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作者: カラコルム
第三十六話 祖母の真意
『いつの日か、あなたの凍てついた心が癒やされることを願って、この手紙を遺します。
 あなたが生まれてから今日まで、私は親として、母として、自分に出来うる限りの愛情を注ぎ、慈しみ育ててきたつもりでおりました。
 食事を与え、衣服を整え、外に遊ばせ、学を教える。
 あなたが人後に落ちぬよう、およそ人の親が子に施すまっとうな教育を、私なりに行おうとしたのです。

 父親を喪ったあなたは、過酷な境遇に良く耐え、辛抱し、私の愛情を素直に受け取り、またそれを幼いながらに返そうとしてくれましたね。
 私は嬉しかった。あの人が居なくとも、あなたと二人で手を携え、共に生きてゆけると信じました。
 そして、あなたに甘えてしまったのです。
 私は……気付けなかった。あなたの心の奥底に、決して繕えない深い深い空洞が穿たれているということに。
 今でも毎日のように思い出します。全ての発端となった、あの忌まわしい日を――。

 私の家系は、生まれながらに魔力を有する、魔女の系譜でした。
 起源は明らかではありませんが、私達のご先祖様が太古の月の女神にして魔術の祖、“ヘカテー”に魂を売ったのが原因ではないかと、今は亡き私の母は言っておりました。
 魔力のある人間、魔術を行使できる者達は、すべからく悪魔と通じていると疑われ、恐れられる存在です。
 実際にはそのような事実は無く、善良な心を持って使用すれば魔術とて有益なものとなり得るのですが、未だ偏見と誤解が蔓延る今の人間社会ではそれを信じてもらうのも容易ではなく、往々にして魔術師達は世の人々から追及を受け、生命を脅かされるのが常だったようです。

 私の一族は迫害を逃れる為、人里を離れた土地で密かに隠れ棲むことを選びました。
 初めの内は、全てが上手く回っていたと聴いています。信頼できる身内だけで固められた、小さく閉じたコミュニティ。しばらくの間は、平穏で幸せな時代が続きました。
 ですが、そんな暮らしはやがて行き詰まるもの。
 他者の血を入れなければ、一族は自分達だけで次の世代を生み出さねばならなくなる。過剰に濃くなった血は禁忌であると、魔女の系譜ですら知っていることです。このままでは、そう遠くない将来に一族が滅んでしまうのは自明の理。

 やむなく隠れ里の者達は、他の地域へとその門戸を開き、外の人間達と交流するようになりました。勿論、魔術に関する一切の事情をひた隠しにしながら。
 そうして、あなたが生まれたのです。
 そう、私はその転換期を生きた当事者。隠れ里の未来を担う、若い世代のひとりでした。
 私は初めて出会った外の若者と恋に落ち、あなたを身籠りました。
 あなたは私達の一族と、外の社会を繋ぐ最初の架け橋であったのです。当時の私は幸せの絶頂期で、隠れ里の未来も明るいものとなることを信じて疑いませんでした。

 ところが、そんな希望も長くは続かなかった。
 外部の人間の血を入れても、魔力は子供に遺伝してしまうと分かったからです。私がその事実に気付いた時には、もう全てが手遅れでした。
 あなたは何も悪くありません。うっかり魔力を発露させてしまうことなど、日頃から細心の注意を心掛けている私達でもなければ、無理からぬこと。ましてや、まだ幼く善悪すら十全に判断出来なかった当時のあなたでは、尚更です。

 全ては、私の責任なのです。
 あなたの中に眠る、魔法の素質に気付かなかったことも。
 外部に、隠れ里の秘密が露見したことも。
 外の人間達が、私達の駆逐を決めたことも。
 隠れ里が襲撃され、焼き払われたことも。
 慣れ親しんだ一族の者達が、愛する家族や親族達が、次々と殺されていったことも。
 私達を庇ったあの人が、掛け替えのないあなたのお父上が、魔女の同類と見做され共に処刑されてしまったことも――。

 私は、幼いあなたを抱えて必死に逃げました。
 そして、筆舌に尽くしがたい過酷な逃避行の果てにこの街、アンダーイーヴズへと流れ着きました。
 今でも忘れません。痩せこけ、襤褸ぼろを纏い、靴は擦り切れて身体のあちこちに傷を負い、己が生命と人としての最低限の尊厳だけをしっかりと握り締めてやっとの思いで助けを求めた私達に、この街の人々がしてくれたことを。

 彼らは、優しかった。
 彼らは、温かく迎え入れてくれた。
 彼らは、私達を仲間と認めてくれたのです。
 ああ、これでやっと幸せになれる。あなたと二人、平穏で慎ましい暮らしを手に入れられる。
 私はすっかり安心していました。自分が魔女の血脈であるという忌まわしい事実すら、一時の安寧の内に心の何処かへ置き去りにしてしまいました。

 それが良くなかったのでしょう。あの大地震が起きた日、悲劇は再び繰り返されてしまいました。
 あなたを助ける為に魔術を行使した私を見て、街の人々の態度は一変しました。魔女や魔術に対する偏見や恐れは、善良な彼らの中にもしっかり根付いていたのです。
 彼らは私達を始末しようと行動を起こし、私はあなたを連れてまたもや必死で逃げ出しました。
 その後の顛末は、あえてここで繰り返すまでも無いでしょう。

 ただ、二度も生命を狙われるという経験は、信じていた人達の掌を返したような裏切りは、幼かったあなたの心を容赦無く傷つけ、引き裂いてしまった。一度は癒えかけていただけに、却ってその痕は深く抉られ、取り返しのつかない程の大穴を穿ってしまった。
 そうして、本当の悪魔が……社会の通念が恐れた通りの現実が、あなたの心に生まれてしまったのでしょう。
 あなたは、レインフォール家の跡継ぎとしての振る舞いや教養を身に着けていく一方で、心の中で滾る復讐心に衝き動かされ、恐ろしい計画を企てました。

 太陽の力を原動力とした、『エゴ』の呪い――。

 あのような呪術は、魔女の力では到底為しえません。私の血を受け継ぐあなたでさえ、本来であれば実現不可能な代物だったでしょう。魔女の魔術は月の力を借りるもの。太陽の持つ力とは対極に位置するものでしたから。
 それを可能にしたのは、ひとえにあの赤いダイヤモンド――『アポロンの血晶』を利用したからに他なりません。太陽神の力を歪な形で注ぎ込まれたあの石が、あなたの恐ろしい復讐計画を実現させたのです。

 私は……それを、止められなかった。事態が取り返しのつかない段階に至るまで、あなたの心の闇に気付こうともしなかった。いえ、気付きたくなかったのかも知れません。
 だから私は、せめてもの対応策として、私に授けられた片割れの青いダイヤモンド――『ヘカテーの落涙』に、『エゴ』を吸収して打ち消す力を込めるしかありませんでした。
 それがあなたの復讐に、更なる華を添える結果になるとも知らずに……。

 息子よ、よくよく聴いて下さい。全てはこの、愚かな母の所為なのです。あなたに降り掛かった不幸の源は、他の誰でもなくこの私自身。あなたが憎むべき相手は、アンダーイーヴズの人々でも、隠れ里を襲撃した人々でもなく、この母ひとりであるべきなのです。
 願わくば、いつの日かその事実を受け止め、街の人々に赦しを賜りますよう。

 いつでもあなたの幸せを祈っています。

 ――愛する我が子、ジャックへ

 ――救えぬ愚母、フリエより』
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