残酷な描写あり
第八話 疑念とメイド
「ん……。あれ、此処は……?」
見知らぬ部屋でサニーは目を覚ました。
茫漠とする頭を抑えながらゆっくりと身体を起こし、周囲を見回してみる。
お洒落な部屋だ、というのが最初に浮かんだ感想だった。
アンティークな調度品、汚れひとつ付いていない壁、埃ひとつ落ちてないカーペット。自分が寝ていたベッドも、上質なシルクを使った高級品だ。
何処かの裕福な家の一室だろうということは見当がつく。
「どうしてあたし、こんな所に……?」
まだぼんやりする頭の中から懸命に記憶を手繰り寄せようとしていると、コンコン、と仕立ての良いドアがノックされた。
「はい……!」
「ああ、起きていらっしゃったのですね。失礼します」
反射的に返事をすると、ドアの向こうの相手はそう断ってから中に入ってきた。
「お加減は如何でございましょうか、サンライト様?」
開いたドアから現れたのは、ティーポットとカップを載せたトレーを手に持った、メイド服姿の少女だった。サニーを見て、ペコリと丁寧にお辞儀をする。
年の頃はサニーよりいくらか下だろうか。こぢんまりとした体躯で白黒基調のオーソドッグスなエプロンドレスを着こなし、胸のあたりまで伸ばした黒髪は滑らかで艶があり、頭の上にちょこんと乗ったカチューシャと相まって良く映えている。顔の造りも綺麗に整っており、美人というより可愛らしいといった表現が相応しい少女だ。
そんな風に殆ど完璧と言っていい佇まいの彼女だが、サニーを見る目付きは冷たく、無表情であった。それゆえ、一見すると人形のような印象すら受ける。
「えっと、あなたは……?」
「……申し訳ございません、失念致しておりました」
困惑するサニーの誰何に微妙な間を置いてから、メイド服の少女が無表情のまま答える。
「私の名前はセレンと申します。レインフォール家に仕える使用人でございます。我が主、シェイド・レインフォール様の命により、サンライト様のお世話をさせて頂きました」
淀みなく明白な口調で自己紹介をして、メイド服の少女、セレンはもう一度サニーに頭を下げた。
洗練されたセレンの挙措に感心して見とれるサニーだったが、彼女の言葉を脳内で咀嚼して、意味を汲み取ると同時に気を失う前の記憶が一気に噴出して頭を埋め尽くした。
「っ!? そ、そうだ! あれからどうなったの!? シェイドさんは!? パン屋のおばさんは!? アングリッドくんは!?」
「落ち着いて下さい、サンライト様。順を追って説明致しますので」
一気にまくし立てながらベッドから降りようとするサニーを、セレンは静かに押し留めようとする。
「落ち着いてられないよ!!」
だが興奮したサニーにとっては、セレンのその冷静さは逆に感情をヒートアップさせるものでしかなかった。
「アレは何!? 私が見たのは何だったの!? アングリッド君はどうしてあんな事になっちゃったの!? シェイドさんはどうしてアレを倒せたの!? この街は何!? あなたは何を知っているの!? 答えてよッ!!」
身体の奥底から激流のように湧き上がる衝動を抑え切れず、サニーは矢継ぎ早に質問をまくし立て、セレンに食って掛かる。
そんなサニーの狂態を前にして、セレンの表情が変わる。
「うるさいな――」
人形のような無表情に、明らかな嫌悪と侮蔑が顕れる。押し殺した声には、騒ぐサニーへの苛立ちと怒りが注ぎ込まれていた。
「えっ……!?」
唐突にセレンが見せた感情に、サニーは今までの激情も忘れて呆然と息を呑んだ。
「まもなく主人がこちらに参られます。サンライト様が抱かれる疑念に対する答えは、全て主人の口からなされるでしょう。ですので、今はどうか気をお鎮め下さい。頭に血が上っておられる状態では、まともにお話も出来ませんよ」
気付いた時には、セレンの表情も言葉遣いも元に戻っていた。一瞬前に目にしたものが嘘だったのではないかと思える程に、彼女の様子は凪を保っている。
「あ、はい……。あの、その……さ、騒いでごめん……なさい……」
セレンに対し得体の知れない恐怖を抱いたサニーは、気圧されるままに消沈し、力無く自分の無礼を詫びる。急速に冷えた頭でさっきの自分の態度を顧みれば、確かに見苦しいことこの上ない失態だった。セレンが怒るのも当然かも知れない。
「お飲み物は如何ですか? ささやかながら紅茶の方をご用意させて頂きました。アンダーイーヴズの農家が、日中での活動もままならない中で工夫を凝らして生産ラインを確立したという、この街自慢の一品です。喉越しも爽やかで、お気持ちも落ち着きますよ」
「えっ!? この街って、自前で茶葉が採れるんですか!?」
聞き捨てならない情報に、サニーの口から反射的に疑問の言葉が飛び出す。この国では、茶という物は主に中流階級以上の富裕層が好んで口にする嗜好品として広く親しまれているが、その供給は専ら東方からの輸入に頼っているというのが定説であり、国内で茶の樹が生育されている事例など聴いたことが無い。外国から取り寄せた茶葉を発酵させて紅茶にするというのは、この国でもやっているらしいが。
だがサニーは、言ってしまってからすぐ聞き流せば良かったと後悔した。またセレンを怒らせてしまうかも知れない。
ビクビクしながら反応を待ったが、今度はセレンも豹変した様子を見せなかった。
「はい。決して生産量が多いとは申せませんが。主人の祖父、つまりは先々代のお館様が東方より苗をお取り寄せになり、あれこれと苦心なされながら工夫を重ねて当地の土壌に合うよう改良を施し、発酵の手順と保存の方法をも完全に極められたと聞き及んでおります。このような事例は、国全土を見渡しても類を見ない程で、やがては産業の革命に一役買うものだと先々代様は確信なさっておられたようですが、不幸なことに今日までこの街の紅茶が日の目を見たことはございません」
「へぇ……! でも、それは凄い……!」
サニーは感嘆を呟くに留めた。しかし胸中では、この仰天ものの発見に対して目まぐるしく想念を巡らせ続けている。このことも、本を書くに当って重要な要素を占めるのは間違いないだろう。
尤も、あの影の怪物と較べてしまえば、流石にインパクトは薄くなってしまうのだが。
「ですので、サニー様には是非とも味わって頂きたく思います。さ、どうぞ」
トレーをベッドの小脇にあった小棚の上に置き、優雅な所作でティーポットの中身をカップに注ぐセレン。柑橘系の良い香りがサニーの鼻をくすぐり、強張った心を優しくほぐす。
「ありがとう、ございます。頂きます」
少し救われた気分になり、サニーはセレンの手からカップを受け取る。中から立ち上る香りを堪能しながら、ゆっくりと口をつけて温かい紅茶を啜ってゆく。
「……」
チラリと横目でセレンを窺うが、相変わらずの無表情で冷たくサニーを見下ろしている。その氷のような彼女の佇まいと、口に含んだ紅茶の温かさがどうにもアンバランスで、サニーは今ひとつリラックスしきれなかった。
「そうだ……!」
不意に思い出したサニーは、飲みかけのカップから口を離してワンピースの胸ポケットに手を入れる。
「良かった、落としてなかった……!」
そこにはちゃんと、父から貰った手帳とペンが収まっていた。旅に出た時から自分の心の拠り所だ。サニーはページをめくり、書き留めた箇所をなぞる。その仕草は紅茶の香り以上に、サニーの心に安心感をもたらしてくれた。
「あの……」
なんとか平常心を取り戻したサニーが、思い切って話しかけてみようとセレンを見上げた時、またしてもドアが叩かれた。
セレンがサニーから顔を外し、ドアの方を見る。
「主人がいらっしゃったようです」
それだけを言い、彼女は真っ直ぐドアまで歩いて行ってノブを手に取り、おもむろに捻った。そして――
「ありがとう、セレン。それから、こんばんは、サニーさん。良くお休みになられたでしょうか?」
開かれたドアから、儚げな微笑みを浮かべたシェイドが現れた。
見知らぬ部屋でサニーは目を覚ました。
茫漠とする頭を抑えながらゆっくりと身体を起こし、周囲を見回してみる。
お洒落な部屋だ、というのが最初に浮かんだ感想だった。
アンティークな調度品、汚れひとつ付いていない壁、埃ひとつ落ちてないカーペット。自分が寝ていたベッドも、上質なシルクを使った高級品だ。
何処かの裕福な家の一室だろうということは見当がつく。
「どうしてあたし、こんな所に……?」
まだぼんやりする頭の中から懸命に記憶を手繰り寄せようとしていると、コンコン、と仕立ての良いドアがノックされた。
「はい……!」
「ああ、起きていらっしゃったのですね。失礼します」
反射的に返事をすると、ドアの向こうの相手はそう断ってから中に入ってきた。
「お加減は如何でございましょうか、サンライト様?」
開いたドアから現れたのは、ティーポットとカップを載せたトレーを手に持った、メイド服姿の少女だった。サニーを見て、ペコリと丁寧にお辞儀をする。
年の頃はサニーよりいくらか下だろうか。こぢんまりとした体躯で白黒基調のオーソドッグスなエプロンドレスを着こなし、胸のあたりまで伸ばした黒髪は滑らかで艶があり、頭の上にちょこんと乗ったカチューシャと相まって良く映えている。顔の造りも綺麗に整っており、美人というより可愛らしいといった表現が相応しい少女だ。
そんな風に殆ど完璧と言っていい佇まいの彼女だが、サニーを見る目付きは冷たく、無表情であった。それゆえ、一見すると人形のような印象すら受ける。
「えっと、あなたは……?」
「……申し訳ございません、失念致しておりました」
困惑するサニーの誰何に微妙な間を置いてから、メイド服の少女が無表情のまま答える。
「私の名前はセレンと申します。レインフォール家に仕える使用人でございます。我が主、シェイド・レインフォール様の命により、サンライト様のお世話をさせて頂きました」
淀みなく明白な口調で自己紹介をして、メイド服の少女、セレンはもう一度サニーに頭を下げた。
洗練されたセレンの挙措に感心して見とれるサニーだったが、彼女の言葉を脳内で咀嚼して、意味を汲み取ると同時に気を失う前の記憶が一気に噴出して頭を埋め尽くした。
「っ!? そ、そうだ! あれからどうなったの!? シェイドさんは!? パン屋のおばさんは!? アングリッドくんは!?」
「落ち着いて下さい、サンライト様。順を追って説明致しますので」
一気にまくし立てながらベッドから降りようとするサニーを、セレンは静かに押し留めようとする。
「落ち着いてられないよ!!」
だが興奮したサニーにとっては、セレンのその冷静さは逆に感情をヒートアップさせるものでしかなかった。
「アレは何!? 私が見たのは何だったの!? アングリッド君はどうしてあんな事になっちゃったの!? シェイドさんはどうしてアレを倒せたの!? この街は何!? あなたは何を知っているの!? 答えてよッ!!」
身体の奥底から激流のように湧き上がる衝動を抑え切れず、サニーは矢継ぎ早に質問をまくし立て、セレンに食って掛かる。
そんなサニーの狂態を前にして、セレンの表情が変わる。
「うるさいな――」
人形のような無表情に、明らかな嫌悪と侮蔑が顕れる。押し殺した声には、騒ぐサニーへの苛立ちと怒りが注ぎ込まれていた。
「えっ……!?」
唐突にセレンが見せた感情に、サニーは今までの激情も忘れて呆然と息を呑んだ。
「まもなく主人がこちらに参られます。サンライト様が抱かれる疑念に対する答えは、全て主人の口からなされるでしょう。ですので、今はどうか気をお鎮め下さい。頭に血が上っておられる状態では、まともにお話も出来ませんよ」
気付いた時には、セレンの表情も言葉遣いも元に戻っていた。一瞬前に目にしたものが嘘だったのではないかと思える程に、彼女の様子は凪を保っている。
「あ、はい……。あの、その……さ、騒いでごめん……なさい……」
セレンに対し得体の知れない恐怖を抱いたサニーは、気圧されるままに消沈し、力無く自分の無礼を詫びる。急速に冷えた頭でさっきの自分の態度を顧みれば、確かに見苦しいことこの上ない失態だった。セレンが怒るのも当然かも知れない。
「お飲み物は如何ですか? ささやかながら紅茶の方をご用意させて頂きました。アンダーイーヴズの農家が、日中での活動もままならない中で工夫を凝らして生産ラインを確立したという、この街自慢の一品です。喉越しも爽やかで、お気持ちも落ち着きますよ」
「えっ!? この街って、自前で茶葉が採れるんですか!?」
聞き捨てならない情報に、サニーの口から反射的に疑問の言葉が飛び出す。この国では、茶という物は主に中流階級以上の富裕層が好んで口にする嗜好品として広く親しまれているが、その供給は専ら東方からの輸入に頼っているというのが定説であり、国内で茶の樹が生育されている事例など聴いたことが無い。外国から取り寄せた茶葉を発酵させて紅茶にするというのは、この国でもやっているらしいが。
だがサニーは、言ってしまってからすぐ聞き流せば良かったと後悔した。またセレンを怒らせてしまうかも知れない。
ビクビクしながら反応を待ったが、今度はセレンも豹変した様子を見せなかった。
「はい。決して生産量が多いとは申せませんが。主人の祖父、つまりは先々代のお館様が東方より苗をお取り寄せになり、あれこれと苦心なされながら工夫を重ねて当地の土壌に合うよう改良を施し、発酵の手順と保存の方法をも完全に極められたと聞き及んでおります。このような事例は、国全土を見渡しても類を見ない程で、やがては産業の革命に一役買うものだと先々代様は確信なさっておられたようですが、不幸なことに今日までこの街の紅茶が日の目を見たことはございません」
「へぇ……! でも、それは凄い……!」
サニーは感嘆を呟くに留めた。しかし胸中では、この仰天ものの発見に対して目まぐるしく想念を巡らせ続けている。このことも、本を書くに当って重要な要素を占めるのは間違いないだろう。
尤も、あの影の怪物と較べてしまえば、流石にインパクトは薄くなってしまうのだが。
「ですので、サニー様には是非とも味わって頂きたく思います。さ、どうぞ」
トレーをベッドの小脇にあった小棚の上に置き、優雅な所作でティーポットの中身をカップに注ぐセレン。柑橘系の良い香りがサニーの鼻をくすぐり、強張った心を優しくほぐす。
「ありがとう、ございます。頂きます」
少し救われた気分になり、サニーはセレンの手からカップを受け取る。中から立ち上る香りを堪能しながら、ゆっくりと口をつけて温かい紅茶を啜ってゆく。
「……」
チラリと横目でセレンを窺うが、相変わらずの無表情で冷たくサニーを見下ろしている。その氷のような彼女の佇まいと、口に含んだ紅茶の温かさがどうにもアンバランスで、サニーは今ひとつリラックスしきれなかった。
「そうだ……!」
不意に思い出したサニーは、飲みかけのカップから口を離してワンピースの胸ポケットに手を入れる。
「良かった、落としてなかった……!」
そこにはちゃんと、父から貰った手帳とペンが収まっていた。旅に出た時から自分の心の拠り所だ。サニーはページをめくり、書き留めた箇所をなぞる。その仕草は紅茶の香り以上に、サニーの心に安心感をもたらしてくれた。
「あの……」
なんとか平常心を取り戻したサニーが、思い切って話しかけてみようとセレンを見上げた時、またしてもドアが叩かれた。
セレンがサニーから顔を外し、ドアの方を見る。
「主人がいらっしゃったようです」
それだけを言い、彼女は真っ直ぐドアまで歩いて行ってノブを手に取り、おもむろに捻った。そして――
「ありがとう、セレン。それから、こんばんは、サニーさん。良くお休みになられたでしょうか?」
開かれたドアから、儚げな微笑みを浮かべたシェイドが現れた。