜の訪問のいつもと変わらず、とても静かだ。
目の前に置かれたグラスの中には琥珀色の液体が入っている。一口飲むと、心地よい冷たさが喉を通り抜けていった。モヒートジンジャーエールだ。
グラスの中で揺れるミントの葉を見つめていると、望月が口を開いた。
「最近、いつ、笹倉さんと会いました?」
十二月九日の夜、優衣香とこのバーで過ごした後、駅までの帰り道で、このバーに来た時は連絡が欲しいと伝えた。行く前ではなく、行った後でいいと俺は伝えた。
直近のその連絡は、この望月からショートメッセージが届いた一時間前だった。
「ここに連れて来て以来、会ってないよ」
「えっ……じゃ、ひと月も?」
「そうだよ」
優衣香のマンションを訪ねた十一月九日から、本来なら会えないはずだったが、俺はおばさんの命日にどうにかして時間を取った。そしてここで会えたのはたまたまだった。優衣香のマンションに行くのはだいたい二ヶ月に一回のペースだが、長い時で八ヶ月の時もあったし、十一月九日は半年ぶりだった。
「そっか……」
「何よ? 話してよ」
望月の目は俺を責めるような目をしている。だが俺がカウンターを指で叩いているのを気にして、話し始めた。
「笹倉さん、すごく痩せたから、心配でさ。病気ってわけではなさそうだけど……」
優衣香は幼稚園の頃からスイミングスクールへ通い、小学生の時は少年野球チームに混じってたし、中学も高校も部活動をしていた活発な女の子だったから、肩幅も広く、骨格もしっかりしている。顔が丸顔だから太って見えるが、太っているわけではない。痩せてもいないが。
「ああ、確かにここで会う前に会った時、少し痩せたなとは思ってた」
「そうなんだ」
「……会いたいけど……難しい。俺、自宅にもひと月半、帰ってないし」
今、優衣香は俺の恋人だ。だが、恋人としてやってやりたいことは何ひとつ出来ない。このバーに来た時は連絡してくれと俺が言ったから、優衣香は連絡をしてくれるのであって、その他の連絡は一度もない。
――それって恋人じゃないよな。
俺とクリスマスも正月も一緒に過ごせず、連絡すらない。俺がどこで何をしているのか、どんな仕事しているのかすら知らない。でも、そんな男が恋人でいいと、優衣香はそれでもいいと、俺を好きだと言ってくれた。
優衣香に男がいる時にカップルが仲良くしている姿を見ると、心の中で悪態をついていた。だが今は優衣香が俺の隣にいないこと、優衣香の隣にいてやれないことを考えるようになった。
――他人が優衣香の変化に気づいているのに、また、俺は何も知らなかったのか。
「モッチー、教えてくれてありがとう」
「あ……いえ。何か……あったのかと、思いまして、ね」
「……ああ、ありがとう」
◇
午前七時三十三分
捜査員用のマンションのリビングに入ってきたのは葉梨だった。てっきり相澤だと思ったが、葉梨だったことで葉梨と見つめ合ってしまった。
「おはようございます!」
「おはよう……相澤は?」
「起きてます。すぐ来るかと思います」
相澤も俺も相変わらず休みを取れず、相澤だけは官舎に戻れた日はあったが、それも荷物を取りに行くだけだった。その際にマフラーを頼んだが、また忘れた。
優衣香にもらったマフラーがあるからいいが、相変わらず着けっぱなしだからそろそろ洗いたいのに、相澤は俺のマフラーをまた忘れた。
葉梨はここから一番近い官舎に住んでいるから、他の捜査員よりは帰っているようだった。
――奈緒ちゃんとデートはしたのかな。
加藤も葉梨も、二人の間に何があったのか気取られないようにしているし、葉梨と山野の一件でも加藤は一切動じなかった。
まさか寝落ちした葉梨に裏拳をお見舞いする加藤が、葉梨に恋する奈緒ちゃんだとは誰も思わないだろう。まあ、須藤さんだけはなぜか知っていたが。
だが、もう一人の男である相澤と加藤の関係に、このところ何か違和感がある。雪の日以降だ。
仕度を整えた相澤がリビングへ入ってきた。眠そうな顔をしているが、しっかりと睡眠は取れたようだった。
「おはようございます」
「おはようございます!」
「おはよう。ねえ、相澤、ハンバーガー屋行こうよ。朝メニュー。たまにはさ」
「えっ、はい!」
「葉梨と本城の分も買ってくるから待っててよ」
「はい! ありがとうございます」
寝ている本城を起こさないようにそっと玄関を出た。
仕事に余裕がある頃は、朝メニューを食べに二人でよく行っていたが、最近はそうもいかず、かなり久しぶりに二人で行くことが出来た。
「久しぶりだな」
「そうですね、多分、一年ぶりじゃないかと」
「マジで」
平日の朝、通勤通学時間帯で混雑する駅前の店舗は避けて、山下公園側の店舗へ歩いていく。すれ違う人達の数は少ない。
「そろそろ仕事も余裕出てくる頃だし、裕くん休みを取りなよ」
「でも、松永さんの方が先に……」
「俺はいいよ……裕くん、加藤と時間を合わせるよ?」
――少しだけ、目が動いた。
「雪の日、何かあったんでしょ? 何も聞かないけど、希望があるなら聞くから言って」
「……ないです」
「ふふっ、そうか」
山下公園付近にあるハンバーガー屋は、店内の客が少なかった。カウンターでいつものセットを頼むと、トレーにドリンクだけを乗せて渡された。店員が出来上がり次第、席まで持ってきてくれるという。
「あっつあつのが来るね」
「そうですね!」
俺も相澤も、この朝メニューは出来たての熱いバーガーが好きで、二人でコーヒーを飲みながら楽しみに待っている間、優衣香の件を聞いてみようと思い声をかけると、加藤の件かと思ったのか、相澤は少しだけ構えた。
「ああ、ごめんね、優衣香のことだよ」
「あっ、笹倉さん……」
安心した顔をした相澤に不安な反面、俺には感情を出してもいいと信頼してくれていることが、少し嬉しかった。
「毎年、命日前に行ってるでしょ? 前行った時は俺はその直後に行って優衣香に会ったから聞かなかったんだけど、裕くんから見て、優衣香は何か変わったことはあった?」
「物が減った気がしました」
「ああ、それはね、優衣香は引っ越ししようと思ってるみたいで、物を減らしてるんだって」
「そうですか。あとは……笹倉さん、痩せたなと思いました」
「ああ。そうだね……かなり痩せたらしいけど……それについて、裕くんは事情を聞いた?」
「いえ……すみません。聞いてません」
そこに注文していた品が届いた。
熱くて持てないくらいの熱さだったが、相澤も俺も笑いながら紙を開いて少しだけ冷めるのを待った。
「裕くん、あのね。このマフラーは優衣香からもらったと言ったけどさ、これは望月に優衣香が預けたんだよ。それはいいんだけどさ、俺は優衣香に望月の店に行ったら連絡してって約束してたのに、その時は優衣香が俺を驚かせようとして、連絡して来なかったんだよ。でさ……ああ、食べよう。ごめん」
二人でバーガーを頬張るが、相澤は俺の顔をちらちら見る。
「ごめんね、帰り道でまた話すから、美味しく食べようよ」
◇
マンションで待つ葉梨と本城へテイクアウトでいくつかバーガーを注文し、その袋は相澤が持っている。
来た道は、開店準備を始めた人達と車両が増えていて、活気あふれる中華街へと変わりつつある。
帰り道、俺は優衣香の話の続きを始めた。
あの日、優衣香がマフラーをプレゼントしてくれた時に連絡がなかったから、お礼の電話をした時に、俺はやんわりとそれを咎めた。優衣香の動揺した『ごめんなさい』と言う声が今でも耳に残っている。
――俺は優衣香を傷つけた。
優衣香は俺が寒いと言ったから、喜ばせたいと思って、ただそうしただけだったのに。会えないから、望月に託したのに。だが俺は、望月との関係を考えて、その気遣いを咎めた。優衣香に嫌な思いをさせてしまったことが辛かった。
「優衣香に連絡してさ、俺、それを咎めたんだよ。言葉を選んだし、声も優しく言ったけど、優衣香が動揺しちゃってさ、『ごめんなさい』って、小さな声で言ってさ……」
「松永さん……」
「初めてなんだよ、優衣香を傷つけたの……どうしよう」
そう言って相澤の顔を見ると、ニヤニヤしていた。
「……なんだよ」
「松永さんの恋のお悩みを聞くのが楽しくて」
「あ?」
声を出して笑う相澤は、『大好きな優衣ちゃんに会いに行けばいいんじゃないですか』と、いつか聞いたことのあることを言った。
「もうっ! 真剣に悩んでるのに!」
「それで、笹倉さんが痩せてしまったのは自分が原因だから、と?」
「そうだよ?」
「んふっ……」
「なんだよ」
相澤はニヤニヤしながら、『俺は笹倉さんの家であるものを見ました。痩せたのはそれが原因だと思います』と言った。
「なんだよ、それ。何を見たんだよ」
「笹倉さんは、俺との秘密を守ってくれたんですよね?」
「……ああ、そうだよ」
「じゃ、俺も笹倉さんとの秘密を守りますから」
そう言って、相澤は走って逃げた。
「ちょっ! 裕くん!」
テイクアウトの袋を掴んで全力疾走する相澤の後ろ姿を見ながら、俺は呆気に取られてその場に立ち尽くした。
――優衣ちゃんに電話をしよう。謝ろう。で、聞こう。
そう考えて、相澤の後を追ったが、いつもぶっちぎって行く加藤の背中を追ってるせいなのか、相澤はかなり走るのが速いと思った。
――なにさ! ゴリラのくせに! 待ってよ!