残酷な描写あり
99.ムーア王国1
「――以上が、八柱協議で出た議題になります」
「うむ、ご苦労であったカンディ」
ムーア王国宰相のカンディの報告にただ一言そう言って、上座に座っていた人物は労いの言葉を掛けた。
権威溢れる上品な服、細い頬に隈のある目、控えめな白黒半々の髪と髭、煌びやかな色とりどりの宝石が散りばめられた王冠を被る人物こそ、約700年続くムーア王国の現国王『ランディ・ムーア44世』である。
「それで、カンディはどう考えているのだ?」
ムーア44世がカンディに聞いているのは、「八柱協議で話し合われた議題に対してムーア王国はどう行動するのか」ということである。
カンディが八柱協議でのことを報告すると、ムーア44世は毎回決まってテンプレートの様にカンディにこの質問を飛ばす。なのでカンディもすぐに答えられるように、予め用意していた答えで即答する。
「はい。まず貿易都市への出資増額、これは我が国の経済状況を考えて5%の増額が妥当と考えております。
次にムーア王国と貿易都市を結ぶ街道整備の件ですが、貿易都市側は街道の老朽化と劣化具合を鑑みて街道全面の補修を考えております。街道がしっかり整備されれば人の往来も増え、それだけ経済が回り、我が国と貿易都市の双方に利益をもたらしますので、なるべく早く実行できればと思います。
協定により費用は貿易都市とムーア王国で半々を出資する予定ですが、これに関しては財務総監と相談して最終決定をしたいと思います。そして人員に関してですが、各領地から手の空いている農民を徴集し、そこに貿易都市から派遣される街道整備の職人を合わせて作業に当たらせる予定です。
次に貿易都市、というより労働組合とハンター組合から強い要請があった各地の情報網強化に関してですが、こちらは専用の対策班を編成して各地と綿密な連携を取り合える新しい体制作りをさせたいと思います。
最後にブロキュオン帝国から報告された“失踪者増加”の件ですが、現在ムーア王国ではそのような報告は出ておりません。ですが念のため、ブロキュオン帝国からの要請通りに、ブロキュオン帝国と同様の問題が我がムーア王国でも起きていないか早急に調査させる予定です」
カンディの提案を聞いたムーア44世は満足そうに一言、「うむ」とだけ言って頷いた。
国王であるムーア44世がそうした態度を示したことで、カンディの提案は採用されるはず……であった。
「お待ちください!」
しかしカンディの提案に異議を唱える者が現れた。
異議の言葉と共に椅子から立ち上がったのは、全身が恰幅の良さでコーティングされた男だった。立ち上がった反動だけで男の腹の肉はたぷんと上下に揺れ、手を机に置き支えることで、肉の揺れの反動を殺していた。
「なんでしょうか、ノウエル伯爵?」
「貿易都市への出資額を5%増額するという事でしたが、それは無茶ではありませんか?」
「根拠を伺ってもよろしいか?」
カンディの疑問の言葉に、グレン・ノウエル伯爵は誰にも気付かれないほど小さく口元をニヤリと歪めた。
「カンディ殿、貴方も宰相という立場にいるのですから当然理解しているでしょうが、我が国は一昨年から多発している自然災害の影響で不作や不況に陥っており、現在の財政は大変厳しい状況にあります。そのような状況で、更に財政を陥れるような出資などしている余裕があるのですかな?
その上、更に財政を圧迫する街道整備費用の出資です。その街道整備に掛かる費用の半分も我が国負担という事でしたが、その国の金は我々各地を収める領主から徴収した税であります。
……このようなことをこんな場で言いたくはないのですが、その二つに出資できるほどの余裕は我が領地にはありません! そしてそれは多少の差異こそあれど、他の領地も似たような状況なのであります。
さて、このような状況で余計な出資をするなど、愚の骨頂だと思いませんか?」
まるで舞台の主演にでもなったように身振り手振りを加えて、カンディやムーア44世だけではなく、その場に集まった他の領主達にも語り聞かせるように演説するノウエル伯爵。それは自分の意見に他の領主たちも賛同させるための行為だという事は明白であった。
しかし、ノウエル伯爵の意見自体は的を得ており、カンディの提案が採用されればノウエル伯爵と同様に困る領主は多かった。
「ノウエル伯爵の言う通りだ!」
「そんな余裕は我が領地にもないぞ!」
「カンディ殿はもう少し宰相らしく、国の状況を考えてから物事を判断するべきだ!」
「机上の空論を前提に提案をするのは止めていただきたい!」
結果的にこの場に集まった半数以上の領主が反対を主張した。その様子を見て、焚き付け人のノウエル伯爵は計画通りに事が運んでいることに手応えを感じ、更に口元を歪めてカンディに向けて勝ち誇った顔を向ける。
(どうだカンディ! いつもいつもお前の言う通りに事が運んでいるからと今回は調子に乗ったようだが、ハッキリ言って出した提案が悪すぎたな! 我々どころか国の首を絞めることになりかねないそんな提案に、他の領主達が賛成するわけがない!
私の意見に半数以上の領主が賛同している以上、今回国王陛下の心を動かすのは、この私だ!)
半数の領主が反対意見を唱えたことにより、ムーア44世はカンディの提案に難色を示し始めた。
「……カンディよ、半数の者達が反対しておるぞ。おぬしの提案は修正した方が良いのではないか?」
ムーア44世は長い歴史のあるムーア王国の中でも歴代稀にみる性格をした国王で、影でこう呼ばれている。『優柔不断の王』と。
ノウエル伯爵は先程ワザと語り聞かせるような口調で演説し、他の領主達が自分の意見に賛同する流れになるように仕向けた。優柔不断で自分の意見を持たないムーア44世なら、この場にいる半数が反対すれば必ずそちらに靡くと、ノウエル伯爵は過去の経験から理解していた。
そしてノウエル伯爵の読み通り、ムーア44世の思考はカンディの提案に反対する方向に舵を取った。
(よし! ここまで来ればあとはこのまま勢いで押しきり、国王陛下が『カンディの提案を反対する』と一声言いさえすればいい。流石のカンディも国王陛下の決定を無視するわけにはいかないからな。そうなれば後は私達、“王権派”がこの会議の主導権を握り、有利な提案をするだけだ!)
「カンディ殿、国王陛下も皆もこう仰っておられるのです。今一度考えなおしましょう! ここにいる我ら全員で意見を出しあえば、この場にいる皆が納得するより良いものも浮かぶというものです!」
ノウエル伯爵のこの提案に、反対を主張していた他の領主たちが一気にノウエル伯爵の提案を押し始める。こうなれば優柔不断なムーア44世は「皆が言うなら、その方がいいはずだ」と思考し、カンディの意見を却下するはずである。そうなったらこの会議の主導権はノウエル伯爵、及び、ノウエル伯爵が所属する“王権派”派閥の貴族側に移ることになる。
会議の時“王権派”の意見はいつも、カンディの口車に乗せられたムーア44世に却下され続けてきた。“王権派”の領主達はその度に味わう苦虫を噛み潰したような味に耐えて、カンディに対する対策を巡らせてきた。そしてその中で出した結論は、カンディを倒す『知恵』ではなく、ムーア44世を味方につける『物量』であった。
それはカンディの反論が出る前に数と圧力で押し、ムーア44世の思考を強制的に素早く自分達の方向に傾けさせるというものだった。一見シンプルな作戦だが、ムーア44世のような極端に優柔不断な相手に思考をさせる暇なく押し通すというのはかなり有効な手であった。
そして実際に、ムーア44世もノウエル伯爵に傾き、カンディも反論する暇なく黙っていた。
その様子を見たノウエル伯爵は勝利を確信した。
(チェックメイト、だ!)
ノウエル伯爵は何物にも代えがたい勝利の高揚感に身を震わせた。
……しかし、それも長くは続かなかった。
「その必要はありません」
先程から黙っていたカンディがようやく口を開いて、そう言い切ったからだ。
「……何故でしょうか?」
高揚感が引いていく感覚に嫌悪感を覚えながら、ノウエル伯爵は聞き返す。
それに対してカンディの答えな簡潔なものだった。
「わしの提案に修正の余地など無いからです」
「理由を聞いてもよいか?」
「はい、国王陛下。まず、ノウエル伯爵の指摘している国の現状ですが、勿論わしも理解しています」
「それが分かっているのであれば、何故このような無茶な提案をしたのですか!? カンディ殿は国を瓦解させるつもりでもおありか!?」
ノウエル伯爵の激しい口調に、カンディはいつものように冷然な鋭い眼光でノウエル伯爵を見据えた。
「ノウエル伯爵、どうやら貴殿は前提を履き違えているようだ」
「前提……ですと?」
「八柱協議で出た議題は我が国だけに対してではない。4国全てに対して出されたものだ」
「なっ!?」
カンディのこの発言にノウエル伯爵を筆頭に、反対意見を主張していた領主達は目を見開き驚いた。
「貿易都市の出資増額も、街道整備も、情報網強化も、失踪者の捜索も全ての国に対して出された議題なのだ。
そしてノウエル伯爵が指摘した貿易都市への出資増加と街道整備の費用と人員に関してだが、ブロキュオン帝国とプアボム公国は八柱協議の時点で既に全面的に同意しており、ブロキュオン帝国は出資額を25%、プアボム公国は20%の増額を約束し、街道整備も準備が整い次第開始することを宰相の独断で決定しているのだ。
更に言えば、この2国は他の二つの議題にも全面的な協力を約束している。つまり、議題に対して未だ同意をしていないのは我がムーア王国とサピエル法国だけである。
理由を付けて同意しないという事は可能だろうが、その選択を取ったなら、我が国はブロキュオン帝国とプアボム公国に対して後れを取る結果になるのは確実である。……その意味は当然理解できるな、ノウエル伯爵?」
カンディの言おうとしている意味を、ノウエル伯爵を含めて反対意見を声高らかに主張していた“王権派”の領主達は正確に理解してた。
カンディの言う通り、財政難を理由に断ることは可能だ。貿易都市も国相手に対して、「財政に鞭打ってでも同意しろ」なんて言えるわけがない。
しかしそれを理由に断れば、他の国に自国の弱点を素直に晒す事に他ならない。ブロキュオン帝国とプアボム公国はやり手の国であり、そのチャンスを逃しはしない。必ず何らかの手段で漬け込んでくるのは確実だった。
それにムーア王国はブロキュオン帝国とプアボム公国に対してあまりいい感情を持っている者が少ない。というのも、150年前の世界大戦で最も強く対立していたのはムーア王国とブロキュオン帝国なのだ。
そしてプアボム公国はその混乱に乗じてムーア王国を離反した貴族達によって作られた国である。
今でこそ『4ヵ国協力平和条約』によって表面上は手を取り合っているが、真っ向から戦争を仕掛けてきたブロキュオン帝国と、混乱に乗じて領土を奪ったプアボム公国に対して憎悪の感情を向けている貴族達が多いのはある意味で当然だった。そして“王権派”の領主達の殆どは、その感情を持っていた。
もしカンディの提案を退ければ、ブロキュオン帝国とプアボム公国から後れを取る結果になる。それはプライドの高い“王権派”の領主達が最も避けたい状況である。
そもそもこうして議題を持ち帰って協議している時点で既に後れを取っているのに、ブロキュオン帝国とプアボム公国より動かせる金銭が少なすぎるとなれば、それは後れを更に広げる結果を生むのは確実だった。プライドの高い“王権派”の領主達がそんなことになるのを見過ごせるはずがない。
つまりカンディの提案は、財政難の状況でも何とか乗り切れる最低限のギリギリを攻め、同時にブロキュオン帝国とプアボム公国から後れを取り過ぎることなく、ムーア王国のプライドを守れるように計算し尽くされたものだったのだ。
カンディの提案を断るという選択肢は、ムーア王国に初めから存在すらしていなかったのである。
「……分かった。カンディ殿の提案に賛成しよう……」
押し黙ってしまった“王権派”の領主の一人が、カンディの提案を受け入れた。
「ハッセ大公!? それは――」
「ノウエル伯爵、カンディ殿の提案にこれ以上の落しどころがないことは明白だ。これから苦しいことになるだろうが、今はそれをどう乗り越えるかを考える方が優先ではないか?」
「くっ……分かり、ました……」
ドウェイン・ハッセ大公は“王権派”を纏めている大貴族である。その彼がこう言ってしまえば、反対を主張していた他の“王権派”領主達も、それ以上何も言うことはできなかった。
「……異論はないようだな。では、カンディの提案通りに事を運ぶとしよう。皆の者よろしく頼むぞ」
こうして“王権派”の頑張りも虚しく、カンディの意見がまたも採用されることとなった。
「うむ、ご苦労であったカンディ」
ムーア王国宰相のカンディの報告にただ一言そう言って、上座に座っていた人物は労いの言葉を掛けた。
権威溢れる上品な服、細い頬に隈のある目、控えめな白黒半々の髪と髭、煌びやかな色とりどりの宝石が散りばめられた王冠を被る人物こそ、約700年続くムーア王国の現国王『ランディ・ムーア44世』である。
「それで、カンディはどう考えているのだ?」
ムーア44世がカンディに聞いているのは、「八柱協議で話し合われた議題に対してムーア王国はどう行動するのか」ということである。
カンディが八柱協議でのことを報告すると、ムーア44世は毎回決まってテンプレートの様にカンディにこの質問を飛ばす。なのでカンディもすぐに答えられるように、予め用意していた答えで即答する。
「はい。まず貿易都市への出資増額、これは我が国の経済状況を考えて5%の増額が妥当と考えております。
次にムーア王国と貿易都市を結ぶ街道整備の件ですが、貿易都市側は街道の老朽化と劣化具合を鑑みて街道全面の補修を考えております。街道がしっかり整備されれば人の往来も増え、それだけ経済が回り、我が国と貿易都市の双方に利益をもたらしますので、なるべく早く実行できればと思います。
協定により費用は貿易都市とムーア王国で半々を出資する予定ですが、これに関しては財務総監と相談して最終決定をしたいと思います。そして人員に関してですが、各領地から手の空いている農民を徴集し、そこに貿易都市から派遣される街道整備の職人を合わせて作業に当たらせる予定です。
次に貿易都市、というより労働組合とハンター組合から強い要請があった各地の情報網強化に関してですが、こちらは専用の対策班を編成して各地と綿密な連携を取り合える新しい体制作りをさせたいと思います。
最後にブロキュオン帝国から報告された“失踪者増加”の件ですが、現在ムーア王国ではそのような報告は出ておりません。ですが念のため、ブロキュオン帝国からの要請通りに、ブロキュオン帝国と同様の問題が我がムーア王国でも起きていないか早急に調査させる予定です」
カンディの提案を聞いたムーア44世は満足そうに一言、「うむ」とだけ言って頷いた。
国王であるムーア44世がそうした態度を示したことで、カンディの提案は採用されるはず……であった。
「お待ちください!」
しかしカンディの提案に異議を唱える者が現れた。
異議の言葉と共に椅子から立ち上がったのは、全身が恰幅の良さでコーティングされた男だった。立ち上がった反動だけで男の腹の肉はたぷんと上下に揺れ、手を机に置き支えることで、肉の揺れの反動を殺していた。
「なんでしょうか、ノウエル伯爵?」
「貿易都市への出資額を5%増額するという事でしたが、それは無茶ではありませんか?」
「根拠を伺ってもよろしいか?」
カンディの疑問の言葉に、グレン・ノウエル伯爵は誰にも気付かれないほど小さく口元をニヤリと歪めた。
「カンディ殿、貴方も宰相という立場にいるのですから当然理解しているでしょうが、我が国は一昨年から多発している自然災害の影響で不作や不況に陥っており、現在の財政は大変厳しい状況にあります。そのような状況で、更に財政を陥れるような出資などしている余裕があるのですかな?
その上、更に財政を圧迫する街道整備費用の出資です。その街道整備に掛かる費用の半分も我が国負担という事でしたが、その国の金は我々各地を収める領主から徴収した税であります。
……このようなことをこんな場で言いたくはないのですが、その二つに出資できるほどの余裕は我が領地にはありません! そしてそれは多少の差異こそあれど、他の領地も似たような状況なのであります。
さて、このような状況で余計な出資をするなど、愚の骨頂だと思いませんか?」
まるで舞台の主演にでもなったように身振り手振りを加えて、カンディやムーア44世だけではなく、その場に集まった他の領主達にも語り聞かせるように演説するノウエル伯爵。それは自分の意見に他の領主たちも賛同させるための行為だという事は明白であった。
しかし、ノウエル伯爵の意見自体は的を得ており、カンディの提案が採用されればノウエル伯爵と同様に困る領主は多かった。
「ノウエル伯爵の言う通りだ!」
「そんな余裕は我が領地にもないぞ!」
「カンディ殿はもう少し宰相らしく、国の状況を考えてから物事を判断するべきだ!」
「机上の空論を前提に提案をするのは止めていただきたい!」
結果的にこの場に集まった半数以上の領主が反対を主張した。その様子を見て、焚き付け人のノウエル伯爵は計画通りに事が運んでいることに手応えを感じ、更に口元を歪めてカンディに向けて勝ち誇った顔を向ける。
(どうだカンディ! いつもいつもお前の言う通りに事が運んでいるからと今回は調子に乗ったようだが、ハッキリ言って出した提案が悪すぎたな! 我々どころか国の首を絞めることになりかねないそんな提案に、他の領主達が賛成するわけがない!
私の意見に半数以上の領主が賛同している以上、今回国王陛下の心を動かすのは、この私だ!)
半数の領主が反対意見を唱えたことにより、ムーア44世はカンディの提案に難色を示し始めた。
「……カンディよ、半数の者達が反対しておるぞ。おぬしの提案は修正した方が良いのではないか?」
ムーア44世は長い歴史のあるムーア王国の中でも歴代稀にみる性格をした国王で、影でこう呼ばれている。『優柔不断の王』と。
ノウエル伯爵は先程ワザと語り聞かせるような口調で演説し、他の領主達が自分の意見に賛同する流れになるように仕向けた。優柔不断で自分の意見を持たないムーア44世なら、この場にいる半数が反対すれば必ずそちらに靡くと、ノウエル伯爵は過去の経験から理解していた。
そしてノウエル伯爵の読み通り、ムーア44世の思考はカンディの提案に反対する方向に舵を取った。
(よし! ここまで来ればあとはこのまま勢いで押しきり、国王陛下が『カンディの提案を反対する』と一声言いさえすればいい。流石のカンディも国王陛下の決定を無視するわけにはいかないからな。そうなれば後は私達、“王権派”がこの会議の主導権を握り、有利な提案をするだけだ!)
「カンディ殿、国王陛下も皆もこう仰っておられるのです。今一度考えなおしましょう! ここにいる我ら全員で意見を出しあえば、この場にいる皆が納得するより良いものも浮かぶというものです!」
ノウエル伯爵のこの提案に、反対を主張していた他の領主たちが一気にノウエル伯爵の提案を押し始める。こうなれば優柔不断なムーア44世は「皆が言うなら、その方がいいはずだ」と思考し、カンディの意見を却下するはずである。そうなったらこの会議の主導権はノウエル伯爵、及び、ノウエル伯爵が所属する“王権派”派閥の貴族側に移ることになる。
会議の時“王権派”の意見はいつも、カンディの口車に乗せられたムーア44世に却下され続けてきた。“王権派”の領主達はその度に味わう苦虫を噛み潰したような味に耐えて、カンディに対する対策を巡らせてきた。そしてその中で出した結論は、カンディを倒す『知恵』ではなく、ムーア44世を味方につける『物量』であった。
それはカンディの反論が出る前に数と圧力で押し、ムーア44世の思考を強制的に素早く自分達の方向に傾けさせるというものだった。一見シンプルな作戦だが、ムーア44世のような極端に優柔不断な相手に思考をさせる暇なく押し通すというのはかなり有効な手であった。
そして実際に、ムーア44世もノウエル伯爵に傾き、カンディも反論する暇なく黙っていた。
その様子を見たノウエル伯爵は勝利を確信した。
(チェックメイト、だ!)
ノウエル伯爵は何物にも代えがたい勝利の高揚感に身を震わせた。
……しかし、それも長くは続かなかった。
「その必要はありません」
先程から黙っていたカンディがようやく口を開いて、そう言い切ったからだ。
「……何故でしょうか?」
高揚感が引いていく感覚に嫌悪感を覚えながら、ノウエル伯爵は聞き返す。
それに対してカンディの答えな簡潔なものだった。
「わしの提案に修正の余地など無いからです」
「理由を聞いてもよいか?」
「はい、国王陛下。まず、ノウエル伯爵の指摘している国の現状ですが、勿論わしも理解しています」
「それが分かっているのであれば、何故このような無茶な提案をしたのですか!? カンディ殿は国を瓦解させるつもりでもおありか!?」
ノウエル伯爵の激しい口調に、カンディはいつものように冷然な鋭い眼光でノウエル伯爵を見据えた。
「ノウエル伯爵、どうやら貴殿は前提を履き違えているようだ」
「前提……ですと?」
「八柱協議で出た議題は我が国だけに対してではない。4国全てに対して出されたものだ」
「なっ!?」
カンディのこの発言にノウエル伯爵を筆頭に、反対意見を主張していた領主達は目を見開き驚いた。
「貿易都市の出資増額も、街道整備も、情報網強化も、失踪者の捜索も全ての国に対して出された議題なのだ。
そしてノウエル伯爵が指摘した貿易都市への出資増加と街道整備の費用と人員に関してだが、ブロキュオン帝国とプアボム公国は八柱協議の時点で既に全面的に同意しており、ブロキュオン帝国は出資額を25%、プアボム公国は20%の増額を約束し、街道整備も準備が整い次第開始することを宰相の独断で決定しているのだ。
更に言えば、この2国は他の二つの議題にも全面的な協力を約束している。つまり、議題に対して未だ同意をしていないのは我がムーア王国とサピエル法国だけである。
理由を付けて同意しないという事は可能だろうが、その選択を取ったなら、我が国はブロキュオン帝国とプアボム公国に対して後れを取る結果になるのは確実である。……その意味は当然理解できるな、ノウエル伯爵?」
カンディの言おうとしている意味を、ノウエル伯爵を含めて反対意見を声高らかに主張していた“王権派”の領主達は正確に理解してた。
カンディの言う通り、財政難を理由に断ることは可能だ。貿易都市も国相手に対して、「財政に鞭打ってでも同意しろ」なんて言えるわけがない。
しかしそれを理由に断れば、他の国に自国の弱点を素直に晒す事に他ならない。ブロキュオン帝国とプアボム公国はやり手の国であり、そのチャンスを逃しはしない。必ず何らかの手段で漬け込んでくるのは確実だった。
それにムーア王国はブロキュオン帝国とプアボム公国に対してあまりいい感情を持っている者が少ない。というのも、150年前の世界大戦で最も強く対立していたのはムーア王国とブロキュオン帝国なのだ。
そしてプアボム公国はその混乱に乗じてムーア王国を離反した貴族達によって作られた国である。
今でこそ『4ヵ国協力平和条約』によって表面上は手を取り合っているが、真っ向から戦争を仕掛けてきたブロキュオン帝国と、混乱に乗じて領土を奪ったプアボム公国に対して憎悪の感情を向けている貴族達が多いのはある意味で当然だった。そして“王権派”の領主達の殆どは、その感情を持っていた。
もしカンディの提案を退ければ、ブロキュオン帝国とプアボム公国から後れを取る結果になる。それはプライドの高い“王権派”の領主達が最も避けたい状況である。
そもそもこうして議題を持ち帰って協議している時点で既に後れを取っているのに、ブロキュオン帝国とプアボム公国より動かせる金銭が少なすぎるとなれば、それは後れを更に広げる結果を生むのは確実だった。プライドの高い“王権派”の領主達がそんなことになるのを見過ごせるはずがない。
つまりカンディの提案は、財政難の状況でも何とか乗り切れる最低限のギリギリを攻め、同時にブロキュオン帝国とプアボム公国から後れを取り過ぎることなく、ムーア王国のプライドを守れるように計算し尽くされたものだったのだ。
カンディの提案を断るという選択肢は、ムーア王国に初めから存在すらしていなかったのである。
「……分かった。カンディ殿の提案に賛成しよう……」
押し黙ってしまった“王権派”の領主の一人が、カンディの提案を受け入れた。
「ハッセ大公!? それは――」
「ノウエル伯爵、カンディ殿の提案にこれ以上の落しどころがないことは明白だ。これから苦しいことになるだろうが、今はそれをどう乗り越えるかを考える方が優先ではないか?」
「くっ……分かり、ました……」
ドウェイン・ハッセ大公は“王権派”を纏めている大貴族である。その彼がこう言ってしまえば、反対を主張していた他の“王権派”領主達も、それ以上何も言うことはできなかった。
「……異論はないようだな。では、カンディの提案通りに事を運ぶとしよう。皆の者よろしく頼むぞ」
こうして“王権派”の頑張りも虚しく、カンディの意見がまたも採用されることとなった。