残酷な描写あり
第九話 真実
「ありがとう、セレン」
部屋に入ってきたシェイドは、セレンが引いてきた椅子に腰掛けると居住まいを正してサニーに向き直る。彼の手には、怪物を斃す時に使った例のステッキがしっかり握られていた。彼の顔の傍で、ステッキにはめ込まれたブルー・ダイヤモンドが青く煌めく。
「お身体の具合は如何ですか?」
「あ、はい。多分、大丈夫だと思います。特に何処も痛めてませんし」
サニーは未だベッドから上半身だけを起こした姿勢のまま、探るようにシェイドを上目遣いで見ながら答える。そして喋っている途中で、ふと最初に訊くべきことがまだだったと気付く。
「あの……もしかして此処は、シェイドさんのお家……なんでしょうか?」
「如何にも、その通りです。僭越ながら、気絶した貴女を我が館で介抱させて頂きました。色々とご迷惑をお掛けしてしまいましたし、謝罪や説明が必要と判断致しましたので」
つまり、シェイドはきちんと説明してくれる気がある、という事だ。先程の顛末を。そして、『影無しの街』の真実を。
目の前に座る青年紳士の目に誠実さがありありと顕れているのを見て、サニーは期待と好奇心で逸る心を抑えながら続く彼の言葉を待った。
「さて、まずは何処からお話ししましょうか……」
シェイドは、どう切り出したものか思い悩んでいる様子だ。サニーは助け舟を出すのも兼ねて、一番気にかかっている事を尋ねた。
「パン屋のおばさんや、アングリッド君はどうなったんですか?」
改めて口にするのは結構勇気が要った。戦々恐々としながらシェイドの答えを待つと、その懸念を払拭するように彼は優しく微笑んだ。
「ご心配には及びません。二人共無事です。パン屋のご主人は医師に診せましたし、アングリッドも先程家で休ませました。ただし……」
と、そこで俄にシェイドの表情が曇る。
「アングリッドの『影』は、もう在りません。私が、除去してしまいましたから」
「『影』……?」
サニーは思わず身を乗り出した。一言一句も聞き漏らすまいと全神経をシェイドに集中させる。
「サニーさんが見た怪物の正体です。人なら誰しもが持っている心の闇。怒り、嫉妬、悲しみ、被害妄想……。そういった負の感情が肥大化し、暴走してしまった姿なのです」
「心の闇……負の感情……? それと“影”が、どう関係しているんですか?」
シェイドは一度目を伏せ、言葉を溜めてから再びサニーを見る。
「《呪い》、です。アンダーイーヴズの住人は、自らの影に心の闇を反映し、やがて閾値を超えるとそれが具現化するという呪いを掛けられているのです」
「呪い……!?」
サニーは瞠目した。呪いなど、まさしくファンタジーやホラーの中身を彩るフィクション要素だ。これではまるで、自分が読んできた小説世界の話ではないか。
「信じられないのも無理はありません。しかし、事実です」
シェイドの視線は揺らがない。その目も、口調も、仕草も、全てが真に迫っており嘘っぽい軽佻さは見られない。
「アンダーイーヴズの人々は、太陽の光を浴びる事で自らの心に根付く負の感情を刺激され、影の濃さが増していきます。やがてそれが限界を迎えると、影は『影』となり、本体を呑み込んで異形に変えてしまうのです」
「じゃあ、あの時のアングリッドくんも……?」
サニーの問いに、力無くシェイドは頷いた。
「アングリッドの精神が不安定になっているのには気付いていました。彼には父親がなく、病で伏せがちの母親と二人で慎ましく暮らしていましたから。回復の兆候が見られず、次第に衰弱を深めてゆく母親の姿を見て、気に病んでしまったのです」
「そんな……! だから、あの時……!」
サニーは震える手で口元を抑えた。母親への想いを吐露しながら異形へと変貌したアングリッドの姿が、今も脳裏に焼き付いている。
「私も、出来る限り注意するようにはしていました。しかし、力不足だったようです。彼の心の闇を晴らす事が出来ず、彼は自らの『影』に呑まれてしまった……」
そこでシェイドは深く嘆息する。手に持ったステッキを掲げ、ブルー・ダイヤモンドの部分をサニーに良く見えるようにする。
「『影』と化した人物は理性を無くし、本能のままに見境無く暴れます。元に戻すには、このブルー・ダイヤモンドの力で『影』を除去するより他に方法がありません」
「その青いダイヤに、そんな力が……!?」
惹き寄せられるように見つめるサニーの前で、ブルー・ダイヤモンドが輝く。
「私の祖父が、祖母と婚姻を結ぶ際に契の証として分け合ったというダイヤの片割れです」
そう言ってシェイドは少しだけ表情を和らげると、愛おしそうにダイヤの表面を眺めた。
「このダイヤには不思議な力が宿っておりましてね。人の心の闇を吸収して、消化する効力が込められているのです。このダイヤの力であれば、『影』を取り除き、呑み込まれた人を元に戻す事が可能です。しかし……」
穏やかだったシェイドの顔が、再び哀しみに染まる。
「『影』を喪うという事は、すなわちその人の自我を構成する負の側面が喪われるという事。『影』を奪われた人は影そのものを喪い、怒りや悲しみといった負の感情も喪失し、極端に衰弱しやすくなってついには死に至ります」
「えっ……!?」
サニーは驚愕のあまり顔を上げた。
「そ、それじゃあ……! アングリッドくんは……!?」
「……生きられるのは、保ってあと数年、というところでしょう」
サニーの縋るような目から逃げるように、シェイドは顔を逸しつつ答えた。
「そんな……! ……あっ!? じゃ、じゃあまさか、あのベニタさん、も……!?」
サニーの脳裏に、杖をついて歩いていたあの影の無い親切な中年女性の姿が蘇った。
「サニーさんのご推察の通りです。ベニタさんもまた、『影』に呑まれてしまい、私がこの手で浄化しました。家で安静に過ごすようにと常々言い含めているのですが、“もう太陽を怖がる必要は無いのだから、死ぬまでに思う存分散歩をして、日向ぼっこを楽しみたい”と、中々聴き入れて下さいません」
それでか、とサニーは腑に落ちた。それで最初に会った時、ベニタの名前を聴いて彼は慌てて駆け去っていったのだ。きっと彼女を探して家に連れ戻していたのだろう。それを終えた前か後かは定かではないが、その過程であのパン屋の辺りでの騒動に気付いたに違いない。
「ともかく、これがこのアンダーイーヴズが『影無しの街』と呼ばれるようになった原因です。住人達は太陽の光を怖れ、浴びて自らの心の闇を育てないように日中は家に閉じ籠もっているのです。しかし、いくら家にいようと、太陽光を完全に遮断するのは至難の業。住人達は少しずつ、光に冒されて影を濃くしていっています。このまま放っておけば、いずれ全ての人が『影』と化し、この街は滅びてしまうでしょう」
「どうして、なんですか……!?」
シェイドの口から明かされたこの街の真実に、サニーは理不尽さを感じて憤る。
「どうして、そんな怖ろしい呪いが掛けられているんですか!? 何故!? 誰がそんな事を!?」
義憤に突き動かされるサニーの言葉を聴いて、シェイドが再び視線を下げる。
「街に、呪いを掛けたのは――」
そして、驚くべき事を口にした。
「私の、祖母です」
部屋に入ってきたシェイドは、セレンが引いてきた椅子に腰掛けると居住まいを正してサニーに向き直る。彼の手には、怪物を斃す時に使った例のステッキがしっかり握られていた。彼の顔の傍で、ステッキにはめ込まれたブルー・ダイヤモンドが青く煌めく。
「お身体の具合は如何ですか?」
「あ、はい。多分、大丈夫だと思います。特に何処も痛めてませんし」
サニーは未だベッドから上半身だけを起こした姿勢のまま、探るようにシェイドを上目遣いで見ながら答える。そして喋っている途中で、ふと最初に訊くべきことがまだだったと気付く。
「あの……もしかして此処は、シェイドさんのお家……なんでしょうか?」
「如何にも、その通りです。僭越ながら、気絶した貴女を我が館で介抱させて頂きました。色々とご迷惑をお掛けしてしまいましたし、謝罪や説明が必要と判断致しましたので」
つまり、シェイドはきちんと説明してくれる気がある、という事だ。先程の顛末を。そして、『影無しの街』の真実を。
目の前に座る青年紳士の目に誠実さがありありと顕れているのを見て、サニーは期待と好奇心で逸る心を抑えながら続く彼の言葉を待った。
「さて、まずは何処からお話ししましょうか……」
シェイドは、どう切り出したものか思い悩んでいる様子だ。サニーは助け舟を出すのも兼ねて、一番気にかかっている事を尋ねた。
「パン屋のおばさんや、アングリッド君はどうなったんですか?」
改めて口にするのは結構勇気が要った。戦々恐々としながらシェイドの答えを待つと、その懸念を払拭するように彼は優しく微笑んだ。
「ご心配には及びません。二人共無事です。パン屋のご主人は医師に診せましたし、アングリッドも先程家で休ませました。ただし……」
と、そこで俄にシェイドの表情が曇る。
「アングリッドの『影』は、もう在りません。私が、除去してしまいましたから」
「『影』……?」
サニーは思わず身を乗り出した。一言一句も聞き漏らすまいと全神経をシェイドに集中させる。
「サニーさんが見た怪物の正体です。人なら誰しもが持っている心の闇。怒り、嫉妬、悲しみ、被害妄想……。そういった負の感情が肥大化し、暴走してしまった姿なのです」
「心の闇……負の感情……? それと“影”が、どう関係しているんですか?」
シェイドは一度目を伏せ、言葉を溜めてから再びサニーを見る。
「《呪い》、です。アンダーイーヴズの住人は、自らの影に心の闇を反映し、やがて閾値を超えるとそれが具現化するという呪いを掛けられているのです」
「呪い……!?」
サニーは瞠目した。呪いなど、まさしくファンタジーやホラーの中身を彩るフィクション要素だ。これではまるで、自分が読んできた小説世界の話ではないか。
「信じられないのも無理はありません。しかし、事実です」
シェイドの視線は揺らがない。その目も、口調も、仕草も、全てが真に迫っており嘘っぽい軽佻さは見られない。
「アンダーイーヴズの人々は、太陽の光を浴びる事で自らの心に根付く負の感情を刺激され、影の濃さが増していきます。やがてそれが限界を迎えると、影は『影』となり、本体を呑み込んで異形に変えてしまうのです」
「じゃあ、あの時のアングリッドくんも……?」
サニーの問いに、力無くシェイドは頷いた。
「アングリッドの精神が不安定になっているのには気付いていました。彼には父親がなく、病で伏せがちの母親と二人で慎ましく暮らしていましたから。回復の兆候が見られず、次第に衰弱を深めてゆく母親の姿を見て、気に病んでしまったのです」
「そんな……! だから、あの時……!」
サニーは震える手で口元を抑えた。母親への想いを吐露しながら異形へと変貌したアングリッドの姿が、今も脳裏に焼き付いている。
「私も、出来る限り注意するようにはしていました。しかし、力不足だったようです。彼の心の闇を晴らす事が出来ず、彼は自らの『影』に呑まれてしまった……」
そこでシェイドは深く嘆息する。手に持ったステッキを掲げ、ブルー・ダイヤモンドの部分をサニーに良く見えるようにする。
「『影』と化した人物は理性を無くし、本能のままに見境無く暴れます。元に戻すには、このブルー・ダイヤモンドの力で『影』を除去するより他に方法がありません」
「その青いダイヤに、そんな力が……!?」
惹き寄せられるように見つめるサニーの前で、ブルー・ダイヤモンドが輝く。
「私の祖父が、祖母と婚姻を結ぶ際に契の証として分け合ったというダイヤの片割れです」
そう言ってシェイドは少しだけ表情を和らげると、愛おしそうにダイヤの表面を眺めた。
「このダイヤには不思議な力が宿っておりましてね。人の心の闇を吸収して、消化する効力が込められているのです。このダイヤの力であれば、『影』を取り除き、呑み込まれた人を元に戻す事が可能です。しかし……」
穏やかだったシェイドの顔が、再び哀しみに染まる。
「『影』を喪うという事は、すなわちその人の自我を構成する負の側面が喪われるという事。『影』を奪われた人は影そのものを喪い、怒りや悲しみといった負の感情も喪失し、極端に衰弱しやすくなってついには死に至ります」
「えっ……!?」
サニーは驚愕のあまり顔を上げた。
「そ、それじゃあ……! アングリッドくんは……!?」
「……生きられるのは、保ってあと数年、というところでしょう」
サニーの縋るような目から逃げるように、シェイドは顔を逸しつつ答えた。
「そんな……! ……あっ!? じゃ、じゃあまさか、あのベニタさん、も……!?」
サニーの脳裏に、杖をついて歩いていたあの影の無い親切な中年女性の姿が蘇った。
「サニーさんのご推察の通りです。ベニタさんもまた、『影』に呑まれてしまい、私がこの手で浄化しました。家で安静に過ごすようにと常々言い含めているのですが、“もう太陽を怖がる必要は無いのだから、死ぬまでに思う存分散歩をして、日向ぼっこを楽しみたい”と、中々聴き入れて下さいません」
それでか、とサニーは腑に落ちた。それで最初に会った時、ベニタの名前を聴いて彼は慌てて駆け去っていったのだ。きっと彼女を探して家に連れ戻していたのだろう。それを終えた前か後かは定かではないが、その過程であのパン屋の辺りでの騒動に気付いたに違いない。
「ともかく、これがこのアンダーイーヴズが『影無しの街』と呼ばれるようになった原因です。住人達は太陽の光を怖れ、浴びて自らの心の闇を育てないように日中は家に閉じ籠もっているのです。しかし、いくら家にいようと、太陽光を完全に遮断するのは至難の業。住人達は少しずつ、光に冒されて影を濃くしていっています。このまま放っておけば、いずれ全ての人が『影』と化し、この街は滅びてしまうでしょう」
「どうして、なんですか……!?」
シェイドの口から明かされたこの街の真実に、サニーは理不尽さを感じて憤る。
「どうして、そんな怖ろしい呪いが掛けられているんですか!? 何故!? 誰がそんな事を!?」
義憤に突き動かされるサニーの言葉を聴いて、シェイドが再び視線を下げる。
「街に、呪いを掛けたのは――」
そして、驚くべき事を口にした。
「私の、祖母です」