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作者: カラコルム
第二十話 絶望と狂気
 不意に家の中からとどろいたシェイドの叫び。

「――っ!!?」

 桃源郷とうげんきょうへ旅立っていたサニーの気持ちが、一気に現実へと引き戻される。
 ケルティーも弾かれるように首を持ち上げた。

 ――ガシャン! ドサッ! パリーン!

 続いて耳に飛び込んでくる破壊音と殴打音。
 もう間違えようがない。アングリッドの家で、今まさに何らかの異常事態が起きている。
 
「シェイドさんっっっ!!」

 サニーは居ても立ってもいられず、急いでケルティーの背から降りようとする。

「へっ……!? あ、足が引っ掛か……! うきゃあっ!?」

 が、慌てたのがいけなかった。
 あぶみの端に足を引っ掛け、サニーは盛大にバランスを崩し、頭から地面に突っ込んだ。

「んぐっ!!?」

 どうにか地面と激突する前に両腕で頭を守った為、頭部に大怪我を負う事はまぬがれる。
 しかしながら、転んだ衝撃と痛みが容赦無く全身を襲い、サニーはしばらく立ち上がる事も出来ずに身悶みもだえした。

「ううう……っ!」

 ――ブルルッ!

 『早く立て!』と言わんばかりにケルティーが荒い嘶きを繰り返し、足踏みをする。
 ケルティーではシェイドの助けになれない。傍の柵に手綱を繋がれているし、そもそも家に入れない。無理やり押し入ったところで中の狭さにはばまれてろくに身動きが取れず、立ち往生するのが関の山である。

 サニーだけが頼りの状況なのだ。

 ――ドゴンッ! バサバサッ!

 再び、家の中から騒音が上がる。

「……! シェイド、さん……っ!」

 サニーはどうにか顔を上げ、痛みとしびれをこらえてヨロヨロと立ち上がった。

「……シェイドさんっっ!!」

 もう一度、自分に活を入れるようにサニーは腹から声を出す。
 そして、痛みを吹っ切るようにアングリッドの家に向かって駆け出した。

「はぁ…! はぁ…! はぁ…っ!!」

 わずかな距離が、酷く長く感じる。

 サニーはすがり付くようにドアノブを掴むと、回しす動作ももどかしそうに急いでドアを引き開け、転がり込むように中へと踏み込んだ。
 
「シェイドさんっ! 何処ですか、シェイドさんっっ!!」

 大声でシェイドを呼びながら、泳ぐように家の中を進んでいく。
 アングリッドの家は質素で飾り気が無く、来客の目を楽しませるような調度品の類はひとつも無い。部屋の数も少なく、家自体の大きさも親子二人で住むにはいささか手狭なくらいだ。

 だから、探していた人物はすぐに見つかった。

「……! シェイドさん!!」

 玄関から真っ直ぐ進んだ先にあったリビング。
 床に散乱する割れた食器や食事の残骸でコーディネイトされたその場所で、シェイドとひとりの女性が対峙していた。

「邪魔をしないで……! その子を渡して……!」

 包丁を片手に血走った目でシェイドを睨むその女性は、アングリッドの母親でジュディスと呼ばれていた女性だ。《影送りの儀》で見掛けた時より更に頬がこけ、身体は枯れ木のように痩せ細ってしまっている。風に吹かれればすぐに倒れてしまいそうな力無い佇まいの中、目だけが異様な執念を宿してギラギラと光っていた。

 天井から吊るされたランタンの頼り気無い灯りが、ジュディスの姿をまるで幽鬼のように映し出していた。
 どうみても正気じゃない。たったの一日二日でこうも人は変わるものなのか?

「シェイドさん、これは……!?」

「サニーさん! 来てはいけません! アングリッドを連れて、逃げて下さいっ!!」

 シェイドが、近付こうとしたサニーを鋭い声で制した。

「えっ……!? あ、アングリッドくんっ!?」

 サニーはようやく、シェイドの背後でぐったりと気を失っているアングリッドの存在に気付いた。
 見た所、何処にも怪我は無いようだが、顔色が酷く悪い。苦痛を訴えるように、ひそめられた眉が小刻みに震えている。

「母親に毒を盛られています! 早く医者に見せなければ、生命が危うい!」

「ええっ!!?」

 サニーは自分の耳を疑った。信じられない思いでジュディスを見ると、彼女は口の端を吊り上げて薄笑いを浮かべていた。

「今更何言ってるの……? もうアングリッドの『エゴ』は無いのよ……? あの子は、死んだの」

 くっくっく、と喉を引きつらせてジュディスが笑う。
 狂人の笑みだった。

「そこに居るのは、あの子の抜けがら……。もう私の息子は死んだ……。だったら、抜け殻なんて要らない……。見ていたくない……! だから、綺麗さっぱり無くしてやるの……!」

「狂っています!!」

 シェイドが叫んだ。

「アングリッドはまだ生きているじゃないですか!! どうして彼を支えてあげようと思わなかったんです!!? どうして、我が子を手に掛けるなどという考えを起こしてしまったのですか!!?」

「シェイドさん……!」

 シェイドの悲痛な叫びは、後ろに居るサニーの心を激しく震わせた。
 だが――

「あっはっは……! おかしな事を言うんだねぇ……!」

 狂気に取り憑かれた母親には届かなかったようだ。

「アングリッドをこんな風にしたのは、アンタじゃないか!! シェイド・レインフォール!!!」

「ッ……!」

 シェイドが唇をんだ。ジュディスの怒りと恨みを容赦なく叩き付けられて。
 それでも、彼女の呪詛じゅそはやまない。

「アンタがとっととこの街の呪いを解いてりゃ、こんな事にはならなかった……! アンタの親父が、自分の母親に打ち勝っていたら、アングリッドには輝かしい未来を見せてやれた……! アンタの祖母が、そもそも呪いなんて掛けなきゃ、アンダーイーヴズはまともな街のままでいられたんだ……っ!!」

 ジュディスの影が、更に濃さを増す。
 ランタンの灯りに変化は無いのに、ジュディスの背後にそびえる影はどんどんとその大きさを増し、ひとりでに形を変える。

「……! いけない!」

 シェイドが声を上げた時には、既にその変化を留める事は叶わないところまで至っていた。

「こんなアングリッドを眺め続けるくらいなら……! いっそ、私の手で……っ!!」

 影が……彼女の心の闇が、入り江に押し寄せる津波のように、その巨大な口を開く。
 そして――

「全部……! オワラセテヤル――!!」

 極限まで肥大化した『エゴ』が、哀れな母親を呑み込んだ。
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