残酷な描写あり
23-3 女王は表舞台に立つ
今日は朝から連絡が入り、一人で置野家に戻った。
竜牙と波音はよくなったらしいが、代わりに師隼が動けなくなっていた。
10月は神無月、神に仕える神宮寺の人間はこの月、力を失うらしい。
だから代わりにしばらくは麗那さんが術士を取り仕切るのだという。
「今日は自由に過ごしてきなさい。そうね、お友達と楽しく過ごすと良いんじゃないかしら。大丈夫、何かあればこちらからちゃんと出向くわ」
優しく微笑む麗那はそう言って送り出してくれた。
そうして置野家に着けば、朝食を準備してくれていたハルが待っていた。
「ごめんなさいね日和さん、お呼び立てしてしまって。明日お誕生日だと聞いたのだけど……合ってるかしら?」
おっとりと嫋やかに微笑むハルは日和の為に準備をしようとしていたらしく、驚いた。
最近の忙しさと不安で、本人は誕生日の存在など忘れていたというのに。
「そういえば、そうでしたね……すっかり忘れてました」
「明日、ケーキ準備するわ。何が好き?」
「いえそんな、悪いです……」
「だめよ、日和さんも家族なんだから。可愛い娘のお祝い、させて下さらない?」
にこりと微笑むハルに、私はつい遠慮してしまう。
それでもこの笑顔にはなかなか勝てない。
『家族なんだから』
一緒に住まわせて貰うまでは一切感じなかった言葉が日和の心を温かくする。
不安に駆られていたこの毎日では尚更だ。
本当はそんな事を言っていられない気がするけど、気を利かせてくれたのだろう。
ハルの気持ちを断る事は出来なかった。
「ありがとうございます……。えっと……私、チーズケーキが好きです」
初めて好きなケーキを答えた気がする。
正確に言うと好きかどうかは分からない。
それでも真っ先に頭に浮かんだのは、以前たまに祖父が買ってきてくれたベイグドチーズケーキだった。
「指定のお店、ある?」
「え、お店……私そういうのよく分からなくて……」
「そう。ちなみにどんなチーズケーキ?スフレ?ベイグド? あ、レアチーズケーキかしら」
「あ……ベイグドチーズケーキ…表面に粉砂糖で花が書かれてるケーキを、よく食べてました」
「あぁ、きっと商店街の内側にあるパティスリーさんね! 日和さんも好きなのねえ、正也と一緒」
どうやらどの店かを理解できたらしく、にこりと嬉しそうに微笑むハル。
声質が優しくなり、母親の表情に変わった。
「そうなんですか。じゃあ、正也君にも……是非」
「ふふ、そうね」
なんでもない会話に、二人で笑い合う。
心が温かくなったところで、日和のスマートフォンが着信を知らせる。
「あ、ごめんなさい……」
「大丈夫よ」
頷くハルに頭を下げ、日和は電話を取った。
『おはよ、日和! ねぇ日和。明日、誕生日でしょ? 今から駅行かない?』
スマートフォンからくぐもった声が聞こえる。
相手は弥生だ。
「駅……? なんで?」
『折角だから、駅でお買い物して沢山遊ぼうよ! ……だめ?』
ここ最近は全く話さず、距離も遠かったというのに弥生はいつもの調子で問う。
気にし過ぎていたのは自分だけだったようだ。
日和の口から思わずため息が洩れた。
「……仕方ないなぁ。良いよ」
予定はないのでまあいいかと思ったが、自分で思っている以上に上がり調子で返事をしてしまった。
少し嫌われていたと思っていたので、反動があったかもしれない。
『やったー! じゃあ1時間後に駅前公園で待ち合わせ!いける?』
「うん、分かった。11時に駅前公園ね」
『あ、できればそのまま夜ご飯も食べたいな! 大丈夫?』
「それはー……わかった、考えてみる」
『それじゃあとでね!準備するー』
「うん、またあとで」
耳からスマートフォンを離すと、ハルはにこにことしている。
「あの……」
「大丈夫よ。お友達と楽しんでらっしゃい。夜ご飯も一緒に、ね」
「あ……ありがとうございます」
深くお辞儀する日和にハルは日和を軽く抱き寄せ、頭を撫でた。
一瞬でぎこちなく強張る日和の体にくすくすと笑う。
「貴女は私達の娘なのだから、もっと我が儘を言いなさい」
「……はい」
それじゃあ行ってらっしゃい、と別れの挨拶を告げてハルは場を去る。
日和はその背中を見送って部屋に戻った。
***
最初は何を考えていたのか覚えていない。
気付いたら『私』は何かを求めていた。
あれが欲しい。これが欲しい。それが欲しい。
そう思って手に入れているのに、足りない。
何かが、足りない。
何が足りてないのかは、分からない。
だけど、何かが欲しかった。どうしても欲しかった。
だから、手当たり次第に手を伸ばした。
『私』は、妖という生き物らしい。
生き物ではなく、化け物らしい。
目の前で様々な同胞がやられて逝くのを見た。
死ねばああやって散り散りになって散っていく。
何も残らない。
じゃあ『私』は、残る物が欲しい。
火で焼かれ、土に埋められ、風に切り刻まれ、水に飲みこまれ、雷に打たれ、殴られ、斬られ、刺され、散る。
目の前の同胞はいくら居たって、散る。
だったら『私』はその力が欲しい。
『私』は、『強欲』だ――。
その男は笑いながら、電撃を浴びせてくる。
元々得意ではない戦いを強いられた。
見つかってしまったのだから仕方ない。
だけど――、その力が手に入るなら、『私』はお前を食べたい。
「娘を庇いながら戦うのは骨が折れるな! 君は随分と強い気持ちがあるらしい」
強い気持ち……意識したら、身体が少し自由になった。
体中から泡を出し、息を吹きかけると飛んでいく。
それが男の体に付着して、部品が飛んだ。
欲しい。欲しい。全部欲しい。
だから……お前を殺す。
部品は弾け飛ぶ。
赤い液体を撒き散らして。
「私の娘は16になれば最高の餌になるだろう。それまでに手を出すなら、私が妖となってお前を食らう」
倒れた男はそう言っていた。
餌。
この男がそう言うなら、近くで震えている人間は良い餌になるのだろう。
今でも十分おいしそうなのに。
『私』はその餌を食べたい。
「わかった、じゃあ……お前を食べる」
契約のようなものだ。
『私』はこの日から、『私』だけではなくなった。
これが発端で、様々な物を食べた。
人、同胞、ただ無差別に食べると怒られるから、新たに生まれた『脳』に従う。
『私』は、悪食だった。
人を食べて、知識を得た。
自由に喋れるようになり、『脳』が代わりに考えてくれる。
外側は『私』、内側は『脳』になった。
妖を食べて、力を得た。
いつの間にか『私』は人の姿になっていた。
思えば、『脳』ができてからだったように思う。
だけどそんな事は関係ない。
私は『脳』の、『執着』の思うままに人を食し、妖を食し、餌を育てた。
そして簡単に餌が死なないよう、傍にいた術士を育てた。
しばらくして、邪魔そうな術士が居た。
この町にはそぐわない、小さな術士。
「私を殺すより、もっと良い方法がある」
そう言った、一緒に居た娘が小さな術士を妖にしてしまおうと提案した。
どいつもこいつも『簡単には死なない』という強い意志を感じる。
だけど私はその気持ちを吐き捨てられない。
だって、私だって強い気持ちはあるから。
あの娘を、あの餌を、16になったら一番のご馳走にして食べたい。
私は『強欲』。私はこの娘の『成り代わり』。
そして娘は自分の身を実験台として差し出した。
それ以降の実験は、脳の記憶だから憶えてない。
『私』は娘になった。
『私』は、奥村弥生になった。
---
「日和ー、学校で毎日会ってるのに、なんだか久しぶりだよねぇ。本当は明日お祝いしたいんだけど、日曜日じゃん? 折角なら今日会いたくて連絡しちゃった」
にこにこと笑う弥生に日和は「別に良いよ」と返す。
「それで、今日は何買うの?」
「何って……日和の誕生日だから日和の好きな物買わないと!」
当然でしょ、と言わんばかりに眉を寄せる弥生に、日和は目を見開く。
確かに、そうなのだが、未だに日和の好みは自分自身が分からない。
それを見透かす弥生は財布を取り出し掲げる。
「私、今まで結構バイトしたりして頑張って稼いでたんだ。だから日和の為に奮発させて!良い?」
「え、そこまではいいよ…弥生は弥生の欲しい物に使って欲しいし……」
「あー……せめて、まず、久しぶりに髪弄らせてよ!」
「それなら、まぁ……」
弥生は手慣れた様に日和の髪を触り出す。
両サイドからハーフアップで編み込みを入れて、髪を一度まとめた。
更に下も少し纏めながら、上を巻き込んで三つ編みをする。
首元で髪を結び、残りはそのまま流してふふんと弥生は上機嫌に笑った。
しかし、満足はしていない。
「出来たけど……」
「けど?」
「物足りない! アクセ買おう!」
「え、うん……?」
弥生は早速店に向かうとヘアゴムやヘアピンを見ながら日和の髪に一つずつ当てて唸る。
これがいい!と選んだのは花の飾りがついたヘアゴムだった。
「お昼は何食べたい?」
「え、え? えっと……何がいいかな。弥生は食べたい物ないの?」
欲のない日和は困り顔で弥生に問う。
弥生は口を突きだし、「ない」と答えた。
「うーん、じゃあ……甘い物」
「……じゃあ、クレープにしよ!」
「え、文化祭で作るのに?」
意外な答えに日和は目を丸くして首を傾げる。
弥生は知っている。
日和は文化祭には出られない。
「いいの! 文化祭で出せるクレープじゃないやつ、食べようよ!」
「はいはい」
弥生は日和の手を引いてクレープ店に向かった。
クリームとアイスと果物が沢山入ったクレープを手に、日和はスプーンですくってクレープを食べる。
弥生は日和から一口貰いながら、自分が選んだレアチーズケーキの入ったクレープを一口あげた。
「ケーキ入りも美味しいね」
「日和のは果物の種類がすごいね。甘酸っぱーい!」
甘いものは美味しい。
とても楽しい気分になる。
刻一刻と迫る時間なんて、忘れてしまうくらい。
自分が妖で、日和が人間だと忘れてしまうくらい。
「日和、次は服見ようよ!」
「そうだね。そろそろ冬用の用意しなくちゃ……」
「……それもそうだけど、今日の日和の服も可愛いけど、私がコーデしたもの今から着てほしいな」
「え、今から?」
「うん」
弥生は知っている。
日和に冬は来ない。
「んー……日和って好きな色とかないの? いつも白か黒かパステルみたいなところあるよね」
「否定はしない、かな……」
日和はふわふわとした服が可愛い。
何を着ても似合うけど、何を言っても変わらない日和が好き。
ねえ、いつまでも私だけの可愛いお嬢様で居て?
「ちょっと早いけど……これ、どうかな?」
「あ、可愛いね」
選んだのはタートルネックのトップスに、フレアロングスカート。
秋らしい赤のタータンチェックのストールもつけた。
「ど……どう?」
「可愛い!! じゃあこれで今日一日お願いします! ……あ、足りない物があるんだけど」
「ええ、まだ足りてないの?」
「全身揃ってコーデだよ!」
そう言って追加したのは帽子とブーツ。
「あ、待って! アクセ、アクセつけよ!」
「まだ追加するの!?」
「するに決まってるでしょ! イヤリングとペンダント、つけたら絶対完璧だって! 長谷川ゆうき並のトップモデルになれるよ!」
日和は一瞬誰だろう、と顔が訴えていた。
でもすぐに「あ、弥生が追っかけてるモデルさんだっけ?」と思い出してくた。
他人に興味がなければ他人の好みにも疎い日和にしてはよく覚えていた方だ。
これはちゃんと褒めてあげないと。
「はぁ……やっぱり元が良いと簡単に化ける……日和ったらすっごく可愛い!」
コーデを揃えて満足した。
おかげで周囲の人間が通りすがりにちらちらと視線を集めていることに気付いた。
日和が可愛いのはこれで周知の事実になったようで、欲がまた少し満たされた。
内心、今日で日和が死んでしまう事実を寂しく思いながら、弥生は今日を楽しんでいる。
奥村弥生という、日和の親友として。
日和を食べてしまったら、自分がどうなるかなんて考えた事はない。
強欲が果たされて満足して消えるのか、新たな欲が生まれるのか。
今はそんな事、知った事ではない。
ただ、楽しく居たい。
「弥生、次はどうする?」
「え?」
日和は少し照れ臭そうにしていた。
いつもと違う雰囲気の親友に、にまりと、頬が自然とゆるむ。
「その……甘い物食べたし、着替えたし……弥生のお祝いのプレゼン、まだあるんでしょ?」
「……うん、まだまだ! 今日一日日和を連れ回さないと、私の気が済まない!」
日和はくすりと笑った。
いつまでも、そうやって笑っていてほしい。
その笑顔を崩していいのは、数時間後の私の前だけだ。
竜牙と波音はよくなったらしいが、代わりに師隼が動けなくなっていた。
10月は神無月、神に仕える神宮寺の人間はこの月、力を失うらしい。
だから代わりにしばらくは麗那さんが術士を取り仕切るのだという。
「今日は自由に過ごしてきなさい。そうね、お友達と楽しく過ごすと良いんじゃないかしら。大丈夫、何かあればこちらからちゃんと出向くわ」
優しく微笑む麗那はそう言って送り出してくれた。
そうして置野家に着けば、朝食を準備してくれていたハルが待っていた。
「ごめんなさいね日和さん、お呼び立てしてしまって。明日お誕生日だと聞いたのだけど……合ってるかしら?」
おっとりと嫋やかに微笑むハルは日和の為に準備をしようとしていたらしく、驚いた。
最近の忙しさと不安で、本人は誕生日の存在など忘れていたというのに。
「そういえば、そうでしたね……すっかり忘れてました」
「明日、ケーキ準備するわ。何が好き?」
「いえそんな、悪いです……」
「だめよ、日和さんも家族なんだから。可愛い娘のお祝い、させて下さらない?」
にこりと微笑むハルに、私はつい遠慮してしまう。
それでもこの笑顔にはなかなか勝てない。
『家族なんだから』
一緒に住まわせて貰うまでは一切感じなかった言葉が日和の心を温かくする。
不安に駆られていたこの毎日では尚更だ。
本当はそんな事を言っていられない気がするけど、気を利かせてくれたのだろう。
ハルの気持ちを断る事は出来なかった。
「ありがとうございます……。えっと……私、チーズケーキが好きです」
初めて好きなケーキを答えた気がする。
正確に言うと好きかどうかは分からない。
それでも真っ先に頭に浮かんだのは、以前たまに祖父が買ってきてくれたベイグドチーズケーキだった。
「指定のお店、ある?」
「え、お店……私そういうのよく分からなくて……」
「そう。ちなみにどんなチーズケーキ?スフレ?ベイグド? あ、レアチーズケーキかしら」
「あ……ベイグドチーズケーキ…表面に粉砂糖で花が書かれてるケーキを、よく食べてました」
「あぁ、きっと商店街の内側にあるパティスリーさんね! 日和さんも好きなのねえ、正也と一緒」
どうやらどの店かを理解できたらしく、にこりと嬉しそうに微笑むハル。
声質が優しくなり、母親の表情に変わった。
「そうなんですか。じゃあ、正也君にも……是非」
「ふふ、そうね」
なんでもない会話に、二人で笑い合う。
心が温かくなったところで、日和のスマートフォンが着信を知らせる。
「あ、ごめんなさい……」
「大丈夫よ」
頷くハルに頭を下げ、日和は電話を取った。
『おはよ、日和! ねぇ日和。明日、誕生日でしょ? 今から駅行かない?』
スマートフォンからくぐもった声が聞こえる。
相手は弥生だ。
「駅……? なんで?」
『折角だから、駅でお買い物して沢山遊ぼうよ! ……だめ?』
ここ最近は全く話さず、距離も遠かったというのに弥生はいつもの調子で問う。
気にし過ぎていたのは自分だけだったようだ。
日和の口から思わずため息が洩れた。
「……仕方ないなぁ。良いよ」
予定はないのでまあいいかと思ったが、自分で思っている以上に上がり調子で返事をしてしまった。
少し嫌われていたと思っていたので、反動があったかもしれない。
『やったー! じゃあ1時間後に駅前公園で待ち合わせ!いける?』
「うん、分かった。11時に駅前公園ね」
『あ、できればそのまま夜ご飯も食べたいな! 大丈夫?』
「それはー……わかった、考えてみる」
『それじゃあとでね!準備するー』
「うん、またあとで」
耳からスマートフォンを離すと、ハルはにこにことしている。
「あの……」
「大丈夫よ。お友達と楽しんでらっしゃい。夜ご飯も一緒に、ね」
「あ……ありがとうございます」
深くお辞儀する日和にハルは日和を軽く抱き寄せ、頭を撫でた。
一瞬でぎこちなく強張る日和の体にくすくすと笑う。
「貴女は私達の娘なのだから、もっと我が儘を言いなさい」
「……はい」
それじゃあ行ってらっしゃい、と別れの挨拶を告げてハルは場を去る。
日和はその背中を見送って部屋に戻った。
***
最初は何を考えていたのか覚えていない。
気付いたら『私』は何かを求めていた。
あれが欲しい。これが欲しい。それが欲しい。
そう思って手に入れているのに、足りない。
何かが、足りない。
何が足りてないのかは、分からない。
だけど、何かが欲しかった。どうしても欲しかった。
だから、手当たり次第に手を伸ばした。
『私』は、妖という生き物らしい。
生き物ではなく、化け物らしい。
目の前で様々な同胞がやられて逝くのを見た。
死ねばああやって散り散りになって散っていく。
何も残らない。
じゃあ『私』は、残る物が欲しい。
火で焼かれ、土に埋められ、風に切り刻まれ、水に飲みこまれ、雷に打たれ、殴られ、斬られ、刺され、散る。
目の前の同胞はいくら居たって、散る。
だったら『私』はその力が欲しい。
『私』は、『強欲』だ――。
その男は笑いながら、電撃を浴びせてくる。
元々得意ではない戦いを強いられた。
見つかってしまったのだから仕方ない。
だけど――、その力が手に入るなら、『私』はお前を食べたい。
「娘を庇いながら戦うのは骨が折れるな! 君は随分と強い気持ちがあるらしい」
強い気持ち……意識したら、身体が少し自由になった。
体中から泡を出し、息を吹きかけると飛んでいく。
それが男の体に付着して、部品が飛んだ。
欲しい。欲しい。全部欲しい。
だから……お前を殺す。
部品は弾け飛ぶ。
赤い液体を撒き散らして。
「私の娘は16になれば最高の餌になるだろう。それまでに手を出すなら、私が妖となってお前を食らう」
倒れた男はそう言っていた。
餌。
この男がそう言うなら、近くで震えている人間は良い餌になるのだろう。
今でも十分おいしそうなのに。
『私』はその餌を食べたい。
「わかった、じゃあ……お前を食べる」
契約のようなものだ。
『私』はこの日から、『私』だけではなくなった。
これが発端で、様々な物を食べた。
人、同胞、ただ無差別に食べると怒られるから、新たに生まれた『脳』に従う。
『私』は、悪食だった。
人を食べて、知識を得た。
自由に喋れるようになり、『脳』が代わりに考えてくれる。
外側は『私』、内側は『脳』になった。
妖を食べて、力を得た。
いつの間にか『私』は人の姿になっていた。
思えば、『脳』ができてからだったように思う。
だけどそんな事は関係ない。
私は『脳』の、『執着』の思うままに人を食し、妖を食し、餌を育てた。
そして簡単に餌が死なないよう、傍にいた術士を育てた。
しばらくして、邪魔そうな術士が居た。
この町にはそぐわない、小さな術士。
「私を殺すより、もっと良い方法がある」
そう言った、一緒に居た娘が小さな術士を妖にしてしまおうと提案した。
どいつもこいつも『簡単には死なない』という強い意志を感じる。
だけど私はその気持ちを吐き捨てられない。
だって、私だって強い気持ちはあるから。
あの娘を、あの餌を、16になったら一番のご馳走にして食べたい。
私は『強欲』。私はこの娘の『成り代わり』。
そして娘は自分の身を実験台として差し出した。
それ以降の実験は、脳の記憶だから憶えてない。
『私』は娘になった。
『私』は、奥村弥生になった。
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「日和ー、学校で毎日会ってるのに、なんだか久しぶりだよねぇ。本当は明日お祝いしたいんだけど、日曜日じゃん? 折角なら今日会いたくて連絡しちゃった」
にこにこと笑う弥生に日和は「別に良いよ」と返す。
「それで、今日は何買うの?」
「何って……日和の誕生日だから日和の好きな物買わないと!」
当然でしょ、と言わんばかりに眉を寄せる弥生に、日和は目を見開く。
確かに、そうなのだが、未だに日和の好みは自分自身が分からない。
それを見透かす弥生は財布を取り出し掲げる。
「私、今まで結構バイトしたりして頑張って稼いでたんだ。だから日和の為に奮発させて!良い?」
「え、そこまではいいよ…弥生は弥生の欲しい物に使って欲しいし……」
「あー……せめて、まず、久しぶりに髪弄らせてよ!」
「それなら、まぁ……」
弥生は手慣れた様に日和の髪を触り出す。
両サイドからハーフアップで編み込みを入れて、髪を一度まとめた。
更に下も少し纏めながら、上を巻き込んで三つ編みをする。
首元で髪を結び、残りはそのまま流してふふんと弥生は上機嫌に笑った。
しかし、満足はしていない。
「出来たけど……」
「けど?」
「物足りない! アクセ買おう!」
「え、うん……?」
弥生は早速店に向かうとヘアゴムやヘアピンを見ながら日和の髪に一つずつ当てて唸る。
これがいい!と選んだのは花の飾りがついたヘアゴムだった。
「お昼は何食べたい?」
「え、え? えっと……何がいいかな。弥生は食べたい物ないの?」
欲のない日和は困り顔で弥生に問う。
弥生は口を突きだし、「ない」と答えた。
「うーん、じゃあ……甘い物」
「……じゃあ、クレープにしよ!」
「え、文化祭で作るのに?」
意外な答えに日和は目を丸くして首を傾げる。
弥生は知っている。
日和は文化祭には出られない。
「いいの! 文化祭で出せるクレープじゃないやつ、食べようよ!」
「はいはい」
弥生は日和の手を引いてクレープ店に向かった。
クリームとアイスと果物が沢山入ったクレープを手に、日和はスプーンですくってクレープを食べる。
弥生は日和から一口貰いながら、自分が選んだレアチーズケーキの入ったクレープを一口あげた。
「ケーキ入りも美味しいね」
「日和のは果物の種類がすごいね。甘酸っぱーい!」
甘いものは美味しい。
とても楽しい気分になる。
刻一刻と迫る時間なんて、忘れてしまうくらい。
自分が妖で、日和が人間だと忘れてしまうくらい。
「日和、次は服見ようよ!」
「そうだね。そろそろ冬用の用意しなくちゃ……」
「……それもそうだけど、今日の日和の服も可愛いけど、私がコーデしたもの今から着てほしいな」
「え、今から?」
「うん」
弥生は知っている。
日和に冬は来ない。
「んー……日和って好きな色とかないの? いつも白か黒かパステルみたいなところあるよね」
「否定はしない、かな……」
日和はふわふわとした服が可愛い。
何を着ても似合うけど、何を言っても変わらない日和が好き。
ねえ、いつまでも私だけの可愛いお嬢様で居て?
「ちょっと早いけど……これ、どうかな?」
「あ、可愛いね」
選んだのはタートルネックのトップスに、フレアロングスカート。
秋らしい赤のタータンチェックのストールもつけた。
「ど……どう?」
「可愛い!! じゃあこれで今日一日お願いします! ……あ、足りない物があるんだけど」
「ええ、まだ足りてないの?」
「全身揃ってコーデだよ!」
そう言って追加したのは帽子とブーツ。
「あ、待って! アクセ、アクセつけよ!」
「まだ追加するの!?」
「するに決まってるでしょ! イヤリングとペンダント、つけたら絶対完璧だって! 長谷川ゆうき並のトップモデルになれるよ!」
日和は一瞬誰だろう、と顔が訴えていた。
でもすぐに「あ、弥生が追っかけてるモデルさんだっけ?」と思い出してくた。
他人に興味がなければ他人の好みにも疎い日和にしてはよく覚えていた方だ。
これはちゃんと褒めてあげないと。
「はぁ……やっぱり元が良いと簡単に化ける……日和ったらすっごく可愛い!」
コーデを揃えて満足した。
おかげで周囲の人間が通りすがりにちらちらと視線を集めていることに気付いた。
日和が可愛いのはこれで周知の事実になったようで、欲がまた少し満たされた。
内心、今日で日和が死んでしまう事実を寂しく思いながら、弥生は今日を楽しんでいる。
奥村弥生という、日和の親友として。
日和を食べてしまったら、自分がどうなるかなんて考えた事はない。
強欲が果たされて満足して消えるのか、新たな欲が生まれるのか。
今はそんな事、知った事ではない。
ただ、楽しく居たい。
「弥生、次はどうする?」
「え?」
日和は少し照れ臭そうにしていた。
いつもと違う雰囲気の親友に、にまりと、頬が自然とゆるむ。
「その……甘い物食べたし、着替えたし……弥生のお祝いのプレゼン、まだあるんでしょ?」
「……うん、まだまだ! 今日一日日和を連れ回さないと、私の気が済まない!」
日和はくすりと笑った。
いつまでも、そうやって笑っていてほしい。
その笑顔を崩していいのは、数時間後の私の前だけだ。