残酷な描写あり
第二十一話 異質な『影』
「う、嘘……っ!?」
サニーの全身から一気に血の気が引いた。
もう夜なのに、太陽は既に地に呑み込まれて眠りに就いた後だと言うのに――!
「な、なんで『影』化が起きるのよ!!?」
恐怖に震える叫びは、それを上回る咆哮によって掻き消される。
――ガァアアアアア!!!
最早その声は、憔悴した母親のものでも無ければ、人間が発するそれでも無い。
この世の怒りと苦痛と哀しみを全て煮詰めて沸騰させたかのような、心の闇が……『影』が形を為した、怪物の産声だった。
「サニーさん、早く! 早くアングリッドを連れて、逃げて下さい!!」
シェイドが、必死の形相でサニーを促しながら例のステッキを構える。
常に肌見離さず携帯しているその杖から、眩い青光が溢れ出る。
呪いに対抗し得る、ブルー・ダイヤモンドの力が発露したものだ。
――グルルルル!!
アングリッドの母親だったモノが、シェイドと対峙するように鎌首をもたげる。
既に“変異”は終了しており、過日のアングリッドの時と良く似た異形の姿が完成されていた。
ワニのような頭部、木の根のような脚、長く伸びたクマのような腕もそっくりだ。
違うのは、全身の所々に赤く光る斑点が浮かんでいる事か。
――ゴァアアア!!!
先に動いたのは怪物だった。
天井に届きそうな黒い巨体を窮屈そうに押し出し、周りの家具を押しのけ床に散らばる食器や食べ物の残骸を轢き潰しながら、闇色に染まった長い腕を伸ばして鋭利な爪をシェイドに打ち込まんとする。
「フッ――!」
シェイドの身体が一瞬沈んだように見えた。
薄暗いリビングの中、虚空に走る青い軌道が宙返りする燕のように小さく弧を描いたのを、サニーの目は辛うじて捉えた。
――ガゥッ!?
怪物が、弾かれたように伸ばしていた腕を引っ込める。
手の部分が、真ん中から縦半分を喪っていた。
一拍遅れて、ドサッ!という音と共に切り離された手のもう半分がシェイドの傍らに落ちる。
「……浅いですね。こんな狭い場所では、大きく振り回せないのが難点か」
《影喰いの紳士》としての貌を顕わにしたシェイドが、小さな溜息と共に口惜しげな声を上げる。
それが気付けとなって、ようやくサニーは我に返った。
「アングリッドくんっ! しっかり……! 頑張って!」
ぐったりしているアングリッドの身体をどうにか引き起こし、姿勢を変えて背中におぶろうとする。
まだ少年のアングリッドだが、それでもサニーがこの街に来た時に抱えていたトランクよりも重い。ましてや、子供の矮躯とは言え意識のない人間を背負うという行為は、サニーにとって中々の重労働だった。
ところが、そんな彼女の悪戦苦闘は不意に中断される。
「……っ!? こ、これは!?」
シェイドの困惑した声を聴き、サニーは正面に目を戻した。
「……ええっ!?」
そして彼女も瞠目する。
切断された、怪物の手の断面。
そこから、無数の赤い糸のようなものが伸びている。
アングリッドの『影』には無かったものだ。シェイドの反応からして、彼も初めて目にした代物らしい。
ウネウネと中空を泳ぐようにのたくっていたその糸は、怪物が滴る血を振り落とすかのように手を動かすとそれに応えて一斉に空間を走り出す。
向かう先は、シェイドの足元。
「ッ!」
本能が警告を発したのか、シェイドは赤い糸を迎え撃つような動作は見せず、素直に身体を引いて回避に徹した。
サニー、アングリッドの目の前に、飛び退ってきたシェイドの背中が大写しになる。
しかしながら、怪物の狙いはシェイドでは無かったのだ。
「何……!?」
切り離されて床に落ちた、怪物の手のもう半分。
片割れの断面から伸びる無数の赤い糸が、かつて自分の一部だったそれの断面に次々と突き刺さる。
糸によって繋がった怪物の手が、まるでヨーヨーのように元の場所まで瞬時に引き戻され、間断なくくっついた。
そして、何事も無かったかのように、分かたれた怪物の手は、元通りに再生したのだった。
――グァァァ……!
怪物が目を細め、シェイドに見せつけるかの如く治った手を掲げる。その腕の周りで、赤い斑点が不気味に明滅を繰り返していた。
「初めて見る……タイプの『影』、ですね……!」
「どどど、どうしましょうシェイドさんっ!?」
シェイドの動揺が声から伝わってくる。
サニーは半ばパニックに陥りながら、それでも彼の指示を仰いだ。
「サニーさんは早くアングリットと共に逃げて下さい! 私は、此処で彼女を浄化します! 再生能力があろうと『影』は『影』、ブルー・ダイヤモンドの力で倒せない筈はありません!」
迷いを吹っ切ったように、シェイドが力強く告げる。彼の決断に応えるかのように、ステッキの青光が更に輝きを増した。
「わわ、分かりましたっ!」
シェイドの言葉を信じて、サニーも肚を括った。
自分の役目は、アングリッドを此処から逃がす事。
シェイドに気兼ねなく戦ってもらう為にも自分達はさっさとこの場を離れた方が良い。
サニーは苦戦しながらも、ようやくアングリッドを自分の背中に載せた。
その時、怪物の目がサニーとアングリッドの姿を捉えた。
――ギィィイイイイイ!!!
激高した怪物が、再び手を伸ばしてくる。
シェイドではなく、彼を迂回する形でその背後のサニー達へ。
狭い屋内の壁を這うように飛んでくる真っ黒い腕が、サニーとアングリッドを引き裂かんとその巨大な爪を突き付ける。
「ッ――!?」
「サニーさんッッ!!」
息を呑むサニーと、彼女を守らんと怪物の攻撃の軌道上にその身を滑り込ませるシェイド。
そして――
“ズグンッ”――!
何かを突き抉るような嫌な衝撃音と共に、シェイドのシルクハットが宙を舞った――。
サニーの全身から一気に血の気が引いた。
もう夜なのに、太陽は既に地に呑み込まれて眠りに就いた後だと言うのに――!
「な、なんで『影』化が起きるのよ!!?」
恐怖に震える叫びは、それを上回る咆哮によって掻き消される。
――ガァアアアアア!!!
最早その声は、憔悴した母親のものでも無ければ、人間が発するそれでも無い。
この世の怒りと苦痛と哀しみを全て煮詰めて沸騰させたかのような、心の闇が……『影』が形を為した、怪物の産声だった。
「サニーさん、早く! 早くアングリッドを連れて、逃げて下さい!!」
シェイドが、必死の形相でサニーを促しながら例のステッキを構える。
常に肌見離さず携帯しているその杖から、眩い青光が溢れ出る。
呪いに対抗し得る、ブルー・ダイヤモンドの力が発露したものだ。
――グルルルル!!
アングリッドの母親だったモノが、シェイドと対峙するように鎌首をもたげる。
既に“変異”は終了しており、過日のアングリッドの時と良く似た異形の姿が完成されていた。
ワニのような頭部、木の根のような脚、長く伸びたクマのような腕もそっくりだ。
違うのは、全身の所々に赤く光る斑点が浮かんでいる事か。
――ゴァアアア!!!
先に動いたのは怪物だった。
天井に届きそうな黒い巨体を窮屈そうに押し出し、周りの家具を押しのけ床に散らばる食器や食べ物の残骸を轢き潰しながら、闇色に染まった長い腕を伸ばして鋭利な爪をシェイドに打ち込まんとする。
「フッ――!」
シェイドの身体が一瞬沈んだように見えた。
薄暗いリビングの中、虚空に走る青い軌道が宙返りする燕のように小さく弧を描いたのを、サニーの目は辛うじて捉えた。
――ガゥッ!?
怪物が、弾かれたように伸ばしていた腕を引っ込める。
手の部分が、真ん中から縦半分を喪っていた。
一拍遅れて、ドサッ!という音と共に切り離された手のもう半分がシェイドの傍らに落ちる。
「……浅いですね。こんな狭い場所では、大きく振り回せないのが難点か」
《影喰いの紳士》としての貌を顕わにしたシェイドが、小さな溜息と共に口惜しげな声を上げる。
それが気付けとなって、ようやくサニーは我に返った。
「アングリッドくんっ! しっかり……! 頑張って!」
ぐったりしているアングリッドの身体をどうにか引き起こし、姿勢を変えて背中におぶろうとする。
まだ少年のアングリッドだが、それでもサニーがこの街に来た時に抱えていたトランクよりも重い。ましてや、子供の矮躯とは言え意識のない人間を背負うという行為は、サニーにとって中々の重労働だった。
ところが、そんな彼女の悪戦苦闘は不意に中断される。
「……っ!? こ、これは!?」
シェイドの困惑した声を聴き、サニーは正面に目を戻した。
「……ええっ!?」
そして彼女も瞠目する。
切断された、怪物の手の断面。
そこから、無数の赤い糸のようなものが伸びている。
アングリッドの『影』には無かったものだ。シェイドの反応からして、彼も初めて目にした代物らしい。
ウネウネと中空を泳ぐようにのたくっていたその糸は、怪物が滴る血を振り落とすかのように手を動かすとそれに応えて一斉に空間を走り出す。
向かう先は、シェイドの足元。
「ッ!」
本能が警告を発したのか、シェイドは赤い糸を迎え撃つような動作は見せず、素直に身体を引いて回避に徹した。
サニー、アングリッドの目の前に、飛び退ってきたシェイドの背中が大写しになる。
しかしながら、怪物の狙いはシェイドでは無かったのだ。
「何……!?」
切り離されて床に落ちた、怪物の手のもう半分。
片割れの断面から伸びる無数の赤い糸が、かつて自分の一部だったそれの断面に次々と突き刺さる。
糸によって繋がった怪物の手が、まるでヨーヨーのように元の場所まで瞬時に引き戻され、間断なくくっついた。
そして、何事も無かったかのように、分かたれた怪物の手は、元通りに再生したのだった。
――グァァァ……!
怪物が目を細め、シェイドに見せつけるかの如く治った手を掲げる。その腕の周りで、赤い斑点が不気味に明滅を繰り返していた。
「初めて見る……タイプの『影』、ですね……!」
「どどど、どうしましょうシェイドさんっ!?」
シェイドの動揺が声から伝わってくる。
サニーは半ばパニックに陥りながら、それでも彼の指示を仰いだ。
「サニーさんは早くアングリットと共に逃げて下さい! 私は、此処で彼女を浄化します! 再生能力があろうと『影』は『影』、ブルー・ダイヤモンドの力で倒せない筈はありません!」
迷いを吹っ切ったように、シェイドが力強く告げる。彼の決断に応えるかのように、ステッキの青光が更に輝きを増した。
「わわ、分かりましたっ!」
シェイドの言葉を信じて、サニーも肚を括った。
自分の役目は、アングリッドを此処から逃がす事。
シェイドに気兼ねなく戦ってもらう為にも自分達はさっさとこの場を離れた方が良い。
サニーは苦戦しながらも、ようやくアングリッドを自分の背中に載せた。
その時、怪物の目がサニーとアングリッドの姿を捉えた。
――ギィィイイイイイ!!!
激高した怪物が、再び手を伸ばしてくる。
シェイドではなく、彼を迂回する形でその背後のサニー達へ。
狭い屋内の壁を這うように飛んでくる真っ黒い腕が、サニーとアングリッドを引き裂かんとその巨大な爪を突き付ける。
「ッ――!?」
「サニーさんッッ!!」
息を呑むサニーと、彼女を守らんと怪物の攻撃の軌道上にその身を滑り込ませるシェイド。
そして――
“ズグンッ”――!
何かを突き抉るような嫌な衝撃音と共に、シェイドのシルクハットが宙を舞った――。