R-15
二人の鼓動
午後五時五十一分
リビングのパイプ椅子に座っていつもの書類を読んでいるが、内容が全く頭に入ってこない。
時計の秒針が進むたびに、刻一刻と迫る夜に心が騒ぐ。
加藤がマンションに戻ってきたら、交代で俺は帰ることが出来る。そろそろ帰ってくる頃だ。
――優衣ちゃん、大丈夫かな。
優衣香は子供の時から丈夫な女の子だった。
二十代の頃は、寝て起きると体調が悪かったことすら忘れているような女の子だった。
だが、三十五を過ぎたあたりから、『寝ても治らなくなった』と言っていた。
――心労だろう。俺のせいだ。
電話をしなかったことを俺が咎めたからだ。だから心労が溜まり、抵抗力が落ちて風邪をひいたのだろう。だが今日は優衣香の元へ行ける。せめて看病くらいはさせて欲しい。
さっき電話をして、夜に行くと伝えてある。声は相変わらずだったが、解熱剤で熱は落ち着いているものの、ボーッとしていると言っていた。
「ただいま戻りました」
――加藤が帰ってきた。
リビングのドアを開けて矢継ぎ早に連絡事項を伝える俺に、加藤は片足をスリッパに履き替えたまま、ポカンとしていた。
◇
午後七時三十九分
こんな早い時間に優衣香のマンションがある最寄り駅にいるなんて、これまでなかったことだ。ここは二路線ある駅で乗降客も多く、駅前は騒がしい。
駅前のスーパーで買い物をして、優衣香のマンションに向かったが、徒歩七分の道のりも人通りが多かった。
マンションに着く前、オートロックの解除まで時間がかかるだろうから、優衣香へ連絡をして起きていてもらおうと思った。だが優衣香は起きていた。
オートロックを解除してもらい、俺は階段でいつも通り六階まで行く。インターホンを押すと、すぐにドアが開いた。
――また、ドアの前で待ってたのかな。
優衣香はパジャマの上にフリースジャケットを着ていて、髪の毛は横に流していた。多少顔色が悪いが、笑顔で出迎えてくれた。
「優衣ちゃん、大丈夫?」
「うん、薬が効いてるから熱は下がったよ。けどちょっとフラフラしてる」
買い物袋を受け取ろうとする優衣香を制して、そのまま優衣香を抱きしめた。俺の腕の中で見上げる優衣香に顔を近づけると、優衣香は嫌がった。
「風邪、感染っちゃう」
「いいよ、そんなの」
「だめだよ。それに……」
そう言って、俺の腕の中で抵抗していた。なぜかと問うと、風呂に入っていないからだと答えた。
「優衣ちゃんは俺が風邪ひいたら、看病してくれる?」
「うん」
「俺が風呂に入ってなかったら、看病しないの?」
俺を見上げて、少しだけ唇を結んだ優衣香に、そっとキスをした。唇が乾燥していた。荒れた唇が痛々しい。
「お風呂、沸かそう。俺がやる」
俺に掃除をさせることを嫌がったが、看病のうちのひとつだと言って、納得させた。
◇
午後九時十四分
「おかえ――」
「ヒィッ!!」
捜査員用のマンションに戻った本城昇太は、廊下にいる加藤の姿に驚いて背を向けたが、振り向いた拍子に玄関ドアに頭をぶつけ、大きな音を立てていた。
「ああ、ごめんね、ボーッとしてて着――」
そこに葉梨がリビングから出てきた。葉梨が見たものは廊下のダウンライトの真下にいる加藤の後ろ姿だった。
スポットライトを浴びたような形になっている、バスタオル一枚だけを纏う加藤が振り返った。葉梨を見て、『着替えを忘れたから』と言うと、『そうですか』と言い、加藤の肩越しに玄関ドアで頭をぶつけ、手で押さえている本城を見た。
「また相澤さんに怒られますよ!」
「えー?」
また本城に向き直し、答える加藤の背中を葉梨が見ると、加藤の肩甲骨部分に瘢痕が残る切創痕があることに気づいた。バスタオルで隠れていない部分だけでも五センチはある。
「とりあえずパンツ履かせてくれない?」
「ええっ!? 履いてないんですか!?」
加藤の言葉に葉梨は壁に肘をついて、頭を抱えて目を閉じた。唇を噛んでいる。
「だから着替えを忘れたって言ったでしょ」
◇◇◇
同時刻
体がフラフラするなら一緒に風呂に入ろうと優衣香に言ったが、『嫌ですよ』と即答された。
さすがに俺は具合の悪い優衣香をどうにかしようとは思わない。だが、優衣香の姿を見ていると少しだけ不安があった。だから洗面所のドアを少しだけ開け、廊下で椅子に座って、優衣香が風呂から上がるのを待つことにした。
「ここにいるから、何かあったら呼んでね」
「うん、ありがとう」
衣擦れの音がする。
この後は優衣香が風呂の扉を開けて、シャワーを出して、と音が聞こえるはずだが、音がしなくなった。
「優衣ちゃん、どうかした?」
「敬ちゃん……」
「入っていい?」
返事が返ってこない。今すぐドアを開けたいが、返事を待たないと、とも思った。『優衣ちゃん』ともう一度声をかけると同時に、優衣香がまた俺の名を呼んだ。
ドアを開けると、優衣香が裸で蹲っていた。
「優衣ちゃん!」
背を向けて蹲っている優衣香の肩を掴んで抱き起こそうとしたが、ずいぶんと細くなった体に驚いた。
「ごめんね……」
「優衣ちゃん、やっぱり一緒に入ろう」
「でも……」
「いいから」
急いで服を脱ぎ、シャワーを出してから優衣香を抱き起こした。風呂に入り、優衣香の腰に腕を回して、シャワーをかけると、優衣香が俺の肩や腕を見ていることに気づいた。
「どうしたの?」
「……三角筋と、上腕三頭筋と、大胸筋」
「ん? ああ、そうだね」
指先で俺の肌に触れて、笑いながら筋肉の名称を言うのはなぜだろうと思いながら、優衣香の体を洗おうとボディソープに手を伸ばした。
ホディタオルにボディソープを出して、優衣香を引き寄せて、肩越しに泡立てる。どれくらいの強さなら痛くないのか、尋ねながら優衣香の体を洗っていった。だが――。
優衣香の肌が濡れていて、泡が乗って、滑る。
恥ずかしそうに体を隠そうとしている優衣香の姿を見て、俺は気づいた。その時に初めて、俺と優衣香が置かれている状況に気づいたのだ。
俺たちは裸で抱き合っている。
優衣香の体は泡に包まれている。
――これ、ぼくの妄想カタログにないやつだ!
フラフラしている優衣香が心配だから二人で風呂に入っているが、いざ我に返ると当然、体は反応した。全力で反応している。
腰を抱いて体を密着させているから、優衣香もそれに気づいて俺を見た。ここでロクでもないことを言って引かれるのも嫌だから、俺は微笑みながら『ごめんね、でも、優衣ちゃんとこうしてるんだもん、しょうがないよね』と言った。紳士の模範解答だ。下半身は変態紳士だが。
恥ずかしそうに目を伏せる優衣香が可愛かった。
――優衣ちゃんホントはね、手でね、いろんなとこ触りたいけどね、ぼく我慢してるんだよ。
優衣香の肩と腰を持ちながら、優衣香を浴槽に入れた。背を向ける優衣香に『俺も体、洗うね』と言い、シャワーを浴びた。
コンバットシャワーで慣れた体洗いは手慣れたもので、さっさと終わらせて俺も浴槽に入ったが、勢いよく入ったせいか水流で優衣香が倒れそうになった。
優衣香の腕を掴み、優衣香を後ろから抱きしめるようにした。腰に腕を回したが、骨盤にも肋骨にも指が触れて驚いた。
「あの優衣ちゃん、どうして……痩せたの? 俺がこの前怒ったから? だとしたら俺、謝んなきゃ……」
「えっ!? 違うよ……」
身を捩って俺を見上げた優衣香は、『ダイエットして、それで……』と恥ずかしそうに言った。
相澤は優衣香の家で何かを見たという。それが何なのか、リビングや和室ではわからなかった。
「ダイエット? どうして?」
「あの……えっと……」
優衣香は言い淀んで、あることに気づいて、体を前に向けた。
――ごめんね。ぼく優衣ちゃんのおっぱいガン見してるもんね。
前を向いてしまった優衣香の首すじに唇を寄せて、『どうして?』とまた聞いたが、答えはなかった。
「あの……敬ちゃん……」
「なに?」
「……キスしたい」
優衣香がまたこちらを向いて、俺の首に腕を回してきた。
――優衣ちゃんが風邪ひいてなけばよかったのに。
俺は求められるまま優衣香の下唇を食んだ。舌で唇をなぞって、唇を重ねた。多分、優衣香が求めているキスではないだろうが、負担はかけられない。
「優衣ちゃん、もう上がる? 辛そうだよ?」
「うん……」
優衣香の体を拭いてやり、下着を優衣香が履いている間に俺は体を拭いた。
バスタオルを腰に巻き、優衣香にパジャマを着せてやって、そのまま抱きかかえて寝室へ連れていった。
◇◇◇
午後九時四十八分
「ふふっ……そんなことがあったんだ……」
捜査員用のマンションのリビングで、加藤と葉梨がテーブルに向かい合っていた。
葉梨と松永の義理の姉である松永玲緒奈の思い出話に加藤は笑っているが、葉梨は頭を抱えていた。
本城は数分前、シャワーを浴びに浴室へ行っている。
「本城がシャワーから戻ったら、相澤が帰ってくるまで寝るから」
「わかりました」
「何か飲む? 冷蔵庫に飲み物いくつかあるよ。持ってくる」
葉梨の返事を待たず、加藤は席を立った。その後を葉梨が追う。
加藤を追い越してリビングのドアまで葉梨が来た時、加藤の腕を掴んだ。加藤が驚いた時にはもう、葉梨の腕の中に収まっていた。
葉梨はリビングのドアを体で塞いでいる。
「本城が戻るまで……」
「えっ、でも――」
葉梨の唇は、何かを言いかけた加藤の唇を塞ぐ。肩に回した手は、加藤の顎に添わせて上を向かせている。唇を離した葉梨は、『奈緒』と呼んだ。
呼び捨てにされて目を伏せる加藤にもう一度、言った。
「俺だけを、見て」
目を見開いた加藤を見て、葉梨は顎に添わせた指に力を込めて、首に唇を這わせる。加藤は腰を抱く葉梨の腕に手を添わせた。
葉梨の舌が耳朶から首を這うにつれ、加藤の吐息が漏れ出した。腕に添わせた指先に力が入る。
加藤の肩に回した腕に力を込めて引き寄せると、耳元で葉梨は囁いた。
「奈緒の、あんな姿を見たら、俺……我慢出来ない」
そう囁いて加藤の目を見て、また唇を重ねた。
リビングのパイプ椅子に座っていつもの書類を読んでいるが、内容が全く頭に入ってこない。
時計の秒針が進むたびに、刻一刻と迫る夜に心が騒ぐ。
加藤がマンションに戻ってきたら、交代で俺は帰ることが出来る。そろそろ帰ってくる頃だ。
――優衣ちゃん、大丈夫かな。
優衣香は子供の時から丈夫な女の子だった。
二十代の頃は、寝て起きると体調が悪かったことすら忘れているような女の子だった。
だが、三十五を過ぎたあたりから、『寝ても治らなくなった』と言っていた。
――心労だろう。俺のせいだ。
電話をしなかったことを俺が咎めたからだ。だから心労が溜まり、抵抗力が落ちて風邪をひいたのだろう。だが今日は優衣香の元へ行ける。せめて看病くらいはさせて欲しい。
さっき電話をして、夜に行くと伝えてある。声は相変わらずだったが、解熱剤で熱は落ち着いているものの、ボーッとしていると言っていた。
「ただいま戻りました」
――加藤が帰ってきた。
リビングのドアを開けて矢継ぎ早に連絡事項を伝える俺に、加藤は片足をスリッパに履き替えたまま、ポカンとしていた。
◇
午後七時三十九分
こんな早い時間に優衣香のマンションがある最寄り駅にいるなんて、これまでなかったことだ。ここは二路線ある駅で乗降客も多く、駅前は騒がしい。
駅前のスーパーで買い物をして、優衣香のマンションに向かったが、徒歩七分の道のりも人通りが多かった。
マンションに着く前、オートロックの解除まで時間がかかるだろうから、優衣香へ連絡をして起きていてもらおうと思った。だが優衣香は起きていた。
オートロックを解除してもらい、俺は階段でいつも通り六階まで行く。インターホンを押すと、すぐにドアが開いた。
――また、ドアの前で待ってたのかな。
優衣香はパジャマの上にフリースジャケットを着ていて、髪の毛は横に流していた。多少顔色が悪いが、笑顔で出迎えてくれた。
「優衣ちゃん、大丈夫?」
「うん、薬が効いてるから熱は下がったよ。けどちょっとフラフラしてる」
買い物袋を受け取ろうとする優衣香を制して、そのまま優衣香を抱きしめた。俺の腕の中で見上げる優衣香に顔を近づけると、優衣香は嫌がった。
「風邪、感染っちゃう」
「いいよ、そんなの」
「だめだよ。それに……」
そう言って、俺の腕の中で抵抗していた。なぜかと問うと、風呂に入っていないからだと答えた。
「優衣ちゃんは俺が風邪ひいたら、看病してくれる?」
「うん」
「俺が風呂に入ってなかったら、看病しないの?」
俺を見上げて、少しだけ唇を結んだ優衣香に、そっとキスをした。唇が乾燥していた。荒れた唇が痛々しい。
「お風呂、沸かそう。俺がやる」
俺に掃除をさせることを嫌がったが、看病のうちのひとつだと言って、納得させた。
◇
午後九時十四分
「おかえ――」
「ヒィッ!!」
捜査員用のマンションに戻った本城昇太は、廊下にいる加藤の姿に驚いて背を向けたが、振り向いた拍子に玄関ドアに頭をぶつけ、大きな音を立てていた。
「ああ、ごめんね、ボーッとしてて着――」
そこに葉梨がリビングから出てきた。葉梨が見たものは廊下のダウンライトの真下にいる加藤の後ろ姿だった。
スポットライトを浴びたような形になっている、バスタオル一枚だけを纏う加藤が振り返った。葉梨を見て、『着替えを忘れたから』と言うと、『そうですか』と言い、加藤の肩越しに玄関ドアで頭をぶつけ、手で押さえている本城を見た。
「また相澤さんに怒られますよ!」
「えー?」
また本城に向き直し、答える加藤の背中を葉梨が見ると、加藤の肩甲骨部分に瘢痕が残る切創痕があることに気づいた。バスタオルで隠れていない部分だけでも五センチはある。
「とりあえずパンツ履かせてくれない?」
「ええっ!? 履いてないんですか!?」
加藤の言葉に葉梨は壁に肘をついて、頭を抱えて目を閉じた。唇を噛んでいる。
「だから着替えを忘れたって言ったでしょ」
◇◇◇
同時刻
体がフラフラするなら一緒に風呂に入ろうと優衣香に言ったが、『嫌ですよ』と即答された。
さすがに俺は具合の悪い優衣香をどうにかしようとは思わない。だが、優衣香の姿を見ていると少しだけ不安があった。だから洗面所のドアを少しだけ開け、廊下で椅子に座って、優衣香が風呂から上がるのを待つことにした。
「ここにいるから、何かあったら呼んでね」
「うん、ありがとう」
衣擦れの音がする。
この後は優衣香が風呂の扉を開けて、シャワーを出して、と音が聞こえるはずだが、音がしなくなった。
「優衣ちゃん、どうかした?」
「敬ちゃん……」
「入っていい?」
返事が返ってこない。今すぐドアを開けたいが、返事を待たないと、とも思った。『優衣ちゃん』ともう一度声をかけると同時に、優衣香がまた俺の名を呼んだ。
ドアを開けると、優衣香が裸で蹲っていた。
「優衣ちゃん!」
背を向けて蹲っている優衣香の肩を掴んで抱き起こそうとしたが、ずいぶんと細くなった体に驚いた。
「ごめんね……」
「優衣ちゃん、やっぱり一緒に入ろう」
「でも……」
「いいから」
急いで服を脱ぎ、シャワーを出してから優衣香を抱き起こした。風呂に入り、優衣香の腰に腕を回して、シャワーをかけると、優衣香が俺の肩や腕を見ていることに気づいた。
「どうしたの?」
「……三角筋と、上腕三頭筋と、大胸筋」
「ん? ああ、そうだね」
指先で俺の肌に触れて、笑いながら筋肉の名称を言うのはなぜだろうと思いながら、優衣香の体を洗おうとボディソープに手を伸ばした。
ホディタオルにボディソープを出して、優衣香を引き寄せて、肩越しに泡立てる。どれくらいの強さなら痛くないのか、尋ねながら優衣香の体を洗っていった。だが――。
優衣香の肌が濡れていて、泡が乗って、滑る。
恥ずかしそうに体を隠そうとしている優衣香の姿を見て、俺は気づいた。その時に初めて、俺と優衣香が置かれている状況に気づいたのだ。
俺たちは裸で抱き合っている。
優衣香の体は泡に包まれている。
――これ、ぼくの妄想カタログにないやつだ!
フラフラしている優衣香が心配だから二人で風呂に入っているが、いざ我に返ると当然、体は反応した。全力で反応している。
腰を抱いて体を密着させているから、優衣香もそれに気づいて俺を見た。ここでロクでもないことを言って引かれるのも嫌だから、俺は微笑みながら『ごめんね、でも、優衣ちゃんとこうしてるんだもん、しょうがないよね』と言った。紳士の模範解答だ。下半身は変態紳士だが。
恥ずかしそうに目を伏せる優衣香が可愛かった。
――優衣ちゃんホントはね、手でね、いろんなとこ触りたいけどね、ぼく我慢してるんだよ。
優衣香の肩と腰を持ちながら、優衣香を浴槽に入れた。背を向ける優衣香に『俺も体、洗うね』と言い、シャワーを浴びた。
コンバットシャワーで慣れた体洗いは手慣れたもので、さっさと終わらせて俺も浴槽に入ったが、勢いよく入ったせいか水流で優衣香が倒れそうになった。
優衣香の腕を掴み、優衣香を後ろから抱きしめるようにした。腰に腕を回したが、骨盤にも肋骨にも指が触れて驚いた。
「あの優衣ちゃん、どうして……痩せたの? 俺がこの前怒ったから? だとしたら俺、謝んなきゃ……」
「えっ!? 違うよ……」
身を捩って俺を見上げた優衣香は、『ダイエットして、それで……』と恥ずかしそうに言った。
相澤は優衣香の家で何かを見たという。それが何なのか、リビングや和室ではわからなかった。
「ダイエット? どうして?」
「あの……えっと……」
優衣香は言い淀んで、あることに気づいて、体を前に向けた。
――ごめんね。ぼく優衣ちゃんのおっぱいガン見してるもんね。
前を向いてしまった優衣香の首すじに唇を寄せて、『どうして?』とまた聞いたが、答えはなかった。
「あの……敬ちゃん……」
「なに?」
「……キスしたい」
優衣香がまたこちらを向いて、俺の首に腕を回してきた。
――優衣ちゃんが風邪ひいてなけばよかったのに。
俺は求められるまま優衣香の下唇を食んだ。舌で唇をなぞって、唇を重ねた。多分、優衣香が求めているキスではないだろうが、負担はかけられない。
「優衣ちゃん、もう上がる? 辛そうだよ?」
「うん……」
優衣香の体を拭いてやり、下着を優衣香が履いている間に俺は体を拭いた。
バスタオルを腰に巻き、優衣香にパジャマを着せてやって、そのまま抱きかかえて寝室へ連れていった。
◇◇◇
午後九時四十八分
「ふふっ……そんなことがあったんだ……」
捜査員用のマンションのリビングで、加藤と葉梨がテーブルに向かい合っていた。
葉梨と松永の義理の姉である松永玲緒奈の思い出話に加藤は笑っているが、葉梨は頭を抱えていた。
本城は数分前、シャワーを浴びに浴室へ行っている。
「本城がシャワーから戻ったら、相澤が帰ってくるまで寝るから」
「わかりました」
「何か飲む? 冷蔵庫に飲み物いくつかあるよ。持ってくる」
葉梨の返事を待たず、加藤は席を立った。その後を葉梨が追う。
加藤を追い越してリビングのドアまで葉梨が来た時、加藤の腕を掴んだ。加藤が驚いた時にはもう、葉梨の腕の中に収まっていた。
葉梨はリビングのドアを体で塞いでいる。
「本城が戻るまで……」
「えっ、でも――」
葉梨の唇は、何かを言いかけた加藤の唇を塞ぐ。肩に回した手は、加藤の顎に添わせて上を向かせている。唇を離した葉梨は、『奈緒』と呼んだ。
呼び捨てにされて目を伏せる加藤にもう一度、言った。
「俺だけを、見て」
目を見開いた加藤を見て、葉梨は顎に添わせた指に力を込めて、首に唇を這わせる。加藤は腰を抱く葉梨の腕に手を添わせた。
葉梨の舌が耳朶から首を這うにつれ、加藤の吐息が漏れ出した。腕に添わせた指先に力が入る。
加藤の肩に回した腕に力を込めて引き寄せると、耳元で葉梨は囁いた。
「奈緒の、あんな姿を見たら、俺……我慢出来ない」
そう囁いて加藤の目を見て、また唇を重ねた。