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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
19-4 負傷
 近頃、日和はどこかへかよっている。
 場所は麻生あそう、商店街の裏通りを奥に突き進んだ工業区だ。
 何かあれば狐の目があるし、特に危ない事もないだろうと思っていた。
 だが、何処かへ向かうように走る日和が突如消えたとの報告を受けた時は少々きな臭さを感じた。
 正直に言えばリボンを着けていたあの日から日和に何かあったんじゃないかと勘繰りたい。
 あれは一体なんだったのだろうか。
 ただ長い髪が一致したように見えただけ。
 赤いリボンが過去を彷彿とさせて振り払えなかっただけ。
 だが……あのように身に着けられると、薄っすらとした面影が余計に重なってかなわない。
 あれはとても心臓に悪かった。

「やっぱり、こっちの方に居たか」

 しかも見つけた日和は昨日の今日では遥かに術士の力が強くなったように感じる。
 迎えに行くと日和は既に用事を終えていたようで、笑顔になって駆け寄ってきた。

「やっぱり竜牙でした」
「なんの事だ?」

 早めに迎えに行ったつもりだったのだが、また少し遅かったらしい。
 商店街の近くになって戻ってきた日和の声は調子が上がっている。
 なんだかいつも以上に上機嫌のようだ。
 そんな事よりも、術士の力が増しているというのに気持ち悪がった様子もない。
 という事は……――術士の器が新たに広がったのだろう。

「なんだかこっちの方から竜牙が来る気がしたので、来てみたんです」
「……日和、術士を目指しているのか?」
「いえ、まだ……。でも。皆さんの迷惑にはならないようにしたいです」

 日和が何処で何の用事で何をしているのかは知らない。
 聞けば答えてくれるだろうが、日和は自ら伝えてくるだろうと想定している。
 だから深くは聞かぬようにした。
 そんなことよりも、今は頭上だ。

「……そうか。だが、あまり無理をしないことだ。そうやって力が強くなったということは――」
「わっ!」

 白い影がビルの上から突っこんできた。
 風切の音が響き、一瞬で日和を庇うと目の前でそれは地面を深くえぐり、跳ねる。

「――余計に狙われやすくなる」

 日和を狙った姿は白く、見様によっては紫色にも見える不格好な豹だ。
 その歪さはどうやら胴の後ろ半分が猫科ではない姿にも見える。

「……妖!」
「日和、合図をしたら指示した先に逃げろ。良いな?」

 声を上げる日和への注意を逸らせようと羽織りを手渡し、現れた妖に警戒しながら指示を出す。
 日和は羽織を身に着けると何度も頷いた。

「グルルルル……ガウ!!」

 まるで狼のような唸りを上げる豹は一気にこちらへ飛びつく。

「行け!!」

 その真下を手に持つ槍で突き、そのまま振り上げ、豹を背後へと飛ばす。
 同時に日和は低い姿勢を取りながら豹の真下をすり抜け、そのまま先へ走り出した。

「ガウ! ガウガウ!!」
「――くっ! 行かせん!」

 飛ばされた豹はくるりと着地し、瞬発力の高さで真っ直ぐにこちらへ飛びかかってくる。
 地面を叩き、豹の足元へズッ、と重く引き摺る音を立てて石の柱を生やし、豹の胴に直接ぶつけた。

「ギャン!?」

 下から突き上げられた豹は短い悲鳴を上げて打ちあがる。
 そのまま空中に飛ばされた豹に目掛けて杭のような筒状の石柱を6本出し、刺した。

ドッ、ドドド、――

 突き刺さる音がいくつも続いて、妖は空中で霧散する。
 一息。
 しかしそこへまた白い影が素早い動きが目の前を掠めた。

「なっ――!?」



---
 なんとなくの気配で竜牙が近くに居ると読めたことに嬉しさを感じていた。
 しかしそれから束の間、竜牙は自分を庇って戦いを始めてしまった。
 そうだ、力が強くなれば余計妖に狙われやすくなることを、どうして失念していたのだろう。
 日和は竜牙の羽織を被ったまま一目散に走っていた。

「あれ、日和さんどうしたんですか!?」

 ただ一生懸命に走って逃げた先に夏樹がいた。
 夏樹も日和に気付いたようで、日和に駆けて近付く。

「さっき妖が……! 竜牙が逃げろって道を作ってくれたんですが……」
「場所は分かりますか? 僕、応援に行きます!」
「このまま真っ直ぐです……!」

 わかりました!と声を上げて夏樹は走りながら装衣換装をする。
 しかしこのまま自分が一人いても危険なのではと不安になり、日和は風のように走り去りそうな夏樹の後ろ姿をなんとか見えるよう追いかけた。



「た、竜牙さん大丈夫ですか!?」

 夏樹が来た時には既に、竜牙の背中に右肩から左腰へ大きな三筋の線が入っていた。
 その部分の着物は破け、皮膚は抉れ、背中全体が真っ赤に染まっている。

「――夏樹か。私は大丈夫だ、それより……手伝えるか?」
「は、はい!」

 夏樹に気付いた竜牙は荒い呼吸をしているが、槍を構え、闘志は絶やさない。
 その目には気迫があり、夏樹は何も言えなかった。

「――行くぞ」

 目の前には白い鷹と狼が居る。
 竜牙は先ほど豹を打ち上げた柱に足をかけて飛び上がり、背後に幾つもの杭を出して空中から撃ち放つ。
 その隙に夏樹は妖が簡単に逃げられぬよう、風で妖を包んだ。
 しかし妖は寸で避け、鷹は竜牙に、狼は夏樹へと突っ込む。

「……甘い」
「せいっ!!」

 竜牙が槍を狼に向けて投げつけ、夏樹はコートの内側に準備していた道具を鷹に向けて投げた。

「キャン!!」「キュアァッ!!」

 狼は空から地面へ槍によって磔にされ、鷹の翼は二翼同時に斬られて落ちていく。
 どちらも同時に霧散していき、妖が放つ異様な空気は散るように消えていった。

「竜牙さん、大丈夫ですか!?」
「……ああ、先に倒した妖で油断していた。まさか更に2体も出てくるとは思わなかった」

 軽い音を立てて着地する竜牙に夏樹は詰め寄り、背中に手を翳す。
 竜牙はその場に膝をつき、動かない様に目を瞑った。

「あ、あの……! 大丈夫ですか!?」

 そこへ少し離れた位置で待機していた日和が近付く。

「日和……大丈夫だったか?」
「わ、私は大丈夫です。でも竜牙、それ……」

 竜牙の背中の止血が終わったようだが、まだ傷口が見えている。
 誰がどう見ても痛々しい傷だが、夏樹はそれを風の力で治していく。

「かなり深いですよ、これ。一度いおりで見て貰った方が良いんじゃ……」
「いや、そこまでしなくていい。まだ軽い」
「竜牙、これを……。すみません、助けてもらったのに怪我を……」

 心配そうな表情をする夏樹と日和だが、竜牙は涼しい顔をしている。
 一度死んだ手前、感覚が麻痺しているのではとさえ思えてくるほど普通の、まるで気にしていない表情だった。
 それでも背中の傷と破けた着物に日和は心配に思いながら羽織を返す。

「……一応この羽織は姿も消せるが、ある程度の妖を防げる。動きの速い妖の動ける範囲が心配だったが……今回は私が傷を受けたな」

 羽織りを受け取りながら、竜牙は自嘲していた。

「……傷、見えづらい程度にはなりました。あまり無理しないようにしてください」
「すまない、助かった。夏樹は大丈夫か?」
「僕は大丈夫です。サポートなら負けませんから」

 竜牙は立ち上がり、羽織を袖に通すと夏樹に軽く微笑む。
 夏樹は頷くとにっこり笑ってガッツポーズを取った。

「そうか、なら良かった。報告は私が――」
「――僕がやるので、竜牙さんは日和さんと一緒に帰って下さい。それで、療養してください」

 頷く竜牙の言葉を遮り、夏樹はむっ、と頬を膨らませながらピシリと答える。

「そうです。竜牙、怪我をしたのに無理しないで下さい」

 合わせて日和は夏樹の肩を持った。
 目を丸くした竜牙はふ、と笑って「分かった」と小さくだけ答え、あとは夏樹に任せることにした。
 それを、豹が降りたビルの上から少女が見つめる。

「ふぅん……。先に目障りな物、消さないとね……」

 結界の中、竜牙と日和が帰る姿を見てぼそりと呟いた――。



***
 日曜日だが、ラニアは「次は明後日」だと言っていた。
 今日は会えない事を分かっていたらしい。
 清依は明後日の話をよく聞く様にと言っていたので、明日は一番大事な日なのだろうと思う。

「はぁ……」

 そんな中、日和は力を持った両手に視線を落とし、ため息を吐く。
 昨日竜牙が怪我をした。
 力を持っても誰かがそうなれば、宝の持ち腐れのようにも思う。
 ましてやそれが、日和を庇った上でのものなら。
 力を受け取らなければ、襲われることもなかったのではないだろうか?

「……選ばなかった、選択」

 ラニアは昨日そんな話をしていた。
 もしかしたら昨日のそれは、そういう事に該当するのではないだろうか。
 そういうものが積み重なって今までがあるとしたら……私はこれから先、よく考えて選ばないといけない気がした。

 ――コン、コン。

「……はい?」

 思考を遮るようにノックが鳴る。
 入ってきたのは、竜牙だ。

「日和、今日は……出なくて大丈夫なのか?」
「え? あ、そんな時間なんですね……」

 時計を見ると、いつもラニアに会う時間だった。
 思えばまだ3度しか会ってないのに、長い時間会っているように思う。
だけど今日は……――

「――すみません、今日はお誘いを受けていないので……。明日は行ってきてもいいですか?」
「分かった。……誰に会っているかは、言えないか?」

 竜牙は明らかに心配した表情をしている。
 竜牙を裏切っている気がして、心がちくりと痛い。

「……すみません。あの、終わったら……お話させてください」
「……ああ、分かった」

 竜牙は頷くだけで何も言わない。
 それが良いのか、悪いのかは分からない。
 だけど、どちらにしても不安なのは多分一緒だ。

「それより竜牙は、怪我は大丈夫なんですか?」
「まだ気にしていたのか? もう治した」

 そう言って羽織と着物をはだけさせた竜牙の背中はもう、何事もなかったかのように傷は無い。
 着物自体も裂かれた痕すらもなかった。
 寧ろ引き締まった大人の男性の背中がある――。

「――って、なんで脱ぐんですか!? いや、あの、治ったのは分かりましたけど……!」

 ほっとしたのは良いが、急に恥ずかしくなってなんだか顔が熱い。
 傷を見せようと思ったのは分かるけど、別にそこまで確認したいとは思っていないはずだ。多分。

「……そうか、分かってくれたなら良い」

 慣れた手つきで竜牙は身を直す。
 そして「行ってくる」と背を向けた。

「もう、動いて大丈夫なんですか? 今日はお休みなんじゃ……」
「具合なら先ほど確認しただろう。再度見るか?」
「~~っ! み、見ません!」

 竜牙はくすくすと笑っている。
 からかわれたようであることはとてもよく分かった。

「今日は出ないのなら、大人しくしていろ。お前にやりたい事があるのならば手伝う。なにかあれば、ちゃんと言え」
「……はい、わかりました」

 ふ、と笑って竜牙の手が頭に乗る。

「そうむくれるな。じゃあ、行ってくる」

 手が離れて、竜牙は部屋を出ていく。

「……むぅ」

 頭に手の感触と共になんとも複雑な気持ちだけが残った。

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