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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
1-3 全ての始まり
 朝、起きると体はずっしり重たかった。
 響くような頭痛、動かすのも億劫おっくうな身体、飲食をするにも気が向かない気持ち悪さ。
 この体調の酷さは、記憶によくある。
 昔は熱も出ていて、よく玲に看病して貰っていた。
 頻度は半年に一度、5年前辺りから熱は出ない程になっていた筈。
 でも最近は3か月に一度程でよくこのような体調不良になっていた。
 特にここ1年は月1回で現れるようになっている……――

「――あれ、日に日に酷くなってる? まあいっか……学校、行かないと……」

 這い出るようにベッドを抜け出し、重い身体を引き摺ってなんとか制服に着替えていく。
 鞄を持って下に降りていると、居間から祖父が顔を出した。

「おじいちゃん……おはよ」
「おはよう、日和ちゃん。顔色が悪いね……また体辛くなったかい? 大丈夫?」
「うん……。でも、学校行かなきゃ……」
「ちょっと待ってね」

 祖父はぱたぱたと居間に戻り、しばらくしてコップを持って戻ってきた。

「朝ご飯は無理しなくていいよ。これだけ飲んでいきなさい」

 祖父から渡されたのは冷たい透明な水。
 受け取って喉に通すと、爽やかなレモンの風味が広がって少しだけ気持ちが楽になった気がする。

「ありがと、おじいちゃん」
「本当は休んでほしいけど、気をつけてね。学校で休んでも良いからね」
「うん。じゃあ……行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」

 靴を履くために身体を屈めば、それだけで縫い付けられたように身体は重たい。
 それでもなんとか立ち上がり、日和は玄関の扉を開ける。

「日和ちゃん」

 玄関の扉の先、家の門までの間にはいつも道路で待ってる人がいた。
 心配そうで、眉をしかめて、口元を歪ませた玲だ。

「ごめん、ちょっと遅かったから前まで来たよ。おはよう」
「兄さん、おはよう」
「……日和ちゃん、もしかして体調悪い?」

 門を超えて数歩歩いただけで、玲は私の顔を覗いて訊く。
 この人はいつも相手の動きや表情を見て、気付いてくる。
 そろそろ心配させないようにしたいのに。

「……うん、でもいつもの事だから大丈夫。さっきもおじいちゃんにいつもの貰ったし……」
「ふふ、日和ちゃんはいつもレモン水に助けてもらってるね」

 体調が悪い時はいつも祖父特製のレモン水が出る。
 これは昔、元々玲が最初に淹れてくれたものだが、祖父が気に入って淹れるようになった。

「でも、飲むと身体がなんとなく元気になる気がするの。助かってるよ」
「そっか、それは良かった。でも無理しないでね」
「うん、ありがとう」

 レモン水を飲んだって身体が楽になる訳ではない。
 だけど気持ちは後押しされるような、元気を貰うような、特別な感覚がいつもある。
 スッキリとした味が気持ちも晴れたようになるのは、どうしてだろう。

 学校へは特に身体が限界を訴えることはなく、比較的楽に行けた。
 玲は結局校舎に入るまで送ってくれたけど、おかげで女子からの視線を若干感じてしまった。
 気をつけなきゃ。

「あっれー、日和じゃん! 今日は遅いね。どったのー?」
「弥生、おはよう。……そっか、もうそんな時間か……」

 教室に向かう途中、弥生が後ろから話しかけてきた。
 玲は部活の朝練がある。よっていつも早めに学校に着く。
 勿論人目もあるのでそんな玲合わせて早くに来ていたのだが、まさか弥生に会うとは思いもしなかった。
 でも今は比較的人通りの増える時間帯である。
 それなら先ほどの視線もうなずける、納得の範囲だ。

「……ちょっと体調がよくなくて、思ってた以上にゆっくり来たみたい」
「逆に日和がいつも早すぎるんだよ。今日ぐらい休んじゃえばよかったのに」
「そういう訳にもいかないでしょ。風邪じゃないんだし……」
「じゃあ体育は保健室で休むこと! あとで髪、纏めていい?」

 ため息をつく私に弥生はいつも以上の笑顔を見せる。
 こういう時は大概、やりたい事にうずうずしている顔だ。

「……奇抜きばつじゃないのなら、いいよ」
「やった!激しく動くと髪型崩れちゃうから嬉しいー」

 再び、大きなため息が口から洩れた。
 こうなると諦める他無いのだ。
 体は依然重い。
 今はまだ何とか持ち堪えられているが、いつまで保つやら。
 だがどうせ3時限目に体育がある。
 その時休めばいいや。
 そう、思っていたんだけど……。
 
「いや、休みなさいよ。――センセー!金詰さん体調悪いんだってー!保健室ー!」
「奥村、うるさいぞ。金詰は大丈夫か?無理せず保健室に行きなさい」
「はい……」

 時は2時限目。
 既に酷い頭痛に襲われて、弥生と教師に言われて保健室に行く事になった。
 朝よりも体が重たくて、目の前もチカチカして視界が歪む。
 壁に手を添えないと歩き辛く、立っていられない程になっていた。

「う、ぐ……」

 思わず声が漏れる。
 揺れる視界にも気持ち悪さが巡って、付き添いをお願いしたら良かったかな……?
 でも、授業を滞らせたくない……。

 迷いながらもゆっくりと保健室へ向かう。
 幸い保健室は同じ階にあるので、少し歩くだけでなんとか辿り着いた。
 保健室の扉をノックすると「はーい」と女性の声がする。
 よかった、休ませてくれそうだ。

「あら、どうしたの? 真っ青じゃない。大丈夫?」

 中にいた養護教諭は心配そうに日和に近寄り、様子を見る。

「少し、気持ち悪くて……」
「ベッド使いなさい。でも、ちょっと次の授業から居なくなるから鍵かけないといけないの。それまででもいい?」
「はい。すみません……」
「出来るだけ休んで」

 快く休ませてくれた。
 ベッドで横になると少しだけ気が楽だ。
 ゆっくりと長く息を吐くと、そのままあっさりと眠ったらしい。
 いつの間にか養護教諭はバタバタと時間に追われるような動きを見せていた。
 そろそろ出る時間なのかもしれない。
 ベッド脇のカーテンから顔を出すと、養護教諭もこちらに気付いたようだ。

「あっ、ごめんなさい。起きちゃった? 体はどう?」
「……だいぶ、良くなりました。ありがとうございます」
「もう次の授業は始まってるけど、無理しちゃだめよ」
「わかりました。失礼しました」

 頭を下げ、保健室を出た。
 本当は少し気が紛れただけで、全く良くなっていないのだが、仕方がない。
 今の時間は体育だから誰も居ないだろう、一先ず教室へ戻ろうとすると……視界の端に人影が見えた。

「……ん?」

 人影は階段の手摺りに寄り掛かりながら、ゆっくりと階段を上がっていく。
 それはまるで体調が悪い今の私のように。
 ……上級生だろうか。

 この時の私は多分、かなり頭が回ってないんだろうなと後々思う。
 私は何故かその背を、その影を追っていた。
 相手は怪我したのだろうか、身体を引き摺るようにゆっくりと登る。
残念なことに距離は縮まらない。
 私は体調も気分も悪い中、その背を追っていた。
 何処まで上がるのだろう。
 人影はずっと前にいる。
 いつしか行き止まりにたどり着いて来た場所は……屋上だ。

 ちなみにこの学校は屋上に柵はある。
 しかし立ち入り禁止だった気がするけど、入っても大丈夫なのだろうか。
 重たくて頭痛がして気持ち悪いのに、単純な興味だけでここまで来てしまった。
 最早戻ることも面倒だ。
 意を決して、少し錆びついたドアを開ける。
 ぎぃ、と金属が擦れる音と一緒にごうと心地いい風が体を撫でた。
 そこそこに強く吹き込んでくる風を浴びながら、ゆっくりと歩く。
 この学校はL字角になっている。
 なので屋上も当然先の所で曲がっている……のだが、一見人影は見当たらない。
 一体何処だろう、とつい先ほどの人影を探していた。
 身体の悪さを柵に手を添えながら歩き、丁度曲がり角に差し掛かった時、足元に柵の影に混じった姿を見た。

「――あ……」

 曲がって少しだけ離れた場所で、人がうずくまっている。
 顔は見えないが息苦しそうに肩で息をしていて、とにかく辛そうで。

「あの、大丈夫ですか?」

 不用意にも、私は声をかけていた。
 制服を見れば男子だと分かるが、相手がこちらに視線を向けた瞬間男子生徒は……――

「……っ!?」

 一瞬何が起こったのか分からなかった。
 短くて少し薄まった茶色の髪だと思ったのに、一つに纏められ風になびいた髪はとても長く、銀色に輝いている。
 まるで銀の糸のように一本一本が太陽に照らされ、目を奪われるようだ。
 この学校の制服だと思った衣服は和風で立派なものに変わった。
 着物に袴、羽織……学校には不釣り合いな服装で、しかし今の彼の風貌からはとても似合っている。
 多分同じクラス。見覚えある顔だと思ったのに、とても男性らしい整った顔立ちの青年に姿は変わって……手を掴まれた。

「……!?」

 何が起こったか理解が出来ぬまま唇が触れ合う。
 この短い生涯、ほぼ一人で過ごしてきた日和にとっては当然だけど誰かとキスをしたことは無い。
 勿論それ程に親しい人だっていない。
 それなのに、分からないけど、思考が止まっていて嫌がることも、逃げることもできなかった。
 ただ少しだけ体が熱くなって、恥ずかしさが巡るだけ。
 生徒の姿を見てからここまでが一瞬の出来事で、時間にしてどれほど経ったかは分からない。
 分からないけど、離れてやっと焦点の合っていない目が、私を認識したようにこちらへ向いた。

「はっ……! あ、その、すまない……! ほ、本当に申し訳ない!」

 相手は慌てながら顔を赤くして頭を下げてきてた。
 放心したように頭に何も入らない私は思わず首を横に振る。

「いえ、あの、く、苦しそうにしていたので……」
「あ……いや、すまない、ありがとう。……私は大丈夫だ」

 あの、と言いかけるが、その先の言葉が見つからない。
 恥ずかしいと感じているのか、大丈夫と聞いて安心しているのか、色々と衝撃が強すぎて中々思考も回らない。

「そういえば君は、まだ授業中じゃないのか?どうしてここへ……」
「あ、えと、体調が酷くて保健室に行ってたのですけど、途中で誰かがここに向かう姿が見えたので……」
「なるほど……。それで、体調は? 休んで、いくか……?」

 思った事を口にしたままついつい返事をしてしまった。
 それでもこの人は真面目に話を聞いてくれる。
 優しそうな人柄にどこか安心してしまった。
 それに、いつの間にか体調も落ち着いている。
 一体何があったの?
 それよりも気が動転して、妙に心臓が激しく鳴り響いて、なんだか違和感がある。

「あっ、その……なんかさっきのことでびっくりして……でも、落ち着いたみたいです」
「それなら、良かった。……多いか?その、体調不良は」
「たまに、です。その時はお兄さんがよく看てくれるのですが……そういえば進学してからはまだなっていませんでした」
「そうか。……もしまた体調が悪くなったら、来るといい。次はちゃんと違う形で体を休ませる」

 雰囲気で言えば大人の男性、といった感じだろうか。
 高圧的という訳では無いが、言い回しがどことなく立場が上の人間だと感じさせる。
 そしてどことなく感じる包容力というか。
 何を言ってるんだろう、どうしてこんなにも心臓がうるさいのだろう。

「はい、ありがとうございます……。えと、私、金詰日和です」
竜牙たつがだ。また」
「えっと……ありがとうございました」

 恥ずかしさを感じながら私は駆け足で屋上を出ていた。
 逃げたわけじゃない。
 逃げたつもりはないけど、室内に入った瞬間何故か顔がすごく熱くなって、本当に熱でもあるんじゃないかと不安を感じる。
 それくらい、今までに感じたことのない気持ちを味わった。

「竜牙……さん」

 先ほど教えてもらった名前を記憶に刻みながら、私は教室へ戻る。
 その後は不思議と体は軽くなっていて、それだけでなく頭痛もないし、吐き気も無い。
 今までこんなにも支障が起きていないのは、初めてではないだろうか。
 不思議な感覚だ。
 竜牙さんが何か特別な人物なのか?それともキスしたから?

「キス一つで身体が軽くなるなら世話ないよね……浮かれてるだけだ、きっと」

 そもそも初体験とはいえ、気にし過ぎているだけだろう。前者を取る事にする。
 日和の知っている男性は大体祖父か薄ぼけた死ぬ間際の父、あとは玲くらいだった。
 それなのに、あんなにがっしりとした男性らしい体格の、更に言うなら年上の男性をまじまじと見たことすら初めてだ。
 しかも更にそんな人と唇を合わせるだなんて。
 単純に興味が向いてしまったらしく、中々忘れてはくれない。

「やっぱ浮かれてるだけだ……」

 大きくため息が出た。
 特段何かないと金詰日和は人に興味を持たない。
 それが家族であれ、同じ学校、して同じクラス、道行く人でさえ一切気にも留めない。
 一人でも大体なんとかなると考えてしまうのだろうか。
 日和本人は気付いてすらいないが、父というトラウマがあるのか人と一切関わろうとしない。
 今の所奥村弥生だけが自分から寄って行く真逆のタイプで、関わらされていることに驚いているくらいだ。
 ちなみに人からの助言を受け入れられるのは、今はまだ祖父と玲だけである。
 そんな日和の中に、今日は竜牙という人物が追加された。
 よく分かっていない人物なのに、何故か受け入れてしまった。
 そんな風変わりな人間だった。

「あれ、日和ちゃん帰り?」

 放課後になって、帰宅をする背から声がかかった。
 振り向けば幼馴染の兄がにこりと立っている。

「兄さん……うん、今から帰るとこ。兄さん部活は?」
「今日はこれから予定があるから帰るところだよ。送ろうか?」
「じゃあ……お願いします」

 日和は頭を下げて歩き出す。
 すると玲はすかさず顔を覗き込んできた。

「日和ちゃん、なんかいいことあった?」
「え? 何も、ないと思う……多分」

 まだ表情が緩んでただろうか、ちらりとつい屋上を見てしまう。
 玲はくすくすと笑いだした。

「そういえば授業中、屋上に人影があった気がしたんだけど……もしかして行った?」

 どきっ、と心臓が跳ね上がる。

「あ……バレてた?体調が、よくなくて……」
「そっか。でも、朝と比べて顔色は良くなったね。もう大丈夫?」
「うん、風が気持ち良くて素敵な所だった。いつも以上によくなったよ」

 笑ってみせて、玲は頷く。

「それならよかったね。何かあったらすぐに言うんだよ?」
「ありがと、兄さん」
小鳥遊夏樹(たかなし なつき)
7月8日・男・14歳
身長:165cm
髪:暗緑色
目:翠色
家族構成:父・母・兄×2・姉×2

髪型はわりと気に入ってる。
体格は中肉。体重は軽め。正也や玲と違って可愛い顔をしているのがちょっと悩み。
あとせめてもう1年早く生まれたかったなとさりげなく思ってる。
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