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皆が寝静まった時間。
ナリは傍に置いてある水を、コップ一杯に注いでゴクゴクと飲み干していく。
「はー! ……寝れねぇ。フレイがあんなこと言うから……」
彼は鍛錬場で聞いた話を思い出してしまい、ほんの少し溜息を吐きながら窓へと肘をついては月に照らされる世界樹を眺める。
「ん?」
ふと、彼が視線を下方へ向けると。一人の兵士が、フラフラと庭を歩いている姿が目に入った。
「アイツ、何やってんだろ?」
そう考えている間に、ナリの頭には鍛錬場での会話が繰り返し再生される。
《黒妖精に喰われてしまうぞ》
ナリは唾を飲み込んで、そろりと音を立てずに部屋を出ると、早足で兵士のいた庭へと急いだ。
「いやぁ、面目ない面目ない。心配してくれたのにごめんな、ナリくん」
ナリはげんなり顔で「ほんとそうね」と兵士の腹を小突いている。彼が目撃したフラフラの兵士は、厠へと向かった帰りのようで、寝呆けてこんな外までやってきてしまったようだ。
兵士はナリに礼を言い尽くした後、「それじゃ」と今度はちゃんとした歩き方で、自身の部屋の方へと向かっていった。ナリも彼の姿が見えなくなるまで見守って、自分も帰ろうかと足を動かす。
「――」
歌が、聴こえた。
美しくて、儚げで、可憐で。数多の賛美の言葉でもあらわせない程の歌声に、どこか懐かしい歌声に。ナリは目頭が熱くなるのを感じていた。
意識を、背けれずにいる。
けれど、行ってはいけない。
彼の頭の中は危険信号で渦巻いているのに、彼の足はその指示を無視して方向転換し、まっすぐと暗い暗い森の奥へと歩を進めていった。
ナリが辿り着いた先。
色鮮やかな花畑が広がる場所。
そこには、美しい者が、ナリの瞳には映っている。――そこには、女のレムレスがいた。
女は、ナリの事に気付くと花のような笑みを見せる。――亡霊は、黒い靄をゆらゆらと揺らし、喜んでいるようだ。
〈ナリ様〉
レムレスがナリに手を伸ばす。ナリも、その手へと腕を伸ばす。
〈一緒になりま――〉
刹那――女の亡霊が、真っ二つに切れた。
〈馬鹿ナリ。二度もひっかかんな〉
◆ど◆ぽ◆ん◆
あるところに、美しくなりたいと願う、醜い黒妖精がいました。
その黒妖精は仲間の。
『美しいものを喰べれば、きっと自分達は美しくなれるだろう』
という妄言を信じてしまい、地上へと足を踏み出しました。
しかし、地下暮らしの種族である彼女にとって地上を照らす太陽は眩しすぎて、倒れてしまいました。
『だいじょうぶ?』
そこへ、彼女の光が現れました。
『どこかいたいのか?』
突如として現れた光――少年は、醜い彼女の手を優しく握りました。
黒妖精は驚きました。
少年がとても美しいから。少年が醜い自分を怖がらないから。
少年がとても美味しそうに見えたから。
『まってて。いま、おとうさんつれてくる!』
助けを呼ぼうと彼女の手を離す少年。
その手を、彼女は強く掴んでしまいました。
彼女は少年に願います。どうか傍にいてほしいと。
少年は彼女の言葉に首を傾げましたが、元気よく頷いて彼女の傍にちょこんと座りました。
それから少年は、彼女が元気になるように多くの話をしました。
父親が強くて、憧れの存在のことを。
この耳飾りは、母親が見つけた石で出来た宝物のことを。
大事な可愛い妹がいることを。
話を聞いていた彼女は、生きてきた中で一番の幸福を感じていました。
だからなのか、彼女は少年を喰べることを躊躇いました。彼女は食欲とは違う別の感情を少年に持ってしまったのです。
彼女と少年は、時を忘れて、この幸せな時間を楽しんでいました。
『◼️◼️様!』
森の茂みから現れた多くの女騎士達は、彼女と少年――◼️◼️を引き離しました。
『な、なに? どうしたんだよ』
『こいつは黒妖精です! こいつは、◼️◼️様を弱らせて喰おうとしているのです!』
彼女は女騎士達へ必死に許しを請おうとしました。けれど、女騎士達はそれを聞こうとしませんでした。
『コイツはそんなことしないよ! ブリュンヒルデはなせ!』
『可哀想に。妖精はそうやって相手を惑わすのが得意なんです。だって貴方は、一週間も行方不明だったのですから』
◼️◼️は女騎士に連れて行かれて、彼女から遠ざかっていきました。
『まったく、どこから紛れ込んできたんだか。おい、オーディン様に報告を。この者を――あっ!』
彼女は死への恐怖を力に変え、女騎士達を振り払い、逃げ出しました。多くの弓矢が彼女の背に突き刺さり、激痛が全身に走り出します。それでも、彼女は足を止めずに、精一杯逃げました。
彼女は涙を流し、なぜ。どうして。自分が醜いからいけないのか。自分が黒妖精だからいけないのか。だから、◼️◼️様の隣にいてはいけないのか。と、後悔していました。
そして、一本の矢が彼女の心臓を貫きました。
数年後。
彼女は、目を覚ましました。――新しい姿、黄緑色の艶やかな髪と同色の宝石のような瞳を持つ美しい身体を手に入れて。
彼女が驚いていると、天から声がしました。
『ここは世界樹の森。貴様は……まぁ、我の気まぐれで精霊に生まれ変わったのだ。……会いたい奴がいるのだろ?』
天の言葉に、彼女はすぐさま少年の事を思い出しました。
心地よい風が吹く。
彼女は天に向かって深くお辞儀をし、風が吹く方向へと、慣れない身体でめいっぱい飛びました。
風の終着点。
そこには大きな建物があり、多くの者達が鍛錬に励んでいました。そのなかに、少年だった青年――■■もいたのです。
しかし、彼女は悩みました。彼にどう声をかけようか、と。そもそも、こんなに姿が変わっては、自分があの時の醜い黒妖精だとは思わないだろう、と。
『大丈夫か?』
なんと。戸惑っていた彼女に、いつのまにか近くまで来ていた■■が声をかけてきたのです。
『見ない奴だな。白妖精でも黒妖精でもない、けど。どこから紛れ込んできたんだ?』
彼女が驚きと緊張で固まっていると、■■は首を傾げて、こんなことを言ってきました。
『……なぁ。どっかで会ったことある?』
その問いかけに、彼女は■■を抱きしめる事で答えを出しました。
『私は【×××××】! 愛してます、■■様!』
それから。■■は、彼女があの時の黒妖精であったことを思い出しはしませんでしたが。彼女を大切な存在とし、仲間達と共に幸せに、暮らしましたとさ。
あの運命の日が来るまで。
◆カ◆エ◆ロ◆ウ◆
ナリは傍に置いてある水を、コップ一杯に注いでゴクゴクと飲み干していく。
「はー! ……寝れねぇ。フレイがあんなこと言うから……」
彼は鍛錬場で聞いた話を思い出してしまい、ほんの少し溜息を吐きながら窓へと肘をついては月に照らされる世界樹を眺める。
「ん?」
ふと、彼が視線を下方へ向けると。一人の兵士が、フラフラと庭を歩いている姿が目に入った。
「アイツ、何やってんだろ?」
そう考えている間に、ナリの頭には鍛錬場での会話が繰り返し再生される。
《黒妖精に喰われてしまうぞ》
ナリは唾を飲み込んで、そろりと音を立てずに部屋を出ると、早足で兵士のいた庭へと急いだ。
「いやぁ、面目ない面目ない。心配してくれたのにごめんな、ナリくん」
ナリはげんなり顔で「ほんとそうね」と兵士の腹を小突いている。彼が目撃したフラフラの兵士は、厠へと向かった帰りのようで、寝呆けてこんな外までやってきてしまったようだ。
兵士はナリに礼を言い尽くした後、「それじゃ」と今度はちゃんとした歩き方で、自身の部屋の方へと向かっていった。ナリも彼の姿が見えなくなるまで見守って、自分も帰ろうかと足を動かす。
「――」
歌が、聴こえた。
美しくて、儚げで、可憐で。数多の賛美の言葉でもあらわせない程の歌声に、どこか懐かしい歌声に。ナリは目頭が熱くなるのを感じていた。
意識を、背けれずにいる。
けれど、行ってはいけない。
彼の頭の中は危険信号で渦巻いているのに、彼の足はその指示を無視して方向転換し、まっすぐと暗い暗い森の奥へと歩を進めていった。
ナリが辿り着いた先。
色鮮やかな花畑が広がる場所。
そこには、美しい者が、ナリの瞳には映っている。――そこには、女のレムレスがいた。
女は、ナリの事に気付くと花のような笑みを見せる。――亡霊は、黒い靄をゆらゆらと揺らし、喜んでいるようだ。
〈ナリ様〉
レムレスがナリに手を伸ばす。ナリも、その手へと腕を伸ばす。
〈一緒になりま――〉
刹那――女の亡霊が、真っ二つに切れた。
〈馬鹿ナリ。二度もひっかかんな〉
◆ど◆ぽ◆ん◆
あるところに、美しくなりたいと願う、醜い黒妖精がいました。
その黒妖精は仲間の。
『美しいものを喰べれば、きっと自分達は美しくなれるだろう』
という妄言を信じてしまい、地上へと足を踏み出しました。
しかし、地下暮らしの種族である彼女にとって地上を照らす太陽は眩しすぎて、倒れてしまいました。
『だいじょうぶ?』
そこへ、彼女の光が現れました。
『どこかいたいのか?』
突如として現れた光――少年は、醜い彼女の手を優しく握りました。
黒妖精は驚きました。
少年がとても美しいから。少年が醜い自分を怖がらないから。
少年がとても美味しそうに見えたから。
『まってて。いま、おとうさんつれてくる!』
助けを呼ぼうと彼女の手を離す少年。
その手を、彼女は強く掴んでしまいました。
彼女は少年に願います。どうか傍にいてほしいと。
少年は彼女の言葉に首を傾げましたが、元気よく頷いて彼女の傍にちょこんと座りました。
それから少年は、彼女が元気になるように多くの話をしました。
父親が強くて、憧れの存在のことを。
この耳飾りは、母親が見つけた石で出来た宝物のことを。
大事な可愛い妹がいることを。
話を聞いていた彼女は、生きてきた中で一番の幸福を感じていました。
だからなのか、彼女は少年を喰べることを躊躇いました。彼女は食欲とは違う別の感情を少年に持ってしまったのです。
彼女と少年は、時を忘れて、この幸せな時間を楽しんでいました。
『◼️◼️様!』
森の茂みから現れた多くの女騎士達は、彼女と少年――◼️◼️を引き離しました。
『な、なに? どうしたんだよ』
『こいつは黒妖精です! こいつは、◼️◼️様を弱らせて喰おうとしているのです!』
彼女は女騎士達へ必死に許しを請おうとしました。けれど、女騎士達はそれを聞こうとしませんでした。
『コイツはそんなことしないよ! ブリュンヒルデはなせ!』
『可哀想に。妖精はそうやって相手を惑わすのが得意なんです。だって貴方は、一週間も行方不明だったのですから』
◼️◼️は女騎士に連れて行かれて、彼女から遠ざかっていきました。
『まったく、どこから紛れ込んできたんだか。おい、オーディン様に報告を。この者を――あっ!』
彼女は死への恐怖を力に変え、女騎士達を振り払い、逃げ出しました。多くの弓矢が彼女の背に突き刺さり、激痛が全身に走り出します。それでも、彼女は足を止めずに、精一杯逃げました。
彼女は涙を流し、なぜ。どうして。自分が醜いからいけないのか。自分が黒妖精だからいけないのか。だから、◼️◼️様の隣にいてはいけないのか。と、後悔していました。
そして、一本の矢が彼女の心臓を貫きました。
数年後。
彼女は、目を覚ましました。――新しい姿、黄緑色の艶やかな髪と同色の宝石のような瞳を持つ美しい身体を手に入れて。
彼女が驚いていると、天から声がしました。
『ここは世界樹の森。貴様は……まぁ、我の気まぐれで精霊に生まれ変わったのだ。……会いたい奴がいるのだろ?』
天の言葉に、彼女はすぐさま少年の事を思い出しました。
心地よい風が吹く。
彼女は天に向かって深くお辞儀をし、風が吹く方向へと、慣れない身体でめいっぱい飛びました。
風の終着点。
そこには大きな建物があり、多くの者達が鍛錬に励んでいました。そのなかに、少年だった青年――■■もいたのです。
しかし、彼女は悩みました。彼にどう声をかけようか、と。そもそも、こんなに姿が変わっては、自分があの時の醜い黒妖精だとは思わないだろう、と。
『大丈夫か?』
なんと。戸惑っていた彼女に、いつのまにか近くまで来ていた■■が声をかけてきたのです。
『見ない奴だな。白妖精でも黒妖精でもない、けど。どこから紛れ込んできたんだ?』
彼女が驚きと緊張で固まっていると、■■は首を傾げて、こんなことを言ってきました。
『……なぁ。どっかで会ったことある?』
その問いかけに、彼女は■■を抱きしめる事で答えを出しました。
『私は【×××××】! 愛してます、■■様!』
それから。■■は、彼女があの時の黒妖精であったことを思い出しはしませんでしたが。彼女を大切な存在とし、仲間達と共に幸せに、暮らしましたとさ。
あの運命の日が来るまで。
◆カ◆エ◆ロ◆ウ◆