少女と至宝と欲望の争い
〇黒曜樹海 資源採取戦 指定区域付近
黒曜樹海の未舗装路をサクラダ警備のトレーラー三台が駆け抜ける。その勢いは、普段とは比べ物にならない。
後ろ二台がシドウ一式を搬送していた。モノノフの大鎧を思わせる肩部大型装甲板の上を、無数のクモ型インセクト・マシンが蠢いている。口から塗料を吐いて、機体を黒曜樹海に合わせた黒と緑のまだら模様へ塗り替えていた。
先頭車両にはサクラダ警備の三人が乗っている。アオイは跳ね上がる衝撃に気分を悪くして、苦悶の表情を浮かべた。
だが、胸中はそれどころではない。トモエへの質問に、あからさまな不安が乗ってしまう。
「トモエさん。本当にこれから――」
「ああ。お前たちには鉄火場へ踏み込んでもらう」
「トレージオンをめぐる資源採取戦……。そんなものが」
トレージオン。それは人類の至宝。
大侵食以前に宇宙から飛来したその物質は、奇妙な性質を持っている。周りの物質を取り込み、別物へと再構築する性質だ。
それは生命が、餌を食べて自身を構築するプロセスに似ている。トレージオンの構造が細胞に似ていることもあって、細胞状マイクロプラントと形容されることもある。
取り込む物質と周囲の環境によってトレージオンは再構築する物質を変える。そのどれもが人智を超えた有用性を持つ
「アオイは、ウラシェに来てから間もないが、それでも価値は知っているだろう?」
現代では必要不可欠な資源であると、ほとんどの人間が知っている。
「はい。人戦機の材料のほとんどはトレージオン製だと。トレージオン以外では、そんな凄い材料を作れなくて、すごく貴重だって」
トレージオンが作れない数少ない物質。それはトレージオン自身だ。
最先端科学を持ってしても再現不能であるがゆえに、供給に対して常に枯渇していた。
「まさか、それが噴き出るなんて……。信じられません」
「すぐ目にするさ。今から行く場所でな」
そして、開拓星で驚愕の事実が発見される。時折、トレージオンが惑星地上から間欠泉の如く吹き出すのだ。
トモエがタブレット型端末を忙しくなく操作しながら、口を動かす。
「骨、筋肉、神経、鎧。人間で言えばそれらに相当する超高性能な人戦機の材料を、手間もカネもかけずに勝手に作り続ける。人戦機が安値でも生み出す利益は莫大だ」
それゆえ、宝物庫を、誰もが欲しがる。
「各企業が確保に躍起になる。国益保護の名目で、間に合う武装警備員をかき集める訳だ」
生み出す利益を最大に、使うコストは最小に。結果、開拓地域に散在する武装警備員が資源採集戦の主力となった。それが、いま自分たちが現場へ向かう理由だった。
「だから、強制参加なんですね……」
「高額報酬が期待できるから強制されずとも参加したがる者が多いが、それでも嫌がる者もいる」
「……どうしてですか?」
そう口にしながらも、張りつめた空気から理由について薄々は気づいていた。鉄火場という、トモエの言葉を思い出す。
「噴出する箇所は散在し、停止と再開はまるで不規則。我々は一刻も早く噴出地点を確保して、クライアントの利益を最大化しなければならない。そこまで言えば、アオイなら分かるな?」
「……いままでみたいに、準備万端で戦える訳ではない」
今までの任務で準備万端の上で、それでも危険に巻き込まれた。そして、今から向かう場所の危険度は、それよりも上と言う事だ。予想通りで、そうあって欲しくなかった答えだった。
トモエを見ると、無機質なバイザーとは対照的に、眉は焦りに歪んでいた。
(あの、トモエさんが……)
それだけで、極めて分が悪い状況にいる事が分かった。
流動的な状況で求められるのは、自分の判断で動けるだけの経験だと言うのはよく分かる。
まだ早過ぎると、トモエが判断していると考えた。
続くトモエの声は、予想どおりに緊迫感を含んだ調子だった。
「言っておくが、相当に危険な任務だ。細心の注意を払ってもらおう」
「分かりました。今までの経験を活かして頑張ります」
「いや、わかっていない。なぜなら資源採取戦では今までの任務の経験は半分程度しか役に立たない」
「え?」
「いいか、よく聞け――」
そう言ってトモエは理由を話す。
語られた真実と、待ち構える危険に身がすくんだ。だが、か細い指を握って拳を作り、ちらりとソウを向く。
(でも、ボクはソウと約束したんだ)
トモエの方へ向き直し、声に精いっぱいの覚悟を込めた。
「迷惑をかけるつもりはありません。参加します」
「その言葉、信じるぞ」
一方で、ソウは相も変わらず冷静だった。
「オレとアオイだけでは広大な噴出地域を警備できませんが?」
「当然、複数社合同の任務となる」
「他社との連携は? ヒノミヤさん設備の防衛任務のような混乱に陥るのは避けたいのですが」
「それについては――」
通信を知らせるアラートが鳴る。
チャンネルを開くと、艶やかな黒髪が印象的な容姿端麗の女性が映っていた。外はね気味のショートカットが活動的な印象だ。
画面の中の女性が耳から口元に伸びるインカムを触ると、印象どおりの涼やかな声がトレーラー内に響いた。
「サクラダ警備の皆様。イナビシの依頼を受託頂きありがとうございます。広域オペレーター担当のチドリ=チサトです」
「サクラダ警備代表兼オペレーター担当のサクラダ=トモエです」
「ご無沙汰しています。サクラダさん」
「ええ、しばらくぶりです」
チサトが何かに気づいたように、まつ毛の揃った目を僅かばかり見開いた。
「そちらは? 初めてお見掛けしましたが」
「うちの新しい面子です」
「初めまして。武装警備会社間の統合作戦の立案、および指揮を担当するチドリです。よろしくお願いします」
トモエが頭を下げる相手と言う事で、きっちりと頭を下げた。挨拶もそこそこに、トモエが躊躇と共に口を開く。
「今回の作戦に関して一つ要望が。現在、弊社で稼動できるのは経験の浅い者だけです。弊社が担当する作戦域を決定する際には、その点をご配慮願います」
「できる限りではありますが、考慮いたします。ですが、弊社の営利を第一優先とした活動である点は、ご了承を」
襟についた社章バッチを触りながら、トモエはにこやかに返答する。
「分かりました。では以降よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。ご武運を」
その後、チサトが映っていたウィンドウが消える。同時に、疑問を述べた。
「あの人がワタシたちの指揮をするんですか?」
「今までどおり私がお前たちの指揮をする。チドリさんが指揮するのは私だ」
「……よかった」
トモエの指揮を受けられると知り、少しだけ不安が薄れた。だが、すぐにトモエの締まった声が響く。
「あと数分で指定区域に到着する。もう後戻りはできないぞ。本当にいいんだな?」
「覚悟はしています」
トレーラーが進む先を、窓から覗く。そこには多数の黒煙が立ち上り曇天と混ざり合っていた。覚悟がいま試されようとしている事に、思わず唾を飲んだ。
〇黒曜樹海 資源採取戦 指定区域 後方警戒区域
ゴーグルモニターを少しだけ上げて、周囲を見回す。もはや見慣れたはずコックピットが目に映る。だが、なぜか今日は初めてみたような違和感を覚える。
(こんなに狭かったっけ……)
人一人が座っておしまいの密閉空間なので元から狭いと思っていたが、今はことさら狭く感じる。
今までの任務では感じたことの無い、言いようの無い圧迫感。
押しつぶされそうな感覚は、物理的な容量だけによるものではない。戦場の空気に呑み込まれそうだった。
ゴーグルモニターを下げると、人戦機の見ている光景が広がる。
森と幾筋の黒煙と火線。ヘッドホンから響くのは銃声と爆音、そして通信機越しの怒号。
吸う空気は水銀のように重い。そんな中で、かろうじてトモエの通信音声を拾う。
「アオイ、ソウ。次はマップ表示に従い、このルートを巡回しろ」
「りょ、了解です」
「了解」
「巡回のときは輸送ドローン制圧地域から出るな。また、輸送ドローンを攻撃する敵性存在がいたら素早く排除しろ。一機一機は安い奴だが、それでもクライアントの損害最小化は我々の義務だ」
自機の横へ視線を落とすと、イナビシが用意した大量の地上型ドローンが往来していた。いくらでも替えの利く廉価なドローンが、働き蟻のごとくトレージオンを運び、通信と監視ネットワークを形成している。
「了解です」
「了解」
「では行動開始」
漆黒の森を慎重に進む。
視界に映るのは、人戦機の胴回りを越す無数の巨木と塗りつぶされたような黒の背景だった。
何が隠れていてもおかしくはない。
そんな不安が緊張を呼び、緊張が疲労を呼ぶ。自分の手がじっとりと濡れていることに気付いた。僅か数分の行進が、訓練の数時間分の重さになって纏わりつく。
「定期連絡を」
ビクリと肩が震えてしまった。視界端の通信ウィンドウに目を移せば、バイザー型視覚デバイスが映っている。トモエからの通信と知って、ホッと胸を撫で下ろす。
「異常ありません」
一方のソウは不満げに答えた。
「訓練の行進速度を大幅に下回っていますが、急いだほうがよいのでは?」
「ソウの意見は却下だ。いまのペースでイナビシから苦情は来ていない。速度は維持」
「了解」
更に行進は続く。
そろそろ噴出ポイントに差し掛かる頃だった。そこには別の警備会社が居て、トレージオンの回収設備を防衛している。アオイたちに示されたルートはそこまでで、後は来た道を帰る予定だ。
あと少し、緊張の糸を緩めかけた時だった。
「敵! 二時の方向から接近!」
ソウの報告で、心臓が飛び出そうだった。
「アオイ。援護準備を」
「わ、分かった!」
「突っ込むぞ。合図で撃て」
ソウ機が森の奥へと進み、その後をついていく。
木々のざわめきや人戦機の足音が聞こえるはずなのに、自分の息遣いだけが耳に付く。
(落ち着け! 落ち着け!)
鼻から大きく息を吸い、腹の底に貯める。ふわふわとして心許なかった手の感触が、実感を取り戻してきた。
集中を取り戻した視線の先に、赤い瞳がチラリと見える。目を凝らせば、軽甲蟻がズームアップされるのと同時に、ヘッドホンがソウの発破を伝えた。
「いくぞ!」
突っ込むソウ機を視界に収めつつ、援護のために銃口を向ける。すると、青い弾道予測線とソウ機が重なり、射撃不可と表示された。
イナビシ傘下企業の同士討ちを避けるための安全装置だった。
「この場所は。回り込まないと!」
意思通りにシドウ一式は駆ける。青い輝線とソウ機が離れると射撃不可の文字が消えた。
「今だ!」
直後の銃火が木立を照らし、曳光弾が闇を引き裂く。
ソウ機へ向かおうとしていた軽甲蟻の甲殻が次々と砕かれていく。ソウの銃火が見えると同時に、残りの軽甲蟻も沈黙した。
「よし。なんとか行ける」
攻性獣が居なくなったころ茂みが揺れる。アオイとソウの間に二つの影が飛び出た。
「なに!?」
片方に銃口を向ける。青い輝線の先に佇むのは甲虫に似た面持ちの人戦機だった。
相手が攻性獣でないと知り、安堵の息をつく。
「攻性獣を追ってきた人かな?」
気の緩みを読み取って、シドウ一式が銃を下げる。だが、違和感がチラついた。
「そう言えばさっき、何かなかったような……。あ」
目の前の人戦機に照準を合わせた時に、あるべき射撃不可の表示が無い事に、いまさら気づく。
「アオイ! 隠れろ!」
「え?」
モニターに映る人戦機がライフルを構える。銃口が、やけに緩慢に、ぬるりと向けられた。
音も、味も、匂いもしない。全てがゆっくりと流れる空間が自身を包む。
次に起こる事も、やるべきことも分かっている。だが、できない。
(う、動けない)
そして、銃口が光ったと思った次の瞬間、肺の空気が一気に抜けるような衝撃が全身を貫く。
「がぅ!? 」
全身を締め上げる圧迫感と共に関節が固定された。ほぼ同時に、背後からの次なる衝撃が襲う。
「がふ!」
自分の意志とは関係なく、振り子のように揺れる頭。視界も思考もグチャグチャにかき回された。
(な、なに……? なにを……? どうしたら?)
まずい事になった。何かをしなきゃ、それしか分からない。焦燥の中、トモエの叫び声だけ耳につく。
「――オイ! アオイ! 早く立て!」
トモエの叫び声に引っ張られ、モニターへ意識を移す。だが、ほとんどが見えない。
「光が! 色が!」
今までになく暗く、灰色の視界。
「どうして!? 目が!? なんで!?」
暗く長いトンネルに放り込まれたようだった。視界の真ん中が僅かに見える。それ以外は暗闇に塗り潰された。警告の確認もままならない。
「いや……! これがグレーゾーン!」
混乱の中、以前にトモエから聞いた生理反応をかろうじて思い出した。
レッドゾーンの更に上の領域。視野狭窄により、まともな感覚と思考が奪われる灰色の世界。
このままではまずい。思いだけが空回る。
直後、場違いなまでに抑揚の薄いシステム音声が聞こえた。
「脈拍毎分一七〇回を超過。薬剤を投与します」
腕から何か入った感覚がした。そして、視野が戻り、色が戻り、思考も正常に戻る。そこでどうにか我に返った。
「は、早く隠れないと!」
ようやっと回りだした頭で、次に取るべき行動を思い出す。素早く巨木の影に隠れ、ようやっと一息つくことができた。
ほんの少しだけの余裕から生まれてきたのは、ひたすらに後悔だった。
(馬鹿だ。ボクは馬鹿だ……)
戦闘開始直前に、トモエに言われていたことを思い出しながら、自らの認識の甘さを悔いた。
黒曜樹海の未舗装路をサクラダ警備のトレーラー三台が駆け抜ける。その勢いは、普段とは比べ物にならない。
後ろ二台がシドウ一式を搬送していた。モノノフの大鎧を思わせる肩部大型装甲板の上を、無数のクモ型インセクト・マシンが蠢いている。口から塗料を吐いて、機体を黒曜樹海に合わせた黒と緑のまだら模様へ塗り替えていた。
先頭車両にはサクラダ警備の三人が乗っている。アオイは跳ね上がる衝撃に気分を悪くして、苦悶の表情を浮かべた。
だが、胸中はそれどころではない。トモエへの質問に、あからさまな不安が乗ってしまう。
「トモエさん。本当にこれから――」
「ああ。お前たちには鉄火場へ踏み込んでもらう」
「トレージオンをめぐる資源採取戦……。そんなものが」
トレージオン。それは人類の至宝。
大侵食以前に宇宙から飛来したその物質は、奇妙な性質を持っている。周りの物質を取り込み、別物へと再構築する性質だ。
それは生命が、餌を食べて自身を構築するプロセスに似ている。トレージオンの構造が細胞に似ていることもあって、細胞状マイクロプラントと形容されることもある。
取り込む物質と周囲の環境によってトレージオンは再構築する物質を変える。そのどれもが人智を超えた有用性を持つ
「アオイは、ウラシェに来てから間もないが、それでも価値は知っているだろう?」
現代では必要不可欠な資源であると、ほとんどの人間が知っている。
「はい。人戦機の材料のほとんどはトレージオン製だと。トレージオン以外では、そんな凄い材料を作れなくて、すごく貴重だって」
トレージオンが作れない数少ない物質。それはトレージオン自身だ。
最先端科学を持ってしても再現不能であるがゆえに、供給に対して常に枯渇していた。
「まさか、それが噴き出るなんて……。信じられません」
「すぐ目にするさ。今から行く場所でな」
そして、開拓星で驚愕の事実が発見される。時折、トレージオンが惑星地上から間欠泉の如く吹き出すのだ。
トモエがタブレット型端末を忙しくなく操作しながら、口を動かす。
「骨、筋肉、神経、鎧。人間で言えばそれらに相当する超高性能な人戦機の材料を、手間もカネもかけずに勝手に作り続ける。人戦機が安値でも生み出す利益は莫大だ」
それゆえ、宝物庫を、誰もが欲しがる。
「各企業が確保に躍起になる。国益保護の名目で、間に合う武装警備員をかき集める訳だ」
生み出す利益を最大に、使うコストは最小に。結果、開拓地域に散在する武装警備員が資源採集戦の主力となった。それが、いま自分たちが現場へ向かう理由だった。
「だから、強制参加なんですね……」
「高額報酬が期待できるから強制されずとも参加したがる者が多いが、それでも嫌がる者もいる」
「……どうしてですか?」
そう口にしながらも、張りつめた空気から理由について薄々は気づいていた。鉄火場という、トモエの言葉を思い出す。
「噴出する箇所は散在し、停止と再開はまるで不規則。我々は一刻も早く噴出地点を確保して、クライアントの利益を最大化しなければならない。そこまで言えば、アオイなら分かるな?」
「……いままでみたいに、準備万端で戦える訳ではない」
今までの任務で準備万端の上で、それでも危険に巻き込まれた。そして、今から向かう場所の危険度は、それよりも上と言う事だ。予想通りで、そうあって欲しくなかった答えだった。
トモエを見ると、無機質なバイザーとは対照的に、眉は焦りに歪んでいた。
(あの、トモエさんが……)
それだけで、極めて分が悪い状況にいる事が分かった。
流動的な状況で求められるのは、自分の判断で動けるだけの経験だと言うのはよく分かる。
まだ早過ぎると、トモエが判断していると考えた。
続くトモエの声は、予想どおりに緊迫感を含んだ調子だった。
「言っておくが、相当に危険な任務だ。細心の注意を払ってもらおう」
「分かりました。今までの経験を活かして頑張ります」
「いや、わかっていない。なぜなら資源採取戦では今までの任務の経験は半分程度しか役に立たない」
「え?」
「いいか、よく聞け――」
そう言ってトモエは理由を話す。
語られた真実と、待ち構える危険に身がすくんだ。だが、か細い指を握って拳を作り、ちらりとソウを向く。
(でも、ボクはソウと約束したんだ)
トモエの方へ向き直し、声に精いっぱいの覚悟を込めた。
「迷惑をかけるつもりはありません。参加します」
「その言葉、信じるぞ」
一方で、ソウは相も変わらず冷静だった。
「オレとアオイだけでは広大な噴出地域を警備できませんが?」
「当然、複数社合同の任務となる」
「他社との連携は? ヒノミヤさん設備の防衛任務のような混乱に陥るのは避けたいのですが」
「それについては――」
通信を知らせるアラートが鳴る。
チャンネルを開くと、艶やかな黒髪が印象的な容姿端麗の女性が映っていた。外はね気味のショートカットが活動的な印象だ。
画面の中の女性が耳から口元に伸びるインカムを触ると、印象どおりの涼やかな声がトレーラー内に響いた。
「サクラダ警備の皆様。イナビシの依頼を受託頂きありがとうございます。広域オペレーター担当のチドリ=チサトです」
「サクラダ警備代表兼オペレーター担当のサクラダ=トモエです」
「ご無沙汰しています。サクラダさん」
「ええ、しばらくぶりです」
チサトが何かに気づいたように、まつ毛の揃った目を僅かばかり見開いた。
「そちらは? 初めてお見掛けしましたが」
「うちの新しい面子です」
「初めまして。武装警備会社間の統合作戦の立案、および指揮を担当するチドリです。よろしくお願いします」
トモエが頭を下げる相手と言う事で、きっちりと頭を下げた。挨拶もそこそこに、トモエが躊躇と共に口を開く。
「今回の作戦に関して一つ要望が。現在、弊社で稼動できるのは経験の浅い者だけです。弊社が担当する作戦域を決定する際には、その点をご配慮願います」
「できる限りではありますが、考慮いたします。ですが、弊社の営利を第一優先とした活動である点は、ご了承を」
襟についた社章バッチを触りながら、トモエはにこやかに返答する。
「分かりました。では以降よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。ご武運を」
その後、チサトが映っていたウィンドウが消える。同時に、疑問を述べた。
「あの人がワタシたちの指揮をするんですか?」
「今までどおり私がお前たちの指揮をする。チドリさんが指揮するのは私だ」
「……よかった」
トモエの指揮を受けられると知り、少しだけ不安が薄れた。だが、すぐにトモエの締まった声が響く。
「あと数分で指定区域に到着する。もう後戻りはできないぞ。本当にいいんだな?」
「覚悟はしています」
トレーラーが進む先を、窓から覗く。そこには多数の黒煙が立ち上り曇天と混ざり合っていた。覚悟がいま試されようとしている事に、思わず唾を飲んだ。
〇黒曜樹海 資源採取戦 指定区域 後方警戒区域
ゴーグルモニターを少しだけ上げて、周囲を見回す。もはや見慣れたはずコックピットが目に映る。だが、なぜか今日は初めてみたような違和感を覚える。
(こんなに狭かったっけ……)
人一人が座っておしまいの密閉空間なので元から狭いと思っていたが、今はことさら狭く感じる。
今までの任務では感じたことの無い、言いようの無い圧迫感。
押しつぶされそうな感覚は、物理的な容量だけによるものではない。戦場の空気に呑み込まれそうだった。
ゴーグルモニターを下げると、人戦機の見ている光景が広がる。
森と幾筋の黒煙と火線。ヘッドホンから響くのは銃声と爆音、そして通信機越しの怒号。
吸う空気は水銀のように重い。そんな中で、かろうじてトモエの通信音声を拾う。
「アオイ、ソウ。次はマップ表示に従い、このルートを巡回しろ」
「りょ、了解です」
「了解」
「巡回のときは輸送ドローン制圧地域から出るな。また、輸送ドローンを攻撃する敵性存在がいたら素早く排除しろ。一機一機は安い奴だが、それでもクライアントの損害最小化は我々の義務だ」
自機の横へ視線を落とすと、イナビシが用意した大量の地上型ドローンが往来していた。いくらでも替えの利く廉価なドローンが、働き蟻のごとくトレージオンを運び、通信と監視ネットワークを形成している。
「了解です」
「了解」
「では行動開始」
漆黒の森を慎重に進む。
視界に映るのは、人戦機の胴回りを越す無数の巨木と塗りつぶされたような黒の背景だった。
何が隠れていてもおかしくはない。
そんな不安が緊張を呼び、緊張が疲労を呼ぶ。自分の手がじっとりと濡れていることに気付いた。僅か数分の行進が、訓練の数時間分の重さになって纏わりつく。
「定期連絡を」
ビクリと肩が震えてしまった。視界端の通信ウィンドウに目を移せば、バイザー型視覚デバイスが映っている。トモエからの通信と知って、ホッと胸を撫で下ろす。
「異常ありません」
一方のソウは不満げに答えた。
「訓練の行進速度を大幅に下回っていますが、急いだほうがよいのでは?」
「ソウの意見は却下だ。いまのペースでイナビシから苦情は来ていない。速度は維持」
「了解」
更に行進は続く。
そろそろ噴出ポイントに差し掛かる頃だった。そこには別の警備会社が居て、トレージオンの回収設備を防衛している。アオイたちに示されたルートはそこまでで、後は来た道を帰る予定だ。
あと少し、緊張の糸を緩めかけた時だった。
「敵! 二時の方向から接近!」
ソウの報告で、心臓が飛び出そうだった。
「アオイ。援護準備を」
「わ、分かった!」
「突っ込むぞ。合図で撃て」
ソウ機が森の奥へと進み、その後をついていく。
木々のざわめきや人戦機の足音が聞こえるはずなのに、自分の息遣いだけが耳に付く。
(落ち着け! 落ち着け!)
鼻から大きく息を吸い、腹の底に貯める。ふわふわとして心許なかった手の感触が、実感を取り戻してきた。
集中を取り戻した視線の先に、赤い瞳がチラリと見える。目を凝らせば、軽甲蟻がズームアップされるのと同時に、ヘッドホンがソウの発破を伝えた。
「いくぞ!」
突っ込むソウ機を視界に収めつつ、援護のために銃口を向ける。すると、青い弾道予測線とソウ機が重なり、射撃不可と表示された。
イナビシ傘下企業の同士討ちを避けるための安全装置だった。
「この場所は。回り込まないと!」
意思通りにシドウ一式は駆ける。青い輝線とソウ機が離れると射撃不可の文字が消えた。
「今だ!」
直後の銃火が木立を照らし、曳光弾が闇を引き裂く。
ソウ機へ向かおうとしていた軽甲蟻の甲殻が次々と砕かれていく。ソウの銃火が見えると同時に、残りの軽甲蟻も沈黙した。
「よし。なんとか行ける」
攻性獣が居なくなったころ茂みが揺れる。アオイとソウの間に二つの影が飛び出た。
「なに!?」
片方に銃口を向ける。青い輝線の先に佇むのは甲虫に似た面持ちの人戦機だった。
相手が攻性獣でないと知り、安堵の息をつく。
「攻性獣を追ってきた人かな?」
気の緩みを読み取って、シドウ一式が銃を下げる。だが、違和感がチラついた。
「そう言えばさっき、何かなかったような……。あ」
目の前の人戦機に照準を合わせた時に、あるべき射撃不可の表示が無い事に、いまさら気づく。
「アオイ! 隠れろ!」
「え?」
モニターに映る人戦機がライフルを構える。銃口が、やけに緩慢に、ぬるりと向けられた。
音も、味も、匂いもしない。全てがゆっくりと流れる空間が自身を包む。
次に起こる事も、やるべきことも分かっている。だが、できない。
(う、動けない)
そして、銃口が光ったと思った次の瞬間、肺の空気が一気に抜けるような衝撃が全身を貫く。
「がぅ!? 」
全身を締め上げる圧迫感と共に関節が固定された。ほぼ同時に、背後からの次なる衝撃が襲う。
「がふ!」
自分の意志とは関係なく、振り子のように揺れる頭。視界も思考もグチャグチャにかき回された。
(な、なに……? なにを……? どうしたら?)
まずい事になった。何かをしなきゃ、それしか分からない。焦燥の中、トモエの叫び声だけ耳につく。
「――オイ! アオイ! 早く立て!」
トモエの叫び声に引っ張られ、モニターへ意識を移す。だが、ほとんどが見えない。
「光が! 色が!」
今までになく暗く、灰色の視界。
「どうして!? 目が!? なんで!?」
暗く長いトンネルに放り込まれたようだった。視界の真ん中が僅かに見える。それ以外は暗闇に塗り潰された。警告の確認もままならない。
「いや……! これがグレーゾーン!」
混乱の中、以前にトモエから聞いた生理反応をかろうじて思い出した。
レッドゾーンの更に上の領域。視野狭窄により、まともな感覚と思考が奪われる灰色の世界。
このままではまずい。思いだけが空回る。
直後、場違いなまでに抑揚の薄いシステム音声が聞こえた。
「脈拍毎分一七〇回を超過。薬剤を投与します」
腕から何か入った感覚がした。そして、視野が戻り、色が戻り、思考も正常に戻る。そこでどうにか我に返った。
「は、早く隠れないと!」
ようやっと回りだした頭で、次に取るべき行動を思い出す。素早く巨木の影に隠れ、ようやっと一息つくことができた。
ほんの少しだけの余裕から生まれてきたのは、ひたすらに後悔だった。
(馬鹿だ。ボクは馬鹿だ……)
戦闘開始直前に、トモエに言われていたことを思い出しながら、自らの認識の甘さを悔いた。