残酷な描写あり
5-1 変化した日常
「ひーよりっ」
授業のチャイムが鳴り、昼食の時間に入った頃。
日和は早速前の席である弥生に話しかけられた。
「弥生、どうしたの?」
「今日もお昼、別で食べるんでしょ? 水鏡さんと?」
「うん……そう。ごめん、一緒じゃなくて」
なんとなく、今まで弥生と食べていたこともあって後ろめたさがあった。
前に話した時こそ普通に接してもらったが、今になって何か言われるんじゃないか、という気持ちが無い訳ではない。
しかしそれをも杞憂だとでも言うように、弥生はにこりと笑顔を見せる。
「なんで謝るの? 全然気にしてないよ。それよりこれ、置野正也に渡してくれない?」
そう言ってポケットから取り出したのはビー玉のような大きさの、乳白色の珠。
一瞬パールのようにも見えるがそれでは粒が大きすぎるだろう。
なんとも不思議な物体だ。
「えっと……なんで置野君?もうずっと休みだよ?」
そんな手渡す相手の置野正也は既に休学届が出ている。
受理されて、教室の端の席はずっと空席だ。
「そりゃ、私のお兄ちゃんだもん知ってるよ」
「えっ、お兄ちゃん?」
「そ。生まれてすぐ離れちゃったけど、アレ私の双子の兄なの。……あ、親は離婚はしてないよ?」
トンデモ初耳だ。
それにしても双子の兄妹なのに苗字が違うとは家の事情だろうか。
生まれてすぐに離れたというのなら、深く詮索してはいけないかもしれない。
「そういう事なら受け取りはするけど……何で私?」
「だって水鏡さん、もう居ないんだもん。渡しそびれちゃった」
残念そうに眉をハの字にする弥生だが、確かに周囲を見れば波音は既に居なかった。
自分が弥生に話しかけられているのを見て先に行ったのかもしれない。
それにしても置野正也に渡そうにもどうしたらいいのだろう。
やはりここは式神の竜牙だろうか?
「それにしても突然休学なんてどうしたんだろうね? 一緒に住んだことはないから向こうの家事情って知らないんだよねぇ」
「そうなの?んー……とりあえず渡しとくね」
「うん、ヨロシクー♪」
日和は珠を受け取り「行ってくるね」と声をかけて教室を出る。
「お兄ちゃんにはそろそろ起きてもらうよ。楽しみだね」
誰にも届かない小さな声で、残った弥生はにこりと笑った。
そんな弥生など気付くことなく、日和は階段を上がる。
「あれ、日和ちゃん」
その途中、後ろから声がかかった。
玲だ。
「あ、兄さん。おはよ」
「おはよ……って、もう昼だけどね。朝はごめん、大丈夫だった?」
「うん、竜牙が来てくれたよ」
「竜牙が?そっか」
玲が安堵したように笑う姿を見て、日和はそれ以上何も言わなかった。
朝聞いたことは、竜牙の独り言だ。
そのまま二人で搭屋へ、そして屋上への扉を開ける。
L字の先の、出入り口からは柵で隠れた場所で波音と竜牙が既にお弁当を広げていた。
「えっと……おせち、ですか?」
これは最初にその弁当を見た時の日和の印象だ。
「……言うな。私も今、全力で引いてる」
大きなため息を定期的に吐きながら、竜牙はげっそりと嫌そうな表情を浮かべている。
その横ではお腹を押さえて波音が笑いに耐えていた。
「これはまた豪勢な……。頑張ったね」
竜牙が持ってきた弁当を見て、玲は手を口に当て感心していた。
「でも、これは……あっははははは!ふっ、ふふふふふふ!」
お腹を押さえ、笑いが止められない波音の前には3段の重箱が並べられている。
お節というよりはオードブルに近い内容だが、学校の弁当として食べる分には量も金額も明らかに高そうだ。
肉は焼いたものから燻したものまで、煮魚や焼き魚、野菜類はきんぴらごぼうやサラダにマリネ等、和洋折衷のようになっている。
ちなみにご飯は手まり寿司やちらし寿司で1段が埋まっている状態。
どう見ても高校生三人では多すぎる量である。
「じゃあ、頑張って食べようか」
「な、なんだか高級そうですね。でも食べないと勿体ないですよね……。えっと、いただきます……!」
にこりと玲は笑い、箸と皿を構える。
日和も続いて箸を持ち、まず手まり寿司をひとつ皿に乗せた。
「まあ、食べれるだけ頂くわ。それにしても本当酷い量ね」
「……後で怒鳴り散らしておく」
「今の言葉で誰が準備させたのか分かったよ。元気そうだね」
不快感を募らせた低い声で竜牙が唸ると、「玲は美味しいよ」と付け加えながら笑顔を見せる。
実際料理はそれこそ見た目通り、寧ろ料亭のように美味しい。
そんな料理を相変わらず食べているのは三人だが、四人で会話をしながら食事を進めていく。
それでも少し暇そうにしている竜牙がどうしても気になった日和は、ふと先ほどの事を思い出した。
「あ、そういえば竜牙、これ……」
「……これは?」
「何、それ?」
日和がポケットから取り出したのは、弥生から預かった乳白色の珠。
相変わらず不思議なそれを見て、竜牙は初めて見たもののように首を傾げる。
波音も身を乗りだし、それを覗いた。
「何かは分かりませんが、先ほど友人の弥生から置野君へって……。お二人は双子なんですね」
「正也に妹がいるのは知っているが、私は顔を知らない。本人がそう言ったのなら、そうなのだろ……――うっ!?」
珠に対して警戒をするように眉を寄せる竜牙。
それでも珠に手を伸ばし取ろうとした瞬間、珠の方から竜牙の手に吸い込まれるように消えて、その体が跳ねた。
「竜牙!?」
胸を掴むように服を握り締め、竜牙は突然苦しみ始める。
その様子に焦った日和は近寄ると、手で制止された。
「大丈夫、だ……。少し、驚いただけ……」
「でも、汗が……」
「問題ない。もう、落ち着いた……」
はぁ、と大きく息を吐く竜牙だが、日和の心配は尽きない。
その視界の外では玲と波音は目を丸くしていた。
「ま、まさか……」
「あんた、起きたの?」
二人の言葉が零れる。
しかし日和は何のことが理解ができず、首を傾げた。
「あ、ああ……。すまない、心配かけた」
「全く、びっくりしたわ」
「本当に。それにしても不思議な珠だね……僕としては正也に妹が居たこともびっくりなんだけど」
竜牙が汗を拭うと波音や玲も安堵を見せる。
日和にはよく分からなかったが、危険なことではなかったようだ。
「私もこの前挨拶されて知ったのよね……無事なら良いわ。
そうだ、あんたせっかくだから食べなさいよ。自分の家の食事なんて久しぶりでしょ?」
ここぞとばかりに波音が取り皿と箸を手渡す。
竜牙は目を丸くしながら受け取った。
「大丈夫なんですか?」
「……じゃあ――」
今まで食べなかったことに不安を感じた日和だが、竜牙は焼き魚に手を伸ばす。
並んだ内のひと切れを皿に乗せ、口に含むともぐもぐとゆっくり、静かに咀嚼を繰り返し始めた。
だが、竜牙は何も言わない。
三人はそれを静かに、ただ固唾を呑んで見守る。
正確には動きづらい、なんとも言えない緊張感がそこにはあった。
「……多分、美味い」
しばしの間。
やっと出た感想だったが、多分というのは薄れた味覚のことだろうか。
「まあ、進歩よね……」
その姿になんとも言えない波音の顔がそこにはあった。
だが、いつまでもこの空気が続く訳ではない。
キーンコーン……と最初のチャイムが鳴り、昼食時間終了の合図が鳴ったのだ。
「あれ……波音、次の授業なんだっけ?」
「え?確か音楽……――はっ、移動教室じゃない! まずいわね、急ぐわよ」
「すみません、先に失礼します…!」
次の授業を日和が確認し、波音は口に含んでいた卵焼きを飲み込む。
急いで皿を置いた波音は立ち上がり、それより寸秒後に日和も立ち上がった。
「それじゃ!」
「行って来ます!」
仕方がない事ではあるが、忙しない姿だ。
二人は大急ぎで次の授業へと向かっていった。
一方で残った玲にだって出るべき授業はある。
それにも拘らず、ゆっくりと茶を飲み食事を進めていた。
「……玲は大丈夫なのか?」
竜牙に声をかけられると動きを止め、玲は竜牙の目を見て問う。
「逆に今、離れられないと思ってるから授業はこのまま休むよ。その方が落ち着けるでしょ?正也」
「……そう、だな」
額に手を当て、竜牙の姿をした正也は大きくため息を吐いた。
それを皮切りに沈黙と静寂が訪れる。
屋上ならではの強い風が轟、と吹き込み、二人の長い髪が強く靡いた。
風が止み、それから更に少しの間が空いて、静寂を授業開始のチャイムが裂く。
「……竜牙は?」
最初に声を出したのは玲だ。
正也を真っ直ぐに見て視線を外さない。
「ちゃんと会話できる……。なにが起こったかは、分かってない」
「他に変化は?」
「換装が解けない……。あと、今日は何日……?」
言葉を零すように答えながら、竜牙の瞼が落ちそうになる。
「起きろ、正也。正也が負傷してから1週間だよ。もう6月に入る」
「そっ……か……。結構、休んだな……」
「学校は既に休学で出してある。ひとまず正也を負傷させた妖を知りたい」
「……ごめん、覚えてない――」
「正也!!」
今にも眠りそうな竜牙の体を、玲が近寄り肩を揺らす。
それでも閉じていく瞼に合わせて、正也の最後の言葉が零れた。
「竜牙の、記憶が……多すぎて……」
「記憶……? どういう事だ!?正也!」
がくん、と竜牙の首が後ろに倒れ、体の重みが増していく。
油断していた玲は頭部が背後の床に当たる直前でなんとか持ち上げた。
「ぐっ……!」
ゆっくりと、そのまま体を起こしていく。
なんとか姿勢を正すと竜牙の手が動き出し、玲の手を掴んだ。
「すまない、世話をかけた……」
玲は竜牙の顔を覗く。
竜牙の体を纏う空気が変わり、どうやら竜牙に戻ったようだ。
「いや、こちらこそ……何も出来なかった」
気落ちする玲に、竜牙は一息吐いて口を開く。
「正也とは今ので意志が通じるようになったらしい。ただ……」
「ただ?」
「互いの記憶が混じった。まずいかもしれない」
「……竜牙と、正也の?」
玲が首を傾げると、竜牙は頷く。
それは呪いが進行したかもしれないという事実を表す。
記憶が混じる、互いの記憶が共有されるということは、二つの魂が混じり始めた証拠だ。
このまま進行すればどちらかが消えるか、或いは――。
「どう、するのさ?」
そんな高度な呪いを与えるなど、確実に力の強い妖――それこそ女王に匹敵する力の持ち主だろう。
玲の顔がみるみる青くなっていく。
「どうにもこうにも時間が来る前に、戻らなくてはならないな」
そんな呪いを食らった竜牙はそれでも冷静な様子を見せている。
深くため息を吐く竜牙に玲は問う。
「制限時間……それがいつかは分かってるの?」
「大体の予測は立っている。金詰日和の誕生日だろう」
竜牙の答えに玲の動きは止まった。
目を丸くして、理解すら追いついてもいない様子を見せる。
その間に竜牙は目前の弁当を流し見ると、適当におかずをつまみ口に放り込んだ。
「……やはり味がないな」
呟く竜牙は再び別のおかずに箸をつける。
すると玲の目の色が戻り、ぼそりと何か聞こえた。
「なんで……なんで、日和ちゃんなのさ……」
「それは……『術士の器』が出来上がる時だから、だろうな」
「……そっか」
玲ががくりと項垂れた。
酷く落胆している様子が伺える。
「じゃあ……しっかり守ってあげないといけないね」
しかしすぐさま頭を起こして、玲はにこりと微笑んだ。
その表情を、竜牙は知っている。
玲が得意な、"貼り付けた笑顔"だ。
玲は珍しくも、祖父からの隔世遺伝で受け継いだ力で術士として全うしている。
しかし厳格な家柄からか、それとも重圧か、自分にマイナスな事でも何かあれば玲は笑顔を見せるだけ。
それを口に出す事はおろか、表情にも出そうとしない。
更には身内の術士だけではなく、周囲の人間にさえこの貼り付けたような笑顔を見せている部分から、勘違いを起こす人間も多い。
玲にとっての笑顔は、『自身の一番奥の部分を包み隠す為の道具』に過ぎないのだろう。
そして彼がそうなので、多分金詰日和の笑顔も大半はそうなのだろうと推測している。
彼女は基本表情は持つものの、ついてくる感情が薄い。
その中で度々見せる浮いた笑顔は、きっと玲が教え込んだものだろうと、そんな気がする。
「……竜牙、日和ちゃんは今一人で住んでるけど、もし何かあったら保護してあげて欲しい。うちは……極力家に入れたくないな。夏樹の家は絶対無理だし、波音の家はどうか分からないけど」
「日和に関してになると頼み事が多いな。心配性」
「繋がりはなくても妹だからね。彼女の傷の深さは僕以上だよ」
「……可能性の一つとして見ておく」
「助かるよ。それじゃ、ご馳走様」
箸と皿を置き、玲は手を合わせ片付けを始める。
しかし途中でぴたりと手を止めると、竜牙には視線を合わせる事なく玲は口を開いた。
「……今週はごめん、しばらく別行動になるからって、皆に伝えておいてくれるかな」
「分かった。だが、師隼とは話をしておけ」
ため息交じりに出た竜牙の声が少しだけ怒りの色を残しながら、それでも玲は「ありがとう」と短く答えて片付けを終える。
「それじゃ、私は一度戻る」
「うん、お疲れ様」
竜牙は荷物を手に取ると柵を軽々乗り越えると、それから落ちるように姿を消した。
その後ろ姿に、玲は笑顔を剥がした表情で呟く。
「……持った荷物を人の敷地の前に無断で置くような行為だって思ってるとは思うけど……奸譎な奴でごめんね。僕はもう、抱えきれない程に持っちゃったから……勝手に巻き込むよ」
授業のチャイムが鳴り、昼食の時間に入った頃。
日和は早速前の席である弥生に話しかけられた。
「弥生、どうしたの?」
「今日もお昼、別で食べるんでしょ? 水鏡さんと?」
「うん……そう。ごめん、一緒じゃなくて」
なんとなく、今まで弥生と食べていたこともあって後ろめたさがあった。
前に話した時こそ普通に接してもらったが、今になって何か言われるんじゃないか、という気持ちが無い訳ではない。
しかしそれをも杞憂だとでも言うように、弥生はにこりと笑顔を見せる。
「なんで謝るの? 全然気にしてないよ。それよりこれ、置野正也に渡してくれない?」
そう言ってポケットから取り出したのはビー玉のような大きさの、乳白色の珠。
一瞬パールのようにも見えるがそれでは粒が大きすぎるだろう。
なんとも不思議な物体だ。
「えっと……なんで置野君?もうずっと休みだよ?」
そんな手渡す相手の置野正也は既に休学届が出ている。
受理されて、教室の端の席はずっと空席だ。
「そりゃ、私のお兄ちゃんだもん知ってるよ」
「えっ、お兄ちゃん?」
「そ。生まれてすぐ離れちゃったけど、アレ私の双子の兄なの。……あ、親は離婚はしてないよ?」
トンデモ初耳だ。
それにしても双子の兄妹なのに苗字が違うとは家の事情だろうか。
生まれてすぐに離れたというのなら、深く詮索してはいけないかもしれない。
「そういう事なら受け取りはするけど……何で私?」
「だって水鏡さん、もう居ないんだもん。渡しそびれちゃった」
残念そうに眉をハの字にする弥生だが、確かに周囲を見れば波音は既に居なかった。
自分が弥生に話しかけられているのを見て先に行ったのかもしれない。
それにしても置野正也に渡そうにもどうしたらいいのだろう。
やはりここは式神の竜牙だろうか?
「それにしても突然休学なんてどうしたんだろうね? 一緒に住んだことはないから向こうの家事情って知らないんだよねぇ」
「そうなの?んー……とりあえず渡しとくね」
「うん、ヨロシクー♪」
日和は珠を受け取り「行ってくるね」と声をかけて教室を出る。
「お兄ちゃんにはそろそろ起きてもらうよ。楽しみだね」
誰にも届かない小さな声で、残った弥生はにこりと笑った。
そんな弥生など気付くことなく、日和は階段を上がる。
「あれ、日和ちゃん」
その途中、後ろから声がかかった。
玲だ。
「あ、兄さん。おはよ」
「おはよ……って、もう昼だけどね。朝はごめん、大丈夫だった?」
「うん、竜牙が来てくれたよ」
「竜牙が?そっか」
玲が安堵したように笑う姿を見て、日和はそれ以上何も言わなかった。
朝聞いたことは、竜牙の独り言だ。
そのまま二人で搭屋へ、そして屋上への扉を開ける。
L字の先の、出入り口からは柵で隠れた場所で波音と竜牙が既にお弁当を広げていた。
「えっと……おせち、ですか?」
これは最初にその弁当を見た時の日和の印象だ。
「……言うな。私も今、全力で引いてる」
大きなため息を定期的に吐きながら、竜牙はげっそりと嫌そうな表情を浮かべている。
その横ではお腹を押さえて波音が笑いに耐えていた。
「これはまた豪勢な……。頑張ったね」
竜牙が持ってきた弁当を見て、玲は手を口に当て感心していた。
「でも、これは……あっははははは!ふっ、ふふふふふふ!」
お腹を押さえ、笑いが止められない波音の前には3段の重箱が並べられている。
お節というよりはオードブルに近い内容だが、学校の弁当として食べる分には量も金額も明らかに高そうだ。
肉は焼いたものから燻したものまで、煮魚や焼き魚、野菜類はきんぴらごぼうやサラダにマリネ等、和洋折衷のようになっている。
ちなみにご飯は手まり寿司やちらし寿司で1段が埋まっている状態。
どう見ても高校生三人では多すぎる量である。
「じゃあ、頑張って食べようか」
「な、なんだか高級そうですね。でも食べないと勿体ないですよね……。えっと、いただきます……!」
にこりと玲は笑い、箸と皿を構える。
日和も続いて箸を持ち、まず手まり寿司をひとつ皿に乗せた。
「まあ、食べれるだけ頂くわ。それにしても本当酷い量ね」
「……後で怒鳴り散らしておく」
「今の言葉で誰が準備させたのか分かったよ。元気そうだね」
不快感を募らせた低い声で竜牙が唸ると、「玲は美味しいよ」と付け加えながら笑顔を見せる。
実際料理はそれこそ見た目通り、寧ろ料亭のように美味しい。
そんな料理を相変わらず食べているのは三人だが、四人で会話をしながら食事を進めていく。
それでも少し暇そうにしている竜牙がどうしても気になった日和は、ふと先ほどの事を思い出した。
「あ、そういえば竜牙、これ……」
「……これは?」
「何、それ?」
日和がポケットから取り出したのは、弥生から預かった乳白色の珠。
相変わらず不思議なそれを見て、竜牙は初めて見たもののように首を傾げる。
波音も身を乗りだし、それを覗いた。
「何かは分かりませんが、先ほど友人の弥生から置野君へって……。お二人は双子なんですね」
「正也に妹がいるのは知っているが、私は顔を知らない。本人がそう言ったのなら、そうなのだろ……――うっ!?」
珠に対して警戒をするように眉を寄せる竜牙。
それでも珠に手を伸ばし取ろうとした瞬間、珠の方から竜牙の手に吸い込まれるように消えて、その体が跳ねた。
「竜牙!?」
胸を掴むように服を握り締め、竜牙は突然苦しみ始める。
その様子に焦った日和は近寄ると、手で制止された。
「大丈夫、だ……。少し、驚いただけ……」
「でも、汗が……」
「問題ない。もう、落ち着いた……」
はぁ、と大きく息を吐く竜牙だが、日和の心配は尽きない。
その視界の外では玲と波音は目を丸くしていた。
「ま、まさか……」
「あんた、起きたの?」
二人の言葉が零れる。
しかし日和は何のことが理解ができず、首を傾げた。
「あ、ああ……。すまない、心配かけた」
「全く、びっくりしたわ」
「本当に。それにしても不思議な珠だね……僕としては正也に妹が居たこともびっくりなんだけど」
竜牙が汗を拭うと波音や玲も安堵を見せる。
日和にはよく分からなかったが、危険なことではなかったようだ。
「私もこの前挨拶されて知ったのよね……無事なら良いわ。
そうだ、あんたせっかくだから食べなさいよ。自分の家の食事なんて久しぶりでしょ?」
ここぞとばかりに波音が取り皿と箸を手渡す。
竜牙は目を丸くしながら受け取った。
「大丈夫なんですか?」
「……じゃあ――」
今まで食べなかったことに不安を感じた日和だが、竜牙は焼き魚に手を伸ばす。
並んだ内のひと切れを皿に乗せ、口に含むともぐもぐとゆっくり、静かに咀嚼を繰り返し始めた。
だが、竜牙は何も言わない。
三人はそれを静かに、ただ固唾を呑んで見守る。
正確には動きづらい、なんとも言えない緊張感がそこにはあった。
「……多分、美味い」
しばしの間。
やっと出た感想だったが、多分というのは薄れた味覚のことだろうか。
「まあ、進歩よね……」
その姿になんとも言えない波音の顔がそこにはあった。
だが、いつまでもこの空気が続く訳ではない。
キーンコーン……と最初のチャイムが鳴り、昼食時間終了の合図が鳴ったのだ。
「あれ……波音、次の授業なんだっけ?」
「え?確か音楽……――はっ、移動教室じゃない! まずいわね、急ぐわよ」
「すみません、先に失礼します…!」
次の授業を日和が確認し、波音は口に含んでいた卵焼きを飲み込む。
急いで皿を置いた波音は立ち上がり、それより寸秒後に日和も立ち上がった。
「それじゃ!」
「行って来ます!」
仕方がない事ではあるが、忙しない姿だ。
二人は大急ぎで次の授業へと向かっていった。
一方で残った玲にだって出るべき授業はある。
それにも拘らず、ゆっくりと茶を飲み食事を進めていた。
「……玲は大丈夫なのか?」
竜牙に声をかけられると動きを止め、玲は竜牙の目を見て問う。
「逆に今、離れられないと思ってるから授業はこのまま休むよ。その方が落ち着けるでしょ?正也」
「……そう、だな」
額に手を当て、竜牙の姿をした正也は大きくため息を吐いた。
それを皮切りに沈黙と静寂が訪れる。
屋上ならではの強い風が轟、と吹き込み、二人の長い髪が強く靡いた。
風が止み、それから更に少しの間が空いて、静寂を授業開始のチャイムが裂く。
「……竜牙は?」
最初に声を出したのは玲だ。
正也を真っ直ぐに見て視線を外さない。
「ちゃんと会話できる……。なにが起こったかは、分かってない」
「他に変化は?」
「換装が解けない……。あと、今日は何日……?」
言葉を零すように答えながら、竜牙の瞼が落ちそうになる。
「起きろ、正也。正也が負傷してから1週間だよ。もう6月に入る」
「そっ……か……。結構、休んだな……」
「学校は既に休学で出してある。ひとまず正也を負傷させた妖を知りたい」
「……ごめん、覚えてない――」
「正也!!」
今にも眠りそうな竜牙の体を、玲が近寄り肩を揺らす。
それでも閉じていく瞼に合わせて、正也の最後の言葉が零れた。
「竜牙の、記憶が……多すぎて……」
「記憶……? どういう事だ!?正也!」
がくん、と竜牙の首が後ろに倒れ、体の重みが増していく。
油断していた玲は頭部が背後の床に当たる直前でなんとか持ち上げた。
「ぐっ……!」
ゆっくりと、そのまま体を起こしていく。
なんとか姿勢を正すと竜牙の手が動き出し、玲の手を掴んだ。
「すまない、世話をかけた……」
玲は竜牙の顔を覗く。
竜牙の体を纏う空気が変わり、どうやら竜牙に戻ったようだ。
「いや、こちらこそ……何も出来なかった」
気落ちする玲に、竜牙は一息吐いて口を開く。
「正也とは今ので意志が通じるようになったらしい。ただ……」
「ただ?」
「互いの記憶が混じった。まずいかもしれない」
「……竜牙と、正也の?」
玲が首を傾げると、竜牙は頷く。
それは呪いが進行したかもしれないという事実を表す。
記憶が混じる、互いの記憶が共有されるということは、二つの魂が混じり始めた証拠だ。
このまま進行すればどちらかが消えるか、或いは――。
「どう、するのさ?」
そんな高度な呪いを与えるなど、確実に力の強い妖――それこそ女王に匹敵する力の持ち主だろう。
玲の顔がみるみる青くなっていく。
「どうにもこうにも時間が来る前に、戻らなくてはならないな」
そんな呪いを食らった竜牙はそれでも冷静な様子を見せている。
深くため息を吐く竜牙に玲は問う。
「制限時間……それがいつかは分かってるの?」
「大体の予測は立っている。金詰日和の誕生日だろう」
竜牙の答えに玲の動きは止まった。
目を丸くして、理解すら追いついてもいない様子を見せる。
その間に竜牙は目前の弁当を流し見ると、適当におかずをつまみ口に放り込んだ。
「……やはり味がないな」
呟く竜牙は再び別のおかずに箸をつける。
すると玲の目の色が戻り、ぼそりと何か聞こえた。
「なんで……なんで、日和ちゃんなのさ……」
「それは……『術士の器』が出来上がる時だから、だろうな」
「……そっか」
玲ががくりと項垂れた。
酷く落胆している様子が伺える。
「じゃあ……しっかり守ってあげないといけないね」
しかしすぐさま頭を起こして、玲はにこりと微笑んだ。
その表情を、竜牙は知っている。
玲が得意な、"貼り付けた笑顔"だ。
玲は珍しくも、祖父からの隔世遺伝で受け継いだ力で術士として全うしている。
しかし厳格な家柄からか、それとも重圧か、自分にマイナスな事でも何かあれば玲は笑顔を見せるだけ。
それを口に出す事はおろか、表情にも出そうとしない。
更には身内の術士だけではなく、周囲の人間にさえこの貼り付けたような笑顔を見せている部分から、勘違いを起こす人間も多い。
玲にとっての笑顔は、『自身の一番奥の部分を包み隠す為の道具』に過ぎないのだろう。
そして彼がそうなので、多分金詰日和の笑顔も大半はそうなのだろうと推測している。
彼女は基本表情は持つものの、ついてくる感情が薄い。
その中で度々見せる浮いた笑顔は、きっと玲が教え込んだものだろうと、そんな気がする。
「……竜牙、日和ちゃんは今一人で住んでるけど、もし何かあったら保護してあげて欲しい。うちは……極力家に入れたくないな。夏樹の家は絶対無理だし、波音の家はどうか分からないけど」
「日和に関してになると頼み事が多いな。心配性」
「繋がりはなくても妹だからね。彼女の傷の深さは僕以上だよ」
「……可能性の一つとして見ておく」
「助かるよ。それじゃ、ご馳走様」
箸と皿を置き、玲は手を合わせ片付けを始める。
しかし途中でぴたりと手を止めると、竜牙には視線を合わせる事なく玲は口を開いた。
「……今週はごめん、しばらく別行動になるからって、皆に伝えておいてくれるかな」
「分かった。だが、師隼とは話をしておけ」
ため息交じりに出た竜牙の声が少しだけ怒りの色を残しながら、それでも玲は「ありがとう」と短く答えて片付けを終える。
「それじゃ、私は一度戻る」
「うん、お疲れ様」
竜牙は荷物を手に取ると柵を軽々乗り越えると、それから落ちるように姿を消した。
その後ろ姿に、玲は笑顔を剥がした表情で呟く。
「……持った荷物を人の敷地の前に無断で置くような行為だって思ってるとは思うけど……奸譎な奴でごめんね。僕はもう、抱えきれない程に持っちゃったから……勝手に巻き込むよ」