残酷な描写あり
第十九話 サニーとシェイド
深い夜に覆われた街並みを、無数のランタンの火があっちこっち忙しなく動き回っている。
等間隔でずらりと並べられた街灯、表通りに面する店に灯された光の数々が、闇に溶け込もうとする街を繋ぎ止めんとするかのように、その頼りない灯りを懸命に注ぎ込む。
昼間の静寂が嘘のように、ごった返す人々で溢れた大通り。夜間の安らぎなど望みようもなく、活気に満ちた喧騒がそこここで起こっている。
これが、アンダーイーヴズの真の顔だった。
太陽が隠れた後こそが、この街の住民に許された自由な時間なのである。
その賑わいの中を、サニーとシェイドはケルティーの背に揺られて静々と進んでいた。
「レインフォールの旦那! 今夜も見回り、ご苦労さまです!」
「シェイドさん! ウチの店に寄ってっておくれよ! こないだ夜間に近場を通りがかった行商人と運良く交渉が上手くいってねえ、珍しい毛皮を仕入れたんだよ!」
「社長! こんなところでお目にかかるとは! 明日の操業も、宜しくおねがいしますぞ!」
前を通り掛かった店や、すれ違う人々が口々にシェイドに挨拶をする。彼はこの街では大層な有名人で、人気者だった。皆、シェイドの活躍や苦労を知っているからだ。
「サンライトさん! お噂は耳にしておりますぞ! アンダーイーヴズへようこそ!」
「なんでも、来た初日からえらい目に遭われたそうですな。いやはや、同じ街の住人として申し訳ない」
「アングリッドの《影送りの儀》にも同席して下さいましたな。ありがとうございます、あいつやお袋さんも浮かばれることでしょう」
シェイドだけでなく、彼らはサニーにも気さくに話しかけてくれた。
サニーはシェイドに倣って、ひとつひとつ笑顔で丁寧にお辞儀を返してゆく。
「今夜はシェイドさんと一緒にデートかい? か〜っ! 中々ちゃっかりしたお嬢さんだねぇ!」
「ひゅーひゅー! 若いお二人さん、お熱いねェ!!」
「ムキーッ! 見せつけてくれちゃって! シェイド様は私のものよ!!」
……まぁ、中にはこうやって冷やかす声もあったけど、そこに悪意は込められておらず、むしろ気安さからくる揶揄と言った方が正しい。
だからシェイドも柔らかい口調で一言二言窘めるだけでさらりと受け流していたし、サニーも不快を覚えなかった。
ただ、それらの揶揄を受ける度に背後のシェイドを意識してしまい、どうしようもなく顔が熱くなる事だけは、サニーとてどうしようもなかったが。
「気の良い人達ですね」
高鳴る鼓動を誤魔化す為にそう口にしたサニーだが、同時に本心からの言葉でもあった。
これまで幾度も彼らと接する内に、深く心に感じた思い。
自分達に向けられる視線は皆穏やかで優しく、掛けられる声は親しみに溢れていた。
アンダーイーヴズに暮らす人々の純朴な気風が、シェイドだけでなくサニーの心も温めてゆく。
「ええ、本当に。こうして彼らと交わっていると、たとえ一時でも呪いの存在を忘れてしまいそうになります」
シェイドの顔も綻んでいる。街の人々の営みを見られる事は、彼にとっても少なからず心の憩いになっているのだろう。
「ああいう人達に、“心の闇”があるなんて信じられない。『影』なんていう、身勝手で迷惑な想いを心の何処かで抱えて生きているなんて……」
すれ違う人々の笑顔を目で追いながら、サニーはぽつりと零した。
「『影』は、誰にでもあります。善良なだけの人間なんて、きっとこの世の何処を探しても見つからないでしょう」
シェイドは穏やかながら、しかし確信を込めた語調で言い切る。
サニーは振り返って、シェイドの切れ長の目を見詰めた。
「シェイドさんにも、あるんですか?」
「あります。私にも、セレンにも、勿論サニーさんにもね」
微かに、シェイドは口元を緩めた。
「実のところ、サニーさんは御自身で気付いておられるのではありませんか?」
図星だった。サニーも少しだけ笑い、おどけてみせる。
「あはっ、バレちゃいましたか? あたしがこの街に残りたいって言った、真の理由」
「露見も何も、貴女は最初から正直に申されたではありませんか。“アンダーイーヴズの秘密に興味がある、最後まで見届けたい”……と」
シェイドが破顔する。彼の表情に険がないのを察して、サニーは素直に真情を言う事にした。
「……あたし、作家になりたいんです。小さい頃から本を読むのが好きで、そこで紡がれる物語の世界を空想してはのめり込んでいました。自分でもああいうお話を書けたら良いなって、子供の頃から思い続けていたんです」
「小説や童話を好まれたのですね。学術書や教本などは嗜まれないのですか?」
「うぐっ……!? い、いえ、そっち分野の本は、あまり……」
しれっと痛い所を衝かれて、サニーの笑顔は引きつった。
どうせ読むならせめてこういうのを読め、と書庫に忍び込んだサニーを叱る時の母が、こめかみに青筋を浮かべながらよくそう言っていた。
サニーとしては、学術書の類等は面白味の欠片も感じられない無情緒な書物としか思えず、魅力を見出だせなくて敬遠していたものだ。
こうして呪いの調査に乗り出している今、その手の本も読んでおけば良かったと後悔する気持ちが浮かばないでもない。
「そうですか。まぁ私も、あえて興味を惹かれるような書籍ではありませんがね。レインフォール家の跡継ぎとして教養を身に着けよと、父から読まされてはいましたが」
サニーの微妙な心境を察してか、シェイドも深く突っ込んだりはせずに話柄を自分に移して軽く笑い声を上げる。
サニーはほっと内心で息をついた。
「あ、やっぱり名家とかだとそういうのもあるんですね」
「バース炭鉱の経営もありますからね。やはり実学を著した書物から知識を得ないと、業務に不都合が生じます」
「あはは! 社長さんも大変ですね!」
サニーはひとしきり無邪気に笑った後、それを収めて真剣な表情に戻った。
「……そう、あたしは小説の世界が大好きでした。物語への憧れが高じて、自分も物書きを目指そうと思いました。そうして家を出て、旅をして、作品の題材になり得るような世の不思議を探し求めたんです」
「そして、このアンダーイーヴズへと貴女はお越しになられた」
「……はい」
サニーは、シェイドとしっかり目を合わせて頷いた。
「『影無しの街』。噂を耳にした時に確信しました。これこそ、あたしが追い求めていた物だって」
「期待には、応えられましたか?」
「……」
皮肉で訊いているのではない。それが分かっていても、サニーはいたたまれなくなってシェイドから目を外した。
「……アングリッドくんが『影』に呑まれた時は、怖かったですし、呪いの話を聴いた時は、可哀想だって感じましたけど……」
そこで、サニーは言葉を詰まらせてしまう。
シェイドは何も言わない。ただ静かに、彼女の言葉の続きを待っている。
やがて、意を決してサニーは再び口を開いた。
「正直なところ、心の何処かで……興奮も、感じていたんです。“ああ、噂は本当だった! この街には、想像を絶する秘密が隠されていたんだ!”……って」
勇気を要するセリフだった。恥ずべき事を口にしているという自覚が、サニーの心を棘のようにチクチクと突き刺す。
しかし、シェイドは――。
「そんなものでしょう」
サニーを責める事も、怒りを顕す事もなく、ただ自然と頷いたのだ。
「そういう打算は、あって当然です。街の呪いに立ち向かうという危険に対して、何らかの見返りを求めるのは至極真っ当な考えですよ」
「シェイドさん……!?」
サニーは驚きで目を見開いた。
「それが『影』です、サニーさん。自己の利益を追求する心。自己の望むままに動きたいという欲求。それこそが、人の心を構成する一側面であるのです。私はむしろ、サニーさんが純然たる善意のみでこの街に残りたいと仰っていたら、その時点で貴女の強制送還を決意していたでしょう」
「でも、良いんですか……!?」
サニーは信じられないという思いで、シェイドの端正な顔を見詰めた。
そんな彼女に、シェイドはもう一度優しく微笑んで、言ったのだ。
「『影』は、行き過ぎたり囚われたりしなければ、その人を動かす原動力足り得る大切な感情です。サニーさんで言うならば、健全という枠に十分収まる度合いのもの。まともな人を、どうして非難出来ましょうか」
それに、とシェイドは続けた。
「そういう目論見があったからと言って、サニーさんの述べたもう一つの理由が嘘という事にはなりません。『この街の人々を助けたい。』と申して下さった時の貴女の目は、この上なく真摯さに満ち溢れていました。私は、あの時の貴女の目を信じたい。貴女の優しさを、疑いたくなどないのです」
「……!!」
サニーの全身が熱を帯びる。耳元まで真赤になった彼女は、とてもシェイドを直視出来ずに正面に身体を戻して俯いた。
「あ、あ、ありがとうございまひゅ!! し、信用してくれて……!」
どもりながら、必死にそれだけを伝える。
そんなサニーの頭を、シェイドの繊細な手が優しく撫でた。
「頼りにしていますよ、サニーさん。私の望みと貴女の望み。両方ともが叶うよう、頑張りましょう」
「ひゃ、ひゃいっっ!!」
最早まともに返事も出来ないサニーであった。
◆◆◆
「それでは、すみませんが少し此処で待っていて下さいね。ケルティー、サニーさんを頼みましたよ」
手に花束やら果物が入った籠やらを抱えたシェイドが、ケルティーとサニーを交互に見て言った。
「ふぁぁい……」
未だケルティーに跨ったままのサニーは熱に浮かされた顔で、寝ぼけたような返事を返すだけだった。ケルティーが『大丈夫か、コイツ?』と言いたげに首を振る。
そんな彼女達を苦笑い気味に一瞥して、シェイドは目の前に建つ家の玄関を目指して歩いた。
「こんばんは、シェイド・レインフォールです。ジュディスさん、アングリッド、いらっしゃいますか?」
シェイドが訪いを入れたのは、誰あろうあのアングリッド親子が住む家だった。
調査のついでに見舞いに行きたい、というシェイドの希望で寄ったのだ。
「ぽ〜〜……」
家の扉を叩いて中に呼びかけているシェイドの後ろ姿を、やはり熱に浮かされた目でぼんやりと眺めるサニー。
『ぽ〜』なんて擬音まで口に出している。
「シェイドさん、やっぱり良い人だなぁ〜……。優しいし、カッコいいし……。素敵だなぁ〜〜……!」
とろーん、と蕩けきった笑みでシェイドの背中を見詰めるサニー。
誰がどう見ても完全に恋する少女の顔になっていた。
――ヒンッ。
真下のケルティーも、『ダメだこりゃ』とばかりに鼻を鳴らす。
「……ジュディスさん? アングリッド?」
その内に、シェイドがドアノブに手を伸ばす。
ドアは、するりと開いた。
開けた先にジュディスやアングリッドの姿があった訳では無い。中から何の反応も無い事を訝しんだシェイドがそれを開けたのだ。
が、頭の中にお花畑が広がっている今のサニーに、その辺が理解出来る筈も無く。
彼女は、ドアの向こうに消えていくシェイドを、ただうっとりと眺めて見送っただけである。
「はぁ〜〜〜〜……」
しばらくは出てこないだろうな、という拗ねた気持ちにも近い溜息。
早く戻ってきて欲しい。もっと彼と沢山話したい。ずっと彼の顔を眺めていたい。
そんな風に、作家の夢とはまた別の『影』を心の中で遊ばせていたサニーだったが、
「……ん?」
ふとアングリッドの家の路地裏から出てきた“影”が目に止まり、俄に正気を取り戻した。
「……」
その“影”は、一瞬だけサニーの方を見たようだったが、すぐに踵を返して反対方向へと駆けていき、瞬く間に夜の帳に溶け込んで見えなくなった。
「誰だろう、こんな時間……っていうのは別に不自然じゃないか。けど、どうしてあんな所から――」
と、サニーが首を傾げた時だった。
「ダメです!! 止めて下さい!!!」
シェイドの絶叫が、家の中から上がった――!
等間隔でずらりと並べられた街灯、表通りに面する店に灯された光の数々が、闇に溶け込もうとする街を繋ぎ止めんとするかのように、その頼りない灯りを懸命に注ぎ込む。
昼間の静寂が嘘のように、ごった返す人々で溢れた大通り。夜間の安らぎなど望みようもなく、活気に満ちた喧騒がそこここで起こっている。
これが、アンダーイーヴズの真の顔だった。
太陽が隠れた後こそが、この街の住民に許された自由な時間なのである。
その賑わいの中を、サニーとシェイドはケルティーの背に揺られて静々と進んでいた。
「レインフォールの旦那! 今夜も見回り、ご苦労さまです!」
「シェイドさん! ウチの店に寄ってっておくれよ! こないだ夜間に近場を通りがかった行商人と運良く交渉が上手くいってねえ、珍しい毛皮を仕入れたんだよ!」
「社長! こんなところでお目にかかるとは! 明日の操業も、宜しくおねがいしますぞ!」
前を通り掛かった店や、すれ違う人々が口々にシェイドに挨拶をする。彼はこの街では大層な有名人で、人気者だった。皆、シェイドの活躍や苦労を知っているからだ。
「サンライトさん! お噂は耳にしておりますぞ! アンダーイーヴズへようこそ!」
「なんでも、来た初日からえらい目に遭われたそうですな。いやはや、同じ街の住人として申し訳ない」
「アングリッドの《影送りの儀》にも同席して下さいましたな。ありがとうございます、あいつやお袋さんも浮かばれることでしょう」
シェイドだけでなく、彼らはサニーにも気さくに話しかけてくれた。
サニーはシェイドに倣って、ひとつひとつ笑顔で丁寧にお辞儀を返してゆく。
「今夜はシェイドさんと一緒にデートかい? か〜っ! 中々ちゃっかりしたお嬢さんだねぇ!」
「ひゅーひゅー! 若いお二人さん、お熱いねェ!!」
「ムキーッ! 見せつけてくれちゃって! シェイド様は私のものよ!!」
……まぁ、中にはこうやって冷やかす声もあったけど、そこに悪意は込められておらず、むしろ気安さからくる揶揄と言った方が正しい。
だからシェイドも柔らかい口調で一言二言窘めるだけでさらりと受け流していたし、サニーも不快を覚えなかった。
ただ、それらの揶揄を受ける度に背後のシェイドを意識してしまい、どうしようもなく顔が熱くなる事だけは、サニーとてどうしようもなかったが。
「気の良い人達ですね」
高鳴る鼓動を誤魔化す為にそう口にしたサニーだが、同時に本心からの言葉でもあった。
これまで幾度も彼らと接する内に、深く心に感じた思い。
自分達に向けられる視線は皆穏やかで優しく、掛けられる声は親しみに溢れていた。
アンダーイーヴズに暮らす人々の純朴な気風が、シェイドだけでなくサニーの心も温めてゆく。
「ええ、本当に。こうして彼らと交わっていると、たとえ一時でも呪いの存在を忘れてしまいそうになります」
シェイドの顔も綻んでいる。街の人々の営みを見られる事は、彼にとっても少なからず心の憩いになっているのだろう。
「ああいう人達に、“心の闇”があるなんて信じられない。『影』なんていう、身勝手で迷惑な想いを心の何処かで抱えて生きているなんて……」
すれ違う人々の笑顔を目で追いながら、サニーはぽつりと零した。
「『影』は、誰にでもあります。善良なだけの人間なんて、きっとこの世の何処を探しても見つからないでしょう」
シェイドは穏やかながら、しかし確信を込めた語調で言い切る。
サニーは振り返って、シェイドの切れ長の目を見詰めた。
「シェイドさんにも、あるんですか?」
「あります。私にも、セレンにも、勿論サニーさんにもね」
微かに、シェイドは口元を緩めた。
「実のところ、サニーさんは御自身で気付いておられるのではありませんか?」
図星だった。サニーも少しだけ笑い、おどけてみせる。
「あはっ、バレちゃいましたか? あたしがこの街に残りたいって言った、真の理由」
「露見も何も、貴女は最初から正直に申されたではありませんか。“アンダーイーヴズの秘密に興味がある、最後まで見届けたい”……と」
シェイドが破顔する。彼の表情に険がないのを察して、サニーは素直に真情を言う事にした。
「……あたし、作家になりたいんです。小さい頃から本を読むのが好きで、そこで紡がれる物語の世界を空想してはのめり込んでいました。自分でもああいうお話を書けたら良いなって、子供の頃から思い続けていたんです」
「小説や童話を好まれたのですね。学術書や教本などは嗜まれないのですか?」
「うぐっ……!? い、いえ、そっち分野の本は、あまり……」
しれっと痛い所を衝かれて、サニーの笑顔は引きつった。
どうせ読むならせめてこういうのを読め、と書庫に忍び込んだサニーを叱る時の母が、こめかみに青筋を浮かべながらよくそう言っていた。
サニーとしては、学術書の類等は面白味の欠片も感じられない無情緒な書物としか思えず、魅力を見出だせなくて敬遠していたものだ。
こうして呪いの調査に乗り出している今、その手の本も読んでおけば良かったと後悔する気持ちが浮かばないでもない。
「そうですか。まぁ私も、あえて興味を惹かれるような書籍ではありませんがね。レインフォール家の跡継ぎとして教養を身に着けよと、父から読まされてはいましたが」
サニーの微妙な心境を察してか、シェイドも深く突っ込んだりはせずに話柄を自分に移して軽く笑い声を上げる。
サニーはほっと内心で息をついた。
「あ、やっぱり名家とかだとそういうのもあるんですね」
「バース炭鉱の経営もありますからね。やはり実学を著した書物から知識を得ないと、業務に不都合が生じます」
「あはは! 社長さんも大変ですね!」
サニーはひとしきり無邪気に笑った後、それを収めて真剣な表情に戻った。
「……そう、あたしは小説の世界が大好きでした。物語への憧れが高じて、自分も物書きを目指そうと思いました。そうして家を出て、旅をして、作品の題材になり得るような世の不思議を探し求めたんです」
「そして、このアンダーイーヴズへと貴女はお越しになられた」
「……はい」
サニーは、シェイドとしっかり目を合わせて頷いた。
「『影無しの街』。噂を耳にした時に確信しました。これこそ、あたしが追い求めていた物だって」
「期待には、応えられましたか?」
「……」
皮肉で訊いているのではない。それが分かっていても、サニーはいたたまれなくなってシェイドから目を外した。
「……アングリッドくんが『影』に呑まれた時は、怖かったですし、呪いの話を聴いた時は、可哀想だって感じましたけど……」
そこで、サニーは言葉を詰まらせてしまう。
シェイドは何も言わない。ただ静かに、彼女の言葉の続きを待っている。
やがて、意を決してサニーは再び口を開いた。
「正直なところ、心の何処かで……興奮も、感じていたんです。“ああ、噂は本当だった! この街には、想像を絶する秘密が隠されていたんだ!”……って」
勇気を要するセリフだった。恥ずべき事を口にしているという自覚が、サニーの心を棘のようにチクチクと突き刺す。
しかし、シェイドは――。
「そんなものでしょう」
サニーを責める事も、怒りを顕す事もなく、ただ自然と頷いたのだ。
「そういう打算は、あって当然です。街の呪いに立ち向かうという危険に対して、何らかの見返りを求めるのは至極真っ当な考えですよ」
「シェイドさん……!?」
サニーは驚きで目を見開いた。
「それが『影』です、サニーさん。自己の利益を追求する心。自己の望むままに動きたいという欲求。それこそが、人の心を構成する一側面であるのです。私はむしろ、サニーさんが純然たる善意のみでこの街に残りたいと仰っていたら、その時点で貴女の強制送還を決意していたでしょう」
「でも、良いんですか……!?」
サニーは信じられないという思いで、シェイドの端正な顔を見詰めた。
そんな彼女に、シェイドはもう一度優しく微笑んで、言ったのだ。
「『影』は、行き過ぎたり囚われたりしなければ、その人を動かす原動力足り得る大切な感情です。サニーさんで言うならば、健全という枠に十分収まる度合いのもの。まともな人を、どうして非難出来ましょうか」
それに、とシェイドは続けた。
「そういう目論見があったからと言って、サニーさんの述べたもう一つの理由が嘘という事にはなりません。『この街の人々を助けたい。』と申して下さった時の貴女の目は、この上なく真摯さに満ち溢れていました。私は、あの時の貴女の目を信じたい。貴女の優しさを、疑いたくなどないのです」
「……!!」
サニーの全身が熱を帯びる。耳元まで真赤になった彼女は、とてもシェイドを直視出来ずに正面に身体を戻して俯いた。
「あ、あ、ありがとうございまひゅ!! し、信用してくれて……!」
どもりながら、必死にそれだけを伝える。
そんなサニーの頭を、シェイドの繊細な手が優しく撫でた。
「頼りにしていますよ、サニーさん。私の望みと貴女の望み。両方ともが叶うよう、頑張りましょう」
「ひゃ、ひゃいっっ!!」
最早まともに返事も出来ないサニーであった。
◆◆◆
「それでは、すみませんが少し此処で待っていて下さいね。ケルティー、サニーさんを頼みましたよ」
手に花束やら果物が入った籠やらを抱えたシェイドが、ケルティーとサニーを交互に見て言った。
「ふぁぁい……」
未だケルティーに跨ったままのサニーは熱に浮かされた顔で、寝ぼけたような返事を返すだけだった。ケルティーが『大丈夫か、コイツ?』と言いたげに首を振る。
そんな彼女達を苦笑い気味に一瞥して、シェイドは目の前に建つ家の玄関を目指して歩いた。
「こんばんは、シェイド・レインフォールです。ジュディスさん、アングリッド、いらっしゃいますか?」
シェイドが訪いを入れたのは、誰あろうあのアングリッド親子が住む家だった。
調査のついでに見舞いに行きたい、というシェイドの希望で寄ったのだ。
「ぽ〜〜……」
家の扉を叩いて中に呼びかけているシェイドの後ろ姿を、やはり熱に浮かされた目でぼんやりと眺めるサニー。
『ぽ〜』なんて擬音まで口に出している。
「シェイドさん、やっぱり良い人だなぁ〜……。優しいし、カッコいいし……。素敵だなぁ〜〜……!」
とろーん、と蕩けきった笑みでシェイドの背中を見詰めるサニー。
誰がどう見ても完全に恋する少女の顔になっていた。
――ヒンッ。
真下のケルティーも、『ダメだこりゃ』とばかりに鼻を鳴らす。
「……ジュディスさん? アングリッド?」
その内に、シェイドがドアノブに手を伸ばす。
ドアは、するりと開いた。
開けた先にジュディスやアングリッドの姿があった訳では無い。中から何の反応も無い事を訝しんだシェイドがそれを開けたのだ。
が、頭の中にお花畑が広がっている今のサニーに、その辺が理解出来る筈も無く。
彼女は、ドアの向こうに消えていくシェイドを、ただうっとりと眺めて見送っただけである。
「はぁ〜〜〜〜……」
しばらくは出てこないだろうな、という拗ねた気持ちにも近い溜息。
早く戻ってきて欲しい。もっと彼と沢山話したい。ずっと彼の顔を眺めていたい。
そんな風に、作家の夢とはまた別の『影』を心の中で遊ばせていたサニーだったが、
「……ん?」
ふとアングリッドの家の路地裏から出てきた“影”が目に止まり、俄に正気を取り戻した。
「……」
その“影”は、一瞬だけサニーの方を見たようだったが、すぐに踵を返して反対方向へと駆けていき、瞬く間に夜の帳に溶け込んで見えなくなった。
「誰だろう、こんな時間……っていうのは別に不自然じゃないか。けど、どうしてあんな所から――」
と、サニーが首を傾げた時だった。
「ダメです!! 止めて下さい!!!」
シェイドの絶叫が、家の中から上がった――!